年の瀬の朝散歩、の巻 [日録]
はや年の瀬です。
ほとんど零度か時には零下の朝が続きます。
起き上がるのも、おもてに出るのも億劫ですが、健診での数値が脳裏に浮かび、とにもかくにも、歩くノルマは果たさねばなりますまい。
日の出前は冷えるばかりでなく、暗くて写真の楽しみを諦めねばなりません。わが地方の日の出時刻は7時ちょっと過ぎといいますから、日の出前頃にはようやく薄明るくなります。
6時50分過ぎの田園風景です。
使用機材は、この記事の時と同じもの。
レンズ三昧、の巻(2022-08-01)
せっかくのフルサイズカメラであるK1Ⅱの特性を発揮するには、広角レンズが相応しかろうと、思い切って広角も広角、魚眼レンズを装着して歩いてみました。SMC PENTAX-F FISH EYE 17-28mm F3.5-4.5(中古)です。
普通の空が、魚眼効果で天球になります。
ズームを操作すれば、湾曲具合が調整されます。
湾曲効果を強調する絵作りは、なかなか特殊な仕上がりになりますので、ズームの操作で魚眼効果をやや控えめに、広角撮影するのが無難かもしれません。
ようやく朝日が昇り始めた頃、玉野市を流れる鴨川あたりまでたどり着きました。正面に見える山は麦飯山(むぎいやま)、左にある石づくりの堤防の向こうが鴨川です。
この辺りのいわくについては、ずっと前、こんな記事でご紹介しました。
ムルデルの干拓堤防、の巻(2016-12-12)
一昨日書いたこの記事(ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻)でも紹介したおかやまの歴史的土木資産というhpから、児島湾開墾第一区第一号・第二号干拓堤防の記事を引用します。
見どころ
江戸時代から始まった児島湾の大規模な干拓は、明治時代には政府から開発を請け負った藤田伝三郎(でんざぶろう)(1841~1912)によって事業が進められることになりました。
初めに着工された第1区では、明治32年から翌年末に潮止(しおど)め工事が完了しました。その工事で築かれたのが第一号と第二号堤防です。軟らかい地盤の上に堤を築くことは困難を極め、藤田組の技術者が工夫を重ねてようやく成功したものです。
第一号堤防のある加茂崎地区(玉野市)は、前面の海が干拓されておらず、完成当初の堤防がそのまま残っている貴重な場所でしたが、平成18年頃に改修されました。第二号堤防のある高崎地区(岡山市・玉野市)は、前面の海が後に干拓されたため陸地に取り残される形になりましたが、延長約2㎞の石積みの堤防跡が続く干拓地らしい風景を見ることができます。出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委
下に略地図を載せます。
(中略)
石積みが破損、崩壊の危険があったためか、最近補修工事が行われ、石積み堤防の面影は残しながらもコンクリートで固定されています。
鴨川は、まっすぐ正面方向に向かって流れ、児島湖に注ぎます。
流れは緩やかで、平らな川面が湖面のように見えます。
最近、お散歩カメラとして持ち歩く事が多いOLYMPUS E-520+ZUIKO ED 40-150mm F4.0-5.6でも写しておきました。
空がだいぶ明るくなってきました。
麦飯山の陰から、ようやく、朝日が覗き始めます。
帰り道になると、同じ画面に収めることができるようになります。景色が、次第に陰影を増し、かなりくっきりと浮かび上がってきます。
沢山の丸い藁束が転がっている様は、この季節の風物詩です。ほとんどが零細な農家である郷里の方では見かけたことのない風景ですが、機械化が進んだこの地方では、収穫後の麦も稲も、この形の藁束にまとめられて田圃に転がされています。「ロールベール」と呼ぶそうです。
今日はこれにて。
小鳥の森のヤマガラ、の巻 [鳥三昧]
できるだけ、週に一度は、郷里の老母を訪ねるようにしています。買い物その他のためです。
その途中、岡山市上道「小鳥の森」三徳園をたずねてみました。最近進入路付近が工事中で、迂回路を経由して行かねばなりません。
期待したのは、別の小鳥との出会いでしたが、辛うじてお目にかかれたのはこの鳥でした。
おや失礼、これではなんだかわかりません。
トリミングしますが、顔が見えません。
やっと顔を写せました。
今日はこれにて。
E3桁、の巻 [カメラ三昧]
意味不明のタイトルです。
もう少し丁寧にいうと、フォーサーズ規格にのっとって、OLYMPUS社が製造・販売していたレンズ交換式一眼レフデジタルカメラの型番にEの後に三桁の数字がつくシリーズのことで、小型・コンパクトを売りにした、比較的廉価なカメラのことです。今では、このフォーサーズシステム自体が歴史の舞台を去り、マイクロフォーサーズに取って代わられています。
フォーサーズ(英語表記)Four Thirds
