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先達に導かれ(その2)、の巻 [日録]

前回の記事で紹介した後楽園散歩の補遺です。

二色が岡近くの池の傍らにこんな岩があります。大立石です。

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以前この記事にこう書きました。

梅雨晴れ間に雨の後楽園を憶う、の巻

後楽園の歩き方」という園内マップのうち、「じっくりコース」を再掲します。

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④「二色が岡」に関連して、紹介し忘れた写真がありました。

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後楽園のHPにこんな記事があります。一部を引用します。

2.築庭当時の風景 -後楽園の歴史あれこれ-

特に、園の南西部に位置する二色が岡は藩主がくつろぐ延養亭や栄唱の間の南に広がる前庭でもあり、春の花、秋の紅葉が壮観な眺めであったと想像できます。建物と二色が岡の間には花葉の池が広がり、巨岩の大立石[おおだていし]がどっしりとした風格を加えています。

この大立石は、元禄時代初期に巨岩を九十数個に割って運び、元の形に組み上げたものだそうです。

  

 

手前の植栽は、白い花の平戸ツツジ。後方の小高い丘は唯心山です。

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唯心山についても過去記事をコピーしておきます。

雨の後楽園続いてます、の巻

「唯心山」はこう紹介されています。

池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には唯心堂(ゆいしんどう)があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。

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ちょっと遠くからの眺めです。

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南門から一歩出ると、岡山城が正面に見えます。

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昼食を摂った芝生広場で、岡山城をバックに集合写真。

皆さん、とてもよい表情で写ってらっしゃいますが、個人情報に配慮して、ぼかしを入れています。失礼。

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今日はこれにて


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先達に導かれ、の巻 [日録]

以前、こんな記事を書きました


吾、まさに「非公式」主義者なりき。(2015-01-18)


正しいやり方」知りません。損な性分だと思います。素直じゃないのです。小学校の時、先生に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(または、末代)の恥」という金言を教わり、まさに自分に当てはまると自覚したものの、生来、自分から問うたり、手ほどきを受けたりすることが、大の苦手というか、とにかく億劫なのです。できれば人に聞かずに、自分で見つけたいのです。 (中略)ところで私、中学校の頃から、急に数学が苦手になりました。 「公式」を覚えることに抵抗があったからです。 どうやってその公式が生み出されたかの原理をわかろうと思ううちに、スピードに追いつけず、努力を放棄しました。 ですが、後に、この文章を読んで、痛く後悔しました。戦前の軍国時代、科学的精神を守り抜こうとした唯物論哲学者の戸坂潤の、「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」という文章です。
筆者は、学生時代、師から「数学には、判り切ったことをわざわざ一遍々々繰り返すのを避けるために、公式というものがある。君はその公式そのものから論証しようとするから無駄な時間がかかるのだ。公式位いは覚えておかなくてはいけない。」と諭されたというエピソードをもとに「公式主義」を論じています。
(中略)
「先達はあらまほしきものなり」(徒然草 第52段 仁和寺にある法師)と、兼好法師も言っていました。 でも、「後悔先に立たず」と言いますが、今となってはまったく「後の祭り」で、「習い性になる」という言葉通り、いったん身についた性分は、なかなか矯正はききません。

今回もつくづく身に沁みました。
『徒然草』 第52段 「仁和寺にある法師」を引いて、戒めとしたいと思います。

(原文)
仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
(地方語訳)
仁和寺におるお坊さんが、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがなかったもんで、情けなく思えて、ある時決心して、たった一人で歩いて参詣したんじゃと。ふもとの極楽寺(ごくらくじ)と高良(こうら)神社を参拝して、「これで全部じゃ」と思い込んで帰ったそうな。そして、傍らの坊さん仲間に向って、「長年、心に思っていたことを果たしましたわい。八幡様は、聞いておった以上に、尊くていらっしゃいましたぞ。それにしても、お参りする人という人が、みんな、山へ登っていったのは、何事があったのかしらん?気がかりには思うたけれど、八幡様にお参りすることがもともとの目的であるからと思うて、山上までは見なかった。」と言うたそうな。
小さなことにも、案内者は欲しいことじゃのう。

きょうはこれにて。




岡山後楽園は、私にとってなじみ深い公園のひとつです。でも、いつも、一人だけで勝手気ままに歩くのが常で、ガイドの方からきちんとした案内などは受けたことがありませんでした。それが、先日(4/17)、そのチャンスに恵まれたのでした。


というのは、私の所属する退職同業者の親睦団体のお仲間にも、退職後、後楽園の「園内ボランティアガイド」に携わっている方がおられ、その協力を得て、3人のボランティアガイドに案内いただきながら、園内を見学する機会を持てたのでした。


地元支部からの参加者26人は、3つのグループに分かれて、ガイドさんによる歴史的・文化的説明を受けながら、陽春の後楽園を堪能することができました。


見学後の交流会で、参加者のお一人が、「どこを写しても絵になる」、とおっしゃっていたとおり、無数の被写体に恵まれ、しかも絶好の日射しのもとで、シャッターボタンを押しまくりたい心境でしたが、この日は、ガイドさんの案内に従って順序よく歩くことに意識が働いたのと、一つのグループの世話係を割り当てられていたせいもあって、撮影枚数はわずかにとどまりました。でも決して、悔いはありません(キリッ)。




正門近くの鶴鳴館。庭の牡丹が艶やかです。


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後楽園のHPにはこう紹介してあります。


江戸時代から伝わっていた建物は戦災で焼失し、その後昭和24年(1949年)、山口県岩国市の吉川邸を移築したもので、武家屋敷のたたずまいをよく伝えるものです。
江戸時代にあったのは茅葺きの建物で、数室に分かれ、使う人の格や用途に応じて使われていました。時には来訪者をもてなす部屋としても使われました。
現在は、結婚式や同窓会など、広く一般の方に貸し出され利用されています。




そういえば、過去記事にこんなことを書きました。


またまた梯子、の巻


一つご案内があります。

妻が通っている「織物教室」の作品展が、今月末に催されるそうです。会場所は後楽園「鶴鳴館(かくめいかん)」だそうです。

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案内はがきのコピーを掲載させていただきます。

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隣接する建物が「延養亭(えんようてい)」。藩主の居間だそうです。


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こんなことを過去記事に書いたことがあります。


後楽園スケッチ、の巻

最近、妻が、お友達とおしゃべりする場所として後楽園を利用することがしばしばあります。コロナ禍のもと、人出も少なく混雑することもないし、戸外でのおしゃべりなので、密も避けられる、という点に加えて、そのお友達も、スケッチや絵画を楽しむ方だそうで、時間を費やすにはうってつけのようです。私が教育相談ボランティアに出かける日に、一緒に妻を乗せて後楽園に下ろし、午後一緒に帰ることにしています。そのため妻も、年間パスを購入し、既にモトは取ったようです。逆に、私は送り迎えが主で、実際に入園するチャンスがなかなか取れなかったので、先日の園内散歩は、久しぶりでした。

昨日の水曜日が、それに当たり、延養亭が特別に一般開放される(予約必要)とかで、お友達と見学してきたようです。

後楽園のホームページから、延養亭の記事を引用します。

延養亭(えんようてい)
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。 現在もこの景観の保全につとめています。

夏に書いたらしい妻のスケッチです。

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こちらの過去記事でも、庭園内の景物や建物について、あれこれ触れました。


防塵防滴カメラ、の巻


岡山後楽園のホームページから、「後楽園の歩き方」という園内地図をコピーしてご紹介します。

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「じっくりコース」と名付けられたコースです。「園内の隠れた見どころから、少しマニアックなポイントまで、岡山後楽園の魅力を味わい尽くすなら、所要時間2時間のこのコースへ。」とあります。



ほかにも、同工異曲のこんな園内紹介を繰り返し書いてますので、今回記事では割愛します。


雨の後楽園続いてます、の巻


梅雨晴れ間に雨の後楽園を憶う、の巻




正門のごく近くにある茶店のほとりの広場は、「射場。見学中のわがープの皆さんが説明に聞き入っています。。 

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後楽園のHPではこう紹介されています。


弓場には弓を射る射場、的を置く的場、昔ながらの形式を残した弓の判定をする人が座る矢見塚があります。現在、射場は休憩所として使われ、昭和33年に復元された観射亭は土産物屋として活用されています。


少し歩いて丹頂鶴の飼われているあたりを通り過ぎ、馬場とその側にある観騎亭を見学。


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後楽園HPにはこうあります。


馬場のほぼ中央に位置する観騎亭。観騎亭は、昭和9年の水害で被害を受け、改修されましたが、戦災には遭っていません。馬場側の窓を開ければ騎馬武者がちょうど良い位置に見え、庭側の窓からは松林に見え隠れする沢の池や庭の様子がかいま見えます。


いつもは板戸で覆われている,という印象があるこの建物。この日は白い障子があらわれています。そのわけは?実は私たちが、園内を一巡見学し、芝生広場で昼食のお弁当をとった後、再びこの観騎亭まで戻って、ひとときの交流会を開くために、予約してお借りしているため、雨戸が開けてあるのです。


例えば、この建物は、板戸に閉ざされています。二色が岡に囲まれた茂松庵(もしょうあん)でしょうか?


