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雪解けのカワアイサ、の巻 [日録]

寒さが少し緩み、道路の状況も改善されたというので、郷里の母のもとを二週間ぶりに訪ねました。道路は雪がすっかり解けて、通行に支障がある状況ではなかったけれど、山陰や道路の端っこには残雪が盛られます。実家の周りも、日が当たって雪解けが進んではいますが、痕跡は残っています。

実家からの、ご近所の眺めです。

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みぞれ上の雪で、妻がミニ雪だるまを作っていました。

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近くの川まで歩いてみました。

所々に雪が残っています。

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ヒドリガモの群れが、寒そうです。P1310311P1310313

雪の中のダイサギ。P1310317

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カイツブリがいました。

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見慣れぬ鳥が泳いでいます。

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カワアイサ♂でしょうか?

きょうはこれにて


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1月終わりのプチ散歩、の巻 [日録]

もう1月も終わろうとしています。

昨日の日曜と今日の月曜は、例のごとく早起きして、新聞配達員の仕事を済ませました。風邪薬のせいもあるのか、睡魔に負けそうになります。パソコンに向かっているときが一番危機的状況で、ともすればイスからずり落ちそうになって慌てます。能率は最悪ですが、抱えていた編集の仕事と、それからちょっとした原稿二本を、やっとの事で仕上げることができ、ホッとしています。頭脳にどんより雲がかかっている気分は、最近では常日頃の感覚ではありますが、このところ特にそれが酷い。風邪引きと風邪薬服用に伴う、一過性のものであって欲しいと、願っています。

気分転換に、こたつに潜り込んで録画番組を見ていても、つい、うとうとしてしまい、ドラマの話の筋がよくわかりません。トホホです。

血流改善も必死と思えて、零下の中ながら、プチ散歩に出ました。

フェイスブックが、教えてくれた数年前(確認しそびれました)の今日1月30日の投稿。われながら、なかなか愉しい写真です。

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努力を重ねれば技量が向上するのかというと、そうでもないのかも知れません。でも、くじけることなく、良い写真を目指します(キリ!)

下の写真は、今日撮影の、自然環境体験公園、pentaxk5Ⅱ+AFBORGによるノントリミング写真です。

ジョウビタキ♂

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アオジです。

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メジロ。

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シメ。_K520889

カイツブリとカルガモ。

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今日はこれにて。


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氷上のスケータ-、の巻 [日録]

強い寒波の影響で、列島全体が雪や氷に覆われているとのこと、各地から知人が知らせてくれます。我が地方は、申し訳程度にうっすらと積もっただけですが、登下校の子どもたちは寒そうです。


冷え込みと、強い寒風と、観測の影響でしょうか、喉の痛み、咳き込み、痰などの症状があって、会議や寄合などでは肩身の狭い思いをします。歯科医の予約をしていましたが、風邪症状での受診が気が引けて、電話で相談すると、その日はキャンセルして一週間延期しましょうかということになりました。その空いた時間に、かかりつけ医のもとを受診しました。受付に電話し、駐車場の車の中で待機するうちに案内があり、別の入り口から診察室に入り、受診。念のためにコロナの検査もしてもらいましたが、陰性で、まずはひと安心でした。
処方していただいた薬のせいで、一日中眠くてだる区、体調が良くありません。そんな中での、昨日のお散歩写真。


寒さ厳しくとも、麦の芽が健気に伸び育っています。


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郡の上を歩くコガモ。見慣れぬ光景です。P1280287P1280289P1280291


わずかに氷が融けた場所に、大勢集まって休んでいます。


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朝の漁のためか水面を見守るアオサギが、寒そうです。


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ハクセキレイ。P1280283


ロウバイの馥郁たる香りが、マスク越しに鼻腔をくすぐります。


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今日はこれにて。


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山茶花目白ほか、の巻 [鳥三昧]

大体週に一度ほどのペースで、片道60km離れた郷里の母の元を訪ね、買い物の手伝いなどをしています。色々な条件から、火曜日が多いのですが、今日は強い冷え込みの予報が出され、郷里の位置する県北では、大雪の予報でしたので、今週は予定をキャンセルすることにしました。


が、我が地方では、確かに冷え込みは厳しいものの、陽射しもある一日でした。


早朝散歩のスケッチです。


麦飯山方面。


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児島富士と呼ばれる常山を正面に望みます


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午前中、深山公園へ出かけてみました。


アオジがいました。


OLYMPUS e-520+zuiko digital ED 40-150mm F4.0-5.6の画像(トリミング)です。


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メジロの群れが、サザンカの花で吸蜜しています


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PENTAXK-5Ⅱ+AFBORG60EDの画像はこちら(わずかにトリミング。)


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同じ組み合わせによる撮影で、ジョウビタキ♂。


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同じくヤマガラ。


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池にカモたちが遊んでいます。


コガモ。


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ヨシガモ。


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久しぶりのカワセミ。


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少し近づいて撮影し、なおかつトリミングしてご紹介します。