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「フォーサーズ」の解説イーストマン・コダックとオリンパスが提唱したデジタル一眼レフカメラ専用の規格。フォーサーズは撮像素子(→イメージセンサ)の大きさを表し,4/3型(17.3mm×13mm)。フォーサーズシステムは,フランジバック(撮像素子からレンズマウントまでの長さ)が 38.67mm,撮像素子の記録対角長が 21.63mm。レンズの焦点距離は 35ミリ判換算で 2倍に相当する。1号機は,2003年のオリンパスE-1。オープン規格なのが特徴で,賛同メーカーはコダックとオリンパス以外にも,富士フイルム,三洋電機,シグマ,パナソニック,ライカカメラなど。当初はオリンパス製品のみで,シグマから交換レンズが発売されるだけだったが,2006年にパナソニックとライカもデジタル一眼レフを発売した。2008年には撮像素子の大きさはそのままに,フランジバックを 20mm短縮し,マウント外径を 6mm縮小,マウント電気接点を 11点に追加したマイクロフォーサーズシステムが登場,パナソニックとオリンパスから発売され,ミラーレス一眼ブームになった。今日ではマイクロフォーサーズが主流になっている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
フィルムカメラ時代からPENTAX機を主につかってきた私が、お試しでOLYMPUS機に手を染めた事情はブログを始めたばかりの頃のこの記事に、あらましを書きました。
マクロレンズは楽しいな(2013-08-28)
私は、そのコンパクトさから中古でE410を買い、E420にグレードアップして、アダプターを介してPENTAXレンズを装着したりして楽しんでいました。
オリンパス機(フォーサーズ、マイクロフォーサーズ)は、35mmフィルムサイズ換算で、焦点距離が2倍になるので、望遠撮影にもマクロ撮影にも有利です。さらに、超音波によるゴミ除去の優秀さにも惹かれて、ユーザーになったのですが、いかんせんMFで使うには、ファインダーが小さすぎてピントが合わせにくい上に、フォーカシングスクリーンの仕様でピントの山がつかみにくいという致命的難点があります。
ライブビューを常用しにくい理由は前述のとおりです。かといってAFレンズを調達しようと思うと、純正ZUIKOレンズは商品展開が少ない上にかなり値が張ります。サードパーティ製のレンズがほとんどないのもネックです。その小ささかわいらしさから人気のミラーレス「PEN」シリーズも、事情は同様です。
同じE三桁シリーズの内、E-510,E-520は、このE-410、E-420、そしてその後継のE-620に軽量コンパクトさでは敵わないものの、無骨ともいえるグリップ形状が、かえって扱いやすく、お散歩カメラとしては好ましく思えたカメラでした。
移り気な私は、その撮影性能や防塵防滴・堅牢性などの機能において抜きん出たE-3(1桁機=フラッグシップ機)を中古購入したせいもあり、3桁機の使用頻度は減り、軽量・コンパクトへの志向は、次第にマイクロフォーサーズ機に担わせるようになった経緯があります。
それと相前後して、鳥撮影にはPENTAX機+AFBORGを使う機会が増えたこともあり、とにかく重いE-3(そして、その廉価版であるE-30=2桁機)の出番は減りました。そんな事情は、何度か書きました。
ムナグロに遭う、の巻(2021-04-24)
「古い資産の活用」といえば聞こえがよいですが、タイミングのよい切り替え、更新ができないまま、ガラクタを持て余している状況は、何度も話題にしてきました。
カメラ業界ではマイナーな、しかも鳥撮りの分野では不適格とさえみなされるPENTAXを常用している私は、離脱のきっかけを失したまま今日に至っています。というより、AFボーグという選択肢の故に、むしろ満足して踏みとどまり続けるでしょう(健気!)
が、一時の気の迷いから手を出した(今となってはシステム自体過去のものとなってしまいましたが)フォーサーズシステムからも、足抜けできないでいます。
このシステムは、撮像素子がAPS-Cに比べて小さめであることから、結果として望遠撮影に有利と言えます。例えば300mmのレンズで撮影すると、換算で600mm相当の効果を示すことになります。これを当てにして、中古で買ったzuiko70-300mmが、値段の割りには写りもほどほどによくて、有効活用したい思いが捨てきれません。
カメラとしては、OLYMPUS E-3との組み合わせが快適で、満足感も高かったのですが、古い機種だけあって画素数が1010万画素とやや貧弱だし、意外に重いので、樹上を狙って手持ち撮影などしていると腕が疲れる、などの不満から結局手放し、コンパクトな機種を手元に残していますが、使用頻度は著しく少なくなっています。
そんな紆余曲折をたどって、いったん手放していた旧型機、E3桁機のうちでもかなりマイナーなE-520に、またまた手を出そうとは、正気の沙汰とも思えません・・・
ちなみに、E-520発売当時のolympus社の製品紹介文にはこうありました。
「ハイスピードイメージャAF」により、快適なライブビュー撮影を実現
「ZUIKO DIGITAL」レンズとの組み合わせで、約33倍※1のズーム領域で手ぶれを補正デジタル一眼レフカメラ「E-520」を発売
(中略)
オリンパスイメージング株式会社(社長:大久保 雅治)は、「オリンパスE-システム」の新モデルとして、ボディー内手ぶれ補正機構を搭載したレンズ交換式デジタル一眼レフカメラ「E-520」を発売します。9mmから300mmまでの超広角から超望遠まで、4本の「ZUIKO DIGITAL」レンズ(スタンダードクラス)とボディーとの組み合わせで、約33倍※1の焦点距離をカバーし、ボディー内手ぶれ補正の機能が十分に発揮されます。発売は2008年5月末を予定しています。