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上でも紹介した防塵防滴カメラ、の巻 にこう書きました。


その④に「二色が岡」があります。解説には「その昔、春には山桜、秋には紅葉で一帯が彩られたことから、『二色』の名が付けられました。現在は野鳥が飛来する静かな林に。緑の中に茂松庵や地蔵堂などがひっそり佇みます。」とあります。

茂松庵は、元禄4年(1691)前後に建てられた茶室。戦災で焼け、昭和27年(1952)に再建。「花葉軒」と呼ばれた時期もある由。

雨の中、ひっそりと佇んでいました。

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「現在は野鳥が飛来する静かな林」とあるとおり、バードウォッチャーから愛されていた二色が岡ですが、雑木が生い茂る状態を、本来の名前の通りに戻すため、最近大がかりな伐採を施し、桜と紅葉の植林が進められているそうです。ずいぶん見晴らしがよくなりました。


長い記事になりました。


自治会会計や、ミニ新聞編集、冊子編集、などなどたまりにたまっていた作業をこなしながら、合間を見てブログ書きを進めていますが、パソコンの機嫌がよいので、ストレスなく作業できます。


ただ、疲れ目か、はたまた花粉症に加えて黄砂の影響か、目がすこぶる不調で、今朝は眼科に行ってきました、


もうすこし、書く材料があるのですが、次回に譲ります。


今日はここまで。


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「予期せぬエラー」騒動、の巻 [日録]

「予期せぬエラー」のために、パソコンの不具合に見舞われました。とりあえず困ったのは、ブログ投稿ができなくなり、ホームページビルダーの起動もできなくなったこと。またメーラーなど、ほかのアプリの動きも緩慢になったり、フリーズする症状も出るようで何かと不便です。


原因は思い当たりませんが、新しく入れたアプリが、環境設定にいたずらしたのかもしれません。疑わしいものをアンインストール・再インストールを試みてみても、改善しません。


PCの回復を試みながら、その傍ら、退職同業者の親睦会誌の編集手伝いや、年金者組合地元支部の新聞作成と事務、町内会会計の実務などなど、本来ならもう少し手際よく片付く仕事を、とにかくこなす数日でした。


そんな中、急に思い立って、パソコン環境の根本的改善をはかることにしました。


不調の原因を、ハード面・ソフト面にわたって逐一検討し、しらみつぶしに問題を潰していく作業は、あまりにも敷居が高く、気が遠くなりそう。いっそ、CドライブにSSDを新調し、OSをクリーンインストールしてみてはどうだろう?ついでに、現在のwindows10をwindows11にアップグレードしてしまうのも面白いかも?という悪魔のささやきに身を委ねてしまったのでした。




そもそも、このパソコンについては、10年近く前、先代のブログナードサークの四季を始めたばかりの頃、この記事に導入のいきさつを書きました。


ジャンク命(2013-08-03)


ゴミ屋敷になるよと、妻に責められます。持てあましてだいぶ捨てましたが、捨てきれないモノもいっぱい残っています。

私の「ジャンク道」のお師匠は、見捨てられたモノにも光るところがある。そこに命を与える醍醐味は、教育も同じ。と含蓄のある教えを下さいました。
ジャンクで組んだpcも、みな可愛いけれど、いかんせん、ガソリン食いのアメ車さながら、ソフトウェアもOSそのものも、CPUの処理速度、大容量のHDD・メモリを必要とするようになり、次々と舞台から退場してゆきました。
なによりもWindowsのサポート終了というのが、納得できません。windows98、せめてwindoes2000で、私には十分なのですが。
というわけで、我が家の現在のメインマシンは、fuj××suの、ペンティウム4搭載の省スペースXP中古ビジネスパソコン。40GB(?)のhddを400gbと500gbの2機に増設、CDドライブをDVDRWに換装、メモリーを1gbの増設などにより、まずストレス少なく使っていたのですが、①来年四月のXPサポート打ち切り、②画素数の大きいデジカメ画像の処理速度にストレス、という大きな理由から、PCの更新をすすめています。
といっても、コンセプトは、けちけち大作戦。
型落ちのサーバー機(OSなし)を12k円余で購入。(スペックはPentium G640 2.80GHz/メモリ 2GB/HDD 250GB)。これにwindows7proを約5k円で入手。あと、安価なグラフィックボード(音を出すにはサウンドボードも必要か)と、2テラの    
HDDを装着。ネジ無しで筐体のカバーが開き、非常にメンテナンス性の高い構造で、ここまでは労なく「工作」が楽しめました。
これに、無線lanカードを装着、晴れて今日、ネット接続も可能になりました。

富士通 PRIMERGY TX100 S3 OSレスタイプ PYT10PZD2X

富士通 PRIMERGY TX100 S3 OSレスタイプ PYT10PZD2X    


またこんな記事も・・・


とほほ PRIMERGY fujitsutx100s3 には、PCIバスが一つしかなかった。(2013-08-09-1)


CPUは、Pentium G640(2.80GHz/3MB/Dual Core)というのサーバー用のデュアルコアCPUが搭載してありますので、システム上は2つのCPUとして認識されますね。 これで不満なら、xeonやらIntel Core i*やらに換装できそう。もう、グリースやら冷却ファンの着脱やらの煩わしさが先に立って、その種の冒険にわくわくする元気は薄らいで、できれば手軽で安定していて、しかもリーズナブルなのが好ましくなりました。その意味では、我が家の現行各機のなかで突出して優等生のマシンになりました。
で、気に入るとますます欲が出てくるのが悪癖で、小遣いレベルでできそうなメモリーの増設と、サウンドボードの装着にチャレンジしてみることにしました。
そこで、通販で手に入れたのがこれ。
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4ギガバイトのメモリ(5K円あまり)です。ちゃんとぬかりなく、ECCメモリーです。昔、×メガバイトのメモリを、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で買ったのを思い出すと、隔世の感です。HDDだって、「テラ」の時代ですからねえ。余談はさておき、このメモリー、無問題で装着でき、デフォルトの2gbと併せて、6gbで認識されます。作業のストレスが格段に緩和されるはず。めでたしめでたし。
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もう一つのチャレンジ。このマシンでも、音を楽しみたい、と、サウンドブラスターのPCIサウンドカードを、新品で買いました。我が家のジャンク箱を探れば、あれやこれや昔使ったサウンドカードが2枚や3枚は出てくるはず、、、ですが、無用なトラブルを回避したいという安定志向から、新品を買っちゃいました。

Creative サウンドカード Sound Blaster 5.1 VX PCI SB-5.1-VX

Creative サウンドカード Sound Blaster 5.1 VX PCI SB-5.1-VX 

    

でも千数百円ですから、昔のジャンク品と対して変わらない。意気揚々とこれを装着!しようと思って裏ぶたを開けて初めて気づきました。なんと、PCIバスが一つしかない。その唯一のバスは、グラボでふさがっている。とほほ。
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それから10年近く、時に小規模なメンテを施しながら、このマシンと仲良く暮らしてきました。当ブログはっもっぱらこれを使って投稿してきましたし、PC環境の変遷も、その都度記事にしてきました。


たとえば・・・


今更ですが、CドライブをSSDに換装してみました、の巻(2015-04-10)


先日のこの記事でも書きましたが、どんどん増える画像ファイル(撮影済みの写真ファイルの整理が追いつかず、無作為に蓄積しつづけているため)のため、ハードディスクが圧迫されている状態を解消するために、先月、Cドライブを2テラのものに換装しました。これを起動用のHDDにして、データ保存用はスレーブの2テラの
hdd(パーティーションを二つに分けています)を使っています。ところが、このデータ保存用のHDDが、かなり窮屈になっています。
それともう一つ、このHDDは、二つともウェスタンディジタル社の「green」シリーズのものです。

