春は駆け足、の巻 [花三昧]
亡父の一周忌(神道系なので一年祭と呼びます)を家族だけで済ませました。
冬の間に強剪定した、庭の白木蓮がそれでも花を咲かせていました。
亡父が生前、一緒に泊まったことのある温泉の同じ宿に、家族で泊まりました。
以前この記事で紹介しました。
風薫る温泉宿の大家族(2016-05-08)
さて、一方、今回宿泊した湯郷温泉で
すが、私にとっては、高校時代毎日自転車通学した経路の上にあり、身近すぎて有り難みを感じることが少ないきらいはあって、私自身これまで、温泉の湯につ
かったことはあっても宿泊したことはありませんでした。今回は、両親も高齢化して遠出を控える気持ちもあって、近いところですまそうと考えたのでした。し
かし、いざ宿泊予約を試みようとすると、大型連休中とあってか、どの宿も満杯らしく、ヤド探しに手こずりました。たまたま、以前娘が友人と泊まったことが
あるという旅館に空き室があり、やっとの事で予約ができました。
美作三湯の中では一番、里に近く、高速道路による近畿地方とのアクセスも比較的至便なので、その点「俗化」の傾向が強いように思われますが、十分に山深いことは間違いありません。(中略)
朝から青空が広がっています。
郷土作家のあさのあつこさんが、「作州色」の空と呼ぶのはこんな色でしたっけ。彼女、現在お住まいはもう少し北寄りの、姫新線林野駅の近くですが、かつて少女時代はこの湯郷にお住まいだったはず。(中略)
旅館のなかにこんなレトロなコーナーがありました。
(中略)
右の兄が,今では大学生。左の弟が4月から高校生です。この時はまだ乳児だったり、生まれていなかった含めて、子どもたちは大はしゃぎでした。
早一週間が経ちました。大学生の兄は、昨日、連路飛行機で、大学のある町へ帰りました。
一昨日の朝散歩では、雨上がりの花々が、春を告げていました。
ソメイヨシノははほとんど蕾ですが、チラホラ咲き始めているなと感じておりましたら、気象台が岡山市の標本木の開花を確認したというニュースがありました。
そして今朝も、夜の間に雨が降った様子で、濡れたソメイヨシノがこんな具合に咲き広がっています。
あれこれ多忙な毎日で、ゆったり花を愛でる余裕もありませんが、束の間の朝散歩を愉しめて嬉しいことです。
今日はこれにて。
月遅れのセツブンソウ、の巻 [花三昧]
2月の頃から、セツブンソウを写したい思いがつのっていましたが、機会をつくれませんでした。旧ブログから新バージョンに移行したばかりの頃、こんな記事を書きました。
10日遅れのセツブンソウ、の巻(2022-02-14)
新しく 「花三昧」という カテゴリーを立てました。 柄にもなく、花を撮ることも、時にはあります。 しかし、見たままにの美しさを写真に写すことは 難しいことだ、とつくづく感じさせられます。
けれどもまあ、季節を知らせる 「花便り」ほど の意味は あるでしょうか。 そんなことを思って、久しぶりに 半田山植物園へ行ってみました。 お目当ては 10日遅れのセツブンソウです。
過去にも、ここでよく写しています。最初はこの記事。思いがけずセツブンソウに会う、の巻(2019-02-26)
半田山植物園にも久しく行ってません。・・と思っている折も折、小2の孫娘がポロリと話題に出しました。以前、確か小学校入学前、個々へ連れて行った際、迷子になった「トラウマ」の「リベンジ」を果たしたいと言うのです。
探してみるとこんな記事を書いていました。
お久しぶり(その4),の巻(2020-11-26)
小4の姉の提案で、半田山植物園へ行くことになりました。
以前、この記事連日の花見日和、の巻(2019-04-06)で紹介した,桜の頃の半田山をなぜか思い出して、再訪してみたくなったようです。
半田山植物園は、ちょうど桜の時期とあって、大勢の人でした。駐車場が、私たちが到着した時はまだ何台か空きがありましたが、帰る頃には何台もが駐車場入り口前に連なって、空きを待つ状態でした。この施設がこれほど賑わっている状態に遭遇したのは、初めてです。
ぽかぽか陽気の快晴で、歩き回るだけでも気分が爽快になります。山の斜面に作られた公園ですので、起伏に富み、孫たちも、野山をかけまわる感覚を味わいながら、色んな植物や花々に興味を引かれた様子です。
この記事の頃は、まだコロナなどという魔物の影さえ見えなかったのに、1年後の今年の春は、花見の計画も中止になるなど、ここを訪ねる機会もすっかり減り、まったく「お久しぶり」でした。今、第三波の到来に当面して、入り口では検温・マスク着用と、ものものしいコロナ対策が必須の状況ですが、それでも、入園者の姿は意外に少なくはありません。
ぽかぽか陽気の戸外の活動に、子どもたちは夢中でかけまわります。
ダンゴムシを見つけたり、
階段をかけのぼったり、
思い切り遊んでいる途中、保育園児ふたりの姿が見えなくなりました。小4の姉が、呼びかけながら、あちこち探してまわりますが、返事はありません。やむなく、園内放送で呼び出してもらうはめに、、、。通りかかりの入園客の方に道案愛をしてもらい、やっと姉と対面できた時には、気が緩んだのか、大声で泣き出しました。
思い出の大冒険になりました。
一カ月遅れですがセツブンソウはまだ咲いていました。
フクジュソウもよく咲いています。
異なる品種があるようです。
四国福寿草?
陸奥福寿草?