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寒気の影響で、天気は荒れ、陽射しはあるものの、冷えこみ厳しい一日でした。特に、散歩を終えて家に帰った頃から午後にかけて、ゴウゴウと音を立てて木枯らしが吹きすさび、外出どころではありません.午前中に出かけてみて正解でした。


今日はこれにて。


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初撮り続き、の巻 [鳥三昧]

昨日の記事でメジロの写真を載せました。


まるですっかり忘れていたのですが,去年の暮れにも後楽園を散歩した際に,メジロを写していたのでしたっけ。



後楽園にもグルメな鳥がおりました。

柿メジロ。

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ヤマガラも食欲旺盛です。_K520500

シメ親分も、豪快な食べっぷり。_K520580


今日は全国的に厳しい冷え込みだそうで、我が地方にも大雪注意報が出ていました。


前にも書きましたように、日曜・月曜の朝は、新聞配達のお手伝いをしていますが、今日がその当番の日でした。いますが、かなり以前、温暖な我が地方も凄い大雪に見舞われ、配達中もどんどん降り続け、じわりじわりとしか進むことができなくなり、そのうえ、踏切にさしかかったところで遮断機が下りたっきり、上がらなくなってしまったことがありました。降雪による鉄道トラブルで、修復までかなりの時間不通になってしまったらしいのです。車内に閉じ込められた乗客の方も気の毒ですが、踏切前で立ち往生した新聞配達人も、同情していただきたいものです。思いあまって、一大決心し、何度も切り返して車を方向転換し、別の経路を選んだものの、いつもなら一時間あまりで終了する配達が、その日は随分手間取った記憶があります。退職後の身の上ですから、腹をくくってのんびり行こうと割り切ることができたのですが、もしも現役の頃でしたら、もっとパニクっていたことでしょう。それにしても、ノーマルタイヤでの大冒険で、スリル満点でした。


今朝もまた、その再来かと悪夢が蘇りましたが、幸いなことに、雪にはならず、冷たい雨の中の配達で、ほっと一安心でした。


雨は午前中には小やみになりました。気温は低いけれど、ちょっと散歩ができるかなと言うくらいの天候です。


近くの公園(自然環境体験公園)を歩いてみました。


シメがいました。初撮りです。


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シロハラ。初撮りです。


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ビンズイ?初撮り。


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ジョウビタキ♂。


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今日の付録 雨に濡れたマユミの実。


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今日はこれにて。


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後楽園の初柿メジロ、の巻 [日録]

昨日の記事の続きです。

後楽園の柿の木で、メジロの群れがお食事中でした。

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トリミングして百態をご紹介します。

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ヤマガラもやってきます。

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トリミングします。

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ずっと以前のこの記事が,同じような場面を紹介しています。
岡山後楽園の鳥たち 追補(シジュウカラ、メジロ、ツグミ、シロハラなど)(2015-01-26)

この記事(「後楽園散歩 by PENTAX K5Ⅱ」)(2015-01-09)で書いた新殿のほとりの柿の木に、たわわに実る柿の実がすっかり熟したようです。
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鳥たちが賑やかに歌いながら、饗宴に興じています。
大食漢のヒヨドリが、大胆にかじったりすすったり、大騒ぎです。

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メジロの群れも、負けじと大忙しです。

岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ
岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ posted by (C)kazg

岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ
岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ posted by (C)kazg

岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ
岡山後楽園の柿の木に遊ぶメジロ posted by (C)kazg

フォト蔵には、ほかのカットも載せていますので、ご覧くださいね。

フォト蔵の調子が悪いようですが・・・

今日はここまでです。


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大改修後の岡山城瞥見、の巻 [日録]

約一年半に及ぶ「令和の大改修」なる工事を経て、リニューアルオープンしたのは昨年11月3日でしたが、遠くから眺めることはあっても、あいにく近くで見る機会に恵まれませんでした。せめて1月の間に新年の岡山城を写しておこうと、先の月曜日(11月16日)、近くでの用事のついでに訪ねてみました。


後楽園の駐車場に車を駐めて、後楽園南口に向かう周遊道を歩いて、お城方面へ向かいます。


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旭川に架かる月見橋を渡りながら岡山城を眺めます。あいにくの曇天です。


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お城に近付きました。


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天守を正面から望みます。


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改修前の天守は、以前、こんな記事で紹介しています。


梅雨曇りの岡山城(2015-06-19)


正面から見るお城の全身像。


真下から見上げると、なかなか厳めしい。


城をあとにして,振り返り振り返り、また月見橋を渡り、後楽園に向かいます。


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新年の後楽園。


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ロウバイ、梅、寒椿などが咲いていました。


ときどき更新している初代ブログ「ナードサークの四季」の昨日の記事をご覧ください。


新年の後楽園(2023-01-20)


今日はこれにて。


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こんな夢を見た、の巻 [時事]

