SSブログ

ちかれ旅~(1)の巻 [日録]

ときどき「チカレタビ-」と口に出したくなることがあります。ググって見ますとこんな解説がありました。

zakzakby夕刊フジ 「昭和のことば」

https://www.zakzak.co.jp/article/20180606-UZBCUNN6K5PYVK52TJJHXI6SOA/

一部引用させていただきます。

いまでも使いたくなる…秋田県の方言から生まれた流行語「ちかれたびー」(昭和50年)

蕗(ふき)を刈っていたおじさんが「あー今日ちかれたなー」と投げかける。相手は「ああ、ちかれたびー」とあいさつを返す。なんとものどかで、また妙にインパクトのあることばであった。新グロモント(中外製薬)のテレビCMである。

「日本のことば・方言シリーズ」の第3弾として、秋田県花輪地方の方言から生まれた流行語である。ちょっと疲れを意識するようなホッとした瞬間。いまでも使いたくなり、(時代遅れはいかんと)グッとことばを飲み込むご同輩も多いことだろう。

この年の主な事件は、「新幹線、岡山・博多間開業で、東京・九州が直結」「ベトナム戦争終結」「エリザベス英女王夫妻来日」「暴走族600人、鎌倉七里ケ浜で乱闘」「東京江戸川区の埋め立て地で、六価クロム汚染問題化」「皇太子夫妻、沖縄を訪問」「沖縄国際海洋博覧会開催」「日本赤軍、クアラルンプールの米・スウェーデン両大使館を占拠」「興人、会社更生法を適用。戦後最大の倒産」「天皇・皇后、訪米に出発」「『ワタシつくる人ボク食べる人』の即席ラーメンのCM、男女差別と非難され放映中止」など。

私の所属している退職同業者の親睦団体が、例年のように、総会の準備をしていて、議案書の一部を私も担当させていただいています。仕上がった議案書は、週初めに会員の皆さんに発送したところです。まだ総会での採択は得ておらず、おなじみのフライングになりますが、担当部分のごく一部を引用紹介させていただきます。

4.「戦死せる教え児よ」(竹本源治)の悲嘆が新たに繰り返されかねない情勢です。「繰り返さぬぞ絶対に!」という先輩教師の思いを改めて引き継ぎ、「子どもから希望を奪う戦争と貧困が支配する歴史の逆流を断固拒否」する運動を,現退一体で進めましょう。

「全退教ニュース」3月14日付記事に,「『教え子を再び戦場に送るな!』 改憲,大軍拡・大増税,『戦争国家づくり』絶対にストップ」と題する訴え文が掲載されており,その冒頭に“送らじなこの身裂くとも教え子を理(ことわり)もなき戦の庭に”の歌が引用されています。出典は,次の詩の末尾に添えられたものです。

戦死せる教え児よ 竹本源治

逝いて還らぬ教え児よ/私の手は血まみれだ/君を縊ったその綱の/端を私も持っていた/しかも人の子の師の名において/嗚呼!/「お互いにだまされていた」の言訳が/なんでできよう/懺愧 悔恨 懺悔を重ねても/それがなんの償いになろう/逝った君はもう還らない/今ぞ私は汚濁の手をすすぎ/涙をはらって君の墓標に誓う/「繰り返さぬぞ絶対に!」

作者は,高知県池川町出身の元教師で,池川中学校に勤務中の1952年,高知県教組の機関紙「るねさんす」に発表した作品がこれです。翌年,ウィーンでひらかれた第1回世界教員会議で朗読され,これを聞いた人々は,国の違いを越えてみなハンカチで涙をぬぐったといいます。

世界中の人々が味わったこの悲痛な思いを,二度と繰り返すわけにはいきません。「『お互いにだまされていた』の言訳がなんでできよう」という自戒を,いま,受け継ぎ生かすことが求められています。

前述の「全退教ニュース」は「全退教は子どもから希望を奪う戦争と貧困が支配する歴史の逆流を断固拒否します。」として,①大軍拡・大増税反対新署名による大運動,「戦争させない」世論形成,②教育子育て九条の会のパンフレット『武力で命と平和を守れるか』を活用しての現退一体の懇談・学習運動の強化を呼びかけています。これを正面から受け止めて,草の根からの運動を粘り強く展開していこうではありませんか。

ここで「全退教」というのは、私たちの退職同業者親睦団体の全国的連絡組織です。その総会が、先日(2日-3日)東京で開かれました。コロナ禍のもとで,ここ2年ほどはリモート会議でしたが、久しぶりに全国の代表が一堂に会しました。私もその一員として、先輩のN女史と二人で出席してきました。

あいにく大変な豪雨で、傘も用を足さぬ体で、会場まで、またホテルまでの移動でびしょ濡れ。しかも帰りの新幹線は昼頃まで不通。すし詰め電車に立ったまま帰るはめになりました。「このホームは大変混雑しており、特に自由席にはしばらく乗れる見込みはありません。またこのホームには次からこだまの入線がつづき、新大阪以西までお乗りのお客様は別の番線へ移動していただくか、指定席の通路・デッキに立ってでも乗車使用という方は、指定席乗り場まで移動してお乗りください,というアナウンスがありましたので、これに従って立ち席乗車しました。

のろのろ運転や停止・待機を繰り返しながら走りますので、長い間立たされました。新大阪あたりまで立っていますと、ようやく次々に客が降車し空席が目立ち始めました。で、空いた席に座腰をかけくつろいでいますと、降車駅岡山の直前で車掌さんが検札に来られました。こんな非常事態でも,指定席料を請求されました。抗議の論理展開する元気もなかったので、怨嗟のセリフを投げつけながら、指定席代金700円払いましたが、後で悔やまれてなりません。若い車掌には気の毒と思ったが散々嫌みを言い、こちらの言い分を上司に上申するように要望したら、定められた用紙があるので書いて提出します 、 とのこと。若い車掌の仕事を増やしただけかも、とスッキリしません。遅れが2時間を超えたら払い戻しが発生するそうですが、1時間数十分の遅れなのでそれもなし。
岡山駅からバスに乗って,暗くなった頃、やっと家に着きましたがハードな旅でした。2日続けて昼ごはんは、コンビニおにぎりでした。    
揺れる車内で、荷物棚に右手を伸ばして体を支え続けた無理な姿勢のためか。あるいは翌日の町内会の草取り掃除の影響か、右半身を疼痛が遅い、ここ2~3日は、鎮痛湿布が不可欠で、身体の姿勢を変えるのも困難なほどでした。それにしても、散々の「ちかれ旅~」でした。

そのような次第で、せっかくの東京旅ながら、憧れのお江戸の写真を撮影するチャンスもありませんでした。写せたのは会議の模様と・・・

R9046741.jpg

 

会館の別の階の壁に飾られているこの額。

R9046743.jpg

 

「戦死せる教え児よ」の詩が書かれています。

 

その側には,清水寺管主さん揮毫によるこの文字も。

R9046745.jpg

今日はこれにて。

 


nice!(24)  コメント(0) 

nice! 24

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。