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こんな夢を見た、の巻 [時事]

ちょっと以前、書きかけていてアップしそびれていた未完記事がありました。いろいろ過去の文書データを探っていて見つけました。




「こんな夢を見た」という書き出しの文章を書こうと試みたことが、しばしばあります。
青年の頃(高校生の頃からかも知れません)、枕元に夢をメモする手帳を用意しようと思いついたこともありますが、実際に奏功したためしはありません。夢の最中は、これはドラマチックだ、文章のネタになりそうだ、と半ば興奮して目覚めるのですが、中身を思い出してみようとすると、まるで思い出せなかったり、おぼろに思い出せても、破天荒で辻褄の合わない珍奇な筋で、がっかりさせられるのが常でした。
最近また、久々に、「この夢はネタになるぞ」と思ったことがありましたが、時間が経つと、もうどんな夢だったか思い出せません。
もちろん、「こんな夢を見た」というのは、漱石の「夢十夜」の、各話の書き出しのフレーズです。
確かめてみると、以前、ブログにこんな記事を書いていました。5年ほど前の記事です。     
無限の後悔と恐怖」は御免こうむりたい、の巻(2017-05-01)


確か中学か高校の自分に読んだ漱石の「夢十夜」で、変に印象に残っている場面があります。
調べてみると、第七夜です。


自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。
そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。



この救いようのない「無限の後悔と恐怖」を、自分もいつか味わうことになるのではなかろうか、という懼れに、つきまとわれた記憶があります。
時は経て、確か30代の頃、妙な夢を見たことがあります。
朝方か夕方か判然としませんが、どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。「ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ」と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた、という夢だったように思います。何かの機会に、雑談でこの夢の話をしたところ、原水爆禁止運動にながく取り組んでこられたKさんに、「kazgさんも疲れてるなあ」と同情されました。
時は、SDI(戦略防衛構想=スターウォーズ計画)を掲げて宇宙的規模での核軍拡を強めるアメリカレーガン政権と、泥沼のアフガニスタン侵攻をつづけながら核軍拡を進めるソ連(当時)アンドロポフ→チェルネンコ政権との対決姿勢が激化し、米科学誌 Bulletin of the Atomic Scientists の表紙を飾る「世界終末時計」の針が三分前を示した1980年代前半のことでした。
「一億総被爆死」というフレーズが、絵空事ではなく説得力を持ちました。
余談ながら東欧・ソ連崩壊を経て、1990年代に一七分前まで押し戻された針が、地球温暖化の進行、フクシマ原発事故、核軍拡などの情勢を踏まえてふたたび刻々と終末に向かい、いま、トランプ政権の登場を受けて二分三〇秒前まで進められたことは、嘆かわしいことです。
不吉な相似はこれにとどまりません。
レーガンと熱い抱擁を交わし、「ロン・ヤス」と睦まじくファーストネームで呼び合うつナカソネヤスヒロ首相は、対米忠誠の証に「日本列島を(アメリカのための)不沈空母にする」と公言していました。「戦後政治の総決算」を掲げて、「自主憲法制定」を柱としながら、国民のいのちとくらし、民主主義を犠牲にする「臨調行革」を強行し、大規模な軍拡を進めました。「草の根保守」の運動を組織・育成しながらその路線を推し進めていくのもお得意の手法でした。
さて、現下の情勢については、多言を労する必要はないでしょう。より稚拙に、より戯画的に、そしてより乱暴に、事態が進んでいるように思えてなりません。

(中略)
本当に核ミサイルが飛んできたらもう遅い。世界中が「無限の後悔と恐怖」にさいなまれずにすむように、力で力を抑え込む核ミサイルで核ミサイルに対抗する、などという妄信を取り払わなければなりません。みずからにその意志がない指導者には、降りていただくしかありませんネ。


アベ政治全盛の時代にのみ適合する「故事」ではないことが残念です。時は推移し、アベ→スガ→キシダと代替わりを経た今、時ならぬJアラートが鳴り響き、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」と言い換え)発動要件、政府が検討開始、軍事費2倍化などのニュースがかまびすしく伝えられています。ロシアによるウクライナ侵略を引き合いに出し、中国の覇権主義、北朝鮮の挑発行動を取り沙汰しながら、「九条では日本は守れない」「自力で国を守る」などの勇ましいかけ声が勢いを増しています。