ちょっと以前、書きかけていてアップしそびれていた未完記事がありました。いろいろ過去の文書データを探っていて見つけました。




「こんな夢を見た」という書き出しの文章を書こうと試みたことが、しばしばあります。
青年の頃(高校生の頃からかも知れません)、枕元に夢をメモする手帳を用意しようと思いついたこともありますが、実際に奏功したためしはありません。夢の最中は、これはドラマチックだ、文章のネタになりそうだ、と半ば興奮して目覚めるのですが、中身を思い出してみようとすると、まるで思い出せなかったり、おぼろに思い出せても、破天荒で辻褄の合わない珍奇な筋で、がっかりさせられるのが常でした。
最近また、久々に、「この夢はネタになるぞ」と思ったことがありましたが、時間が経つと、もうどんな夢だったか思い出せません。
もちろん、「こんな夢を見た」というのは、漱石の「夢十夜」の、各話の書き出しのフレーズです。
確かめてみると、以前、ブログにこんな記事を書いていました。5年ほど前の記事です。     
無限の後悔と恐怖」は御免こうむりたい、の巻(2017-05-01)


確か中学か高校の自分に読んだ漱石の「夢十夜」で、変に印象に残っている場面があります。
調べてみると、第七夜です。


自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。
そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。



この救いようのない「無限の後悔と恐怖」を、自分もいつか味わうことになるのではなかろうか、という懼れに、つきまとわれた記憶があります。
時は経て、確か30代の頃、妙な夢を見たことがあります。
朝方か夕方か判然としませんが、どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。「ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ」と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた、という夢だったように思います。何かの機会に、雑談でこの夢の話をしたところ、原水爆禁止運動にながく取り組んでこられたKさんに、「kazgさんも疲れてるなあ」と同情されました。
時は、SDI(戦略防衛構想=スターウォーズ計画)を掲げて宇宙的規模での核軍拡を強めるアメリカレーガン政権と、泥沼のアフガニスタン侵攻をつづけながら核軍拡を進めるソ連(当時)アンドロポフ→チェルネンコ政権との対決姿勢が激化し、米科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists の表紙を飾る「世界終末時計」の針が三分前を示した1980年代前半のことでした。
「一億総被爆死」というフレーズが、絵空事ではなく説得力を持ちました。
余談ながら東欧・ソ連崩壊を経て、1990年代に一七分前まで押し戻された針が、地球温暖化の進行、フクシマ原発事故、核軍拡などの情勢を踏まえてふたたび刻々と終末に向かい、いま、トランプ政権の登場を受けて二分三〇秒前まで進められたことは、嘆かわしいことです。
不吉な相似はこれにとどまりません。
レーガンと熱い抱擁を交わし、「ロン・ヤス」と睦まじくファーストネームで呼び合うつナカソネヤスヒロ首相は、対米忠誠の証に「日本列島を(アメリカのための)不沈空母にする」と公言していました。「戦後政治の総決算」を掲げて、「自主憲法制定」を柱としながら、国民のいのちとくらし、民主主義を犠牲にする「臨調行革」を強行し、大規模な軍拡を進めました。「草の根保守」の運動を組織・育成しながらその路線を推し進めていくのもお得意の手法でした。
さて、現下の情勢については、多言を労する必要はないでしょう。より稚拙に、より戯画的に、そしてより乱暴に、事態が進んでいるように思えてなりません。

(中略)
本当に核ミサイルが飛んできたらもう遅い。世界中が「無限の後悔と恐怖」にさいなまれずにすむように、力で力を抑え込む核ミサイルで核ミサイルに対抗する、などという妄信を取り払わなければなりません。みずからにその意志がない指導者には、降りていただくしかありませんネ。


アベ政治全盛の時代にのみ適合する「故事」ではないことが残念です。時は推移し、アベ→スガ→キシダと代替わりを経た今、時ならぬJアラートが鳴り響き、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と言い換え)発動要件、政府が検討開始、軍事費2倍化などのニュースがかまびすしく伝えられています。ロシアによるウクライナ侵略を引き合いに出し、中国の覇権主義、北朝鮮の挑発行動を取り沙汰しながら、「九条では日本は守れない」「自力で国を守る」などの勇ましいかけ声が勢いを増しています。


この辺りまでが書きかけ部分です。




最新の報道を踏まえて、少々付け加えることにします。


毎日新聞から引用します。


「吉田、岸、安倍元首相に続く決定」 岸田氏、米で「安保大転換」語る


訪米中の岸田文雄首相は13日午後(日本時間14日朝)、首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンズ大高等国際問題研究大学院(SAIS)で講演した。昨年末の安全保障関連3文書改定などについて「安保政策の大転換」と強調。吉田茂元首相による日米安全保障条約の締結、岸信介元首相による安保条約の改定、安倍晋三元首相による安保関連法の策定に続く「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つだ」と語った。


正直なお言葉。よくわかりました。やっぱり、私たちの思い過ごしではなく、日本にとっては極めて危険な「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つ」ということなんですな。


