前回記事に今井正監督作品映画「橋のない川」第1部の夕焼けシーンを話題にしました。


夕焼けつながりで書きかけた未完成記事を、無意識のうちにそのままアップしていましたので、お詫びして訂正させていただきます。。


教育相談ボランティアの会報最近号に、ちょうどこんな記事を書いたばかりでしたので、転載します。



夕焼けあれこれ(その1) kazg


拙ブログに、10年近く前に書いた記事(「夕焼けその2」https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2014-10-17)を、多少のアレンジを加え、「リメイク」してご紹介させていただきます。


ショックです。


いたく落ち込んでいます。


自分の記憶の曖昧さ、でたらめさに、改めて気づかされ、「老人力」がついたなどと笑い流す余裕もありません。


というのは、こういうわけです。


一昨日、吉野弘さんの詩「夕焼け」の記事を書きました。一部引用します。


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夕焼けを写したいと、常々思っています。


素敵な夕焼けを写す事ができたら、吉野弘さんのこの詩と一緒に載せたいと思っていました。


夕焼け 吉野 弘


いつものことだが/電車は満員だった。


そして/ いつものことだが/ 若者と娘が腰をおろし/としよりが立っていた。


うつむいていた娘が立って/としよりに席をゆずった。


そそくさととしよりが坐った。


礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。


娘は坐った。


別のとしよりが娘の前に/ 横あいから押されてきた。


娘はうつむいた。


しかし/又立って/席を/そのとしよりにゆずった。


としよりは次の駅で礼を言って降りた。


娘は坐った。


二度あることは と言う通り/ 別のとしよりが娘の前に/


押し出された。


可哀想に/娘はうつむいて/そして今度は席を立たなかった。


次の駅も/ 次の駅も/唇をキュッと噛んで/ 身体をこわばらせて-----。


僕は電車を降りた。


固くなってうつむいて/ 娘はどこまで行ったろう。


やさしい心の持主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる。


何故って/やさしい心の持主は/他人のつらさを自分のつらさのように/ 感じるから。


やさしい心に責められながら/ 娘はどこまでゆけるだろう。


下唇を噛んで/つらい気持で/ 美しい夕焼けも見ないで。



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その続きを書きたくて、あれこれ思い巡らしていました。


そういえば、何かの映画で、この詩を生徒に朗読して聞かせるシーンがあったっけ。確か、松村達雄さん演じる国語教師が、夜間学校の生徒に読んで聞かせる場面だったよなあ。というわけで、一所懸命思い出そうとしましたが、思い出せません。


最近しょっちゅうこんなことがあります。先日は、テレビでチラリと顔を見た女優さんの名前が浮かびません。元夫の方のお名前は浮かび、周縁のエピソードはあれこれ浮かぶのですが、名前が思い出せないのです。


あいうえお、かきくけこ---わをん。と、何度も繰り返して、これにつなげて名前を思い出そうとしますが、無理です。ほとんど二日半、この努力をしましたが、断念。ネット検索で確認するまで思い出せませんでした。(中略)


現実の交際でも、こんなことがしょっちゅうあり、「名前を忘れた人」リストを作って、二度と忘れないようにしようと思ったりしますが、それも面倒で、二度目三度目の忘却に直面して愕然としたりするのです。トホホ。


ハナシが横道にそれました。


松村達雄さん演じる国語教師について、ネットで調べると、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズ第26作『寅次郎かもめ歌』でした。死んだ旧友の墓参りに北海道を訪れた寅さんは、旧友の娘・すみれ(伊藤蘭)の、定時制高校に通いたいという望みを叶えるために、柴又へ連れ帰ります。その定時制高校の国語教師を演じたのが松村達雄さんでした。松村達雄さんといえば、森川信さんの後を継いで2代目「おいちゃん」(3代目は下條正巳)を演じたほか、寅さんシリーズには、医者、大学教授、お坊さんなど、いろんな役で登場しました。余談ですが、以前、このブログで過去に、何度か話題にした映画「まあだだよ」で、内田百閒を演じたのもこの松村達雄さんでした。人なつっこく、ひょうひょうとした、柔らかくて人間味ある人柄が、魅力的です。


