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5年ぶりの憲法くん(つづき)、の巻 [今日の暦]

憲法集会の話題を続けます。


昨日ご紹介した、5年前の憲法記念日の記事はこう続きます。


 


昨日の公演の感想も、「大笑いしながら、ガンバレ日本国憲法君!の思いを新たにしました」では、安直すぎますかね?〔中略)


・前回(2017年)は割愛された「憲法くん」の出番。今回は、アンコールの形で最後の数分間で演じられました。


「安倍政権のもとで私がリストラになるというウワサがある。どうして変えられるんですかと聞くと、現実にあわないからだって。私って理想だったんじゃないんですか。現実を理想に近づけようとするのが普通でしょ。」「戦争が終わって、私が生まれた時、国民は初めて自分たち庶民の子どもができたって大喜びしたそうじゃないですか。」「私はまだまだ元気です。もう隠居していいよ、って言われるほど、これまで私を使ってくれたんですか?いいえ、結構暇でしたよ」


「わたしの初心、わたしの魂は、憲法の前文に書かれています」


--そして憲法前文の暗唱。完璧、圧巻です。


「皆さんが、私に働けと言うなら、まだまだ働きます。私をどうするかは皆さんが決めること。皆さんの私なのですから。皆さんに、私を託します。」


・チコちゃんのように生意気に「ボーっと生きてるんじゃないわよ」などと叱るわけではありませんでした。活かすも活かさぬも皆さん次第と、重い問いを投げかけたのでした。


・松元ヒロさん、どうやら私と同い年らしいのですが、いやはや、エネルギッシュさにおいても、若々しさにおいても、聡明さにおいても、比べものになりません。いえ、比べようとも思ってはいませんがね。それより何より、面白さにもますます磨きがかかってきました。こういう人がテレビに出ないということは、それだけテレビがオカシイ、そして貧しい、ということですね。そんななか、鹿児島テレビが密着取材を続けているのだそうです。楽しみです。


いつもながらの孫引き、ひ孫引きによるコピペ記事でした。斜め読み、飛ばし読みしていただければ幸いです。


今回の公演に関係する情報をほんのちょっぴり付け加えます。


①圧巻のパントマイム。


今回は、その妙技をふんだんに披露してくれました。


演技の合間に語られる、数々のエピソードがまた、「へえ」の連続。 


 「パントマイムの神様」と呼ばれるマルセル・マルソー、またそれに感化を受け、芸名にもマルセ太郎・・・次々に芋づる式に語られるエピソードに、興味が尽きません。


備忘メモを一つだけ。


マルセル・マルソーは、ユダヤ人であることを隠すために姓をMangelからMarceauに変えた、彼の父はアウシュビッツ強制収容所で死亡。マルセルはレジスタンスとして活動する中で、ユダヤ人孤児の国外脱出を助け、彼が命を救った子供の人数は数千人にも上る(ウィキペディア参照)。


②その経歴のドラマチック性。 


私と同世代であることは聞き及んでいましたが、高校・大学と陸上選手→パントマイム・お笑い芸人→風刺・政治批判→「テレビで会えない芸人-松元ヒロの世界-」2020年日本民間放送連盟賞 テレビエンターテインメント番組部門最優秀賞など、数奇な人生経験に圧倒されます。


そもそも、パントマイムを始めたきっかけは、教師になる道を諦めていたところ、チャールズ・チャップリンの「モダンタイムス」などの無声映画を見て、地元訛りにコンプレックスを持たずにできる仕事として感動し、パントマイム、お笑い、風刺の道に入ったと、ウィキペデアに記述されています。鹿児島方言に引け目を感じて、「無声」の芸の道を選んだ彼が、今や息つくいとまもなく、研ぎ澄まされた「言葉のつぶて」を当時続けているとは、皮肉なものですね。彼曰く、言葉で言う方が(パントマイムで演ずるよりも)ラクです・・・。 


