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憲法考補遺(2)、の巻 [時事]

昨日の記事は、ありに長くなりすぎたので途中で分断したのでしたが。、きょうはそのつづき。


【その3】「押しつけ憲法」論をしつこく考える。


拙ブログでは、毎年憲法記念日にちなんで、何らかの発言をしていくことを、ささやか義務として私は私に課してきたつもりです。たとえば、5年前の記事。


祝!憲法君70歳、の巻(2017-05-03)


憲法記念日です。
過去の憲法記念日には、こんな記事を書きました。
2014年。
お誕生日おめでとう。日本国憲法さん!

  今日は憲法記念日。
憲法の理想を現実に生かそうと考えるのか。
それとも、、憲法の定めを「解釈」によって限りなく「現実」に合わせていこうとしつづけるのか?
はたまた、その行き詰まりを手っ取り早く打開するため、憲法そのものをきれいさっぱり書き換えるのか?
いよいよ改憲論議も大詰めですね。

近代的な「立憲主義」の立場では、憲法というものは、政治権力の恣意的支配に対抗し、国民が権力を制御するためのものだそうです。
安倍さんが成立に熱意を燃やしているという
自民党憲法草案(わかりやすい対照表をアップしてくださっています。また、ヤフー知恵袋のこのページも、参考にさせていただきました)は、どうも、国家権力が国民を縛るための道具にしたいらしいですね。

「外国から押しつけられた憲法」という古い論調が何か意味ありげに聞こえるとするなら、いま、日本国民自身が、腹の底から、もう一度この日本国憲法を選びなおす時だと思いますね。


一昨年(2015年)。68歳おめでとう、日本国憲法さん、の巻

この先ご健勝であれば、2年先の2017年には「古希」を迎えられることになります。昔から、古来まれなものとして、その長寿を祝う年齢です。
いま、わがくにの平均寿命は、ずっとのびていますから、70歳といえども、「後期高齢者」にもとどかぬ「若さ」ですが、世界中の憲法さんのなかでも、最長寿に属する事は間違いないでしょう。
「寄る年波」というものもありまして、時の政権担当者の思惑で、本意ならざる「解釈」やら、「運用」やらを施され、若かりし日の輝くばかりの清新さには痛々しいばかりの影が差している事は否めません。
とはいえども、あなたのお陰で、私達日本人は、これまで68年間の長きにわたり、ただの一人も、戦争で人を殺すことがなく、一人の戦死者を出す事もないという「古来希」なる僥倖を享受することができたのでした。
(中略)
なんとしてでも、2017年の70歳を、無事健やかに迎えていただきたいものです。さらにその先、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、白寿(99歳)のお祝いを、国民みんなで祝賀することができればと思うのですが、、、、。


昨年(2016年)。憲法記念日に家の中でひとり憲法を考える、の巻

戦後70年・被爆70年の去年、憲法学者がこぞって「違憲」と指摘するなか、集団的自衛権容認の「戦争法」を数を恃んで強行したアベ内閣は、今度は「緊急事態条項」など戒厳令条項の導入をはじめとする明文改憲の動きをあらわにしています。選挙中はダンマリを決め込んで、選挙後にやりたい放題、のつもりでしょうが、その手は桑名の焼き蛤です。
(中略)
もちろん、憲法は金科玉条でなく、時代の変化に応じて充実・発展させるべきで、そのため、タブーなくフランクな議論が盛んに行われることは、憲法自身が望んでいることに違いありません。自らの国の最高法規について、国民ひとりひとりが、親しみを持って語り、理解し、愛し、誇りに思い、使いこなすことは、言うまでもなく大切なことですから。
一方、憲法を国民議論の俎上に載せようとする人たちのなかには、、あらぬ難癖をつけて悪罵の限りを投げつけて憲法の尊厳をおとしめ、汚い唾まで吐きかけようとする人たちが存在することも軽視はできません。おそらく日本国憲法が世界に先駆けて指し示す、平和で自由な、徳高い民主国家のあり方を、まぶしすぎると感じたり、あるいは煙たく窮屈に感じる人々が、ごく少数ながら存在するのでしょうか。たとえば、憲法の平和的・民主的精神を除去することによって、何らかの利益を手中にできるような人々とその手下、雇い人の類でしょうか?(どんな人たちなんでしょうかね?)
市井の一市民が、憲法に対して何を考えようが、何をしゃべろうが、それは自由であって、誰からもとがめられることはありません。
しかし、たとえば、アベさんのこんな無礼な発言を、憲法九十九条は許していないはずなのです。」