【注2】伊藤蘭さんといえば、昨年末の紅白歌合戦に久しぶりに出場。NHK「ファミリーヒストリー」の取材によると、油絵を嗜んだ祖父太郎の雅号が「蘭」で「伊藤蘭」を名乗ったそうな。NHK朝ドラ『ブギウギ』で、歌って踊るヒロイン「福来スズ子」(モデルは笠置シヅ子)を演じて大活躍の趣里さんは、蘭さんと水谷豊さんの間のお嬢さん。話題に事欠きません。


ショックなのは、『寅次郎かもめ歌』で夜間高校国語教師の松村達雄さんが朗読したのは、吉野弘さんの「夕焼け」ではなくて、実は、この詩でした。


便 所 掃 除 濱 口 國 雄


扉をあけます/頭のしんまでくさくなります/まともに見ることが出来ません/ 神経までしびれる悲しいよごしかたです/澄んだ夜明けの空気もくさくします/ 掃除がいっぺんにいやになります/むかつくようなババ糞がかけてあります


どうして落着いてしてくれないのでしょう/けつの穴でも曲がっているのでしょう/それともよっぽどあわてたのでしょう/おこったところで美しくなりません/美しくするのが僕らの務めです/美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう


くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます/静かに水を流します/ババ糞におそるおそる箒をあてます/ポトン ポトン 便壺に落ちます/ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど 苦しい空気が発散します/落とすたびに糞がはね上がって弱ります


かわいた糞はなかなかとれません/たわしに砂をつけます/手を突き入れて磨きます/汚水が顔にかかります/くちびるにもつきます/そんな事にかまっていられません/ゴリゴリ美しくするのが目的です/その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします/大きな性器も落とします


朝風が壺から顔をなぜ上げます/心も糞になれて来ます/水を流します/心に しみた臭みを流すほど 流します/雑巾でふきます/キンカクシのうらまで丁寧にふきます/社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます/もう一度水をかけます/雑巾で仕上げをいたします/クレゾール液をまきます/白い乳液から新鮮な一瞬が流れます/静かな うれしい気持ちですわってみます/朝の光が便器に反射します/クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします


便所を美しくする娘は/美しい子供をうむ といった母を思い出します/僕は男です/美しい妻に会えるかも知れません


私はこれを、茨木のり子さんの『詩のこころを読む』で知りました。


濱口さんは、国鉄(現JR)の労働者で、「国労」(国鉄労働組合)の文化活動に取り組む中、1956年、国鉄詩人連盟第五回国鉄詩人賞を、この「便所掃除」で受賞します。彼は太平洋戦争では中国、フィリピンなどを転戦し、戦争体験をきっかけに詩を書き始めたと言います。


この詩を、確かに私は好きですが、松村達雄さんが朗読したのが「夕焼け」だと思い込んでいて、この詩を思い出さなかったのは、トホホでした。(つづく)



上の文章のつづきは、おって書き継ぐ予定ですが、文章に添える写真を探しても、これぞというものが見つけ出せません(トホホ)。これまで「夕日」「夕焼け」の写真は数多く写してきたはずなのですが・・・。


たとえば・・・


夕焼け:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)



旭川の川面を、夕陽が照らして魅力的でした。信号待ちの隙に、無理な体勢でシャッタ-を切りました。




ちょっと立ち寄ったスーパーの駐車場で、ふと見ると、西の方があかね色になっていました。
何の変哲もない、街の光景ですが、烏が鳴いて、よい子がおうちに帰りたくなるような、夕焼け空が見えましたので、とりあえず写してみました。




夕焼け その2:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)



10年以上前の、定時制勤務当時の写真を見つけました。
窓の外は夕焼け。



灯のともる校舎。




夕焼け その3:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)



今日は、田舎の父親の通院につきあっての帰り、ちょっと回り道をして、児島湖に沈む夕日を眺めてみました。


眺望スポットにやっと到着した頃は、夕日がほとんど山の端に沈みかけていました。


急な思いつきでしたので、あり合わせのカメラで撮影しましたが、よく晴れて、うつくしい夕日でした。



ほとんど山に隠れます。




夕焼け その4:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)



空と川を染めて夕日が西に傾くのを、橋の上から見るのが好きなのですが、歩くとちょっと遠い。車だと、駐車場所に困る。自転車で行くのが便利です。でも、「散歩が主、撮影はついで」というコンセプトを改めて確認し、敢えて歩くことにしました。


