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ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)、の巻 [時事]

今朝のNHKnewswebにこんな記事が載っています。


オスプレイ墜落 死亡が確認された乗員の身元明らかに | NHK(2023年12月3日 6時04分


アメリカ軍の輸送機「オスプレイ」が鹿児島県の屋久島沖に墜落した事故で死亡が確認された乗員について、アメリカ空軍は、沖縄の嘉手納基地に所属する24歳の隊員であることを明らかにしました。

先月29日、アメリカ空軍の輸送機「オスプレイ」が屋久島沖に墜落し乗員1人が死亡した事故では、乗員8人のうち残る7人の行方が分かっていません。

(中略)

この事故で亡くなった乗員1人について、アメリカ空軍の特殊作戦司令部は、沖縄の嘉手納基地に所属するジェイコブ・M・ガリハー氏(24)だと明らかにしました。

ガリハー氏は、アメリカ東部、マサチューセッツ州出身で、2017年にアメリカ空軍に入隊したということです。


この青年が既婚者であるか否かは不詳ですが、遺族の悲しみは察するにあまりがあります。行方のわからない残りの7人の無事を祈る家族の心情も思われてなりません。


この事故について、日刊ゲンダイwebの記事が注目されます。


米軍オスプレイはやっぱり欠陥機だ! 日本国内に47機、政府は無期限飛行停止を求めるべき 11/30(木) 14:00配信https://news.yahoo.co.jp/articles/2f1d8b16b194a5c0ed7b57b0749348c5c1c60550


米軍の垂直離着陸輸送機「オスプレイ」が墜落した。鹿児島県・屋久島沖の海上にはバラバラになった機体の残骸らしきものがあり、8人の乗組員のうち1人が発見され、死亡が確認された。事故原因の解明はこれからだが、「左エンジンから火を噴いていた」という目撃証言がポイントだ。

開発段階から墜落事故が相次ぎ、“未亡人製造機”とも呼ばれるオスプレイ。これまで「操縦ミス」が事故の主な原因とされてきたがエンジンから出火なら、機体に何らかの不具合があったことになり、話は違ってくる。

「それみたことか」と言うのは、新著「台湾侵攻に巻き込まれる日本」でオスプレイの危険性に言及した防衛ジャーナリストの半田滋氏だ。

「昨年6月に米カリフォルニア州で起きた墜落事故は『エンジンとローター(プロペラ)をつなぐクラッチの不具合』と米海兵隊が発表しました。今年8月には、陸上自衛隊のオスプレイが静岡で予防着陸しましたが、エンジンを覆っているカバーとエンジンの間に金属片が見つかった。いずれも今までになかった機体の故障です。そして今回はエンジンから火を噴くという前代未聞の事故。開発から計57人の米兵が墜落事故で亡くなっています。昨年は9人。今年も3人が死亡した。これほど墜落事故が続くのは、オスプレイに構造的欠陥があるとしか思えません」


当ブログでも、以前、こんな記事を書きました。


不時着と言うには無残!オスプレイ(2016-12-14)


朝のニュースでは、「オスプレイが不時着」と聞きました。「不時着」と「大破」では印象がずいぶん違います。たまたま今回は海上でしたが、民家や商業施設の上空、病院や学校、保育所の上空だったら、どんな悲劇が起こらなかったとも限りません。
オスプレイについては、過去記事にも何度か書いてきました。
2014年1月の記事。
◇はつはるや とりどりの鳥 撮りました

ミサゴは、英語でオスプレイと言うそうです。

沖縄はじめ、日本への配備が問題となっている垂直離着陸機のニックネームですね。

天空から猛スピードで思いっきりよく海中に突入し、勇猛果敢に獲物を捕らえるこの猛禽の、颯爽とした美しさ、勇ましさにちなんだ名づけでしょうか?

でも、その、航空機のオスプレイの方は、あまりにも事故が多くて、ウィドウ・メーカー( widow maker, widowmaker)=「後家製造器」「未亡人製造器」と揶揄される欠陥機だそうな。

(中略)

オスプレイはウィドウ・メーカー( widow maker, widowmaker)=「後家製造器」「未亡人製造器」とよばれるほどの事故多発機で、危険であるだけでなく、耐え難い騒音で迷惑千万、という当然の住民感情を尻目に、日米政府は、高江ヘリパッド工事強行をはじめ、沖縄、本土へのオスプレイ導入をはかっています。先の熊本地震でも、災害支援物資の運搬のためにあえてオスプレイを投入し、PRにつとめました。
政府と御用言論家は、「オスプレイは安全」と、まことしやかに言いつのっていますし、ネットを探ると、そうした論がかなり幅をきかせているようですね。

(中略)

これに対して、琉球新報の次の記事は、完膚無き反駁となっています。
◇<社説>オスプレイ事故率 重大事故の危機自覚せよ

(2016年1月8日 06:02 琉球新報)

政府や米軍が喧伝(けんでん)する「安全性」は信用に値しない。即刻、沖縄の空から去るべきだ。
垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの10万飛行時間当たりのクラスA(重大事故)の事故率が、普天間飛行場に配備された2012年の1・93件から、15年末時点で3・69件に増加したことを米海兵隊が明らかにした。
わずか3年余でクラスA事故率が約2倍になった。政府は「一般に飛行時間の増加に伴い(事故率は)低減する」と説明してきたが、それとは逆のことが起きているのだ。
民間機ならば同型機の飛行を止めるような異常事態だ。バッテリー発煙トラブルを起こしたボーイング787は原因を究明するために4カ月間、飛行停止した。これが航空機の安全運航を維持する上でのルールであろう。
しかし、在沖米海兵隊は重大事故が起きてもオスプレイの飛行を続けてきた。政府はこのような無謀な飛行を見過ごしてはならない。住民の安全を守る観点から、飛行停止を米側に求めるべきだ。米軍機を特別扱いする理由はない。

(中略)

沖縄タイムスも、衝撃的な事実を伝えています。
◇米海兵隊オスプレイ、アフガンでの運用率1% 事故率は41倍(2016年1月15日 11:27  沖縄タイムス)


■オスプレイ「実戦で使えない」 元米国防研究所主任分析官リボロ氏

【平安名純代・米国特約記者】米国防研究所(IDA)の元主任分析官でオスプレイの専門家、レックス・リボロ氏は12日、米海軍安全センターがまとめたアフガニスタンにおける米海兵隊航空機の事故報告書について沖縄タイムスの取材に対し、「現地でのオスプレイの利用率の低さと事故率の高さは驚異的で恥ずべき数字だ。実戦で使い物にならなかったことを立証している」と述べた。

リボロ氏は「同報告書で注目すべきは事故率の高さではなく、利用率の低さだ。これはオスプレイは本来の目的のために使えないことを示している」と強調。「(報告書のなかで)海兵隊のオスプレイ保有数は250機とあるがアフガニスタンでの飛行時間はたったの723時間。一方で、150機のUH1Yヘリの飛行時間は1万6千時間以上だ」と両者の差を指摘。2006年に2機を比較検証した際に、戦地での任務遂行機能に大差がないとのデータを得ていたことを明らかにした。

また、オスプレイの10万飛行時間当たりの事故率が1105・56件となっていることについて「通常、戦地での事故率は平時より高い。平時の事故率が10万飛行時間当たり約6件なのに対し、ベトナム戦時のヘリの事故率は約100件だった。私がオスプレイの機能分析を担当した1992年から2006年時、同機の事故率はおそらくベトナム戦時のものを上回るだろうと予測していたが、1105件という驚異的な数字は想像すらできなかった」と指摘。

02年に当時の海軍長官らに対し、「同機の戦地における事故率は10万飛行時間当たり約100件に達するだろう」と警鐘を鳴らしたところ、「ありえない話だ」と一笑に付されるなど、米軍幹部らが検証結果を軽視していた経由なども説明した。

リボロ氏は、オスプレイがアフガニスタンで運用されなかった理由について「事故発生への懸念」を挙げ、自身が07年から08年にバグダッドに赴任していた際も同様の理由で「ほとんど運用されなかった」と述べ、「残念だが私の過去の予見はすべて的中している。海兵隊は給油が不要な長距離飛行などの特別任務を除き、オスプレイの大半を退かせることになるだろう」と予見した。


この事態は少しも改善されていないことが今度の事故で明らかになりました。


先に引用した日刊ゲンダイwebの記事はこう結ばれています。


国民の命より対米追従

日本国内には、沖縄の米海兵隊普天間基地に24機、横田基地に6機配備され、自衛隊も17機の導入が決まっている。そのうち14機がすでに木更津駐屯地に暫定配備されているが、2025年には全17機が佐賀空港の隣で新設が進む佐賀駐屯地に移されることになっている。

オスプレイは米国以外で日本しか購入していない。そのうえ、米国でも陸軍はオスプレイを採用していない。17機の導入費用は約3600億円だ。日本だけが対米追従でガラクタを買わされている。

「防衛省が作成したパンフレットには、『万が一、エンジンが2つとも停止しても、固定翼モードと垂直離着陸モードのオートローテーション機能があるので安全に着陸できる』と書いてあります。今回、オートローテーション機能はどうなっていたのか?

実は、米国防研究所でオスプレイの主任分析官を務めたレックス・リボロ氏は『オートローテーション機能に欠陥がある』『安全性に深刻な穴がある』と指摘しているのです。こんな欠陥機が人口の密集する日本の上空を飛ぶのは狂気の沙汰。原因が解明されない限り、日本政府はオスプレイの無期限飛行停止を求めるべき事態です」(半田滋氏)

日本国民の命と安全より、米国が大事なのか──。岸田首相に問われている。


全くその通りと思います。


オスプレイとは、ミサゴのことだそうです。


最近、ミサゴを撮影できたらと期待して、かつて撮影経験のあるいくつかの場所を訪ねてみるのですが空振りが続きました。久しぶりに、昨日数羽のミサゴに遭遇し、撮影することができました。。


あるいはこの記事以来かもしれません。


葬儀報告、の巻(2022-03-14)


空を見あげると、食材運搬中のミサゴが見えました。

K1IM3890


PENTAXk-s1+AFBORG71FLで撮影しましたが、なぜかピンボケ・手ぶれ写真の量産に終わりました。カメラまたはレンズの不調か、設定の間違いか不明ですが、少々がっかりです。まあ、ましと思えるものを紹介します。いずれも、レタッチ・トリミングを施しています。


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何度もホバリング姿勢を見せますが、なかなか飛び込みません。


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観察中に3回ほどダイビングを目撃しましたが、いずれも漁には失敗した模様です。まだまだ未熟なようです。こちらも撮影に失敗していますからおあいこではありますが(汗)


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今日もまた拝借、の巻 [時事]

前回投稿は、拝借記事(無断のものも許可済みのものもありますが)で埋めました。性懲りもなく、今日も続けます


今日の拝借その1


前回、拝借その2で紹介させていただいたmikopon559さんのブログ木かげなじかん (fc2.com)が更新され、こんな最新記事をUPしておられます。まったく同感ですので、そのまま無断拝借致します(mikopon559様、そして読者の皆様、ゴメンナサイ)


 


いまこそ

去る2/9は、わが町「9条の会」の「9の日行動」の日でした。
寒い2月は、いつものスタンディングにかえて、室内での学習会です。
この日も、A先生(元高校教師、93歳)を講師に学び、参加者一人ひとりの思いを交流しました。
お話のテーマは、
「いまこそ、平和憲法を輝かせる時」。

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まず、「安保3文書」にわざわざ記されている「基本原則」(「平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならず…」)の方針を「(岸田内閣は)偽りなく守っているのか、糾明しなければなりません」と、
⑴ 専守防衛に徹する原則
⑵ 軍事大国にならない原則
それぞれについて、具体的な事実を示しながら、その「偽り」を明らかにされていきました。
「安保3文書」改定で示された安保政策の大転換。
それは、米国の軍事戦略に従って、米軍指揮下での先制攻撃を可能とするもので、日本への直接攻撃でなくても相手国の報復攻撃を招き、日本全土が焼土となりかねない「危険きわまりない」ものだ、という、順を追ったお話にも、あらためて恐怖を覚えました。
それが「偽り」で国民をだましながら進められているのですね…。
次に、「新しい戦前にさせない」という重いことばを受けて、「戦前をどうとらえるのかが大事」と、「戦前の歴史的教訓の一端」を、資料をもとにお話されました。

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戦前の歴史を知ることで、
今はもう戦前…いや、戦中ではないのか?
と思わせる現実が浮かび見えてくるようでした。
最後に、レジュメに掲載された「日本国憲法 前文」を、みんなで声を合わせて音読しました。

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「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」…
先の戦争への痛切な反省から生まれた憲法です。
今、この国や世界の平和を守り実現するために大切なことは、
この私たちの憲法を踏みにじり、再び大軍事国家となって、戦争の準備を進めていくことなのか?
それとも、
この私たちの憲法を輝かせ、紛争を武力ではなく外交で解決する道をいま歩み続けている世界の国々とも手を取り合って、平和の準備をすることなのか?
国民一人ひとりに問われている時なのだと思います。




今日の拝借その2


折も折、今日は、こんな報道が流れました。


「はだしのゲン」広島市が教材差し替え 「被爆の実相伝わりにくい」(「朝日新聞デジタル」)

広島市立の小中高校で平和教育に使われている教材が2023年度から改訂され、10年前から掲載されてきた漫画「はだしのゲン」が別の教材に差し替えられることになった。教材を発行する市教育委員会は見直しの理由を「被爆の実相に迫りにくいと判断した」としている。

改訂されるのは、市教委が全市立小中高校で取り組んできた「平和教育プログラム」の教材。国語や道徳などの時間を使って「平和の担い手」を育成するために続けており、2013年度からは統一の教材「ひろしま平和ノート」を発行した。各学年で年間3時間を授業に割いてきた。

