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美味しいものから先に、の巻 [鳥三昧]

美味しいものを先に食べる派ですか?


それとも一番最後に食べる派ですか?


よくある問です。


私は、元々は、どちらかというと、最後まで取っておくタイプでしたが、最近、人の寿命の短さを思ったりすると、最初に食べておかないと損をすると言う怖れから、まず食べておく主義に傾いているかも知れません。


昨日2月27日、深山公園で出会った鳥たちのうち、まず、一番の賓客を最初にご紹介することにします。


ルリビタキ♂に今期初対面です。


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今日はこれにて


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226に思う、の巻 [日録]

今日は2月26日。ニイニイロク事件のあった日です。

今年も、「寒の戻り」そのものの厳しい冷え込みでした。

以前こんな記事を書きました。

80年目のニイニイロク、の巻(2016-02-26)

2.26事件から80年だそうです。
今朝の地元紙『山陽新聞』(27面 くらし)には、「二・二六事件から80年 渡辺和子さんに聞く 平和は日々の暮らしから」というインタビュー記事が掲載されていました。

旧陸軍の青年将校らが武力反乱を起こした二・二六事件は、日本が戦争に向かった転機として昭和史に刻まれる。雪が縁側の高さまで降り積もったその日、9歳の少女は陸軍大将の父が凶弾に倒れるのを目の当たりにした 、、、。

「陸軍大将の父」とは、渡辺錠太郎陸軍教育総監。当時9歳の少女というのは、地元岡山市のノートルダム清心女子大学の学長だった(現ノートルダム清心学園理事長)渡辺和子さん。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど活躍され、著書もたくさんありますので、教育者として尊敬しておりましたが、2.26事件との数奇な関わりについては存じ上げませんでした。

置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/04/23
  • メディア: Kindle版

妻に話すと、それは周知の事実であるらしく、以前テレビ番組で取り上げられたこともあると教えてくれました。

その渡辺和子さんは2016年末に亡くなられましたが、その話題はこの記事に書きました。

226思いつくまま、の巻(2018-02-26)

渡辺和子さんへの追悼記事から、一節を引用させていただきます。HUFFPOST2016年12月31日付記事、「渡辺和子さん、生前に語った2・26事件 父を殺された瞬間、そして『赦しと和解』」(吉野太一郎氏執筆)の一部分です。

(中略)

母や姉に聞きますと、父は「軍隊は強くなければいけない。でも戦争だけはしてはいけない」ということを絶えず言っていたそうでございます。「戦争は勝っても負けても国を疲弊させる。自分が勝った国、負けた国に駐在武官としてずいぶん長いこと行っていたけども、そこの人たちがどれほど食糧や着るもの、家を壊されて困っているかをつぶさに見てきた。戦争だけはしてはいけない」。それがもしかすると、その当時、ひたすら「戦争をしなければならない」と思っていた方々にとって邪魔な存在になっていたのかも存じません。私の母は、父がよく「俺が邪魔なんだよ」と言っていたと後で話してくれました。つまり父の存在が一部の方々にとっては非常に邪魔だった。

講演後、渡辺さんは2・26事件について、取材記者にこう語っていた。

「軍の一部が自分たちの意志を遂げるために蜂起し、いらないものを消し、戦争にひた走った。『こういうことは繰り返さない』と思って頂けたのなら、私もお役に立てたのではないでしょうか」

(中略)
今まで「お父様を殺した人たちを恨んでいますか」と聞かれて、本当にきれいな言葉で「いいえ、あの方たちにはあの方たちの信念がおありになったんでしょう。命令でお動きになった方たちを、お恨みしておりません。憎んでおりません」と言いながら、コーヒー1杯、そういう方を前にして飲めなかった自分。修養が足りないとも思いましたし、同時に、私の中には父の血が流れているんだと感じました。私がどれほどでお赦ししていると言っても、私の血が騒ぐ。
(中略)
転機となったのは、1986年7月12日、青年将校らが銃殺刑に処せられてから50年の日の法要に、請われて参列したことだった。
(中略)
法要の間も本当につろうございました。終わって帰ろうとしたら澤地久枝さんが来ていらして「シスター、せっかくここまで来たんだから、お墓参りをしたらどうですか」と、お参りしてお線香とお花を供え、立ち上がってお墓から階段を降りて参りましたときに、男の方が2人、涙を流しておられた。そのお2人が、私の父の寝所まで入ってこられた、高橋少尉と安田少尉の弟さんだった。「これで私たちの2・26が終わりました」「私たちがまず、お父様のお墓参りをすべきだったのに、あなたが先に参ってくださった。このことは忘れません。ついてはお父様の墓所を教えて下さい」と言われ、お教えして、その日は終わりました。
その日以来、毎年、お盆とお彼岸と、折あるごとに、多磨墓地の父のお墓は、お掃除が行き届いて、時には植木が刈り込んである。高橋様と安田様とはお手紙を交わす間柄になりました。本当に、父が引き合わせてくれたことだと思いますし、しみじみ思ったんですね。自分だけが被害者のような気持ちを持っておりましたけれど、反乱軍という名前をつけられた方々のご家族の50年、どんなに辛い思いをなさったか、私は一度も考えていなかった。お名前だけ知っていた、河野とか野中というお名前が、肉親のお姿で現れたとき、何か心の中で溶けるものがあったように思います。

長い引用になりました。
なかでも、「戦争は勝っても負けても国を疲弊させる---そこの人たちがどれほど食糧や着るもの、家を壊されて困っているかをつぶさに見てきた。戦争だけはしてはいけない」というお父様の言葉が,重く心に沁みました。経験と知性に根ざした知見に、いささかも耳を傾けることなく、いやそれらを邪魔者と力づくで排斥して、ひたすら「戦争をしなければならない」と思っていらっしゃる方々が、 いままた跋扈しているのではないかと危惧される時代だけに、、、。
ちなみに、このクーデター計画に加わった青年将校たちが掲げたスローガンは「昭和維新」でした。忘れかけていましたが,そう言えば、去年の5月、こんな記事を書いています。

●これだけは忘れない、の巻

共謀罪が衆院で強行されました。
とにかく最近忘れっぽくて困りますが、これだけは忘れないようにしなくてはなりません。
強行採決の口火を切ったのは、最後の質問者、「野党」維新の丸山穂高議員。「30時間以上質疑してきた。これ以上は足を引っ張る事が目的のピント外れの質疑は必要ない。論点も整理されて時は来た。私の質疑のあと、ただちに採決してほしい」とさ。このヒト法務委員でもない外野のヒト。
維新という存在、「補完勢力」という手厳しい呼び方にいささかためらいもありましたが、今やそれ以外の何者でもありませんね。
そういえば、昭和初期、5・15.2・26等のクーデター事件を引き起こした青年将校や民間右翼の唱えたスローガンが「昭和維新」でしたね。彼らの暴力的な妄動によって妄動によって掃き清められた道の先には、暗黒の国家総動員体制が待っていました。役目を終えた「昭和維新」のスローガンは、用済みとなって立ち消えて行きました。その歴史を知った上で、彼らは「維新」を名乗っているのでしょうかね。

タモリさんの「新しい戦前」という言葉が、躊躇なく真実味を帯びつつあるなかで、今そこある「戦中」をなんとしても食い止めなくてはと強く意識する今年の226です。

そんな中、昨日はこんなとりくみがありました。

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時間をやりくりして、集会とデモには参加してきました。

R0356328参加者は100人超。ご覧の通り、白髪が目立ちますが、、、、シルバーのみなさん、意気軒昂です。

集会で、高教組委員長の村田さんは「生徒に喧嘩はいけない。よく話し合って、どうすれば仲良くなれるのか、冷静に考えることを教えてきた。それが教育の基本であり人間社会のルール。それをなぜ政治家ができないのか?憲法9条を持つ国として世界に先立って実践すべき」と訴えました。同感です。

いざ戦争になれば、真っ先に戦場に送られるのは若者たち。それにしては、若者の参加が少ない事がきがかりでしたが、子ども連れ参加もチラホラあって、励まされました。

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数日前、後楽園を歩いてみました。

梅が見頃です。

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OLYMPUS DIGITAL CAMERA         芝焼きの焦げ跡が、春の近さを思わせます。EO210668K1IM9005

