今年も寒い226、の巻 [今日の暦]
時ならぬ初夏の陽気が影を潜め、雨上がりの今朝は寒さが舞い戻りました。
88年前の今日も、首都東京は、深い雪に覆われた寒い朝だったようです。1936年 ( 昭和 11年)のその日、“昭和維新”を呼号する陸軍青年将校らが兵士約1500人を率いて首相官邸などを襲撃し、政府要人ら多数を殺傷したクーデター未遂事件=「2・26事件」は引き起こされました。
昨年も、こんな記事を書きました。
226に思う、の巻:ナードサークの四季 vol.2:SSブログ (ss-blog.jp)
以前こんな記事を書きました。
●80年目のニイニイロク、の巻(2016-02-26)
2.26事件から80年だそうです。
今朝の地元紙『山陽新聞』(27面 くらし)には、「二・二六事件から80年 渡辺和子さんに聞く 平和は日々の暮らしから」というインタビュー記事が掲載されていました。旧陸軍の青年将校らが武力反乱を起こした二・二六事件は、日本が戦争に向かった転機として昭和史に刻まれる。雪が縁側の高さまで降り積もったその日、9歳の少女は陸軍大将の父が凶弾に倒れるのを目の当たりにした 、、、。
「陸軍大将の父」とは、渡辺錠太郎陸軍教育総監。当時9歳の少女というのは、地元岡山市のノートルダム清心女子大学の学長だった(現ノートルダム清心学園理事長)渡辺和子さん。1984年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど活躍され、著書もたくさんありますので、教育者として尊敬しておりましたが、2.26事件との数奇な関わりについては存じ上げませんでした。
(中略)
その渡辺和子さんは2016年末に亡くなられましたが、その話題はこの記事に書きました。
226思いつくまま、の巻(2018-02-26)
渡辺和子さんへの追悼記事から、一節を引用させていただきます。HUFFPOST2016年12月31日付記事、「渡辺和子さん、生前に語った2・26事件 父を殺された瞬間、そして『赦しと和解』」(吉野太一郎氏執筆)の一部分です。
(中略)
母や姉に聞きますと、父は「軍隊は強くなければいけない。でも戦争だけはしてはいけない」ということを絶えず言っていたそうでございます。「戦争は勝っても負けても国を疲弊させる。自分が勝った国、負けた国に駐在武官としてずいぶん長いこと行っていたけども、そこの人たちがどれほど食糧や着るもの、家を壊されて困っているかをつぶさに見てきた。戦争だけはしてはいけない」。それがもしかすると、その当時、ひたすら「戦争をしなければならない」と思っていた方々にとって邪魔な存在になっていたのかも存じません。私の母は、父がよく「俺が邪魔なんだよ」と言っていたと後で話してくれました。つまり父の存在が一部の方々にとっては非常に邪魔だった。講演後、渡辺さんは2・26事件について、取材記者にこう語っていた。
「軍の一部が自分たちの意志を遂げるために蜂起し、いらないものを消し、戦争にひた走った。『こういうことは繰り返さない』と思って頂けたのなら、私もお役に立てたのではないでしょうか」
(中略)
(青年将校らが銃殺刑に処せられてから50年の日の法要に請われて出席し、)終わって帰ろうとしたら澤地久枝さんが来ていらして「シスター、せっかくここまで来たんだから、お墓参りをしたらどうですか」と、お参りしてお線香とお花を供え、立ち上がってお墓から階段を降りて参りましたときに、男の方が2人、涙を流しておられた。そのお2人が、私の父の寝所まで入ってこられた、高橋少尉と安田少尉の弟さんだった。「これで私たちの2・26が終わりました」「私たちがまず、お父様のお墓参りをすべきだったのに、あなたが先に参ってくださった。このことは忘れません。ついてはお父様の墓所を教えて下さい」と言われ、お教えして、その日は終わりました。
