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ちかれ旅~(2),の巻 [日録]

久闊を叙す

前回記事では、豪雨にたたられた東京旅行の顛末を書きましたが、肝心な旅の内容については触れるいとまがありませんでした。私にとって、決して骨折り損のくたびれもうけといった徒労の旅ではなかったことも付記しておかなければなりません。

「ちかれたびー」は、秋田県の方言だと紹介されていましたが、秋田からの参加されたSさんは、懐かしいことに青年時代の知己です。後には、秋田高教組の要職を務められましたので、その頃も何かの拍子にお目にかかる機会がありましたが、今回の再会はそれから数えても十数年ぶりになります。

同じように、長崎のYさん、長野のNさん、来賓のNさんなど、20代~30代のはじめにお世話になった面々ともお目にかかることができ、ご挨拶できたのは光栄でした。

さらには、私のブログでしばしば紹介したことのある、学生時代の知己も、一人は高知から、一人は兵庫から参加されており、ついつい大声で久闊を叙したことでした。


1問目で失格

一日目の夜は結成30周年御レセプションが開かれ、大勢の来賓のみなさんの挨拶に続いて、参加者も地域ブロックごとに発言や出し物を発表しました。
その中で、四国ブロックの高知から、NHK朝ドラ「らんまん」にちなんだクイズを出題し全問正解したら賞品が出るといいいます。

先日来の記事のとおり「現地視察」を体験してきたこの私、自信満々で臨んだ第一問・・・・
・主人公のモデル牧野富太郎の出身地は「四万十ブルー」で知られる四万十川流域である。○か×か。
私がこれを間違ってなるものかと、瞬時に反応し、これ見よがしに大きなジェスチャーでアピールしながら○を選びましたとも!!モチロン!!
が・・・はずかしや。「四万十ブルー」ではなく「仁淀ブルー」の仁淀川でした。一問目で失格リタイアでした。
実は、未掲載ながら、こんな記事を書きかけていたのです。

佐川の街には青が合う?
高知県高岡郡佐川町(さかわちょう)は、仁淀川の中流域に位置しています。 学生時代、仁淀川のほとりで新入生歓迎の交歓会がもたれたこともあり、なじみぶかい川でもあります。

最近よく耳にする「仁淀ブルー」という言葉は,その頃はなかったよな,と思って調べてみますと、こんな記事がありました。

https://kochi-tabi.jp/lp/niyodo-river.html?ID=653


近年、仁淀川は“仁淀ブルー”というステキなネーミングで知られるようになりました。ブームのきっかけは、2012年3月に放映されたNHKスペシャル番組「仁淀川――青の神秘」ですが、そもそもはその2年前の29歳の若いディレクターの企画提案からでした。それから約10カ月の期間をかけて、丁寧に仁淀川の魅力を伝える番組を作っていきました。“仁淀ブルー” (NIYODO BLUE) という言葉は、そのディレクターとの会話の中から生まれたものです。
 
そのディレクターは、ダムがあるので実際は厳しいかもしれませんが、「四万十川と仁淀川を足して2で割れば、世界自然遺産になる」とも言っています。それほど素晴らしい自然が残されているということなんでしょう。私も世界の多くの川を見てきましたが、四万十、仁淀のレベルの規模で、これほど高い透明度と、多彩な青が目に飛び込む川は、稀だな、といつも思っています。高知の、いや、日本の誇れる自然資産のひとつだと思います。

佐川町の観光スポットに「青山文庫(せいざんぶんこ)」があり、「青源寺(せいげんじ)」があります。事ほどさように佐川町には青が似合うのでしょうか?

知ったかぶりの大チョンボの巻でした。


前回記事に掲載した会場の写真は、閉会集会の一コマ。マイクを握っておられるのは、事務局長退任の挨拶をされている美濃山さんです。いくつもの種類の手術を何度も繰り返し、入退院を繰り返しながらの事務局長のお仕事だったそうです。悲痛な様子をおくびにも出さない楽天的姿勢に、励まされると同時に,しみじみ頭が下がりました。   

後日,おおむねこのような趣旨のメールをお送りしました。

総会お世話になりました。また病を押しての長年のご奮闘に改めて敬意を表し,お礼を申し上げます。
今、私たちは2023年度総会に向けて準備中で、今日は事務局 が集まって、議案書その他の印刷・発送を予定しています。その議案書の中で、 私が原案を執筆した部分について、我ながら概ね妥当ではなかったかという印象 を、全退教総会に参加して、改めて感じましたので、ご笑覧に供したく,添付ファイルでお送りします。
お察しの通り、過半はコピーアンドペーストで仕上げた文章ですが、特に,竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」にふれた 4 の部分は,特別の感慨を込めたも のです。私が、ここ10年ほど書き殴っている「私設」ブログに、時々関連ある記事を掲載してきましたが、その中でも竹本さんの詩については再三触 れてきたところです。たとえば、
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2017-07-11
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2015-06-11

なお、ちなみに、駄文満載の拙ブログ ver.1とver.2のリンクは下記の通りです。
気が向かれた折りに、一瞥ご訪問いただければ幸いです。
https://kazg.blog.ss-blog.jp/
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/
末筆ながら、気候不順の折から、くれぐれもご自愛のうえ,引き続きご指導方よろしくお願いします。

折り返し丁重かつ温かいお返事を頂戴し、嬉しいことでした。


前回記事では、会場の2Fに掲げられている「戦死せる教え児よ(竹本源治)」も紹介しましたが、ちなみに、旧ブログの過去記事を再掲させていただきます。


夏の終わりの高知行、の巻(その5)

槇村の詩碑の近くには、当ブログでも何度となく紹介した、竹本源治「戦死せる教え子よ」の碑も建てられています。


「教え子を戦場に送るな」の原点です。
日中不再戦の碑も存在感をアピールしています。

今日はこれにて。   


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コメント 2

山田

なかなかの長文、読み応えがありました。
by 山田 (2023-06-14 06:54) 

kazg

山田様
お目にとまり,光栄です。
by kazg (2023-06-17 15:30) 

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