この辺りまでが書きかけ部分です。




最新の報道を踏まえて、少々付け加えることにします。


毎日新聞から引用します。


「吉田、岸、安倍元首相に続く決定」 岸田氏、米で「安保大転換」語る


訪米中の岸田文雄首相は13日午後(日本時間14日朝)、首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンズ大高等国際問題研究大学院(SAIS)で講演した。昨年末の安全保障関連3文書改定などについて「安保政策の大転換」と強調。吉田茂元首相による日米安全保障条約の締結、岸信介元首相による安保条約の改定、安倍晋三元首相による安保関連法の策定に続く「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つだ」と語った。


正直なお言葉。よくわかりました。やっぱり、私たちの思い過ごしではなく、日本にとっては極めて危険な「日米同盟の歴史上最も重要な決定の一つ」ということなんですな。


たまたま、私が編集のお手伝いをしている、退職同業者の親睦会の『会報』最新号に、Oさんが寄せられている文章がとても明快ですので、その一部分をいつものごとく無断引用(しかもフライイング公表)させていただきます。(著作権は、あくまでもOさんに属します。)


2015年の安保法制が「戦争国家づくり」を法制面で整備したのに対して、今回の「安保3文書」は、「戦争国家づくり」を実践面で担う自衛隊の能力を抜本的に強化し、国家総動員体制を作り上げようとするものになっています。湾岸戦争・アフガン戦争で都市を破壊し、多数の人々を殺傷した、あのトマホークを自衛隊に実戦配備しようとしているのです。
記者会見で岸田総理は、敵基地攻撃能力の保有は、「自衛隊の抑止力、対処力を向上させることで、武力攻撃そのものの可能性を低下させる」と述べました。しかし、日本の自衛隊がそうした武力を持てば、敵とみなされた相手国は危機意識をつのらせ、それを上回る軍事力を持とうとするでしょう。際限のない軍拡競争を激化させることになります。これでは、戦争を抑止するどころか、戦争に近づくことになってしまいます。
そもそも敵基地攻撃能力とは、相手国の領土内に攻め入って、相手国の基地を攻撃破壊し、政治や軍事の中枢部にも爆撃を加えて破壊しつくす能力です。しかも、安保法制により、集団的自衛権行使の下での敵基地攻撃能力ですから、日本が攻撃されていないにもかかわらず、アメリカ軍が攻撃されれば、日本の自衛隊が敵基地攻撃能力を発揮することになります。
相手国からみれば、日本による事実上の先制攻撃となってしまいます。相手はこの攻撃を黙って見過ごしてくれるわけがありません。必ず報復攻撃をしかけてくるでしょう。日本国内の基地が狙われ、原発が狙われ、都市が狙われ、多くの国民の命が失われることになります。まさに、戦争そのものです。日本が焦土と化してしまいます。敵基地攻撃能力の保有は、日本の安全を守るどころか、アメリカの戦争に日本と日本国民を巻き込むものにほかなりません。
防衛予算の2倍化は、医療をはじめ社会保障や教育の予算を削ることにつながります。国民生活がさらに圧迫されます。年金生活者が生きにくい社会になってしまいます。
日本国憲法の平和主義を投げすてた、こうした戦後安全保障政策の大転換であるにもかかわらず、「安保3文書」は、こともあろうに、「専守防衛に徹し」などと大ウソの言葉を並べ、国民を欺こうとしています。


まったくその通りです。しかも、「自力で国を守る」などというもっともらしい宣伝文句が、タチの悪い大法螺であることも、ちょっと考えればミエミエです。


「自力」どころか、あくまでもアメリカ主動の軍事同盟依存が大前提ですし、アメリカの負担を金銭面でも作戦面でも大幅に肩代わりするだけのことでしょう。


そして、日本政府自身が編み出した「国是=専守防衛」を投げ捨てたわけですから、「守る」対象は日本の国土と国民の生命・安全にはあらず、地球上のあらゆる場所で展開する米軍の安全に過ぎませんし、「攻撃の恐れがある」とみなした場合は、「躊躇なく」、「スピード感をもって」敵基地攻撃をも辞さないという対米誓約にほかなりますまい。