たまたま、私が編集のお手伝いをしている、退職同業者の親睦会の『会報』最新号に、Oさんが寄せられている文章がとても明快ですので、その一部分をいつものごとく無断引用(しかもフライイング公表)させていただきます。(著作権は、あくまでもOさんに属します。)


2015年の安保法制が「戦争国家づくり」を法制面で整備したのに対して、今回の「安保3文書」は、「戦争国家づくり」を実践面で担う自衛隊の能力を抜本的に強化し、国家総動員体制を作り上げようとするものになっています。湾岸戦争・アフガン戦争で都市を破壊し、多数の人々を殺傷した、あのトマホークを自衛隊に実戦配備しようとしているのです。
記者会見で岸田総理は、敵基地攻撃能力の保有は、「自衛隊の抑止力、対処力を向上させることで、武力攻撃そのものの可能性を低下させる」と述べました。しかし、日本の自衛隊がそうした武力を持てば、敵とみなされた相手国は危機意識をつのらせ、それを上回る軍事力を持とうとするでしょう。際限のない軍拡競争を激化させることになります。これでは、戦争を抑止するどころか、戦争に近づくことになってしまいます。
そもそも敵基地攻撃能力とは、相手国の領土内に攻め入って、相手国の基地を攻撃破壊し、政治や軍事の中枢部にも爆撃を加えて破壊しつくす能力です。しかも、安保法制により、集団的自衛権行使の下での敵基地攻撃能力ですから、日本が攻撃されていないにもかかわらず、アメリカ軍が攻撃されれば、日本の自衛隊が敵基地攻撃能力を発揮することになります。
相手国からみれば、日本による事実上の先制攻撃となってしまいます。相手はこの攻撃を黙って見過ごしてくれるわけがありません。必ず報復攻撃をしかけてくるでしょう。日本国内の基地が狙われ、原発が狙われ、都市が狙われ、多くの国民の命が失われることになります。まさに、戦争そのものです。日本が焦土と化してしまいます。敵基地攻撃能力の保有は、日本の安全を守るどころか、アメリカの戦争に日本と日本国民を巻き込むものにほかなりません。
防衛予算の2倍化は、医療をはじめ社会保障や教育の予算を削ることにつながります。国民生活がさらに圧迫されます。年金生活者が生きにくい社会になってしまいます。
日本国憲法の平和主義を投げすてた、こうした戦後安全保障政策の大転換であるにもかかわらず、「安保3文書」は、こともあろうに、「専守防衛に徹し」などと大ウソの言葉を並べ、国民を欺こうとしています。


まったくその通りです。しかも、「自力で国を守る」などというもっともらしい宣伝文句が、タチの悪い大法螺であることも、ちょっと考えればミエミエです。


「自力」どころか、あくまでもアメリカ主動の軍事同盟依存が大前提ですし、アメリカの負担を金銭面でも作戦面でも大幅に肩代わりするだけのことでしょう。


そして、日本政府自身が編み出した「国是=専守防衛」を投げ捨てたわけですから、「守る」対象は日本の国土と国民の生命・安全にはあらず、地球上のあらゆる場所で展開する米軍の安全に過ぎませんし、「攻撃の恐れがある」とみなした場合は、「躊躇なく」、「スピード感をもって」敵基地攻撃をも辞さないという対米誓約にほかなりますまい。




昨今のニュースは、上述の「どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。『ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ』と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた」という悪夢を蘇らせるとともに、次のような悪夢をも想起させずにはいないのです。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透(2013-11-28)


このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。

「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。

ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。

第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。

忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、

「美しい国づくり内閣」

「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」

「戦後レジームからの脱却」

「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、

「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、

「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、

「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、

「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。

これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?

高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。

佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下 透

(中略)

(2)

てんのうへいかさまは ぜんせかいのにんげんが へいわにくらせるようにと せんそうを おはじめになりました。
にっぽんは しんこくですから かならずかつのですと こうちょうせんせいが おしゃいました。
こくみんは みんな よろこんで へいたいに なりました。
おくにのために だれもだれも よろこんで しにました。
てんのうへいかばんざい、 だいにっぽんていこくばんざい。
あじあのみんなが さかえますように。

(3)

てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。
こくみんは だれもだれも よろこんで なきました。
ちちや ははや こどもを なくしたこくみんも よろこんで なきました。

(中略)

(5)

こくみんの だいひょうのひとりは むねをはって いいました。
ひとりびとりが くにをまもるいしきを みにつけよう。
こどもたちは むねを ときめかせました。
ほんとうに じぶんたちが ほんものの てっぽうをもって くにをまもることを ゆめみて よろこびました。


手元の印刷物は、すり切れ汚損していて、ここまでがやっと解読できた。

この先の記述があったかどうか、記憶も曖昧だし、原稿も散逸しているので、確かめるすべはない。

この作品を書いてから、40年以上が経過した。

その間に、事態はどう変化しただろうか?

付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。

が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?

