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これまたコアオアシシギでしょうか?の巻 [鳥三昧]

飽きもせず、ふらりと蓮田に立ち寄る日が重なっています。


前回紹介の画像はpentaxK5Ⅱ+sigma APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMで撮影しましたが、ここ2~3回は、PENTAX K1Ⅱ+sigma APO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMを使いました。車の中から写すので、多少の重さも気になりません。


この2羽の鳥、別種の鳥と思いこんでおりましたが、待てよ、よくよく思い巡らせると、どちらもコアオアシシギではないのでしょうか? K1IM0405


かなりの枚数を写しましたが、容量制限が気になって、大容量の画像掲載がためらわれます。


ずっと以前、こんな記事を書きました。


写真共有サイト「フォト蔵」へのリンクが辛い、の巻(2015-04-04)


知らないということはおそろしいもので、このso-netブログでの写真掲載の方法を悩んでいます。

ソネブロ標準の掲載方法は、見よう見まねででうまくやってるつもりでしたが、不満もありました。

その1 アップロードに時間がかかります(ちょっと休んでコーヒーを飲めばすむことですが。)

その2 容量制限(1ファイル1mb未満、1ブログの1GB未満)が気にかかります。器にはまだまだ空きがあると思っていても、直ぐに満杯になってしまうのが、世の定め。対策を考えておかねば、、と思案のあげく、思いついた素人対策は。

その1 当ブログにサブブログを設定し、そこに主として画像をストックする
→技術的には可能でしたが、手順が煩雑で、しばらく休止中。

その2 写真共有サイト「フォト蔵」に画像をストックし、それへのリンクをブログに掲載する。
→現在これを基本に実行中。うまく行ってるつもり。
---だったのですが、思わぬ落とし穴が、、。

(以下略)


上の記事に書いた写真共有サイト「フォト蔵」については、しばらく更新を怠っています。


初代ブログ ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp) にプラスして、現在は ナードサークの四季 vol.2:SSブログ (ss-blog.jp) をメインブログとして常用することで、容量制限を切り抜けようとしているところです。が、「その1 当ブログにサブブログを設定し、そこに主として画像をストックする。」という手法は、いまも実験的に使ってみたいと思っています。こちらのリンクを試してみてください。


ナードサークの貯蔵庫:SSブログ (ss-blog.jp)


最新のところではこんなページをアップしています。


シギの写真ストック箱2023.09:ナードサークの貯蔵庫:SSブログ (ss-blog.jp)


そこには例えばこんな画像を載せました。



https://kazgphpto.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_959/kazgphpto/K1IM0405-8e050.jpg?c=a0


https://kazgphpto.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_959/kazgphpto/K1IM0407-70f1a.jpg?c=a1


https://kazgphpto.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_959/kazgphpto/K1IM0398-a89b3.jpg?c=a1


気が向きましたら、ご覧ください。


今日はこれにて。


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相変わらず迷います。タカブシギ?、の巻 [鳥三昧]

9月が終わろうとしています。町内会の上半期が終り、10月1日には下半期最初の班長会があります。これに向けて上半期の会計決算を示し、下半期の自治会費徴収の準備をするのが、会計係たる私の仕事です。24日には岡山市の「クリーン作戦」があり、前日夕方から自治会役員としての仕事が何かと重なりました。


いつも嘆いております通り、数字を扱うことは私にとってこの上ない苦痛であり、その故に高校時代以来アイデンティティーとして「文系」という道を選んできた訳ですが。人生終盤にさしかかって、年金者組合地元支部の会計係に加えて、町内会の会計係まで担うことになり、青息吐息の日々が続きました。


そんなわけで、カメラを携えてのお散歩も絶えがちで、歩数もちっとも稼げません。24日(日)久しぶりに、自然環境体験公園を一周歩いてみました。


一瞬カワセミの影を見た気がしましたが、カメラを向けるいとまはありません。


被写体になってくれたのはカルガモと、カイツブリ。


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少しばかり欲求不満が残りましたので、先日の蓮根田の様子を見に行ってみました。車の中からの撮影ですので、散歩の歩数は稼げませんが、目の癒やしにはなります。


ここで目についたのは、このシギたち。次の日も出かけましたので撮影枚数が増えました。


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羽の模様が目立つことから、「タカブシギ」という名が頭をよぎりましたが、よくよく考えると、こんな過去記事のことも思い出されます。


アメリカウズラシギ?の巻


昨日の記事で,タカブシギと称して掲載した写真のうち、

https://kazg.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_59a/kazg/image/2022-10-01T18:05:23-e738c.jpg

https://kazg.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_59a/kazg/image/2022-10-01T18:05:27-d6e4d.jpg

の写真は、アメリカウズラシギでは?とM女史にご指摘を戴きました。たしかに、羽根の模様が鷹斑とは違います。 それと。体の大きさが違ったはずですが,写真にしてしまうと記憶が薄れて、いい加減な判断をしてしまうのです(汗)

図鑑と照らし合わせて見ても、ウズラシギ、ヒバリシギ、トウネンetc.の、小柄なシギが、特に見分けられません。

これらもアメリカウズラシギでしょうか?

そうだとすれば,人生初撮りとなりますが・・・

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いやはや、迷いは深まるばかりです。


羽の模様、くちばしの形などからして、今回の写真はウズラシギかも?と推量しているのですが、全く自信ありません。


そして、こちらがタカブシギでよろしかったたでしょうか?


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今日はこれにて。


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田雲雀?の巻 [鳥三昧]

シギチの種類が見分けられないと散々書きましたが、見分けられないのはシギチに限ったことではありません。この鳥は何でしょう?


田んぼにいたから田雲雀(タヒバリ)かなと安直に推量しているのですが・・・


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ビンズイにも似ていますし、ヒバリかも?とも思えて心が千々に乱れます。


今日はこれにて。


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彼岸過ぎてもなお猛暑、の巻 [日録]

「暑さ寒さも彼岸まで」という言い習わしを、さすがに侮れないと思ったのは。おとといと昨日のこと。でも今日はまた暑さのぶり返しです。

毎年この季節には郷里の裏山の栗の木や、山畑周辺の彼岸花を話題にしています。

例えばこんな記事。

彼岸のころのえとせとら(2014-09-22)

今日、22日(月)は、入院中の父親の見舞いに片道70kmのドライブ。

途中、母親が、いつものお薬を貰いにかかりつけ医に立ち寄りましたので、待ち時間、その周辺を散歩してみました。

彼岸花(曼珠沙華) のある光景をたっぷりたんのうしました。

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(中略)

父親は、大腿骨骨折の手術後2週間になりますが、徐々に回復して、歩行器での移動も慣れた由。
今日のリハビリの後には、歩行器の種類がワンランクアップするそうで、自立歩行に一歩(文字通り)近づくことになるようです。

ちょうどお彼岸のこととて、形ばかり墓参りもし、お墓のちょい先にある裏山の栗の木をのぞいてみました。

この丹波栗は、私が子どもの頃、ここにあった畑に、苗を植えた記憶があります。それが、道路造成で土地の一部を供出し、畑の面影は無くなって雑木林栗の木も何本かは切り倒したそうですが、残りが大きな栗のでは大木になっていて毎年たわわに実をつけます。

熟すと自然に実が落ちて、拾うことが出来るのですが、どっこい、ご用心。夜の間にイノシシが食べてしまいます。

ですので、明るいうちに拾っておかなければならないのですが、父親の入院で、今年はそれが出来ません。

というわけで、少しだけ拾って帰りました。

毬栗(2014-09-23)