晴れた空のもと、岡山城がくっきりとあざやかにみえます。

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セグロセキレイ

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クロガネモチの実をついばむヒヨドリの群れが賑やかです。

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トリミングします。

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今日はこれにて。


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昨日は没後90年、生誕120年の多喜二忌でした、の巻 [日録]

昨日の2月20日は多喜二忌でした。没後90年、生誕120年に当たるそうです。

そのことに触れようかどうしようか迷いましたが、岸田首相が岡山県北の奈義町を訪れたというHOTなニュースに筆を割きましたので、多喜二に触れるゆとりがありませんでした。それでも、毎年欠かさず書いている話題ですので、今年もひと言は触れておきたいと思います。

一番新しいところでは、この第2ブログ「ナードサークの四季ver.2」に移行したばかりの頃に書いたこの記事でしょうか。

自然環境体験公園のジョウビタキ、の巻(2022-02-21)

事柄の重さから言うと、第一に話題にすべきなのは、昨日2月20日が多喜二忌であったということでした。うっかりしているうちに、昨日が終わっていました。今日のワクチン接種を忘れてはならないという一点にばかり囚われていたせいでしょうか?

そう言えば、去年も同じような記事を書きました。

続々すっかり忘れてました、の巻(2021-02-20)

こんなに同工異曲の記事を繰り返し書いてきたことも、すっかり忘れてました。でも、今日2月20日が多喜二忌だということは、決して忘れられません。

と書いた後で気がつきました。この記事のこと、忘れてました(汗)

忘れてました、の巻(2019-02-21)

こまっしゃくれたチコちゃんに「ぼーっと生きてじゃないわよ」ととがめられるのは不快ですが、確かにとみに注意力散漫で、大事なことに後で気づく事が多いです。

昨日が二月二十日であること、二月二十日が多喜二忌であることはそれぞれ認知しているつもりですが、その二つが結びついたのは、昨日の記事をupしたあとのことでした。遅かりし由良之助です。

さらにさらに、もっと以前、こんな記事を書いたことがありました。

「凍雪(いてゆき)のなお屋根覆う多喜二忌か」(2014-02-10)

そうだ、昔、高校生向けの学級通信で、多喜二忌を話題にしたことがあったっけと、探してみました。
ありました!
SHARP製のワードプロセッサで書いた文章を、後にtextファイルに変換して、保存していた物です。コンピュータといえば、NECの9801~9821といったシリーズが全盛の頃で、私には敷居が高い気がして、近づくのを敬遠していました。
今考えても、ワープロ専用機は、私レベルの仕事にとっては、不足のない優れもののツールだったと思います。

スイッチオンで直ちに起動する身軽さ、アナログ感覚のレイアウト、必要なときに用紙を差し込んで、即印刷できるお手軽さ、、、。
これが懐かしくて、生産終了から随分経った後、ハ-○オフでジャンク品を購入したこともありました。足りない「システムファイル」を、SHARP社の営業所を探し当てて注文・購入したり、印刷用インクリボンやあれこれのサプライ品を買いそろえると結構高くつきました。
でも、現実には、簡単な文書を作るときでも、画像処理を伴うファイルを利用したり、いざというときにネット接続して助けを借りたり、ネットワーク上のファイルを参照したりetc.の便利さに慣れてしまっている身では、もはやワープロに戻れないことを痛感し、結局、部屋の隅でホコリをかぶっているわけですが---。それでも、wifi時代即応のワープロ専用機、開発して欲しい思いはあります。ニーズはあると思うんですがねえ。

話をもどして、昔の学級通信の記事はこんなものでした。


あー またこの二月の月か きた

ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる
めかねかくもる
一九六一年、八八才で亡くなった小林セキさんの遺品の中から、上のようなたどたどしい鉛筆がきの、一枚の紙片が見付かった。解読すると、次のような意味になるのだろう。
ああ、またこの二月の月が来た
本当に、この二月という月が、
いやな月、声を一杯に泣きたい
どこへ行っても泣かれない
ああ、でも、ラジオで 少し助かる
ああ、涙が出る
眼鏡が曇る
小林セキさんとは、「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二のお母さんだ。読み書きのできない小作農の娘として育ったセキさんは、五七才の手習いで、「いろは」から字を習い始めたという。一九三〇年“治安維持法違反”で投獄された我が子・多喜二に、自分で手紙を書きたい一心で。
翌三一年、出獄後に書いた作品「独房」の中で、多喜二は、主人公にこう語らせている。
「俺達はどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、ほれてはならないそうだ。月を見ても、もの思いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えてメソメソしてもならないそうだーーー人はそういう。だが、この母親は、俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を買っておいて、今日は帰って来る、明日は帰って来るといって、食べたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺はここへ来てから、そのことを小さい妹の、仮名交じりの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声を立てずに泣いていた。」
治安維持法を振りかざす天皇制政府・軍隊・警察権力は、「国体」の変革、すなわち絶対主義天皇制から民主主義への変革の志向を“最悪の罪”とみなして、死刑を含む重刑と凶悪なリンチによっていっさいの民主的・進歩的運動と言論の封殺をはかった。(そして、その歩みの先には、無謀な侵略戦争が待ち受けていた。)
この弾圧を逃れるため、地下活動(非公然活動)に入って執筆活動を続けていた多喜二は、詩人今村恒夫と共に特高警察に捕らえられた。そして、激しい拷問によってその日のうちに殺害され、変わり果てた姿となって母親と再会することになった。一九三三年二月二〇日のことだった。
検察当局は、死因を心臓麻痺と発表。遺体の解剖を妨害し、二二日の通夜、二三日の告別式の参会者を片端から検束し、火葬場まで警戒を解かなかった。通夜に供えの花をもって行き杉並署に検束された作家・宮本百合子は、「(小林多喜二のところへ来た人達で)留置場は一杯になっていた。少なくとも、女の室は満員だった」と記している。 遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家・江口渙は、通夜の席でのお母さんの姿を、次のように書きとどめている。
「こみあげてくる悲しさに耐え切れなくなったものか、お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。
『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だでや。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるのがーーーああ痛ましや。』
お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、
『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と前身の力をふりしぼるような声でさけんだ」
それから、三十年近くも、毎年毎年、二月が来るたびに、眼鏡を曇らせて悲しみにくれた老母の無念を、私は思わずにはいられない。ああ、またこの二月の月が来た。
奇しくも今年の二月、しかも多喜二忌の直後に、昭和天皇の「大喪」とやらが、百億円の巨費を投じて国家的行事として催されると言う。数十万人にのぼる治安維持法犠牲者、そして、無数の多喜二の母たちにとっては、複雑な思いの二月となることだろう。


読み返してみて、この学級通信の文章を書いたのが、昭和の終わりの年だったことが思い出されます。早くも、四半世紀を過ぎたわけですね。

これらの記事以上には、もうほとんど付け加えるべき点もないのですが、最近、ある場所にこんな短文を寄せましたので、転載させていただきます。

日本共産党の値打ちをチコちゃんに聞いてみたら? 元高校教員 kazg

「日本の政党で、共産党だけが100年超の長い歴史を持つのはなぜ?」

チコちゃん答えて曰く「他に置き換えが効かない党だから-。ひどい弾圧の中でも戦争反対を貫き、大国の干渉にも負けんと自主独立に徹し、いつも国民の幸せのために献身してきた世界に一つの党やで」と。

私自身、50年以上支持してきたが、新たな戦争準備が進む今こそ、この党の値打ちがもっと広く語られなくては、と痛感する次第。小林多喜二の死に際し「ふと彼等の意図ものになるべしという気する」と記した志賀直哉の予感が、そろそろ実現してよい頃では??


