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ナードサークのシギ、の巻 [鳥三昧]

ある仲間内の冊子に、最近、こんな原稿を寄せました。冊子の発行はまだ少し先ですが、いつもながらのフライングで、web用に一部改変して発表させて頂きます。


私の趣味 kazg

一九八〇年代の初め、高等学校教職員組合の全国組織の専従役員として 五年間東京で働きました。中曽根内閣の軍拡臨調路線とその具体化としての「人勧 凍結」に象徴される公務員攻撃とのたたかいに明け暮れ、連日 のように国会 動を展開した 日々でした。

五年の 休職専従 期間が 終わって 現場に戻りましたが、 後に休職専従期間が七年に延長されたので、残りの二年 を使って地元教職員組合の役員を務めました。二〇〇〇年代の初めでした。この時期、私に趣味を持つゆとりはありませんでした。

健康問題もあり「プロ専」の道を歩むことなく現場復帰し、まもなく経過観察中だった 脳動脈瘤 が急速に 肥大したので、大きな手術を 受けました。幸運にも生還し、定年まで 教壇に立つことができました。 非常勤講師として 勤務を始めた春の 健康診断で、 思いがけなく 肺癌が見つかり 肺の五分の一を切除する手術を受けました。

子どもの頃は、「趣味は?」と聞かれて「読書」とか「切手収集」とか答えていました。読書は、いつの頃からか仕事に属する苦行のようなものになりました。退職後は苦行の度合いは軽減されたものの、意欲・気力・視力が衰えて、読書が趣味と答えるのもおこがましい状況になってしまいました。

そんな私の、老後の趣味と言えるのは「ブログ」の発信でしょうか。「退職記念にブログ始めちゃいました。フォーカスは過去に向かったり、身辺に向かったり、内面に向かったりで、浅く、淡く、ミクロサイズの日録になるでしょう。」という書き出しでブログを始めたのが、二〇一三年の八月。肺癌手術を終えて退院したばかりの頃でした。

後に書いたこんな記事が、その事情に触れています。「気がつけばへなちょこブログも三年目」(2015-08-21)。

退職を前にして、内心焦りを感じた時期がありました。「~ねばならない」で生きてきて、その枠組みが外れると,自分を見失い,気力も生き甲斐も薄らいでしまう、なんてことになりかねない。「~ねばならない」から「~たい」への生き方の転換が必要だ。さしずめ「趣味をもたねばならない」と、思い至ったのです。やっぱり「~ねばならない」に縛られ続けていますが(笑)

そこで考えました。新たな趣味の必須条件は?

・やって楽しいこと。

・憂さを忘れられること。

・少しの努力で,長く続けられること。

・足跡が何か残ること。

・人と上達を比べられて落ち込まなくてもよいこと。

・出費が少なくてすむこと。

・体力、運動能力が求められなくてすむこと。

自覚的に、言語で意識したことはありませんでしたが,あえて箇条書きにすればこんな虫のいい条件がぐるぐる脳裏を回っていたのでしょう。今思えば、「ブログ」という帰結は、結果的にですが、これらの虫のいい条件を、すべてみごとにクリアーしてますね。(中略)

その時漠然と期待したのは、①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。などでした。

ブログ開始から一〇年を超えて二代目ブログに移行して、初代二一二七記事、二代目二八六記事を数えるに至っています。




 


ところで、上の文章で話題にした 「気がつけばへなちょこブログも三年目」(2015-08-21) の記事には、こんなことを書いていました。


「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉があります。
私も、おだてには乗りやすい体質と思います。
かといって、真実味のないご機嫌取りや、見え透いた社交辞令を真に受けるほど純真でもないつもり。
そういえば、啄木にこんな歌がありました。
へつらひを聞けば
腹立つわがこころ
あまりに我を知るがかなしき

自負も矜恃も人一倍持ち合わせているが、自分の器を熟知しているのもまた自分。そのナイーブな内心を斟酌することもなく、むず痒いお褒めの言葉をいただいても、「へつらい」にしか聞こえず、かえって軽んじられている感じさえして、心は波立つ。というのでしょう。
よくわかります。
それとは対照的に、自分が日頃信頼を寄せる人,敬愛の念を以て畏れている人に、思いがけなく好意的なコメントをいただいたりすると、リップサービスと知りつつも舞い上がってしまい、良いところを見せたいと思ってしまうことがよくあります。はなはだ単純な性分だと思います。
最近、当ソネブロでお近づきになったmomotaro様が、その慧眼とバランス感覚の上に立った、緻密な文筆をもって、世に鋭く発信なさっていることは、皆さんよくご存じのところでしょう。
ご著書「友よ、戦争をしない世界を創ろう!」も,先般の入院騒動の後、amazonにて購入、一読させていただき、その平明,丁寧な論理に導かれながら,ともに考えを進めていくうちに,時代と生き方について深く考えさせられるという快い経験を、久しぶりに味わったことでした。


