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昨日は没後90年、生誕120年の多喜二忌でした、の巻 [日録]

昨日の2月20日は多喜二忌でした。没後90年、生誕120年に当たるそうです。

そのことに触れようかどうしようか迷いましたが、岸田首相が岡山県北の奈義町を訪れたというHOTなニュースに筆を割きましたので、多喜二に触れるゆとりがありませんでした。それでも、毎年欠かさず書いている話題ですので、今年もひと言は触れておきたいと思います。

一番新しいところでは、この第2ブログ「ナードサークの四季ver.2」に移行したばかりの頃に書いたこの記事でしょうか。

自然環境体験公園のジョウビタキ、の巻(2022-02-21)

事柄の重さから言うと、第一に話題にすべきなのは、昨日2月20日が多喜二忌であったということでした。うっかりしているうちに、昨日が終わっていました。今日のワクチン接種を忘れてはならないという一点にばかり囚われていたせいでしょうか?

そう言えば、去年も同じような記事を書きました。

続々すっかり忘れてました、の巻(2021-02-20)

こんなに同工異曲の記事を繰り返し書いてきたことも、すっかり忘れてました。でも、今日2月20日が多喜二忌だということは、決して忘れられません。

と書いた後で気がつきました。この記事のこと、忘れてました(汗)

忘れてました、の巻(2019-02-21)

こまっしゃくれたチコちゃんに「ぼーっと生きてじゃないわよ」ととがめられるのは不快ですが、確かにとみに注意力散漫で、大事なことに後で気づく事が多いです。

昨日が二月二十日であること、二月二十日が多喜二忌であることはそれぞれ認知しているつもりですが、その二つが結びついたのは、昨日の記事をupしたあとのことでした。遅かりし由良之助です。

さらにさらに、もっと以前、こんな記事を書いたことがありました。

「凍雪(いてゆき)のなお屋根覆う多喜二忌か」(2014-02-10)

そうだ、昔、高校生向けの学級通信で、多喜二忌を話題にしたことがあったっけと、探してみました。
ありました!
SHARP製のワードプロセッサで書いた文章を、後にtextファイルに変換して、保存していた物です。コンピュータといえば、NECの9801~9821といったシリーズが全盛の頃で、私には敷居が高い気がして、近づくのを敬遠していました。
今考えても、ワープロ専用機は、私レベルの仕事にとっては、不足のない優れもののツールだったと思います。

スイッチオンで直ちに起動する身軽さ、アナログ感覚のレイアウト、必要なときに用紙を差し込んで、即印刷できるお手軽さ、、、。
これが懐かしくて、生産終了から随分経った後、ハ-○オフでジャンク品を購入したこともありました。足りない「システムファイル」を、SHARP社の営業所を探し当てて注文・購入したり、印刷用インクリボンやあれこれのサプライ品を買いそろえると結構高くつきました。
でも、現実には、簡単な文書を作るときでも、画像処理を伴うファイルを利用したり、いざというときにネット接続して助けを借りたり、ネットワーク上のファイルを参照したりetc.の便利さに慣れてしまっている身では、もはやワープロに戻れないことを痛感し、結局、部屋の隅でホコリをかぶっているわけですが---。それでも、wifi時代即応のワープロ専用機、開発して欲しい思いはあります。ニーズはあると思うんですがねえ。

