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佐川町探訪記(2)、の巻 [日録]

佐川町の歴史、文化、見所等については、佐川観光協会のHPに、詳しい紹介があります。

さかわのしおり[オフィシャル]さかわ観光協会 (sakawa-kankou.jp)

私の探訪記は、このHPの記事をさんこうにさせていただ来ました。ありがとうございます。

と、NET上には見あたらなかったのですが、現地でいただいて帰った紙のmap(A3の大きさ)がたいへんわかりやすいので、コピーして掲載させていただきます。

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私たちは.地図左下のJR佐川駅前で待ってくださっていた旧友安田せつ子さんに案内され、四国銀行隣の駐車場に車を駐め、徒歩でまち歩きを堪能しました。牧野富太郎博士の生家「岸屋」をはじめ、かつてはたくさん存在したという造り酒屋を統合して、いま佐川の酒造りを一手に継承している司牡丹酒造の酒蔵が、整然としたたたずまいを見せています。「司牡丹」の名は、佐川出身の維新の志士で、後に明治政府の高官となった田中光顕が愛し「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」の一筆を寄せて命名したものとされています。

田中光顕は、「青山(せいざん)」と号し、「青山文庫」の名は、これにちなんでいます。

さかわ観光協会のHPにはこうあります。

「酒蔵の道」から牧野公園方面へ、南に曲がると、高台に見えてくるのが、「青山文庫(せいざんぶんこ)」です。
ここには、江戸時代の佐川の様子を知る貴重な手がかりとなる、領主深尾家に関する資料などが多数展示されています。
明治43(1910)年に当時の佐川郵便局長、川田豊太郎の私設図書館として創立。大正14(1925)年、その活動に感銘を受けた佐川町出身の田中光顕が基金や蔵書などを寄贈し、幕末の貴重な資料も多数収蔵した博物館として発展してきました。
「青山文庫」の“青山〞は、田中光顕の雅号から付けられたものです。
田中光顕は、土佐勤王党に加盟し、陸援隊で中岡慎太郎を補佐。維新後は宮内大臣を長期間務めるなど要職に就きながらも、幕末維新の生き証人として、志士の顕彰などに務めました。
夢半ばで倒れた坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太などの志士たちの書状や画など、同時代を生きた者の手で伝えられた資料群には、歴史の重みが感じられます。

これとは別に、「青山文庫」の表札が掲げられた洋館が、「旧浜口家住宅」の隣にあります。

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「旧浜口家住宅」は、江戸中期から酒造業を営ん出来た家の跡で、現在はさかわ観光協会が、土産物販売や休憩所として運営しているそうです。

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鹿鳴館時代の面影を残した、県下最古の木造洋館だそうです。須崎警察署の佐川分署として、もともと上町西方の山側にあったものが、青山文庫、佐川文庫、民具館と用途を変えて、平成21(2009)年に現在の場所に移築したといいます。

道を挟んだ対面に名教館があります。

朝ドラにも、少年時代の萬太郎が学んだ「郷校」、中退する小学校小学校として登場します。

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さかわ観光協会のHPを引きます。

多くの維新の志士や偉人を輩出
県指定文化財。安永元年(1772)佐川領主、深尾氏が家塾として「名教館」を創設。のちに郷校として士分の教育に資した。
天保元年( 1 8 3 0 )東元町に広大な校舎を建設。以来幕末まで数多くの人材を育成し、佐川の文運を高めた。明治に入り、廃藩置県・学制の発令により「佐川小学校」と改名し、中本町に佐川尋常小学校としての校舎の建築、玄関を移設した。平成25(2013)年上町地区へ移築。

   

牧野博士の生家「岸屋」跡地に、大正時代の写真を手がかりに再生されたのが牧野富太郎ふるさと館。博士の遺品やゆかりの資料を展示してあります。

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江戸時代の地図で当時の様子がしのばれます。

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トリミングします。

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佐川町観光協会HPでは「牧野博士が幼少の頃、この神社の境内でバイカオウレンなどの植物を採取し、植物への興味を広げていきました。その後の一生を決定づけた重要な場所ともいえる。」と紹介されています。

今日はこれにて。


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