19年度から、改訂の必要性を検証するため、教員や大学教授、平和記念資料館の職員らを交えて議論を重ねてきた。その結果、被爆の実相を理解し、継承することができる内容か▽学んだ事実をもとに考えたことを発信していく力を身につけることができる内容か▽発達段階に即した内容か――などの四つの観点で見直しを始めた。23年度からの新しい教材では、小1~高3の12学年が年間に充てる全36回分のうち26回分の内容が改訂されることになった。

「はだしのゲン」はこれまで、小3と高1でいくつかの場面が引用されていた。小3では、主人公のゲンたちが戦時下の苦しい生活の中で、家族のために浪曲を歌って日銭を稼いだり、栄養不足の母親のために近所の家のコイを釣ったりする場面が使われていたが、有識者からは「浪曲はいまの児童にはなじまない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」という指摘があったという。


「はだしのゲン」については、以前も当ブログ上で何度か話題にしたことがありました。たとえば、この記事。


はだしのゲンを思い出す。(8月に寄せた学級通信4)(2016-08-07)


先日、部屋の掃除で古い学級通信を引っ張りだしたのをきっかけに、その年その年に原爆忌に寄せて書いた文章を、ご紹介しています。
今日はその4回目です。
前回掲載した1年生の生徒に向けて書いた通信の、第43号。1987年11月24日付とあります。


この年の秋、学校の映画鑑賞行事で「はだしのゲン」を観た後の、生徒たちの感想文をもとに書いた記事でした。
「はだしのゲン」は、もちろん、自身の被爆体験に基づいて描かれた中沢啓治さんの長編マンガです。

本棚の奥の方に、汐文社版の全10巻を見つけました。
我が家の子どもたちも読みましたが、「学級文庫」において生徒に貸し出したこともありました。
これを原作に制作された実写版映画(1976年、監督:山田典吾、現代ぷろだくしょん)でした。

【中略】

映画の中岡大吉を見て、「kazgそっくり」と評した生徒がありました。30代初めの私としては、ちょっと年寄り扱いされた気はしましたが、密かに満悦を覚えたことでした。「我ながらこころおごりせられし」というやつです。それ以来、なおのこと、特別に気になる俳優でした。晩年の「釣りバカ日誌」で見せた、飄々としたなかに、人間としての弱みも威厳も寂しさもあわせもった老社長「スーさん=鈴木社長」も、今では忘れることのできないはまり役でした。ごく最近亡くなられた、という印象ですが、調べて見ると 没年は2013年でした。寂しいことです。

【中略】

ちょっと前、公共図書館からマンガ「はだしのゲン」を貸し出し禁止にしたとの報道が注目を集めました。

はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」

毎日新聞 2013年08月16日 19時22分(最終更新 08月16日 21時28分)

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」 について、松江市教委が市内の全小中学校に対し、児童生徒に貸し出さないよう要請していたことが分かった。「描写が過激」として昨年12月、教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場におけるこうした措置は聞いたことがないという。

【中略】

この件について、2013年12月の記事で、話題にしたことがありました。
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第8回

こどもたちに平和を愛する心を育てるには、子どもたち自身が、平和で穏やかな環境のもとで健やかに育てられるよう、心を砕くべきだという。優しく、柔らかで、美しいものや思いやりの心に囲まれて、温かくヒューマンな情操を育てることが、肝要だという。
その意味では、残虐な犯罪や猟奇的な事件が毎日のように報道され、一方では希望を失って自死する人の数が記録を更新しつづける、こんな殺伐とした世相に、慣れっこになって欲しくはない。
だからといって、「はだしのゲン」の描写が残酷だからと、図書館から撤収して子どもたちの目から遠ざけるという「教育的配慮」は、まったくナンセンスだろう。歴史の中で、現に人間が為した「悪魔的行為」を、未来において繰り返しも繰り返されもせぬためには、事実を正確に知り、冷厳に受け止めることは、決定的に必要であるはずだ。
私の作品の殺戮場面は、もちろん「歴史の事実」というわけではなく、あくまでも想像に基づく創作である。ただ、その着想のきっかけには、「ソンミ村事件」があったと、今ふり返ってみて思い至る。「カリー中尉」ほか、当事者の証言によって、この虐殺事件が明るみに出たのだが、さしずめ「特定秘密法」なんかでは、国家の威信を傷つける秘密みたいなことになって、話した兵隊さんも、報道機関も、関係省庁の役人も、みんな罰せられるんじゃないかと心配なんですが。

マンガ「はだしのゲン」を、子どもたちの目から隠す理由を、残虐場面のせいするのも不当ですが、アベ政権の台頭に勢いづく右翼国粋主義・排外主義勢力は、「反日漫画」「自虐史観に基づく極左プロパガンダ」などと口を極めてその「思想」を指弾しています。その偏向ぶり、その狭量さにあきれるとともに、今思えば、当時の高校生がいかに柔軟で公平な分別を有していたかに思いをいたしているところです。


今回の広島市教委の対応は、理由がはっきりしませんが、報道の範囲では有識者から「浪曲はいまの児童にはなじまない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」という指摘があったという」(前述「朝日新聞デジタル」記事)とありますが、このイチャモンの意味がよくわかりません。


「万葉集」や「古今集」、はたまた「源氏物語」や「枕草子」を扱うときには、当然、時代背景について必要な説明を加えた上で作品世界を味わうのは当然のことでしょう。「手間がかかる」「今の児童・生徒になじまない」なんてクレームは聞いたことがありませんよね。国を挙げて「新しい戦前」に向かおうとしている今の時勢に合わない、というのが本音なのですかね??


「中国放送」はこう報じています。


「はだしのゲン」を不使用に 広島市の平和教育教材 原作者・中沢さんの妻「残念です」

ミサヨさんは、「いまの児童の実態に合わない」といった指摘について「あの時代は食べる物もなかった。豊かな時代に暮らす子どもたちと実態が合わないは当然」と話します。 そのうえで、「なぜゲンが街角の浪曲で稼がなければならなかったのか、なぜ母親のためにコイを盗まなければいけなかったのか。子どもでも、そうしなければ生きていけなかったからです。『生きろ』というメッセージが込められている」。こうした背景をしっかりと教えることこそが重要だと訴えます。 また、ゲンの父親が家屋の下敷きになり、火の手が迫る中で、ゲンに逃げるように迫る場面も、教材では使われなくなります。

連載当時、アシスタントをしていたミサヨさんは、啓治さんがこの場面を描いている姿が忘れられません。「描いていた手が突然止まるんです。『熱かったろう、熱かったろう』って涙を流して」 描き始めては筆を止め、また描き始めては筆が止まる。啓治さんは、つらそうに机に向かっていたといいます。「被爆者は言いたくても言えないことを心に持っている。その思いを込めたのが、はだしのゲンなんです」。 ミサヨさんは力を込めて訴えます。「きれいな戦争なんてない。戦争ほど残酷なものはない。その残酷さを伝えることが、戦争反対、二度と戦争しないという気持ちにつながるのです」


「有識者」の方は、この声に是非耳を傾けていただきたいものです。




fフェイスブック」が、昔投稿した記事をご丁寧に思い出させてくれますが、五年前の2017年の今日、こんな記事をシェアしていました。今日の拝借その3はこれです。


2月15日付女性自身 綾瀬はるか「世界平和」の夢にこめた「祖母との約束」 という記事をご紹介します。

2月10日に公開された映画『今夜、ロマンス劇場で』に主演している綾瀬はるか(32)。都内で行われた初日舞台あいさつでの一言がTwitter上で話題を呼んでいる。


「実現してほしい夢は?」というトークテーマのもと進められた舞台挨拶で、綾瀬は「オリンピックも開催中ですし、世界平和!」と回答。「皆さんが笑顔で健やかに過ごせる、そんな世の中になってほしいです」と笑顔で語ったという。

この一幕をレポートした『オリコンニュース』の記事は「綾瀬はるか、夢は『世界平和』壮大過ぎる願いに周囲があ然」というタイトルだったが、Twitter上では、《なんであ然とするの? とてもいいと思いますけど》《「周囲があ然」とか、平気でタイトルつけられるメディアにあ然》と、記事への違和感を表明するツイートが多数投稿された。

また、《広島県人にはとても普通の言葉で、心からの願いです》というツイートも。綾瀬は広島市出身。『NEWS23』(TBS)の「綾瀬はるか『戦争』を聞く」への出演をはじめとして、10年以上にわたり戦争被害者のもとを訪ねている。

綾瀬の祖母の姉(大伯母)は、広島に投下された原爆で亡くなっている。'05年、戦後60周年特別企画のドキュメンタリー「ヒロシマ」(TBS)で広島の実家を訪れた綾瀬は、それまで決して原爆のことを語らなかった祖母から、初めて話を聞く。

8月6日、郊外の家から広島市街へ出かけていた姉の遺体を、祖母は見つけることができなかったという。そして最後に綾瀬に伝えたのは、「戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせなだめなんよ。女性の力で戦争を起こさんいうことをせなだめよ」という言葉だった。

堂々と「夢は世界平和」と語った綾瀬の胸には、祖母、そして大伯母から受け継いだ平和への思いがあったのだ。


ネット検索しているとこんな記事が目に止まりました。


https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/1289080/
ねとらぼ調査隊では、アンケートサイト「ボイスノート」の協力のもと、全国の社会人を対象に「2022年一番活躍した女性俳優は?」というテーマでアンケート調査を実施しました。

全国の社会人から「2022年一番活躍した」と支持された女性俳優は、誰なのでしょうか。それではランキングを見ていきましょう!
第1位は、得票率13.3%の「綾瀬はるか」さんでした。2000年に行われた「第25回 ホリプロタレント スカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞し、芸能界入り。

2001年にドラマ「金田一少年の事件簿」で俳優デビューを果たし、その後「世界の中心で、愛をさけぶ」「ホタルノヒカリ」「JIN -仁-」「八重の桜」など、数々のドラマに出演してきました。

2022年は、映画「はい、泳げません」や「ユニクロ」「キッコーマン」をはじめとするCMにも多数出演。そのほか、ドラマ「元彼の遺言状」では月9(フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ)初出演にして主演を務め、話題となりました。2023年も木村拓哉さん主演の映画「THE LEGEND & BUTTERFLY」に出演するなど、今後の活躍にも注目が集まります。


     キリがありませんので、ひとまずこれにてオシマイ。


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ちょっと拝借、の巻 [時事]

はい‐しゃく【拝借】の解説(デジタル大辞泉より)

[名](スル)借りることをへりくだっていう語。「お知恵を―したい」


「無断拝借」は、私の得意とするところですが、記事掲載に当たっては、いつも、読者の皆様に、ひと言その旨お断りするようにはしているつもりです。


「なるほど」といたく感心したり、理解が深まったり、人に伝えたくなったようなことがらを、「カクサン」させていただいているつもりなのであって、「剽窃」を意図するものでは決してありません。


ひょう‐せつ〔ヘウ‐〕【×剽窃】 の解説(デジタル大辞泉より)
[名](スル)他人の作品や論文を盗んで、自分のものとして発表すること。「他人の論文を―する」


また、可能な限り、事前、もしくは事後になっても、著作権者の許諾は得るよう心がけているところです。


拝借その1


2月9日は,地元九条の会恒例の『九の日行動』の日でした。この日は、いつものスタンディングではなく、室内で学習会。いつも講師をつとめてくださる元高校教師Aさん(92歳)による「今こそ、平和憲法を輝かせる日本」


手書きレジュメには「はじめに」としてこう書いておられます。


プ-チン・ロシアのウクライナ侵略戦争は、国際法規の厳禁する早々犯罪が日常化する惨酷な事態をひきおこしながら続けられています。国内では,コロナ禍が収束する見通しがまったく撞かない状況のなかで、「戦後最悪の内閣」とまで言われる自公政権の悪政によって,私たちのくらしの苦難は深まっています。このような内外の情勢のもとで,国民的不安を煽動しながら、”戦争か平和か”という歴史的選択を迫るとんでもない閣議決定をしました。そして現在国会審議中です。別のテーマでお話しすることを考えていたのですが「九条の会」として共通認識を深めなければと考えて標記のテーマにしました。


レジュメのすべてを引用紹介したい所ですが、見出しだけをかいつまんで書き写します。


1.「戦争する国への道ー安全保障三文書

(1)専守防衛に徹する原則--原則放棄・安保法制の大転換

(2)軍事大国にならない原則---大軍拡による軍事国家へ

2.「新しい戦前」は許されない

3.日本国憲法の平和主義の精神を,今こそ国の内外に

<資料>

Aファシズムの進展関係略年表

B京大滝川事件

C日本の戦争準備

D国家財政における軍事費の比重

E日本の戦争準備

F大東亜会議

GⅠ麻生財務大臣発言「あの手口学んだらどうかね」

Ⅱナチスヒットラーは「緊急事態宣言」を使って独裁国家を創った


「新しい戦前」という言葉をキーワードに、戦前・戦中の動きをたどるお話しでしたが、これを受けての意見交換で、「今は戦前なのか、それとも既に戦中なのだろうか。汽車はもう走り出しているのではないか」と危機感を表明された方があり、うなずかないではいられませんでした。汽車というのは,このプラカードの汽車です。


