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とほほの旅を今日も行く、の巻 [日録]

久しぶりの同窓会


コロナのために間隔の開いていた,高知での恒例の同窓会が、今年は開催されることになり、心ウキウキと参加してきました。
第1回目はこの記事に書きました。


夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて


「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。
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10年前のことでした。
2回目はこちらの記事。


夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)(2016-08-29)


実は、昨日、一昨日の土日に、高知まで一泊旅行をしてきました。
その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。
今回も喜寿を迎える方から還暦前の方まで、東は東京、西は宮崎から、世代を越えて集まり、夜遅くまで、楽しく交歓したことでした。

(中略)

3年前の記事でもご紹介しましたが、大学同期の米田稔君(高知県議会議員)は、この会の実行委員の一人で、今回も閉会挨拶をしてくれました。

同じく同期で、病気のため勇退したものの高知県議を長く務めた牧義信君も参加してくれていました。学生時代に属したサークルは違うものの、同じ教育系サークルで、薄い間仕切りで隔てられた隣接する部室で活動していました。現在、伏見区を基盤に京都市議をしている赤坂仁君も、同期です。学生時代も、自治会執行委員長など、リーダーシップを発揮していました。そう言えば、学生自治会の委員長をつとめた歴代のメンバーが、サークルの隔てを超えて何人も参加してくれていました。全員を取り上げてご紹介したいところですが、限りがありませんので割愛します。世代はことなり、若干すれ違ってはいますが、やはり隣室の教育系サークルで活動し、自治会執行委員長等もつとめたという縁で、元衆議院議員の春名なおあきさんも、多忙な中出席。彼のブログの8月28日付け記事に、この会のことが掲載されています。一部引用しておきます。

私は○研の部員ではなかったのですが、同じ教育系サークル「○○教育研究会」の一員で、○○文化研究会と合わせて教育系サークル”御三家”だったよしみで
混ぜてもらったものです。米田県議、牧元県議、赤坂仁京都市議など、そうそうたるメンバーが県内外から50名も参集、昔話と明日の未来に花が咲きました。



3回目(臨時開催)はこちらに書きました。


卒業旅行は高知へ、の巻2018-08-26


今年の1月で、未破裂脳動脈瘤の手術から10年、また、この夏で、肺腺癌の手術から5年経過しました。それぞれ再発などの兆しがないので、いずれの病院も「完治」とみなして、「通院終了=卒業」を許可していただきました。

昨日、卒業旅行に出かけてきました。

行き先は高知。

じつは、この高知行きは、前々からの計画だったのでした。

ちょうど8月25日-26日と、高知でこんな全国集会が開かれました。

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2016年の8月に書いたこんな記事でも紹介した大学時代の同窓会は、3年に一度の開催を恒例としています。今年は、この母親大会に参加されるメンバーもあろうから、それにあわせて25日の夜、特例的に臨時開催してはというはこびになったのです。

私は母親大会への参加の予定はありませんでしたが、夜の同窓会だけには出席することにしました。

(中略 )

さて、同窓会には、私のように、それだけを目的に高知にやってきた人もありますし、昼間、母親大会に参加して来られたと、ご夫婦揃って参加された人も、ご夫婦と息子さん夫婦、さらには小さなお孫さんも連れて参加された人などもあり、思いの深さに胸を打たれます。


4回目はこちら。


高知の雨は上がっていた、の巻(2019-10-20)


高知へ行ってきました。昨日(19日)の夕方から開催された、学生時代のサークルの同窓会に参加のためです。

(中略)
その後も、開かれるたびに出席し、その都度記事にしてきましたが、今年も、東は神奈川、南は九州から、世代を超えて老若男女が出席。沖縄在住の方からは、泡盛の差し入れも戴いたそうです。

(中略)
会合の写真係を命ぜられていました。日暮れの室内のことですから、①比較的明るいレンズ、②旅先ですので軽量コンパクト、③それでもストロボの準備は必須、、、などと考えて、どんな機材が必要か、あれこれ検討して、メインはPENTAXk-r+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALという軽量セット。これにバウンス撮影が可能なストロボとしてAF-360FGZを用意していきました。
ただこれだけでは単焦点で撮影の幅が狭められることを懸念して、予備の機材として、画角の異なるレンズを用意しようか、ズームレンズにしようか、迷った末に、一応の組み合わせを準備していたのでしたが、天気予報はどうやら雨。
できれば、自由時間には屋外の散策写真も楽しみたいので、急遽機材変更を断行!明るいレンズ、・軽量コンパクトという条件を覆して、「防塵防滴」の一点からFUJIFINEPIXS1を持って行くことにしました。結構重く嵩張るリュックを背負って、高速バスを降りたころには、高知の雨はほとんど上がっていて、、結局、「防塵防滴」の出番はなくなりました。これなら、最初考えていた軽量コンパクトなセットにしておけば良かったなあ、と悔やまれました。


