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憲法記念日の朝散歩、の巻 [カメラde散歩]

前回upした記事が余りにも冗長でしたので、少し分割することにしました。


まずは憲法記念日の朝散歩のスケッチです。


今朝の散歩でも、麦畑の向こうの麦飯山を写しました。


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昔こんな記事を書いています。


濁りなき緑を肺に満たしてん(2013-08-20)


鴨川という川を挟んで対岸に、均整の取れた二こぶの山が聳えています。
遠くから見るとおにぎりのように見えるところから、麦飯山と書いて「むぎいやま」と読むのが、この山かなあと、私は思っているのですが、確かめることのないまま今日に至っています。
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戦国時代、中国地方最大勢力の毛利氏と、織田信長・羽柴秀吉方についた宇喜多氏との間で戦われた「八浜合戦」は、この地を舞台にしています。当時、麦飯山の頂上には、二つの城があったそうで、今見ても、確かに頂上が、遠目にも平らに見えるように思えます。
麦飯山城は、宇喜多直家の家臣、明石源三郎の居城で、 宇喜多家の支城でした。当時、宇喜多と毛利は同盟関係にありましたが、宇喜多は、戦局を見て織田方に寝返ります。毛利は、中国地方攻めを進めている秀吉軍が、備前に入る前に岡山城を攻めようと考え、その拠点にするため、麦飯山城を奪おうとして攻撃を加えました。
毛利軍2万人が、山の周囲を囲み、兵糧攻めを加えたのに対し、 宇喜多の勢3千人が籠城しますが、山上には井戸がなく、麓の水源もおさえられたため、城から討って出、ふもとの八浜地区で激戦が繰り広げられました。
城主明石源三郎は、毛利軍の侍大将荘勝資と一騎討ちで戦死。家老の田中源四郎も、戦死して落城します。一方、勝った荘勝資も、明石源三郎の家来に討たれました。
八浜合戦は、1582年。「女軍の戦」で知られる常山城の合戦(1575年)から、数年後のできごとです。


今朝の田園風景を少々upします。


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早朝から、青空が広がっています。


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今日の鳥はカワラヒワ。


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