きょうの付録は深山公園の小鳥たち。

メジロです。K1IM8804

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コゲラ。

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紅梅が盛りです。

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今日はこれにて。


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「奇跡の町」は当たり前の町、の巻 [日録]

昨日は、岸田首相が、わが郷里にほど近い辺鄙な寒村を「視察」に訪れたというニュースが流れました。いつものように、記事をちょっと拝借させていただきます。

岸田首相が岡山県奈義町視察 少子化対策「奇跡のまち」(「日経」)

岸田文雄首相は19日、岡山県奈義町を訪問し2回目の「こども政策対話」を開いた。子育て支援に力を入れ2019年の合計特殊出生率が2.95だった奈義町は「奇跡のまち」と呼ばれる。

首相は記者団に「子ども政策強化のためには社会全体の意識を変えていくことが重要だ」と語った。

岸田政権は少子化対策を最重要課題に位置づける。首相は奈義町の子育て支援の拠点「なぎチャイルドホーム」などを視察した。子育て世帯が集まって相談したり一時預かりの子育てサポートをしたりしている。(以下略)

出生率2・95…「奇跡のまち」岡山県奈義町を岸田首相が視察(「読売新聞オンライン」)

岸田首相は19日、子育て支援に力を入れる岡山県奈義町を訪れ、子育て支援施設を視察した。同町は2019年に合計特殊出生率が2・95となり、「奇跡のまち」として注目されている。。(以下略)

首相は、子育て中の家族が同世代や地域の高齢者と交流できる「なぎチャイルドホーム」の利用者らと意見交換した。子育て世帯が高齢者に子育ての悩みを気軽に相談でき、一時預かりなども行える施設だ。育児の合間にできる仕事を紹介する「しごとコンビニ」の拠点も訪問した。(以下略)

岸田首相 独自支援策で出生率上昇の岡山 奈義町を視察(NHK NEWS WEB)

2023年2月19日 19時11分 岡山県

岸田総理大臣は、地域ぐるみで子育てに取り組む岡山県奈義町を訪れ、拠点施設を視察し、子育てに対する社会全体の意識を変えていくことが重要だという認識を重ねて示しました。

岡山県奈義町は、町独自の子育て支援策や若者の定住などを進め、1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標となる合計特殊出生率が、2005年の1.41から、2019年には2.95に上昇しました。
岸田総理大臣は19日、奈義町の地域ぐるみで子育てを行う拠点施設を訪れ、住民が子どもを預かったり、常勤の保育士が相談に応じたりする様子を視察しました。(以下略)

岸田首相「奇跡の町」で“子育て支援”を視察 岡山・奈義町日テレNEWS

岸田首相は「少子化対策・奇跡の町」と呼ばれる岡山県奈義町を訪れ、子育て支援の現場を視察しました。 岸田首相は岡山県奈義町を訪問し、子育て中でもワークシェアで仕事ができるようにする「しごとコンビニ」事業の現場などを視察しました。 奈義町は地域ぐるみで子育て支援を行った結果、合計特殊出生率が全国トップクラスで、「少子化対策・奇跡の町」として注目されています。 岸田首相「子ども政策強化のためには、施策の拡充ももちろん重要だが、あわせて社会全体の意識を変えていくことが重要」 岸田首相は今後も全国各地を視察し、来月末までに自らが打ち出した次元の異なる少子化対策のたたき台をまとめる考えです。(以下略)

ちょうどこの日、娘夫婦は、小1と2歳児を連れて、この地を訪れていたようです。

こんな連絡をくれました。

奈義美術館いったけど首相来岡の影響で臨時休館でした!

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ビカリア博物館行ったよ

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奈義町現代美術館についての説明は、このページに詳しいです。

https://www.artagenda.jp/museum/detail/220

奈義町現代美術館についてABOUT Nagi Museum Of Contemporary Art

奈義町現代美術館は、奈義町(岡山県勝田郡)にある、通称Nagi MOCA(ナギ・モカ)と呼ばれる磯崎新の設計による美術館で、平成6年4月25日に開館。作品と建物が一体となっている。建物内に奈義町立図書館が併設されている。
国際的に活躍する荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子の4人の芸術家に一般の美術館では収集不能とされる巨大作品をあらかじめ制作依頼し、その作品、又その全体の空間を作家と建築家が話合い、美術館として建築化したもので作品を本尊にたとえれば建築家はそれに覆い屋を架けるという発想から建てられた、いわば、作品と建物とが半永久的に一体化した、美術館である。
太陽、月、大地と名付けられた、外部からも明らかに認知出来るような形の3つの展示室から構成され、この土地の自然条件に基づいた固有の軸線を持っている。「太陽」の軸は南北軸、「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指し「大地」の中心軸は、秀峰那岐山の山頂に向かっている。
池に面した喫茶室から太陽、月、大地の展示室と同時に、借景になっている秀峰那岐山を望むことが出来まる。日毎、季節ごとにその表情の変化を据えることが出来るのは美術館の見所の一つである。

ビカリア博物館についてはこちらのページ

今から約1600万年前、奈義町周辺は海抜0mの海辺でした。
その証拠に、奈義町周辺からは、まき貝(ビカリア)を中心に動植物の化石が多数産出しています。
なぎビカリアミュージアムは、発掘された化石を保護・展示し、自然科学と親しむ施設としてオープンしました。
マングローブの生い茂った当時を再現したジオラマ、地層の断面に露出した自然の状態の化石など、
興味深い展示が満載で、太古の時代を体験することができる貴重な博物館です。

小1の孫が手に持っているのが発掘体験で手に入れたビカリアのようです。

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ところで、奈義町については、この記事でふれたことがありました。

そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり(2014-11-23)

(前略)昨日は、その岡山県勝田郡にある奈義町を訪ねhttps://kazsan.blog.ss-blog.jp/2014-11-23てきました。
この記事この記事、そしてこれらの一連の記事その1その2その3でもご一緒した、故旧の面々です。
朝、いつものようにヨシミさんの車に同乗させていただき、途中ヨシエさんとも合流して県北へ向かいます。濃霧注意報が出ていることを話題にしておりましたが、
何ということもない晴れたドライブ日和を楽しんでおりましたが、山あいの川沿いの道路には、かなり濃い霧が漂い、墨絵の景色が迎えてくれました。

(中略)

今回ツアーの「企画係」のヨシミさんは、昼食をとりながら奈義町を知ろうということで、現地の方のお話をうかがう機会をセッティングしてくれました。
陸上自衛隊駐屯地と日本原演習場があり、日米共同軍事演習の舞台ともなっている「基地の町」という姿が、奈義町の「もう一つの顔」です。
平成の大合併の時、奈義町は、近隣自治体との合併の道をとらずに、町制存続という独自の道をあゆんだことで注目されました。その決断を潔しとし、人々は心に快哉を叫んだものでしたが、反面、「自衛隊から金が落ちるからできたハナシ」と、少々苦い思いにとらわれる面も、正直あったでしょう。
そんな内情も聞いてみたいということで、ヨシミさんが縁故を頼ってお呼びしたのは、長い間「勝田郡平和委員会」の中心として、基地や平和の問題に積極的に取り組んでこられ、議会内最長の5期20年に渡って町議をつとめ、現在は副議長の任にあって、町政全般に通暁しておられる森藤政憲さんでした。
森藤さんは、私達一行とほぼ同世代か、ちょっと先輩という年齢ですが、若々しくて行動的、かつ温厚誠実な紳士で、奈義町の歴史やありのままの実状、課題を、資料も準備してざっくばらんに話してくださいました。
詳細を記録すれば、論文が書ける内容ですので省きますが、印象に残ったことだけをメモ的に箇条書きしておきます。
1)町の第一のセールスポイントが、「自然と芸術の調和」。これを一番に持ってくるとは、エライ。つくづく感銘を覚えました。これなくして、しあわせは成り立ちませんから。
2)「子育て応援宣言」のまち。保育料減額、医療費は高校生まで無料、町独自の育英奨学金、高等学校就学支援金、などなど、住民の要望を踏まえたこまやかな子育て支援策のあれこれ。
3)町営住宅、分譲地、若者定住促進住宅、雇用促進住宅など、手厚い移住支援。
4)無料福祉バス(町内各コースを一日3回巡回)の運行。高齢者に優しい。
5)主な産業は?農業だそうです。サトイモ、黒豚、奈義ビーフ、米粉、、、町の特産物を町を上げて育てる姿勢がはっきりわかり、道は険しくとも、やりがいと希望を感じます。
6)自衛隊関連大金への依存度は、一般会計歳入の6.7パーセント。多い年でも10パーセント。---これで、合併しなくても町制が維持できるのだから、ほか
の町村だって独立の道を歩むことが可能だよなと思いました。その方が遙かに、住民のかゆいところに手が届く、手厚い行政サービスができるはずなのに、、。
7)自衛隊基地への賛否は、世論が二分され、賛成がやや多いが、集団的自衛権への賛否は、反対が大きく上回るアンケート結果。自衛隊員家族の回答もふくまれているのでしょう。他地域に比べて不安と恐れは切実で、現実的なのだなあ。
昼食後、私達は奈義町役場の駐車場に車を駐め、隣の「奈義町文化センター」に向かいました。
「奈義町町制施行60周年記念」と冠した「横仙歌舞伎大公演」が、22日、23日の二日間の日程で催されるのです。(後略)