その日以来、毎年、お盆とお彼岸と、折あるごとに、多磨墓地の父のお墓は、お掃除が行き届いて、時には植木が刈り込んである。高橋様と安田様とはお手紙を交わす間柄になりました。本当に、父が引き合わせてくれたことだと思いますし、しみじみ思ったんですね。自分だけが被害者のような気持ちを持っておりましたけれど、反乱軍という名前をつけられた方々のご家族の50年、どんなに辛い思いをなさったか、私は一度も考えていなかった。(中略)
長い引用になりました。
なかでも、「戦争は勝っても負けても国を疲弊させる---そこの人たちがどれほど食糧や着るもの、家を壊されて困っているかをつぶさに見てきた。戦争だけはしてはいけない」というお父様の言葉が,重く心に沁みました。経験と知性に根ざした知見に、いささかも耳を傾けることなく、いやそれらを邪魔者と力づくで排斥して、ひたすら「戦争をしなければならない」と思っていらっしゃる方々が、 いままた跋扈しているのではないかと危惧される時代だけに、、、。
ちなみに、このクーデター計画に加わった青年将校たちが掲げたスローガンは「昭和維新」でした。忘れかけていましたが,そう言えば、去年の5月、こんな記事を書いています。共謀罪が衆院で強行されました。
とにかく最近忘れっぽくて困りますが、これだけは忘れないようにしなくてはなりません。
強行採決の口火を切ったのは、最後の質問者、「野党」維新の丸山穂高議員。「30時間以上質疑してきた。これ以上は足を引っ張る事が目的のピント外れの質疑は必要ない。論点も整理されて時は来た。私の質疑のあと、ただちに採決してほしい」とさ。このヒト法務委員でもない外野のヒト。
維新という存在、「補完勢力」という手厳しい呼び方にいささかためらいもありましたが、今やそれ以外の何者でもありませんね。
そういえば、昭和初期、5・15.2・26等のクーデター事件を引き起こした青年将校や民間右翼の唱えたスローガンが「昭和維新」でしたね。彼らの暴力的な妄動によって妄動によって掃き清められた道の先には、暗黒の国家総動員体制が待っていました。役目を終えた「昭和維新」のスローガンは、用済みとなって立ち消えて行きました。その歴史を知った上で、彼らは「維新」を名乗っているのでしょうかね。タモリさんの「新しい戦前」という言葉が、躊躇なく真実味を帯びつつあるなかで、今そこある「戦中」をなんとしても食い止めなくてはと強く意識する今年の226です。
現在、当ブログ「ナードサークの四季ver.2」をメインブログとしていますが、初代ブログ=「ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp) 」と、写真置き場=「ナードサークの貯蔵庫:SSブログ (ss-blog.jp) 」も、時々更新しています。というのも、一定期間ブログの更新を怠ると、こちらの意思に関わりなく見苦しい広告が表示されて、私自身にとっても訪問客の方々にとっても非常に迷惑だからです。
というわけで、最新の更新は以下のページです。
ぶらりとお立ち寄りください。
2月15日の朝散歩、の巻:ナードサークの貯蔵庫:SSブログ (ss-blog.jp)
2月の鳥、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)
これらに掲載した記事と、時期的には重なるのですが、最近のお散歩写真を掲載します。
最近久しぶりに持ち出しているOlympusE520+ZUIKO DIGITAL ED 70-300mm F4-5.6で撮影したマンサクです。
ロウバイもまだ咲いていますが、これは十日ほど前の状態です。
ご近所の梅です。
オオバンです。
久しぶりに持ち出すという点では、ricohGXR+MOUNT A12にPENTAXkマウント用変換アダプターを介してペンタックスのオールドレンズをつけてみました。(m42スクリューマウントのレンズですので、Kマウント→m42マウント変換アダプターを挟みます)こんな過去記事で話題にした組み合わせです。
ジョビ君あらわれ秋深まる、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)(2020-10-25)