みっともない憲法

あの、日本国憲法の前文にはですね、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したと書いてあるんですね。つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと、言っている。そして、エエ、専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う、自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないのですよ。

国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、いじましいんですけどね、みっともない憲法ですよ、はっきり言って。これは日本人が作ったんじゃないんですからね。こんな憲法を持っている以上ですね、外務省も自分たちが発言するというのは、憲法上、義務づけられていないんだから、それは国際社会に任せるんですからね。精神がそうなってしまっているんですね。まあ、そこから変えていくと言うのが私は大切だと思います。


                          

自分の国語力・読解力のなさを棚に上げて、ちんぴらやくざの言いがかり同然のイチャモンをつける態度は、明白に公務員の憲法遵守義務違反です。
憲法第九十九条は、こう定めています。


  

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


さて、今年は、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘元首相)が5月1日開いた会合で、安倍総理は、「機は熟した。今求められているのは具体的な提案だ。理想の憲法の具体的な姿を自信を持って国民に示すときで、しっかりと結果を出さなければならない」、「この節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す。新しい憲法を作っていくことに全力を傾けると誓う」などと豪語し、憲法記念日の今日は、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲集会にビデオメッセージを寄せ、そのなかで、2020年をめざして9条を改正して、自衛隊を明文で書き込む、などと踏み込んだ発言をしています。
朝のNHK番組では、戦後文部省が作成した教科書「「新しい憲法のはなし」とその復刻版の紹介が、珍しく丁寧にされていました。

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))

  • 作者: 童話屋編集部
  • 出版社/メーカー: 童話屋
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 文庫

      

その憲法君、今年はめでたく75歳を迎えました。
先日来ご紹介している”私の所属する退職同業者の親睦団体が不定期に発行している「会報」四月号”に掲載されている「あたらしい憲法のはなし」( ATさん)掲載の記事を、改めて噛みしめています。いつものように(汗)無断で(汗)ご紹介します。著作権はあくまでもATさんに属しますので、ご配慮下さい。


