SSブログ

寅つながり、の巻 [私の切り抜き帳]

昨日の記事で「寅年のトラツグミ」を話題にしましたが、寅と言えば寅次郎。拙ブログでも、寅さんを話題にしたことが何回もありました。軽く探ってみただけでも、こんなにたびたび。


ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。(2013-09-29)


夕焼け その2(2014-10-17)


夕焼け その3(2014-10-18)


散歩道のモズが思い出させたこと、の巻(2016-09-25)


も一度一本の鉛筆、の巻(2017-08-07)


島の始まりが淡路島、の巻(2019-11-04)


見あげたもんだよ、の巻(2021-04-19)


生きてるだけで儲けもの?の巻(2016-10-01)


その寅次郎を題材にした一文を、随分昔書いたことがありました。最近、何度か続けた「片付けあるある」シリーズのための「発掘」調査の副産物として、それが掲載された印刷物が見つかりました。1986年10月21日付です。なんとこの年も、寅年でしたヨ。


『寅次郎春の夢』とチャップリンの『独裁者』が、 同日、同時間帯に放映された。こんな時、ビデオは重宝で2倍 楽しませてもらった。

▼ふとした機縁で『とらや』に寄宿することになった文なし のアメリカ人・マイケルは、 下町の人情に大感激。一方、 わが寅さんは、『黒船以来、ずっと日本は不幸。俺はアメリカは大嫌い』とアイデンティティを発揮するが---。国籍や.言葉の隔てを超えて通いあうのは庶民のこころ。ホントの国際親善が、こうして生まれる。

▼この対極にあるのが、中曽根流”国際性”だろう。ことさらに英・仏会話力を誇示し、卑屈な人気とりに汲々
としても、隠せどあらわれる民族差別.外交的”配慮” は重視するが、”配慮”は あくまで、”配慮”にすぎず、本音は別という次第。

▼その中曽根さん、浅利慶太に演技指導を頼むなど、人一倍 外見を気にかけるお方らしい。「女性は私のネクタイや服を見るだけ。話の中身など覚えていない」の暴言も、単なる女性蔑視にとどまるまい。大衆は、すべか
らく巧言令色であやつるべしとの信条の吐露。

▼チャップリン演ずる独裁者ヒンケルの、子どもじみた自己顕示と空疎なこけおどし、そして偏狭、排他、冷酷---滑稽なほど中曽根流に酷似していないか。

▼ファシズムを弾劾し、人間の愛と知性への信頼を呼びかける感動のラスト六分間.このユダヤ人床屋の演説に託された民衆の思いは、そのまま現代に甦る。


36年も前の 文章ですから 、その間に 大きく変化したことも たくさんあります。


一つは ビデオ という 機材が、もはや ほとんど 世の中に存在しなくなっていますね。 しかも、この当時、私の使っていたビデオ録画装置は、データ方式 でしたから 昔日の間が著しいです。

レーガン米大統領との間で、 「ロン・ヤス」と ファーストネームで呼び交わし、日米同盟の絆をアピールした 中曽根康弘さんも 、もはや 表舞台から 退いて久しく、 人々の記憶からも遠ざかって 、 歴史上の人物と化 したようです。


「虎は死んで皮を残し、中曽根は死んで汚名を残す」という故事成語があったかどうか知りませんが、2020年10月に、国費から約9600万円を支出して、内閣・自民党合同葬が催されたことは記憶に新しいところです。


去年のお正月の記事こいつは春から、の巻2021-01-01)にも書きましたが、「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」という川柳を詠んだことを思い出しました。


Kazg 完全無職の年金生活者生活。退職教職員の会、教育相談活動、年金者組合などのお手伝いを細々続けています。無計画で不定期の日々ですが、なぜか「多忙」と感じています(笑)。「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」。 全日本年金者組合の「むしろ旗川柳」で優秀賞に選ばれました(エヘ)。


中曽根サンと言えば、こんな『憲法改正の歌』まで作って普及をはかった改憲論者。


『憲法改正の歌』

作詞:中曽根康弘
作曲:明本京静

①鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に 占領憲法強制し
祖国の解体計りたり 時は終戦6ヶ月
②占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば
天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は
国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり
③10年の時は永くして 自由は今や還りたり
我が憲法を打ち立てて 国の礎(いしずえ)築くべき
歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり
④国を愛す真心を 自らたてて守るべき
自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき
原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや
⑤この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり
マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓(ひら)く者 興国(こうこく)の意気挙(あ)げなばや