桂月誕生の地を訪ねてみた、の巻(2019-10-21)


私のブログには、お料理写真が滅多に登場しません。撮影前に、食欲に負けてしまうからです(笑)

ただ今回は、せっかくの高知。当然のことながら、鰹のたたきをいただきました。記録のために写しておきました。

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そして握り鮨も。

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でもこのあと、乾杯の音頭があり、お酒と歓談がすすみ、また、与えられた写真記録係の役目が意識を捉えるようになると、お料理を撮影する余裕がなくなってしまいます。新鮮な海の幸ばかりでなく、牛ステーキや、フルーツなど豊富に用意されていたのですが、まったく撮影してません。

一次会が熱く盛り上がり、誘われるままに二次会にも参加、あっと思う間もなく夜も更け切りました。三次会に向かう人もありましたが、そこは辞退し、ホテルに着いたのは、10時過ぎだったでしょうか?10月というのに、熱帯夜?エアコンを効かせて寝みました。


こうして3年ごとに実施されてきた同窓会が、コロナのため延期になりようやく今年久しぶりに実施されたわけでした。




多彩な企画と旨酒と


今回は参加人数が少し減り、30人になりました。
理由は様々ですが、やはり体調悪化、病院予約など寄る年波の影響が大きいようです。前回の集まりのあと逝去された方も複数おられます。3年に一度では、高齢者には間が開きすぎるので2年に一度にしては、との提案がなされるほどでした。
とはいえ、集うた面々は元気そのもの。いつも通りに、大いにエネルギーのおすそわけを頂戴しました。


乾杯前のプログラムに設定された今回のメイン企画は、当ブログではおなじみ、木工作家サブローさんの「美作市右手の民泊『久米屋』&蔵サウナと地域起こし」という報告でした。その一端は、以前ご紹介していますが・・・


故旧あい集いし森の青胡桃(2014-06-11)


岡山県美作市右手(うて)という地区は、木地師の里として知られています。

私の学生時代の先輩である「三郎さん」は、関西在住でしたが、退職後、奥様の実家のあるこの地区に移り住んで「木工みや工房」をひらき、木工工芸品の制作に励んでおられます。

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土蔵サウナとジビエ料理を楽しむ愉快な旅、の巻(2019-12-04)


「美作市右手(うて)」という地区は、以前こんな記事でご紹介しました。

故旧も歩けば至玉の出逢い、の巻
あっという間の連休、の巻
蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ)
いかな夢見つつ眠るや森蛙
故旧あい集いし森の青胡桃

(中略)

実は、このサブローさんが、上の記事で紹介されている丸山耕佑さんらとともに、サウナを運営する「地元住民グループ」の一員(いや、中心人物)なのです。このたび、お願いして体験学習を受け入れていただいたのでした。

「今、ドラマやコミックでサウナがブーム。いまに、数ヶ月先まで予約でいっぱい、ということになるから(笑)、今回はラッキー。」だそうです。

(中略)

人気に火がついて、国内外から客が殺到という事態は.もう少し先のようで(笑)、有り難いことに、このたびは貸し切り状態でした。ゲストハウス「久米屋」で、サブローさんご夫妻手作りのお料理に舌鼓をうち、「土蔵サウナ」もゆったりと体験することができ、身体の芯から、すっかり暖まりました。

いろり端に車座になって、積もる話がはずみます。

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地元調達の猪肉をふんだんに使った猪鍋。美味このうえなく、ぽかぽか暖まります。

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地元調達の鹿肉のタタキ。まったくクセのない、上品なおいしさです。

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あとは写真を撮るのも忘れて、お腹いっぱいいただきました。

古民家から少し歩いたところに、土蔵はあります。山深い.ひなびた村のたたずまいが想像いただけるでしょうか?

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奥に見えるのが目指す土蔵サウナです。

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続いてのプログラムは、ハチロ-くんによる、ナント!空手の演武。彼が学生時代同じ下宿に暮らしたことは以前も書きました。


多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻(2015-02-20)


さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。

ちなみに、下の画像は、「草の家」ホームページに紹介されている第9号の写真です。

(中略)

冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。

I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。

部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。

これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。

同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。

卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。

最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。

その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。

そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。


春長けてハチマルニーマルを考える、の巻(2015-03-30)


「8020(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。

1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。

詳しくはこのサイト参照 。

愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「8020(ハチマルニーマル)の20(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、80(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団1枚」です。
このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。