WD 内蔵HDD Green 2TB 3.5inch SATA3.0(SATA 6 Gb/s) 64MB Inteilipower 2年保証 WD20EZRX

WD 内蔵HDD Green 2TB 3.5inch SATA3.0(SATA 6 Gb/s) 64MB Inteilipower 2年保証 WD20EZRX

          

廉価で、お手軽で、静かで、目下のところ、何の不満もないのですが、netの情報を見てますと、信頼性に若干の心配があるとかないとか、、、。データ保存用ならば、何とか対処の方法もありましょうが、起動ドライブとして使うのは不安が残らないか?と思え始めていたのです。

若干なりとも信頼性の高いHDDに換装し、今Cドライブに使っているHDDは、データ保存用に回せば、容量不足も解消できるし、、考えたりしていたのです、、、。

ところが、事態は意外な展開を迎えます。
と、他人事のように申しましたが、ここ数日の思いつきで、起動ドライブを、SSDに代えてみてはと思いついたのです。かつては高嶺の花だったSSDが、昔のHDDより安価で手に入るようになっていましたので。

CFD販売 SSD 256GB 2.5inch TOSHIBA製 内蔵型 SATA6Gbps CSSD-S6T256NHG6Q

CFD販売 SSD 256GB 2.5inch TOSHIBA製 内蔵型 SATA6Gbps CSSD-S6T256NHG6Q

    

安心の国内メーカー製です。

それが、今日とどきました。

早速、換装作業を行い、Cドライブをそのままコピーしました。(コピー所用時間=数十分)

無問題で起動します。めでたしめでたし。


後に、OSをウィンドウズ10にアップグレードしたり、256GBのSSDを500GBに換装したりと、少しずつ変更を加えて今日に至ります。


ついに、「無償」のユーワクに負けました、の巻(2016-07-28)


windows10の無償アップグレードが、「明日まで」、と、繰り返し繰り返し表示されますが、この誘惑に決して負けず、サポート終了までwindows7を使い倒そうと決心していました。そもそもその時までマシンが健在かどうかの保証もないわけですから、アップグレードによっていらぬトラブルに巻きこまれるリスクを考えれば、このまま無問題状態で使い続けるほうが得策と、判断したためです。

が、この決心は、今日の午前中まで持ちませんでした。つい、ふらふらと、「アップグレードを実行する」ボタンを押してしまっていたのです。しかも、必須のバックアップも一切とらずに、、。暑さのために、注意散漫、集中力欠如、破れかぶれの怖いもの知らずという心境に陥っていたのでしょうか?

意外や意外、これまで経験したどんな種類のインストール作業やグレードアップ作業よりもやすやすと、アップグレードが完了してしまいました。というわけで、今のこの記事は、windows10環境で書いています。

そして今のところ、まだ何のトラブルにも遭遇することなく、ほとんど無問題で、パソコン作業が進んでいます。決してすべての動作をチェックしたわけではありませんので、軽々に判断はできませんが、今のところアップグレードは「正解」ということにしておきましょう。


  
このマシンでも、これまで、何度かCドライブ(起動ドライブ)を換装しましたが、いずれの場合も、健全なドライブを新しいディスクにコピーして使うという方法で成功してきました。また、データ保存用のHDDが破損し、有償でデータレスキューを依頼した時にも、不幸中の幸いで、Cドライブには損傷がなかったので、パソコン自体はそのまま使用継続が可能でした。




ただ、今回のプロジェクトの特記すべき点は、新しいドライブにOSを新規インストールし、使い慣れているアプリもゼロからインストールし直す、という点にあります。その作業自体はなんとかやれそうな気はしますが、果たして、その方法で、使い慣れた使用環境をうまく再現できるかどうか?それが大問題です。必要な諸データのバックアップはもちろんとして、常用したいプログラムソフトの、インストールディスク(ダウンロードファイル)、シリアル番号(プロダクト番号)、各種パスワード、などなど必要と思われる材料を入念に取りそろえた上で、いよいよ大プロジェクトに着手したのが数日前。


簡単な経過報告です。


1)SSDもリーズナブルになりました。SanDisk製の1テラのものが9000円弱で入手できました。
2)windows11の導入を試みましたが、思わぬ伏兵。私のマシンは「インストールするための最小システム要件」を満たしていないのだそうです。とっさに方針転換して、windows10の新規インストールを実行しました。以前と同じOS環境なのですが、インストール仕立ての新機は、見違えるようにキビキビ軽快に動きます。


3)文書編集、表計算、画像編集、hpページ作成、住所録管理、などなど、必要なプログラムソフトを、次々にインストールしていきます。降格とスムーズに進んだようですが、実は前もっての準備が不十分で、随所に難関がありました。もう一度、以前のSSDを接続してやると古い環境のPCが立ち上がり、操作できますので、元の設定や保存データをコピーしては、新機に入れ直してやるという作業が何度か必要でしたが、結果としてはなんとか旧環境にちかづけることができました。


4)難儀したのは、インタネット接続、メール送受信、ホームページ管理に関する再設定、セキュリティソフトの再導入などなどです。


5)なかでも、とりわけ苦労させられたのは、今回の騒動の発端となったメーラーとブログ投稿ソフトの不調を解決することでした。


①私はメーラー(メールソフト)として、長く、ジャストシステム社の「shuriken」を何世代かにわたって愛用し、その使い勝手に基本的に満足しています。ところが、これが、昨年で販売終了になり、早晩代替策を講じる必要に迫られるので、Thunderbird や Becky!などをインストールして使用感を試してみていたところですが、新機でも「shuriken」の全設定と過去メールをバックアップ→リストアすることで、元のように使えるようになりました。とりあえず、プラスマイゼロの地点から、ゆっくり代替案を考えることにします。


②ブログ投稿ソフトについてはこの記事に書いたとおりです。


高知の街散歩、の巻(2018-08-27)


今日の記事は、open Live Writerというソフトを使って編集してみています。

これまでいろいろな方法を試行錯誤しながらブログ記事を書いてきましたが、なかでも、私の定番は、ホームページビルダーのブログ投稿機能を利用するやり方で、これだと文字の編集と画像の編集を一体で行うことができて、便利でした。

しかし、最近、これがまったく利用できなくなりました。「記事を投稿」しても、そのままフリーズしてしまい、ctrl+ALT+deleteで「タスクマネージャー」を呼んで終了すると、書き上げた記事もろとも消えてしまうという悲劇に見舞われるようになりました。

素人ながらに詮索するに、どうもso-netブログの「常時SSL化」というのが怪しい。不具合が起こり始めたのがその頃からで、それまではうまくいっていたのですから、、、。

致し方なく、so-netブログ標準の編集画面で編集・投稿を行っているのですが、写真掲載が不便です。サイズを縮小して、いちいちアップロードして、記事に貼り付けると言う手順が煩わしいので、できれば文字と画像を一体で編集したいので、ホームページビルダーには未練が残ります。

(中略)

仕方がない、ソネブロ標準編集画面で続けるしかないかと半ば諦めながら、やはり文章と画像の一体編集、しかもオフライン編集可能のブログエディターを求める思いが募っておりました。

そんなとき、先達のこんな記事が目に止まり、さっそくためしてみているところです。

http://digibibo.com/blog-entry-3424.html

http://kisanuki.cocolog-nifty.com/tashiro/2018/04/post-2c77.html

何だかうまくいきそうな気配です。  


本来英語記述のopen Live Writerを日本語化する方法も紹介されていて、それにしたがって気持ちよく五年ほど使ってきたのですが、一度失うと元に戻るのは至難の業。設定方法がわからなくなってしまい、断念して、元々のように、SSブログ標準の編集画面で編集するしかないかと諦めかけていた時でした。


SSブログのお仲間 とんちゃん様 の、こんな記事を発見しました。


Widows Live WriterからSSブログに投稿できないエラー発生!Open Live Writerに乗り換え


そこでOpen Live Writerの導入と日本語化、SSブログ投稿の設定について記事にします。

SSブログ側の設定

Open Live Writerを使う場合には、SSブログで以下の設定をする必要があります。

ssblog1
SSブログにログインして、[管理ページ]から[設定]を開く。
下の方にある[AtomAPI/XML-RPC/アプリ][パスワードの発行・確認]をクリック。

ssblog2
[AtomAPI/XML-RPC用ID][At omAPI/XML-RPCパスワード]の値をOpen Live Writerの設定に用います。
パスワードが表示されていない場合は[パスワードを発行する]ボタンを押してパスワードを作成します。

Open Live Writer のダウンロードと設定

まずOpen Live Writerをダウンロードしてインストールします。

このときに注意!
Microsoft のストアからダウンロードしたソフトは日本語化できない!