「あたらしい憲法のはなし」  AT

まもなく誕生日が来る。新しい憲法がその存在を主張した記念日である。日本国憲法は私よりキッチリ12年と6ヶ月遅れて生まれた。
あれからはや70年余,月日の経つのは早い。烏兎怱々である。
何かの資料で,1888年代末期,日本国民「天子様が絹布の法被を下さる」と喜んだが,天子様のプレゼントは上等の絹織物で作った法被ではなく,やたらと犠牲を強要する難しい法律だったのでがっかりした,と書いたものを読んだが,12歳半の私が出会ったのは法被ではなく,あたらしい憲法だった。
それを私が知ったのは,憲法が公布されて1年あまり後,敗戦からおよそ3年後,新制中学校に入学したての時,日本がやぶれて年が経っていた。
私たちは70ページほどの薄い冊子をもらった。教科書よりはすこしばかり上等な用紙で出来ていて,表紙には「あたらしい憲法のはなし」と印刷してあった。片隅に「文部省」と書いてあった。当時,戦争が終わったとはいえ,あらゆる物資が不足しインフレーションがすすみ,おおかたの日本国民がヤミで手に入れた食物と衣服,代用品やしょっちゅうおこる停電など,堪え難い状況を堪えて暮らしていた。
私には,この冊子の代金を支払った記憶がない。母にも父にも「代金を払うからゼニをおくれ」と言ったおぼえもない。‟義務教育″の教科書が無償になるのはまだずっと後のことである。とするとこの冊子は国家が全国の子供に無償で配布したものだったのだろうか。
絶対主義的天皇制の反省にたって,国民主権・平和主義・基本的人権といった原則を明確にした憲法の解説書を全国の子供に無償で配布したということは,これからの日本の歩む道を子供たちに示そうという日本国政府の意気込みの表れだったのか,それとも何ものかに強要されて泣く泣く大金をはたいたのかのどちらかにちがいない,と思う。
ともあれ……!
冊子には,ノッケから「みなさん,あたらしい憲法ができました」と書いてあった。あまり難しい漢字がなく,やさしい言葉遣いで絵や図表,ポスター,標語もあって子供向けのものだったが,目次を見ると「民主主義とは」,「国際平和主義」,「主権在民主義」と国民学校ではあまりお目にかからなかった言葉が並んでいた。本を読むことは好きでも勉強が人一倍嫌いな私にとっては,いささか手強いものだった。
この冊子は教材として使われたのだろうか。回数は忘れたが,指名された生徒が朗読し,そのあと先生の解説があった(と記憶している)。
子供にも分かりやすいものとはいえ,「ニホンヨイクニ キヨイクニ セカイデヒトツノ カミノクニ」と10年近く叩き込まれ,少国民魂がなかなか消えない私は,一枚の絵が気になった。
大きな釜に飛行機や戦車,爆弾が投げ込まれ,その釜の下から戦闘機ではない客船か商船,ビルディング,電車などが出てくる絵だった。戦争が終わって3年も過ぎていたのに,軍国少年だった私には,世界に誇る強い戦闘機や無敵艦隊へのあこがれが頭の中のどこかにこびりついていた。陸軍演習場に隣接し,敗戦直前には近くに急造の飛行場が作られた…私も滑走路造成のための土運びに動員された…という所で育った私には,武器のない日本というものは簡単に受け入れられなかった。何しろ物心ついた時からいつも目の前に兵隊がいたし,我が家からほんの数十メートルの所に「軍道」というものがあって,益荒男の行軍を毎日のように見ていたのである。
天皇は国民の象徴…「ショウチョウ」とは何かよく分からなかったが…と書いてある。天皇は先にも書いたとおり「神」だった。何しろ,白い手袋も校長が「チンオモフニ……!」と唱え始めると子供たちは直立不動の姿勢をとらされ,たとえ寒風が吹きつける真冬でも,容赦なく出てくる鼻水をすすり上げることも許されない「チン」である。神のミスエで,その写真にむかう時も,腰を90度に折り曲げて最敬礼をしないと先生には叱られ,上級生からどやされた。先生が「‟神様″は神様ではない」と解説したが特別な感慨もなく聞き流した。人間宣言のことは忘れてしまっていた。
平和主義だとか民主主義とか言われても……!
戦争中にも先生の話の中に「平和」という言葉はあったが,それには必ず「東洋の」というまくら言葉がついていた。
1945年の2学期のはじめだった。全国の少国民が校庭に集まって校長先生…余談だが,後日,校長先生という職名はない,とある学校の「校長先生」にたしなめられた…から「これからの日本は平和と民主主義の道を歩む」という(ような)主旨の話を聞いた。「平和」という言葉は知っていたが,はじめて聞く民主主義という手に掴むことも,食べることも出来ない面妖なものが全く理解できなかった。
基本的人権だって……!
子どものころ,近所のオジチャンやオバチャンとの話の中でも「権利」という言葉を使った記憶がない。権利というものを知らずに私たちは育った。
「あたらしい憲法のはなし」に基本的人権には自由権と請求権と参政権がある,と書いてあった。キホンテキジンケンというのはなんとなく分かるが,請求権は初めて聞く言葉だった。私たちは逮捕も裁判も警察が行うものと思い込んでいた。「あそこのオジチャンはヤミ商売をして巡査にくくられ(逮捕され)牢屋に入っとる」というようなことを話していたし,学校に行くのが権利だなどと考えたことはなかった。
参政権にしてもそうである。中学校ではクラスや生徒会の役員選挙が行われた…国民学校ではどうしていたか記憶がない…が,それと憲法の参政権は別のことだった。
婦人参政権……!
男女同権になったのでバアチャンもカアチャンもオバチャンもネエチャンも投票に行くことになった。
投票に行ったがよいが,当時は候補者の氏名をひらがなで書いたりしなかったので折角のポスターが読めず,「だれに投票した?」とトウチャンから聞かれたどこかのカアチャンが「誰がエエか分からんケン,アンタ(夫)の名前を書いといた,と答えたそうだ」と母が笑いながら話してくれた。村人全部が知人といえる小さな村のことである。開票作業にあたった村役場の職員も驚いたに違いない。噂話か事実かは分からないが,日本憲法がヨチヨチ歩きだったころには,そういうことがあったかもしれない。
それでもそのころ,世の中はたしかに変わりつつあった。
青年男女が公民館や農家の庭でフォークダンスに熱中し,農閑期には村人が鎮守様の境内に設けた舞台で地下芝居を楽しむようになった。楽しく踊っている最中にも容赦なく停電が起きたが,村のアンチャンやネエチャンはそれを想定していたらしく,あらかじめ用意していたアセチレンガスのランプの薄暗い光の中でダンスを楽しんでいたし,軍隊時代の思い出話や自慢ばかりしていた小父さんが意外な名優ぶりを発揮して村人を沸かせた。ともあれ,大人も子供も女性も男性も新しい時代を肌で感じ取り,平和の到来を歓迎していた。新しい憲法が人々の心の中に住みつき始めていた。
やがて朝鮮半島から一時帰休の米国兵が旧日本軍の演習場に来るようになると,那岐山や滝山の麓の原野の使用についての論争が燃え上がり,ついには「日本原演習場の外国軍使用に反対する6ヶ村村民6000人集会」を企画するまでに発展した。
いくつかの戸惑いや混乱はあったが,誕生したとき,総じて国民は憲法を歓迎していた。その憲法の周辺がキナ臭くなったのはいつのころからだろうか。
復刊された「あたらしい憲法のはなし」を読み返しながらフト思う。「この憲法は外国から押し付けられた」のではなく,日本国民が自らの意志で大切に守ろうとした筋道なのだと……