主な特長
- 最大4EVステップ※2の補正効果を実現した、超広角から超望遠まで、「ZUIKO DIGITAL」レンズとの組み合わせで約33倍の焦点距離をカバーするボディー内手ぶれ補正機構を搭載
- コンパクトデジタルカメラと同じ感覚で使える「ハイスピードイメージャAF」の採用で、より快適なライブビュー撮影を実現
- 顔検出と連動した「フェイス&バックコントロール」により、顔も背景も美しい写真が撮影可能
- 「E-3」同等の高画質を提供する1000万画素新LiveMOSセンサーと画像処理エンジン「TruePicIII」
「E-520」は、撮像センサーシフト式のボディー内手ぶれ補正機構をはじめ、撮影者の意図する写真表現を可能にする豊富な機能を搭載した「E-510」(2007年6月発売)をさらに機能向上させたデジタル一眼レフカメラです。超音波アクチュエーター(SWD = Supersonic Wave Drive)によるボディー内手ぶれ補正機構は、最大4EVステップの補正効果を誇るとともに、「フォーサーズシステム規格」に準拠した全てのレンズに対応しています。同時発表の「ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6」(2008年 年内発売予定)をはじめ、「ED 14-42mm F3.5-5.6」、「ED 40-150mm F4.0-5.6」、超望遠ズームの「ED 70-300mm F4.0-5.6」の4本のレンズで、超広角(35mm判換算:18mm)から超望遠(35mm判換算:600mm)まで、約33倍の焦点距離全てをカバーする手ぶれ補正撮影を実現します。
また、「E-420」(2008年4月発売)に搭載したコントラスト検出方式による「ハイスピードイメージャAF」を採用することで、「ライブビュー」撮影時の快適さがさらに向上しています。加えて、最大8人まで人物の顔を検出する顔検出機能と連動して、背景と顔の露出を最適にコントロールする「フェイス&バックコントロール」により、顔も背景も美しい写真を手軽に撮影することができます。
「E-520」は、小型・軽量を実現しながら、豊富な撮影機能を搭載。1000万画素新LiveMOSセンサー、画像処理エンジン「TruePicIII」により、当社最上位機「E-3」に匹敵する高画質を実現した、中・上級者の方にもご満足頂けるデジタル一眼レフカメラです。
また、ED 40-150mm F4.0-5.6についてはこうあります。
オリンパスイメージング株式会社(社長:大久保雅治)は、デジタル一眼レフカメラのフォーサーズシステム専用の望遠ズームレンズ「ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6」を2006年11月23日から発売します。
「ZUIKO DIGITAL」レンズは、「フォーサーズシステム」規格にもとづきデジタル一眼レフカメラのイメージセンサーの能力をフルに引き出す、デジタル専用に設計された交換レンズです。今回新たに発売されるレンズは、クラス※最小・最軽量を実現したコストパフォーマンスに優れた望遠ズームレンズです。
「ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6」はクラス※最小最軽量(220g)を実現し、近接撮影能力(0.9m)にも優れた交換レンズです。レンズ交換を軽快に楽しめる、フォーサーズならではの圧倒的なポータビリティを確保し、35mmカメラ換算で80-300mm相当の広域な撮影範囲をカバーすることが出来ます。
(中略)
「ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6」主な特長
- クラス※最小・最軽量
EDレンズや高性能ガラスレンズを採用し、そのレンズパワー配置を最適化することで、圧倒的なポータブル性能を実現しました。300mm相当の望遠が、わずか全長72mmの中に凝縮。220gの超軽量ボディと相まって、フィールドでの軽快なフットワークをサポートします。本格的な望遠効果を手軽に楽しめる3.8倍望遠ズームレンズは、35mmカメラ換算で80-300mm相当の広い焦点域をカバーしています。※
テレ側35mm判換算:200mm以上の望遠ズームレンズにおいて(2006年11月13日現在、当社調べ)- 優れた近接撮影能力
フォーカシングによる全長変動が無いインナーフォーカスタイプを採用。ズーム全域で最短撮影距離90cmまでの近接撮影が可能です。その他の特長
- 高い描写性能
EDレンズや屈折率の高い高性能ガラスレンズを使用することで、色収差およびコマフレア、像面湾曲をバランスよく補正。あらゆる撮影領域で、画面周辺部までシャープでコントラストの高い描写性能を確保しています。また、逆光撮影時のゴーストやフレアの発生を最小限におさえるためのマルチコート、クセの無い柔らかなボケを得るための円形絞りなど、高画質を支えるための先進の技術を惜しみなく採用しています。(後略)
今さら能書きを語るような機材ではありませんが、カメラとレンズを合わせても1万円を切る(ただし、レンズフードとコンパクトフラッシュカードの購入で意外な出費を伴いましたが)組み合わせで、こんなお散歩撮影ができるのなら、上出来というべきではないでしょうか?