拝借その2


10月9日のスタンディングについてmikopon559さんが紹介されたブログ記事を、無断拝借させていただきます。


汽車 - 木かげなじかん (fc2.com)汽車

新しいプラカードが加わりました。
楽しい工夫が凝らされた力作、3両編成♪のプラカードです。

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作られたのは、Hさん。
昨日(10/9)のスタンディングで初披露となりました。
道行く車が目の前の信号で次々と止まると、車の中からスタンディングをする私たちに視線が注がれます。
昨日は休日とあって子どもたちの姿も。
その子どもたちの視線は、3両編成の汽車にじっと注がれていました。
「ほら、汽車を見ているよ」「やっぱりね〜♪」と話していると、傍らに座るそのお母さん(らしき人)が車の窓を開けて、こちらに向かって笑顔で手を振ってくれました。
何か声をかけてくださっているようにも見えましたが、
(「がんばってください!」)
って、言ってくれていたのかな?
スタンディングしていてよかった〜♪と思う瞬間です。
プラカードの「戦争という名の汽車は…」の言葉は、少し前にHさんが紹介してくださっていた本の中の言葉です。

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「発車させない」ことが、まだ間に合ううちに、「大軍拡も大増税もNO!」の大世論を絶対多数派にして行かなければ・・・


拝借その3


SNS上に投稿されていた記事が出色で、迷わず「いいね」をお送りしましたが、それだけでは足りず、是非広くご紹介させていただきたいという思いがつのっていました。得意の無断借用に及ぼうかとも持っていた矢先、その著作権者と直接お目にかかる機会がありましたので、お願いしてみたところ、快く借用をみとめてくださいました。


その著作権者とは、元岡山県労働組合会議事務局長であり、現在件年金者組合書記次長、県9条の会の事務局長他で奮闘中の伊原潔氏です。


そもそもの問題意識としてこうおっしゃっています。


戦争反対の街頭宣伝で反応が弱い理由

戦争反対の街頭宣伝をしていて、市民の反応が弱く、世論調査では軍拡に反対する声の方が多いはず?と思っていたのですが最近の地域訪問でその理由が分かりました。

多くの方がTVの報道を通じて、「軍拡をどう考えたらいいのか?分からない」というのが素直なところなんだと知りました。

「やられたらやり返せ、当たり前」「外交なんて通じる相手じゃない」「戦争は嫌だけど、攻めて来られたらどうするんだ」勿論、「軍拡は当然」「戦争反対、軍拡はダメ」というはっきりした人もいるのですが、市民の憂鬱はやはり、ロシアのウクライナ侵略にあるようです。東アジアの平和の取り組みはほとんどの人が知りません。「外交なんて通じる相手ではない」と言いながらも、自分が人の話を聞こうとしないのですから妙な世の中になりました。これまで私たちに近いと思われた人でさえ、これだから街頭宣伝で反応が薄いのも頷けます。

如何にTVの影響が大きいかが分かります。人々の恐怖を煽り、政権のやり方はおかしいと思いつつ、TVからは戦争反対の声が聞こえてきません。さらには外交に疑問を持つ人の反応は、自公政権での外交ですから期待もできません。だからと言って軍拡はどうか?と皆さん悩んでいるんでしょうけど、私たちの訴えにも耳を貸そうとしないのも悩ましいものです。どうすればこの国を救えるんだろう?


そういう問題意識から生み出された出色の作品は次の通り。


ビビらずに、言い返そう。

      
「やられたらやり返せ」と言われたので、言い返した「煽り運転は法律違反」

「攻められたら身を守るのは当然だろう」と言われたので
「やられる前にやったら、逆に暴行罪だろう」と諫めた。


「話し合いに応じる相手じゃない」と言われたので
「話し合いしたことあったかな?」と聞いた。


「攻撃されたらやり返すのが当たり前」というので
「攻撃されたことないし、殺し合う気?」と聞いてみた。


「いつ襲われてもやり返せるように備えよう」と言われたので
「十分に備えてる。世界で8番。キリがない」分かってる?


「国あっての国民だ」と言われたので
「いやいや逆でしょう。国民がいないと国もない」
バカにつける薬はない。


「平和を守るためには軍拡を」と言われたので「軍拡で世界を脅しているのはアメリカとロシアだけど」と気づかせた。


「日本を守るために敵の中枢をやっつけよう」と言うので「その前に原発狙われ壊滅するのは日本だよ」我が身を振り返れ。


「平和ボケするな」と言われたので「ウクライナの兵士になりたいの」って聞いた。カッコつけるのやめてほしい。


「もっと兵器を備えよう」と言われたので「大赤字を抱えて、貧しい暮らしはそっちのけ?」と聞いた。


「国民を守るために軍拡を」というので、「それじゃあ聞くけど、あんたが国民守ったことあるの?」と睨んでやった。


皆様、いかがでしょうか?




今日の付録、2月6日の撮影写真です。


ツグミ。


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シロハラ。


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ジョウビタキ♂


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梅の花。


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今日はこれにて。


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こんな夢を見た、の巻 [時事]

ちょっと以前、書きかけていてアップしそびれていた未完記事がありました。いろいろ過去の文書データを探っていて見つけました。




「こんな夢を見た」という書き出しの文章を書こうと試みたことが、しばしばあります。
青年の頃(高校生の頃からかも知れません)、枕元に夢をメモする手帳を用意しようと思いついたこともありますが、実際に奏功したためしはありません。夢の最中は、これはドラマチックだ、文章のネタになりそうだ、と半ば興奮して目覚めるのですが、中身を思い出してみようとすると、まるで思い出せなかったり、おぼろに思い出せても、破天荒で辻褄の合わない珍奇な筋で、がっかりさせられるのが常でした。
最近また、久々に、「この夢はネタになるぞ」と思ったことがありましたが、時間が経つと、もうどんな夢だったか思い出せません。
もちろん、「こんな夢を見た」というのは、漱石の「夢十夜」の、各話の書き出しのフレーズです。
確かめてみると、以前、ブログにこんな記事を書いていました。5年ほど前の記事です。     
無限の後悔と恐怖」は御免こうむりたい、の巻(2017-05-01)


確か中学か高校の自分に読んだ漱石の「夢十夜」で、変に印象に残っている場面があります。
調べてみると、第七夜です。


自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。
そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。



この救いようのない「無限の後悔と恐怖」を、自分もいつか味わうことになるのではなかろうか、という懼れに、つきまとわれた記憶があります。
時は経て、確か30代の頃、妙な夢を見たことがあります。
朝方か夕方か判然としませんが、どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。「ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ」と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた、という夢だったように思います。何かの機会に、雑談でこの夢の話をしたところ、原水爆禁止運動にながく取り組んでこられたKさんに、「kazgさんも疲れてるなあ」と同情されました。
時は、SDI(戦略防衛構想=スターウォーズ計画)を掲げて宇宙的規模での核軍拡を強めるアメリカレーガン政権と、泥沼のアフガニスタン侵攻をつづけながら核軍拡を進めるソ連(当時)アンドロポフ→チェルネンコ政権との対決姿勢が激化し、米科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists の表紙を飾る「世界終末時計」の針が三分前を示した1980年代前半のことでした。
「一億総被爆死」というフレーズが、絵空事ではなく説得力を持ちました。
余談ながら東欧・ソ連崩壊を経て、1990年代に一七分前まで押し戻された針が、地球温暖化の進行、フクシマ原発事故、核軍拡などの情勢を踏まえてふたたび刻々と終末に向かい、いま、トランプ政権の登場を受けて二分三〇秒前まで進められたことは、嘆かわしいことです。
不吉な相似はこれにとどまりません。
レーガンと熱い抱擁を交わし、「ロン・ヤス」と睦まじくファーストネームで呼び合うつナカソネヤスヒロ首相は、対米忠誠の証に「日本列島を(アメリカのための)不沈空母にする」と公言していました。「戦後政治の総決算」を掲げて、「自主憲法制定」を柱としながら、国民のいのちとくらし、民主主義を犠牲にする「臨調行革」を強行し、大規模な軍拡を進めました。「草の根保守」の運動を組織・育成しながらその路線を推し進めていくのもお得意の手法でした。
さて、現下の情勢については、多言を労する必要はないでしょう。より稚拙に、より戯画的に、そしてより乱暴に、事態が進んでいるように思えてなりません。

(中略)
本当に核ミサイルが飛んできたらもう遅い。世界中が「無限の後悔と恐怖」にさいなまれずにすむように、力で力を抑え込む核ミサイルで核ミサイルに対抗する、などという妄信を取り払わなければなりません。みずからにその意志がない指導者には、降りていただくしかありませんネ。


アベ政治全盛の時代にのみ適合する「故事」ではないことが残念です。時は推移し、アベ→スガ→キシダと代替わりを経た今、時ならぬJアラートが鳴り響き、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と言い換え)発動要件、政府が検討開始、軍事費2倍化などのニュースがかまびすしく伝えられています。ロシアによるウクライナ侵略を引き合いに出し、中国の覇権主義、北朝鮮の挑発行動を取り沙汰しながら、「九条では日本は守れない」「自力で国を守る」などの勇ましいかけ声が勢いを増しています。


この辺りまでが書きかけ部分です。




最新の報道を踏まえて、少々付け加えることにします。


毎日新聞から引用します。


「吉田、岸、安倍元首相に続く決定」 岸田氏、米で「安保大転換」語る


訪米中の岸田文雄首相は13日午後(日本時間14日朝)、首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンズ大高等国際問題研究大学院(SAIS)で講演した。昨年末の安全保障関連3文書改定などについて「安保政策の大転換」と強調。吉田茂元首相による日米安全保障条約の締結、岸信介元首相による安保条約の改定、安倍晋三元首相による安保関連法の策定に続く「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つだ」と語った。


正直なお言葉。よくわかりました。やっぱり、私たちの思い過ごしではなく、日本にとっては極めて危険な「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つ」ということなんですな。


たまたま、私が編集のお手伝いをしている、退職同業者の親睦会の『会報』最新号に、Oさんが寄せられている文章がとても明快ですので、その一部分をいつものごとく無断引用(しかもフライイング公表)させていただきます。(著作権は、あくまでもOさんに属します。)


2015年の安保法制が「戦争国家づくり」を法制面で整備したのに対して、今回の「安保3文書」は、「戦争国家づくり」を実践面で担う自衛隊の能力を抜本的に強化し、国家総動員体制を作り上げようとするものになっています。湾岸戦争・アフガン戦争で都市を破壊し、多数の人々を殺傷した、あのトマホークを自衛隊に実戦配備しようとしているのです。
記者会見で岸田総理は、敵基地攻撃能力の保有は、「自衛隊の抑止力、対処力を向上させることで、武力攻撃そのものの可能性を低下させる」と述べました。しかし、日本の自衛隊がそうした武力を持てば、敵とみなされた相手国は危機意識をつのらせ、それを上回る軍事力を持とうとするでしょう。際限のない軍拡競争を激化させることになります。これでは、戦争を抑止するどころか、戦争に近づくことになってしまいます。
そもそも敵基地攻撃能力とは、相手国の領土内に攻め入って、相手国の基地を攻撃破壊し、政治や軍事の中枢部にも爆撃を加えて破壊しつくす能力です。しかも、安保法制により、集団的自衛権行使の下での敵基地攻撃能力ですから、日本が攻撃されていないにもかかわらず、アメリカ軍が攻撃されれば、日本の自衛隊が敵基地攻撃能力を発揮することになります。
相手国からみれば、日本による事実上の先制攻撃となってしまいます。相手はこの攻撃を黙って見過ごしてくれるわけがありません。必ず報復攻撃をしかけてくるでしょう。日本国内の基地が狙われ、原発が狙われ、都市が狙われ、多くの国民の命が失われることになります。まさに、戦争そのものです。日本が焦土と化してしまいます。敵基地攻撃能力の保有は、日本の安全を守るどころか、アメリカの戦争に日本と日本国民を巻き込むものにほかなりません。
防衛予算の2倍化は、医療をはじめ社会保障や教育の予算を削ることにつながります。国民生活がさらに圧迫されます。年金生活者が生きにくい社会になってしまいます。
日本国憲法の平和主義を投げすてた、こうした戦後安全保障政策の大転換であるにもかかわらず、「安保3文書」は、こともあろうに、「専守防衛に徹し」などと大ウソの言葉を並べ、国民を欺こうとしています。


まったくその通りです。しかも、「自力で国を守る」などというもっともらしい宣伝文句が、タチの悪い大法螺であることも、ちょっと考えればミエミエです。


「自力」どころか、あくまでもアメリカ主動の軍事同盟依存が大前提ですし、アメリカの負担を金銭面でも作戦面でも大幅に肩代わりするだけのことでしょう。


そして、日本政府自身が編み出した「国是=専守防衛」を投げ捨てたわけですから、「守る」対象は日本の国土と国民の生命・安全にはあらず、地球上のあらゆる場所で展開する米軍の安全に過ぎませんし、「攻撃の恐れがある」とみなした場合は、「躊躇なく」、「スピード感をもって」敵基地攻撃をも辞さないという対米誓約にほかなりますまい。




昨今のニュースは、上述の「どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。『ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ』と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた」という悪夢を蘇らせるとともに、次のような悪夢をも想起させずにはいないのです。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透(2013-11-28)


このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。

「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。

ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。

第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。

忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、

「美しい国づくり内閣」

「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」

「戦後レジームからの脱却」

「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、

「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、

「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、

「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、

「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。

これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?

高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。

佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下 透

(中略)

(2)

てんのうへいかさまは ぜんせかいのにんげんが へいわにくらせるようにと せんそうを おはじめになりました。
にっぽんは しんこくですから かならずかつのですと こうちょうせんせいが おしゃいました。
こくみんは みんな よろこんで へいたいに なりました。
おくにのために だれもだれも よろこんで しにました。
てんのうへいかばんざい、 だいにっぽんていこくばんざい。
あじあのみんなが さかえますように。

(3)

てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。
こくみんは だれもだれも よろこんで なきました。
ちちや ははや こどもを なくしたこくみんも よろこんで なきました。

(中略)

(5)

こくみんの だいひょうのひとりは むねをはって いいました。
ひとりびとりが くにをまもるいしきを みにつけよう。
こどもたちは むねを ときめかせました。
ほんとうに じぶんたちが ほんものの てっぽうをもって くにをまもることを ゆめみて よろこびました。


手元の印刷物は、すり切れ汚損していて、ここまでがやっと解読できた。

この先の記述があったかどうか、記憶も曖昧だし、原稿も散逸しているので、確かめるすべはない。

この作品を書いてから、40年以上が経過した。

その間に、事態はどう変化しただろうか?