梅が見頃でした。
次の2枚は、小2女児の撮影です。
サンシュユも花盛り。これも小2女児の作品。
次の2枚は私の撮影です。
そしてマンサクが満開。
赤い花の品種もあります。
今日の付録はツバキメジロ。
今日はこれにて。
しつこく薔薇三昧、の巻 [花三昧]
昨日は夏至。
今日は参院選挙公示。時の歩みの速さに驚かされます。
5月28日のバラ園の画像を、しつこくご紹介します。
どの花も美しく、かぐわしく、永遠にあれかしと願います。
「日本の進路を左右する」と、マスコミも指摘する今回参院選挙。
今朝の日本経済新聞web版 にはこうありました。
自民、公明両党の与党の非改選議席は69議席で、今回は自公で56議席とれば参院で過半数を維持できる。首相は与党で過半数維持を目標に掲げる。
自公と改憲に前向きな日本維新の会や国民民主党などの「改憲勢力」が憲法改正の発議に必要な参院の3分の2を確保するかどうかもポイントとなる。4党などで82議席を獲得すれば3分の2に届く。(アンダーラインは引用者)
全国に32ある改選定数1の「1人区」が与野党対決の中心となる。16年、19年の参院選では1人区のすべてで野党が候補者を一本化した。今回は事実上の与野党一騎打ちの1人区は11選挙区にとどまる。
ウクライナ侵攻で厳しさを増す国際情勢を踏まえた外交・安全保障政策や、物価高対策、憲法改正などが主な争点となる。
政治が焦点化される選挙の期間中、主権者たる国民は、公選法の縛りにより、選挙や政治について自由に語れない「べからず」選挙のパラドックス。憤懣がつのります。
風向きに応じて獣についたり鳥を装ったりしてきたコウモリたち=補完=翼賛勢力が、すっかり正体を露わにしてきたことは、一面では憲法の危機が進んだとも言えましょうが、反面では、紛らわしさがなくなって、誰にも事態が見えやすくなったとも言えるでしょう。さればこそ、国民の中に、大いなる言論が巻き起こることが何より求められるのですが、こともあろうに、選挙期間中は「べからず」づくしですから、困ったものです。
そこで私は、鬱憤晴らしとして、今朝は、公営掲示版への候補者ポスターの張り出しを、午前中2時間かけてお手伝いしてきました。
そして、昼食にお茶漬けをかき込んで、午後は、わが支持政党の法定ビラ配布に費やすことにしました。
ところで、先日、広島高裁岡山支部で年金裁判控訴審の、第一回口頭弁論が行われ、傍聴参加してきました。
その際、久しぶりにお目にかかることができた元同僚のU先輩と、短時間立ち話をしたのでしたが、「これまで、ビラまきは苦にならなかったが、先日、一日で400枚配ったら体に応えた」とおっしゃるので、ただただ感服仕りました。御年88歳と聞きました。70歳のはなたれ小僧では足もとにも及ばないが、少しばかりは真似てみたいと、今日は400枚を持って出ましたが、梅雨は言っても今日は薄日も射し、30℃を超える蒸し暑さ、約一時間、3分の1ほど配ったところでダウン。残りは別の日に譲ることにして、すごすごと引き上げたことでした。いや情けない。
次回は、涼しいうちにリベンジを果たそうと、心に期しているところです。
今日はこれにて。
続々薔薇三昧、の巻 [花三昧]
RSKバラ園のバラの写真を、少しばかりストックしていたのですが、タイミング遅れながら、一挙放出しちゃいます。
ヨハネ・パウロ2世は、ポーランド人初のローマ教皇で、全世界を訪問して対話を進める積極的な行動力から、「空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)」と呼ばれました。1981年2月23日~26日にはローマ教皇として初来日し、広島市と長崎市を訪れ、日本語で「戦争は人間のしわざです」「戦争は死です」と演説し、核兵器の廃絶を訴えたことは記憶に新しいところです。
広島訪問時の「平和アピール」全文が、「カトリック中央協議会(JAPAN)」ホームページに収められています。その一部をご紹介します。
教皇ヨハネ・パウロ二世 広島『平和アピール』 | カトリック中央協議会 (catholic.jp)
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。
もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。
この2つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。
1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。
この地上のありとあらゆるところに、戦争のもたらした惨事と苦しみのゆえに、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く、存在しています。それは、人類の犯した悲しむべき行為だといわねばなりません。戦勝記念碑-- それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。国のために命を落とした人々、崇高な目的に命をささげた人々が横たわる墓地があります。同時に、戦争のもたらす破壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般の人々が横たわる墓地もあります。強制収容所や死体処理場の跡-- そこでは、人間と侵すべからざる人権とがいやしめられ、野卑と残酷とが最も強く表されたところでした。戦場-- そこでは、自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。
