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忌明け、の巻 [家族]

以前こんな記事を書きました。


ただいま12人(2013-08-16-2)


年寄りが「いま何人おる?」と問いますと、保育園年長組の男の子が、室内の一人一人の顔を指さしながら数えて、「12人」といいます。大人達も、とっさにはその正否を確認できず、それぞれ指呼確認して、追認したことでした。
確かに座敷の内には、曾祖父母から曾孫までの4代にわたる家族が一堂に会して、「ただいま12人」状態になっておりました。ほかに、妊娠7ヶ月のお嫁さんが、あいにく一緒できなかったので、もし勢揃いしたら、「ただいま13.5人」というわけでした。
昔、テレビ草創期に「ただいま11人」というドラマがありました。ウィキペディアによると、「ただいま11人(ただいま11にん)はテレビドラマである。/1964年6月4日から1967年3月23日まで毎週木曜20:00 - 20:55(日本時間)にTBSで放送された。山村聰、荒木道子夫婦に、息子2人・娘7人という大家族構成で、父親の定年問題、娘の結婚や就職・進学問題などをテーマにしたホームドラマである。」
私は、父母と私の「核家族」に育ちましたから、この「大家族」状態は、想像を絶する事態です。イヤミな「幸せ」自慢になりかねない、ありがたい一こまでした。
皆無事で まずは目でたき 墓参り
炎天下の墓参りイベントを、孫達は楽しんでいたようです。
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この画像に着目した友人が、「墓碑に奥城とあるが、神道ですか?」と指摘されました。うかつにも気づかずにおりましたが、なるほどそうかと教えられました。
少々説明が厄介ですが、我が家の宗派は、神道系の「教派神道(宗派神道)」に属します。では、私の信仰はというと、以前こんな開示で書いたように、「無信心」というのが妥当だと思っています。


人は神になり得たか(2015-02-08)


木下透は私の高校時代の筆名です。

(中略)

高三の秋の文化祭で、私の所属していた文芸部は、「神」というテーマで、発表する事になりました。

部員がそれぞれ、「神」にまつわる作品を創り、それを謄写版刷りの冊子の形で発表するとともに、教室の一つを展示会場として、「神」をテーマとした掲示や装飾物をレイアウトしました。
また、そのため、つてを通じて、隣市のキリスト教会を訪問し、数人で「体験礼拝」(そんな言葉はないでしょうが)したりしました。文章や映像をもとにした想像で理解している、教会内の光景や空気を、じかに肌で感じたことは、得難い体験でした。無信心の私は、形だけ信者のように装うことにギクシャクとした思いはありました。(年齢を重ねると、宗教や宗派の違うお葬式や法事などに参列する機会も多くなり、信仰の如何に関わらず、心をこめて故人を悼み、遺族を慰めるためにも、その宗派の作法を真似て、しかるべく振る舞うことは、 当然のことと割り切っていますが。)
あわせて、「神をどう思うか」といったようなアンケートをとり、これを発表したりもしました。

誰の発案だったかは、よく覚えていません。私は、確か、「終末」だか「破滅」だか「滅び」だか、そんなネクラな(そんな言葉は、当時はまだありませんでしたが)テーマを提唱して却下されたような記憶があります。
折しもアポロの月面着陸や、その月の石を展示した大阪万博などが国民的な話題となっていた時代で、「明るい未来社会」論の華やかな時代でもありました。
一方、国際的にはベトナム戦争の泥沼化が続き、国内的には、七十年安保改定・沖縄返還を目前にして、若者の一人一人が国の進路をどう選ぶのかが問われていた時代でもありました。
貧しく慎ましい、しかし穏やかな暮らしぶりを、こぞって投げ捨てて、「大きいことはいいことだ」「隣の車が小さく見えます」と、経済成長を至上目標に、「モーレツ」に走り続けてきた時代の行き着く先は、本当に、明るい幸せな未来なのか?時に、「公害」はピークに向かって広がり続け、煤煙で真っ黒な空、ヘドロに汚れた川や海、次々と現れる「奇形」の生き物たち。私の生理は、これを幸せへの道と感じるこを拒み、救いのない悲観論にとらわれていたのでした。(かの、アジアの大国の現在の映像を見ると、あの頃の思いが増幅して蘇ってきますが。)