岸田首相が注目してくださったのは大変結構ですが、「奇跡の町」と特別視するのはお門違いというものでしょう。むしろ特別な「奇跡の町」ではなく、住民こそが主人公・住民の切実な声に耳を傾け、思い切って手厚い行政サービスをすすめるという、「当たり前の町」なのではないでしょうか。この当たり前を国全体に広げることが、少子化対策にとって有効であることはこれまた当たり前。2014年の記事からも、改めてそう思わされます。

岸田首相は「施策の拡充ももちろん重要だが、あわせて社会全体の意識を変えていくことが重要」とおっしゃったそうですが、「社会全体の意識を変えていく」ことは、経済的にも心理的にも安心して出産・子育てでき、誰もが未来に希望の持てる社会を具体的に展望することと不可分でしょう。行政の長である岸田さんのつとめは、「社会全体の意識」の変化を待つことではなく、出産・子育てに困難を覚えている一人ひとりの声に真摯に耳を傾け、社会を挙げて困難の除去に努めるとのメッセージを発し続けながら、まずは「施策の拡充」に努力することにこそあるのではないでしょうか?


今日の付録

深山公園のシロハラです。

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深山公園のヒヨドリ。K1IM8961今日はこれにて。


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まだまだ拝借、の巻 [日録]

まだまだ拝借。

今日の記事の拝借先は、私の過去記事です。

フェイスブックの過去記事にこんなものを投稿していたことを、フェイスブックさんが教えてくれました。2015年2月15日付投稿です。

散歩中いろいろな鳥に会いました。

ルリビタキ♂。ウソ(かな?)。ホオジロ。すずめ。

それと最後は、昨日田舎でショッピング中に見えた那岐山あたりの雪景色。

旧ブログナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)

のこの日の記事と同様の話題です。

うそ!ほんと?(2015-02-15)

今日一緒に持ち歩いていたのは、やや旧機種のOLYMPUS E620 +zuiko70-300mm。なぜか、最近写りに不満が多いのですが、この際そんなことは言ってられません。

「数打ちゃ当たるかも?」と連写しまくりましたら、意外に嬉しい画像が残せました。

実は私、ルリビタキ♂は、枝かぶりか、暗所でのノイズだらけ のものしか写したことがありません。

その意味では、今日は明るいところで姿を見せてくれましたので、 ラッキーなことに「人生最高」のルリビタキ写真になりました。

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂

深山公園のルリビタキ♂

そして、なんと言うことでしょう。こんな鳥が近くの木枝に2~3羽止まって、新芽をかじっていました。

深山公園のウソ

うそ~!ほんと?と、つい口ずさみました。

深山公園のウソ

これがウワサの「ウソ」ではないでしょうか?

深山公園のウソ

深山公園のウソ

「和名の由来は口笛を意味する古語『うそ』から来ており、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから名付けられた。」と、ウィキペディアにはあります。

そういえば、 「平然として言う。」 「豪語する」などの意味にも用いる「うそぶく」という言葉が、古文では「口笛を吹く、口をすぼめて音を出す」などの意味で使われていましたね。

「この蛍をさし寄せて、包みながらうそぶき給へば」〈宇津保・内侍督〉
「木の根とり うそぶき登り」〈万葉集、高橋虫麻呂歌集〉
後者は、次の歌の一節だそうです。

検税使大伴卿、筑波山に登る時の歌一首 并せて短歌

衣手(ころもで) 常陸(ひたち)の国の 二(ふた)並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆(なげ)げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神(をかみ)も 許したまひ 女神(めかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくはね)を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉(うれ)しみと 紐(ひも)の緒(を)解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡(なび)く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ

反歌

今日の日にいかで及(し)かめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も

【解釈】常陸の国に、二つに並ぶ、筑波の山が見たいと、あなた様がおっしゃるので、暑いさなかに、汗をかきフーフー言いながら 木の根をつかんで、口をすぼめて苦しい息づかいで登って、峰の頂上をあなた様にお見せしたら、(山を治める)男神はお許しになり、女神も加護くださった。いつもなら雲がかかって雨が降る筑波の山を、くっきり照らして、はっきりと見ることが適わない国のすばらしい景色を、細かに見せてくださった。うれしくて衣の紐をゆるめ、家に居るときのように、くつろいで遊ぶ。“打ち靡く”春に見るのも良いものだが、京都言おう陽は今日という日は、夏草が生い茂ってはいるけれど、本当に楽しいことだ。

反歌

今日の日にどうして及ぼうか。筑波嶺に昔の人が遊びに来たとかいうその日も。 いやいや、今日の日の楽しさが最高だ。


ところで、この日の記事はこんな書き出しから始まっています。

きのうは、田舎の実家に行ってきました。去年の今日が、娘の結婚式でした(記事はこちら)が、父が肺炎による入院の直後で、老父母は出席できなかったことを思いだしたりしました。

去年はこの時期、思いがけない大雪が降って、大阪から帰ってくる末っ子夫婦の交通安全が心配だったことも思い出されます。 一年を、皆まず無事で迎えられたことに感謝です。

さて、ちょっと食事と買い物に出かけた先のすぐ近くに、夏に父が骨折入院でお世話になった医院があります。その遙か向こうに、雪をかぶった山並みが陽を浴びて輝いていました。中国山地の高峰、那岐山、後山などの峰々です。建物や電柱の影になって、この場所からは全体像を眺望することはできませんが、運転中に車窓から「雪山」を眺められる場合があります。

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この記事で「夏に父が骨折入院でお世話になった医院」というのが、昨年の3月、父が臨終を迎えた医院でもあります。行きつけのスーパ-が、その近くにあります。今週は、母を連れて買い物のためにそのスーパーに行きました。最近は、母も出歩くのを億劫がるので、食料品などを勝手持って行くことが多いのですが、今週は気が向いたのか、買い物に出かけることにしたのでした。店内で買い物の途中、店員さんの一人が、母の姿を見つけて近寄ってきて、声をかけてくださいました。「久しぶりだけど元気?」。レジでも同じように声をかけられ、母は、久しぶりのことで喜んでおりました。

郷里への行き帰りに、「小鳥の森」に立ち寄ってみました。

お目当てはこの鳥でした。

ルリビタキ♀。

慌てる内に撮り損ね、ピンボケ写真だけが残りました。

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大分粘りましたが♂には出会えませんでした。

他にはこんな小鳥たちが現れました。

ヤマガラ。

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シジュウカラ。

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コゲラ。

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メジロ。

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ジョウビタキ♂。

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今日はこれにて。


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今日もまた拝借、の巻 [時事]

前回投稿は、拝借記事(無断のものも許可済みのものもありますが)で埋めました。性懲りもなく、今日も続けます


今日の拝借その1


前回、拝借その2で紹介させていただいたmikopon559さんのブログ木かげなじかん (fc2.com)が更新され、こんな最新記事をUPしておられます。まったく同感ですので、そのまま無断拝借致します(mikopon559様、そして読者の皆様、ゴメンナサイ)


 


いまこそ

去る2/9は、わが町「9条の会」の「9の日行動」の日でした。
寒い2月は、いつものスタンディングにかえて、室内での学習会です。
この日も、A先生(元高校教師、93歳)を講師に学び、参加者一人ひとりの思いを交流しました。
お話のテーマは、
「いまこそ、平和憲法を輝かせる時」。