ただし、望遠性能最大150mmは、やはり非力です。
上の画像、狙ったのは中央部の枝に止まっている鳥なのですが・・・
トリミングしますと・・・
モズですが、さすがに画像が荒れます。コンパクトな常用望遠カメラとしては、軽快至極で、何も文句は付けられません。広角撮影用にRICOH GXRも一緒に持って出れば、鬼に金棒で、お散歩の楽しみが広がります。
ところで、当ブログの初代バージョンナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)は、しばらく以前から、メインブログの座をこちらのver2に譲っていますが、一定期間更新しないでいると広告まみれになって鬱陶しいので、時々新しい記事も掲載しております。機会がありましたら、どうぞお立ち寄り下さいますよう、ご案内申し上げます。
追伸 電池劣化により、反応が鈍っていた車のリモコンキーですが、電池を入れ替えたら見違えるように元気になりました。100円ショップで2ケ百円で購入したボタン電池を1ケ使用してOKでした。
今日はこれにて。
やっぱり自信喪失、の巻 [カメラ三昧]
自信喪失の話題が続きます。
我が家には2台の自家用車があります。
1台は、亡父が乗っていたものを引き継いで乗っています。
この記事に書いた車です。
父のテレビ出演!の巻(2021-07-10)
老父がテレビ出演しました。
といっても、ローカル局の地元密着番組で、旧タイプの自動車にも後付けできるブレーキ踏み間違い装置を開発した地元企業の社長さんを紹介するコーナーで、その恩恵にあずかっている利用者第一号として、ひと言インタビューやら運転実技の披露やらの場面を、短時間紹介してくれたのでした。
(中略 )
さすがに地元に根ざした企業家だけあって、田舎住まいの高齢舎にとっての車の必要性を、肌身を持て感じておられ、こうおっしゃることばが切実に感じられました。
開発メーカー社長 地元に住んでたらわかるんですけど、 車がなかったら生活できないんですよ。 地元の人が困ってられるんで、それを何とか、 できれば今お乗りの車をちょっと改造することによって、 安心安全の車にすることができればいいなと思って、はじめたんです。
先日の記事で、投稿短歌が新聞に掲載していただいたことを書きましたが、その時同時に投稿していてボツになった歌はこんなものでした。
僻村の父九十四老いたれど運転免許まだ手放せず
それから間もなく父は体調を崩し、入退院、施設入所などを経て、三月の初め逝去したのでした。
もう一台の車については、この記事。
爽やか!の巻(2021-08-10)
先日、60代最後の誕生日を記念して(笑)カメラを新調した件については前記事で書きましたが、それと相前後して、この度 車を新しく買い替えました。
前の車は 、先日18歳の誕生日を迎え選挙権も得た、一番上の孫が生まれたころ、 パパとママが 購入し て乗っていた1000cc の コンパクトカーです。
(中略)
買い換え前に、小1の孫と記念撮影。特徴のある車体カラーですのでモノクロ画像にしておきます。
それを、その後孫家の人口増加に伴って、私の乗っていた8人乗りミニバンと交換して、私が使ってきました。今なお快調に走ってくれますが、18年で走行距離22万キロも超えたのでここらをシオに、ワゴン型軽四に買い換えた次第。
5年落ちの中古です。小型耕運機など、農用具を運ぶにも便利かと思いまして。
覚えやすいように、色もナンバーも似せてみました。(個人情報保護の観点から、モノクロ・モザイクを施しています)走行距離2万キロ。あと20万キロ乗れましょうか?
きょうはこれにて。
今見たら、走行距離46200kmを超えてました。通勤していた頃はもっと長い距離終を走っていたでしょうが、それでもなかなかの活躍ぶりです。
さて、自信喪失というのは何かと申しますと、昨日、ある大事な会があって、この車を動かそうとすると、エンジンが始動できません。
この車は、運転者がリモコンキーを持っていれば、プッシュボタンでエンジン始動できる使用になっており、金属の鍵を差し込んで回すという旧来の指導方法ではありません。これは便利な機能なのですが、リモコンキーを持たずに運転しようとしてもまったく融通が利きません。ですので、外出時にはいつも、キーを入れたバッグを持ち歩くことにしています。ところが、そのバッグを持って運転席に座っても、キーがないという表示が出て、一切反応してくれません。
ひょっとして、何かの弾みでバッグの中からキーがこぼれ落ちてしまったのかと推理して、家中を探し回るも見当たりません。青ざめて記憶をまさぐると、前日夕方までこの車を使ったあとは、外出もしていませんし、バッグを家の外に持ち出した記憶もありません。駐車場から玄関までの通路や、庭の洗濯物干し場、昨日身につけていたズボンやコートのポケット、風呂の脱衣場の近辺、寝室の隅々、パソコン作業をするエリアの周辺などなど、思いつく限りの場所を何度もひっくり返して探し回りますが、埒があきません。そうこうするうちに、時間は刻々と過ぎ、約束の刻限が迫ります。
実意はこの会議、私がいわば「主催」の役目っを負っており、前日からほぼ半日以上の時間をかけて、レジュメや諸資料を準備し、それから、お集まりの皆さんへのお土産代わりに、畑の大根や小松菜(徒長してしまっていますが 汗)、を新聞紙でくるみ、持って行く準備もしていたのですが、エンジン画家から中ればどうしようもありません。
車が2台あるのなら、もう一台を使えばよかろうというご意見もございましょうか?まさしくその通りなのですが、いかんせん、我が家の駐車場は、手狭で、縦に2台停めているので、前の車が動かなければ、後ろの車は使えない(トホホ)のです。