最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺 木下 透(2014-02-23)


今日掲載するのは、以前掲載した作品の、後半部分を補足したものだ。

(中略)

この詩は、最悪の未来図(シナリオ)のつもりで書いたのだが、現実がそれを追い越そうとしている。

この逆向きの流れを堰き止めるためには、木下君、きみはどうするの?(中略)

(5)

(中略)

以降が補足分である。


わるいやつらを うちころすのです。あかいやつらや めうえのひとにさからう きのちがったやちらを おもいきり ぶちのめすのです。
ほ んとうに じぶんのちからで くにを くにのはんえいを まもるのです。わるいてきを ころしたあとは きもちが せいせいします。にっぽんじんは えら いのです。にっぽんじんは つよいのです。にっぽんじんは いつでも ただしいのです。いつでも ただしかったのです。
にっぽんじんは えらくて つよくて ただしくて いさぎよくて りっぱでせいぎをあいし あくをにくみ しよくをすてて ぎりをおもんじ くにをあいし ちつじょをたっとび きんべんで・・・・
――だから にっぽんこくは さかえ
――だから にっぽんこくは ますます さかえ
――だから にっぽんこくは あじあの てほん
――だから にっぽんこくは あじあの しどうしゃ・・・・
(あじあは ひとつ。あじあは なかま。)

にっぽんこくよ さかえよ。
あじあよ さかえよ。
そのためには くにを まもる ちからが いるのです。
にっぽんこくは せんそうを するためでない へいたいを ふやしました。
にっぽんこくは せんすいかんと みさいるを つくりました。
にっぽんこくは たしかないりょくを しるための かくじつな じっけんを くりかえしました。
(あとは じっさいに ころしてみるだけ)
「かくあれるぎいは こくみんの じかくによって とりのぞかれねばならない」
「かくさんげんそくは わがとうぜんたいの かんがえではなく しゅしょう おひとりの おかんがえであり しかして それは とうぜん 考え直すよちのあるものなのであります。
「げんこうの けんぽうは てきこくと そのてさきであるところの ひくつなる ひこくみんの てによって わがくにの ちつじょを みださんことをいととし て つくられたものであり よってそのために わがくにには てんしさまを うやまうことをせず わがくにの はんえいさえも さまたげんとする ふらち なる たいだしゃが はびこることに なったのである。しかれば われわれは とうぜん この あくほうを かいせいして われわれのこくみんせいを そ んちょうし わがくにの じつじょうに あった けんぽうを つくるべきであろうと かんがえるので ある。」

「にっぽんこくは その こ ゆうの りょうどであるところの おきなわを とりかえさねば ならないのであります。おきなわを とりかえさぬうちは にっぽんの せんごは おわった とは いえないので あります。つまり にっぽんのりょうどが うばわれているかぎりは むかしの つよい にっぽんでは ありえないので ありま す。」

「おきなわは きょくとうの へいわには かかせぬ じゅうような ぐんじきち なのでありまして とうてい あめりかも むじょうけんの へんかんを しょうちするはずは ないので あります。むしろ われわれは ほんどの おきなわか そして ついには われわれじしんの てによる こくぼうを かんがえる べきで ありましょう。」

「こ くみんの あいこくしんを たかめるために こどもたちは しんわによって こっかの とういつのれきしを まなばねば ならない。しんわが とうじの いせいしゃの けんいづけの ための そうさくであるとするのは きけんきわまりない おもいあがった しそうであり ひいては こっか せいふへの ふ しんを じょちょうさせるものである。きょういくは とうぜん こっかによって なされるものであり さもなくば じだらくで たいはいてきな あなあき ずむの まんえんにより こっかはすたれるであろう。こどもたちを けがれからまもるために

こどもたちを けがれから まもるために きけんなしそうはだんあつされねばならない。」
にっぽんこくはつよくなりました。(終わり)


高校の頃、これを読んだ友人に「本気でそう思ってるの?」と、尋ねられたことがあった。
当然、皮肉、風刺、揶揄、ジョーク、おふざけのつもりだし、それは、言わずもがなの自明の理のはずだった。

現実の歴史では、為政者と教育・報道機関の合作により、もう少しもっともらしい巧言が世を覆い、そのなかで人々の心が戦争遂行へと動員されていったのだろうが、そのメカニズムをデフォルメし戯画化することで、時代へのささやかな警鐘としたかったのだが、、、、。


今、ネット情報などを垣間見ると、昔、高校生の木下透君が戯画化した偏狭な国家主義的思い込みを、ほとんどそのレベルでまことしやかに喧伝する声が多いことに驚かされます。そのかなりの部分が、旧統一協会や日本会議の面々が流布した思想宣伝だったはずですが、いまだにファクトチェックなしにまかり通っていることは、


ここ数日のお散歩写真を載せておきます。


ロウバイが咲いています。1月10日午前7時前。夜明け近くです。


1月11日、朝散歩。夜明け前です。


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1月13日、午前10時半頃の散歩写真です。


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ジョウビタキ♂。


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今日、1月14日は、雨の朝でした。


雨粒を宿したロウバイ。雨の中でも甘い香りが漂います。


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ロウバイの枝にスズメが群れています。


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ジョウビタキ♂には今朝も会えました。


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センダンの枝にヒヨドリ。


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今日はこれにて。


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おなじみ「後書き日記」、の巻 [日録]

おなじみの「後書き日記」です。


さすがに旧年の話題は避けて、新年の書き漏らしを少々。


前回記事で話題にした「早朝配達」の自動車運転中は、とりとめのない物思いの時間でもあります。




頭痛か筋肉痛か?コロナワクチン接種(1/5)と歯科治療(1/4)の影響かな??