③紹介された本と映画。


彼は、東京「紀伊國屋ホール」で公演する機会が多いが、舞台で紹介した本が紀伊國屋書店でたくさんくれるので、今日はどの本を紹介するか、書店から問い合わせがあるそうです。


今回紹介されたのは、「ヤジと民主主義」、「福田村事件」。


映画の紹介ページはこちら。映画『ヤジと民主主義 劇場拡大版』公式サイト (yajimin.jp)


映画『福田村事件』公式サイト (fukudamura1923.jp)


④5年前に紹介があった「鹿児島テレビ密着取材」による放送は、地元鹿児島で大好評。全国でも放送され(私も観ました)ついにはドキュメンタリー映画化され、全国公開の運びに・・・↓この記事参照


1月31日(月)いよいよ全国公開!映画“テレビで会えない芸人” | かごnew | KTS鹿児島テレビ (kts-tv.co.jp)


映画『テレビで会えない芸人』 (tv-aenai-geinin.jp)


⑤そして「テレビで会えない芸人」であった松元ヒロさんが、鬼平犯科帳新シリーズで料理人役(軍鶏鍋屋・五鉄の主人、三次郎の役)として出演されるらしい〔時代劇専門チャンネル)。


文字ばかりの記事も味気ないので、今朝の散歩写真を貼っておきます。


最近同じような画像ばかり載せていますが、今日の朝散歩でも、麦畑の向こうの麦飯山を、いろんな場所から写してみました。今日の撮影は、OLYMPUSE520+zuiko18-160mmというレアな古道具によります。EO041840.jpgEO041854.jpgEO041866.jpgEO041867.jpgEO041869.jpg


麦の色がだんだん黄色くなってきました。


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道ばたの矢車草に目を止めるいとまもないうちに、暑い季節に突入でしょうか。


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今日はこれにて。


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憲法記念日の朝散歩、の巻 [カメラde散歩]

前回upした記事が余りにも冗長でしたので、少し分割することにしました。


まずは憲法記念日の朝散歩のスケッチです。


今朝の散歩でも、麦畑の向こうの麦飯山を写しました。


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昔こんな記事を書いています。


濁りなき緑を肺に満たしてん(2013-08-20)


鴨川という川を挟んで対岸に、均整の取れた二こぶの山が聳えています。
遠くから見るとおにぎりのように見えるところから、麦飯山と書いて「むぎいやま」と読むのが、この山かなあと、私は思っているのですが、確かめることのないまま今日に至っています。
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戦国時代、中国地方最大勢力の毛利氏と、織田信長・羽柴秀吉方についた宇喜多氏との間で戦われた「八浜合戦」は、この地を舞台にしています。当時、麦飯山の頂上には、二つの城があったそうで、今見ても、確かに頂上が、遠目にも平らに見えるように思えます。
麦飯山城は、宇喜多直家の家臣、明石源三郎の居城で、 宇喜多家の支城でした。当時、宇喜多と毛利は同盟関係にありましたが、宇喜多は、戦局を見て織田方に寝返ります。毛利は、中国地方攻めを進めている秀吉軍が、備前に入る前に岡山城を攻めようと考え、その拠点にするため、麦飯山城を奪おうとして攻撃を加えました。
毛利軍2万人が、山の周囲を囲み、兵糧攻めを加えたのに対し、 宇喜多の勢3千人が籠城しますが、山上には井戸がなく、麓の水源もおさえられたため、城から討って出、ふもとの八浜地区で激戦が繰り広げられました。
城主明石源三郎は、毛利軍の侍大将荘勝資と一騎討ちで戦死。家老の田中源四郎も、戦死して落城します。一方、勝った荘勝資も、明石源三郎の家来に討たれました。
八浜合戦は、1582年。「女軍の戦」で知られる常山城の合戦(1575年)から、数年後のできごとです。


今朝の田園風景を少々upします。


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早朝から、青空が広がっています。


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今日の鳥はカワラヒワ。


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