付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。

が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?

最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺 木下 透(2014-02-23)


今日掲載するのは、以前掲載した作品の、後半部分を補足したものだ。

(中略)

この詩は、最悪の未来図(シナリオ)のつもりで書いたのだが、現実がそれを追い越そうとしている。

この逆向きの流れを堰き止めるためには、木下君、きみはどうするの?(中略)

(5)

(中略)

以降が補足分である。


わるいやつらを うちころすのです。あかいやつらや めうえのひとにさからう きのちがったやちらを おもいきり ぶちのめすのです。
ほ んとうに じぶんのちからで くにを くにのはんえいを まもるのです。わるいてきを ころしたあとは きもちが せいせいします。にっぽんじんは えら いのです。にっぽんじんは つよいのです。にっぽんじんは いつでも ただしいのです。いつでも ただしかったのです。
にっぽんじんは えらくて つよくて ただしくて いさぎよくて りっぱでせいぎをあいし あくをにくみ しよくをすてて ぎりをおもんじ くにをあいし ちつじょをたっとび きんべんで・・・・
――だから にっぽんこくは さかえ
――だから にっぽんこくは ますます さかえ
――だから にっぽんこくは あじあの てほん
――だから にっぽんこくは あじあの しどうしゃ・・・・
(あじあは ひとつ。あじあは なかま。)

にっぽんこくよ さかえよ。
あじあよ さかえよ。
そのためには くにを まもる ちからが いるのです。
にっぽんこくは せんそうを するためでない へいたいを ふやしました。
にっぽんこくは せんすいかんと みさいるを つくりました。
にっぽんこくは たしかないりょくを しるための かくじつな じっけんを くりかえしました。
(あとは じっさいに ころしてみるだけ)
「かくあれるぎいは こくみんの じかくによって とりのぞかれねばならない」
「かくさんげんそくは わがとうぜんたいの かんがえではなく しゅしょう おひとりの おかんがえであり しかして それは とうぜん 考え直すよちのあるものなのであります。
「げんこうの けんぽうは てきこくと そのてさきであるところの ひくつなる ひこくみんの てによって わがくにの ちつじょを みださんことをいととし て つくられたものであり よってそのために わがくにには てんしさまを うやまうことをせず わがくにの はんえいさえも さまたげんとする ふらち なる たいだしゃが はびこることに なったのである。しかれば われわれは とうぜん この あくほうを かいせいして われわれのこくみんせいを そ んちょうし わがくにの じつじょうに あった けんぽうを つくるべきであろうと かんがえるので ある。」

「にっぽんこくは その こ ゆうの りょうどであるところの おきなわを とりかえさねば ならないのであります。おきなわを とりかえさぬうちは にっぽんの せんごは おわった とは いえないので あります。つまり にっぽんのりょうどが うばわれているかぎりは むかしの つよい にっぽんでは ありえないので ありま す。」

「おきなわは きょくとうの へいわには かかせぬ じゅうような ぐんじきち なのでありまして とうてい あめりかも むじょうけんの へんかんを しょうちするはずは ないので あります。むしろ われわれは ほんどの おきなわか そして ついには われわれじしんの てによる こくぼうを かんがえる べきで ありましょう。」

「こ くみんの あいこくしんを たかめるために こどもたちは しんわによって こっかの とういつのれきしを まなばねば ならない。しんわが とうじの いせいしゃの けんいづけの ための そうさくであるとするのは きけんきわまりない おもいあがった しそうであり ひいては こっか せいふへの ふ しんを じょちょうさせるものである。きょういくは とうぜん こっかによって なされるものであり さもなくば じだらくで たいはいてきな あなあき ずむの まんえんにより こっかはすたれるであろう。こどもたちを けがれからまもるために

こどもたちを けがれから まもるために きけんなしそうはだんあつされねばならない。」
にっぽんこくはつよくなりました。(終わり)


高校の頃、これを読んだ友人に「本気でそう思ってるの?」と、尋ねられたことがあった。
当然、皮肉、風刺、揶揄、ジョーク、おふざけのつもりだし、それは、言わずもがなの自明の理のはずだった。

現実の歴史では、為政者と教育・報道機関の合作により、もう少しもっともらしい巧言が世を覆い、そのなかで人々の心が戦争遂行へと動員されていったのだろうが、そのメカニズムをデフォルメし戯画化することで、時代へのささやかな警鐘としたかったのだが、、、、。


今、ネット情報などを垣間見ると、昔、高校生の木下透君が戯画化した偏狭な国家主義的思い込みを、ほとんどそのレベルでまことしやかに喧伝する声が多いことに驚かされます。そのかなりの部分が、旧統一協会や日本会議の面々が流布した思想宣伝だったはずですが、いまだにファクトチェックなしにまかり通っていることは、


ここ数日のお散歩写真を載せておきます。


ロウバイが咲いています。1月10日午前7時前。夜明け近くです。


1月11日、朝散歩。夜明け前です。


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1月13日、午前10時半頃の散歩写真です。


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ジョウビタキ♂。


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今日、1月14日は、雨の朝でした。


雨粒を宿したロウバイ。雨の中でも甘い香りが漂います。


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ロウバイの枝にスズメが群れています。


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ジョウビタキ♂には今朝も会えました。


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センダンの枝にヒヨドリ。


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今日はこれにて。


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お詫びと緊急訂正、の巻 [時事]

RSKバラ園のバラの写真を何回かにわたってご紹介してきましたが、バラ園まで出向かなくとも、ご近所の散歩道にもバラは健気に咲いています。


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そして今アジサイが盛りです。(あいにく画像がありません)


蜻蛉たちの姿にも夏を感じます。


コシアキトンボです。


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そして、ウチワトンボ。


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左の羽根の下の方をよくみると、、、


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テントウムシが写っていました。


この日は梅雨らしい雨催いの天気でしたが、ここ2・3日はお天道様が眩しくて、ちょっと歩いただけでもあせみずくになります。


前回の記事にこう書きました。


政治が焦点化される選挙の期間中、主権者たる国民は、公選法の縛りにより、選挙や政治について自由に語れない「べからず」選挙のパラドックス。憤懣がつのります。

風向きに応じて獣についたり鳥を装ったりしてきたコウモリたち=補完=翼賛勢力が、すっかり正体を露わにしてきたことは、一面では憲法の危機が進んだとも言えましょうが、反面では、紛らわしさがなくなって、誰にも事態が見えやすくなったとも言えるでしょう。さればこそ、国民の中に、大いなる言論が巻き起こることが何より求められるのですが、こともあろうに、選挙期間中は「べからず」づくしですから、困ったものです。


書いた内容はまったくの虚偽でもないのですが、選挙期間中の厳しい制約に臆して、政局や政治問題への素朴な意見表明すらも必要以上に『自粛』するような気分が漂っていたかも知れません。


生来の早とちり・知ったかブリッコが災いして、選挙期間中はなんにもできない、みたいな結論になってしまいました。これは大間違いでした。お詫びして訂正します。


総務省のビラにはこう解説してありました。


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選挙期間中といえども、有権者にできる選挙活動はたくさんあるのでした。 


ところで、最新のネット情報ではこんなありさまになっています。


自公、改選過半数上回る勢い、維新は倍増視野 朝日序盤情勢調査


朝日新聞社 - 昨日 22:30
7月10日投開票の参院選について、朝日新聞社は22、23日、全国の有権者を対象に電話とインターネットによる情勢調査を行い、取材で得た情報も加え、序盤情勢を探った。現時点では、自民、公明の与党は改選過半数(63議席)に達し、非改選を含めた定数の過半数(125議席)を上回る勢い。選挙戦を左右する1人区で野党はふるわず、立憲民主が改選23議席を割り込む可能性がある一方、日本維新の会は改選6議席の倍増も視野に入る。

調査時点で投票態度を明らかにしていない人が選挙区で5割、比例区で4割おり、情勢が今後大きく変わる可能性もある。

自民、公明に、憲法改正に前向きな維新や国民民主を合わせると、改憲の国会発議に必要な3分の2(166議席)に迫る。


この事態、黙って受容するわけにはまいりません。


そこで手始めに、一般有権者にできる「インターネットを使った選挙運動」というのをこころみることにいたしました。


「市民と野党の共闘」が一定の困難に直面し、『野党』を標榜してきた一部勢力が、はっきり『改憲』派、『軍拡』派、「翼賛」勢力としての立場を公言してきている中で、今度の選挙では、憲法が争点としてかつてなくクローズアップしてきています。国民が改めて自ら憲法を選び取り、それによって平和と暮らしを守りぬく選挙となっています。


一方、世論調査では、憲法よりも物価への関心が言われます。新自由主義にもとづく、弱者切り捨て、大企業・富裕層優遇、アメリカ追随の軍拡優先の政治を転換する道が問われます。


その意味でも、野党共闘が成立している一人区での前進を期待しつつ、そのほかの選挙区と比例区でも、憲法九条をまもりぬき、野党共闘の前進を促進することのできる議席を最大限増やして欲しいものです。


私は、そのためにも、こんどの選挙では、「戦争させない。くらしに希望を。」と訴えている日本共産党の躍進を期待しています。その法定ビラに、作家のあさのあつこさんが「国がやるべき一番のことは、国民を戦争に巻き込まないことです。平和をつくる外交にとって、憲法9条は最大の武器だと思います。」とコメントを寄せておられるのに、深く同感します。


ところで、これはいつものとりとめなき友達自慢ですが、あさのあつこさんについては、当ブログでも何度か話題にしました。


たとえば草むしる老婆は今なく枯葎(かれむぐら)(2014-11-28)


「バッテリー」や「NO6」などで世に知られるようになった作家、あさのあつこさんは、私の通った高校で2歳ほど年若い同窓生ですが、国語教師に「君の文章が好きだ」と言われた一言が、後に作家の道へ進む遠いきっかけとなった旨、語っておられました。

WEB本の雑誌【本のはなし】作家の読書道第34回:あさのあつこさんという記事 に、こんな風にありました。

あさの : それと、ちょっと遡るのですが、高校生時代に現国の夏休みの宿題で短い物語を書いてくる、というものがあって。
20枚くらい書いて出したら、先生が「オレはお前の文章が好きだ」といってくれて。後で聞いたら結構いろんな子にそう言っていたらしいんですが、「文章が
好きだ」と言われたことがすごく嬉しくて、書きたいな、という気持ちはその時に芽生えていたんです。ただ、それをどういう形で作品化したらいいのかをずっ
と考えていました。それで、後藤さんの作品に出会って、このやり方でできるんだ、ということを教えられたんです。

詮索好きの仲間が、あさのさんご本人に質したところ、記憶の細部は曖昧であるらしく、あるいは授業担当だったM先生だったかも知れないということのようです。私などの印象では、上のエピソードから彷彿とさせられるのは、亡くなったU先生の面影です。でも、あさのさんの別の文章では、中学時代の事として語られていますし、実のところは謎。いやむしろ、「秘すれば花」なのかもしれません、、、。


        


岡山地方区では、これまで積み上げてきた野党統一が成立しませんでした。立憲・国民は、元玉野市長で無所属新人の黒田晋氏を推薦。これを受けて、共産は住寄聡美氏を擁立して挑みます。


黒田晋氏は、高校での「教え子」、住寄聡美氏は、教員出身であることと、父君が旧い友人であることなど、ささやかな縁がないではありませんが、それよりなにより、この清新さに若者の未来を託したいと思うのです。


sumiyori


そして比例区は、やはり野党共闘の要。平和と人権、いのちとくらしをまもって100年、日本共産党の五議席を死守して欲しい。中国ブロックは、この人。


nihisite


仁比聡平さんについては当ブログでも何度か書きました。


たとえば、期待ふくらむ、の巻(2019-01-06)


豪雨災害直後のツイッターには、こんな記事もありました。

koike

被災地を訪れた小池さんのお隣に見えるのは、仁比聡平参議議員の姿でしょうか?今日の演説会には、お二人ともそろって来岡、小池さん演説に先立って仁比さんからの挨拶・報告もありました。

仁比さんについては、以前こんな記事で紹介したことがありました。

充実の昨日、鬱々たる今日、の巻

ウィキペディアには経歴がこう紹介されています。
2000年 第42回衆議院議員総選挙、落選。
2001年 第19回参議院議員選挙、落選。
2003年 第43回衆議院議員総選挙、落選。
2004年 第20回参議院議員選挙、初当選(比例区)。
2010年 第22回参議院議員選挙、落選(比例区)。党中央委員初選出。
2013年 第23回参議院議員通常選挙、再選(比例区)。3年ぶりに返り咲き、国政復帰
福岡出身で、「デビュー」当初は、九州地方を活動基盤とされていましたが、近年は奇しき縁で、わが中国地方も活動エリアとなり、「ナマ仁比さん」の姿を間近にする機会も増えました。弁護士出身で、理路整然とした弁舌と、いかにも九州男児らしい潔さの魅力は、デビュー当初から格別のものがありましたが、昨年の戦争法国会での、具体的事実の重みをもとにした、凜として気迫のこもった追及がテレビ放映される機会も増え、押しも押されもせぬ論客としての存在感を増しています。そういえば、去年の夏の

ン?ナニマダラ?の巻

という記事中にも、仁比さんは登場しています。
ずっと前、「よい弁護士と悪い弁護士があります。」と、冗談めかして語っておられた言葉が印象に残っています。大阪を中心に、「ハシズム」旋風が吹き荒れていた頃の、率直な指摘でした。同じく「行列のできる法律相談所」の丸山なにがしサンは、米大統領を奴隷の末裔と公言したほか、日本が、そんな「ダイナミックな国」の一つの州になることについて「憲法上の問題があるのかないのか」などと仰天発言を繰り出しています。また「砂川判決」なる物を、ゴミ箱の中から「砂川判決」なるものをひろい上げて悦に入っている、同じく自民党の高村副総裁なる人も弁護士出身だそうですから。アベ暴走政治にストップをかけ、立憲主義と民主主義を取り戻すために、大道について団結する野党と、やむにやまれぬ国民の共同が、大きく地響きを立てて前進する可能性が、はっきりと見えました。

演説会の模様や感想を書きかけましたが、小池さんがツイッターでこんなことをつぶやいておられましたので、ご紹介して終わりにします。

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引用します。

2019年初めての演説会@岡山市民会館大ホールに1400人!豪雨災害で中止した演説会が半年ぶりに開催されました。統一地方選で三人の岡山県議と五人の岡山市議の議席を守り抜こう!参院選の仁比そうへい比例候補、すみより聡美選挙区候補、おかやまいっぽん代表の吉岡康祐氏とで「いっぽん」サイン!