昨今のニュースは、上述の「どこかうっすらと淡い光のなか、おそらく水平線の雲の間から、不気味に光る核ミサイルらしきものが、ゆっくりと姿をあらわし、だんだんと近づいて大きくなってくる。『ああ、やっぱり、間に合わなかったんだ』と深く落胆し、いましも着弾の現場を実体験するかという間際、目が覚めた」という悪夢を蘇らせるとともに、次のような悪夢をも想起させずにはいないのです。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透(2013-11-28)


このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。

「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。

ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。

第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。

忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、

「美しい国づくり内閣」

「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」

「戦後レジームからの脱却」

「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、

「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、

「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、

「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、

「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。

これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?

高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。

佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下 透

(中略)

(2)

てんのうへいかさまは ぜんせかいのにんげんが へいわにくらせるようにと せんそうを おはじめになりました。
にっぽんは しんこくですから かならずかつのですと こうちょうせんせいが おしゃいました。
こくみんは みんな よろこんで へいたいに なりました。
おくにのために だれもだれも よろこんで しにました。
てんのうへいかばんざい、 だいにっぽんていこくばんざい。
あじあのみんなが さかえますように。

(3)

てんのうへいかさまは にんげんで あらせられました。
にっぽんこくは へいわを ちかいました。
こくみんは だれもだれも よろこんで なきました。
ちちや ははや こどもを なくしたこくみんも よろこんで なきました。

(中略)

(5)

こくみんの だいひょうのひとりは むねをはって いいました。
ひとりびとりが くにをまもるいしきを みにつけよう。
こどもたちは むねを ときめかせました。
ほんとうに じぶんたちが ほんものの てっぽうをもって くにをまもることを ゆめみて よろこびました。


手元の印刷物は、すり切れ汚損していて、ここまでがやっと解読できた。

この先の記述があったかどうか、記憶も曖昧だし、原稿も散逸しているので、確かめるすべはない。

この作品を書いてから、40年以上が経過した。

その間に、事態はどう変化しただろうか?

付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。

が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?

最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺 木下 透(2014-02-23)


今日掲載するのは、以前掲載した作品の、後半部分を補足したものだ。

(中略)

この詩は、最悪の未来図(シナリオ)のつもりで書いたのだが、現実がそれを追い越そうとしている。

この逆向きの流れを堰き止めるためには、木下君、きみはどうするの?(中略)

(5)

(中略)

以降が補足分である。


わるいやつらを うちころすのです。あかいやつらや めうえのひとにさからう きのちがったやちらを おもいきり ぶちのめすのです。
ほ んとうに じぶんのちからで くにを くにのはんえいを まもるのです。わるいてきを ころしたあとは きもちが せいせいします。にっぽんじんは えら いのです。にっぽんじんは つよいのです。にっぽんじんは いつでも ただしいのです。いつでも ただしかったのです。
にっぽんじんは えらくて つよくて ただしくて いさぎよくて りっぱでせいぎをあいし あくをにくみ しよくをすてて ぎりをおもんじ くにをあいし ちつじょをたっとび きんべんで・・・・
――だから にっぽんこくは さかえ
――だから にっぽんこくは ますます さかえ
――だから にっぽんこくは あじあの てほん
――だから にっぽんこくは あじあの しどうしゃ・・・・
(あじあは ひとつ。あじあは なかま。)

にっぽんこくよ さかえよ。
あじあよ さかえよ。
そのためには くにを まもる ちからが いるのです。
にっぽんこくは せんそうを するためでない へいたいを ふやしました。
にっぽんこくは せんすいかんと みさいるを つくりました。
にっぽんこくは たしかないりょくを しるための かくじつな じっけんを くりかえしました。
(あとは じっさいに ころしてみるだけ)
「かくあれるぎいは こくみんの じかくによって とりのぞかれねばならない」
「かくさんげんそくは わがとうぜんたいの かんがえではなく しゅしょう おひとりの おかんがえであり しかして それは とうぜん 考え直すよちのあるものなのであります。
「げんこうの けんぽうは てきこくと そのてさきであるところの ひくつなる ひこくみんの てによって わがくにの ちつじょを みださんことをいととし て つくられたものであり よってそのために わがくにには てんしさまを うやまうことをせず わがくにの はんえいさえも さまたげんとする ふらち なる たいだしゃが はびこることに なったのである。しかれば われわれは とうぜん この あくほうを かいせいして われわれのこくみんせいを そ んちょうし わがくにの じつじょうに あった けんぽうを つくるべきであろうと かんがえるので ある。」