台風が接近しているようですが、今日は強い陽射しの秋晴れ。

昨日持ち帰った栗のイガを割って、中から栗のみを取り出すのが、一苦労でした。

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鮮度抜群のこの栗の実、ナマで囓ってみても、独特の歯ごたえで、ほんのり甘味もあって美味しいです。イノシシが見逃さないわけですね。

畑仕事と栗拾い、の巻(2018-09-24)

秋雨前線の影響もあって、曇り時々雨の天気。久々に中学生のスケジュールが空いたので、孫三人と郷里の畑仕事と栗拾いに行ってきました。

墓地に近い畑です。

あちらにもこちらにも、燃える紅さでヒガンバナが咲いています。

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行き帰りの車の中から、稲穂の稔る棚田や苅田の畦を真っ赤に彩るヒガンバナが目に飛び込みますが、ちょっと停車して撮影というわけにも行きません。畑仕事の合間にも、撮影しておきたい景色は、もっとたくさんあったのですが、畑の耕耘や栗拾いの作業を終えてから、と思っているうちにやや強い雨に遭い、諦めました。

さて、栗拾いの首尾はというと、夜のうちにイノシシが貪り尽くしたあとで落ちたものを拾うことになりますから、大した量は期待できません。

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私が小学生の頃に苗を植えた栗の木ですから、相当な樹齢で、見あげるほどの大木になっています。

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熟して口が開きかけた毬もあるので、竿が届く限りは叩いて落としますが、とても届かない高さにもなっていますので、自然落下を待つしかありません。イノシシに奪われないタイミングで、日中に落ちてくれることをいのるばかりです

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持ち帰った収穫の一部です。

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あれから、年月は経ち、昨年、老父は95歳で没し、郷里では91歳の老母が一人暮らしをしています。週一回ペースで訪問していますが、孫たちも、成長に伴って、それなりに忙しく、めったにつき合ってはくれません。何より、今日は平日ですので、いつものように私と妻の二人で訪問。買い物や、畑仕事などのついでに、わずかの栗と、庭の柿を収穫して帰りました。

耕運機をかけた畑の畦に咲く彼岸花を写しておきました。

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こんなキノコが大きく育っていました。

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鳥も昆虫もなかなか見分けられませんが、キノコはさらに難しいです。思い切って食べてみる、というわけにも参りませんから。

今日のおまけです。

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今日はこれにて。


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トウネンでしょうか?の巻 [カメラ三昧]

小柄なシギがたくさん見えますが、名前がわかりません。


トウネンでしょうか?


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今日はここまで。


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これは?コチドリ?メダイチドリ?イカルチドリ?シロチドリ?、の巻 [鳥三昧]

前回記事と同じ蓮根田で写したチドリが、これまた種類がわかりません。


最初コチドリかな?と思って撮影しましたが、図鑑と見比べるうちに自信がなくなってしまいました。


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そういえば、去年の10月の初め、同じ場所で写した鳥をこの記事に載せています。


コアオアシシギ?の巻(2022-10-03)


確認できたのは、コチドリだけでした。

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コチドリは、目のまわりの黄色い「アイリング」が特徴で、メダイチドリ、イカルチドリ、シロチドリなどは、それが薄く目立たない,などと解説されています。図鑑の写真とよくよく見比べると・・・やっぱりわかりません。


堂々巡りの末、やっぱりコチドリかな?に帰着しました。


今日はここまで。


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コアオアシシギでしょうか?の巻 [鳥三昧]

採り入れの進んだレンコン田に、渡りの途中のシギチが立ち寄っているとの情報をもとに、昨日今日と,ぶらりと訪ねてみました。


コサギの姿が、たくさん見えます。


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シギチの姿も,少しは確認できました、いつまで経っても、見分けができません。


これはコアオアシシギでしょうか?


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過去記事を参照してみると・・・。蓮田のシギ、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)(2017-10-20)


これは?コアオアシシギのようです。

ぼつぼつシギチが藤田に来だしたようです。


今日はこれにて。


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らんまん外伝、の巻 [日録]

私のお手伝いしている教育相談所の会報最新号が届きました。実はそこに私の投稿が掲載されているのです。その内容は、拙ブログ掲載の5月の一連の高知・佐川町訪問記をまとめて親しい友人・地人に送ったものをコンパクトにまとめた文章です。何ら新しい付け加えはありませんが(汗)




らんまん外伝(抄)


(1)NHKの朝ドラ「らんまん」が、好評です。酒蔵「峰屋」の跡取りとして高知県佐川町に生まれた槙野万太郎が主人公。モデルは、植物学者牧野富太郎博士です。


郷里が舞台となった番組前半では「民権ばあさん」こと楠野喜江など、熱い民権活動家群像が登場しますが、若き日の牧野富太郎自身、地元佐川で自由民権運動に参画していたそうです。「高知新聞」の記事(「学問の自由を求めた政治活動」シン・マキノ伝【13】=第2部=牧野記念庭園学芸員田中純子さん執筆)をお借りします。


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「当時、土佐出身の板垣退助が指導する自由民権運動が広がりを見せる中、明治一四(一八八一)年、自由党が創設され、『自由は土佐の山間から出る』と言われるほど土佐では自由党が盛んとなった。当然、牧野も自由党員であった。牧野も政治に関する書物を読み、人間は自由・平等であるべきだという考えに共感していた。自由党の懇親会に参加していたことは、『土陽新聞』(明治一六年九月)の記事からも分かる。」


[写真は自由民権運動をしていたころの牧野富太郎(中央)と仲間たち=高知県立牧野植物園所蔵]


私ごとながら、佐川町は、学生時代、地域の「子ども会」の縁で、何度か足を運んだことがある土地ですし、親しい友人の嫁ぎ先でもあり、格別の親近感を覚える土地でもあります。


後に(「昭和」の終わりの頃でしたか)、職場の職員旅行の際、「司牡丹酒造」の酒蔵を見学し「利き酒」を楽しんだこともありました。大吟醸とか純米酒とか、色々ある酒の種類を利き分けるクイズなどもあり、全問正解で「認定証」をいただいたことがありました。実は、同行のMさんの答えをチラチラ見ながら、カンニングさせていただいた結果でした(汗)が、それなりに確信を持って書いた答えではありました。悲しいことに、近年そのMさんの訃報に接することになりました。


(2)今年の5月、久しぶりに高知を訪ねる機会がありました。学生時代のサークルの「同窓会」への参加のためです。そのついでに、佐川町に立ち寄ることができました。


先の文章で「親しい友人の嫁ぎ先」と書いた「親しい友人」とは、大学で同じ専攻の後輩で、小学校教員退職の後、乞われて二〇二一年九月の県議補選に出馬、得票率43.5%と大健闘された安田せつこさんのことです。町の中には、まだ、選挙時の立て看板が残っており、あたかも町の風景の一部と化しています。その彼女が、牧野博士ゆかりの地を中心に、佐川を案内してくれるというので、数人の道連れとともに、お言葉に甘えることにしたのです。


待ち合わせ場所のJR佐川駅前を皮切りに、徒歩で町歩きを堪能しました。佐川町は、仁淀川の中流域に位置し, 古くから清流を利用して酒造が盛んだった由。牧野博士の生家「岸屋」をはじめ、かつてはたくさん存在したという造り酒屋を統合して、いま佐川の酒造りを一手に継承している司牡丹酒造の酒蔵が、整然としたたたずまいを見せています。


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「司牡丹」の名は、佐川出身の維新の志士で、後に明治政府の高官となった田中光顕が愛し「天下の芳醇なり、今後は酒の王たるべし」の一筆を寄せて命名したものとされています。


