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ブログのご紹介,の巻 [日録]

私の所属する退職同業者の親睦団体が、あらたにブログを立ち上げましたので、ご紹介します。

岡山高退教オフィシャルブログ (fc2.com)

fc2

こんな記事が載っています。

高退教作品展4日目 ワークショップにもご参加ください

2023/06/23

高退教の行事

6月23日〈金)高退教作品展も4日目になります。
午後には、ワークショップ「江戸時代の切り絵〈紋切り型〉」があります。無料です。どうぞお立ち寄りください。

2023年度総会を前に、新たにこのオフィシャルブログをはじめました。これまでの岡山高退教ホームページ  とともに,よろしくお願いします。

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取り急ぎご案内まで。


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ちかれ旅~(2),の巻 [日録]

久闊を叙す

前回記事では、豪雨にたたられた東京旅行の顛末を書きましたが、肝心な旅の内容については触れるいとまがありませんでした。私にとって、決して骨折り損のくたびれもうけといった徒労の旅ではなかったことも付記しておかなければなりません。

「ちかれたびー」は、秋田県の方言だと紹介されていましたが、秋田からの参加されたSさんは、懐かしいことに青年時代の知己です。後には、秋田高教組の要職を務められましたので、その頃も何かの拍子にお目にかかる機会がありましたが、今回の再会はそれから数えても十数年ぶりになります。

同じように、長崎のYさん、長野のNさん、来賓のNさんなど、20代~30代のはじめにお世話になった面々ともお目にかかることができ、ご挨拶できたのは光栄でした。

さらには、私のブログでしばしば紹介したことのある、学生時代の知己も、一人は高知から、一人は兵庫から参加されており、ついつい大声で久闊を叙したことでした。


1問目で失格

一日目の夜は結成30周年御レセプションが開かれ、大勢の来賓のみなさんの挨拶に続いて、参加者も地域ブロックごとに発言や出し物を発表しました。
その中で、四国ブロックの高知から、NHK朝ドラ「らんまん」にちなんだクイズを出題し全問正解したら賞品が出るといいいます。

先日来の記事のとおり「現地視察」を体験してきたこの私、自信満々で臨んだ第一問・・・・
・主人公のモデル牧野富太郎の出身地は「四万十ブルー」で知られる四万十川流域である。○か×か。
私がこれを間違ってなるものかと、瞬時に反応し、これ見よがしに大きなジェスチャーでアピールしながら○を選びましたとも!!モチロン!!
が・・・はずかしや。「四万十ブルー」ではなく「仁淀ブルー」の仁淀川でした。一問目で失格リタイアでした。
実は、未掲載ながら、こんな記事を書きかけていたのです。

佐川の街には青が合う?
高知県高岡郡佐川町(さかわちょう)は、仁淀川の中流域に位置しています。 学生時代、仁淀川のほとりで新入生歓迎の交歓会がもたれたこともあり、なじみぶかい川でもあります。

最近よく耳にする「仁淀ブルー」という言葉は,その頃はなかったよな,と思って調べてみますと、こんな記事がありました。

https://kochi-tabi.jp/lp/niyodo-river.html?ID=653


近年、仁淀川は“仁淀ブルー”というステキなネーミングで知られるようになりました。ブームのきっかけは、2012年3月に放映されたNHKスペシャル番組「仁淀川――青の神秘」ですが、そもそもはその2年前の29歳の若いディレクターの企画提案からでした。それから約10カ月の期間をかけて、丁寧に仁淀川の魅力を伝える番組を作っていきました。“仁淀ブルー” (NIYODO BLUE) という言葉は、そのディレクターとの会話の中から生まれたものです。
 
そのディレクターは、ダムがあるので実際は厳しいかもしれませんが、「四万十川と仁淀川を足して2で割れば、世界自然遺産になる」とも言っています。それほど素晴らしい自然が残されているということなんでしょう。私も世界の多くの川を見てきましたが、四万十、仁淀のレベルの規模で、これほど高い透明度と、多彩な青が目に飛び込む川は、稀だな、といつも思っています。高知の、いや、日本の誇れる自然資産のひとつだと思います。

佐川町の観光スポットに「青山文庫(せいざんぶんこ)」があり、「青源寺(せいげんじ)」があります。事ほどさように佐川町には青が似合うのでしょうか?