あの陰惨な一瞬に生命を奪われた、数多くの男女や子供たちのことを考えるとき、私は頭をたれざるをえません。また、身体と精神とに死の種を宿しながら、長い間生き延び、ついに破滅へと向った人々のことを思うときにも、同様の気持ちに打たれるのであります。この地で始まった人間の苦しみは、まだ終わっていません。人間として失ったものが、全部数え尽くされたわけではありません。人間の考えやものの見方、ないし人間の文明に対して、核戦争がもたらした実害を目のあたりにし、将来の危険性を考えるとき、特にそうした想いに駆られるのであります。2.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。この広島でのできごとの中から、「戦争に反対する新たな世界的な意識」が生まれました。そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。
核戦争の恐怖と、その陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。当地でのできごとを体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえ、そう考える人がいます。また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には、核戦争は起こりえないと考えたがる人もいます。さらに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。3.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれがいだく「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますますふえ、破壊力をも増大しています。
核兵器は依然として製造され、実験され、配備されつづけています。全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。」
4.過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。戦争という人間がつくり出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。文化、社会、経済、政治の面で、さまざまな発展段階にある諸国は、多種多様の問題をかかえており、そのために、国家間の緊張や対立が生じています。こうした問題は、国家間の正当な協定や、国際機関のよって立つ、平等と正義という倫理原理に添って、解決されねばなりません。それは、人類にとって肝要なことです。国内秩序を守るために法が制定されるように、世界の国々には、国際関係を円滑にし、平和を維持するための法制度が作り上げられなくてはなりません。
5.この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
6.35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。
各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。
人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。
相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。
再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。全世界の若者たちに、次のように申します。
ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。
あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。神を信じる人々に申します。
われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
神よ、わたしの声を聞いてください。わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
神よ、わたしの声を聞いてください。わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。(広島にて 1981年2月25日)
いま、ロシアのウクライナ侵略のさなかだけに、一方、これを口実に「力対力」の立場に固執して「核共有」・「敵基地攻撃能力の保有」・軍事費2倍化などを高言しつつ、憲法九条改変を狙う勢力が勢いづいている時だけに、このメッセージに、世界中が冷静に耳を傾けるべき時ではないかと痛感するところです。
今日はこれにて。
薔薇三昧、の巻 [花三昧]
今日のタイトルは、なんと読みましょうか?