日本語化するなら以下のサイトからダウンロードする必要があります。
https://www.openlivewriter.com/

そこからダウンロードしてもデフォルトは英語版。
設定後に日本語化します。

ダウンロードしたソフトを立ち上げます。

OLW1
[What blog service do you use?]では[Oter services]を選択し、[Next]をクリック。

OLW2
[Add blog account]のダイアログが表示されます。
[Web address of your blog]に自分のSSブログのトップページのURLを入力。
[User name]にはSSブログ管理ページの[AtomAPI/XML-RPC用ID]を入力。
[Password]にはSSブログ管理ページの[AtomAPI/XML-RPCパスワード]を入力。
[Remember my password]にチェックして、[Next]をクリック。

OLW3
しばらくすると[Select blog type]のダイアログが表示されます。
[type of blog that you are using]は[MovableTypeAPI]を選ぶ。
[Remote posting web address for your blog]には「https://blog.ss-blog.jp/_rpcと」と入力。[Next」をクリック。

olw4
しばらくして[Your blog has been set up]のダイアログが出たら、[Finish]をクリックして終了です。

OLW
編集画面が出ます。


地獄で仏、渡りに船とはこのことでした。早速、ご教示通りの設定で、うまく開通しました。日本語化の方法も懇切にご紹介くださっていますが、長い間の操作感が身についていますので、当面は、英語表記でも使えそうです。さしあたり、今日の記事はそんな環境で書きました。




ほぼ週一度のペースで、老母の住む実家に帰っています。買い物などのためです。


今週は、トマト、キュウリ、カボチャなどの苗を購入し、畑に堆肥と肥料を施しました。植え付け母が、翌日済ませたようです。


帰り際、クルマを発車しようとしていると、目の前に珍しい町がいることに気づきました。


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イチジクの葉っぱの周りをひらひら飛んだり止まったりしています。


トリミングします。


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ひらひら舞っては、出発しようとしている私の車のボンネットに止まったりもします。


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イシガキチョウと思われます。そういえばこんな記事を書きました。


幽かな糸が繋がった、の巻(最終回)(2018-09-19)


【今日の付録】

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郷里の家のイチジクの葉に、珍しいチョウがとまっています。

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トリミングすると、、、イシガケチョウ(イシガキチョウ)?


初対面です、の巻


このチョウは?
イシガケチョウ(イシガキチョウ)でしょうか。


今日はこれにて




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異物来襲、の巻 [日録]

降って湧いた「Jアラート」という得体の知れない警告情報により、TVも全チャンネルがジャックされ、嫌が上にも不安を駆り立てられっる朝でした。事態が飲み込めないことほど、不安を煽るものはありません。

NET上にこんな記事を見つけ、共感するところ大でしたので、引用紹介させていただきます。

志茂田景樹氏、Jアラートでよみがえった戦争の記憶「もう少し慎重にもう少しうまく運用してほしい」

志茂田景樹氏といえば、気軽なエンタテイメントとして、電車移動の時などに、結構読みました。その融通無碍の作品もさることながら、独特のファッションセンスと”カゲキ”な自己表現で、タレントとしての活動も、唯一無二の存在感がありました。(ちょっと過去形ですが・・・)いつだったか、新幹線の列車内でお見かけしたことがありましたっけ。ともあれ、志茂田氏の言及に、同意致します。

作家の志茂田景樹氏(83)が13日、自身のブログを更新。この日午前8時ごろに発表された全国瞬時警報システム(Jアラート)について言及した。

  政府は13日、北朝鮮から発射されたミサイルが午前8時ごろ、北海道付近に落下するとして避難を呼びかけ、全国瞬時警報システム(Jアラート)で速報した。その後、ミサイルが北海道や周辺に落下する可能性がなくなったことが確認されたとして、情報を訂正すると発表。訂正に関し、自治体向けの速報システムEm―Net(エムネット)で「情報を確認したところ、北海道およびその周辺への落下の可能性がなくなったことが確認されたので、訂正する」と伝えた。

  志茂田氏は「Jアラートはきついな 4、5歳のときに日課のように聞いた空襲警報はもっとのどかだった」というタイトルでブログを更新。

「東京都民だが、Jアラートの緊急警報にはびっくりさせられた。北海道の人は腰を抜かしたんじゃないか」と書き出し、「Jアラートを発令されたからには、日本の排他的経済水域外に落下する通常のミサイル発射実験と違い、多くの人が北海道の何かを標的にしたミサイル発射と勘違いしたかもしれない。そうでなくてよかったが、ウクライナでは戦争が続いているし、台湾情勢の緊迫もあってナーバスになっている日本国民は少なくない。Jアラートの発令にはもう少し正確な情報が必要なのではないか」と思いを投稿。続けて、第二次世界大戦の記憶を記した。

  自宅があった東京都小金井市で「太平洋戦争中のほとんどの期間を過ごしていた」といい、中島飛行機武蔵工場の空爆や東京大空襲の記憶を回顧。絶えず鳴っていた空襲警報について「我が家の庭には防空壕があったが、僕の記憶では2、3回しか使用しなかった。官舎の人はみんなそうだったな。防空壕を直撃されればお陀仏だ、ということは子供でもわかっていたのよ。庭に防空壕があっても、家という建物が焼夷弾で燃えれば蒸し焼きになる。そのことも充分わかっていたから、みんな覚悟を決めて防空壕には入らなかった。空襲警報のサイレンは少し離れたところで耳にすると、なんだかユーモアでのどかな音だった」と記し、「Jアラートはもう少し慎重にもう少しうまく運用してほしい」と吐露。「安倍政権時代にも1度発令されたと思うが、こういう発令が続くと、オオカミ少年的な存在にされかねないのではないか」と警鐘を鳴らした。

たまたま今日、何人かの方々と集う機会があり、Jアラートの話題で話が弾みました。戦争体験者の方は、「空襲警報そのものだ」と述懐され、総動員で防空壕を掘った記憶も語られました。防空壕に逃げ込んだことが、大量死につながった悲劇も語られました。

また、別の人は、岡山空襲の際に市内中心部にある天満屋百貨店の地下街に、大勢の人が避難して蒸し焼きにされたという伝聞も、添えられました。

Jアラートで危機意識を煽り、今進められている自衛隊施設の地下化などの動きを加速しようとしているのではとの指摘もなされました。

ところで、拙ブログの過去記事を探ってみると、安倍時代のJアラートをめぐって、こんな記事を書いていました。

続夏の終わりの蝶と蝉、の巻(2017-08-30)

北朝鮮のミサイル騒動と、Jアラートの空騒ぎには、言いたいことが沢山ありますが、一言ではまとまりません。
その裏で、こんなニュースもありました。

大分県国東市の大分空港で29日に緊急着陸した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の輸送機オスプレイが、着陸後に白煙を上げていたことが、政府関係者への取材でわかった。
大分県は30日、緊急着陸の原因究明などを米軍側に求めるよう、九州防衛局に要請した。
政府関係者らによると、同機は29日、米軍岩国基地を離陸して沖縄方面に向かう途中、大分空港に着陸した。その後、右エンジン付近から白煙が上がり、さらに炎も出たという。在日米海兵隊は防衛省に対し、「警告灯がついたので、通常の手順に従って予防着陸をした」と説明している。・2017年 08月30日 12時55分・提供元:読売新聞

これも住民に対するアラートと避難指示が必要では?とおっしゃった方があります。まったくです。大気圏上を通過した飛翔体より、煙を噴いて近づいてくる欠陥機の方がよっぽど危険じゃありません?

「異物来襲」のもうひとつは、黄砂。

これまた過去記事にこう書きました。

コロナにも負けず黄砂にも負けず九の日行動、の巻(2021-05-09)

黄砂が襲来しています。我が地方ではしょっちゅうのことで気にも留めないでいましたが、全国ニュースによると、東の地方にも珍しく影響が及んでいるそうです。

黄砂の影響は、鼻水、くしゃみや、涙、目のかゆみなど体調変化でそれと知れます。症状的には単なる花粉症と区別がつかないけれども、必ず累乗効果があるに違いないと経験的に感じています。少ない車のボディやウィンドウが真っ黄色に汚れますので、これが体内に吸入されたら影響がないはずがありません。黄砂は単なる黄河の埃ではなく、ミクロサイズの各種化学物質・汚染物質の凝縮体なのでしょうから。

特に、昨日今日の空の眺めは、「霞か雲か見渡す限り」としゃれている場合ではありません。

そんな中、ご近所散歩も、くしゃみと鼻水に耐えながらの苦行になりますが、少しだけは歩いています。

この桜は4月8日の撮影です。まだ、散り始めという状態でした。

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上の写真の一部分をトリミングします。

trim_K521138このスズメ、ニュウナイスズメではないでしょうか?