「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が、人々の共感を得たのは、それから程なくのことでしたし、遅々とした歩みながらも、「環境への配慮」、「持続可能な発展」、「つりあいのとれた経済成長」などの言葉が、徐々に市民権を得るようになってきたことも確かです。現実に、目の前の自然環境に接しても、汚染の緩和や回復が、わずかながらも見られるようになっていることも事実で、そのバックボーンに、人類の科学技術と当事者の献身的努力があることも、間違いないでしょう。

その意味で、人類の前途を「一路破滅へ」と見るような、単純な決めつけは、私の本意ではありませんが、しかし、自ら制する能力も資格もないまま、絶大な「力(force)」を手に入れ、なおそれを拡大しつつある人類が、自身の傲慢と野蛮、未熟と稚拙に思い至らないまま、この道を突き進むとしたら、必ず自滅を招くに違いないでしょう。そのようなことを、この作品は、無意識ながら訴えようとしているようです。


 人は神になり得たか 木下 透

「俺が神だ。」
若者は荒々しく叫んだ。
「私が神だ。」
老人は静かに、しかし荘厳に諭した。
「俺が全能なる神だ。俺は奇跡を行うことができる。俺は、空を、地を、水上を、駆けることができる。」
そう言うと、身につけた衣を銀色に輝かせながら、若者の体は、宙を、地を、水上を、疾走した。そして、少しの疲れも見せず、元の場所に降り立った。
「俺は、時を超えることができる。」
その言葉の終わらぬうちに、若者の姿は消え、再び現れた。そして、懐から古代ローマの刀剣を、ペルシアの装飾品を、二十三世紀風の金属器を取り出してみせた。
「俺は、火を、光を、駆使して、町を焼き払うことができる。」
若者の右手の火器がきらめき、町は焼けた。
「私には、そなたのような奇跡を行うことはできない。私が宇宙そのものなのだ。私は、空だ、地だ、水だ、火だ、光だ。」
老人は、静かにそう言った。老人の目は、確かに宇宙のように深く、宇宙のように重く、宇宙のように気高く、宇宙のように優しかった。老人は、確かに宇宙そのものであった。全であった。老人は空で、地で、水で、火で、光であった。それらのいずれかではなく、すべてであった。
「俺が神だ。俺は生命を創ることができる。合成のDNAと、タンパク質とアミノ酸の芸術的結合によって、思い通りに。」
若者は、そう言って、自分の作品を見せた。それは確かに、紛れもない人間の少年であった。栗色の柔らかい髪、利口そうに青く澄んだ瞳の輝き、悪びれず物怖じしない愛くるしい眼差し、透きとおるほどなめらかな頬、知的に締まった口元、華奢な首筋、しなやかな肢体、あどけなさとたくましさの微妙に入り交じった少年の美しさは、老人をして、つい微笑ませずにはおかなかった。おお、実に、少年の美しさは匂うばかりで、神々しくさえもあった。
「おお、愛すべき私の新しい息子よ、生きよ。」
老人は、穏やかに、しかし力強く言った。少年は、目を閉じ、そして敬虔に、老人の足下にひざまづくのだった。老人は、少年の髪を、頬を、なでやりながら、低い声で続けた。
「私は、生命を導くことをする。産まれんとするものを生み、育たんとする者を育て、生きんとする者を、そう導いてやる。彼らの意志は、私の声を受け入れしたがう。そして彼らは、できうる限り自己に忠実に、生きることができた。かつては彼らの仲間であったそなたを除いては。そなたは、すでに久しく私の声を聞こうとはしなかった。」と、悲しそうに若者を見やって。
「俺は神だから、俺の意こそ絶対だ。俺が神だ。」
「否。私が神だ。ーーーいや、それはどうでもよいことだ。しかし、とにかく、そなたは私の息子だ。」
「俺が神だ。俺は生命を消し去ることができる。」
若者の右手の「分解器」がきらめき、少年の姿は消えた。
「私は自ら滅びようとする者を滅ぼすことはする。しかし、自ら生きようとする者は、[以下数文字解読不能]」
[解読不能]とともに少年は蘇った。ますます美しく、そして健康であった。
「俺が神だ。俺はあなたを消すことができる。ほら、こんなに簡単に。」
若者は、首の十字架(クロス)を地にたたきつけた。すると、老人の姿は、若者の目前から消えた。若者の勝ち誇ったような高笑いが響いてやみ、索漠とした静寂に身震いしたとき、若者は聞いた。地底からの、それとも天空からの、久遠(くおん)からの、否、刹那(せつな)からの、彼方からの、否、耳元での、嗚呼!若者の心の奥底からの、重く響くような老人の声であった。
「私の実在は、そなたにとっての他の現象の如くには、そなたの認識に負うてはいないのだ。そなたが如何に否定しようとも、私はまさしくこうして在る。そなたにとっては、私はそなたの在る限り在るであろう。そしてまた、私は全に対しては、いつも、あるいはいつでも、在るであろう。」
その声は威厳に満ちて、地鳴りの如く、山鳴りの如く。海鳴りのごとく響いた。
「俺が神だ。その証拠に、決してあなたにできない業(わざ)を見せよう。俺は自分を消すことができる。」
そう言って、若者は死んだ。
ゆがんだ唇に、薄ら笑いを浮かべて。
「息子よ。私の元に帰れ。」
と、老人は優しく招いた。
しかし、見よ。天界に導こうとする天使(えんじぇる)の手を振り払って、若者の魂は地に潜った。
「おお、確かに、そなたは神であったよ。」
と、老人は首を振り、哀しく笑んだ。
[了]