薔薇を「ソウビ」と読んでこんな記事を書いたのは、もう8年も前のことでした。
その御名はいづれも尊き薔薇(そうび)どの(2014-06-09)
ところでバラの花といえば、以前書いたこの記事 (お名前は? ロミオかバラか白加賀か?)のように、シェークスピア「ロミオとジュリエット」の、このセリフを想起させます。
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって!
もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせますわ」
ロミオ「 黙って、もっと聞いていようか、それとも声を掛けたものか?」
ジュリエット「わたくしにとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でいらっしゃらなくても、あなたはあなたのままよ。モンタギュー ――それが、どうしたというの?
手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前をお付けになって。名前にどんな意味があるというの?
バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオ様だって同じこと。ロミオ様という名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいらっしゃるに決まっているわ。ロミオ様、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、このわたくしのすべてをお受け取りになって頂きたいの」
新潮文庫 『ロミオとジュリエット』シェークスピア作 中野好夫訳ところで、昨年の定年退職以降の、生活習慣の変化の一つは、「朝ドラ」を観るようになったことです。「あまちゃん」の頃はまだその習慣はありませんでしたが、「ごちそうさん」を何となく観はじめ、「花子とアン」に続いています。今年は4月から、週三日のアルバイト生活に入っていますが、出勤時間には余裕があって、ほぼ欠かさず観ることが出来ます。朝観られなくても、録画というものもありますし。
その「花子とアン」で、はなが女学校の文化祭に「ロミオトジュリエット」のシナリオ・演出を引き受ける一場面がありました。
その一こま(第26話)。「ロミオ・モンタギュー、あなたの家と私の家は互いに憎しみ合う宿命 …
その忌まわしいモンタギューの名前をあなたが捨ててくださるなら、私も今すぐキャピレットの名を捨てますわ」
「名前が何だというのであろう ~ ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」
「ええ、バラはたとえほかのどんな名前でも、香りは同じ … 名前が何だというのでしょう?」というシェークスピアのセリフが、はなには納得できず、
「もしバラがアザミとかキャベツなんて名前だったら、あんな素敵に感じられるかしら?私のお父が吉平ではなく権兵衛って名前だったら、お母は好きになってるかしら?」
と、思案します、とはいえ、にわかに書き直すいとまもなく、時間をせかされて、稽古を続けていたところ、
ロミオ役の醍醐亜矢子の、
「名前が何だというのであろう ~ ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」
のセリフを受けて、
ジュリエット役の葉山蓮子(白蓮さん)が、即興でセリフをこう改変したのでした。「ロミオ様、それはどうでしょうか …
もし、バラがアザミやキャベツという名前だったら、同じように香らないのではありませんか?