牧野博士の生家「岸屋」跡地に、大正時代の写真を手がかりに再生されたのが「牧野富太郎ふるさと館」。博士の遺品やゆかりの資料を展示してあります。


ふるさと館を経由し、佐川城址堀跡を横目に見ながら歩くと、メインの見学場所「牧野公園」に着きます。牧野公園は、牧野博士寄贈のソメイヨシノの苗を植えたことから整備され、昭和33年に公園内の町道が完成した時に「牧野公園」と称するようになったそうです。そこに生えている種々の植物には、克明にネームプレートが標示してあり、親切なことに、今開花中の花には、「咲」と標示されているのが嬉しいです。


「土佐の野山がわしの血肉じゃ!」のセリフが真実味を持って響く、豊かな植物相が、手厚い管理のもと、見事に命を輝かせています。「雑草ゆう草はないき。必ず名がある。天から与えられ、持って生まれた唯一無二の名があるはずじゃ」「わしは信じちゅうき。どの草花にも必ず、そこで生きる理由がある。この世に咲く意味がある」―――我がネットワークの想いにも通ずる言葉です。


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一番好きな花は、亡き母が愛した「バイカオウレン」で、この花の名前を知りたいということが、彼を植物学へ誘うきっかけだったと言います。あいにく今は花時期ではなかったため、こんな姿で存在をアピールしていました。


「春先にこの子が一面に咲いているのを見ると、光の粒がキラキラしゆうようです。」とテレビで万太郎が言うごとく、あたり一面、思いもかけない大規模な群生です。花時の様子は、まさしく言葉の通りだったろうと想像されます。花はよく似ているが葉が違う「セリバオウレン」も、見事な群生を見せてくれます。


ところで、妻、寿恵子さんのモデルとなった寿衛子夫人は、困窮に耐えて博士の学究活動を支え、55歳でこの世を去りますが、没後発見した新種の笹に、博士は夫人の名を取って「スエコザサ」と名付けたそうです。夫人の墓は、東京・谷中天王寺に博士の墓とともにあり、墓碑には博士の俳句が二句刻まれているそうです。


家守りし妻の恵みやわが学び


世の中のあらん限りやスエコ笹


(3)六月のはじめ、東京で開かれた「全退教」(退職教職員の全国組織)の総会に参加して来ました。一日目の夜、結成三〇周年のレセプションが開かれ、大勢の来賓の皆さんの挨拶に続いて、参加者も地域ブロックごとに発言や出し物を発表しました。


その中で、四国ブロックの高知から、朝ドラ「らんまん」にちなんだクイズが出題され、全問正解したら賞品が出ると言います。奇しくも、高知からの参加者の一人は、学生時代の親しい友人でもあり、懐かしさが募ります。しかも、直前に「現地視察」を体験してきたこの私、自信満々で臨んだ第一問は・・・・


「主人公のモデル牧野富太郎の出身地は「四万十ブルー」で知られる四万十川流域である。○か×か。」


これを間違ってなるものかと、瞬時に反応し、これ見よがしに大きなジェスチャーでアピールしながら○を選びました・・・。が、はずかしや!!「四万十ブルー」ではなく、正しくは「仁淀ブルー」の仁淀川でした。一問目で失格・リタイアのお粗末でした。


実は、仁淀川は、学生時代、その川原で新入生歓迎の交歓会などがもたれたこともあり、なじみ深い川でもあります。最近よく耳にする「仁淀ブルー」という言葉は,その頃は聞き覚えがなかったよな、と思って調べてみますと、二〇一二年三月に放映されたNHKスペシャル「仁淀川――青の神秘」がきっかけで、カメラマン高橋宣之と番組ディレクターとの会話の中から“仁淀ブルー” (NIYODO BLUE) という言葉が生まれたものだそうです。このことは、以前、ブログネタとして調べてあったのですが、『四万十』に引っかけられてしまいました(赤面)。


今日はこれにて。


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源流は土佐の山間に?、の巻 [日録]

「中央社会保障学校from岡山」という勉強会が開かれ、初日の昨日、参加してきました。2日目の今日は居住地の自治会の用事があり、参加できません。


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「NPO朝日訴訟の会」会長の則武弁護士による「朝日訴訟のたたかいの歴史から何を学ぶべきか」という記念講演を聴きました。


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講演は、詳細な資料とパワーポイント映像をもとに、このような構成で語られます。


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「2.生存権思想の源流は自由民権運動に」では、憲法25条の条項を掲げ、その源流に明治の自由民権思想があることを指摘。その例として植木枝盛「東洋大日本国国憲按」(1881年)を紹介されました。


憲法25条

第1項

すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

第2項

国は、すべての生活部面について,社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めねばならない


「東洋大日本国国憲按」

第44条

「日本ノ人民ハ生命ヲ全フシ四肢ヲ全フシ形体ヲ全フシ健康ヲ保チ面目ヲ保チ地上ノ物件ヲ使用スルノ權ヲ有ス」


とりわけ「面目ヲ保チ」の一句は、単なる生物的な生存にとどまらず、人間としての尊厳を重視した点に注目すべきと、則武弁護士は指摘されます。


続いて同じ植木枝盛の「貧民論」(1885年9月)の現代語訳を紹介され、その思想の先駆性を指摘されました。


貧民こそが生産の担い手であり富者はその寄生的消費者に過ぎず、国家財政を支える租税も一人一人の額は少ないが人口が圧倒的に多いので全体としては重要な部分を支えているのは貧民である。
しかも、なお彼らが貧民であるのは社会的原因に起因するものであって、個人の無知や怠惰によるものではない。
政治的権利においてもいささかも差別されてはならない。


ところで、少々脱線しますが、好評のうちに展開しているNHK朝ドラ「らんまん」 で、最近、主人公万太郎と思いがけない再会を果たすことになった郷里の民権活動家(現在は代議士となっている)早川逸馬のモデルは、ほかならぬ植木枝盛だそうです。


牧野富太郎と自由民権運動との関わりについては、テレビドラマでの展開を視聴する前に,こんな記事で触れたことがありました。


春らんまん、の巻(2023-04-06)


若き日の牧野富太郎自身、その郷里で自由民権運動に参画していたそうな。

「高知新聞プラス」の記事をお借りします。

「学問の自由を求めた政治活動」シン・マキノ伝【13】=第2部= 田中純子 (牧野記念庭園学芸員) | 高知新聞 (kochinews.co.jp)


当時、土佐出身の板垣退助が指導する自由民権運動が広がりを見せる中、明治14(1881)年、自由党が創設され、「自由は土佐の山間から出る」と言われるほど土佐では自由党が盛んとなった。当然、牧野も自由党員であった。牧野も政治に関する書物を読み、人間は自由・平等であるべきだという考えに共感していた。自由党の懇親会に参加していたことは、「土陽新聞」(明治16年9月)の記事からも分かる。これより後のことであろう、やがて自由党を脱退すること
を決めた。どうもわいわい言って騒いでいるだけで、国家のためなら政治家に限 ったことではなく、学問をやっても国家のためになろうと考えたからである。そして、やめる時に一芝居をうった。それは仁淀川の美しい河原で開かれた自由党懇親会に出席した時である。席半ばにして、特別に作らせた、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のいるところへ太陽が昇る図柄の旗を押し立て、世を風刺した新体詩を歌って会場を出た。その場にいた人たちはあっけにとられたという。

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写真は自由民権運動をしていたころの牧野富太郎(中央)と仲間たち=高知県立
牧野植物園所蔵