ちなみに、下の写真は、今日の撮影。こちらは見慣れた普通のスズメですよね。

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見慣れたシラサギ(ダイサギ)。

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頭部のあたりをトリミングしてみますと・・・

目の周りからクチバシにかけて青く色づいているのは、婚姻色らしい。

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ヒメオドリコソウ。_K521163

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ホトケノザ。

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タンポポの綿毛。

_K521196EO130917ナズナ。

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ナガミヒナゲシ。

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ムギ。

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今日はこれにて。


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春らんまん、の巻 [日録]

ご近所の庭のチューリップが見事に満開でした。


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下は、散歩道の傍らの花壇。


_K521096春爛漫です。_K521097




NHKテレビでは、牧野富太郎博士をモデルとする朝ドラ「らんまん」が始まりました。


酒蔵・峰屋の跡取りとして生まれた槙野万太郎が主人公です。


ディーン・フジオカの坂本龍馬、宇崎竜童のジョン万次郎など、土佐にまつわる歴史人物を個性派キャストが演じるのも興味深いことです。


高知家のイメージキャラクターも総出演。


高知家10周年特設サイト 高知に“ぞっ婚” (kochi.lg.jp)


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広末涼子サンは、主人公万太郎の病弱の母役。


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三山ひろしサンは、万太郎の生家=蔵元「峰屋」に出入りの呉服商「仙石屋」の主人浜村義兵衛役


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島崎和歌子サンは 「民権ばあさん」こと楠野喜江役。


若き日の牧野富太郎自身、その郷里で自由民権運動に参画していたそうな。


「高知新聞プラス」の記事をお借りします。


「学問の自由を求めた政治活動」シン・マキノ伝【13】=第2部= 田中純子(牧野記念庭園学芸員) | 高知新聞 (kochinews.co.jp)


当時、土佐出身の板垣退助が指導する自由民権運動が広がりを見せる中、明治14(1881)年、自由党が創設され、「自由は土佐の山間から出る」と言われるほど土佐では自由党が盛んとなった。当然、牧野も自由党員であった。牧野も政治に関する書物を読み、人間は自由・平等であるべきだという考えに共感していた。自由党の懇親会に参加していたことは、「土陽新聞」(明治16年9月)の記事からも分かる。これより後のことであろう、やがて自由党を脱退することを決めた。どうもわいわい言って騒いでいるだけで、国家のためなら政治家に限ったことではなく、学問をやっても国家のためになろうと考えたからである。そして、やめる時に一芝居をうった。それは仁淀川の美しい河原で開かれた自由党懇親会に出席した時である。席半ばにして、特別に作らせた、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のいるところへ太陽が昇る図柄の旗を押し立て、世を風刺した新体詩を歌って会場を出た。その場にいた人たちはあっけにとられたという。

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写真は自由民権運動をしていたころの牧野富太郎(中央)と仲間たち=高知県立牧野植物園所蔵


 




  

牧野博士の出生地佐川町は、地域の「子供会」がらみの縁で、何度か足を運んだことがある土地ですし、親しい友人の嫁ぎ先でもあり、格別の親近感を覚える土地でもあります。ずっと後になって(「昭和」の終わりの頃でしたか)、職場の職員旅行で高知への旅の一環として、「司牡丹酒造」の酒蔵を見学し「利き酒」を楽しんだこともありました。大吟醸とか純米酒とか、色々ある酒の種類を利き分けるクイズなどもあり、全問正解で「認定証」をいただいたことがありました。実は同行のMさんの答えをチラチラ見ながら、カンニングさせていただいた結果でした(汗)が、それなりに確信を持って書いた答えではありました。悲しいことに、昨年はそのMさんの訃報に接することになりました。


北隆館 「学生版 牧野日本植物図鑑」は,今も愛用しています。高知市五台山にある高知県立牧野植物園には、学生時代、専攻の教官・学生らとともに、研修(親睦)旅行に連れられていった記憶がボンヤリあります。


朝ドラに触発されて,とりとめないもの思いを誘われる今週の朝です。とは言え、ゆっくり朝ドラを観ているゆとりもなく、朝からちょい忙しい日々で、日課にしたい朝散歩も、なにかと疎かになっています。




散歩道の花をご紹介します。 


タンポポ。_K521099


スノーフレーク(鈴蘭水仙)・


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黄色いスイセン。


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シモクレン。


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散り始めのソメイヨシノ。


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昨日、今日の雨と風で、桜の乱舞はさらに進みました。


桜の枝に雀が群れているのはいつもの光景ですが、、、、


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この鳥、少しトリミングしてみますと・・・


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見あげる構図で、しかも逆光気味ですので、しっかり確認はできないのですが、頭のあたりの色が普通の雀より薄い気がし鱒。ニュウナイスズメでしょうか?だとすれば今シーズン初見です。


散歩道の鳥。続けます。


タンポポの向こうで、採餌中のこの鳥は?


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トリミングします。ムクドリです。


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よく似た場所にいるこちらは,ツグミ。


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高木の枝に止まるツグミ。周囲の木々に若葉が萌え始めて美しい季節になりました。


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カワラヒワの群れが,活発に動き回っています。


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春爛漫。


百花が次々に咲き乱れ 、青葉若葉が一気に萌え出て,鳥たちの活性もますます旺盛。自然のエネルギーに満ちた季節ですね。


花粉のパワーアップだけは、つくづく困ったことですが・・・


今日はこれにて


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「ねばならない」の逆襲、の巻 [私の切り抜き帳]

意味ありげなタイトルを付けました。


現職時代に属していた教職員組合が、かつて、ある教育提言を示そうということで、私もその検討委員の一人に加わったことがありました。1900年代の終わりの頃、思えば前世紀のことでした(笑)


アチコチ探して、私の関係した部分を引っ張り出して来ました。


長い文章ですが引用します。


 

提言1こんな高校をつくろう

    視点子ども・青年の「自分づくり」を支援する学校

―――「いかに生きるか」という挑みが励まされ、個性的な 人格形成が促され、進路選択の力が育てられる教育を―――                      
           

Ⅰ.「第二の誕生」の時期の課題に応える教育を


┌───────────────────────────────────┐
│ 高校生たちは、「いかに生きるか」を模索する「第二の誕生」の時期に直面しています。彼らの「自分づくり」を支援する高校像こそ、私たちの探求課題です。  
└───────────────────────────────────┘
いま、学校でも家庭でも、「子どもが見えない」「子どもの心がつかめない」という嘆きが、しばしば聞かれます。簡単に「キレル」「むかつく」子どもたちの登場や、小学校低学年にまで及ぶ「学級崩壊」に象徴される「新しい荒れ」の進行は、その思いをいっそう募らせています。
熾烈な「生き残り」競争をあおる社会状況、人工的に過ぎる生活環境、刺激的・刹那的・浪費的な文化環境、地域・家庭の教育力の低下、大切な「三つの間=時間、空間、仲間」の喪失など、さまざまな要因が、子どもたちの「育ち」を困難にしているのです。
しかし、それだけに、目の前の高校生たちは、それぞれの切実さで、「第二の誕生」(ルソー)の時期に直面しています。それは、内的な価値(理想)に目覚める時期であり、「いかに生きるか」の模索の時期であり、「産みの苦しみ」の時期でもあります。そのさなかにあって、彼らは、合理化されない感情の起伏に苛まれ、孤独と集団性、劣等感と優越感、不信と友情のはざまを揺れ動く日々を体験しています。
この時期こそは、彼らがどのような人間になるかを決定する、「生涯で最も激動的で実り豊かな時期」(竹内常一「現代青年論」)にほかなりません。
いま、「日本の教育」を語り、「高校教育の改革」を語るとき、このような思春期・青年期の課題=「自分さがし」「自分づくり」の課題に応える学校づくりの模索こそ、主要なテーマの一つとなるべきでしょう。