スペアキーというものがあるだろう!というご指摘もありましょう。ですが、あいにくスペアキーを持ったわが妻は。発熱中の孫の守のために、泊まりがけで出かけています。
いっそ、タクシーを使って会議場所まで行こうかとまで思いましたが、夕方には小学生の孫二人のお迎え、夜には、孫守中の妻のお迎えをしなければなりません。タクシーを使うのなら、妻のいる孫宅までタクシーで行き、スペアキーを持って帰るのが賢明かも知れません。
思いあぐねて、まずこの危機をやり過ごすために、会議の後日への延期を参加予定の皆さんにお諮りし、了承を得ましたました。念のためにと、もう一度バッグの中を探りますと、ちゃんとリモコンキーが入っているではありませんか、これをもって車に乗り込みますと、今度は呆気なくエンジンがかかりました。思うに、リモコンキーの電池が消耗していて、うまく機能しなかったのだと思われます。デジタル文明便利さの裏にある脆弱性に改めて気づかされる思いがします。
再度電話連絡をして、10分遅で会議を実施することができました。
すべてが私に非があるというわけではありませんが、もっと早く適切な対応はできなかったかと、悔やむ思いはつきまといます。
もう一つ、適正な判断能力がおとろえているのではという「自信喪失」の事例があります。
先日こんな記事を書きました
深山の紅葉、の巻(2022-12-02)
最後は、OLYMPUS OM-D E-M1に、フォーサーズマウントアダプタを介してZUIKO DIGITAL ED 40-150mmを装着。このレンズは、フォーサーズのOLYMPUS Eシリーズの頃に、中望遠ズームとして常用していました。
(中略)
ですが、何かの拍子に破損して以来、この望遠域を補うレンズは他にもあるし、今ではEシリーズのフォーサーズカメラ自体手元にないことから、長く使用することはありませんでした。つい最近、OLYMPUS OM-D E-M1での使用を思いつき、なりゆきで中古購入したのでした。
このZUIKO DIGITAL ED 40-150mmの中古購入も、非理性的な判断でしたが、さらに非理性的なことに、「今ではEシリーズのフォーサーズカメラ自体手元にない」という過去の決断・選択を覆して、一度は売り払っていたオールドカメラE-520をまたまた中古購入してしまったのです。
このカメラ本体の購入金額はお小遣いの範囲内でしたが、レンズフード、CFカードも新たに購入しましたので、これが本体に匹敵する出費で、自分の判断力を疑うに十分の非理性的行動といわずにはいられません。
そのOLYMPUSE-520+ZUIKO DIGITAL ED 40-150mmをお散歩カメラとして使用すると、軽快で楽しいのです。
写りもこんな具合で、後悔はありません。
「令和の大改装」で化粧直しされた岡山城。
後楽園周縁の遊歩道。
今日はここまで。
至福の美食、の巻 [鳥三昧]
自分のやっていることに自信がありません。
喪中欠礼ハガキを父の知人、親戚、私の交友関係など、方々に出しました。その際、いくつかの住所録データ(私のPCや父の使っていたPCなどから)を引っ張り出して、精査したつもりで、宛名と文面を確かめながら出したつもりです。が、投函から何日も経った最近、何通も宛所不明で舞い戻ってくるのです。見ると宛名を空白のママ印刷していたり、とっくに転居されていて、きちんと住所録に登録し治していたはずの方、喪中はがきなど出す必要のない家族などなど、思いもかけないはがきが、優に10通を超えて返却されてました。それを見つけると、かなり落ち込みます。
他の用事の合間を見て、正しい住所を調べてようやく印刷し直して、投函してきたところですがのですが、ほとほと疲れました。
自信がないのは、それだけではありません。孫の一人がまた熱を出して、妻が泊まりがけで手伝いに行っています。留守中、自分の食事を自分で作ったり洗い物をしたり、洗濯機を回したり、は、さほど苦にはなりませんし、自活していく自信がない・・・・などとは思いません。が、糖質、脂質、アルコールなど、今日は控えようと言い聞かせ、カメラ散歩で歩数を稼ぎ、日中は野菜や食物繊維を中心に、食事量も減らして・・・と、ストイックに過ごしてきた結果、日暮れて、少しだけならとアルコールを舐めたらオシマイ。落語のネタではありませんが「もう半分」とコップを重ねるうちに、ついつい冷蔵庫を探ったり、あれこれの残り物に手が伸びてしまいます。
最近、TVで連続的に再放送されている「孤独のグルメ」 なる番組を録画して、しょっちゅう観るようになってから、お気に入り番組の一つになっています。再放送と書きましたが、正確には目下season10が毎週金曜深夜にテレビ東京系で放送中ですね。
聞けばこの番組、10年続く長寿番組だそうです。恥ずかしながら、まるで存じませんでした。大体において、いわゆるグルメ番組や大食い番組の類には、個人的にはさほど好感を持つことができず、敢えてチャンネルを合わせて観ようと思うことはありませんでしたが、この番組はなぜか、やみつきになります。
高級・高価・稀少・大食い、といった、ありがちなグルメ番組とはひと味違い、ダンディで枯淡の趣きもあって、ほどよく品のある、松重豊さんの人柄の魅力に依るところが大きいでしょうか。しかも、その痩身とは裏腹の、盛大な食欲と豪快な食べっぷりが潔く、観ていて気持ちが良いほどです。
触発されてというのは口実ですが、ついつい美味しく飲み食いしてしまい、後悔の臍をかむ今日この頃です。
先日、妻を孫宅まで送り届けた帰り、岡山後楽園を歩き、一万歩を超えたとの慢心から、消費カロリーを凌駕する栄養を注入してしまいました。とほほ。
後楽園にもグルメな鳥がおりました。
柿メジロ。
今日はこれにて。
阿部池散歩補遺、の巻 [これなあに?]