おかやまいっぽん代表の吉岡康祐氏は、前岡山弁護士会会長、日弁連副会長を務められ、戦争法反対の運動では、文字通り市民と野党の共同の中心を担ってこられました。今日の挨拶でも、「本気の共闘」という言葉に重みがありました。

参院岡山選挙区で、現在野党陣営として唯一立候補表明をしている住寄聡美さんは、11年間小学校教員を勤めた後退職。政治家活動に身を投じた若者。彼女のお父さんも、もと小学校教師で、教育研究活動などで、浅からぬお付き合いをいただいた縁。市民と野党の共同で、もしも国会に送ることができたら、もと岡山県知事として公務員の賃金を何年も削減し、それを率先垂範として次々に県民に犠牲をしいて、弱者に煮え湯を飲ませた現職自民の議席を奪い、積年の恨みを晴らすことができます。今年はチャンスと、胸がふくらみます。


思い起こせばこの年の選挙で、選挙区では住寄さんは立候補を辞退し立民の原田ケンスケ候補を統一候補としてたたかったのでした(惜しくも落選)。そして、比例区では仁比さんが苦杯をなめ、中国地方の議席を失ったのでした。


思えば、住寄さんにしても、仁比さんにしても、倦むことのない不屈の挑戦です。マスコミは取り立てて光を当てようともしませんが、そのかけがえのない価値を、多くの人に伝えたいと願ってやみません。


もう少し、リンクを貼っておきます。


ココがアツいよ。日本共産党

日本共産党の"ホント"が見えてくる1分ほどの「切り抜き」動画集

批判的…?怖い…?秘密主義…?
日本共産党にこんなイメージを持たれていませんか?
でもそれはだいぶ古い、断片的な情報をもとに
なんとなく抱いているイメージではありませんか?

もちろん、そんなことはありません。
「ココアツ(ココがアツい)」なシーンを集めたこの動画
1つ1つを見ていけば、きっとイメージが変わって
私たちの“ホント”の姿が見えてきます。


ココアツ動画はココから!

 

ところで 400枚を預かった選挙ビラ。健康のため、散歩がてら一気に撒いてしまおうと奮闘努力したのでしたが、一日目は昼間の暑さで早々と挫折。二日目の昨日は朝夕2回に分けて挑むも撒ききれず。ようやく今朝、早朝五時台に撒ききることができました。朝からシャワー三昧の毎日です。

今日はこれにて。 




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憲法考補遺(2)、の巻 [時事]

昨日の記事は、ありに長くなりすぎたので途中で分断したのでしたが。、きょうはそのつづき。


【その3】「押しつけ憲法」論をしつこく考える。


拙ブログでは、毎年憲法記念日にちなんで、何らかの発言をしていくことを、ささやか義務として私は私に課してきたつもりです。たとえば、5年前の記事。


祝!憲法君70歳、の巻(2017-05-03)


憲法記念日です。
過去の憲法記念日には、こんな記事を書きました。
2014年。
お誕生日おめでとう。日本国憲法さん!

  今日は憲法記念日。
憲法の理想を現実に生かそうと考えるのか。
それとも、、憲法の定めを「解釈」によって限りなく「現実」に合わせていこうとしつづけるのか?
はたまた、その行き詰まりを手っ取り早く打開するため、憲法そのものをきれいさっぱり書き換えるのか?
いよいよ改憲論議も大詰めですね。

近代的な「立憲主義」の立場では、憲法というものは、政治権力の恣意的支配に対抗し、国民が権力を制御するためのものだそうです。
安倍さんが成立に熱意を燃やしているという
自民党憲法草案(わかりやすい対照表をアップしてくださっています。また、ヤフー知恵袋のこのページも、参考にさせていただきました)は、どうも、国家権力が国民を縛るための道具にしたいらしいですね。

「外国から押しつけられた憲法」という古い論調が何か意味ありげに聞こえるとするなら、いま、日本国民自身が、腹の底から、もう一度この日本国憲法を選びなおす時だと思いますね。


一昨年(2015年)。68歳おめでとう、日本国憲法さん、の巻

この先ご健勝であれば、2年先の2017年には「古希」を迎えられることになります。昔から、古来まれなものとして、その長寿を祝う年齢です。
いま、わがくにの平均寿命は、ずっとのびていますから、70歳といえども、「後期高齢者」にもとどかぬ「若さ」ですが、世界中の憲法さんのなかでも、最長寿に属する事は間違いないでしょう。
「寄る年波」というものもありまして、時の政権担当者の思惑で、本意ならざる「解釈」やら、「運用」やらを施され、若かりし日の輝くばかりの清新さには痛々しいばかりの影が差している事は否めません。
とはいえども、あなたのお陰で、私達日本人は、これまで68年間の長きにわたり、ただの一人も、戦争で人を殺すことがなく、一人の戦死者を出す事もないという「古来希」なる僥倖を享受することができたのでした。
(中略)
なんとしてでも、2017年の70歳を、無事健やかに迎えていただきたいものです。さらにその先、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、白寿(99歳)のお祝いを、国民みんなで祝賀することができればと思うのですが、、、、。


昨年(2016年)。憲法記念日に家の中でひとり憲法を考える、の巻

戦後70年・被爆70年の去年、憲法学者がこぞって「違憲」と指摘するなか、集団的自衛権容認の「戦争法」を数を恃んで強行したアベ内閣は、今度は「緊急事態条項」など戒厳令条項の導入をはじめとする明文改憲の動きをあらわにしています。選挙中はダンマリを決め込んで、選挙後にやりたい放題、のつもりでしょうが、その手は桑名の焼き蛤です。
(中略)
もちろん、憲法は金科玉条でなく、時代の変化に応じて充実・発展させるべきで、そのため、タブーなくフランクな議論が盛んに行われることは、憲法自身が望んでいることに違いありません。自らの国の最高法規について、国民ひとりひとりが、親しみを持って語り、理解し、愛し、誇りに思い、使いこなすことは、言うまでもなく大切なことですから。
一方、憲法を国民議論の俎上に載せようとする人たちのなかには、、あらぬ難癖をつけて悪罵の限りを投げつけて憲法の尊厳をおとしめ、汚い唾まで吐きかけようとする人たちが存在することも軽視はできません。おそらく日本国憲法が世界に先駆けて指し示す、平和で自由な、徳高い民主国家のあり方を、まぶしすぎると感じたり、あるいは煙たく窮屈に感じる人々が、ごく少数ながら存在するのでしょうか。たとえば、憲法の平和的・民主的精神を除去することによって、何らかの利益を手中にできるような人々とその手下、雇い人の類でしょうか?(どんな人たちなんでしょうかね?)
市井の一市民が、憲法に対して何を考えようが、何をしゃべろうが、それは自由であって、誰からもとがめられることはありません。
しかし、たとえば、アベさんのこんな無礼な発言を、憲法九十九条は許していないはずなのです。」



みっともない憲法

あの、日本国憲法の前文にはですね、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したと書いてあるんですね。つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと、言っている。そして、エエ、専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う、自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないのですよ。

国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、いじましいんですけどね、みっともない憲法ですよ、はっきり言って。これは日本人が作ったんじゃないんですからね。こんな憲法を持っている以上ですね、外務省も自分たちが発言するというのは、憲法上、義務づけられていないんだから、それは国際社会に任せるんですからね。精神がそうなってしまっているんですね。まあ、そこから変えていくと言うのが私は大切だと思います。


                          

自分の国語力・読解力のなさを棚に上げて、ちんぴらやくざの言いがかり同然のイチャモンをつける態度は、明白に公務員の憲法遵守義務違反です。
憲法第九十九条は、こう定めています。


  

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


さて、今年は、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘元首相)が5月1日開いた会合で、安倍総理は、「機は熟した。今求められているのは具体的な提案だ。理想の憲法の具体的な姿を自信を持って国民に示すときで、しっかりと結果を出さなければならない」、「この節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す。新しい憲法を作っていくことに全力を傾けると誓う」などと豪語し、憲法記念日の今日は、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲集会にビデオメッセージを寄せ、そのなかで、2020年をめざして9条を改正して、自衛隊を明文で書き込む、などと踏み込んだ発言をしています。
朝のNHK番組では、戦後文部省が作成した教科書「「新しい憲法のはなし」とその復刻版の紹介が、珍しく丁寧にされていました。

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))

  • 作者: 童話屋編集部
  • 出版社/メーカー: 童話屋
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 文庫

      

その憲法君、今年はめでたく75歳を迎えました。
先日来ご紹介している”私の所属する退職同業者の親睦団体が不定期に発行している「会報」四月号”に掲載されている「あたらしい憲法のはなし」( ATさん)掲載の記事を、改めて噛みしめています。いつものように(汗)無断で(汗)ご紹介します。著作権はあくまでもATさんに属しますので、ご配慮下さい。