Ⅱ.子ども期を奪われ、過度のストレスにさらされる日本の子ども


  ┌─────────────────────────────────┐
│ 国連「子どもの権利委員会」勧告(98年6月)が指摘するとおり、過度のストレスが日本の子どもたちを苦しめ、学校が「息苦しい場所」になっています。      └─────────────────────────────────┘
胸弾む「自分さがし」「自分づくり」のドラマを渇望しながら、その峠の迂遠さ・先の見えなさにたじろぎ、つまずき、もてあましている子ども・青年も少なくありません。時には、向こう見ずな暴発への衝動にかられたり、モラトリアムや退行に逃避する場合もあるでしょう。彼らには、社会・家庭・学校のいずれもが、切実な「自分づくり」への希求に応えてくれないばかりか、自分をそれから遠ざけ、単調な苦役を強いるだけの強迫的存在と映っているのかもしれません。
とりわけ近年、学校が、多くの子どもたちにとって「息苦しい場所」になってきていることは、紛れもない事実です。
登校拒否・不登校の子どもの数が、ますます増えています。とりあえず、学校へは通っているが、様々な神経症状を抱えながら「苦痛に耐えている」子どもたちを含めると、莫大な数に登ります。そして、その延長線上に、毎年十万人前後にものぼる高校中退者が次々と生み出されています。
国連「子どもの権利委員会」は、98年6月、「日本の子どもたちは、高度に競争を強いる教育制度のなかでストレスにさらされ、発達障害におちいっている」と指摘し、「過度なストレス、不登校を防止し、闘うための適切な措置をとる」ことなどを、日本政府に厳しく勧告しました。それは、「“豊かな国”日本社会における子ども期の喪失」と題するNGO報告文書が浮き彫りにした、日本の子どもたちの実態をふまえたものに他なりません。
                                   

Ⅲ.「自分づくり」を励ませない上からの「教育改革」


┌──────────────────────────────────┐
│ 国や県が「上から」おし進めようとしている「教育改革」は、子ども・青年│の「自分づくり」を励ませるのでしょうか。                             │
└──────────────────────────────────┘
いま、政府・文部省は、「偏差値排除」「競争緩和」「個性尊重」を謳い文句に、「新学力観」をつよく打ち出しながら、「教育改革」をおし進めようとしています。また、岡山県でも、「魅力ある学校づくり」「特色づくり」を呼号しながら、学区解体・高校再編の動きが、急ピッチで進められようとしています。
しかし、これらの「上からの教育改革」は、子ども・青年の「自分づくり」を励ますものとなりうるでしょうか。残念ながら、現実の事態の推移は、より幼い段階で自己の「可能性」に見切りをつけさせ、より早期に選別を完了するシステムとの危惧を裏付けるものとなっています。それは、「自分づくり」の願いに応えるどころか、彼らをゆとりなく追いたて、同時に教師たちをも不毛な学校間競争へと追いつめてやまない道と言わざるを得ません。
       

  Ⅳ.「自分づくり」を励ます高校像のポイントは


┌──────────────────────────────────┐
  私たちのめざす「あるべき高校像」のポイントを、5点にまとめてみました。
  └──────────────────────────────────┘
では、子ども・青年の渇望に応えて、その「自分づくり」を支え励ましていく高校はどうあるべきでしょうか?
そのこと自体をひろく「大人たち」の切実な問題意識として、様々な場で自由な論議を進めていくことが、いま第一に求められているでしょう。
その呼び水となることを期待しつつ、「あるべき高校像」の必須の要件として、次の諸点を提起します。
①自己肯定感を育てる学校(自分の居場所があり「ほっ」と安心できる場の保障)
②仲間がいるコミュニティの場としての学校
③努力のあてがあり、努力の結果が実感できる学校
④「教え」から「学び」へ――世界を読み解く「学び」の保障
⑤「社会」「世界」「人類」とつながった学校

   (1)自己肯定感を育てる学校

               
┌───────────────────────────────────┐
  │ 私たちのめざす高校は、何よりも第一に、「自分が自分のままであって大丈夫なのだ」という安心感=自己肯定感を育てることのできる場でなければなりません。│
  └───────────────────────────────────┘
                   自分に自信がもてない日本の子ども
「『学力』は高いが、自分に自信が持てず、自分を劣っていると考えている。」――多くの国際比較統計が描き出す「日本の子ども」像です。
その背景・原因は多岐にわたり、「国民性」や社会意識総体に深く根ざしているでしょうが、学校・教育のあり方を無視することはできません。
排他的競争を基調とする日本の学校・教育が、「自分の欠点ばかりが嫌でも目につき、いくら頑張っても満足を得られない」という強迫的不安へと子どもたちを駆り立て、往々にして「自尊心泥棒」(斉藤学)の役割を果たしている状況は誰しも否定できないでしょう。子どもたちの人権やプライドを無視した嘲弄や、体罰を含む居丈高な強圧は論外としても、たとえ善意であったにせよ、あまりにも性急に「もっとがんばれ」「~べきだ、~ねばならない」と迫る学校・教師の「熱心な指導」が、時として子どもたちを追いつめ、萎縮させ、衰弱させている側面も見落とせません。
                 ありのままの自分が好きになれたら
子ども(人間)は、「①”ありのままの自分”を受け容れ認められるようになれば、自分を肯定し好きになれる。②そうすれば、自分からあれがしたい、これがしたいと、いろんなことに取り組む自発的な意欲が湧いてくる」(高垣忠一郎)のです。
学校がこれを保障する場となるためには、根本的には、①今日の「高度に競争を強いる教育制度」(子どもの権利委員会勧告)そのものを転換して、子どもの成長と発達を中心に据えた学校制度へと改めること、②過大学校・過大学級の解消など教育条件の充実をはかって、ゆきとどいた教育を保障していくことが、不可欠です。そして何より、目の前の子ども一人ひとりに目を注げるゆとりと教育上の自主権限が、教師に豊かに保障される必要があります。
現行制度のもとで解決できることも
同時に、現行制度のもとでも、学校・教職員のささやかな配慮や努力で解決できるものも、決して少なくないでしょう。
昨年度、各校の協力を得て高教組が実施した「高校生意識調査」では、学校生活の中で「人間として大切にされているという感じ」を「持っている」と回答した高校生は二割に過ぎません。「少し持っている」と合わせても、約六割の生徒しか「大切にされている」と感じていない学校状況の薄ら寒さに、鈍感であってはならないでしょう。
「人間として大切にされる」上で、「強く求めるもの」を尋ねたのに対して、第一は「のびのびとした生活」、第二は「意見をきちんと聞いて」、第三は「まるごと認めてもらえる」の順に回答が集中しており、つづいて僅差で「えこひいきやシカトがないこと」「息抜きや休みの時間」などがあげられています。
いま、当面さしあたって、これらの声に応える「学校づくり」こそ、緊急に求められているのではないでしょうか。

(2)仲間がいるコミュニティの場としての学校


  ┌─────────────────────────────────┐ 

│ 第二は、仲間がいて共同があるコミュニテイとしての機能を、十分に発揮できる場にしていくことです。  
  └─────────────────────────────────┘ 
友だちがいるからこそ
「自分にとって学校とはもっとも束縛される空間であり、いやいやながらに行かざるをえない場所である。学校に行く前は、常にそう思いながら登校していたものである。しかし、行ってみると友人がいたり、意外に授業が面白かったりして、ああ来てよかったとも思うのである(ある女子学生の回想:講座学校第4巻1章より)。」――これは、多くの高校生の偽らざる実感ではないでしょうか。
高教組の「高校生意識調査」でも、「学校のいいところ」として「友達がいる」を選んだ回答数が、群を抜いてトップです。「友だちと長時間人生について語り合った経験があるか」の問にたいして「何度もある」「一~二度ある」を合わせると6割強の高校生が友人と人生を語る経験を持っており、その相手は「高校が同じ学校の友達」に集中しています。「ひとり化・孤立化」「交友関係の希薄化」が指摘される現代高校生も、やはり、「友だち」をこそ第一義に大切なものと考えていることが示されています。
親身になってお互いのことを大切にし、時間を忘れて人生を語り合うようなかけがえのない「友だち」との出会いを、すべての子どもたちに用意してやること。これも、学校教育、とりわけ高校教育の、主要な責務の一つではないでしょうか。
そのためにも、HRづくり、部活動、生徒会活動、行事はもとより、カリキュラム編成や教科の学習活動そのものも、「共同と自治」を育てる方向で再編をはかるなど、コミュニティづくりの工夫がつよく求められています。
「異質の共存」を学ぶ場に
また、「異質」が共存し、相互の交流と感化が存在する場でこそ、人間としての豊かな成長が可能です。多彩な生い立ちやアイデンティティ、課題を抱えた生徒たちが学ぶ定時制・通信制高校での経験も、それを鮮やかに教えています。
「自分探し」・「自分づくり」に呻吟している多くの「フツーの子どもたち」も、閉ざされた「均質集団」の枠を越えて、多彩な人生に触れ、お互いの「違い」を認めあいながら交わるという体験を保障されるなら、劇的な成長を遂げる可能性を秘めているといえるでしょう。
より多くの高校生に、このような契機を保障するためにも、高校生活の中から「競争と排除」の要素を除去し、「異質共存」を前提とする学校づくりを構想する必要があります。また、高生部研などのとりくみが切り拓いてきた、他校生徒間の交流や障害者・児との交流、地域の青年・住民との交流などの機会を、学校教育の様々な場面で提供していくことも重要でしょう。