一緒に持ち歩いたのは、RICOH GXRに、スーパータクマー(Super Takumar)1:1.8/55mmというM42スクリューマウントオールドレンズをつけました。このレンズ、1960年代のペンタックスカメラに標準装備された定番中の定番です。モノクロフィルム撮影を前提に作られたこのレンズ、デジタル撮影においても、思いがけない良い色が出ることに感心させられます。もちろん露出もフォーカスも、マニュアルですが。
この時紹介したカメラには着けていたビューファインダーは、その後何かの衝撃でパキンと無残に破損して使えなくなりました。中古でもかなりの金額ですので、買い換える元気もなく、背面液晶での撮影に甘んじています。
散歩道のマンサクです。
散歩道の梅です。
以下、今日、撮れたての写真を追加します。
ご近所の梅。
庭の水仙。
チョウゲンボウですか?の巻 [鳥三昧]
年金者組合県本部のフェイスブックにこんな記事が投稿されています。
2月21日(水)年金裁判が1月30日に結審して以降、ジッと判決を待っているわけにはいきません。広島高等裁判所岡山支部第2部(民事)の河田泰常裁判長に公正判決を出していただけるよう請願法に基づいた請願行動を行いました。
請願には年金者組合以外に生健会、県社保協、県労会議、県高教組から代表参加をいただき、県新婦人からの請願書を木村書記長が代読しました。年金者組合員も含めて請願者は18人となりました。
冒頭に東原告団長は「高裁が結審して今回が自分の最後の要請となる。そもそも年金は所得の再配分であり、命綱となる年金の支給額が物価の変動に準じるのは自然なこと。生活保護世帯の高齢世帯の割合が5割を超えている。貧富の差も拡大している。立法・行政機関の憲法軽視の結果だ。年金は特例水準の解消やマクロ経済スライド制によって削減されてきたが、行政不服審査請求も再審査請求も棄却されてきた。特例水準の解消とマクロ経済スライド制が発動され、30年後には6割程度に年金は下落する。年金生活者の暮らしは苦しくなるばかりで国民の貧困化も進むことが前提となっている。これでは人権が保障されている制度とは言えない。歯止めをかけるのは司法しかない。貧困から脱出し、これからの日本社会に活力と希望をもたらす判決を切望する。余生を怒りと失望で過ごしたくない」と訴えました。
参加者はそれぞれ一言づつの述べながら公正判決を求めて請願を行いました。
裁判所前で撮影した参加者の集合写真も掲載されていますが、いささか「はずい」ので割愛します。
ジャガイモの植え付け時期について、かつて亡父は、Kazgの高校の卒業式があった3月1日に植えたらよく育った、と言っていたことがありました。大学入試のために、前泊で現地に乗り込む、という口実で、私自身は卒業式に参加せず、親に出てもらったのでした。
一週間ほど早いのですが、暖冬でもあるからと、今日、植え付けを済ませました。以前こん苦い体験もあったのですが・・・。
花見日和、の巻(2019-04-04)
2月のうちに、黒マルチシートで覆って植え付けているジャガイモの芽が伸びたので、数日前、発芽して盛り上がっている部分にハサミで穴を開け、日光を当ててやるようにしました。小学生の男子も手伝ってくれました。白くてひ弱だった芽が、翌日には濃い緑色になり、丈夫に育ちそうで期待が高まります。と思いきや、ここ2~3日の相次ぐ霜や低温で、今朝見ると、無惨にも霜枯れてしまっていました。この痛手を癒やして体力を回復し、また芽を伸ばすことができたとしても、余計な足踏みが必要です。トホホ。
一方、別途、路地に植えていたジャガイモも、僅かに芽を出しています。生育は遅いのですが、なんと霜にもめげず、丈夫な濃い緑色の葉が育っています。4月になってからの想定外の低温障害ですが、低温から保護して新芽を健やかに育てたくてかぶせていたマルチが、かえって苗をひ弱にし、二月以来何度も霜や低温にサラされ続けてきた路地植えの方が、丈夫な苗を育てるとは、とんだパラドックスでした。
性懲りもなく、今年もマルチ栽培を敢行しました(笑)作業中、こんな鳥が飛んできました。
トリミングします。
チョウゲンボウですか?