「あたらしい憲法のはなし」  AT

まもなく誕生日が来る。新しい憲法がその存在を主張した記念日である。日本国憲法は私よりキッチリ12年と6ヶ月遅れて生まれた。
あれからはや70年余,月日の経つのは早い。烏兎怱々である。
何かの資料で,1888年代末期,日本国民「天子様が絹布の法被を下さる」と喜んだが,天子様のプレゼントは上等の絹織物で作った法被ではなく,やたらと犠牲を強要する難しい法律だったのでがっかりした,と書いたものを読んだが,12歳半の私が出会ったのは法被ではなく,あたらしい憲法だった。
それを私が知ったのは,憲法が公布されて1年あまり後,敗戦からおよそ3年後,新制中学校に入学したての時,日本がやぶれて年が経っていた。
私たちは70ページほどの薄い冊子をもらった。教科書よりはすこしばかり上等な用紙で出来ていて,表紙には「あたらしい憲法のはなし」と印刷してあった。片隅に「文部省」と書いてあった。当時,戦争が終わったとはいえ,あらゆる物資が不足しインフレーションがすすみ,おおかたの日本国民がヤミで手に入れた食物と衣服,代用品やしょっちゅうおこる停電など,堪え難い状況を堪えて暮らしていた。
私には,この冊子の代金を支払った記憶がない。母にも父にも「代金を払うからゼニをおくれ」と言ったおぼえもない。‟義務教育″の教科書が無償になるのはまだずっと後のことである。とするとこの冊子は国家が全国の子供に無償で配布したものだったのだろうか。
絶対主義的天皇制の反省にたって,国民主権・平和主義・基本的人権といった原則を明確にした憲法の解説書を全国の子供に無償で配布したということは,これからの日本の歩む道を子供たちに示そうという日本国政府の意気込みの表れだったのか,それとも何ものかに強要されて泣く泣く大金をはたいたのかのどちらかにちがいない,と思う。
ともあれ……!
冊子には,ノッケから「みなさん,あたらしい憲法ができました」と書いてあった。あまり難しい漢字がなく,やさしい言葉遣いで絵や図表,ポスター,標語もあって子供向けのものだったが,目次を見ると「民主主義とは」,「国際平和主義」,「主権在民主義」と国民学校ではあまりお目にかからなかった言葉が並んでいた。本を読むことは好きでも勉強が人一倍嫌いな私にとっては,いささか手強いものだった。
この冊子は教材として使われたのだろうか。回数は忘れたが,指名された生徒が朗読し,そのあと先生の解説があった(と記憶している)。
子供にも分かりやすいものとはいえ,「ニホンヨイクニ キヨイクニ セカイデヒトツノ カミノクニ」と10年近く叩き込まれ,少国民魂がなかなか消えない私は,一枚の絵が気になった。
大きな釜に飛行機や戦車,爆弾が投げ込まれ,その釜の下から戦闘機ではない客船か商船,ビルディング,電車などが出てくる絵だった。戦争が終わって3年も過ぎていたのに,軍国少年だった私には,世界に誇る強い戦闘機や無敵艦隊へのあこがれが頭の中のどこかにこびりついていた。陸軍演習場に隣接し,敗戦直前には近くに急造の飛行場が作られた…私も滑走路造成のための土運びに動員された…という所で育った私には,武器のない日本というものは簡単に受け入れられなかった。何しろ物心ついた時からいつも目の前に兵隊がいたし,我が家からほんの数十メートルの所に「軍道」というものがあって,益荒男の行軍を毎日のように見ていたのである。
天皇は国民の象徴…「ショウチョウ」とは何かよく分からなかったが…と書いてある。天皇は先にも書いたとおり「神」だった。何しろ,白い手袋も校長が「チンオモフニ……!」と唱え始めると子供たちは直立不動の姿勢をとらされ,たとえ寒風が吹きつける真冬でも,容赦なく出てくる鼻水をすすり上げることも許されない「チン」である。神のミスエで,その写真にむかう時も,腰を90度に折り曲げて最敬礼をしないと先生には叱られ,上級生からどやされた。先生が「‟神様″は神様ではない」と解説したが特別な感慨もなく聞き流した。人間宣言のことは忘れてしまっていた。
平和主義だとか民主主義とか言われても……!
戦争中にも先生の話の中に「平和」という言葉はあったが,それには必ず「東洋の」というまくら言葉がついていた。
1945年の2学期のはじめだった。全国の少国民が校庭に集まって校長先生…余談だが,後日,校長先生という職名はない,とある学校の「校長先生」にたしなめられた…から「これからの日本は平和と民主主義の道を歩む」という(ような)主旨の話を聞いた。「平和」という言葉は知っていたが,はじめて聞く民主主義という手に掴むことも,食べることも出来ない面妖なものが全く理解できなかった。
基本的人権だって……!
子どものころ,近所のオジチャンやオバチャンとの話の中でも「権利」という言葉を使った記憶がない。権利というものを知らずに私たちは育った。
「あたらしい憲法のはなし」に基本的人権には自由権と請求権と参政権がある,と書いてあった。キホンテキジンケンというのはなんとなく分かるが,請求権は初めて聞く言葉だった。私たちは逮捕も裁判も警察が行うものと思い込んでいた。「あそこのオジチャンはヤミ商売をして巡査にくくられ(逮捕され)牢屋に入っとる」というようなことを話していたし,学校に行くのが権利だなどと考えたことはなかった。
参政権にしてもそうである。中学校ではクラスや生徒会の役員選挙が行われた…国民学校ではどうしていたか記憶がない…が,それと憲法の参政権は別のことだった。
婦人参政権……!
男女同権になったのでバアチャンもカアチャンもオバチャンもネエチャンも投票に行くことになった。
投票に行ったがよいが,当時は候補者の氏名をひらがなで書いたりしなかったので折角のポスターが読めず,「だれに投票した?」とトウチャンから聞かれたどこかのカアチャンが「誰がエエか分からんケン,アンタ(夫)の名前を書いといた,と答えたそうだ」と母が笑いながら話してくれた。村人全部が知人といえる小さな村のことである。開票作業にあたった村役場の職員も驚いたに違いない。噂話か事実かは分からないが,日本憲法がヨチヨチ歩きだったころには,そういうことがあったかもしれない。
それでもそのころ,世の中はたしかに変わりつつあった。
青年男女が公民館や農家の庭でフォークダンスに熱中し,農閑期には村人が鎮守様の境内に設けた舞台で地下芝居を楽しむようになった。楽しく踊っている最中にも容赦なく停電が起きたが,村のアンチャンやネエチャンはそれを想定していたらしく,あらかじめ用意していたアセチレンガスのランプの薄暗い光の中でダンスを楽しんでいたし,軍隊時代の思い出話や自慢ばかりしていた小父さんが意外な名優ぶりを発揮して村人を沸かせた。ともあれ,大人も子供も女性も男性も新しい時代を肌で感じ取り,平和の到来を歓迎していた。新しい憲法が人々の心の中に住みつき始めていた。
やがて朝鮮半島から一時帰休の米国兵が旧日本軍の演習場に来るようになると,那岐山や滝山の麓の原野の使用についての論争が燃え上がり,ついには「日本原演習場の外国軍使用に反対する6ヶ村村民6000人集会」を企画するまでに発展した。
いくつかの戸惑いや混乱はあったが,誕生したとき,総じて国民は憲法を歓迎していた。その憲法の周辺がキナ臭くなったのはいつのころからだろうか。
復刊された「あたらしい憲法のはなし」を読み返しながらフト思う。「この憲法は外国から押し付けられた」のではなく,日本国民が自らの意志で大切に守ろうとした筋道なのだと……


これはまさに「押しつけ憲法論」への、体験に裏打ちされた動かしがたい反証にほかならず、このような無数の証言を、聞き継ぎ語り継ぐ責任を改めて感じているところです。




連休が終わり、大阪から6時間かけて帰省してきた孫一家は、昨日、6時間かけて無事帰阪した由。帰省渋滞恐るべし。


渋滞と言えば、連休中の思い出づくりに、小学生3人、保育園児1人を連れて、2台の車でお出かけしたのは4日の日。例年通りの行楽ラッシュが予想されるため、人気のテーマパークは敢えて避け、穴場狙いの地味な公園をめざした・・・・つもりが、案に相違してエライ渋滞。入り口近くになってからも、なかなか前へ進みません。


駐車場のキャパシティが100台規模のところに、どっと車が押し寄せたためらしい。むしろ、同一経路にあるテーマパークの方が、大駐車場が完備していてスムーズに入場できている様子。そこで急遽方針転換して、避けたつもりのテーマパークで遊ぶことになりました。子どもたちは、かえって大喜び、ウキウキでした。


園内は、どの乗り物も長い行列で、順番待ちが大変。というわけで、実際にはこの観覧車に乗ることができた程度でしたが、広場でお弁当を食べたり、仮面ライダーショーがあったり、お土産コーナーでショッピングを楽しんだり・・・あいにく所要その他で、孫たち勢揃いとは行きませんでしたが、参加できた子どもたちにとっては大満足の連休イベントとなったようです。


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人工の遊具などばかりでなく、こんなエリアもあって、寛げます。


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トリミングしてみますと・・・


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イトトンボ。


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シオカラトンボ。


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保育園児も蜻蛉や蝶に興奮していました。


今日はこれにて。


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憲法考補遺、の巻 [時事]

今日は立夏。朝夕は肌寒いほどですが、さすがに日中は初夏の陽射しです。


路傍の畑に、ヤグルマギクやポピーが花盛りです。


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ナガミヒナゲシ。


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オオキンケイギクの群生。


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散歩道のムクドリ


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麦畑にスズメが遊んでいます。


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麦畑の上を飛翔するダイサギ。


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ツバメも飛び交いますが、素早くてカメラに収まりません。


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電線に止まれば写せますが・・・


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カワラヒワ。


OLYMPUS DIGITAL CAMERA         さて憲法記念日にちなんで、前回記事を書いた後も心残りだった点について、いくつか付け加えさせていただきます。


【その1】ウクライナ侵攻を改憲の口実にする姑息


前回、どうにもまとまりきらなかった考えが、これを読んですっきりしました。5月3日、東京有明防災公園で開かれた「改憲発議許さない!守ろう平和といのちとくらし 2022 憲法大集会」で採択された特別決議です。その一部を引用させていただきます。



この度のロシアのウクライナ侵攻は二度にわたる世界大戦を経て人類が獲得した国連憲章の「国際紛争を平和的に解決する原則」に反し、「武力による威嚇または武力の行使を禁止する国連憲章第1章2条4項に明白に反するものだ。

いかなる理由があれ、ロシアの今回の蛮行は許されない。ロシアはただちに軍事行動を停止し、撤退しなければならない。

しかし、わたしたちはこの侵略戦争のさなかに、日本で惨事に便乗するがごとく、まことしやかに語られている暴論の数々を見逃すことはできない。「憲法9条は役に立たない」「日本も非核三原則を放棄して米国と核兵器を共有すべきだ」「軍事費を倍加しよう」「台湾有事に備えよう」「敵基地攻撃能力をもとう」「基地だけではなく敵の中枢も攻撃しよう」などなどの言説だ。

憲法9条にもとづいた外交努力で近隣諸国との友好共存関係の積み上げを怠り、列強との軍事同盟や軍事協力を強化し、軍事力を強化して緊張を煽り立て、いたずらに他国を誹謗し、戦争の危機をあおり立てるこの道は、日本を際限のない軍拡競争にひきづりこみ、やがて壊滅的な戦争の勃発を招きかねないものだ。この道は日本がかつて歩んだ道だ。これこそがいまウクライナで起きている事態の教訓ではないか。

本日、日本国憲法施行75周年にあたる5月3日、東京・有明防災公園に集まった私たち市民は、集会の総意において、平和を希求する全世界の民衆に連帯し、なかんずくウクライナとロシアの民衆に連帯して、ロシアの侵略戦争を直ちにやめよ、人を殺すな・即時停戦実現の声をあげる。そしてこれに便乗した日本政府の一切の軍拡策動に反対し、憲法9条を掲げ世界の市民とともに平和をつくり出す闘いに全力を挙げてとりくむことを、宣言する。

2022年5月3日

改憲発議許さない!守ろう平和といのちとくらし 2022 憲法大集会


集会でのスピーチにも、それぞれ目を洗われる思いでした。「朝日新聞デジタル」の記事を引用します。


登壇した上智大の中野晃一教授は「(戦争防止のために双方の国が)抑止一辺倒だと、互いに抑止と言いながら軍拡競争になる」と指摘。「9条を守り、先に攻めるつもりはないという『安心供与』をして初めて安全保障政策として成立する」と語り、憲法9条の堅持を訴えた。


【その2】「押しつけ憲法」論を考える


改憲を呼号する右派勢力が好んで用いてきた主張のひとつに、現行憲法はアメリカ占領下でマッカーサーによっておしつけられたものだとするいわゆる「押しつけ憲法」論があります。


端的なのは、中曽根康弘元総理が「憲法改正の歌」。いつかの記事で話題にしたように思いましたが、検索しても見つかりませんので、ウィキペディアの解説をもとにメモだけ残して起きます。


発表当時、衆議院議員在職5期目で「押し付け憲法論」の最右派として“青年将校”の異名を取っていた中曽根が「自主憲法制定」への思いを全5番の歌詞に込めたものである[2]。1953年(昭和28年)にサンフランシスコ講和条約が発効し、進駐軍が撤退した後も日本国憲法は「マッカーサーによる押し付け憲法」として国民に無条件降伏の屈辱を強いているという否定的評価より“マック憲法”と呼び、4番では原子力開発の必要性を説いている。


こんな歌詞です。


憲法改正の歌

作詞:中曽根康弘 作曲:明本京静

1 嗚呼戦に打ち破れ
敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に
占領憲法強制し
祖国の解体を計りたり
時は終戦六ヶ月

2 占領軍は命令す
もしこの憲法用いずば
天皇の地位うけあはず
涙を呑んで国民は
国の前途を憂ひつつ
マック憲法迎えたり

3 十年の時は永くして
自由は今や還りたり
我が憲法を打ち立てて
国の礎築くべき
歴史の責を果さんと
決意は胸に満ち満てり

4 国を愛する真心と
自ら立てて守るべき
自由と民主平和をば
我が憲法に刻むべし
原子時代におくれざる
国の理想を刻まばや

5 この憲法のある限り
無条件権降伏続くなり
マック憲法守れとは
マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓く者
興国の意気に挙らばや


首相時代、「ロン・ヤス」とファーストネームで呼び合って抱擁し、アメリカ追随の「不沈空母」づくりに励んだナカソネ氏の「自主憲法」が所詮、対米従属路線の隠れ蓑に過ぎないことはおのずととあきらかですが・・・。ちなみに中曽根氏逝去の際に書いたのは、こんな記事でした。


冬晴れの自然環境体験公園、の巻(2019-11-29)


中曽根康弘氏(101歳)逝去のニュースが流れています。人の死は厳粛なものですから、改めて生前の業績を偲ぶ、というのは自然のこと、、、しかしメディアの扱いは、ちょっと行きすぎじゃありません?良好な日米関係の基礎を築き、日本の繁栄に寄与した英雄、国民にとっての恩人、、みたいなヨイショぶり。下手すると、信じこまされそう、、ですね。

中曽根臨調(臨時行政審査会)こそ、「行政改革」の美名を弄して、国民へのサービスをとことん削り、その上にアメリカの要請に添った軍備拡大と、大企業優遇の徹底という、今日の日本の歪みの基礎を作った元凶ではなかったでしょうか?「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う日米蜜月関係は、アメリカ絶対の「運命共同体」に日本国民を引きずり込むものでしたし、アメリカのための「不沈空母」とはあけすけな狙いの吐露でした。そして、今日、アベ内閣の元で、これらの路線はいっそうあらわに進行しているわけで、いまある国民の苦難の大本を免罪するわけにはいかないのでは?と思います。


「内閣と自民党による故中曽根康弘元首相の合同葬の経費として約9600万円を計上という報道にちなんだ記事はこちら。


こいつは春から、の巻(2021-01-01)


「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」。 全日本年金者組合の「むしろ旗川柳」で優秀賞に選ばれました(エヘ)。




ところで、「押しつけ憲法論」について、「朝日新聞デジタル」(2018年2026日付記事)「(教えて 憲法)GHQに押しつけられたの?」はこう解説しています。


日本国憲法は敗戦後の1946年11月、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で公布された。
自民党はその「生まれ」を問題視し、GHQに「押しつけられた」と訴えてきた。「押しつけ憲法」論だ。2012年にまとめた党改憲草案を対外向けに紹介する冊子でも、「主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が反映されていない」と批判した。
(中略)

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押しつけ憲法かどうかについては、衆院憲法調査会(現・憲法審査会)でも議論され、05年の報告書にもりこまれた。「国民の圧倒的支持を日本国憲法が受けてきたことは明確」との見方が数で上回り、一定の決着をみた。

自民党も16年の衆院憲法審査会で、「GHQの関与ばかりを強調すべきではないとの意見を考慮に入れることも重要だ」(中谷元氏)として、押しつけ憲法論を表向き封印した。だが、党内には押しつけ論にこだわる議員が少なくない。(藤原慎一)




もう少し続きますが、長くなりすぎましたので、今日はここで一旦中断。残りは次回と致します。


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憲法記念日に今年もまた憲法を考える、の巻 [時事]