高校3年生の半ば過ぎ頃から、日本史の授業が近・現代に入り、ちょうどその頃読んでいた住井すゑ「橋のない川」(今井正の映画を学校行事として鑑賞したのがきっかけでした)の時代の空気感と重なる思いがして、中江兆民とその弟子植木枝盛、とか、「幸徳秋水名はデンジロー」といった人たちの名が、特別に親近感を持って胸に刻まれた記憶があります


自由民権運動や植木枝盛については、10年前のこの記事など、当ブログでも度々話題にしたことがありました。


高知の夏は、静かな雨だった。(2013-08-25)


石段の登り口に、板垣退助の像があります。明治維新、自由民権運動といった、「歴史」の出来事が、この地の同じ空気のもとで展開されたのだと、改めて感じさせられます。近代日本の巨大な動輪が、この地の若者達のエネルギーによって大きく前へと転がされたのです。
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昔、大学受験にこの地を訪れたときの心境を、後に歌にしてみたことがあったのを思い出しました。   
この土を維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや   
中江兆民や植木枝盛など、像を建てて顕彰されてはいませんが、見落とすことのできない思想家達も、この地の懐に抱かれて、自由壮大な進歩思想を紡いだのでしょう。
この前の衆院選・参院選の愛媛選挙に、続けて出馬して奮闘した植木正勝さんは、大学入学当時、「植木正勝が植木枝盛になるについての労働の役割」というダジャレめいた題の小文を、サークルの半ば私的な文集に寄せていたことを思い出します。


夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)(2016-08-29)


途中こんな碑がありました。


さすがに自由民権運動のメッカ。日常の当たり前さの中に、ごくさりげなく、数々の歴史の刻印がしるされていることに驚きます。
そういえば、昔、受験生時代の心境をこんな歌にしてみたことがありました。(◆悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)参照 )   

この土を 維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや


「自由は土佐の山間より出づ」は、明治10年の立志社機関誌「海南新誌」創刊号に掲載された植木枝盛の文章に由来するそうです。




則武弁護士の記念講演は、全体において興味深く、逐一ご紹介したいところですが力が及びません。


一気に「7.おわりに」へ飛びます。ここでは朝日訴訟・最高裁での新井弁護士の陳述が紹介されるのですが、それはまさに、植木枝盛の「貧民論」の主張と、時空を超えて響き合うのでした。


(生活保護の目的は)資本主義経済の必然として大量に生み出される貧困層、いいかえればいくら努力しても能力を尽くしてもなお社会のしくみから不可避的に貧窮に陥ってゆかざるをえない多数の失業者・潜在的失業者・零細労・農・魚民たちに対し、(中略)あらゆる施策を講じて人間らしい生存権を保障しようとするところにあるということである。
   つまり今日の貧困は、個人的、偶発的な原因によって存在するのではなく、したがって貧困の解消と生存権の保障は、かかる社会的問題する社会的配慮ないし国家的施策としてなされなければならない必然性を有するのである。

そしてまた、ここにこそ国民の生存の保障が国家の恩恵ではなく、国民の権利、国民の義務としてなされるべき契機が有するといわなければならない。


20歳代の若さで、朝日訴訟の原告代理人となり手弁当でたたかった「新進気鋭」の弁護士新井章さんのお写真の若さに、本筋から離れた感慨を覚えました。


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新井章弁護士について、かつて触れたことがあったはずと思って探してみますと、こんな記事を書いたことがありました。


続すっかり忘れてました、の巻(2021-02-19)


先日の記事で朝日茂さんの『人間裁判』を話題にしました。これへのgonntan様のコメントに「この国では上級審にいくほど低級に、裁判官があからさまに国におもねるようになるという事実。自らの出世しか見えなくなるんでしょうね。それでいて、被害者に寄り添っているように言葉を弄する。良心に恥じる気持ちがあるんでしょうけど・・力にはならない。」といただきました。まったく同感と申し上げるしかありません。残念なことです。

朝日訴訟の浅沼(武)判決(1960年10月)、家永訴訟の杉本(良吉)判決(1970年7月)、そして近年では「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」と明言して大飯原発(福井県)の運転差し止めを命じた樋口(英明)判決など、正義と公正に根ざした勇気ある判決が思い浮かびますが、それらは概して下級審の判決であって、上級審になるにつれて姿勢が後退しがちであることはよく知られています。しかも、このような勇気ある判決を下した裁判官の多くは、「見せしめ」的に左遷され後に続く者たちをすくませる材料にされるというのも、どうやら、かの業界では常識としてまかり通っているそうな。この国の情けない一断面というしかないですね。

公正と真実はとりあえず飾り棚の上に置き、まずもって「上」の意向を忖度すること、政治的力関係を『わきまえ』ることを至上の価値とし、出世と保身に汲々とするヒトタチからすれば、青臭く、融通がきかず、気に触るにちがいないこの勇気ある判決が少数ながらも存在するからこそ、司法への国民の信頼と希望のかろうじて保ち得ていることは、間違いのないところでしょう。

朝日訴訟における浅沼裁判長の判決を一部引用します。

「最低限度の生活」、すなわち「健康で文化的な生活水準」は、単なる生存の水準でなく、複雑な生活の基準であるから、算数的な明確さをもつて明らかにされる性質のものではないけれども、社会的、経済的な意味では客観的、一義的に存在するものというべきであるし、又それは時と場所をこえて絶対的に存在するものとまではいえず、各国の生活様式や生活水準により、あるいは年々の時代的、歴史的な発展段階に応じて相対的に決定されるものではあるが、さりとて変転常ならず一義的には決せられない性質のものではなく、特定の国の特定の時期的段階における生活状況の中ではやはり客観的、一義的に存在し、科学的、合理的に算定可能のものと考えられる。したがつてそれは年々の国家の予算額や政治的努力の如何によつて左右されるべきものでないことは当然である。しかして被告の定めた保護の基準によると、原告のように入院入所3ケ月以上の要保護患者は生活扶助として、1カ月当り金600円を最高限度とする日用品費が支給されることになつているが、1カ月当り金600円では後述の補食費を日用品費から除外するとしても、原告ら要保護患者の健康で文化的な生活の最低限度を維持するに足る費用を著しく下廻り、要保護者の年令別、性別、その他保護の種類等に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものとはとうていいえないのであるから、右基準は生活保護法第3条、第5条、第8条第2項に違背するものというべく、右基準に基いてなされた本件保護変更決定は違法である。

素人の私の胸にもストンと落ちる、血の通った判決です。ネット上に、朝日訴訟も家永訴訟も弁護団の一人として担当され、「人間裁判」という名称の考案者・名付け親でもあった新井章さんの証言が、NHKのアーカイブスの中に収録されています。浅沼氏ら東京地裁の三人の裁判官が、遠く岡山県・早島町の療養所まで臨床尋問に訪問したときのことが印象的です。