(3)努力のあてがあり、努力の結果が実感できる学校

    
  ┌────────────────────────────────┐ 
  第三は、「わかる喜び」「達成する楽しさ」を保障し、努力のあてが見え、努力の結果が実感できる学校にしていくことです。   └────────────────────────────────┘ 
わかる喜び味わいにくい教育制度
高校生の多くが、「努力のあてが見いだせず、達成感も味わえない」と感じ、慢性的な無気力に追いやられています。
それは、おびただしい数の「学習についていけない子」の出現を前提に、過重・非系統的な学習内容を低学年にまでおしつけてきた歴代「学習指導要領」のもとで、早い時点でつまづき、意欲を喪失してきた結果でもあります。「個性重視」を唱える「新学力観」のもとで、「できないのも個性」として「基礎基本の修得」が事実上棚上げされていることが、事態を深刻化させています。
「成績の良い子」も、「わかる喜び」「発見の驚き」を十分味わうことができないまま、「勉強は苦痛」と感じています。彼らの多くは「立ち止まると置き去りにされる」という不安から、あてのない努力を強いられています。
「わかる授業」「楽しい学校」の復権を
70年代を中心に、私たちは、「わかる授業」「楽しい学校」のスローガンを掲げて授業づくり・学校づくりに取り組んできました。その達成と教訓が必ずしも十分生かされないまま、職場の多忙科の加速、「新学力観」と結んだ「多様化」政策の波などに影響されて、近年これらのとりくみは、一定の停滞を示しています。
いま、過去の実践の蓄積に再度光を当て、現段階にふさわしく発展させていくことがつよく求められています。
その際、①「“生きる力”を支える基礎学力とは?」の吟味、②「わかる喜びと探求心を育てる教育」への工夫、③その子の「つまずき」をときほぐす適切な課題の設定、④達成感、成就感を味わいながら次のステップに登っていける適切な仕掛けの設定などが、重視される必要があるでしょう。

(4)「教え」から「学び」へ――世界を読み解く「学び」の保障


┌──────────────────────────────────┐ 
│ 第四は、一方的な「教え」から、主体的な「学び」への転換を軸に、子どもの学習権│を真に保障していくことです。                                         
└──────────────────────────────────┘ 

授業に対する高校生の意識


高教組「高校生意識調査」では、授業についての設問に対して、次のような声が寄せられています。
「興味・関心を深める授業」は「かなりある」9.1%にたいして、「あまりない」「ほとんどない」の計が5割強と、授業の味気なさを訴えています。「かなりある」が最も高かったのは農業科19.4%、続いて家庭科14.4%で、具体的な自然や実物に触れる機会の多い学習が、子どもたちの興味を引いていることをうかがわせます。
「生活や体験と結びついた授業」も、「かなりある」8.9%にたいして、「あまりない」「ほとんどない」の計が56.9%となっています。特に、普通科では「かなりある」がわずか2.1%で、実に75.9%が「あまりない」または「ほとんどない」と答えている点は注目されます。
「なぜ勉強するのかわからない授業」は「ある」が6割強。「視野が広がる授業」は「ない」が6割強を占め、特に普通科・商業科で、その比重が高くなっている点も特徴的です。
「一部の生徒しか聞いていない授業」が「ある」7割弱。「理解していないのに先へ進む授業」が「ある」8割弱。「生徒の参加を促す授業」が「ない」も、約6割。自分が授業の主人公だとは、実感しにくい実態があるようです。
このような点から、過半数の高校生は「楽しくはないが将来必要な基礎」だからと言い聞かせながらも、「ほかに本物の勉強がある」と感じているのです。
高校生の声を要約すれば
高校生たちの声を要約すれば、①自分たちの興味・関心に応え、②そのことを学ぶ意味が実感できて、③しかも、生活や体験に結びついた内容を含み、④それを学ぶことで視野が広がるような、⑤本物の勉強を、⑥上から一方的に教え込まれるのではなく、⑦自分たちが主体的に参加できる授業を通して、⑧よく納得・理解できるように学びたい、と訴えているように思えます。
それらは、そのまま、ユネスコ「学習権宣言」の規定と通じるものです。私たちの「高校づくり」も、当然、この高校生たちの切望に応える「授業改革」を基本に据える必要があるでしょう。

(5)「社会」「世界」「人類」とつながった学校


┌───────────────────────────────────┐
│ 第五は、「自分も周りからあてにされている」「社会・世界に参加している」と実感でき、自らの存在や行動の社会的・人類的意味に気づける機会を保障することです。
└───────────────────────────────────┘
いま、「生きる目あて」・「学ぶ目あて」を、見いだせないでいる高校生が増えています。
“他をけ落として勝ち抜く”ことが求められ、“知識をやみくもに蓄え込む”ことに追われる勉強は、彼らにとって、やればやるほど消耗する苦行であって、自分らしさ・人間らしさを脅かすものとさえ感じられるようです。
自分の役割が不分明な現代社会
「教育とは何か」(岩波新書)の中で、太田堯氏は、科学技術の進歩に伴い、「自分の意図を自分の手応えをもって実現するめやすを失い、社会生活の中での自分の地位や役割が不分明になっている」、それは「『どう生きるか』という人間にとって最も本質的な問が衰弱するということ」と指摘しています。
そして、競争中心の学校・入試制度のもとで、“成績・順位”が子どもたちの人間評価の中心的位置を占めるようになり、「一人ひとりの子どものもつ個性と、その個性の社会的出番の発見とを励ますような雰囲気は、学習環境からほとんど失われ」、「『どう生きるか』という人間にふさわしい目的意識を内面からきたえ、かつ育てるのはむずかしい」ため、「“目当てのない欲求不満”はいっそう増幅される」と述べています。
また、以前は家庭内外で数限りなくあった子どもの“出番”がなくなり、「専門化した知識・技術の修得が、自分の生き方、生活にとってどんな意味を持っているかという---手ごたえが---もちにくくなっている」と指摘しています。
自分の存在・行動の社会的・人類的意味に気づく機会を
いま、子ども・青年に、空疎なおだて文句ではなく、心底「周りからあてにされ、頼りにされている」という手応えある実感を、体験させてやることが重要です。その機会を適切にふんだんに用意してやることも、学校の重要な役目となっています。
自分の存在や行動の社会的・人類的意味に気づいたとき、彼らは目を見張るほどの旺盛な行動力と探求心を発揮します。人権・平和・高校生活を主題とした高生部研のとりくみをはじめ、薬害エイズ訴訟や、神戸・淡路震災の復旧ボランティア、多彩な環境保護の取り組み、「平和ゼミ」をはじめ核兵器廃絶・平和のとりくみなど、無数の例がそれを示しています。

 




  この「提言」づくりにむけて議論を進めていた段階で、たたき台としての素案に、「(1)自己肯定感を育てる学校」の項に関連して、次のような文章を用意したことがありました。


この点について、「子どもの人権読本」(エイデル研究所)は、次のように述べています。

「今日の学校の競争的性格は、子どもの生活をまき込んで時間や活動の面で抑圧しているだけではありません。彼らの自己評価を、他者との相対比較の世界に閉じ込める形で抑圧しているのです。そして、多くの子どもたちが否定的な自己像・自己否定感を押しつけられ、国際比較統計でくり返し結果が出るような彼らの自信のなさとしてあらわれているのです。」

この指摘は、私たちが日々の経験を通して実感している子どもたちの印象と、ぴったり符合しているように思えます。

 

日本の学校は「自尊心泥棒」?