当ブログのネーミングについて、こんな記事を書いたことがありました。


イーハトーブのパクリです、の巻。:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)


先日のこの記事に、momotaro様からありがたいコメントをいただきました。

 こちらをお訪ねするといつも驚きます。多様な生物に溢れているので。
海辺で山があるからなのでしょうが、まるで別世界です。
ふと、ナードサークとはどういう意味なのかなぁと思って検索してみました。するとずらっとこのブログ関連のことが出てきました。ということは、これは一般用語ではないのでしょうか。宮沢賢治の小説に出てきそうですが…
機会がありましたら教えてください、恥ずかしながらお尋ねします!

わたしの思わせぶりなブログタイトル「ナードサークの四季」の名づけに関して、興味を持っていただき、検索までしていただいたとのこと。恐縮至極です。
取り急ぎ、以下のコメントをお返ししましたが、あるいは、ほかの読者の方にも同様お手数をおかけするかも知れないと思い、再掲することにします。

> 多様な生物に溢れている
コメントいただいて、改めて思い至りました。日頃は有り難みに気づきませんが、ほとんど近隣エリアで、あれこれの生き物に会えるのは幸せなことです。
> ナードサークとは
お手間を取らせて申し訳ないです。全くのでっち上げの造語ですm(_ _)m ゴメンナサイ
ご推察の通り、宮沢賢治が岩手をモチーフに「イーハトーブ(イーハトヴォ)」という理想郷を想い描いたのにあやかって、わが居住地の地名をもじってみました。2003年頃から数年間、見よう見まねで作って遊んでいたホームページに、「ナートサークの四季」と名づけた写真コーナーを置いたのが始まりです。その後、「平成の大合併」のあおりで、もとの地名は消滅してしまいましたが、、、。
> 恥ずかしながらお尋ねします!
恥ずかしながらお答えしました(汗)
 



  

該博な知と揺るぎのない良識(コモンセンス)に支えられた、理路整然とした論考が、momotaro様のブログの真骨頂でした。とともに、コメント欄を通しての懇ろな交情をいただき、勝手に「ブロ友」扱いさせていただいていました。そのmomotaro様が、2022年9月29日付で投稿されたプーチンの蛮行は黙視できない!:日本の政治と地球の未来:SSブログ (ss-blog.jp)の記事を最後に、新たな更新が途絶えておりました。癌治療のために入院なさっていることは存じておりましたが、速やかな回復を念じておりました。その後のご様子が気には掛かりながらも、一年上も経過したつい最近、当該記事のコメント欄で御逝去された由の書き込みを拝見し、遅ればせに冷厳な事実を知った次第。謹んでご冥福をお祈りしないではいられません。


ご尊名であれば、なにがしかのコメントを頂戴できそうな、「ナードサークのシギ」の写真をupします。一週間ほど前の撮影です。


コチドリ。


pentaxK5Ⅱ+AFborg60mm。小雨の中、光量不足です。


_K523284


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Fuji finepixs1。。


案外、こちらの方がマシだったりします。


S0475444


遠いので、識別に迷いましたが、写真を見ると、タカブシギでは?と思います。


_K523430


小魚か、小エビらしい餌をついばんでいるようです。


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上母写真はby pentax。下がfinepixs1。


S0365363


この日、運がよければと狙ったのは次の鳥。


いずれもfinepixs1による画像です。


S0385385


S0385383


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S0425409


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S0465432


チュウシャクシギ、ですよね?


実はわが鳥撮の師匠、M師がメールでこんな情報を教えてくださったのでした。


現在83歳になっております。がまあまあ元気に過ごしております。趣味の野鳥観察の方もボツボツ続けております。

(中略)

fullsizeoutput_f42

これは**で撮影したチュウシャクシギの群れです。毎年この時期に同じ群れが移動の途中に立ちよっているようで20羽ほどの群れの中に一羽だけオオソリハシシギが混じっています。

前のがオオソリハシシギです、


矢も盾もたまらず、メールを頂いた次の朝、現地に出かけてみました。海の干満によって干潟の様子が変わるので、干潮の時間を狙って出かけてみたのですが、あいにくの雨で、傘差し撮影を余儀なくされました。正確にはナードサーク離れて、少々遠出しましたので、「ナードサークのシギ」の看板には偽りがあるのですが、悪しからず・・・


今日はこれにて。


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