昨日の記事  タカブシギ?の巻 に、こう書いた件のつづきです。


上述の◇憲法記念日に家の中でひとり憲法を考える、の巻 は、2016-05-03の執筆です。アベ強権内閣の強引な改憲策動が危機をつのらせていた時期でした。この話題は、回を改めて。


上記の記事を一部引用します。


今日は憲法施行69年目の、憲法記念日。
今年の11月3日には、公布70年を迎えます。
戦後70年・被爆70年の去年、憲法学者がこぞって「違憲」と指摘するなか、集団的自衛権容認の「戦争法」を数を恃んで強行したアベ内閣は、今度は「緊急事態条項」など戒厳令条項の導入をはじめとする明文改憲の動きをあらわにしています。選挙中はダンマリを決め込んで、選挙後にやりたい放題、のつもりでしょうが、その手は桑名の焼き蛤です。
先日、私の探鳥の師匠、M氏がメールをくださいました。
鳥の情報に添えてこうありました。

 私やKAさんKOさんは戦後の民主教育はじめから受けて育った世代です。小学校の入学前に教科書が無いので姉が自分たちが使った教科書に墨を塗って用意してくれていた所に新しい教科書が届きました。
姉の教科書は「ススメ ススメ、ヘイタイススメ」で始まりますが、新しい私の教科書は「よいこ よいこ みんなよいこ」で始まりました。2年か3年生の時に新しい憲法を学びました。
クラスの皆が戦争放棄のことを聞いて「ワーッ!ほんなら先生日本はスイスの様な国になるんかな」と大喜びをした様な記憶があります。これを押しつけだ等と言う人の気が知れません。沖縄その他の米軍基地こそ押しつけでしょう。この夏の参議院選挙は生徒として教師としてズーッと戦後の民主主義教育にかかわった者としてその真価が問われる事になりそうです。

冒頭名前の挙がったKAさんは、先日私が編集した親睦団体の会報に寄せて、「現代版関ヶ原の戦い『改憲選挙』は初の市民革命となるか」と題して、こう書いておられました(一部抜粋)

私たちが、今最も関心があるのは、夏の参議院選挙です。総理は「憲法改正」を争点にすると明言しています。昨年、あれだけ多くの国民に「戦争法強行は憲法違反」と反対されたのに・・・。(中略)
それにしても、現在の与党は異常です。今まで、国民の声をこれほど無視した政権はありません。いやいや、無視ならまだしも、最初から国民は眼中になかったのかもしれません。
そればかりではありません。これほど、国民を欺きだます政権もありません。
(中略)
この異常な状況を一日も早く解決し、立憲政治にもとづく民主主義と平和な社会を創るため、日本における初めての市民革命とも言うべき選挙結果を実現したいものです。

また、KOさんは、参院岡山選挙区の野党候補を一本化する上で重要な役割を果たした市民団体「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求めるおかやまいっぽんの会」(略称 おかやまいっぽん)のとりくみに携わってこられた経験を踏まえて、経緯を述べた文章をこう締めくくっておられます。

候補者の一本化が実現し、やっと戦いのスタートに立つことができました。これからが本番です。 岡山○○会(私たちの会の名称)の会員は、現役時代に「教え子をふたたび戦場に送らない」と憲法・旧教育基本法にもとづいて平和教育にとりくんできました。退職後は、地域九条の会などに所属し憲法九条をまもり、生かす諸活動に参加しています。多くの会員は、日本国憲法とともに人生を歩んでいると言っても過言ではありません。
それだけに、安倍自民党政権の憲法破壊の暴走は、許すことができません。自らの人生をかけて、立憲主義を回復し、民主主義・平和主義を守るために、野党統一候補の勝利をめざして奮闘しましょう。


アベ→スガと続いた強権政治を継いだ岸田政権は、「聞く力」の標榜など、ソフトで穏やかな政権運営を演出していますが、その実、なかなかのタカブシギ、いやいや、タカ派ぶりです。さすが、閣僚の大半が日本会議派という素性は隠せません。


しんぶん赤旗(2021年10月13日付)

岸田内閣 大半が「靖国」派

改憲右翼議連に17人 図

岸田文雄内閣の靖国派改憲右翼団体系議連加盟状況
自民党所属閣僚のみ ●=加盟

※1=「日本会議国会議員懇談会」 ※2=「神道政治連盟国会議員懇談会」
加盟状況や役職は本紙入手の両議連の名簿や日本会議の機関誌から。名簿登載後の入退会などは反映していない。


昨年12月の所信表明演説では、「いわゆる敵基地攻撃能力も含め、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を抜本的に強化していきます」と、戦後の首相として初めて敵基地攻撃能力の保有検討の必要性を明言しています。


ロシアによるウクライナ侵攻という事態に乗じて、「核共有」を促すアベ氏や維新などの動きにたいし、岸田首相は「非核三原則堅持」を口にはしています(それ自体は妥当名見識といえます)が、核兵器禁止条約には依然として消極的です。さらに、3月13日の自民党大会での演説では、ウクライナ危機を受けた日本の防衛力強化や、安倍政権下で党がまとめた憲法9条への自衛隊明記を含む「改憲4項目」の実現を強調し、「わが党が示す4項目は、いずれも今こそ取り組まなければならない課題だ。憲法改正という党是を成し遂げよう」と呼びかけました。


5月3日付の産経新聞によると、岸田首相は同紙との単独インタビューで「選挙での訴えを通じ、党の積極的な姿勢をアピールしたい」と説明。自身の党総裁任期中の憲法改正に意欲を示し、9条への自衛隊明記について「自衛隊の違憲論争に終止符を打つため、大変重要な課題であると丁寧に説明を続けていきたい」として、夏の参院選で改憲を自民党公約の重点項目に掲げる方針だといいます。


こうしたもとで迎えた今日の憲法記念日、首相は改憲派団体の集会にビデオメッセージを寄せ、改憲の意欲をアピールしたと伝えられています。「朝日新聞デジタル」の記事を引用します。


改憲派団体の集会「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せ、「施行から75年が経過し、時代にそぐわない部分は改正していくべきだ」と訴えた。その上で、憲法改正は「決して容易ではないが、挑戦し続けなければならない」と語った。

首相は、ウクライナ危機や新型コロナウイルス対応に触れ「緊急事態条項」の重要性を訴えた。「自衛隊明記」など自民党がまとめた改憲4項目についても「いずれも極めて現代的な課題で、早期の実現が求められる」と主張した。衆参の憲法審査会が議論を重ねていることを評価する一方、「憲法改正の主役は国民だ。改正に向けた機運をこれまで以上に高めたい」とも語った。

集会には自民、公明両党のほか、憲法改正に積極的な日本維新の会、国民民主党の国会議員も参加した。この集会には、安倍晋三氏や菅義偉氏も首相時代にビデオメッセージを寄せている。


同じ「朝日新聞デジタル」の5月2日付記事は、はこう伝えています。


3日の憲法記念日を前に、朝日新聞社は憲法を中心に全国世論調査(郵送)を実施した。いまの憲法を変える必要があるかを聞くと、「変える必要がある」が56%(昨年調査は45%)で、「変える必要はない」37%(同44%)を上回った。2013年に郵送調査を始めて以降、改憲必要派は最多。憲法第9条については「変えないほうがよい」59%(同61%)で、「変えるほうがよい」33%(同30%)を上回った。


改憲派勢力がウクライナ情勢を口実に、敵基地攻撃能力(最近は反撃能力と改称)だの核共有、軍備増強だのを喧伝し、その方向こそが日本の平和と安全を守る道だと決めつける単細胞の議論を、有無を言わさず展開している今、改めて日本国憲法の意義と真価が問い直されなければならないと痛感します。


そんなとき、先日の記事ムナグロに遭遇、の巻でご紹介した”私の所属する退職同業者の親睦団体が不定期に発行している「会報」四月号”に掲載の記事「ロシアのウクライナ侵攻と核共有の危険性」(ISさん)は必読です。ほんの一節を(無断で)引用してご紹介させていただきます。


21世紀の今日,これほどあからさまな侵略行為が目前に展開されていることに大きな衝撃を受ける。と同時にやはり国際社会の結束によってしか,この事態は打開できないことを肝に銘じるべきだろう。
そして,この事態に乗じるように「核共有」や「敵基地攻撃能力」を声高に叫ぶ安倍晋三や日本維新の会などの政治家には要注意である。安倍晋三のコアな支持者は「日本会議」などの極右勢力である。彼らは中国や北朝鮮の武力に武力で対抗することを主張する。安倍晋三の「核共有」はまさにこうした連中に迎合した政策である。維新のやり方は常に「敵を作り,敵を攻撃し,大衆に迎合する」である。「公務員攻撃」,「組合」攻撃,「中国,北朝鮮攻撃」を繰り返し,大衆受けを狙う,まさにポピュリズムである。「勇ましいことを言えば,大衆に受ける」そんな言説に扇動されてはならない。また「敵基地攻撃能力」は一歩間違えれば「先制攻撃」ともなりかねない。憲法9条を持つ日本が先制攻撃することは許されない。何より日本は絶対に戦争できない国なのだ。
今回のロシアのウクライナ侵攻で,世界に衝撃を与えたことの一つに稼働中の原発への攻撃がある。現在日本には54基の原発があり,うち9基の原発が稼働中だ(2021年3月現在)。しかし,稼働中の原発だけが問題なのではない。稼働していない原発の敷地にも放射性廃棄物が山積みされている。これは政府が放射性廃棄物の最終処分を先送りし,原発を推進してきたツケである。その中には当然高レベル放射性廃棄物も含まれている。つまり,日本を滅ぼすには核兵器はいらない。通常のミサイルで原発を攻撃すればよいのである。原発をミサイル攻撃し,その敷地内にある高レベル放射性廃棄物が大気中に大量放出されれば,日本は終わりである。日本が絶対に戦争できない国とはそういう意味である。
国会で野党議員から政府に「原発へのミサイル攻撃からどうやって原発を守るのか?」という質問が相次いでいる。また,全国知事会も原発への武力攻撃への対策を政府に要望している。令和新選組の山本太郎代表は,安保法制が審議されていた2015年にも,2022年の3月にもこれについて質問している。「テロへの備えは強化していくが,武力攻撃はそもそも想定していない。」というのが政府や原子力規制庁の答えだ。山本太郎代表は「対策できないことは考えないというスタンス」と批判している。
原発への攻撃を阻止できない以上,日本は断じて戦争はできない。それを無視しておいて,「核共有」だの「敵基地攻撃能力」だの「武力に対して武力で対抗する」などあまりに無責任だ。威勢のいいことを言えば,支持率が上がるなどと政府・与党が考えているとすれば,あまりに愚かだ。これまでのことを深く考えれば,外交しか解決策はないというのは自明の理だ。私たちは威勢のいい言説に決して騙されてはいけない。


気分転換に,季節の写真を載せます。


ヤグルマギク


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麦畑P4220765


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ヒバリ


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ひとまず今日はここまでです。


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平和な春が訪れますように、の巻 [時事]

別の記事を後回しにし、緊急に時事記事をUPします。


ウクライナのサポリージャ原発にたいして、ロシアの軍事攻撃が始められたそうです。おぞましいニュースです。


地元「九条の会」が3月9日に予定している「9の日行動」で、スタンディングの際に使おうと、こんなプラスターを作ってみました。これを使わなくて済む状況が一刻も早く訪れますように。


noputin


地元のお仲間と、こんなハガキをロシア大使館に送る相談をしています。


ロシア連邦大統領 
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン閣下
  貴国によるウクライナへの武力侵攻の報道に接し、私たちは、ヒロシマの被爆詩人峠三吉の詩を改めて想起せずにはいられません。
ちちをかえせ/ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ/わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの/にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ
  全人類に向けたこの痛切な伝言を胸に刻む者の一人として、取り急ぎ、謹んで緊急のお願いを申し上げます。
1)直ちに武力侵攻を中止され、平和を回復してください。
2)ウクライナの子どもたち、女性、高齢者を含む大勢の市民、及び祖国愛に燃えるロシアの勇敢な若い兵士たちに、これ以上の無益な流血を強いないでください。
3))核の使用はもとより、核兵器で世界を威嚇することをやめ、核なき世界、理性と愛が支配する平和な21世紀の実現にむけて、賢明なリーダーシップを発揮してください。
  どうか、それにより、閣下とロシア国民の栄誉が、後世に長く記憶されるよう祈念するものです。


ロシア大使館の関係者の方、もしこのブログを瞥見される機会がありましたら、どうぞ、一刻も早く、プーチン閣下にハガキ文面をお伝え願わしゅう存じます。


3月2日の河津桜(by PENTAX K1-Ⅱ+TAMRON SP500mm)


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3月2日のマンサク(by PENTAX K1-Ⅱ+TAMRON SP500mm)


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3月3日の梅(by PENTAX K1-Ⅱ+MINIBORG 50mm)


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3月4日のマンサク(by PENTAX K1-Ⅱ+MINIBORG 50mm)


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3月4日の河津桜(by PENTAX K1-Ⅱ+MINIBORG 50mm)


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世界に平和な春が訪れますように(厳密には、北半球のハナシですが・・)


今日はこれにて。


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NOWAR、の巻 [時事]

新ブログを立ててから、初めての『時事』記事です。


ロシアによるウクライナ侵攻の傍若無人が、世界に戦慄を与えています。
人類が、多大な犠牲を代償に辛うじて築き上げてきた国際法秩序を、恣意のままに紙くずのように破り去って恥じない傲岸。圧倒的に優位な軍事力を背景に、核の使用までちらつかせて我意をごり押する無理無道の前には、いたたまれない焦燥と無力感を覚えずにはいられません。。


しかし、一方で、ロシア国内を含む地球上のあちらこちらで、また、各層の人たちの勇気ある「戦争反対」[NOWAR」の声がと行動が、急速に広まっていることに、励まされる思いです。


「戦争反対」「#NoWar」奈良美智さんら著名人が訴える。声を上げることこそ大事だ

ロシアがウクライナへの軍事侵攻を進める中、日本の著名人らも「戦争反対」との思いを相次いでSNS上で表明している。 【ツイート】奈良美智さん、SHELLYさん、冨永愛さんがSNSで訴えたこと 国際的な現代美術家、奈良美智さんは2月25日、「NOWAR」と書かれた服を着た少女の絵を、2人の子どもたちが抱き合いながら見る姿を捉えた画像をTwitterに投稿。「#ロシアのウクライナ侵攻に抗議する」「#あらゆる戦争に反対します 」「#NoWar」などのハッシュタグをつけてロシアへの抗議の意を示した。 タレントのSHELLYさんも「#戦争反対」などのハッシュタグとともに、「一刻も早くこの悪夢が終わることを願います」とTwitterに投稿した。 モデルの冨永愛さんは「こんな時代に戦争が始まった」「何のために??私利私欲以外の何ものでもない」とTwitterに投稿。このツイートに返信する形で、「私達だって無関係じゃない」とも書き込んだ。 こうした著名人らの「戦争反対」の訴えに対し、SNS上では「綺麗ごと」「戦争反対と言えば戦争がなくなるわけじゃない」などの意見もあった。 だが、武力で他国に侵攻したり、他国民の財産や身体を傷つけたりする行為は決して許されるものではない。その行為を容認しているわけではなくても、抗議の声を上げなければ思いは届かないだろう。声を上げることこそ大事ではないだろうか。(ハフポスト)


ロシア国内で、戦争に反対する抗議デモ「ウクライナの人たちに謝りたい」

プーチン大統領がウクライナに侵攻を開始した日、ロシア各地で行われた抗議活動では1700人以上が拘束されました.