やはり名前は大事なものです」ネット情報によると、このセリフは、本家本元モンゴメリの「赤毛のアン」のエピソードらしい。「赤毛のアン」のシリーズはもちろん、大昔、好んで読みましたが、ディテールは忘れておりました。
「そうかしら」アンは思いに耽った顔をした。「薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ」(第五章「アンの生いたち )
名前は大事というのは、「アン」自身もこだわったことのようでした。
ところで、このバラの名前ですが、半田山植物園には品種名の表示がされていて、いずれ劣らぬ尊いお名前。一応はメモって帰ったのですが、画像と対照する手間に耐えられず、赤いバラ、黄色いバラ、ピンクのバラ、白いバラと呼ばせてもらいます。あしからず。
思い起こせば放縦といふべかんなる薔薇雫(2016-06-13)の記事にも書いたように、花子の「腹心の友」葉山蓮子を演じていたのは、現在進行中の朝ドラ「ちむどんどん」で、決して運命に屈しない健気な沖縄の母親役を好演している仲間由紀恵さんでしたね。
以前、NHKの朝ドラで「花子とアン」を放送していたころ、こんな記事を書きました。仲間由紀恵さんが魅力的に演じた 「蓮様(れんさま)」のエピソードです。
白蓮あれこれ 思いつくまま「蓮様(れんさま)」こと葉山蓮子のモデルは、大正三美人のひとりと評された、柳原白蓮(1885~1967)です。
ちなみに大正三美人とは、この柳原白蓮と、教育者・歌人、社会運動活動家としても知られた九条武子(旧姓大谷武子)と、新橋の芸者で、法律学者・江木衷と結婚して社交界で名をはせた江木欣々(えぎきんきん)の3人だといいます。2人目の九条武子は、京都西本願寺・大谷光尊の二女として生まれ、男爵・九条良致と結婚。才色兼備の歌人として知られました。佐佐木信綱の門下生で、当時の「麗人」という言葉はこの人のために使われたといわれます。
話が脱線しすぎました。薔薇は「ソウビ」とも読みますが、やはり、バラと読んで起きましょう。したがって、今日のタイトルは「バラザンマイ」です。
実は昨日(5月28日)、私が属する年金者組合地元支部の行事で,「RSKバラ園」を訪問し満喫しましたので、かの地の薔薇三昧をご紹介したいと思うのです。
このRSKバラ園については、実は大賀ハスについて紹介したこんな記事で話題にしたことがありました。
大賀ハス開花記念日!(2014-07-18)
実は、この庭瀬城跡と遠からぬ場所に、「RSKバラ園」という施設があり、そこの大賀ハスもよく知られています。私は未見でしたので、ついでに足を伸ばしてみました、
「RSK」というのは、地元の方はご存じですが地元放送局の「山陽放送」の略称です。なにかモダンな響きのある「アール、エス、ケイ」とは、どのようなハイカラな言葉の略語かと思いきや、旧社名「ラジオ山陽株式会社」の頭文字ですって。
「RSKバラ園」は、山陽放送がラジオ送信所の用地を利用し、地域の人々の憩いの場として昭和49年に開園。バラは中央のRSKラジオ放送アンテナ(高さ105m)を中心にした約3万平方メートルの同心円型花壇に、およそ250品種を植栽。バラ園の外周には、梅園・サクラ並木・ボタン園・ハナショウブ園・ロックガーデン(山野草展示園)も併設しており、チューリップ・フジ・ツツジ・ハナミズキ・アジサイ・大賀ハスなど四季おりおりの花木が植栽してあるそうです。バラは、真夏の過酷な環境のもと、多少なりとも痛々しい姿を免れませんが、ベストシーズンは、さぞや見事だろうと想像できました。
昨日は、そのベストシーズン(わずかに盛りを過ぎた感もありましたが)を堪能することができたのでした。
せっかく、「やはり名前は大事なものです」という大事な指摘を強調しましたので、バラの花の写真とともにその品種名を紹介させていただくことにします。
このバラ園に栽培されている品種の、ほんの一部に過ぎませんが、存分にお楽しみください。
まずは、・・・
ハイネス雅(大輪咲き )
日本:1998年
皇太子殿下・雅子様のご成婚を記念して、岐阜県農業技術センターで育成された品種です。1993年に岐阜県知事により名付けられました。
と解説があります。
続いて赤バラ・・・
熱情(ねつじょう)
(大輪咲き )
日本:1993年
花色は深みのある赤で、赤バラとして花色・花形ともにバランスの取れた強健種です。
とあります。
次も赤バラ。
ボブホープ(大輪咲き )