先日(12/8),阿部池を訪ねてみた動機の一つは、以前ここで、ミコアイサにあった記憶が蘇ったからでした。
こんな記事に書きました。
阿部池に師走の雨やミコアイサ(2016-12-13)
今朝の散歩で、ミコアイサに会いました。
今シーズン初対面です。ミコアイサについては、過去にこんな記事を書きました。会えると嬉しい鳥の一つです。
◇ミコ殿に遭うて嬉しやプチ散歩
◇牡丹雪や遊ぶタゲリにミコアイサ
◇冬の日や鏡の上の巫女秋沙
記事の一部を引用します。冬の日や鏡の上の巫女秋沙
巫女秋沙はミコアイサと読み ます。何年か前、何も知らずに水鳥にカメラを向けていますと、通りかかりの女性が、「さすがですね。」とか、声をかけて来られました。
何やら分からずポカ ンとしてますと、「ミコアイサですね。」と、教えて下さいました。その時の写真は、ぶれぶれのボケボケでした。対象物が遠すぎるし、技術も機材も、追いつ かずでも、エレガントなその容姿は強く印象に残りました。パンダに似ているという顔の黒い模様も、強く自己アピールしています。次には、ちゃんと写したいなという思いがつのりましたが、それ以来、ミコアイサを見る機会もありませんでした。
今年になって、遠くいに見かけることはあったのですが、今日もそれらしい鳥が浮かんでいるので、一応シャッターだけは切っておきました。
はるか遠くの、点のような被写体を、拡大してみると、、、。今朝ミコアイサに会ったのは、阿部池の畔です。
カメラを携えた散歩者の方との立ち話でも、ミコアイサの話題がでたのでしたが、遠くからでも目を惹く、オスの白い姿は見当たりませんでした。もしかしてと一応写してみた鳥は、画像を拡大して確認してみるとカンムリカイツブリでした。
池を横切るように、遠くまで飛び去っていった鳥が、瞥見したところ、それかとも思えたのは都合の良い思い込みだったかもしれませんが、、、遠くのカモを写した画像に映り込んでいるこの鳥は?
トリミングしてみると、
ミコアイサのメスではと思われます。
もうひとつの「これなあに?」は・・・
ヨシガモ♂のようですね。
同じ12月の頃、こんな記事を書いています。
お久しぶり(その7)、の巻(2020-12-05)
うつむきになると、特徴的な後ろ髪が、はっきり見えます。
お久しぶりのヨシガモです。
去年も、こんな記事を書きました。(省略して引用します)
深山公園鴨三昧、の巻(2019-12-10)
大勢のヒドリガモやオナガガモに混じって、メタリックな光沢のカモが二羽。
ナポレオンハットで知られるヨシガモ♂でしょうか?
ウィキペディアには、こんな説明記事があります。
ナポレオンの二角帽子
ナポレオンの肖像画に描かれた二角帽子ナポレオンが愛用していた二角帽子は、ビーバーの毛皮(フエルト)から作られたもので、権力の座に就いていた約15年の間に120個ほどが作られた。21世紀に現存しているものはわずかであるが、時折、競売に出品されることもある[1]。ナポレオンはこれを常々横向きに被っており、戦場において友軍が彼を識別する目印となっていたとされる
何枚も写しましたが、あいにく、ナポレオンハットの形状が、今一つですかね。
きょうはこれまで
またまた人の牛蒡、の巻 [日録]
今年の9月9日の「九の日行動」についてこんな記事を書きました。
人の牛蒡、の巻
さて、何やら思わせぶりな、今日のタイトルのココロは??
こんなことわざにちなんだ自嘲です。
人の牛蒡で法事する
読み方
ひとのごぼうでほうじする意味
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをするという意から。ちなみに、こんな類句もあるそうで。
舅の物で相婿もてなす(しゅうとのものであいむこもてなす)
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
人の褌で相撲を取る(ひとのふんどしですもうをとる)
借り物でつくった今日の記事を評するのに、真っ先に思いついたのは最後の 「人の褌で・・・」でしたが、少々お下劣と感じましたので、使用を控えました(笑)。
昨日、12月9日に、12月の九の日行動がありました。自前の記事を書こうと思いながら、またまた安直に地元のお友だちmikopon559さんのブログ記事12月9日 - 木かげなじかん (fc2.com)から、無断盗用させていただきます。ごめんなさい<m(__)m>
風もなく、快晴の空でした。
明るい日差しに照らされて、ほんのりあたたかさを感じながらのスタンディングでした。この空にミサイルや戦闘機が飛び交うことがないように、
この空から何も落ちてくることがないように、
この空が戦火で赤く染まることがないように。
そのために大切なことは、「抑止力」という名の、果てが見えない巨大な軍事力を持つことなのか?
いよいよ急速に押し進める軍事国家化、国民の暮らしを巻き込む戦時体制づくりの現実に、
「戦前のようだね…」
と、おそるおそる口にする私がいます。
その先にあるのは、狂気とおびただしい人々の犠牲であることは、歴史が伝える事実だから。だから、私のプラカードは今回もこれにしました。
「戦争を起こさせない」
そのために大切なことは何なのか?