その浅沼さんたちと一緒にちょうどこれは朝日さんの部屋ですから、3年ぐらい前に最初に訪ねた時の朝日さんの証言の最後の段階は、最後のステップでは、裁判長がいろいろ裁判に関わるお堅い内容の質問を朝日さんにして、彼が証言したあとに、朝日さん今何か欲しいものがありますか、あるとすればどういうものが欲しいですかって、ちょっとそれまでの堅い質問に比べると最後の柔らかい質問をしてくれたんですね。したら朝日さんがちょっと意外だという顔をして、そんな優しい丁寧な質問、ゆるやかな質問をしてくれるのかという顔をして、「そうですな、たまにはバナナとかうなぎのかばやきを食べてみたいですな」って、そういう証言をしたんですよ。私今日のためにね、この書物も記録も読み直してきたけれど、さすがにね、バナナとうなぎという言葉は証言記録の中にはとってくれてなかったようですけれどね。ただこの場にいたもの、それから窓からのぞいてこの様子を見ていた多くの患者さんたちは、その最後の朝日さんの非常に悠揚迫らざる、「許されればバナナとかうなぎのかばやきなども食ってみたいですな」っていう、その言葉に感銘を受けたんですね。つまりそのぐらい日々の生活保護患者の生活っていうのはつましいし厳しいわけですよ。バナナなんていうのは夢のまた夢、うなぎのかばやきなんていうのも頭の中をかすめて通る存在。もし裁判長が本気であんた何か私の原告、朝日茂のために骨を折ってくださるとすれば、例えばそういう栄養価の高い少年の頃から夢だったバナナとかかばやきを食べてみたいってそういうふうに言ったんですよ。っていう話はね、多くの人が記憶しているんですね。

文字通りの「人間裁判」---裁く側の裁判官も、誠実な生身の人間であったのだと、胸を打たれるエピソードです。

ところで、この新井弁護士は、私たちの教職員組合運動においても顧問弁護団の一人としてお世話になった方で、若い頃(私は30歳前後の青年の頃で、新井先生も確か50歳そこそこの壮年でした)、しかるべき会議の場などで近い場所でお目にもかかりお話しも交わしたことがありました。すっかり忘れていましたが、今この懐かしいお名前に接し、ひそかに感慨を覚えているところです。


  


則武記念講演では、新井章弁護士が、同時期に、朝日訴訟とともに「砂川事件」の弁護団としても奮闘し、「大砲かバターか」のせめぎ合いの中で、国家権力と対決してこられた姿を強調されました。「砂川事件」についてウィキペディアはこう解説しています。


東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年(昭和34年)3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)ことで注目された(伊達判決)。


検察側は、直ちに最高裁へ「跳躍上告」(ちょうやくじょうこく=第一審判決に対し、控訴を経ずに最高裁判所に申し立てを行うこと)し、最高裁大法廷は、「(憲法9条が)禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)などとして原判決を破棄し地裁に差し戻しました。当時の田中耕太郎最高裁長官は、駐日米公使らと密談し、上告審判決の見通しなどを述べていたことが。米国内の公文書で明らかになった(朝日新聞2013年4月9日記事)という衝撃の事実は、日本の支配権力の醜悪で救いがたい対米従属性・反国民性を象徴するエピソードであり、忘れてはならないと思いました。


私にとっては、新井章弁護士といえば、家永教科書裁判の弁護団の一員としての献身が、まず思い出されます。




以下、蛇足です。


今日書こうと思っていたこととかなり重複する内容を、8年も前のこの記事に書いていたことに気づきました。岡山県でも年金裁判が始まった年です。


「年金裁判」は何に貢献するか?の巻 (2015-09-26)


今日の午前中、「年金引き下げ違憲訴訟を支援する岡山の会(略称年金裁判を支援する会)」という会の設立総会が開かれるというので、おっとり刀で駆けつけてみました。

予想を超えて会場は満席で、開始時間30分以上前についたのですが、かつての同僚(先輩)の方を初め、面識のある顔ぶれも、つぎつぎとおいでになり、懐かしく、また、心強いことでした。

(中略)

「支援する会」設立総会での、印象に残った点をいくつか書き留めておきます。
○「訴状」はこの裁判の目的と意義についてこう述べています。
「原告らは、年金世代が憲法上の年金制度のあり方を問うことを通して、憲法が定めるこの国のあり方を明らかにし、次世代の人々が、本当に人間としての尊厳が守られ、人間らしく、安心して暮らせる平和で豊かな世の中にすることに貢献したいと考えている。これが本訴訟の目的であり、意義である。」
年金世代である自らが、その責任として、年金制度のあり方を問うのですが、真に求めているのは、次世代の人々が安心して暮らせる世の中に貢献することだというのです。私、これには全面的に賛成です。年金問題は、決して現在の高齢者の問題ではなく、将来の高齢者、つまり今の現役世代・若者の問題なのですね!
○「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した憲法25条を裁判で争った典型は、「人間裁判=朝日訴訟」でしょう。原告の朝日茂さんは、岡山県の人です。
ところで、朝日訴訟について、私は25年も前のある機会にこんな文章を書いたことがありました。

倉敷市に隣接する都窪郡早島町王山の麓に、「人間裁判」記念碑がある。
重度の肺結核を病み生活保護を受けながら、国立岡山療養所早島光風園に入院していた朝日茂が、生存権の保障を求めて裁判を起こしたのは1956年のこと。
この裁判は、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」の内実について、国民的な問題意識を喚起し、広範な支援が寄せられたが、裁判は長引き、64年2月、茂は最高裁判決を待たず50歳の生涯を閉じた。
訴訟は、養子の健二・君子夫妻によって引き継がれたが、67年5月、最高裁は「本件訴訟は...上告人の死亡によって終了した」として上告棄却した。
「朝日訴訟は、今では日本の夜明けの原動力であります。この訴訟は、人間の生きる権利、生命の尊厳をまもりとおすことを主張するものですが、それは個人のちからでは決してできるものではありません。わたしたちみんなの力で、日本の夜を明けさせましょう」(口述筆記による茂の「遺書」の一節)
朝日訴訟関連リンク1
朝日訴訟権連リンク2
朝日訴訟関連リンク3
朝日訴訟関連リンク集4

○朝日訴訟を成り立たせたのは、原告の朝日さんご自身と弁護団の献身的な奮闘に加えて、「患者同盟」をはじめとする支援者の奮闘だったと、「支援する会」呼びかけ人のお一人、社会保障推進協議会の川谷さんが仰っていました。
朝日さんは、当時600円の生活保護費が不足だとして、1000円を要求してたたかいました。いかにその数値が現実妥当な根拠ある金額かを明らかにしていくうえで、患者同盟は、入院患者の詳細な調査などを踏まえて、病院食だけでは健康を維持できないこと、統計的に入院患者の捕食費が1000円程度であることからも、要求が妥当であることを明らかにしていったそうです。裁判が、単に原告の「たたかい」であるだけでなく、支援者と共に取り組む運動であることの一例。心に残りました。
○弁護団長則武透さんの講演:メモ1
朝日さんの死の直前の言葉。
・私は小林多喜二の小説「一九二八年三月一五日」の一節に、エピソードとしてある蟻の話に深い感銘を受けずにはおられない。
・朝日訴訟、人間裁判の戦いが、いささかなりとも、日本人民の一つの割栗石となれば、もって瞑すべきであると思う。
多喜二の「一九二八年三月一五日」にある蟻のエピソードとはこれです。

自分達の社會が來る迄、こんな事が何百遍あつたとしても、足りない事をお由は知つてゐた。さういふ社會を來させるために、自分達は次に來る者達の「踏臺」に
なつて、××××にならなければならないかも知れない。蟻の大軍が移住をする時、前方に渡らなければならない河があると、先頭の方の蟻がドシ/\川に入つ
て、重り合つて溺死し後から來る者をその自分達の屍を橋に渡してやる、といふことを聞いた事があつた。その先頭の蟻こそ自分達でなければならない、組合の
若い人達がよくその話をした。そしてそれこそ必要なことだつた。