日頃よく「最近の子ども・若者は、我慢強さに欠ける」「甘やかされて育ったために、自分本位でわがままな子が多い」などの嘆きを耳にします。それ自身、確かに根拠のある指摘ですし、関連して「安易に子どもに迎合せず、より高い段階への成長を保障するためにも、要求すべきことは厳しく要求すべきだ」という意見も、教育の本質に照らして、大切な観点でしょう。

特に、「新学力観」の席巻する学校現場では、「個性重視」の名のもとに、必要で可能な手だてや指導を軽視または回避する傾向が顕著となっているだけに、真に子どもの成長を願う立場からの、「厳しい要求」と手厚い援助は、かつてなく求められています。

しかし、同時に、子どもたちが「厳しい要求」に応えて一歩成長していくためには、「ありのままの自分が愛されており、無条件に受容されている」という実感が、根底になくてはなりません。

ところが、いま、日本の学校は、その主観的意図に反して、往々にして「自尊心泥棒」(斎藤学・『高校の広場』22号)として機能している場合が少なくないのではないでしょうか。

性急な学校

・教育というものは、子どもの前に少しがんばったら跳べそうな「飛び箱」(課題)を置いてやって、それを跳ばせることによって子どもの成長・発達を導くという性格を本質的に持っている。「ここまでくれば、次はその上を」というのが教育の宿命なのかもしれないが、今日の学校においてはそれがあまりにも性急に過ぎるのではなかろうか。

・人間しんどい時には、甘えたり逃げ出したりして心のバランスを取り、心を癒しながら生きているものである。ところが学校には、常に「前向き」に「もっと、もっと」とがんばらないといけないような雰囲気がある。甘えたり逃げたりして後退することを許さない。それを「後ろ向き」の姿勢だとして、ただちに否定的に評価するところがある。

・子どもを成長発達させるためには、常に「前向き」に取り組ませないといけないとでも思っているのであろうか。

――「講座学校」第4巻 1章(高垣忠一郎)

子どもたちの人権やプライドを無視した嘲弄や、体罰を含む居丈高な叱責などは論外としても、たとえ善意であったにせよ、学校や教師のあまりにも性急な「要求」が、子どもたちを追いつめ、萎縮させ、衰弱させている側面をも直視しないわけには行きません。

昨年度、各校の協力を得て高教組が実施した「高校生意識調査」では、学校生活の中で「人間として大切にされているという感じ」を「持っている」と回答した高校生は21.4㌫に過ぎません。「少し持っている」の40.5㌫と合わせても、約六割の生徒しか「大切にされている」と感じていない学校状況の薄ら寒さに、鈍感であってはならないでしょう。

「人間として大切にされる」上で、「強く求めるもの」を尋ねたのに対して、第一は「のびのびとした生活」、第二は「意見をきちんと聞いて」、第三は「まるごと認めてもらえる」の順に回答が集中しており、つづいて僅差で「えこひいきやシカトがないこと」「息抜きや休みの時間」などがあげられています。

いま、当面さしあたって、これらの声に応える「学校づくり」こそ、緊急に求められているのではないでしょうか。

自己肯定感が充足されてこそ前向きに行動できる

1995年の全国教研集会で、小1から9年間登校拒否してきた少女が、次のようなレポートを発表しています。「ありのままの自分でいいのだと思えるようになってから、自分が好きになった。そうすると楽になれて、あれがしたい、これがしたいという気持ちも湧いてくる。とにかく今は、自分が満足のいくように毎日を過ごしていきたい」。

臨床心理学者の高垣忠一郎氏は、この発言を引用して、子ども(人間)が前向きに動き出すためのポイントを、「①「ありのままの自分」を受け容れ認められるようになれば、自分を肯定し好きになれる。②そうすれば、自分からあれがしたい、これがしたいと、いろんなことに取り組む自発的な意欲が湧いてくる。」という二点にまとめています。(講座学校第4巻「子どもの癒しと学校」1章)

東京のある母親が、『定時制高校の灯を守れ』都民集会で行った発言にも、同様の感慨があらわれています。

「定時制に来て、定時制ってこんなにホッとできるところなのかとつくづく思った。中学時代には息子は“完全不登校”でした」「ここでは時間がゆっくり流れていく。昨日まであくせくしていたことが、どうでもよいことに気がついていく。ある時、息子が喜んで家に帰ってきて『先生から廊下で、K君、きみの今日の黄色いシャツとても良く似合うよ、と言われた』という。このことが嬉しくて嬉しくて私に話す。私は、ああこの子はこれまで日常のあいさつもない中で過ごしてきたんだなと思った。こうやって『自分自身が自分のままでいいんだよ』と感じれるようになれる学校。そして人前に出るのがイヤだった子が、劇もやり心も癒される。自信を見いだし、社会に出たときその力が発揮できるようになる学校。この学校に来れてよかった。」(山田功氏「東京の高校統廃合・再編政策の特徴と矛盾」『高校のひろば』27」より引用)

全ての学校が、こういう役割を果たすことは、不可能なのでしょうか。

自分が受容・肯定できたら

「ねばならない」で脅され、「自分はだめな子だ」と自分を責め、負い目や罪悪感を背負わされている心は、自分を防衛するために「ヨロイ」を着て、その中に自分を閉じ込める。そういう状態では防衛のために心のエネルギーを費やし、前向きに心のエネルギーを使えない。

(中略)負い目や罪悪感から解放され、ありのままの自分を「自分が自分であって大丈夫」と受容し肯定できるようになって前向きに心が動き出す。「ねばならない」の枠が外れて「~したい」と心が自由に動き始める。そのときはじめて、自分を防衛するためでなく、自由な心で真に自発的能動的に自分の人生や成長に向かってチャレンジしていけるのである。

(――講座学校第4巻1章高垣忠一郎)


         

長大な引用になりましたが、今日の記事に関係するのは最末尾の部分(だけ)です(汗)。




「ねばならない」で生きるのではなく「~たい」でラクに生きられる世の中をみんなで作れたらいいなと思っています。ある人の言葉で言うと「must」ではなく「want」で生きるということ。
と思いつつ、日々「must」に追われる毎日です。


   
一つは、一斉地方選挙。私の居住地域では、大軍拡・大増税を止め、くらしをまもる三人の県議・五人の市議候補を、是が非でも当選させねばならないということ。これは半ば「must」で、なかば「want」。いや比重的には「want」がまさりますから、そのための努力は苦ではありません。


時に、ビラまきなどは、一度に小一時間ずつ、数日かけて配れば、健康増進につながりますし、日々彩りを変える桜の花や、春の気配を楽しむことができて、「want」の度合いが高まります。


   
ほかにもいろいろな「must」がわが身を圧しつぶそうとします。


その中でも大なるものは、4月からの町内会の役員。しかも、数字嫌いの私に会計係ですよ。先日、3時間ほどもかけて引継ぎを受け、大量の書類と、ズシリと現金・預金通帳の入った金庫を譲り受けました。年度替わりの時期なので思い立って金庫の内容確認と当面の会計処理に着手してみようと、金庫の鍵を回すも、…開きません。困り果てて、前任者にhelpを訴えましたが、彼は勤務時間。ようやく夕方になって、ダイヤルキーの解除の方法を探り出していただきました。無意識のダイヤルを回してしまっていたらしいのです(汗)。




追伸。 


そうして、いったんは事なきを得て、要請された会計処理をなんとかこなすことができホット安堵したのでしたが、何ということでしょう、今日またまた、開かなくなってしまったのです。教わっていたダイヤルキーの解除方法を何度やり直してもうまくいきません。ダイヤル数字の微妙な合わせ位置が間違っているのだろうと思って、色々試してみても、、、駄目。


と、何かの拍子に、開いたは開いたのですが、蓋を閉めるとまたロックがかかってしまう。これの繰り返しの果てに、ようやく気づいたのは、ダイヤルをあわせるべき数字の位置ががわずかにズレているらしいのです。このダイヤルキーは動かないようにテープを貼り付けて固定することにしました。



ほかにも、あれとこれとこれ、気鬱な「must」が入れ代わ立ち代わりわが身を苛みますが、「ケセラセラ」、「なんくるないさ-」でやり過ごしたいと思います。
いやはや出だしからさんざんの新年度です。




撮ったけれど公開しないままだった桜が、はや散りはじめました。


ここ数日間の写真を。慌ててupしておきます。


まずは、一週間前の3月25日(土)の散歩道。雨上がりの桜並木です。


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続いて3月30日(木)の朝散歩。


児島富士=常山の山腹にも桜の花盛り。そして画面のなかほどは、おなじみの桜並木。手前の畑には,いつの間にか伸びた麦が,穂を付け始めています。


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鮮やかな黄色の菜の花とのコラボは、この季節ならではです。使用カメラはフルサイズのPENTAXK1。apsレンズで広角撮影したら、盛大にケラレます。


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朝から良いお天気で、花の色があでやかです。


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昨日の午前中の写真。春爛漫です。


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今日はこれにて。


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