ここ2~3日、気のせいか、なんだか頭痛がします。熱はありません。理由として思い当たるのは、年末のインフルエンザワクチン接種煮続く1月5日のコロナワクチン5回目接種のせいでしょうか?あるいは、前日4日の歯科治療のせいで、全身に無駄な力が入り、肩こりその他、筋肉の痛みが残ったのかも知れません。


コロナ流行以来、「不要不急」の通院を避けてきた経緯があって、歯医者通いも久しぶりになります。メンテナンスの案内ハガキをいただいておりながら、長くほったらかしにしていました。思い返せば、前回の受診は、この記事の時だったでしょうか。


失せ物あらわる、の巻(2018-06-12)


昨日の夜、奥歯にかぶせた金属が剥がれてしまいました。たまたま今日は格別の予定がありませんので、午前中歯科医院に行ってきました。この医院、自宅からは数十分かかる距離にありますが、現職中の勤務先に近かったので、そのつながりで今も通っています。久しぶりの治療です。前回の治療はいつだったでしょうか?

こんな記事を書いたことを思い出します。
鮟鱇も目には泪か寒戻り
(2015-03-23)

2007年の脳動脈瘤の手術、2013年の肺癌の手術、どちらも、オペの前に執刀医が「頑張りましょう」と声を掛けてくださり、オペ中も、麻酔でうつらうつらしている中で、「大丈夫ですか~?頑張って~」とドクターの声が聞こえてきます。
でも、点滴針から伸びる管や、計器につながった配線が身体にまとわりつく姿のままベッドに固定され、半身、または全身の麻酔によって身動きならない状態で、頑張ろうにも、頑張れることはありません。「頑張ってください。」」は、こちらのセリフで、心身共に消耗する長時間の手術を、頑張って遂行してくださるのは、あなたがた医療スタッフの皆さんでしょ。と反論したくなりましたが、それは遠慮して、「はい」とうなずいたものでした。

それに引き替え、この、歯科の治療は、患者も正味、頑張ることが求められますね。

治療中にこんな句が浮びました。

鮟鱇のやうなおおぐちあけてゐる

つるされた鮟鱇のごと為すが儘

鮟鱇も目には泪か寒戻り

この大口を空いている様は、何に似ているだろうか、ワニかカバか、と想像をめぐらすうちに、吊し切りのために吊された鮟鱇の姿が目に浮かんだのでした。

もちろん、イメージの背景にはこの句がありました。

鮟鱇の 骨まで凍てて ぶちきらる 加藤楸邨

帰宅後、ちょいと探してみますと、こんな句もあるそうです。

泪目のまゝ鮟鱇の割かれけり 佐々木 鳴子
鮟鱇の あぎと全開 宙にあり 野口 明子
吊されて老鮟鱇の無念かな 有永 実
とめどなき大鮟鱇の涎かな 岡田 耿陽
鮟鱇に似て口ひらく無為の日々 木下 夕爾

それにしても、無理してあんぐり口を開けたせいで、顎が痛いし、肩、首筋、こめかみなど、あちこちが凝って痛い上に、治療した歯の歯茎は腫れ、飲食物がしみます。

削られて歯の痛み増す寒戻り



春長けてハチマルニーマルを考える、の巻(2015-03-30)

「8020(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。

1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。

愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「8020(ハチマルニーマル)の20(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、80(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団1枚」です。
このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。
「80(ハチマル)」の方の保障はおぼつきませんが、「20(ニーマル)」目指して今日も歯医者通いです。

このネタは、つい先日も友人に披露したところです。
予約なしの飛び込みでしたので、多少待たされましたが、待合室で米朝会談の模様が中継されていました。額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショーだったとしても、あの握手と軍事衝突回避・和平への歩みは、歴史の進むべき道、国際世論の求めるところでしょう。

ちなみに、ここに登場する「愛知県に住む私の親しい友人I君」には、前回記事にも登場してもらったばかりです。彼は、現役で仕事をしていた頃はパソコンも使ったそうですが、今は、パソコンもケータイも使わず、従ってネットにも縁がなく、文章は手書き、コミュニケーションは電話とファックスで済ますという浮世離れの生活をしているらしく、そのため、わがブログも一切読んではくれません。(「浮世離れと」とはいうものの、新聞や雑誌・書籍を通じての情報収集には熱心で、特に新聞の投稿欄や死亡欄には常に目を通し、一種マニア的(偏執的)に、消息に通じているのが笑えますが。)


ともあれ、「額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショー」であるにせよ、「軍事衝突回避・和平への歩み」の兆しがわずかに垣間見えたかに見えるあの米朝会談からわずか7~8年で、今日の前世紀的な軍事緊張に世界が席巻されることになろうとは、予測することもできなかった不明・うかつさを恥じるばかりです。




キシダ軍拡・軍事国家路線は、緊張と紛争の危機ををエスカレートさせるだけ!