○弁護団長則武透さんの講演:メモ2
憲法25条は、明治の自由民権運動家植木枝盛の「東洋大日本国憲法案」の「人民ハ生命ヲ全フシ、四肢ヲ全フシ、形体ヲ全フシ健康ヲ保ツ」という一文を参考に、憲法研究会(高野岩三郎、鈴木安蔵ら)の案「国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有スル」が作られ、1945年12月新聞発表と同時にGHQに提出された。戦勝国の「押しつけ」という言い分は当たらない。
---因みに、私の過去記事で、二度ほど植木枝盛にちょっとだけ触れたことがありました。
一昨年、高知市を訪ねた時のこの記事と、この記事です。
○弁護団長則武透さんの講演:メモ3
年金訴訟は、立憲主義を守る重要なたたかいの一つだとして、SEALDsのホームページの一節を紹介されました。もちろん、この「夏の陣」の関心の的ですので、斜め読みはしていましたが、改めて一言ずつ噛みしめて読んでみると、やはりスゴイ。大賛成です。

私たちが望むのは、格差の拡大と弱者の切り捨てに支えられたブラックな資本主義ではなく、豊かな国民生活の実現を通じた、健全で公正かつ持続可能な成長に基づく日本社会です。私たちは、多くの国民の生活を破壊しかねない現政権の経済政策に反対します。そして、公正な分配と健全な成長政略を尊重する政治を支持します。

若者の中に、このように健やかな未来社会への志向が、健全に育っている事実は、大きな励ましであり、私のみならず会場の多くの人が目頭を押さえて聞きました。
「支援する会」設立総会の記事。事実だけを記載して、あっさり終わるつもりが、書ききれず、最後までまとまりがつきません。まあ、ことは、はじまったばかりなので、また続きを書く機会もありましょう。


胴体よりも長い足になってしまいました(汗)


今日の付録。


明け方の風景。湿気が多く、また暑い一日になりそうです。


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早朝、たまたま通りすがりのお宅の駐車場側に、朝のアゲハがくつろいでいました .


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今日はこれにて。


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秋空に清らに響く鐘の声、の巻 [日録]

今日は9月9日です。

地元「9条の会」のお仲間で、フェイスブック友達でもあるQさんが、こんな投稿をされていました。


2023年9月9日9時9分平和を祈って鐘をつきました。お寺の住職さんのご協力をいただいて9つの鐘をつきました。参加したみんなで記念の写真を撮りました。世界の平和と生活の平穏を祈って!ありがとうございました。合掌。

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実は去年の今日も,こんな記事を書いていました。

人の牛蒡、の巻

ここのところ、公私にわたって諸事多端で、ブログ更新をついつい怠っています。

昨日、9月9日は、地元九条の会の『九の日行動』として、お寺の鐘を撞かせていただきました。

過去記事にこう書きました。

九の日の九つの鐘、の巻(2021-09-09)
2019-09-09の記事にこんなことを書きました
9重なり、の巻(2019-09-09)

今日は重陽(ちょうよう)の節句。
古代中国に始まる陰陽説では、万物を「陰」と「陽」とに区分し、静的・安定的なものを「陰」、能動的・活動的なものを「陽」とするそうです。
数字にも陰と陽があり、偶数は陰、奇数は陽とされます。「偶数」は安定していてそのままで完結しているが、「奇数」は二で割り切ることができず、常に変化し発展する性向を持つからだそうです。
中国では、その陽の数の内で最も大きい9が重なる9月9日を特別にめでたい日とし、菊の香りを移した菊酒を飲んでて邪気を払い長寿を祈る習慣がありました。

(中略)

9月9日というめでたい9重なりに、もう2つ9が重なった午前9時9分、こんな催しが企画されました.

(中略)

2019年9月9日9時9分に、9回鐘をつこうというのです。

9つの鐘の音に込められた思いを、案内チラシから引用します。

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(中略)

わが地元の「九の日行動」のジンクスで、昨日の雨が嘘のように、今朝は快晴。陽射しはつよいが、秋めいた澄明感が快い朝でした。

さて、何やら思わせぶりな、今日のタイトルのココロは??

こんなことわざにちなんだ自嘲です。

人の牛蒡で法事する

読み方
ひとのごぼうでほうじする

意味
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをするという意から。


今年もまた、Qさんの投稿をお借りして、9の日の記事とさせていただきます。

そうはいっても少しはオリジナルな部分も付け加えておくことにします。

集合時のご挨拶。

住職も終始私たちを見守り、懇ろなご挨拶も寄せてくださいました。

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最長老のAさん〈92歳)から、順に鐘を撞き鳴らします。

打鐘を終えて記念撮影。住職夫人がシャッターを押してくださいました。

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帰り際、住職が一同の注意を、お寺の軒下の方へと向けてくださいました。見ると、鳩が巣ごもりをし、雛を育てているのだそうです。

まず後ろ姿が確認できました。可愛いキジバトです。

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「こちらのアングルから見ると、よりよく見えますよ」とおっしゃるとおり、顔がはっきり見えます。

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持参カメラは,ペンタックスx5ですから、ちょっと望遠が効きます。

ノートリミングです。撮影時にファインダーの視認性がいまいちなので、目を小枝が隠していルことに気づきませんでしたが、ご愛敬・・・

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平和の象徴の鳩が安らかに雛を育てている様子を,喜ばしいこととして,住職は私たちに示してくださったのでした。


追伸
私のメインパソコンは,この記事にも書いたとおり、「改造」に「改造」を重ねてきたwindows7→windows10機であり、一通りの作業もデータ保管もこれで完結しているつもりでした。

「予期せぬエラー」騒動、の巻

が、何かと作業の遅滞をストレスと感じる機会が多くなる中で、せめて画像処理とホームページ作成作業だけでも快適にこなしたいと、今年の6月、windows11パソコンを中古で購入。別室の片隅に置いて、限定的な用途に絞って使い分けるつもりでいたのですが、なかなか目論見どおりにはいきません。

誘惑に耐えきれず、新入り機をメインの座に据えようと思い立ち、ここ2・3日、場所の移動と環境の設定に腐心しているところです。

やはり最低限、WORD、EXCEL、一太郎などのほか、旧パソコンに導入してあった諸ソフトは、入れておかないと不便・・というわけで、それらを一通りそろえるのも難儀です。そしてブログ投稿ソフトとして、やっぱり不可欠のopen Live Writerのダウンロードとインストールも。何かと手間取りました。

そんなこんなの苦闘の末、この記事は、とりあえず新入りマシンで作成しました。

あと、日常の諸業務をそれなりにこなそうとすると、旧マシンに保存してある各種データを参照したくなります。そのため「家庭内lan」を利用しての「ファイル共有」という方法が頭にひらめくのですが、windows95→98→2000→XP時代には不自由なく実用していたこの方法が、今や高いハードルになっています。今、プリンタの共有までは成功していますが、肝心のファイル〈フォルダ〉共有がどうにもうまくいきません。

今日はここまで。


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空は秋色、の巻 [日録]

フェイスブックが、おなじみのサービスで、2015年の今日9月五日の投稿を思い出させてくれました。


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このネタは、こちらの過去記事です。


あれ見たか 二つ蜻蛉の ハート型、の巻(2015-09-04)


今年もこの季節、散歩中にこの花を見つけました。

(中略)

ルコウソウについては、以前こんな記事を書いたことがありました。
朝顔と思うておった縷紅草
鏡花忌に二つ蜻蛉も艶めくや
ふと見ればヒガンバナ咲く野良の道
懐かしの生徒句集も最終回、の巻
鏡花忌に二つ蜻蛉も艶めくやで書いた記事を少し引用させていただきます。