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まず、「安保3文書」にわざわざ記されている「基本原則」(「平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならず…」)の方針を「(岸田内閣は)偽りなく守っているのか、糾明しなければなりません」と、
⑴ 専守防衛に徹する原則
⑵ 軍事大国にならない原則
それぞれについて、具体的な事実を示しながら、その「偽り」を明らかにされていきました。
「安保3文書」改定で示された安保政策の大転換。
それは、米国の軍事戦略に従って、米軍指揮下での先制攻撃を可能とするもので、日本への直接攻撃でなくても相手国の報復攻撃を招き、日本全土が焼土となりかねない「危険きわまりない」ものだ、という、順を追ったお話にも、あらためて恐怖を覚えました。
それが「偽り」で国民をだましながら進められているのですね…。
次に、「新しい戦前にさせない」という重いことばを受けて、「戦前をどうとらえるのかが大事」と、「戦前の歴史的教訓の一端」を、資料をもとにお話されました。

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戦前の歴史を知ることで、
今はもう戦前…いや、戦中ではないのか?
と思わせる現実が浮かび見えてくるようでした。
最後に、レジュメに掲載された「日本国憲法 前文」を、みんなで声を合わせて音読しました。

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「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」…
先の戦争への痛切な反省から生まれた憲法です。
今、この国や世界の平和を守り実現するために大切なことは、
この私たちの憲法を踏みにじり、再び大軍事国家となって、戦争の準備を進めていくことなのか?
それとも、
この私たちの憲法を輝かせ、紛争を武力ではなく外交で解決する道をいま歩み続けている世界の国々とも手を取り合って、平和の準備をすることなのか?
国民一人ひとりに問われている時なのだと思います。




今日の拝借その2


折も折、今日は、こんな報道が流れました。


「はだしのゲン」広島市が教材差し替え 「被爆の実相伝わりにくい」(「朝日新聞デジタル」)

広島市立の小中高校で平和教育に使われている教材が2023年度から改訂され、10年前から掲載されてきた漫画「はだしのゲン」が別の教材に差し替えられることになった。教材を発行する市教育委員会は見直しの理由を「被爆の実相に迫りにくいと判断した」としている。

改訂されるのは、市教委が全市立小中高校で取り組んできた「平和教育プログラム」の教材。国語や道徳などの時間を使って「平和の担い手」を育成するために続けており、2013年度からは統一の教材「ひろしま平和ノート」を発行した。各学年で年間3時間を授業に割いてきた。

19年度から、改訂の必要性を検証するため、教員や大学教授、平和記念資料館の職員らを交えて議論を重ねてきた。その結果、被爆の実相を理解し、継承することができる内容か▽学んだ事実をもとに考えたことを発信していく力を身につけることができる内容か▽発達段階に即した内容か――などの四つの観点で見直しを始めた。23年度からの新しい教材では、小1~高3の12学年が年間に充てる全36回分のうち26回分の内容が改訂されることになった。

「はだしのゲン」はこれまで、小3と高1でいくつかの場面が引用されていた。小3では、主人公のゲンたちが戦時下の苦しい生活の中で、家族のために浪曲を歌って日銭を稼いだり、栄養不足の母親のために近所の家のコイを釣ったりする場面が使われていたが、有識者からは「浪曲はいまの児童にはなじまない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」という指摘があったという。


「はだしのゲン」については、以前も当ブログ上で何度か話題にしたことがありました。たとえば、この記事。


はだしのゲンを思い出す。(8月に寄せた学級通信4)(2016-08-07)


先日、部屋の掃除で古い学級通信を引っ張りだしたのをきっかけに、その年その年に原爆忌に寄せて書いた文章を、ご紹介しています。
今日はその4回目です。
前回掲載した1年生の生徒に向けて書いた通信の、第43号。1987年11月24日付とあります。


この年の秋、学校の映画鑑賞行事で「はだしのゲン」を観た後の、生徒たちの感想文をもとに書いた記事でした。
「はだしのゲン」は、もちろん、自身の被爆体験に基づいて描かれた中沢啓治さんの長編マンガです。

本棚の奥の方に、汐文社版の全10巻を見つけました。
我が家の子どもたちも読みましたが、「学級文庫」において生徒に貸し出したこともありました。
これを原作に制作された実写版映画(1976年、監督:山田典吾、現代ぷろだくしょん)でした。

【中略】

映画の中岡大吉を見て、「kazgそっくり」と評した生徒がありました。30代初めの私としては、ちょっと年寄り扱いされた気はしましたが、密かに満悦を覚えたことでした。「我ながらこころおごりせられし」というやつです。それ以来、なおのこと、特別に気になる俳優でした。晩年の「釣りバカ日誌」で見せた、飄々としたなかに、人間としての弱みも威厳も寂しさもあわせもった老社長「スーさん=鈴木社長」も、今では忘れることのできないはまり役でした。ごく最近亡くなられた、という印象ですが、調べて見ると 没年は2013年でした。寂しいことです。

【中略】

ちょっと前、公共図書館からマンガ「はだしのゲン」を貸し出し禁止にしたとの報道が注目を集めました。

はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」

毎日新聞 2013年08月16日 19時22分(最終更新 08月16日 21時28分)

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」 について、松江市教委が市内の全小中学校に対し、児童生徒に貸し出さないよう要請していたことが分かった。「描写が過激」として昨年12月、教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場におけるこうした措置は聞いたことがないという。

【中略】

この件について、2013年12月の記事で、話題にしたことがありました。
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第8回

こどもたちに平和を愛する心を育てるには、子どもたち自身が、平和で穏やかな環境のもとで健やかに育てられるよう、心を砕くべきだという。優しく、柔らかで、美しいものや思いやりの心に囲まれて、温かくヒューマンな情操を育てることが、肝要だという。
その意味では、残虐な犯罪や猟奇的な事件が毎日のように報道され、一方では希望を失って自死する人の数が記録を更新しつづける、こんな殺伐とした世相に、慣れっこになって欲しくはない。
だからといって、「はだしのゲン」の描写が残酷だからと、図書館から撤収して子どもたちの目から遠ざけるという「教育的配慮」は、まったくナンセンスだろう。歴史の中で、現に人間が為した「悪魔的行為」を、未来において繰り返しも繰り返されもせぬためには、事実を正確に知り、冷厳に受け止めることは、決定的に必要であるはずだ。
私の作品の殺戮場面は、もちろん「歴史の事実」というわけではなく、あくまでも想像に基づく創作である。ただ、その着想のきっかけには、「ソンミ村事件」があったと、今ふり返ってみて思い至る。「カリー中尉」ほか、当事者の証言によって、この虐殺事件が明るみに出たのだが、さしずめ「特定秘密法」なんかでは、国家の威信を傷つける秘密みたいなことになって、話した兵隊さんも、報道機関も、関係省庁の役人も、みんな罰せられるんじゃないかと心配なんですが。

マンガ「はだしのゲン」を、子どもたちの目から隠す理由を、残虐場面のせいするのも不当ですが、アベ政権の台頭に勢いづく右翼国粋主義・排外主義勢力は、「反日漫画」「自虐史観に基づく極左プロパガンダ」などと口を極めてその「思想」を指弾しています。その偏向ぶり、その狭量さにあきれるとともに、今思えば、当時の高校生がいかに柔軟で公平な分別を有していたかに思いをいたしているところです。


今回の広島市教委の対応は、理由がはっきりしませんが、報道の範囲では有識者から「浪曲はいまの児童にはなじまない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」という指摘があったという」(前述「朝日新聞デジタル」記事)とありますが、このイチャモンの意味がよくわかりません。


「万葉集」や「古今集」、はたまた「源氏物語」や「枕草子」を扱うときには、当然、時代背景について必要な説明を加えた上で作品世界を味わうのは当然のことでしょう。「手間がかかる」「今の児童・生徒になじまない」なんてクレームは聞いたことがありませんよね。国を挙げて「新しい戦前」に向かおうとしている今の時勢に合わない、というのが本音なのですかね??