このスタンディングで対話はできませんが(人通りがない)、車の中から私たちのプラカードにじっと目を注いでくれる人、にっこりおじぎをしてくれる人もいて、
このとき目にしたことをきっかけに、あちらこちらと対話が生まれてくれたら…いいな、と思いました。農家の方からいただいたおみやげ♡
掲載写真のとおり、抜けるような快晴でした。・・・が、手袋を忘れたので、プラカードを持つ手が凍えました。とほほ・・・。
前回記事で、「反撃能力=敵基地攻撃能力」の保有への動きについては触れました。でも、そのための大規模軍拡、大増税への露骨な言明についても、触れておく必要がありました。
政権内部に至るまで、統一協会とのズブズブの腐れ縁が次々に明るみに出るわ、政治と金にまつわる疑惑のオンパレードで閣僚・政権中枢にドミノ辞任が相次ぐわ、杉田水脈なる「ネトウヨの寵児」=レイシスト総務大臣政務官のお粗末さがあらわになるわ、内閣支持率が急降下を続けるわ・・という状況の下、アメリカ言いなりの「戦争できる国」化を強める岸田内閣・・・無気味です。
この日の午後は、ちと生真面目な会議に出席。帰宅した頃には日が暮れていて、カメラ散歩には向きません。
前日(12/8)の鳥写真を載せておきます。
随分久しぶりに、阿部池畔を歩きました。
ジョウビタキ♀です。
これはカワラヒワの若?
この池の水鳥の中では、マガモが一番個体数が多いようです。
カンムリカイツブリも混じっています。
残りは次回。今日はこれにて。
児島湖に憩う鳥たち、の巻 [鳥三昧]
2013年の今日、こんな記事を書きました。
リメンバー パールハーバー お互いに(2013-12-08)
1941(昭和十六)年(=当時は皇紀2601年と言ったかも知れません)の今朝、ラジオから緊迫した声が流れた(そうです)。
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部12月8日午前6時発表。
帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。
太平洋戦争の開戦を告げる臨時ニュースです。
(中略)
「大本営発表」というと、現在では「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞になっている、とwikiは書いていますが、全くその通りでしょう。
真実が知らされず、国民の「知る権利」よりも国家の「知りたくない権利」が優越した時代の一コマでしょう。
「秘密法」の強行が、「いつか来た道」への一歩になりませんように。
この記事の前後から、アベ政権が着々と進めてきた「戦争できる国」への地ならしを、2020年10月4日付『東京新聞』はこんな図表にまとめています。
安倍政権で成立の秘密保護法や安保法 任命拒否された学者6人が問題点指摘<日本学術会議問題>:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
これらが、アベ氏個人の先走りではなく、キシダ内閣にあってもなお脈々と受け継がれ、総仕上げが急がれていることを「反撃能力=敵基地攻撃能力」保有への動きが象徴しているでしょう。
「毎日新聞」の記事を一部囲繞します。
自公が「反撃能力」保有で合意 安全保障政策を転換へ (msn.com)
自民、公明両党は2日、国会内で実務者による与党ワーキングチーム(WT)会合を開き、相手国のミサイル発射拠点などをたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を容認することで正式に合意した。政府は外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安保関連3文書に反映させ、年内に閣議決定する。相手国内を攻撃する能力を保有してこなかった従来の安全保障政策を転換することになる。(中略)
反撃能力を行使する際は2015年に成立した安保関連法に基づき、現行の「武力行使の要件」を適用。日本に対して弾道ミサイルなどによる攻撃が発生した場合、防ぐのにやむを得ない必要最小限度の措置として行使する。日本への攻撃が発生していない場合でも、集団的自衛権として行使する可能性もある。
ツッコミ1 by kazg「防ぐのにやむを得ない必要最小限度の措置として行使」→「これが必要最小限だ」と言い張れば「必要最小限』っって事でしょ!何の縛りにもなりません。
ツッコミ2 by kazg「日本への攻撃が発生していない場合でも、集団的自衛権として行使する可能性もある」→やられる前にやるって事ですね。パールハーバー(の反省)を忘れたか?
去年の今日付のブログには、こう書きました。
コロナの合間に理知の光を考える、の巻(2021-12-08)
ところで今日は12月8日。日米開戦の日です。
地元紙「山陽新聞」の昨日(12月7日)付コラム「滴一滴」に共感しました。
終戦記念日の8月15日は知っていても、米国や英国との無謀な戦争が始まった「開戦の日」を心に留める人は少ないのではないか。1941年12月8日、日本軍が仕掛けた真珠湾攻撃により、太平洋戦争が始まった▼奇襲に参加して戻らなかった5隻の特殊潜航艇の乗組員9人の名前を大本営は大々的に発表し、新聞は「九軍神」とたたえた。岡山県出身者も含まれ、本紙の前身である合同新聞には「不朽の偉勲」などと最大級の賛辞が並ぶ▼国民の戦意高揚を図るため、大本営は戦果を過大に発表する一方、都合の悪い事実はひた隠しにした。実は乗組員はもう1人いた。徳島県出身の酒巻和男さんが捕らえられ、捕虜第1号となっていた▼手記によれば、「捕虜は死すべし」との呪縛を解くきっかけとなったのは収容所で手にした現地の新聞だった。辞書を引きながら読み、米軍の局地的な敗北や政府批判の声までも伝える報道の自由さに驚き、「思慮のある日本人になろう」と決意したという▼後から収容所に入ってくる日本人に命の大切さを説き、覚えた英語で米軍とも交渉した。戦後はトヨタ自動車に入り、ブラジル現地法人の社長などを務め、81歳で生涯を終えた▼昨年復刻された酒巻さんの手記を読みながら、メディアの責任の重さをかみしめている。あす、開戦から80年を迎える。
これまた理知の光の大切を考えさせるエピソードです。
自公の合意があったという12月2日、自然公園体験公園を訪ねた記事を前回書きました。
12月5日、思いついて、児島湖畔を散歩しました。
自然公園体験公園で珍しいと感じたホシハジロが沢山いました。
マガモの群れも大勢です。
カルガモも一緒に泳いでいますね。
奥がカルガモ、手前はマガモの♀でしょうか?