知ったかぶりの大チョンボの巻でした。


前回記事に掲載した会場の写真は、閉会集会の一コマ。マイクを握っておられるのは、事務局長退任の挨拶をされている美濃山さんです。いくつもの種類の手術を何度も繰り返し、入退院を繰り返しながらの事務局長のお仕事だったそうです。悲痛な様子をおくびにも出さない楽天的姿勢に、励まされると同時に,しみじみ頭が下がりました。   

後日,おおむねこのような趣旨のメールをお送りしました。

総会お世話になりました。また病を押しての長年のご奮闘に改めて敬意を表し,お礼を申し上げます。
今、私たちは2023年度総会に向けて準備中で、今日は事務局 が集まって、議案書その他の印刷・発送を予定しています。その議案書の中で、 私が原案を執筆した部分について、我ながら概ね妥当ではなかったかという印象 を、全退教総会に参加して、改めて感じましたので、ご笑覧に供したく,添付ファイルでお送りします。
お察しの通り、過半はコピーアンドペーストで仕上げた文章ですが、特に,竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」にふれた 4 の部分は,特別の感慨を込めたも のです。私が、ここ10年ほど書き殴っている「私設」ブログに、時々関連ある記事を掲載してきましたが、その中でも竹本さんの詩については再三触 れてきたところです。たとえば、
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2017-07-11
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2015-06-11

なお、ちなみに、駄文満載の拙ブログ ver.1とver.2のリンクは下記の通りです。
気が向かれた折りに、一瞥ご訪問いただければ幸いです。
https://kazg.blog.ss-blog.jp/
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/
末筆ながら、気候不順の折から、くれぐれもご自愛のうえ,引き続きご指導方よろしくお願いします。

折り返し丁重かつ温かいお返事を頂戴し、嬉しいことでした。


前回記事では、会場の2Fに掲げられている「戦死せる教え児よ(竹本源治)」も紹介しましたが、ちなみに、旧ブログの過去記事を再掲させていただきます。


夏の終わりの高知行、の巻(その5)

槇村の詩碑の近くには、当ブログでも何度となく紹介した、竹本源治「戦死せる教え子よ」の碑も建てられています。


「教え子を戦場に送るな」の原点です。
日中不再戦の碑も存在感をアピールしています。

今日はこれにて。   


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ちかれ旅~(1)の巻 [日録]

ときどき「チカレタビ-」と口に出したくなることがあります。ググって見ますとこんな解説がありました。

zakzakby夕刊フジ 「昭和のことば」

https://www.zakzak.co.jp/article/20180606-UZBCUNN6K5PYVK52TJJHXI6SOA/

一部引用させていただきます。

いまでも使いたくなる…秋田県の方言から生まれた流行語「ちかれたびー」(昭和50年)

蕗(ふき)を刈っていたおじさんが「あー今日ちかれたなー」と投げかける。相手は「ああ、ちかれたびー」とあいさつを返す。なんとものどかで、また妙にインパクトのあることばであった。新グロモント(中外製薬)のテレビCMである。

「日本のことば・方言シリーズ」の第3弾として、秋田県花輪地方の方言から生まれた流行語である。ちょっと疲れを意識するようなホッとした瞬間。いまでも使いたくなり、(時代遅れはいかんと)グッとことばを飲み込むご同輩も多いことだろう。

この年の主な事件は、「新幹線、岡山・博多間開業で、東京・九州が直結」「ベトナム戦争終結」「エリザベス英女王夫妻来日」「暴走族600人、鎌倉七里ケ浜で乱闘」「東京江戸川区の埋め立て地で、六価クロム汚染問題化」「皇太子夫妻、沖縄を訪問」「沖縄国際海洋博覧会開催」「日本赤軍、クアラルンプールの米・スウェーデン両大使館を占拠」「興人、会社更生法を適用。戦後最大の倒産」「天皇・皇后、訪米に出発」「『ワタシつくる人ボク食べる人』の即席ラーメンのCM、男女差別と非難され放映中止」など。

私の所属している退職同業者の親睦団体が、例年のように、総会の準備をしていて、議案書の一部を私も担当させていただいています。仕上がった議案書は、週初めに会員の皆さんに発送したところです。まだ総会での採択は得ておらず、おなじみのフライングになりますが、担当部分のごく一部を引用紹介させていただきます。