「中国放送」はこう報じています。


「はだしのゲン」を不使用に 広島市の平和教育教材 原作者・中沢さんの妻「残念です」

ミサヨさんは、「いまの児童の実態に合わない」といった指摘について「あの時代は食べる物もなかった。豊かな時代に暮らす子どもたちと実態が合わないは当然」と話します。 そのうえで、「なぜゲンが街角の浪曲で稼がなければならなかったのか、なぜ母親のためにコイを盗まなければいけなかったのか。子どもでも、そうしなければ生きていけなかったからです。『生きろ』というメッセージが込められている」。こうした背景をしっかりと教えることこそが重要だと訴えます。 また、ゲンの父親が家屋の下敷きになり、火の手が迫る中で、ゲンに逃げるように迫る場面も、教材では使われなくなります。

連載当時、アシスタントをしていたミサヨさんは、啓治さんがこの場面を描いている姿が忘れられません。「描いていた手が突然止まるんです。『熱かったろう、熱かったろう』って涙を流して」 描き始めては筆を止め、また描き始めては筆が止まる。啓治さんは、つらそうに机に向かっていたといいます。「被爆者は言いたくても言えないことを心に持っている。その思いを込めたのが、はだしのゲンなんです」。 ミサヨさんは力を込めて訴えます。「きれいな戦争なんてない。戦争ほど残酷なものはない。その残酷さを伝えることが、戦争反対、二度と戦争しないという気持ちにつながるのです」


「有識者」の方は、この声に是非耳を傾けていただきたいものです。




fフェイスブック」が、昔投稿した記事をご丁寧に思い出させてくれますが、五年前の2017年の今日、こんな記事をシェアしていました。今日の拝借その3はこれです。


2月15日付女性自身 綾瀬はるか「世界平和」の夢にこめた「祖母との約束」 という記事をご紹介します。

2月10日に公開された映画『今夜、ロマンス劇場で』に主演している綾瀬はるか(32)。都内で行われた初日舞台あいさつでの一言がTwitter上で話題を呼んでいる。


「実現してほしい夢は?」というトークテーマのもと進められた舞台挨拶で、綾瀬は「オリンピックも開催中ですし、世界平和!」と回答。「皆さんが笑顔で健やかに過ごせる、そんな世の中になってほしいです」と笑顔で語ったという。

この一幕をレポートした『オリコンニュース』の記事は「綾瀬はるか、夢は『世界平和』壮大過ぎる願いに周囲があ然」というタイトルだったが、Twitter上では、《なんであ然とするの? とてもいいと思いますけど》《「周囲があ然」とか、平気でタイトルつけられるメディアにあ然》と、記事への違和感を表明するツイートが多数投稿された。

また、《広島県人にはとても普通の言葉で、心からの願いです》というツイートも。綾瀬は広島市出身。『NEWS23』(TBS)の「綾瀬はるか『戦争』を聞く」への出演をはじめとして、10年以上にわたり戦争被害者のもとを訪ねている。

綾瀬の祖母の姉(大伯母)は、広島に投下された原爆で亡くなっている。'05年、戦後60周年特別企画のドキュメンタリー「ヒロシマ」(TBS)で広島の実家を訪れた綾瀬は、それまで決して原爆のことを語らなかった祖母から、初めて話を聞く。

8月6日、郊外の家から広島市街へ出かけていた姉の遺体を、祖母は見つけることができなかったという。そして最後に綾瀬に伝えたのは、「戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなだめなんよ。女性の力で戦争を起こさんいうことをせなだめよ」という言葉だった。

堂々と「夢は世界平和」と語った綾瀬の胸には、祖母、そして大伯母から受け継いだ平和への思いがあったのだ。


ネット検索しているとこんな記事が目に止まりました。


https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/1289080/
ねとらぼ調査隊では、アンケートサイト「ボイスノート」の協力のもと、全国の社会人を対象に「2022年一番活躍した女性俳優は?」というテーマでアンケート調査を実施しました。

全国の社会人から「2022年一番活躍した」と支持された女性俳優は、誰なのでしょうか。それではランキングを見ていきましょう!
第1位は、得票率13.3%の「綾瀬はるか」さんでした。2000年に行われた「第25回 ホリプロタレント スカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞し、芸能界入り。

2001年にドラマ「金田一少年の事件簿」で俳優デビューを果たし、その後「世界の中心で、愛をさけぶ」「ホタルノヒカリ」「JIN -仁-」「八重の桜」など、数々のドラマに出演してきました。

2022年は、映画「はい、泳げません」や「ユニクロ」「キッコーマン」をはじめとするCMにも多数出演。そのほか、ドラマ「元彼の遺言状」では月9(フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ)初出演にして主演を務め、話題となりました。2023年も木村拓哉さん主演の映画「THE LEGEND & BUTTERFLY」に出演するなど、今後の活躍にも注目が集まります。


     キリがありませんので、ひとまずこれにてオシマイ。


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ちょっと拝借、の巻 [時事]

はい‐しゃく【拝借】の解説(デジタル大辞泉より)

[名](スル)借りることをへりくだっていう語。「お知恵を―したい」


「無断拝借」は、私の得意とするところですが、記事掲載に当たっては、いつも、読者の皆様に、ひと言その旨お断りするようにはしているつもりです。


「なるほど」といたく感心したり、理解が深まったり、人に伝えたくなったようなことがらを、「カクサン」させていただいているつもりなのであって、「剽窃」を意図するものでは決してありません。


ひょう‐せつ〔ヘウ‐〕【×剽窃】 の解説(デジタル大辞泉より)
[名](スル)他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。「他人の論文を―する」


また、可能な限り、事前、もしくは事後になっても、著作権者の許諾は得るよう心がけているところです。


拝借その1


2月9日は,地元九条の会恒例の『九の日行動』の日でした。この日は、いつものスタンディングではなく、室内で学習会。いつも講師をつとめてくださる元高校教師Aさん(92歳)による「今こそ、平和憲法を輝かせる日本」


手書きレジュメには「はじめに」としてこう書いておられます。


プ-チン・ロシアのウクライナ侵略戦争は、国際法規の厳禁する早々犯罪が日常化する惨酷な事態をひきおこしながら続けられています。国内では,コロナ禍が収束する見通しがまったく撞かない状況のなかで、「戦後最悪の内閣」とまで言われる自公政権の悪政によって,私たちのくらしの苦難は深まっています。このような内外の情勢のもとで,国民的不安を煽動しながら、”戦争か平和か”という歴史的選択を迫るとんでもない閣議決定をしました。そして現在国会審議中です。別のテーマでお話しすることを考えていたのですが「九条の会」として共通認識を深めなければと考えて標記のテーマにしました。


レジュメのすべてを引用紹介したい所ですが、見出しだけをかいつまんで書き写します。


1.「戦争する国への道ー安全保障三文書

(1)専守防衛に徹する原則--原則放棄・安保法制の大転換

(2)軍事大国にならない原則---大軍拡による軍事国家へ

2.「新しい戦前」は許されない

3.日本国憲法の平和主義の精神を,今こそ国の内外に

<資料>

Aファシズムの進展関係略年表

B京大滝川事件

C日本の戦争準備

D国家財政における軍事費の比重

E日本の戦争準備

F大東亜会議

GⅠ麻生財務大臣発言「あの手口学んだらどうかね」

Ⅱナチスヒットラーは「緊急事態宣言」を使って独裁国家を創った


「新しい戦前」という言葉をキーワードに、戦前・戦中の動きをたどるお話しでしたが、これを受けての意見交換で、「今は戦前なのか、それとも既に戦中なのだろうか。汽車はもう走り出しているのではないか」と危機感を表明された方があり、うなずかないではいられませんでした。汽車というのは,このプラカードの汽車です。


拝借その2


10月9日のスタンディングについてmikopon559さんが紹介されたブログ記事を、無断拝借させていただきます。


汽車 - 木かげなじかん (fc2.com)汽車

新しいプラカードが加わりました。
楽しい工夫が凝らされた力作、3両編成♪のプラカードです。

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作られたのは、Hさん。
昨日(10/9)のスタンディングで初披露となりました。
道行く車が目の前の信号で次々と止まると、車の中からスタンディングをする私たちに視線が注がれます。
昨日は休日とあって子どもたちの姿も。
その子どもたちの視線は、3両編成の汽車にじっと注がれていました。
「ほら、汽車を見ているよ」「やっぱりね〜♪」と話していると、傍らに座るそのお母さん(らしき人)が車の窓を開けて、こちらに向かって笑顔で手を振ってくれました。
何か声をかけてくださっているようにも見えましたが、
(「がんばってください!」)
って、言ってくれていたのかな?
スタンディングしていてよかった〜♪と思う瞬間です。
プラカードの「戦争という名の汽車は…」の言葉は、少し前にHさんが紹介してくださっていた本の中の言葉です。