これはまさに「押しつけ憲法論」への、体験に裏打ちされた動かしがたい反証にほかならず、このような無数の証言を、聞き継ぎ語り継ぐ責任を改めて感じているところです。




連休が終わり、大阪から6時間かけて帰省してきた孫一家は、昨日、6時間かけて無事帰阪した由。帰省渋滞恐るべし。


渋滞と言えば、連休中の思い出づくりに、小学生3人、保育園児1人を連れて、2台の車でお出かけしたのは4日の日。例年通りの行楽ラッシュが予想されるため、人気のテーマパークは敢えて避け、穴場狙いの地味な公園をめざした・・・・つもりが、案に相違してエライ渋滞。入り口近くになってからも、なかなか前へ進みません。


駐車場のキャパシティが100台規模のところに、どっと車が押し寄せたためらしい。むしろ、同一経路にあるテーマパークの方が、大駐車場が完備していてスムーズに入場できている様子。そこで急遽方針転換して、避けたつもりのテーマパークで遊ぶことになりました。子どもたちは、かえって大喜び、ウキウキでした。


園内は、どの乗り物も長い行列で、順番待ちが大変。というわけで、実際にはこの観覧車に乗ることができた程度でしたが、広場でお弁当を食べたり、仮面ライダーショーがあったり、お土産コーナーでショッピングを楽しんだり・・・あいにく所要その他で、孫たち勢揃いとは行きませんでしたが、参加できた子どもたちにとっては大満足の連休イベントとなったようです。


KS_19103


人工の遊具などばかりでなく、こんなエリアもあって、寛げます。


KS_19174


トリミングしてみますと・・・


KS_191742


イトトンボ。


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シオカラトンボ。


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KS_19170


保育園児も蜻蛉や蝶に興奮していました。


今日はこれにて。


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momotaro

日本国憲法の大切さは語りきれるものではありませんねぇ
憲法の平和主義は、よく「お花畑」と言われます。でも、周囲の現実を見て軍備を増強することが現実的かというと、これで安全安心と思う方がお花畑です。どんどん危険に近づいています。率先して不戦条約を結んでいくことこそが、現実的平和主義ですよね。
by momotaro (2022-05-08 05:55) 

kazg

momotaro 様
まったく同じ事を、最近考えさせられています。
理想=非現実的=「お花畑」とレッテルを貼り付けることで思考停止に陥っているヒトたちに、本当に安心できるレベルの軍備増強と核抑止とは?具体的・現実的にイメージしてみてほしいものです。
by kazg (2022-05-08 08:00) 

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