「にっぽんこくは その こ ゆうの りょうどであるところの おきなわを とりかえさねば ならないのであります。おきなわを とりかえさぬうちは にっぽんの せんごは おわった とは いえないので あります。つまり にっぽんのりょうどが うばわれているかぎりは むかしの つよい にっぽんでは ありえないので ありま す。」

「おきなわは きょくとうの へいわには かかせぬ じゅうような ぐんじきち なのでありまして とうてい あめりかも むじょうけんの へんかんを しょうちするはずは ないので あります。むしろ われわれは ほんどの おきなわか そして ついには われわれじしんの てによる こくぼうを かんがえる べきで ありましょう。」

「こ くみんの あいこくしんを たかめるために こどもたちは しんわによって こっかの とういつのれきしを まなばねば ならない。しんわが とうじの いせいしゃの けんいづけの ための そうさくであるとするのは きけんきわまりない おもいあがった しそうであり ひいては こっか せいふへの ふ しんを じょちょうさせるものである。きょういくは とうぜん こっかによって なされるものであり さもなくば じだらくで たいはいてきな あなあき ずむの まんえんにより こっかはすたれるであろう。こどもたちを けがれからまもるために

こどもたちを けがれから まもるために きけんなしそうはだんあつされねばならない。」
にっぽんこくはつよくなりました。(終わり)


高校の頃、これを読んだ友人に「本気でそう思ってるの?」と、尋ねられたことがあった。
当然、皮肉、風刺、揶揄、ジョーク、おふざけのつもりだし、それは、言わずもがなの自明の理のはずだった。

現実の歴史では、為政者と教育・報道機関の合作により、もう少しもっともらしい巧言が世を覆い、そのなかで人々の心が戦争遂行へと動員されていったのだろうが、そのメカニズムをデフォルメし戯画化することで、時代へのささやかな警鐘としたかったのだが、、、、。


今、ネット情報などを垣間見ると、昔、高校生の木下透君が戯画化した偏狭な国家主義的思い込みを、ほとんどそのレベルでまことしやかに喧伝する声が多いことに驚かされます。そのかなりの部分が、旧統一協会や日本会議の面々が流布した思想宣伝だったはずですが、いまだにファクトチェックなしにまかり通っていることは、


ここ数日のお散歩写真を載せておきます。


ロウバイが咲いています。1月10日午前7時前。夜明け近くです。


1月11日、朝散歩。夜明け前です。


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1月13日、午前10時半頃の散歩写真です。


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ジョウビタキ♂。


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今日、1月14日は、雨の朝でした。


雨粒を宿したロウバイ。雨の中でも甘い香りが漂います。


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ロウバイの枝にスズメが群れています。


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ジョウビタキ♂には今朝も会えました。


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センダンの枝にヒヨドリ。


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今日はこれにて。


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はるかぜのきみ

新年からの3つどもえの予定を何とかクリアして、そういえば年賀状の当選番号を確認しておかなければとはがきを取り出してみました。ナードサークさんからの喪中はがきが岡山市大安寺と美作市後山の双方に届いていることが判明いたしました。この度は、ご尊父様の大往生に際しまして、お悔やみ申し上げます。私の主たる生活の場は、後山になっておりますので、蛇足とは存じますが、連絡させていただきました。
ブログの文章が相変わらず長いので、お元気であると拝察いたします。では。(このコメントは、業務連絡ですので、掲載不要ですが、もし、確認連絡をいただけるようであれば、「はるかぜのきみ通信」へ「ナードサーク」さんとしてコメントを下されば幸いです。)
by はるかぜのきみ (2023-01-21 10:04) 

kazg

はるかぜのきみ様
お久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。「はるかぜのきみ通信」へうかがいます。

by kazg (2023-01-21 16:32) 

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