(中略 )


ロシアがウクライナに侵攻を開始した2月24日、ロシア国内でも戦争に反対する抗議活動が起きた。

参加した人々は首都モスクワの他、プーチン大統領の地元サンクトペテルブルクやノボシビルスク、エカテリンブルクなどでも声をあげた。

海外メディアの記者らが現地で撮影した動画には、抗議活動に備えて治安部隊が配備される様子が映っている

(中略)
AP通信によると、24日にはロシアの54の都市で1745人が拘束され、そのうち少なくとも957人がモスクワだった。

モスクワ在住の人権活動家マリーナ・リトビノビッチ氏は、Facebookに投稿した動画で、各地で抗議活動に参加するよう呼びかけた。

「ウラジミール・プーチンが友好国であるウクライナを攻撃したことで、多くの人々が今、絶望や無力、恥を感じていることでしょう。しかし落胆するのではなく、今夜7時にあなたの街の広場に集まって『ロシアの人々はプーチンが始めた戦争に反対する』とはっきりと伝えましょう」。


「戦争をやめろ 私たちは戦争反対」遠藤航ら試合前に横断幕掲げ観客からは拍手

<ブンデスリーガ:ホッフェンハイム2-1シュツットガルト>◇25日◇ジンスハイム

ロシアのウクライナ侵攻を受け、シュツットガルトとホッフェンハイムの選手は試合前にピッチ上で一緒に戦争反対の横断幕を掲げた。ウクライナの国旗の色である青と黄色の文字で「戦争をやめろ 私たちは戦争反対」と書かれたメッセージが掲げられると、観客からは拍手が起こった。

両チームの選手は黒いバンドを腕に巻いてプレーした。


「いかなる理由があっても戦争反対です」 訴えたNHKキャスター、ロシア大使に10日前放った質問

2/25(金) 14:42配信

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J-CASTニュース

田中正良キャスター(右)が反戦訴える(ニュースウオッチ9公式サイトより)

ニュース番組「ニュースウオッチ9」(NHK総合)の田中正良キャスター(54)は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を報じた2022年2月24日の放送で「いかなる理由があっても戦争には反対です」と訴えた。


 


 


たかまつなな、ウクライナ侵攻に「戦争反対と声を上げる大事さ」訴え

お笑いジャーナリストのたかまつななが26日、自身の公式ツイッターを更新。「戦争反対」と声を上げる大事さを訴えた。
「『戦争反対』と声を上げることも大事だ」と投稿したたかまつ。続けて「戦争反対といつの間にか声を上げられなくなることもあるし、声を上げられない人のかわりに声を上げることも大事だ」と伝えた。

その理由として、「問題に関心がなかった人も気づけるし、私たちができごとを考えるきっかけになるし、世論の関心が高いと政治も動く」とあげた。だから、「声を上げることを馬鹿にしたらダメ」と諭した。


小説家の平野啓一郎氏も26日の今日、公式ツイッターを更新。「人を殺してはいけない、戦争をしてはいけないといった、この世界の根本的な原則が揺らぐときには、市民1人1人が声を発し、書き、言葉を通じてその原則を確認しあわなければならない」と記している。

元AKB48で女優の秋元才加も、25日に公式ツイッターで、「戦争には反対です」と伝えた。続けて「ただ、自分の国で起こったら、私は何を思いどう行動するのか、答えが見つからずずっと考えています。でもやっぱり戦争はしてはいけないと思う」と自身の思いをつづった。


 


     


さて、それでは。わが政府の対応は?


“外交オンチ”岸田首相「ロシア軍侵攻」に右往左往…野党に促されNSC開催の赤っ恥

ロシア軍が24日、ついにウクライナに侵攻した。首都キエフの軍事施設が空爆され、北部ベラルーシ側からロシア地上部隊が軍用車両で越境した。各国首脳が一気に緊張感を高める中、どうもボンヤリしているのが岸田首相だ。ウクライナ外相からは、「より強力な反応と行動を日本が示すことを期待する」と名指しされるありさまである。

  岸田首相の危機感の薄さを象徴していたのが、24日の参院予算委員会での一幕だ。午前中に、野党議員からウクライナ情勢やロシアへの追加制裁についての認識を問われると、「国際社会との連携を大事にする」「国益を考え判断していく」と手元の資料に目を落としながら答弁。何度も聞いたセリフを繰り返すだけだった。 ■蓮舫議員に先を越される… そして、正午に〈ロシア、軍事作戦決行〉との一報。それでも予算委で予定通りの審議が続くと、立憲民主党の蓮舫議員が、「国家安全保障会議(NSC)を開くべきでは」と質問。岸田首相は苦しげな表情を浮かべ「適切なタイミングで開催したい」と答弁し、予算委は休憩に入った。結局、岸田首相は蓮舫議員に追い込まれる形でNSCを開催したのだった。 「与党は蓮舫議員の後に控える自民議員に『NSCを開催すべき』と質問させるつもりだったようです。ところが、先を越されてしまった。野党に言われて開催に動いたわけですから、赤っ恥でしょう」(永田町関係者) NSC終了後も岸田首相は「アメリカをはじめとする国際社会と連携して迅速に対処していく」と、通り一遍の発言。この期に及んで「詳細な情報の収集および情勢の把握に努める」なんて言っているのだから寒すぎる……。


そこで思い出すのがあのアベさん。プーチンさんを『ウラジミール』とファーストネームで呼び交わすほどの親密な仲だったのではないですか?彼のツイッターには、こんな時こそ力を発揮してよというコメントが殺到したそうですね。


安倍元首相 ロシア「許さない」に千件超コメ「プーチン説得して」「同じ未来見てたのでは?」

安倍晋三元首相が25日、ツイッターに投稿。「ロシアによるウクライナへの侵攻は、戦後私たちがつくってきた国際秩序に対する深刻な挑戦であり、断じて許すわけにはいきません」と批判した。

「G7と連携し直ちに対抗処置を取らなければなりません」と記した。

「プーチンを説得して下さい」「よろしくお願いします」「同じ未来を見ていた盟友では?」「安倍さん!何とかお願いします!」など1100件を超えるコメントが集まっている。


2019年9月にウラジオストクで開かれた日露首脳会談・東方経済フォーラムで、 「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」とアピールしたアベさん、どんな未来を見ておいでだったのでしょうか⁇⁇⁇




拙ブログで、プーチン氏について記述した記事はわずかです。余りにも情報が不足していて、プーチンがどんな「未来」を見ておられるのか、想像もできないからです。


古い記事でこんなことを書きました。


安酒をちびりちびりの物思い(2015-12-21)


カワウソが、捕らえた獲物を岩に並べて祝いの祭を催す故事にちなんで、撮りためた獲物を並べて一人楽しもうというコーナーです。
同名の「幻の名酒」とは、一切関わりがありません。
先日、酒屋を覗いたら、この銘酒が棚に並べられて、オーラを放っておりました。
山口県出身のアベ首相が、ロシアのプーチンさんやアメリカのオバマさんに、地元の地酒であるこの「獺祭」を「手土産」としてプレゼントしたなどのエピソードも知られていますし、アニメ「新世紀エヴァンゲリヲン」にも、この酒がさりげなく登場することも、マニアには周知のことだそうです。
それより何より、蔵元の「旭酒造」とその社長さんが、テレビやラジオなどで、酒づくりへのこだわりと味への自信を熱く語られるのをお聞きし、興味を覚えておりました。

よほど、思い切って買って帰ろうかと思いましたが、お値段がね、、、。


「この銘酒」とは「獺祭」という高級酒のことでしたが、プーチン氏は同じ山口県の「東洋美人」お気に入りだとか。


プーチン大統領、東洋美人を絶賛 ただ食いはご勘弁を(産経抄2016.12.18)


15日夜に、山口県長門市の温泉旅館「大谷山荘」で行われた安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領の夕食会(ワーキングディナー)のメニューを、岸信夫外務副大臣が17日、フェイスブックで紹介していた。いわく「地元の食材をふんだんに使っています。でも夜中にこんなに食べちゃぁ…」。

▼確かにカニ、トラフグ、長萩(ちょうしゅう)和牛、ノドグロ、アンコウと贅(ぜい)を尽くした旬の食材を用いた料理が20品目近く並んでいる。プーチン氏は長旅の疲れをものともせず、そのすべてに口を付けたというから、相当な健啖(けんたん)家であることは間違いなかろう。

▼「素晴らしいお酒だ。お薦めする」。16日の安倍首相との共同記者会見では、プーチン氏が夕食会で飲んだ萩市の地酒「東洋美人」をこう絶賛する場面もあった。古今東西、うまいものを食べおいしい酒を飲んで、機嫌が悪くなる人はおるまい。

(中略)
▼今回の日露首脳会談では、経済協力の具体化や北方領土での共同経済活動の協議開始が合意された。決まった以上はうまくやってもらいたい。ロシアによるおいしいところの「ただ食い」は勘弁である。


過去ブログの別記事には、こんなことも書きました。


深山公園のこれなあに?の巻(2016-12-17)


鳴り物入りの過大演出のあげく、ウラジ-ミルとファーストネームで呼ぶなど、卑屈なまでに親愛感をアピールしながらも、何らの成果も得られず、落胆ばかりを国民に与えることになったアベパフォーマンスも、お寒い限りでした。
まだ大統領職についてもいないトランプのもとに尻尾を振って馳せ参じ、プーチンに対しても国民が赤面するほど屈辱的にすり寄り、まつろわぬ自国の民に対しては、居丈高に押さえつけようとかかる、困ったちゃんここに極まれりです。
ウクライナ問題をめぐってG7がロシアに経済制裁を続けているまっただ中、また、米民主党へののハッカー攻撃へのプーチンの関与が名指しで指摘されるなか、売名のためにロシアにすり寄った見返りに、忠誠の証として相応の償いをアメリカに支払わねばならないことは、素人の算術計算でも自明と言えましょう。二股膏薬の悲哀でというものでしょうか。


勢い余って酷い悪口を書きすぎたか、と、後で少しは反省もしましたが、今から思えば書き足りなかったくらいですね。




ハムスターが天寿を全うしました。


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思い起こせば、最初はこの記事で紹介しました。


新しい同居者、の巻(2019-12-25)


昨日から冬休みの子どもたちとの、潤滑剤(笑)に、こんなクリスマスプレゼントを、一緒に買いに行きました。わが家の、新しい同居者です。

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来年はねずみ年ですから、、、


初対面!!の巻(2019-12-28)


付録の最後は、新しい同居者、ハムスターが2匹。前回ご紹介したのは♂でしたが、今日は♀のスナップショットです。

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当時小6の男の子が、しばらく保健室登校を続けていた頃で、気晴らしにもなろうかと、孫と祖父母で共同飼育を始めたのでした。その男の子は、中学になってからは見違えるように元気で、部活三昧の毎日(コロナのため制約はありますが)で、ペットの世話どころではありませんので、小学女子のふたりが時々相手をする程度で、世話はほとんどジジババの役目になっていました。


オスの方は、この記事の通り、先に逝きました。


お久しぶり(その3)、の巻(2020-11-23)


庭の片隅、故ドン・プレコの近くに埋葬しました。

安らかに眠れや愛しのドン・プレコ(2016-04-27)参照。

安らかに眠れよかし。

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今ジャンガリアンハムスターの寿命は約2年と言いますから、メスの方は長生きしたといえるかも知れませんが、今年の冬の寒さが体力消耗を早めたのでしょうか?オスの隣、故ドン・プレコのそばに埋葬しました。


ペットの死でさえ、悲しみは募ります。ましてや、軍事侵攻という理不尽な暴力によって、家族や友、同胞のいのちを奪われた悲しみは、察するに余りがあります。


無名の人々の、無数の「NOWAR」の声こそが、核の脅しをはね返し、その手を縛る現実の力であることを、今また歴史は、そのノートにはっきりと刻みこむことでしょう。


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