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「発車させない」ことが、まだ間に合ううちに、「大軍拡も大増税もNO!」の大世論を絶対多数派にして行かなければ・・・


拝借その3


SNS上に投稿されていた記事が出色で、迷わず「いいね」をお送りしましたが、それだけでは足りず、是非広くご紹介させていただきたいという思いがつのっていました。得意の無断借用に及ぼうかとも持っていた矢先、その著作権者と直接お目にかかる機会がありましたので、お願いしてみたところ、快く借用をみとめてくださいました。


その著作権者とは、元岡山県労働組合会議事務局長であり、現在件年金者組合書記次長、県9条の会の事務局長他で奮闘中の伊原潔氏です。


そもそもの問題意識としてこうおっしゃっています。


戦争反対の街頭宣伝で反応が弱い理由

戦争反対の街頭宣伝をしていて、市民の反応が弱く、世論調査では軍拡に反対する声の方が多いはず?と思っていたのですが最近の地域訪問でその理由が分かりました。

多くの方がTVの報道を通じて、「軍拡をどう考えたらいいのか?分からない」というのが素直なところなんだと知りました。

「やられたらやり返せ、当たり前」「外交なんて通じる相手じゃない」「戦争は嫌だけど、攻めて来られたらどうするんだ」勿論、「軍拡は当然」「戦争反対、軍拡はダメ」というはっきりした人もいるのですが、市民の憂鬱はやはり、ロシアのウクライナ侵略にあるようです。東アジアの平和の取り組みはほとんどの人が知りません。「外交なんて通じる相手ではない」と言いながらも、自分が人の話を聞こうとしないのですから妙な世の中になりました。これまで私たちに近いと思われた人でさえ、これだから街頭宣伝で反応が薄いのも頷けます。

如何にTVの影響が大きいかが分かります。人々の恐怖を煽り、政権のやり方はおかしいと思いつつ、TVからは戦争反対の声が聞こえてきません。さらには外交に疑問を持つ人の反応は、自公政権での外交ですから期待もできません。だからと言って軍拡はどうか?と皆さん悩んでいるんでしょうけど、私たちの訴えにも耳を貸そうとしないのも悩ましいものです。どうすればこの国を救えるんだろう?


そういう問題意識から生み出された出色の作品は次の通り。


ビビらずに、言い返そう。

      
「やられたらやり返せ」と言われたので、言い返した「煽り運転は法律違反」

「攻められたら身を守るのは当然だろう」と言われたので
「やられる前にやったら、逆に暴行罪だろう」と諫めた。


「話し合いに応じる相手じゃない」と言われたので
「話し合いしたことあったかな?」と聞いた。


「攻撃されたらやり返すのが当たり前」というので
「攻撃されたことないし、殺し合う気?」と聞いてみた。


「いつ襲われてもやり返せるように備えよう」と言われたので
「十分に備えてる。世界で8番。キリがない」分かってる?


「国あっての国民だ」と言われたので
「いやいや逆でしょう。国民がいないと国もない」
バカにつける薬はない。


「平和を守るためには軍拡を」と言われたので「軍拡で世界を脅しているのはアメリカとロシアだけど」と気づかせた。


「日本を守るために敵の中枢をやっつけよう」と言うので「その前に原発狙われ壊滅するのは日本だよ」我が身を振り返れ。


「平和ボケするな」と言われたので「ウクライナの兵士になりたいの」って聞いた。カッコつけるのやめてほしい。


「もっと兵器を備えよう」と言われたので「大赤字を抱えて、貧しい暮らしはそっちのけ?」と聞いた。


「国民を守るために軍拡を」というので、「それじゃあ聞くけど、あんたが国民守ったことあるの?」と睨んでやった。


皆様、いかがでしょうか?




今日の付録、2月6日の撮影写真です。


ツグミ。


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シロハラ。


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ジョウビタキ♂


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梅の花。


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今日はこれにて。


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鮟鱇も開いたる口が塞がらず,の巻 [日録]

2月最初の記事です。

冷え込み厳しいながら、立春も過ぎ、少しずつ日が長くなりました。

歯医者通いが続いています。

片道25km程の距離があります。

ずっと以前、勤務していた職場に近いのでお世話になり始めてから、今も変わらずかかっています。

1月にこの記事に書きました。

おなじみ「後書き日記」、の巻(2023-01-10)

ところで、過去にも時々ご紹介している学生時代のサークル仲間の会報に、時折、拙文を載せていただいており、5月発行予定のそれにも、本ブログ記事を下敷きに、一文を寄稿しました。書いた中身が、いくらか情勢がらみの文章で、鮮度が高いうちにご披露したい欲求に駆られ、おなじみフライング投稿させていただきます。会報編集のN先輩、平にご容赦くだされ。

(1)鮟鱇も目に泪


新年早々、気のせいか頭痛を感じるときがありました。熱はありません。理由として思い当たるのは、年末のインフルエンザワクチン接種に続く新年早々のコロナワククチン5回目接種のせいでしょうか?あるいは、相前後しての歯科治療のせいで、全身に無駄な力が入り、肩こりその他、筋肉の痛みが残ったかも知れぬと考えてみたりもしました。
コロナ流行以来、「不要不急」の通院を避けてきた経緯があって、歯科医通いも久しぶりになります。メンテナンスの案内ハガキをいただいておりながら、長くほったらかしにしていました。前回の受診は、拙ブログの記事をもとに思い返せば、2018年の暮れでしたか?さらにさかのぼる2015年春先の受診について、ブログにこんな記事を書いています。

鮟鱇も目には泪か寒戻り(2015-03-23)
2007年の脳動脈瘤の手術、2013年の肺癌の手術、どちらも、オペの前に執刀医が「頑張りましょう」と声を掛けてくださり、オペ中も、麻酔でうつらうつらしている中で、「大丈夫ですか~?頑張って~」とドクターの声が聞こえてきます。
でも、点滴針から伸びる管や、計器につながった配線が身体にまとわりつく姿のままベッドに固定され、半身、または全身の麻酔によって身動きならない状態で、頑張ろうにも、頑張れることはありません。「頑張ってください」は、こちらのセリフで、心身共に消耗する長時間の手術を、頑張って遂行してくださるのは、あなたがた医療スタッフの皆さんでしょ。と反論したくなりましたが、それは遠慮して、「はい」とうなずいたものでした。
それに引き替え、この、歯科の治療は、患者も正味、頑張ることが求められますね。治療中にこんな句が浮びました。
鮟鱇のやうなおおぐちあけてゐる
つるされた鮟鱇のごと為すが儘
鮟鱇も目には泪か寒戻り

この大口を開いている様は、何に似ているだろうか、ワニかカバか、と想像をめぐらすうちに、吊し切りのために吊された鮟鱇の姿が目に浮かんだのでした。もちろん、イメージの背景にはこの句がありました。
鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 加藤楸邨
帰宅後、ちょいと探してみますと、こんな句もあるそうです。
泪目のまゝ鮟鱇の割かれけり 佐々木 鳴子
鮟鱇のあぎと全開宙にあり 野口 明子
吊されて老鮟鱇の無念かな 有永 実
とめどなき大鮟鱇の涎かな 岡田 耿陽
鮟鱇に似て口ひらく無為の日々 木下 夕爾
それにしても、無理してあんぐり口を開けたせいで、顎が痛いし、肩、首筋、こめかみなど、あちこちが凝って痛い上に、治療した歯の歯茎は腫れ、飲食物がしみます。
削られて歯の痛み増す寒戻り