荻薄が群生した河川敷も、次第に紅く染まっていきます。






「秋の日は釣瓶落とし」と、寅さんがよく言ってました。


夕日が、ストンと、山の端に向かって落ちていきます。



(中略)


よく似た画像をたくさん撮りためた中から、これでもセレクトしたつもりの数枚を載せます。





夕焼け その5:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)



水面を彩る夕映えの光の中で。







澪標(みおつくし)の脇を通り過ぎます。



澪標です




こんなエピソードもありました。 


ヨシガモでした、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)


(2016-01-24)



以前、この降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)という記事で、「澪標」についてこんなことを書きました。


今日、仕事から帰って見ると、ゆうメール便で書籍が届けられていました。教科書、参考書、辞典等教育系の出版物を発行している出版社B堂からでした。
(中略)
中身は、特にお正月シーズンを目当てに、各社から例年のように発行される百人一首の解説書です。 百人一首のすべての歌が、過不足のない、わかりやすい解説とともに歌ごとに美しい写真も添えられて、あたかもミニ写真集という趣の冊子です。
付録には朗詠のCDも付いていて、至れり尽くせりです。
なぜこんな書籍が送られてきたかというと、実はこの中に、ずっと以前に私の撮影した澪標の写真が、無償ですが(笑)、1枚採用され、その記念に献本をいただいたという次第です。
ご縁のはじまりは、このブログの写真を編集者の方が見つけてくださり、使用を打診してこられたのでした。澪標などという題材は、よほどレアなものであるようです。
妻に自慢していますと、「早速、ブログに載せたら?」とからかいます。
自慢話になるのも気が引けますし、個人情報の問題もあって、いったん躊躇はしましたが、ブログネタの一つとして紹介させていただく事にしました。


これらの記事にも、澪標の写真を載せています。


夕焼け その5
夕焼け その4
午睡醒めてなお日は長き夏至の雨
夕映えの倉敷川に澪標(みおつくし)


採用されたのはこの写真でした。



そして、該当する歌はこれ。


わびぬれば 今はた同じ 難波(なには)なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王(20番) 『後選集』恋・961
〔解釈〕 どうしてよいか行きづまってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。難波にある澪標ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。



芋づる式の連想記事は程々にして、今回の「夕焼け」シリーズの結びは、こちらの過去記事の引用でお茶を濁したいと思います。


父のテレビ出演!の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp) 2021-07-10



老父がテレビ出演しました。


といっても、ローカル局の地元密着番組で、旧タイプの自動車にも後付けできるブレーキ踏み間違い装置を開発した地元企業の社長さんを紹介するコーナーで、その恩恵にあずかっている利用者第一号として、ひと言インタビューやら運転実技の披露やらの場面を、短時間紹介してくれたのでした


(中略)


先日の記事で、投稿短歌が新聞に掲載していただいたことを書きましたが、その時同時に投稿していてボツになった歌はこんなものでした。


僻村の父九十四老いたれど運転免許まだ手放せず


蛇足ながら、一緒に投稿したのは、これ。


芽吹きたるベニカナメモチ賞めをれば母は昨日の夕焼けを語る


説明を加えないとわかりませんね。
父母宅の道路際の垣根に、ベニカナメモチを植えており、春から初夏にかけて、新芽の燃えるような紅色が樹全体を覆い、息をのむほどの美しさ(安直ながら、アベ前首相の言い回しを借りました)に打たれます。しかし、必要以上に背丈が伸び過ぎていることが気になり、遅まきながら初夏になってから私が剪定をしたのでした。せっかくの紅色の若葉が切り落とされて、みすぼらしい様子に心を痛めていたところ、ようやく新芽が再度芽吹き始めていることを話題にしたのでした。
耳の遠い母が、聞き違えたのか、あるいは紅色から連想してか、昨日の夕焼けはなんとも言えず綺麗だったと、感慨を込めて語りました。ベニカナメモチを植栽している生け垣に沿った道路は、西に向かって延びていて、遙か向こうに、山と空とが眺められるのです。さぞや赤々とした夕焼けだったのでしょう。


ちょうど,この画面の向かって左側の木が、ベニカナメモチです。テレビ画面をデジカメで写したものですので、色合いはイマイチです。




この記事から半年ほど経った2022年3月、老父は逝きました。


ブレーキ踏み間違い防止装置を装着した写真の旧式車は、今私が乗り継いでいます。早いもので、父の命日が今週末に近づきました。


今日はこれにて。