現憲法を『占領憲法」「マック憲法」とののしり、「自主憲法」の制定を主張しますが、実際は〝不沈空母”論に見るように、アメリカの軍事力に拠って世界に覇をなそうとする文字通りの「虎の威を借る狐」。それは、「集団的自衛権・安保法制」「敵基地攻撃能力」など、装いを変えて、今なお健在のようです。内実よりも 外見に執着し、 巧言令色 を殊更に重んじる 姿勢も 、安部さんはじめ、現政権に 脈々と 受け継がれている模様です。


その意味では、日本の政治状況は、36年を経て、変わったようでも大して変わらないといわなければなりませんか。


しかし、「子どもじみた自己顕示と空疎なこけおどし、そして偏狭、排他、冷酷」を、理知と知性の光によって、暴き、笑い飛ばし、乗り越えて行くのが、人類の歩みというもの。早晩、歴史の正当な審判が下されるに違いないでしょうが、できれば、この夏の参議院選挙あたりで決着を着けたいところです---。


一方、年月を経て、なお輝きを失わないのは、チャップリン『独裁者』の感動のラスト六分間。過去記事に、こう書きました。


見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)(2015-07-04)


空を見上げていると、ついつい「見上げてご覧」というフレーズが浮かんできます。

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる
見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

以前この記事で書きましたので繰り返しません。
もう一つ思い出すフレーズはこれです。

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.
The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.
Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.
ハンナ、僕の声が聞こえるかい?いまどこにいようと、さあ上を向くのだ。空を見るのだ、ハンナ!
雲が切れる!太陽が現れる!闇が去って、ぼくたちは光の中に出るのだ。新しい世界-貪欲と憎悪と残忍さを忘れたより良い世界がいま、来ようとしているのだ。
空をごらん、ハンナ!もともと人間の魂は翼を与えられていたのだ。だがついに、いま初めて空を飛び始めたのだ。虹の中へ―希望の光の中へと、いま飛んでいるのだ。空をご覧、ハンナ!上を向いて!
(チャップリン「独裁者」最後の演説より)

チャップリンの映画「独裁者」の最後の場面。チャップリンが一人二役で演じたヒットラー(劇中の名前はヒンケル)そっくりの床屋が、間違えられて演壇に登り演説させられる羽目になったとき、彼は意を決してマイクに向かいます。
平和と民主主義と希望の尊さを格調高く訴えた、かの有名な「最後の数分間(五分間とも六分間とも言われているようです)」の名演説の一節。
ラジオから流れるこの演説を聴いていた恋人ハンナの、沈んだ暗い顔にぱっと生気がさし、高く高く空を見上げます。
「ハンナ」はチャップリンの母親の名でもありました。


そして、寅さんの魅力も不滅です。やはり、見あげることと不可分ですね。


見あげたもんだよ、の巻(2021-04-19)


時により「見あげたもんだよ、風呂屋の煙突」となったり「見あげたもんだよ屋根屋の○んどし」となったりするようです。これに続くセリフが「たいしたもんだよ、蛙(カエル)のションベン」。別バージョンに「蝗(イナゴ)のションベン」というのもあるらしい。「大したもんだよ」と「田へしたもんだよ」とをかけているそうな。

実は今日の記事には「見上げてご覧」というタイトルを思いついていたのですが、この発想は過去記事で使い古していたことに気づきました。

中略)

さらにもう一つの11月3日、の巻(2015-11-03)

ところで、「教え子を戦場に送る」とは、単に彼らを戦闘の恐怖や戦死・戦傷の脅威にさらすことのみを意味しているわけではないことを、私は最近のニュー スから改めて考えさせられています。5月20日付山陽新聞に、顔写真入りで7人のアメリカ人兵士が紹介されています。

ジェレミー・シビッツ技術兵(24)
ペンシルベニア州出身。軍用車両の修理 が専門、全裸のイラク人収容者がピラミッド状に折り重なった虐待写真を撮影したなどの疑い。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)
メリーランド州出身。高校時代は陸上競技のスター選手。信仰心の厚いキリスト教徒との証言もある。収容所の手や足を踏みつけるなど6件の虐待に加担した疑い。
リンディ・イングランド上等兵(21)
ウェストバージニア州出身。高校卒業後気象学者を志し、大学で勉強するための補助がえられる軍に入隊。全裸の収容者の首に巻いたひもをひいたり、くわえたばこで全裸の収容者を指さす写真が世界中のメディアで報道され、虐待事件の”象徴的存在”に。
サブリナ・ハーマン技術兵(26)
バージニア州出身。ピザの宅配などをやりながら、大学入学を目指して入隊。全裸の収容者がピラミッド状に折り重なった背後で、グレーナー技術兵と笑っている写真が報じられた。 (以下略)