世界の人々の平和への希求を嘲弄して憚らないプーチン・ロシアの暴虐は時代離れした驚異と言わざるを得ませんが、その手を縛ることができるのは、国連憲章の誠実な遵守を求める国際世論を結集して暴虐を包囲し孤立させて道理に従わせる外交努力以外にはありません。ミサイルにはミサイル、核には核、武力には武力という姿勢は、緊張と紛争の危機をエスカレートさせるほかないでしょう。


にもかかわらず、岸田内閣は、ロシア問題においても、中国や朝鮮半島情勢をめぐっても、いささかも有効な外交努力を尽くすことなく、「軍事費2倍化」「敵基地攻撃能力の保持」「専守防衛原則の放棄」etc.と、 アメリカと一蓮托生の軍事大国化・戦争国家化への道を急いでいます。


国会にもはからず、国民の審判を仰ぐこともなく、独断専行で安保政策の大転換へと突っ走るキシダ政権の専横ぶりを見かねて、当然と言えば当然ですが、自民党内の重鎮のなかからも危惧の声が漏れてきているそうです。


こんな記事をメモしておきます。



元自民党総裁・河野洋平氏が7日、TBS系「報道特集」に出演し、岸田内閣の防衛政策について批判した。防衛費倍増、反撃能力の保有などについて河野氏は「尊い命を犠牲にして、われわれ今ここに繁栄を得ているのです。『決して忘れません、決してあの過ちは繰り返しません』。何十年もですね、言い続けてその結果がこの政策転換というのはわたしはあり得ないと思っている」とコメントした。
転換の起点については「安倍政治っていうものに非常に大きな問題があったと思う」と安倍晋三元首相が出発点だったと指摘。安倍氏、菅義偉氏とバトンを受け継いだ岸田文雄首相の時には「勢いがついていた」と流れができてしまっていたとした。「少なくとも国会で議論をする。これをテーマに解散して総選挙で国民の意思を問うくらい重要な問題」とした。

中国の進出については「自分の言い分を正当化して押しかけてきている。それならやっぱり話し合う必要がありますね。外交関係でこの問題をテーブルに乗せて真剣に議論したことはあるか。わたしはそういう情報を聞いておりません」と“外交努力”が足りないと説いた。

さらに「反撃能力っていうのは武力による威嚇ですよね」と明言。「威嚇を予算化しようとしている。政治や外交の努力を抜きにして、ただ壁だけを建てていく。壁の隙間から向こうへ鉄砲を狙うのは本当の安全だとは思わない」と、中国の軍事力には言及せずに持論を展開した。


「聞く力」を標榜するキシダさん。お身内からの忠言に対してすら聞く耳持たぬとは情けない限りです。




1月の「9の日行動」


多少の頭痛と、厳しい冷え込みにめげそうになりながらも1月九日午前9時から、恒例の「九の日行動」に参加してきました。国道沿いでのスタンディングですが、この日はハンドマイクも用意されていて、私にも発言の番がまわってきました。七日(土)のタムトモさんの切れ味鋭い演説をもいだしおもいだし、拙い発言でお茶を濁しましたが上に引用した河野洋平サンの発言を知っていたらもう少しマシなアピールができたかも知れないと、後で思いました。


いつものように参加されていたH女史が、いつものように、ブログ木かげなじかん (fc2.com)に、こんな記事をUPされていました。いつものように、無断引用させていただきます(ごめんなさい)。


初スタンディング '23


車の中から、
笑顔で熱い手ハートを送ってくれる人、
信号で止まっている間、にこにこしながら小さな小さな手をずっとふり続けてくれていたかわいい赤ちゃん、
びっくりしたようにこちらを見つめて、やおら大きく手をふってくれる人、
遠〜くから私たちの写真を撮って、ラインに送ってくれていた我が隠れ支援者?笑…etc.
今日、1/9のスタンディングもまた、うれしい交流が生まれました。

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水色の空。
新しいプラカードも加わりました。

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書き初め♪ だそうです。

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「気持ちを込めて」。

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私は「平和外交で政治を変える」のプラカードをお借りしてスタンディングしました。


付録は初撮り写真


久しぶりのカワセミです。


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珍しい鳥に会えませんので、ツグミを初撮り。


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ジョウビタキ♂はよく姿を見せてくれます。


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今日はこれにて。


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2023年初ドリ、の巻 [日録]

年が改まって最初の記事になります。


年末年始の バタバタの中で ついつい ブログ の 更新がおろそかになります。 皆様 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