昨日、九月七日は泉鏡花の忌日だそうです。

先日、この記事で縷紅草(ルコウソウ)とおぼしき赤く可憐な花を話題にしたところ、 ふゆん様からいただいたコメントで、泉鏡花を思い出させていただきました。

鏡花が亡くなる2カ月前に「中央公論」に発表した「縷紅新草」」は、鏡花最後の作品=絶筆となりました。

縷紅新草

縷紅新草

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版


(中略)

この「縷紅新草」という題名は、夏に小さな赤い花を咲かせる縷紅草に”新”を加えた鏡花の造語で、登場人物の儚い娘を連想させます。

「縷紅新草」は、こんな不思議な歌で始まります。

あれあれ見たか、
あれ見たか。
二つ蜻蛉(とんぼ)が草の葉に、
かやつり草に宿をかり、
人目しのぶと思えども、
羽はうすものかくされぬ、

(中略)

相も変わらぬ、二番煎じの発想ですが、きょうは、イトトンボの「二つ蜻蛉」をご紹介します。
ハート型に見える、という説もありますが、いかがでしょうか?
草の葉に止まるハート型のイトトンボ
草の葉に止まるハート型のイトトンボ posted by (C)kazg
草の葉に止まるハート型のイトトンボ

草の葉に止まるハート型のイトトンボ posted by (C)kazg

(以下略)


偶然ながら、昨日の散歩でも、ハートイトトンボに出会った記事をかきました。


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ところで今日も、機材ネタがつづきます。


ほぼ毎週、老母が一人で住む田舎の実家へ、ちょっとした農作業や買い出しの手伝いのために出かけています。今日は、遠隔地から帰省中の大学生の孫も、一緒にでかけ、少々野外仕事の手伝いをしてくれました。特段のお散歩もできませんが、このたび新たに中古で入手した旧世代カメラPENTAX istDLを連れて行きました。どんなレンズを試してみようかと迷いましたが、SMC PENTAX-F FISH EYE 17-28mm F3.5-4.5(中古)を引っ張り出してみました。この記事でも紹介した魚眼レンズです。


レンズ三昧、の巻:ナードサークの四季 vol.2:SSブログ (ss-blog.jp)(2022-08-01)
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普通の空が、魚眼効果で天球になります。


ズームを操作すれば、湾曲具合が調整されます。


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上の引用は、フルサイズ機であるPENTAX K1による「作例」ですが、istDLでは、おとなしい広角レンズとして使えまいかと思ったのでした。


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台風の余波でわずかな雨や少しばかりの風の影響はありましたが、あいもかわらぬ35度超の炎暑に辟易させられます。ただ、空の色は、すっかり秋ですね。


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ニラの花とアゲハ。 トリミング画像です。


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今日はこれにて。


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あてどなき「お散歩カメラ探求」、の巻 [趣味]

面倒なパソコン仕事が少し片付いたようです。一つは、以前書いたこれらの記事と同じく、大の苦手の会計処理。


畑仕事と灰色の事務仕事、の巻(2016-09-21)


今日の作業は、もう一つ。お手伝いしている年金者組合支部の会計処理。大の苦手分野です。領収書その他を整理して、一年間の決算と次年度予算を仕上げ、近く開かれる支部大会にそなえます。
せっかくの秋晴れを横目にしながら、室内での作業に追われて、今日は散歩ができませんでした。


     

諸事多端、の巻(2021-08-12)


孫たちの夏休みは、ジジババにとってはそれなりに忙しいです。年は重ねても、夏休みは忙しいです。幼少時ほど、みっちり託児所業務に携わる必要はなくなりましたが、小学生は夏休みの宿題を持って我が家に滞在しますし、中高生にも、昼ご飯を提供すべき日も多いですので。

それとは別に、退職者の身には、平日休日の別なく「貧乏暇なし」を痛感することが多く、とくにこのところなぜだか忙しく、スケジュール帳をめくるとこんな有様。

(中略)

8月3日 年金者組合地元支部の定期総会。これにあわせて会計処理とか、活動経過のまとめとか、なかなか手間暇と気疲れを伴う作業が必要で、かなり消耗しました。


上の記事から読み取れますように、年によって大会(総会)の開催日程がまちまちなのは、主に準備(特に会計処理)の進捗具合によるもので、皆様にご迷惑をおかけします。今年は9月の中旬過ぎに予定しており、なんとか準備が整いました。


ほかにも、停滞中だったパソコン仕事が二つ三つ片付いて、少しゆとりが生まれましたので、久しぶりの記事更新です。




さて今日の記事。意味不明の奇妙な表題のココロは?


つらつら思い返すに、私の過去記事における機材ネタの中心テーマは、どうやら「理想のお散歩カメラさがし」であったかもしれません。最初から被写体が絞られている撮影には、広角、望遠、マクロなどなど、相応の「装備」で望むのですが、私が求めるお散歩カメラの場合は、軽快コンパクトで、しかも一定程度の写りの水準を確保しながら、あらゆるシチュエーションに対応したい、そして、資金投資はあくまでも小遣いの範囲で、という欲張りな注文に応えるための堂々巡りを繰り返しているように思います。


ところで、私の中で一応完結していた到達点は、フィルム時代のPENTAX Zシリーズに、タムロン28-200mmというお便利ズームレンズのコンビだったことを、最近続けてご紹介したベトナム旅行の写真から思い出しました。これで、日常生活で遭遇するほとんどの場面に対応でき、ほとんど不都合を感じなかったのでした。鳥撮りとか、特別のマクロ撮影とかには、別のアプローチが必要でしたが。


その後デジタルの時代になり、APS-Cのイメージセンサーサイズでは、28mm始まりでは広角が弱く、18mm始まりのレンズが必要となりましたが、金銭的理由から、ようやく手が出る18mm-125mmを、しばらく使いました。事情は、この記事のごとくです。


晴れたるも曇りたるも佳し夏散歩(2014-07-14)


k10+シグマ18-125mm。
このレンズは、istDのために デジタル用途で最初に買ったレンズです。デジタル一眼は、レンズ交換時に撮像素子にゴミが入りやすいので、交換は避けた方がよいと教えられ、一本でまかなえるレンズをと、購入。フィルムカメラで使っていたtamron28-200を流用することも考えましたが、広角が弱いので。

望遠域が125mmでは物足りないのですが、200mmをカバーするレンズは価格的に手が届かないので、これで我慢しました。

結果オーライで、よく活躍してくれました、、、が、最近は何かと出番が減りました。

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その後、価格もこなれたので、tamron18-250mmを中古で購入し、かなり頻繁に利用したのですが、ついにこんな有様になってしまい、使用不能となりました。


トホホの続き、の巻(2022-07-30)


携行したのは、Pentax K 30 にタムロン 18 -250mm 。 その日に出会うような大抵の被写体は、 18-250mm の ズーム域で 事足りる つもりだったのですが、 どういうわけか、このレンズ、いざ使おうとするとレンズが 18mmの最広角域で固定され、 ズームが少しも動かなくなってしまいました。 ロックボタンが付いているのですが、これを解除してもなおりません。 広角域の写りは それなりに 満足のいく 出来栄えですが、 高倍率レンズとしては いくらコンパクトな 機種 とはいっても、 広角撮影だけのために このレンズを持ち 歩くのは 鶏を割くに牛刀を用いるの類で、 いささか滑稽でもあります。(中略)

    

