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冬至雑話二題、の巻 [今日の暦]

【その一】


昨日は冬至でした。フェイスブックが10年前の投稿を思い出させてくれました。


今日は冬至。

ご近所さんに柚子をいただきました。

きょうの私のブログはこちら。

http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2013-12-22


今年は郷里の実家の庭になってる柚(花柚だそうです)の実をもいで帰り、家族・知人にもお裾分けしました。


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カボチャも、夏に収穫したものは消費し尽くしたため、秋植えで栽培したものが採れ、詳報しています。普通サイズとミニサイズの二品種です。ミニカボチャは、そのままレンジでチンすれば、甘くてほくほく。


手軽です。


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【その二】


「全退教(全日本退職教職員連絡協議会)」が提起して全国で取り組まれている「退職教職員ボイスアクション」などのとりくみが、新聞コラムで紹介されました。12月22日付「しんぶん赤旗」のコラム欄「潮流」です。


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「教え子を再び戦場に送らない」。あの戦争に子どもたちを送り出してしまった教職員の、不退転の決意。72年たった今も、生きています▼退職後のひとりぼっちをなくそう、との願いから始まった全日本退職教職員連絡協議会(全退教)。平和と民主主義・生活擁護にも目を向けた活動を続けます。岸田政権が大軍拡に突き進み、平和をめぐって最大の危機に直面するなか、ボイスアクションを呼びかけています▼戦争をしない、させない思いを1枚のはがきに込める取り組み。「平和であることが何よりです」「戦争するな。子どもの命・夢奪うな」「今こそ憲法9条の出番」…。事務局には、願いがびっしり書かれたはがきがすでに1000枚以上届いています▼人の命を奪うためではなく、命を育むための予算をとの声は切実です。13日には「学校に希望を!長時間労働に歯止めを!ネットワーク」が発足しました。残業代の支給、業務量にあった教職員の配置、そのための教育予算増額。この三つを求めて教育研究者有志が呼びかける署名を広げ、運動を交流します▼全退教も呼びかけ団体に加わりました。深刻な教員不足から退職後も現場にかかわりながら、「このままでは学校がもたない」と痛感してきたからです。ボイスアクションとともに力を注ぎます▼大軍拡ではなく教育にお金を。冷たい冬を乗り越えて、子どもたちが安心できる温かな学校へと気持ちを寄せ合いたい。日一日と、日差しが伸びていくように。今日は冬至です。


実は私も、退職教職員の一人としてこの「ボイスアクション」のとりくみに投稿しました。多少アレンジして、別の場に書いて発表した文章を、再掲させていただきます。(個人情報に関わる点などの改変あり)


退職教職員の「ボイス(声)」 kazg

柄にもなく、ちょっと「政治的」 主張に傾くかもしれません。    

私の所属している岡山高退教(岡山県高校・障害児学校退 職教職員の会)は、全退教(全日本退職教職員の会)が提起する「全国退職教職員ボイスアク ション」に呼応して、一人一人の退職教職員が「岸田大軍拡・ 大増税STOP、改憲反対、教 え子・若者を再び戦場に送るまい」などの、切実な声を、はがきその他で発していくとりくみを呼びかけています。
私も、こんな文章で参加しました。
 

(1 )岡山市のOんの歌に触発され、真似てみました。
(注  Oさんは、以前、朝日新聞岡山歌壇でも入選した「イチローと同じ名前の叔父今も  南の海の底に眠れり」など、4首の短歌を投稿されています。)
 

戒名に「烈士」の文字を賜りし義叔父(おじ)の遺骨は今も還らず

飛行服着たる写真の義叔父(ぎしゅくふ)は少年のまま何処に眠るか

  四国出身の妻の、亡くなった父親は海軍の軍人でしたが、死線をくぐって生きて復員し、95歳を越える天寿を全うしました。穏やかで、慈愛に富む人柄でしたが、天皇への崇敬と、「大東亜戦争」の「正当性」へのこだわりは、終生、曲げることがありませんでした。

また、その弟(妻にとっては叔父)は、少年兵として志願していくさに赴き、10代の若さで戦死された由。仏壇には、戦闘服・戦闘帽を着けた凛々しい少年の遺影が飾ってあります。

その戦死の模様はつまびらかでなく、遺骨も帰ってきていません。のちに義兄が、厚生労働省などを通じて調べたところによると、戦死時に搭乗していたのは、「一式陸攻」だったそうです。

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写真は「一式陸攻(一式陸上攻撃機)」

ところで、終戦直前の「水島空襲」で主な標的とされた水島航空機製作所では、日本海軍の一式陸攻や紫電改を生産していたと聞きます。義叔父がいのちを共にした愛機も、この水島工場で生産された機体だったかも知れません。

  (2)日本の若者たち!「お国のため」「平和のため」「自衛のため」というキャッチフレーズに騙されないでください。「『お互いにだまされていた』の言訳がなんでできよう/懺愧 悔恨 懺悔を重ねても/それがなんの償いになろう(竹本源治「戦死せる教え児よ」より)の思いを改めて噛みしめ、いつか来た「殺し・殺される」道ではなく、日本国憲法がめざす、お互いが生きて輝く道を世界に広げましょう。

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  (3)ロシアの若者たち!あなたや、あなたの父母・祖父母は、若い日に、この言葉を熱く胸に刻みはしなかったでしょうか?  「人間にあって、もっとも大切なもの──それは生命だ。それは一度だけしかあたえられない。だからあてもなく過ぎ去った歳月にいたましい思いでを痛めることのないように、いやしく、くだらなかった過去に、恥辱で身を焼くことのないように、また死にのぞんで、生涯を一貫して、持てるすべての力が、世の中でもっとも美しいもの─人類解放のたたかいのために捧げられたと言いきれるように、この生命を生き抜かなければならない。(オストロフスキー)」

  いま、後悔と恥辱で身を焼くことのないように、ウクライナの無辜の民への仮借なき侵略の砲火を、直ちに止めてください。

  (4)イスラエルの若者たち!ナチスによるホロコーストにおびえながら、15歳までしか生きることを許されなかった同胞少女のこの言葉を、改めて噛みしめてください。「私は理想を捨てません。どんなことがあっても、人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。(アンネ・フランク)」今、あなた方の政府が命じる「ハマス殲滅」の名によるジェノサイドをやめ、罪なきパレスチナの人々、なかんづく子どもたちに心を寄せ、アンネのこの願いが真に報われる世界を作り出そうではありませんか?

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「アンネのバラ」と呼ばれるバラは、  ベルギーの園芸家が作った新種のバラで、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの父オットーフランク氏に贈られたといいます。
一九七二年に一〇本、一九七六年に再び一〇本が、オットー・フランク氏から日本に贈られ、全国で「アンネのバラ」として育てられているそうです。
ウィキペディアにはこう紹介してありました。

アンネのバラは蕾の時は赤、開花後に黄金色、サーモンピンク、そして赤へ変色する特徴がある。これは、もし生き延びる事ができたなら、多くの可能性を秘めていたアンネを表現している。

私の知るところでは、県内で、半田山植物園のほかにも、RSKバラ園にも、また岡山市立岡山後楽館中学高校にも、植栽され、愛されています。


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