こちらは、自分が近づいて撮影。ノントリミングです。
撮影カメラは、車に積んでいたFUJIFINEPIXs1でした。
ついでにこちらもご覧ください。
2月15日の朝散歩、の巻:ナードサークの貯蔵庫:SSブログ (ss-blog.jp)
今日はこれにて。
雨の雨水、の巻 [今日の暦]
今日2月19日は雨水。
文字通り雨の一日でした。
雪が雨に変わる頃と言われますが、4月~6月並みの気温になりました。
以前こんな記事を書きました。
続々すっかり忘れてました、の巻(021-02-20)
この写真をアップするのを忘れてました。
近所の小川で漁をするカワウです。
(中略)
去年の記事にこんなことを書いています。
雨水を前に、の巻(2020-02-18)
暦の上では、明日が「雨水」だそうです。過去記事で、ついつい何度も話題にしています。
今日雨水青空も得しヒレンジャク(2014-02-19)
(中略)
多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻(2015-02-20)
(中略)
雛飾り草もむしりし雨水かな(2016-02-19)
(中略)
孤高の鳥、群れる鳥、の巻(2017-02-21)
(中略)
昨日は雨水、今日は多喜二忌、の巻(2018-02-20)
昨日は雨水。
今日は多喜二忌。
いずれも記事にしたい題材ですが、今日は軽く通り過ぎることにします。
多喜二について書いた直近の記事は、昨年10月のこの記事でしょうか?「多喜二の母」に思う、の巻(2)
「多喜二の母」に思う、の巻
南(みんなみ)の便り届くや今日雨水(2019-02-19)
(中略)
よくもまあ、飽きもせず、毎年のように、似た記事を書いているものです、
こんなに同工異曲の記事を繰り返し書いてきたことも、すっかり忘れてました。でも、今日2月20日が多喜二忌だということは、決して忘れられません。
あまりにも二番煎じですが、この記事も再録しておきます。
多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻(2015-02-20)
ところで、意に染まぬものを強圧によって押しつぶし排除しようとする権力が、歯止めを失って暴走する時、どんな信じられないことが起こりうるかということを、今日の地元紙「山陽新聞」のコラム「滴一滴」を読んで、考えさせられました。
〈ああ、またこの二月の月が来た/本当にこの二月という月が嫌な月/声を一杯に泣きた
い/どこへ行っても泣かれない/ああ、でもラジオで少し助かる/ああ、涙が出る/眼鏡がくもる〉▼29歳で非業の死を遂げた息子を思い、母が書き残した詩だ。作者は小林セキ。「蟹(かに)工船」で知られる作家小林多喜二の母である▼プロレタリア文学の旗手と呼ばれた多喜二は、1933年2月20日、東京で特高警察に捕まり、拷問を受けて絶命した。治安維持法のもと、思想や言論を理由に拘束され、命まで奪われた。この国で、82年前に起きた出来事だ▼多喜二と親交のあった作家志賀直哉がセキにお悔やみの手紙を送っている。「不自然な御死去の様子を考え、アンタンたる気持ちになります」。まさに暗澹(あんたん)たる時代だった。その年、日本は国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラー政権が誕生した。世界は戦争へと向かった▼終戦まで、遺族は多喜二の名前すら口にできずに耐え忍んだ。戦後、セキが語っている。「思想も、言論も、出版も、結社もすべて自由になって…何というありがたいことでしょう」(「母の語る小林多喜二」新日本出版社)▼戦後70年。多喜二の名前は知っていても、その最期を知らない人は多いのではないか。時代を決して後戻りさせてはならない。心に刻む多喜二忌である。
散歩に出る気にもならず、ストック写真でお茶を濁します。
ペンタックスx-5を携えての朝散歩で、電柱に止まるカワウを写しました。
広角側だととこんな具合。
麦がすくすく育っています。
ヒレンジャク写真の追加、の巻 [鳥三昧]
晴れ晴れ、の巻 [日録]
表題「晴れ晴れ」の第一は、先日、自治会会計の監査を受け、「適正である」と認めていただいたことです。年度末までには、まだ若干の出入りがありますが、とにもかくにも一段落ということで、ほっとしています。
連休前の2月9日は、地元「九条の会」恒例の「九の日行動」がありました。通常は、国道沿いの定点でスタンディングアピールを行うのですが、酷暑の8月と寒冷の2月は、冷暖房のある屋内で憲法学習を行うことになっています。
これまでの4年間、八回に及ぶ学習会の学習会の集大成を、冊子化する動きについてはこちらの記事で書きました。
9の日余話、の巻(2024-01-12)
冊子化の作業は、ほとんど完成間近となっているのですが、今回また、92歳の長老Aさんによる「改憲勢力による新たな策謀」と題する新たな講義が加わって、増補が必要です。
ところで、この日は、学習会の前にQさんのギター伴奏と、Hさんの朗読を組み合わせて、歌声を
曲目は、「上を向いて歩こう」「青い空は」「あの日の授業」「そんな町を」の4曲。
「あの日の授業」については、過去記事でも何度か触れたことがありました。たとえば、この記事。
森の中のこれなあに?の巻(2020-02-09)
学習会は冒頭、世話役のQ男さんが「この9の日行動は、雨に降られたことがなく、今日も晴れ。参加者も、50代、60代、70代、80代、90代とバラエティに富む。(40代以下がいないのは寂しいが)今日は、その90代のAさんのお話しをもとに、改めて憲法を学びましょう」とあいさつ。そして持参のギター伴奏で、「あの日の授業」を歌って、会が始まりました。