ドイツ:1966年
花径は15㎝の濃い赤色の四季咲きとなっています。強いローズの方向を持っています。取れた強権種です。
今日はこれで一休み。次回に続きます。
サクラ三昧(2)、の巻 [花三昧]
4月になりました。
一番上の孫が大学進学で、新しい門出に向けて今日出発しました。
新生活の拠点としてアパート生活できるように、身の回りのものを揃えたりさまざまな準備のために、パパとママも一緒について行ってやりました。なにぶん、距離のある場所ですので、パパとママが帰ってくるまで数日の間だ、難民3人を我が家で預かることになります。
ジジババは、そわそわと、お迎えの準備です。早速お昼ご飯は、焼きそばを作らねばなりません(笑)
よく晴れました。桜も見頃が続きます。
変わり映えしませんが、ソメイヨシノの枝をあれこれ。
いつも騒がしいのはヒヨドリです。
こちらは一週間前に撮影したヒヨドリです。
モズです。
カワラヒワ。
ツグミ。
今日はこれにて。
サクラ三昧、の巻 [花三昧]
今日で3月も終わり。
雨もよいの一日でした。
いや、少し不正確。
goo辞書にはこうありました。
雨催い(あまもよい)
今にも雨が降りだしそうな空のようす。雨模様。あめもよい
実際には、早朝降っていた雨が、散歩時には上がった状態でした。散歩中、傘が要りませんでした。が、また降り始めたりやんだりの、鬱陶しい一日。
ソメイヨシノが「見頃」を迎えています。
でも、いつもの年のような、浮き立つ気持ちが、なぜか湧いてきません。一つは今朝の天候のせいもありましょうが、やはり何よりも、ウクライナを巡る救いのない事態が、とことん気を滅入らせるのに違いありません。コロナの蔓延も、少しも状況が良くなっていませんし・・・。
それと、父の喪がいまだ明けない状況では、サクラを愛でる思いも陰りを帯びるのでしょうか?
ジョビ子さんが慰めてくれました。
今日の付録。
先週の河津桜(今はもう散っているでしょうが)。
メジロとのコラボです。
今日はこれにて。
開花確認、の巻 [花三昧]
寒暖の変化が激しく、変わりやすい天気の3月でした。
辛抱たまらず、ストーブ用の灯油を買い足したりもしましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言うとおり、一気に春めいてきました。
3月24日、雨上がりの朝散歩。
桜の並木道が、霧に包まれています。
ソメイヨシノのツボミはまだ固そう。
わずかにふくらみ始めたツボミを見つけました。
翌3月24日。まだツボミです。
日当たりの良い場所の枝に、わずか一輪・二輪がほころびかけています。
そして今日、3月26日。朝は空気の暖かい曇り空。
一気に開花を確認できました。
今日の付録です。
ツクシ。
早速、昨日、きんぴらで食べました。
サクランボの花、もう終わりかけています。
これは何の花だったっけ⁇毎年悩みます。
土手のヒヤシンス。
カタバミ?
菜の花(野菜の花)。
ホトケノザ。
ユキヤナギ。
ハクモクレン。
コブシ。
付録の付録。
朝から雨が降り始めました。植物の生育をますます促す雨になるでしょう。今日はこれにて。
献花、の巻 [花三昧]
今日、2月15日は、majyo様の命日でした。ご逝去から、満三年になるのですね。
gonntan様のこちらの記事で気づかされました。
majyoさんの
ご逝去に際しては、遅ればせながら、バラの花を贈りました。majyo様のブログを引き継いでくださっている管理人様が、このページに紹介してくださいました。
続・箒に乗って・・・(2019-02-17)
また、こちらのページには、タイサンボクの花をお供えしました。
特にニュースはありませんが・・・(2019-06-04)
1周忌にあたっては、タンポポの花を贈りました。
タンポポを捧げます、の巻(2020-03-22)
昨日の記事で、近畿理財局元職員故赤木さんのご遺族の訴訟と、公開された遺書と手記の話題を取り上げました。この大ニュースに接し、ふと、ソネブロの先輩、故majyo 様のことを思いました。ブログオーナーのmajyo様亡き後、「委託された代理人」としての管理人様が、折に触れてブログを更新してくださっていますが、久しぶりに訪問してみますと、最新の更新記事をアップしてくださっていることに、遅ればせながら気づきました。(早いもので一周忌です)
そうでした。2月15日が、ご命日でした。
さて、今年、お供えしたい花は?
