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年の瀬の朝散歩、の巻 [日録]

はや年の瀬です。

ほとんど零度か時には零下の朝が続きます。

起き上がるのも、おもてに出るのも億劫ですが、健診での数値が脳裏に浮かび、とにもかくにも、歩くノルマは果たさねばなりますまい。

日の出前は冷えるばかりでなく、暗くて写真の楽しみを諦めねばなりません。わが地方の日の出時刻は7時ちょっと過ぎといいますから、日の出前頃にはようやく薄明るくなります。

6時50分過ぎの田園風景です。

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使用機材は、この記事の時と同じもの。

レンズ三昧、の巻(2022-08-01)

せっかくのフルサイズカメラであるK1Ⅱの特性を発揮するには、広角レンズが相応しかろうと、思い切って広角も広角、魚眼レンズを装着して歩いてみました。SMC PENTAX-F FISH EYE 17-28mm F3.5-4.5(中古)です。

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普通の空が、魚眼効果で天球になります。

ズームを操作すれば、湾曲具合が調整されます。

湾曲効果を強調する絵作りは、なかなか特殊な仕上がりになりますので、ズームの操作で魚眼効果をやや控えめに、広角撮影するのが無難かもしれません。

ようやく朝日が昇り始めた頃、玉野市を流れる鴨川あたりまでたどり着きました。正面に見える山は麦飯山(むぎいやま)、左にある石づくりの堤防の向こうが鴨川です。

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この辺りのいわくについては、ずっと前、こんな記事でご紹介しました。

ムルデルの干拓堤防、の巻(2016-12-12)

一昨日書いたこの記事(ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻)でも紹介したおかやまの歴史的土木資産というhpから、児島湾開墾第一区第一号・第二号干拓堤防の記事を引用します。

児島湾干拓第一区第一号堤防

見どころ

江戸時代から始まった児島湾の大規模な干拓は、明治時代には政府から開発を請け負った藤田伝三郎(でんざぶろう)(1841~1912)によって事業が進められることになりました。
初めに着工された第1区では、明治32年から翌年末に潮止(しおど)め工事が完了しました。その工事で築かれたのが第一号と第二号堤防です。軟らかい地盤の上に堤を築くことは困難を極め、藤田組の技術者が工夫を重ねてようやく成功したものです。
第一号堤防のある加茂崎地区(玉野市)は、前面の海が干拓されておらず、完成当初の堤防がそのまま残っている貴重な場所でしたが、平成18年頃に改修されました。第二号堤防のある高崎地区(岡山市・玉野市)は、前面の海が後に干拓されたため陸地に取り残される形になりましたが、延長約2㎞の石積みの堤防跡が続く干拓地らしい風景を見ることができます。

出典:「あなたの街の近代化遺産ガイドブック」岡山県教育委

下に略地図を載せます。

(中略)

石積みが破損、崩壊の危険があったためか、最近補修工事が行われ、石積み堤防の面影は残しながらもコンクリートで固定されています。



鴨川は、まっすぐ正面方向に向かって流れ、児島湖に注ぎます。

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流れは緩やかで、平らな川面が湖面のように見えます。

最近、お散歩カメラとして持ち歩く事が多いOLYMPUS E-520+ZUIKO ED 40-150mm F4.0-5.6でも写しておきました。

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水面には色々な水鳥たちが憩っています。PC285755

空がだいぶ明るくなってきました。

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麦飯山の陰から、ようやく、朝日が覗き始めます。

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帰り道になると、同じ画面に収めることができるようになります。景色が、次第に陰影を増し、かなりくっきりと浮かび上がってきます。K1IM8142

沢山の丸い藁束が転がっている様は、この季節の風物詩です。ほとんどが零細な農家である郷里の方では見かけたことのない風景ですが、機械化が進んだこの地方では、収穫後の麦も稲も、この形の藁束にまとめられて田圃に転がされています。「ロールベール」と呼ぶそうです。

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今日はこれにて。


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