あの日の授業
【作詞】笠木透
【作曲】安川誠1.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業
~語り~
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と
戦争をしないようにと、二つのことを決めました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争を
するためのものは、いっさい持たないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨てて
しまう』ということです。しかし、みなさんは、決して
心細く思うことはありません。日本は正しいことを、
他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいこと
ぐらい強いものはありません。」
2.あの日の先生は 熱っぽかった
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業
~語り~
「もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、
決して戦争によって、相手を負かして、自分のいい
ぶんをとおそうとないということを決めたのです。
おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の
国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争
とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすような
ことは、いっさいしないことに決めたのです。
これを戦争の放棄というのです。
そうして、よその国となかよくして、世界中の国が
よい友達になってくれるようにすれば日本の国は
さかえてゆけるのです」
3.あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業
4.あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業「語り」の部分は、若いHさんが切々と朗読され、胸を打たれました。
きたがわてつ作詞・作曲の「そんな町を」はこんな歌詞です。
1
ひとりひとりの 力は小さいけれど
みんなで寄せ合えば 大きな力になるさ*繰り返し
君とぼくの 生きている町 夕日のきれいな町
呼び掛け合えば 笑顔がかえる そんな町を2
ひとりひとりが 心に光を持って
道は暗くても みんなで照らし合おう*繰り返し
3
ひとりひとりの ささやかな願いだけど
ひとつに寄せ合えば 大きな希望になるさ*繰り返し
4
どんな時でも 人間らしく生きよう
そんな思いを みんなであたため合おう*繰り返し
「*繰り返し」の部分は、手話の振り付けを教わり、みんなで合わせました。(不器用な私には、チョー難しいのですが・・)
昨日2月12日は、共産党 後援会の「 新春の集い」が私の居住地近くの 会場であるというので、参加してきました。
開会前、会場正面にずらりと並んで元気な歌声を 聞かせてくださったグループ は、他地域の 皆さんですが 、久しぶりにお目にかかる知己の姿もありました。「2024世直し応援歌」という愉快・痛快な替え歌を、北国の春のメロディで歌ってくださいました。
わがQ男さん、Hさんも、要請を受けて、第一部文化行事の主要出演者として登場。上述の「九の日」と同じプログラムで演奏。喝采を浴びました。
第二部は、過日、静岡県・伊豆で開かれた共産党第29回大会に代議員の一人として出席された垣内京美岡山県書記長・衆院比例候補が、大会のナマの様子と大会決定のエッセンスを中心に報告され、続いて地元選出の東つよし市議が、市政報告をされました。
ちなみに、垣内さんののフェイスブックにはこんな記事が投稿されています。
#岡山市南区 の後援会主催で #新春のつどい が開かれ、 #東つよし 市議と参加しました。会場いっぱいの参加で、始まる直前に座席を増やすといった状況でした。
みんなで歌ったり、真剣に日本共産党の党大会の様子や決めた方針を聞いていただいて #総選挙 での日本共産党の躍進を誓い合いました。
「最近 #しんぶん赤旗日曜版 を読み始めました」という方も参加してくださっていました。帰り際にもみなさんが、「がんばりましょうね」と声をかけてくれました。
垣内さんは、1966年生まれで教え子世代、東さんは1976年生まれで我が子世代。いずれも若さみなぎる指導者で、頼もしい限りです。
今日は郷里の老母を訪ねるついでに、レンジャクのご機嫌伺いに立ち寄ってみました。
寒さが大いに緩み、青空がのぞく天候で、十分な光を得て、わずか10分程度の滞在でしたが、気持ちよく撮影できました。
今日はこれにて。
ノスリほか、の巻 [カメラde散歩]
2月の初め、散歩中に写した写真をすこしUPしておきます。
pentax ks1+SIGMA APO 70-300 F4-5.6 DG MACRO。最近出番の少ないくみあわせですが、、、。
散歩中の望遠撮影には、まず好適といえます。
トンビがよく止まっている電柱ですが、少し見た目が違うような気が・・・・
飛び立つときに尾羽がよく見えました。
トンビではなくて、ノスリでしょうか?