4.「戦死せる教え児よ」(竹本源治)の悲嘆が新たに繰り返されかねない情勢です。「繰り返さぬぞ絶対に!」という先輩教師の思いを改めて引き継ぎ、「子どもから希望を奪う戦争と貧困が支配する歴史の逆流を断固拒否」する運動を,現退一体で進めましょう。

「全退教ニュース」3月14日付記事に,「『教え子を再び戦場に送るな!』 改憲,大軍拡・大増税,『戦争国家づくり』絶対にストップ」と題する訴え文が掲載されており,その冒頭に“送らじなこの身裂くとも教え子を理(ことわり)もなき戦の庭に”の歌が引用されています。出典は,次の詩の末尾に添えられたものです。

戦死せる教え児よ 竹本源治

逝いて還らぬ教え児よ/私の手は血まみれだ/君を縊ったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の子の師の名において/嗚呼!/「お互いにだまされていた」の言訳が/なんでできよう/懺愧 悔恨 懺悔を重ねても/それがなんの償いになろう/逝った君はもう還らない/今ぞ私は汚濁の手をすすぎ/涙をはらって君の墓標に誓う/「繰り返さぬぞ絶対に!」

作者は,高知県池川町出身の元教師で,池川中学校に勤務中の1952年,高知県教組の機関紙「るねさんす」に発表した作品がこれです。翌年,ウィーンでひらかれた第1回世界教員会議で朗読され,これを聞いた人々は,国の違いを越えてみなハンカチで涙をぬぐったといいます。

世界中の人々が味わったこの悲痛な思いを,二度と繰り返すわけにはいきません。「『お互いにだまされていた』の言訳がなんでできよう」という自戒を,いま,受け継ぎ生かすことが求められています。

前述の「全退教ニュース」は「全退教は子どもから希望を奪う戦争と貧困が支配する歴史の逆流を断固拒否します。」として,①大軍拡・大増税反対新署名による大運動,「戦争させない」世論形成,②教育子育て九条の会のパンフレット『武力で命と平和を守れるか』を活用しての現退一体の懇談・学習運動の強化を呼びかけています。これを正面から受け止めて,草の根からの運動を粘り強く展開していこうではありませんか。

ここで「全退教」というのは、私たちの退職同業者親睦団体の全国的連絡組織です。その総会が、先日(2日-3日)東京で開かれました。コロナ禍のもとで,ここ2年ほどはリモート会議でしたが、久しぶりに全国の代表が一堂に会しました。私もその一員として、先輩のN女史と二人で出席してきました。

あいにく大変な豪雨で、傘も用を足さぬ体で、会場まで、またホテルまでの移動でびしょ濡れ。しかも帰りの新幹線は昼頃まで不通。すし詰め電車に立ったまま帰るはめになりました。「このホームは大変混雑しており、特に自由席にはしばらく乗れる見込みはありません。またこのホームには次からこだまの入線がつづき、新大阪以西までお乗りのお客様は別の番線へ移動していただくか、指定席の通路・デッキに立ってでも乗車使用という方は、指定席乗り場まで移動してお乗りください,というアナウンスがありましたので、これに従って立ち席乗車しました。

のろのろ運転や停止・待機を繰り返しながら走りますので、長い間立たされました。新大阪あたりまで立っていますと、ようやく次々に客が降車し空席が目立ち始めました。で、空いた席に座腰をかけくつろいでいますと、降車駅岡山の直前で車掌さんが検札に来られました。こんな非常事態でも,指定席料を請求されました。抗議の論理展開する元気もなかったので、怨嗟のセリフを投げつけながら、指定席代金700円払いましたが、後で悔やまれてなりません。若い車掌には気の毒と思ったが散々嫌みを言い、こちらの言い分を上司に上申するように要望したら、定められた用紙があるので書いて提出します 、 とのこと。若い車掌の仕事を増やしただけかも、とスッキリしません。遅れが2時間を超えたら払い戻しが発生するそうですが、1時間数十分の遅れなのでそれもなし。
岡山駅からバスに乗って,暗くなった頃、やっと家に着きましたがハードな旅でした。2日続けて昼ごはんは、コンビニおにぎりでした。    
揺れる車内で、荷物棚に右手を伸ばして体を支え続けた無理な姿勢のためか。あるいは翌日の町内会の草取り掃除の影響か、右半身を疼痛が遅い、ここ2~3日は、鎮痛湿布が不可欠で、身体の姿勢を変えるのも困難なほどでした。それにしても、散々の「ちかれ旅~」でした。