ところで、この墓地の話題は、ほかでもしばしば書きました。たとえば、こんな記事。


炎昼のなかを孫らと墓詣で(2016-08-14)


灼熱の日差しの中、お墓参りも済ませました。
かなりの山道です。

チロ(犬)の墓にも手を合わせます。

「炎昼」という言葉が思い出されます。
昔、高校時代、「炎昼や墓石(ぼせき)の影が黒い」という句を作りました。(「暗い』だったかもしれません)。
いつかの過去記事で、この句に触れたような気もしていましたが、検索してもヒットしません。句会で、「字足らず。」「わかるが、放哉の 墓のうらに廻る の、二番煎じになっていないか」などと評されました。ばれたか。


続瞬く間の盆休みメモ、の巻(2018-08-16)


お墓からの眺めです。

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墓参りを終えて、山道を下ります。

ちょっとした団体行動になります。

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昨日、父の「五十日祭」(仏教で言う四十九日に相当)を済ませ、この墓地に父の納骨を行いました。


これで忌が明けました。


時ならぬ大雨のなかの納骨祭でした。


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総勢15人。コロナ禍でしばらく会えなかった家族が、久しぶりに顔を合わせることができました。


一番上の記事で、ヤカンで水をかけ年長組年長組保育園児が、今はもう中2中3。納骨の模様は、すべてこの子が撮影してくれました。


今日は、ひとまず、これにて。


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momotaro

納骨式、皆様お揃いでご無事に済まされ、お疲れ様でした。
木下透くんの神様論、面白く拝読しました!
by momotaro (2022-05-02 14:37) 

kazg

momotaro様
ありがとうございます。
木下透くんは、当時、武者小路実篤を耽読していました。同時に、ヘルマンヘッセに傾倒し、とりわけ「デーミアン」に惹かれました。そんななかで、人間にとっての、神的なものと悪魔的なものという二律背反に、おのずと意識が向かったのかもしれません。
by kazg (2022-05-02 21:17) 

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