春を告げるフクジュソウです。
そして、黄色いバラもお供えします。
白梅です。
紅梅。
今日はこれにて。
10日遅れのセツブンソウ、の巻 [花三昧]
新しく 「花三昧」という カテゴリーを立てました。 柄にもなく、花を撮ることも、時にはあります。 しかし、見たままにの美しさを写真に写すことは 難しいことだ、とつくづく感じさせられます。
けれどもまあ、季節を知らせる 「花便り」ほど の意味は あるでしょうか。 そんなことを思って、久しぶりに 半田山植物園へ行ってみました。 お目当ては 10日遅れのセツブンソウです。
過去にも、ここでよく写しています。最初はこの記事。
思いがけずセツブンソウに会う、の巻(2019-02-26)
セツブンソウは、自生ではなくて植栽されているようでした。「群生」というには、やや小規模ですが、可憐な花がいじらしく咲いています。
マクロレンズで近くから写します。ただ、立ち入り禁止のロープが張ってありますので、腕を精一杯伸ばさなければなりません。
フクジュソウも見頃。
少しは進歩を求めたいので 、今年は、撮影機材の選択にこだわってみました。
実はこの場所は、上の記事でも触れたとおり、 セツブンソウ保護のため、 ロープで立ち入り禁止区域が作ってあります。ですので、 望遠系のレンズでないと 大きく写すことはできません。そこで、PENTAXK-1Ⅱに、 PENTAX 100 マクロ レンズを 装着することにしました。
それでもやはり 接写というには距離があり こんな感じで映ります。
トリミングします。
暦の上での節分からは10日も過ぎましたが 今年は 冷え込みのせいもあるのか ちょうど今が 見頃 といったところでしょうか。
鳥に出遭ったときに備えて、もう一台 持参したカメラがあります。 オリンパス M-D E-M1+OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 70-300mmという組み合わせです。
実はこのカメラ、OLYMPUS機としては上級機に属するため、ネットで価格を見比べて、お買い得物件を 中古で入手したのですが、どうも何かと調子が悪く、 肝心な時に ブラックアウトし 言うことを聞かなくなることがしばしばありました。 機嫌をとりながら、我慢して 使ってきたのですが、不満がつのり、 思い切って修理に出したのでした。
昨年末の パソコンハードディスクの修理(データ復旧) の一件以来、 出費にたいする感覚が麻痺し、少々のことでは 驚かなく なってしまったせいか、 カメラの 修理代金2万円強と聞いても、二つ返事で修理を依頼してしまいました。これまで購入した 中古カメラ やレンズ の代金に匹敵またはそれを凌駕する金額ですが、現在所持しているOLYMPUSカメラがいずれも一部破損や部品欠落などの損傷を被っている中で、新たに購入するかそれともいずれかを修理して使うかと考えた場合、この機種に応分の投資をするのが最も費用対効果がまさっているのではとこじつけて決断した次第です。
ZUIKO DIGITAL ED 70-300mmというレンズも、旧タイプの『フォーサーズ』規格ですし、中古購入の年代物である上に、使用途中に鏡筒に無惨な割れ・グラつきを生じている代物なのですが、フルサイズ換算600mmという望遠性能を惜しんで、活躍の場を与えてやりたい思いを捨てられません。
「割れ鍋に綴じ蓋」のこのコンビで、セツブンソウを撮ると、、、(いずれもノートリミング)
近くに咲いている 福寿草が、これまた見事に 黄金色です。昨日の雨に洗われて今日は一転快晴ですから 、明るく 輝いています。
ちなみに 去年の記事はこれ でした。似たようなことを書いています・
節分雑話、の巻(2021-02-02)
(4)この年の立春は、文字通り春の陽気を連れてきたのでした。厳寒に見舞われた今年も、遅ればせながら、早春の花々が春の訪れを告げています。いずれも2月1日、半田山植物園で写しました。
まずは、セツブンソウ。名前の通り節分の頃咲きます。
フクジュソウ。
ソシンロウバイ。漢字では素心蝋梅と書くそうで、黄色一色のロウバイです。
マンサク。「先ず咲く」から名付けられたとも「豊年満作」からとも言われています。いろいろな品種があるようです。
マンサク咲いてコロナの冬は果てぬべし
今日はこれにて。