色々な水鳥が思い思いに遊泳しています。
一番奥の首の長い鳥が、白くて目立ちます、
トリミングすると、、、
澄まし顔のカンムリカイツブリです。
手前の2羽が気に掛かります。
クチバシが、マガモではないようです。
トリミングしてみます。
ハシヒロガモでしょうか。
キンクロハジロも見えます。
これはオマケ。
カワウです。
オマケのオマケ。
水鳥ではありませんが・・・
モズ。
ジョウビタキ♀
今日はこれにて。
紅葉はここにもある、の巻 [日録]
急に寒くなりました。
夜は1℃まで下がりました。
昨日は、午後からちょっとしたよそ行きの会議、今朝は町内会の草取り掃除、そして昼間は、孫たち(従兄弟・姉妹)同士の孫たちが総計5人遊びに来て、昼ご飯もジイジ焼きそばを振る舞い、お接待致しました、畑でできた、ケールのようなキャベツも、いやがらず結構消費してくれました。
遅ればせながら、欠礼ハガキの印刷に取りかかっています。3月に父が逝去したためです。舞い込んだ欠礼はがきも、今年は十数枚を数えます。中には、友人・知人ご自身や、ご伴侶の訃報も少なくありません。無常を感じずにはいられません。
今年は、「紅葉狩り」を堪能するには気ぜわしい日々でした。わずか旧閑谷学校、深山公園を訪ねた際の画像を、何回にも分けてご紹介させていただきました。紅葉シリーズの最後は、ごくごく近所の自然公園体験公園です。
紅葉はここにもありました。
12月2日に散歩しました。
RICOHGXR+Tamron BBAR MULTI C AUTO 135mm F2.8を、性懲りもなく持って出ました。
それと、pentaxk5Ⅱ+SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSM。
もちろん、SIGMA APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMは、鳥撮りを狙って持って出たのでした。
モズがいました。
カワラヒワ。
オオバンも数が増えていました。
オオバンの奥にいる鳥は何でしょう?
左の方には カイツブリも見えますが、、、
これはホシハジロでしょうか?
これはマガモ♀でしょうか??
ジョウビタキ♀
おや。、近くに2羽いました。
今日これにて。
深山の紅葉、の巻 [日録]
先月の半ば過ぎ、私の所属する年金者組合地元支部の行事で、玉野市深山公園を訪ねました。紅葉が見頃の頃と考えて設定した行事でしたが、にわかに冷え込みが厳しくなり、屋外での行動は避けて、室内会場でなごやかに懇親・交流や昼食を楽しみました。このことを、支部新聞の記事に寄せる都合から、折角の紅葉の様子も紹介しようと(口実ですが)、後日、写真を撮りにいってきました。
結局、こんなコラージュ作品を載せることにしました。
その時撮り溜めた画像を、今日はご紹介します。
まずは、先日の記事で話題にしたのをきっかけに、例のチャボツレンズ=「tamron BBAR MULTI C AUTO 135mm F2.8」を思い出して、リコーGXR MOUNT A12を介してGXRに装着して持ち歩きました。
あいにくの曇天で薄暗く、MFでのピント合わせに苦労しました。
遊びついでに、PENTAX k1 MARKⅡ+SmcPENTAX FA100mmMACRO(f3.5)。これも収納棚の奥の方から引っ張り出してご登場願いました。
一応はマクロレンズではありますが、あまり対象に寄ることができず、迫力ある近接撮影はできません。
最後は、OLYMPUS OM-D E-M1に、フォーサーズマウントアダプタを介してZUIKO DIGITAL ED 40-150mmを装着。このレンズは、フォーサーズのOLYMPUS Eシリーズの頃に、中望遠ズームとして常用していました。
たとえばこの記事
獲物捕って一目散や初ミサゴ(2014-01-02)
今朝は、日の出を写してみたいと思ったのです。それと、昨日の携帯カメラが近距離レンズだった悔しさをはらすため、少し長めのレンズをもって出ることにしました。でも荷物は軽くしたいので、OLYMPUS E420と望遠ズームZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F4.0-5.6に、1.4倍テレコンバーター EC-14をチョイス。
いつもの鴨川べりについた頃は、まだ日の出までだいぶ時間がありそう。
ですが、何かの拍子に破損して以来、この望遠域を補うレンズは他にもあるし、今ではEシリーズのフォーサーズカメラ自体手元にないことから、長く使用することはありませんでした。つい最近、OLYMPUS OM-D E-M1での使用を思いつき、なりゆきで中古購入したのでした。
トリインフルエンザの影響からも今のところ無事らしく、カモの群れが元気でした。
アメリカヒドリの姿もありました。
今日はここまで。