話をもどして、昔の学級通信の記事はこんなものでした。


あー またこの二月の月か きた

ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる
めかねかくもる
一九六一年、八八才で亡くなった小林セキさんの遺品の中から、上のようなたどたどしい鉛筆がきの、一枚の紙片が見付かった。解読すると、次のような意味になるのだろう。
ああ、またこの二月の月が来た
本当に、この二月という月が、
いやな月、声を一杯に泣きたい
どこへ行っても泣かれない
ああ、でも、ラジオで 少し助かる
ああ、涙が出る
眼鏡が曇る
小林セキさんとは、「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二のお母さんだ。読み書きのできない小作農の娘として育ったセキさんは、五七才の手習いで、「いろは」から字を習い始めたという。一九三〇年“治安維持法違反”で投獄された我が子・多喜二に、自分で手紙を書きたい一心で。
翌三一年、出獄後に書いた作品「独房」の中で、多喜二は、主人公にこう語らせている。
「俺達はどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、ほれてはならないそうだ。月を見ても、もの思いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えてメソメソしてもならないそうだーーー人はそういう。だが、この母親は、俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を買っておいて、今日は帰って来る、明日は帰って来るといって、食べたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺はここへ来てから、そのことを小さい妹の、仮名交じりの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声を立てずに泣いていた。」
治安維持法を振りかざす天皇制政府・軍隊・警察権力は、「国体」の変革、すなわち絶対主義天皇制から民主主義への変革の志向を“最悪の罪”とみなして、死刑を含む重刑と凶悪なリンチによっていっさいの民主的・進歩的運動と言論の封殺をはかった。(そして、その歩みの先には、無謀な侵略戦争が待ち受けていた。)
この弾圧を逃れるため、地下活動(非公然活動)に入って執筆活動を続けていた多喜二は、詩人今村恒夫と共に特高警察に捕らえられた。そして、激しい拷問によってその日のうちに殺害され、変わり果てた姿となって母親と再会することになった。一九三三年二月二〇日のことだった。
検察当局は、死因を心臓麻痺と発表。遺体の解剖を妨害し、二二日の通夜、二三日の告別式の参会者を片端から検束し、火葬場まで警戒を解かなかった。通夜に供えの花をもって行き杉並署に検束された作家・宮本百合子は、「(小林多喜二のところへ来た人達で)留置場は一杯になっていた。少なくとも、女の室は満員だった」と記している。 遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家・江口渙は、通夜の席でのお母さんの姿を、次のように書きとどめている。
「こみあげてくる悲しさに耐え切れなくなったものか、お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。
『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だでや。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるのがーーーああ痛ましや。』
お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、
『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と前身の力をふりしぼるような声でさけんだ」
それから、三十年近くも、毎年毎年、二月が来るたびに、眼鏡を曇らせて悲しみにくれた老母の無念を、私は思わずにはいられない。ああ、またこの二月の月が来た。
奇しくも今年の二月、しかも多喜二忌の直後に、昭和天皇の「大喪」とやらが、百億円の巨費を投じて国家的行事として催されると言う。数十万人にのぼる治安維持法犠牲者、そして、無数の多喜二の母たちにとっては、複雑な思いの二月となることだろう。


読み返してみて、この学級通信の文章を書いたのが、昭和の終わりの年だったことが思い出されます。早くも、四半世紀を過ぎたわけですね。

これらの記事以上には、もうほとんど付け加えるべき点もないのですが、最近、ある場所にこんな短文を寄せましたので、転載させていただきます。

日本共産党の値打ちをチコちゃんに聞いてみたら? 元高校教員 kazg

「日本の政党で、共産党だけが100年超の長い歴史を持つのはなぜ?」

チコちゃん答えて曰く「他に置き換えが効かない党だから-。ひどい弾圧の中でも戦争反対を貫き、大国の干渉にも負けんと自主独立に徹し、いつも国民の幸せのために献身してきた世界に一つの党やで」と。

私自身、50年以上支持してきたが、新たな戦争準備が進む今こそ、この党の値打ちがもっと広く語られなくては、と痛感する次第。小林多喜二の死に際し「ふと彼等の意図ものになるべしという気する」と記した志賀直哉の予感が、そろそろ実現してよい頃では??


きょうの付録は深山公園の小鳥たち。

メジロです。K1IM8804

K1IM8808

K1IM8828

コゲラ。

K1IM8865

K1IM8879

K1IM88081

K1IM8953

K1IM8951

紅梅が盛りです。

K1IM8805

今日はこれにて。


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コメント 4

アヨアン・イゴカー

多喜二のお母さんの様子、拝読して胸が悲しみに捉えられました。
息子が自分より先に死ぬ悲しみ、それも拷問による殺害。
子供はおりませんが、自分が一定の年齢になると、このような悲しみが痛いように分かるようになりました。


by アヨアン・イゴカー (2023-02-21 23:14) 

kazg

アヨアン・イゴカー 様
爆撃や軍事侵攻による殺傷、また地震などの災害によって子どもや肉親を失うことも、同じく、堪えられない苦痛を伴うことでしょう。守り、かばってやるべき自分になすすべもなく、理不尽に奪い去られたいのちであるだけに、受け入れがたい思いはひとしおと思います。理不尽さの度合いに差があるとも言えませんが、多喜二の死の理不尽さは、母としては到底受け入れることのできないものだっただろうと、改めて痛ましく思います。
by kazg (2023-02-23 06:55) 

Enrique

多喜二の件,国家権力の横暴無慈悲グロテスクさをまざまざと見せつけられます。
ワープロの件は私も全く同意ですが,デジタル事情(OSの問題など)からはかなり難しそうです。専用機の強さ・便利さというものはあり,文字を打つという基本的なところを大事にしないといけないわけですが。PC98の時代は何が良いのかわからないものの仕事では一太郎を使っていました。しかしDOS/V機Windowsになって無理やり使わされるWordはもっと酷いものした。
by Enrique (2023-02-23 08:29) 

kazg

Enrique様
現在、学校職場では、WORD使用が原則とされ、一太郎さえ排斥されつつあるそうです。使いやすさとは別の基準で、消滅するものと生き延びるものとが決まっていくようですね。
by kazg (2023-02-25 21:01) 

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