このレンズ、私にとって必要不可欠であるかどうかは確信が持てませんが、しかし便利なレンズであることは間違いがないので 、 しばらく 迷った末に 、カメラ屋に修理依頼をすることに しました。
店頭に持ち込み、修理の 相談をすると 店員さんが早速 メーカーと連絡を取ってくれました。修理 が可能かどうかの確認をしてからメーカー送りにするのが よかろうとの配慮からでした。 その時のメーカー側の返事は、 古い製品なので、 部品が 保管してあるかどうか確認したうえで、改めて修理可能かどうかの連絡をする とのことでした。 修理が可能なら メーカー送りにするということで、店頭預かりをお願いして帰りました。

と、その日のうちに カメラ店から電話があり、メーカーには 部品が無く修理不能との由。 お預かりしてるレンズはそのままお返しします とのことでした。

カメラ店を訪ねる前は、敢えて修理代金をかけてまで 修理を依頼するかどうか という点では悩みましたが、 修理不能という結論は想像もできませんでした。 古い製品とはいっても、私のなかでは比較的新しいレンズのつもりでした。

上のメーカーサイトの情報によると、と2010年に生産終了 となっているようです。なるほど10年以上も前の製品なら、部品がないというのも成り立つのでしょうかね。
ところで、私が購入したのはいつだったか、気になったので調べてみました。amazon, 楽天 ,YAHOOショップ,キタムラカメラなどの購買履歴をしらみつぶしに確かめたのですが、見つかりません。(YAHOOショップは、7年以上遡れないのでそれ以前の購入だと履歴に記載されていません)

ネットオークションの記録も、以前は履歴がたどれたような覚えがありましたが、現在のシステムでは、ごく短い期間のものしかたどることができません。一つのアイデアとして、取引相手からの「評価」を丹念にたどっていけば取引商品名も記録されているはずと、何年間かにわたってネット取引の記録をたどり記憶を飛び起こしては感慨に浸っては見たのですが、これも徒労でした。
ちなみに、私のブログでこのレンズが登場するのは、どうやら2014年頃からのようです。たとえばこんな記事の前後が初出のようです。

夕焼け その4(2014-10-20)

夕焼けシリーズも4回目になります。

昨日の夕方、町内のはずれまで散歩の足を伸ばしました。

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空と川を染めて夕日が西に傾くのを、橋の上から見るのが好きなのですが、歩くとちょっと遠い。車だと、駐車場所に困る。自転車で行くのが便利です。でも、「散歩が主、撮影はついで」というコンセプトを改めて確認し、敢えて歩くことにしました。

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(中略)

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上の写真は、pentaxk5+タムロン18mm-250mmで撮影しました。


疑問を残して終わるのも目覚めが悪いので、2013年から2014年頃を中心に、当時の着信メールを逐一ひもといてみることにしました。すると、ようやく、2014年9月18日(木)付のメールで、ネットオークションの取引の記録をみつけだすことができました。

kazg様

おめでとうございます!
商品「★超美品!★ TAMRON AF 18-250mm F3.5-6.3 Di2 A18 PENTAX♪★」を落札しました。

※このメールは今後必要になる場合がありますので、必ず印刷または保存しておいてください。

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┃■落札したオークションの情報
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商品:★超美品!★ TAMRON 18-250mm F3.5-6.3 Di2 A18 PENTAX♪★
オークションID:◎◎◎◎◎◎◎◎
終了日時:9月 18日 22時 51分
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希望数量:1
落札数量:1
落札単価:16,500 円

私にとっては、それ以来8年弱の付き合いになります。ちょいとしたお出かけの時などの常用レンズとしてしばしば使用し、当ブログにも頻繁に撮影画像を載せました。我が家のレンズの中では比較的新参者で、深い愛着を覚えるまでには至っていないのも事実ですが、使えなくなってみるとしみじみ残念さがつのります。

たちまち、ちょっとしたお出かけ時の常用レンズをどうするかに悩みます。


     かかる状況は今なお変わらず、TAMRONまたはシグマの18-250mm をもう一度中古で買おうか、それとも望遠域270mmまでのズーム機を、PENTAX純正も含めて探そうか?などと、中古ショップやヤフオクの情報をしばしばチラ見しながら、決心がつかず今日に至りました。


そうこうするうちに、PENTAX k1Ⅱをお散歩に持ち出す機会もしばしばある中で、フルサイズ機であるならば、28mm始まりのZOOMレンズも、広角は十分ではないか?昔使っていたTAMRON28-200mmでも便利だったが、その後ポピュラーになったTAMRON28-300mmはお散歩用に使えないだろうか?などという悪魔のささやきが聞こえてくるようになり、ネット情報を探るうちに、TAMRON28-300mmとPENTAX istDLをセットにしたオークションが一万円ちょいで出品されていました。今更画素数わずか600メガピクセルの、旧機種に何の価値があろうか?最初に入手したデジタル一眼istDが、経年とともに性能的にも見劣りするようになり、いくつかの不具合を口実に買い換えたことを忘れたのか?しかも、istDLは、その初代istDの廉価版で、機能も性能も格下なのに・・・、と、理性の声は解くのですが、ついポチってしまいました。高額入札者があらわれてくれたら諦めようと、イヤむしろ品物を手に入れた後でトホホの気持ちに苛まれるよりは、高額入札者があらわれてほしい、とまで思ったのですが、幸か不幸から落札してしまい、昨日商品が届きました。


今日の記事、トホホ話となるか自慢話にできるか、紙一重のところですが、ともかく「作例」をご覧あれ。


まずは、istDL+TAMRON28-300mm。最大望遠域の300mm付近で写すと・・・


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これは、昨日の日曜日来訪中の3歳児の孫がばあばとともに捕まえたちょうちょを、部屋の中で逃がしてやったところ、天井の照明器具の傘のところに止まった様子。ノントリミング画像です。APS-Cカメラで300mmだと、相当の望遠効果が生まれますね。低感度には強くないistDLですから、室内の暗さで、写りはいまいち不満足ですが、ルリタテハであることはお分かりいただけるでしょうか?


当初の目的であるk1Ⅱで試してみますと・・・


300mmでも、そのままでは豆粒ほどの小ささになりますので、かなりトリミングしています。精細度ではやはり当然ながらk1Ⅱが上回るようです。


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istDLを生かす道はないかと、SMC pentax DA1:1.8 50mmをつけてみます。


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やはり屋外の撮影のほうが性能を発揮できるかもと、今朝の景色を写しててみました。やや広角のSMC pentax DA 35mm(f2.4)を使いました。


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ccdカメラの味、とまで言い募る気はありませんが、心地よい画像です。


istDL、しばらく使ってみます。


さて、本来のテーマである「お散歩カメラ」の首尾は?


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広角域の写りは満足できます。


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中望遠域(135mm)もOKでしょう。


このレンズ、正式名称はAF 28-300mm F3.5-6.3 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO (Model A061) といいます。つまり、”MACRO”の名が冠してあるように、最短撮影距離が0.49m(全域)と謳ってあります。しかし、実際にはマクロ撮影は、なかなかピントが合ってくれません。


でも、これくらい写れば良しとしましょうか。いずれもトリミング画像です。


ツマグロヒョウモン♂


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イトトンボ


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ハートイトトンボ


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若スズメ


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ツチガエル


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秋の作物のために耕した畑に、たくさんいます。


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今日の散歩でもカワセミに会いましたが、ちょっと遠く、なかなか鮮明には写りません。かなりトリミングしてもこの大きさです。フルサイズ機では、300mmレンズでの鳥撮りは、やはり難しいようです。


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結論的には、pentax k1Ⅱ+TAMRON28-300mmという組み合わせは、「お散歩カメラ」として、アリだと思います。ただし覚悟の上とはいいながら、少々重いです。


今日はこれにて。


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