つぼみ状態のカワヅザクラの枝に、カワセミがいました。矢はリッチさな被写体は、トリミングが必要です。枝かぶりで、お目々が写っていませんね。
春を告げる花々。
ニホンスイセン。
ナノハナ。
散歩道のあちこちでロウバイを楽しめます。
次からは、オリンパスOm-D E-M1+panasonic LUMIX G VARIO 45-200mm/F4.0-5.6/MEGA O.I.S.による撮影。
ようやくマンサクも咲き始めたようです。
来週あたりから、ぐっと寒さが緩むそうです。
今日はこれにて。
レンジャク今年初撮り、の巻 [鳥三昧]
M師の夫人は、知られた野鳥写真家でいらっしゃいますが、近年、フェイスブックで「お友達」としてお付き合いいただいています。先日、レンジャク飛来の投稿をされていたのを、うらやましく拝見したところでしたが、今朝、「メッセージ」で飛来地情報を教えてくださいました。今日は、午後、ちょっとした予定が入っていましたが、矢も楯もたまらず、カーナビを頼りに、教わった場所へ向かいました。
漠然と、覚えのある場所のような気がしましたが、記憶が判然としません。が、、、、ふりかえってみて、この記事で話題にした場所であるらしいとわかりました。
嬉しい出逢い、の巻(2020-01-25)
心ははやれど.の巻の記事でこう書きました。
M師から、レンジャクの飛来場所を教えていただきました。
近くに、ミコアイサも見られる由。
その「飛来場所」というのが、郷里への道中の中間点に位置するので、立ち寄ってみることにしました。
教えられた場所をどうにか尋ね当てたのですが、キンクロハジロや
何かの猛禽類や、
ツグミや、
オオバン
カルガモや、
ミサゴの姿は確認できたのですが「
レンジャクは見つけられません。
万事休して、携帯電話でⅯ師に問い合わせると、、、最近姿を見かけなくなったとの由。残念無念。
いったん切れた電話でしたが、M師がもう一度掛けてくださり、ミコアイサのいる池へ案内しようかとの、有り難い仰せ。いやも応もなく、お願いしました。
今回は、、、、いました1
ちょっと遠いので、トリミングします。
あいにくの曇り空で、色がはっきりわかりません。
行きと帰りの運転時間で、意外に時間をとられ、実際の撮影時間はごくわずかした取れませんでしたが、今年初撮りの記念写真は残すことができました。M様、貴重な情報ありがとうございました。」
2月になりました、の巻 [日録]
おや、もう、2月になりました。
年度末を控え、団地自治会の会計作業に追われているのに加えて、編集のお手伝いをしている「会誌」の発行時期が迫っているためもあって、パソコン画面を見つめる時間が増えています。
最近とみに、パソコン作業がおっくうです。
老眼の上に、血流の停滞が、脳の疲労を募らせ、作業能率を著しく妨げます。
今日は、ぽっかりと自由時間が取れたので、眼科へ行ってみました。花粉症の影響もあってか、目が痒い.痛い、涙が出るといった不快な症状が.熊内を塞がせるので。---ところが、木曜日は休診日でした(涙)
すごすごと家に引き返すのもしゃくなので、ちょっと足を伸ばして、総合病院を受診してみることにしました。最近、頻尿と言うか、夜中に尿意で目覚めることと、昼間も、例えば運転中や散歩中に尿意がガマンできなることがしばしば起こり、気になっていたので、泌尿器科を受診してみました。最近、親しい友人に、前立腺癌が見つかったということも聞いていて、人ごととも思えなかったこともあります。
泌尿器科は初診なので受付を訪ねると、他院からの紹介状がない場合、初診料8000円余りが発生するそうです。薄々予想していないわけでもなかったのですが、予想を超える高額に驚きつつも、受診することにしました。
待ち時間にくらべてあっけない診察時間でしたが、問診・触診の結果、前立腺は大きくないし、癌の心配もないでしょう。と、検尿・採血の検査結果を待って次回の視察日を予約。薬を処方していただき、まずは安心して帰ることができました。
今日は雨が降ったりやんだりで、散歩もかなわず、創造的意欲も気力も沸きませんが、月替わりに当たって、久しぶりにブログ更新を試みることにしました。
今週の初め、郷里の老母を訪ねた道の途中で、県立「三徳園」=
「小鳥の森」に立ち寄りました。
梅がほころび始めていました。
狙いの鳥には会えませんでしたが、、、
ヤマガラ。
メジロ。
エナガ。
ジョウビタキ。
今年もよろしくお願いしたいものです。
郷里の実家近くの、前回カワアイサを見た川の様子も覗いてみました。
手前はカワウ。中央はオナガガモでしょうか、
きょうはこれにて。