(2)ハチマルニーマル異聞


しばらく後の記事にこんなことをかいています。
春長けてハチマルニーマルを考える、の巻(2015-03-30)
「8020(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。
一九八九年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。
愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「8020(ハチマルニーマル)」20(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、80(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団一枚」です。このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。
「80(ハチマル)」の方の保障はおぼつきませんが、「20(ニーマル)」目指して今日も歯医者通いです。このネタは、つい先日も友人に披露したところです。
予約なしの飛び込みでしたので、多少待たされましたが、待合室で米朝会談の模様が中継されていました。額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショーだったとしても、あの握手と軍事衝突回避・和平への歩みは、歴史の進むべき道、国際世論の求めるところでしょう。

ちなみに、ここに登場する「愛知県に住む私の親しい友人I君」(中略)は、現役時代はパソコンも使ったそうですが、今は、パソコンもケータイも(もちろんスマホも)使わず、従ってネットにも縁がなく、文章は手書き、コミュニケーションは電話とファックスで済ますという浮世離れの生活をしているらしく、そのため、わがブログも一切読んではくれません。――「浮世離れと」とはいうものの、新聞や雑誌・書籍を通じての情報収集には熱心で、特に新聞の投稿欄や死亡欄には常に目を通し、一種マニア的(偏執的)に、消息に通じているのは、知る人ぞ知るところですが。

(3)鮟鱇も開いたる口が塞がらず


話題を引用記事に戻します。「額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショー」であったにせよ、「軍事衝突回避・和平への歩み」の兆しがわずかに垣間見えたかと見えたあの米朝会談からわずか数年で、今日の前世紀的な軍事緊張に世界が席巻されることになろうとは、予測することもできなかった不明・うかつさを恥じるばかりです。
世界の人々の平和への希求を嘲弄して憚らないプーチン・ロシアの暴虐は時代錯誤と言わざるを得ませんが、その手を縛ることができるのは、国連憲章の誠実な遵守を求める国際世論を結集して暴虐を包囲し孤立させて道理に従わせる外交努力以外にはありません。憲法九条を持つ日本政府の役目はその方向にこそ発揮されるべきでしょう。
ところが岸田内閣は、ウクライナ危機に乗じて、また、中国・北朝鮮の拡張主義との緊張状態を強調しながら、歴代政府が表明してきた安保政策の大転換と軍備拡張への道を急いでいます。戦後の歴代政権が一貫して否定してきた敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や、軍事費倍増を明記した「安保3文書」を閣議決定し、湾岸戦争・アフガン戦争で都市を破壊し、多数の人々を殺傷した長距離巡航ミサイル・トマホークを、自衛隊に実戦配備するなどをアメリカに約束。要請があれば日本が攻撃されていないもとでも、敵基地攻撃を実行する準備をすすめています。
国会にもはからず、国民の審判を仰ぐこともなく、独断専行で安保政策の大転換へと突っ走る岸田政権の専横ぶりを見かねて、当然と言えば当然ですが、自民党内の重鎮のなかからも危惧の声が漏れてきているそうです。こんな記事をメモしておきます。
「河野洋平氏、防衛政策転換『安倍政治が問題』外交努力足りないと『報道特集』で指摘」( デイリースポーツ1月7日)
元自民党総裁・河野洋平氏が7日、TBS系「報道特集」に出演し、岸田内閣の防衛政策について批判した。防衛費倍増、反撃能力の保有などについて河野氏は「尊い命を犠牲にして、われわれ今ここに繁栄を得ているのです。『決して忘れません、決してあの過ちは繰り返しません』。何十年もですね、言い続けてその結果がこの政策転換というのはわたしはあり得ないと思っている」とコメントした。
転換の起点については「安倍政治っていうものに非常に大きな問題があったと思う」と安倍晋三元首相が出発点だったと指摘。安倍氏、菅義偉氏とバトンを受け継いだ岸田文雄首相の時には「勢いがついていた」と流れができてしまっていたとした。「少なくとも国会で議論をする。これをテーマに解散して総選挙で国民の意思を問うくらい重要な問題」とした。(中略)
さらに「反撃能力っていうのは武力による威嚇ですよね」と明言。「威嚇を予算化しようとしている。政治や外交の努力を抜きにして、ただ壁だけを建てていく。壁の隙間から向こうへ鉄砲を狙うのは本当の安全だとは思わない」と、・・・持論を展開した。
「聞く力」を標榜するキシダさん。お身内からの忠言に対してすら聞く耳持たぬとは情けない限りです。
「平和を望むなら戦争を準備せよ」というラテン語のことわざを引用し、「平和を望むならば平和を準備した方がいい。・・・準備は容易に本当の戦争の方へ近付いていく。非常に早く」と語った故加藤周一さん(評論家・「九条の会」呼びかけ人の一人)の言葉が、重みを増す今日この頃です。
このまま安直な政治論文で終わっては気が咎めますので、話題を俳句に戻します。
鮟鱇の句にはこんなものもありました。
鮟鱇の大口あいて笑ふ哉 寺田寅彦
作者の寺田寅彦は、言わずと知れた高知出身の物理学者で、漱石の弟子。『吾輩は猫である』に登場する理学士寒村君のモデルです。母校の追手前高校の前に建つ銅像には「「ねえ君、不思議だと思いませんか 寺田寅彦」と刻んであります。
全く不思議です。敵基地攻撃能力で国を守れるなんて、一国の総理たる人が本気で考えているのでしょうか?軍備には軍備、ミサイルにはミサイル、核には核、恫喝には恫喝では、緊張をエスカレートさせるだけ。
鮟鱇だってあきれて笑い出しましょうとも。
最後に駄句。
鮟鱇も開いたる口が塞がらず

開いた口が塞がらないのは、岸田内閣の閣僚・政権中枢のオソマツぶり。辞任・解任・更迭のドミノ倒しで、ちょっと古くなると印象が薄れてしまうほどです。すっかり忘れてしまわないうちに、「日刊スポーツ」web版の記事をメモしておきます。

2023年2月5日11時0分

異次元のピンチに陥った岸田政権 長男、側近…首相秘書官に続く問題、負のループ抜け出せず


岸田文雄首相についている8人の首相秘書官のうち、荒井勝喜氏が、LGBTなど性的少数者への差別発言で「即更迭」となった。時の首相を支える秘書官が更迭という形で職を解かれるは、あまり聞いたことがない。調べてみると、1995年に村山富市内閣で、当時大きな問題となっていた旧大蔵省をめぐるスキャンダルで、過剰接待を受けたとして問題視された秘書官が、事実上の更迭となったことはあった。この時は、政権への打撃を最小限に抑えるためか、定期の人事異動に合わせる形で職を解かれていた。今回の秘書官更迭劇がいかに異例な対応なのかが分かる。
(中略)
昨年の閣僚の更迭劇では、最終判断までの「後手後手」ぶりが批判された岸田首相が、今回はどれだけ深刻に、「まずい案件」と受け止めたかは、このスピード感だけで伝わってくる。首相秘書官は、首相を支える「チーム」の一員。自分にもダイレクトに跳ね返ってくる問題だからだ。
(中略)
岸田政権では、首相が任命した閣僚がすでに4人更迭され、今回秘書官までが更迭されることになった。すべてが自身の足もとでの出来事。今の岸田政権は「負のループ」から抜けきれない状態が続いている。
荒井氏の差別発言は岸田政権が主張している多様性を認め合う社会への理解を根底から覆す内容でもあり、政府、自民党では翔太郎秘書官の問題とは次元の異なる深刻な出来事と受け止めている。秘書官の問題は、首相自身の責任に跳ね返ってくるテーマ。だからこそ、のらりくらり乗り切ってくることができた過去のピンチとは違う、「異次元のピンチ」なのだ。【中山知子】


週末、お泊まりを楽しんだ小1・小2の従姉妹と、小6・中3の兄姉も一緒に、昨日は深山公園に行ってきました。

刻んだ野菜と食パンを用意して、カモたちに与えると、鴨も子どもも大喜びです。

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散歩道を歩いて行きますと、ヤマガラに餌やりをしていたご夫婦が、子どもたちにもヒマワリの種を分けてくださり、餌やり体験に誘ってくださいました。

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四人とも、自分の掌から餌をついばんでいくヤマガラの感触に興奮気味でした。

シロハラもいました。

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それから、、、

木の陰に見え隠れするのは、ルリビタキ♀のようです。

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今日はこれにて。


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