もし、戦争さえなかったら、才能にあふれた、まばゆいほどに頼もしい若者として、家族からも周囲からも、愛と誇りを持って遇されたはずの彼らが、人間と して恥ずべき残虐行為に手を染め、今、決してぬぐい去ることのできない悔恨に身を灼いていることは、同世代の子供を持ったり、同世代の教え子を社会に送り 出してきた者としては、痛ましさを禁じ得ません。
収容所の連想から、私は、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」というの映画「シンドラーのリスト」の中のセリフを思い出さずにいられ ません。同時に、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」に登場する、ミステリアスな女主人公ハンナが、強制収容所の看守としての行動を戦 争犯罪として裁かれる法廷で、繰り返し裁判官に問いかける「あなただったらどうしましたか?」という言葉も、決して人ごととは思えません。
奇しくも同じ名を持つ政治学者ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を通して「ホロコーストの残虐な実行者が、上司の命令に忠実なありきたりの官吏であったという『悪の陳腐さ』」の問題を鋭く追及しましたが、彼女が投げかけた「組織の中の個人の責任」という問題は、現代の私たちにとっても、決してさけては通れない問いかけだと思います。

ハンナつながりで、3人目のハンナの話題を添えたいと思います。無声映画で活躍し、トーキー隆盛の中にあっても頑なにサイレント映画製作にこだわり続け てきたチャップリンが、初めてつくったトーキー映画が「独裁者」でした。チャップリンは、ヒッラーをモデルとした独裁者ヒンケルと、うだつの上がらない ユダヤ人床屋の二役を演じていますが、そのユダヤ人床屋がヒンケルに間違われて、大群衆に向かって演説をしなくてはならない状況に追いやられます。最後の 5分間と呼ばれるこの演説は、「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し」と恋人ハンナに放送で呼びかけるところから始まります。このメッセージを世界の 人々に届けたかったために、チャップリンがあえてトーキーを選んだとも言われています。

「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いている 明るい光がさしはじめた 新しい世界が開けてきた 人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ 人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって 輝かしい未来が君にも私にもやって来る。 我々すべてに! ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」
「私たちは、みんなお互いに助け合いたいと望んでいる。人間というのは本来そういうものなのだ。他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きたい。人間というのは、本来そういうもので、憎みあったり、軽蔑しあったりしたくはないんだ。----」

このメッセージを、しっかりと、子どもたちの胸に届くように語ることこそ、大人たちの、なかんづく私たち教職員の役目ではないでしょうか?


先日の鳥撮り散歩で、『本命』と狙った鳥は?


後ろ姿だけ見せてくれました。


K1IM3360


K1IM3361K1IM3363K1IM3375K1IM3378


遠くて暗いので、確信は持てませんでしたが、とりあえず写しておいて、家へ帰って拡大表示してみたら、やっぱりお目当てのルリビタキ♀でした。♂には遭えませんでした。


今日はこれにて。


 


nice!(27)  コメント(4) 

nice! 27

コメント 4

アヨアン・イゴカー

中曽根氏の憲法改正の歌、ため息が出ます。

アメリカに負けて、降伏しなければ、決して実現しなかった民主主義。日本国民が独力・自力では獲得的なかった民主主義。
今の某独裁国家のように、自由な発想を専制、独裁によって奪われてしまっていると、自力で民主主義を獲得するのは、命がけ、生命の危険に晒され、非常に難しいことです。
帝国主義、軍ごく主義は、負けてよかった、負けなければならなかったと改めて思います。自力で得られたら遥かに良かったのですが、それには100年掛ったかもしれません。それまで、待つことはできません。
by アヨアン・イゴカー (2022-02-13 00:48) 

kazg

アヨアン・イゴカー様
>負けてよかった、負けなければならなかった
子どもの頃、露天商の年配のおじさんと世間話をしている中で、戦争の話題になり、ふと思いついて、「負けてよかったかも」と大人びたことを言いましたら、おじさんも大きく頷いて同意してくれたことがあり、今でもとても印象に残っています。当時の大人たちにとって、率直な感想だった思います。
by kazg (2022-02-13 08:15) 

momotaro

「戦争さえなかったら・・・」ロシアの独裁者が、今ウクライナでやってますね。独りで大罪を犯してます・・・
by momotaro (2022-03-04 04:38) 

kazg

momotaro様
>ロシアの独裁者
余りも戯画的で、笑ってしまいたくなりますが、笑うにはあまりに深刻な悲劇的事態。まさに大罪ですね。
by kazg (2022-03-04 19:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。