そのような次第で、せっかくの東京旅ながら、憧れのお江戸の写真を撮影するチャンスもありませんでした。写せたのは会議の模様と・・・

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会館の別の階の壁に飾られているこの額。

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「戦死せる教え児よ」の詩が書かれています。

 

その側には,清水寺管主さん揮毫によるこの文字も。

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今日はこれにて。

 


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カエル様,の巻 [日録]

早や、6月になりました。


しかも今年は、5月の間に梅雨入りが発表され、ここ何日か、ぐずついた天気が続いています。晴れ間をまって、ジャガイモ掘り、任意区の収穫、空豆の収穫、ズッキーニの収穫などを楽しんでいます。今年は、タマネギがうまく育たず、少しがっかりしていますが、それにしても、取れたて野菜をふんだんに食べられる幸せは、格別です。


庭の桑の実も,真っ黒に熟して、大量のジャムとして食卓を彩っています。収穫に精一杯で,写真を撮るゆとりがありません。


庭でも,畑でも,カエル様の歌声が賑やかです。


最近の記事では、NHK朝ドラ「らんまん」の主人公万太郎にこと寄せてカエル様を話題にしたところですが、私のブログ,かつてはカエル三昧でした。


さむいねと幽かに声のきこゆるか(2014-09-19)


ちょっと過去のブログ記事をチェックする必要があり、蛙を主題にしたこの二つの記事を引っ張り出してきました。
2013-08-08
2013-08-09

ほかにも、こんな記事に、カエルが出てきます。
2013-08-16
2014-04-12
2014-05-15
2014-06-14
何しろ私のアバターは、アマガエルの後ろ姿です。
そうなんです。実は、私はカエルです。
というのは個人情報につき、伏せておきますが。

けれども、草野心平サンの正体がカエルだったことは、多くの方がご存じでしょう。
私はてっきり、このブログで、草野心平さんの詩を話題にした記事をもっとたくさん書いていたと思い込んでいましたが、

検索してみると、さっきの、この記事のほかには、
これがあるだけでした。


 


そういえば、こんなことも書きました。


百舌とブンナと彼岸花、の巻(2017-10-02)


新潮文庫の「ブンナよ木から下りてこい」の末尾には、作者水上勉からの「母への一文」というメッセージが添えられています。
一部を引用します。

私は、この作品を書くことで、母親や子供とともに、この世の平和や戦争のことを考えてみたかった。 それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでゆくことの裏側で、とりこぼしてゆく大切なことについても、いっしょに考えてみようと思った。まことに、今日の学校教育は、人なみの子にするというよりは、少しでも、他の子に勝る子にしあげようとする母親の願いを、ひきうけているようなところがあって、子は、ひたすら学習であけくれている。 いったい誰が人なみでいることをわるいときめたか。また、人なみでないことをダメだときめたか。そこのところをも、私は子供とともに考えたいと思った。生きとし生けるもの、すべて太陽の下にあって、平等に生きている。蛙も鳶も同じである。 だが、この世は、平等に生きているといっても、弱肉強食である。賢い者は愚かな者を蹴落し、強い者は弱い者をいじめて生きている。動物の世界だけではない。人間の世界がそれである。
ブンナは、こんな世の中で、もっとも弱いものの象徴である蛙である。ブンナという名は、釈迦の弟子の一人の名にちなんでつけられているが、賢明な弟子の苦悩を、ブンナは蛙の身でなめるという物語である。
母たちに、 右のような作者の思いがったわっておれば、子供に話しきかせる方法もまたちがってくるだろう。 今日の学歴社会を生きぬこうとする凡庸の子らに、どのような夢を作者は托したか。凡庸に生きることが如何に大切であるかを、 母親は先ず自分の心の中で抱きとって、子に話してほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい事件のすべてが、子供に、なんらかの考えをあたえ、この世を生きてゆくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる。

今日はこれにて。


畑の蛙様のご尊顔を,久々にアップさせていただきます。


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今日はこれにて。


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