ところで 、今年の元日は 日曜日でした。実は、 私には毎週、日曜日 と月曜日の早朝、 ルーティンのように一つの 定められた 用務が ついて回ります。 その中身について 触れようか触れまいか、しばらく くよくよ悩んでおりましたが 、何のことはない、 とっくに、 こんな記事で 告白しておりました。


半夏生その他、の巻(2021-07-03)


昨日、親愛なる友人H女史からメールで知らせていただきました。実は私はまだ見ていなかったので、すぐに確かめてみました。
「しんぶん赤旗」日曜版の7月4日号に、投稿歌を載せていただきました。(中略)

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かなり前に投稿していたものですが、三首投稿したうちでは、三番手の出来でした(笑)何しろテーマがあんまり文芸的でない。しかも元の作品からはずいぶん雰囲気が変わったような気がして、確かめてみると元はこうでした。

朝四時を過ぐれば空もほの白み今の季節は早配も愉し

確かに「早配」という略語は世間の公用語ではないでしょうね(笑)

「多数者革命」を標榜し、国民の多数を結集することを通して社会変革を実現していくことを基本路線としている日本共産党の前進に期待するところ切ですので、その機関紙を少しばかり配達するささやかなお手伝いは、学生の頃からやってます。当時は、朝起きが苦手で、自転車で一時間ほどの配達を終える頃には、授業に間に合わなかったり、時には何軒か配達をサボって早じまいしたことも、少なからずありました(いまでも悪夢を見ます)。

就職後も、転地先ごとに、相応の協力をしてきました。このブログ執筆動機の一つとなった入院・手術の前後をきっかけに、数年間はお断りしていた時機もありましたが、快復(特に目の複視の症状の解消)と、配達員の方の死亡や不都合などが重なり、またお引き受けすることになって数年を数えます。

かといって「早朝配達愉しき季なり」とまで大らかに断言する楽天的不屈性は、私には欠如していまして、「(本音では憂鬱な)配達も、今の季節は愉しく感じられるヨ」というレベルが正直なところです。

くねくねした坂道や隘路、路地裏の細道などを自動車で通行しながらの、週1~2回、通常一時間余りの作業ですが、雨の日や、夜明けが遅い冬の時期、特に雪の朝などは、緊張もし、前夜からストレスもつのります。

その点、今の時期、朝日が顔をのぞける前後の時間帯の田園風景や、朝風のそよぎ、ウグイスや小鳥のさえずり、時には農家のニワトリの時を告げる声など、得難い出会いに愉しみを覚えているのは、誇張や強がりでは決してありません。

本当に日が長くなりました。それもそのはず、投稿したのはたしか夏至が近付いていた時分でしたが、今や雑節の一、「半夏生」です。


今年は よりによって 元日 の当番になりました。 苦あれば楽ありで 翌日の2日は 休刊で ちょっと得した気分を味わえましたが・・・。


既に冬至は過ぎましたから、少しずつ夜明けが早まってきてはいますが、しかし、4時5時は、まだ真っ暗です。しかも、凍える寒さが続きますので、今の季節の早起きは、正直とても億劫です。


学生時代の親しい後輩であるI君が、「kazgさんは、きっと、今もへっぴり腰で、それでも辛うじて『戦線離脱』はしないで,なんとかやってるだろう姿が目に浮かびますよ」と評してくれたことがありますが、古希を超えてなお、その『期待』を裏切わけにも参りますまい。戦線の末尾で、できる範囲のことをする、をモットーに、今年もユルユルやるつもりです。


  今日は、すでに一週間が経ち、 またまた当番をこなしたところです。 例年ですと 元日の朝散歩で 初日の出を 写したりするのですえが 今年は よく 晴れた 日の出でしたのに カメラの用意が できないまま 車を走らせたので 撮り損ねました。 ですので元日のお散歩写真はこれです。


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遅ればせながら5日の 朝散歩で日の出を撮影したものを初日ので 代用とすることに しました。


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6日は、郷里の母の元へ行き、一緒に「初詣」を済ませ、「一年祭」(仏教で言う一周忌の法会)の相談をしました。帰り道で立ち寄った「小鳥の森」で出会えたのは、やっぱりジョウビタキ♂でした。


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7日には、「タムトモ」の演説会があり、貸し切りバスに乗せてもらって参加してきました。


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春の地方選挙の候補者とともに壇上に並んだ中央の女性がタムトモさんです。


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感想その他はまた機会を改めることにします。


今日はた日曜日。朝のお勤めの後、深山公園を歩いてみました。


この冬初めてルリビタキ♂に会えました。


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でも、手ぶれとピンボケの量産で、ちゃんとした画像は残せませんでした。残念。OLYMPUS DIGITAL CAMERA


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シジュウカラ、初撮り。


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ヤマガラ、初撮り。


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ジョウビタキ♀、初撮りです。


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ジョウビタキ♂にも会えました。


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今日はこれにて。


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