これらの記事で「愛知在住の旧友I君」として紹介した人物は、後にはハチロー君という呼称でしばしば登場していただいています。


非力な文系学生という印象が強買った彼が、意外にも、中高年になってから、極真会系の空手の道に入門し、有段者となったとのことで、その演武を披露してくれたのでした。俊敏な動きはとても古希とはみえませぬ。
乾杯の後は、土佐の料理と故旧の近況話などを肴に杯を重ね、2次会を含めて5時間近く、楽しい時を過ごしました。今回も写真記録係をおおせつかっていましたので、一次会の間は飲酒のペースがいくらか自制的で、二次会になってから、あれこれの旨酒ををコップ酒でいただくことになりました。


M君からのお誘い


その時点では、特段の酔いを感じることもなく、心地よく愉快に過ごしたのでしたが、雨のなか徒歩でホテルに向かううちに少し酔いが回ったようです。風呂など浴びて就寝の準備をしていると、別のホテルに宿泊しているM君が、電話をくれて、翌朝7時頃落ち合って外出し、一緒に朝食を摂ろう、とのお誘い。大歓迎です。


M君は、この同窓会の当初からの実行委員会メンバーで、今回もいつもどおり、司会を務めてくれました。


京都府宮津市在住なのですが、マイカーを縦横無尽に駆使して機動力を発揮してくれますので、時々それに便乗させてもらうことが多いのです。たとえば、こんな記事でも


ほっこりと四国弥次喜多ぶらり旅(1)(2016-03-28)


フェリーを降りると、M君がこの車で待っていてくれました。

窓ガラスにもこのステッカー。

瀬戸大橋を使わずに、フェリーで高松に渡ったもう一つの目的は、ここを訪ねること。、

「池上製麺所」と「るみあばあちゃん」については、これらの記事でご紹介したことがありました。
私版 備忘のためのおすすめ記事、の巻
「るみおばあちゃん」のうどん 続報、の巻
M君もM女史も既にこの店に行ったことがあるそうで、私を案内してくれたのでした。
おぼろな記憶と大体の地図をたよりの道行きで、行き過ぎたり、道を外れたり、行き止まり道に迷い込んだりと、愉快な弥次喜多道中を楽し無うちに、ちょうど良い頃合いに到着。

のれんをくぐると、入り口脇で椅子に腰掛けたるみおばあちゃんが、にこやかに迎えてくれます。
お願いすると、快く記念撮影に応じてくださいました。
自分の座っていた椅子から立ち上がって、こちらを椅子に座るよう促し、身体を寄せてパチリ。

上は、るみおばあちゃんとM君のツーショット。


こんなこともありました。


土日の日記を駆け足で、の巻(2016-10-10)


その午後は、倉敷で、懐かしの旧友との集い。
高知ナンバーのこんな年季の入った車で、高知、香川から乗り合わせて参加した人。

京都ナンバーのこんな車。

このステッカーに見覚えありますか?

(中略)

翌日の日曜日はM君と行動をともにし、またまた愉快な弥次喜多道中を堪能したのですが、後日機会があればご紹介するとして、今回は割愛いたします。


彦崎貝塚訪問記、の巻(2016-12-19)


そのM君とともにした行動のご報告です。
先日、 私の入院を心配して、そのM君がお見舞いのメールをくれました。ありがたいことです。
◇二日目のお四国弥次喜多ぶらり旅 の記事でもご紹介しましたように、M君は、生物・理科分野、もっと厳密に言うと水産分野が専門ですが、歴史・地理分野への造詣と関心が並々ならぬものがあります。中でも一番興味があるのが縄文遺跡巡りだそうです。香川県荘内半島の紫雲出山を訪ねたのも、そこの縄文遺跡が一番のお目当てだったのです。残念ながら、「紫雲出山遺跡」は、縄文時代ではなく弥生時代の集落跡だったのですが、、、。
歴史音痴・地理音痴を自負する私などは、行動力抜群の彼の後についていくといろいろと面白いことに出会えるので、楽しいのです。
このたびの10月の「弥次喜多道中」も、縄文遺跡を訪ねる(つもりの)旅だったのです。




そのM君、多才多趣味で、今、メンウチにハマっているそうな。麺打ちではなくて、面打ちです。


ずっと以前,この面を譲ってもらったことがありました。


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尉(ジョウ)=翁(オキナ)の面を所望して打ってもらったのでした。


それから、しばらくたって、優美な女面を送ってくレたことがありましたが、今度、新たに満足の行く出来ばえのものが打てたので交換しようと持ってきてくださいました。


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気品あるできばえです。


手元にある女面と交換する手はずでしたが、私が勘違いして尉の方を持ってきていたので、この新しい女面とともに持って帰ることにしました。


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とんだチョンボでしたが、これはトホホではありません。




翌朝のパニック  



さて、次の朝、朝食を挟んでの朝散歩の支度をしようと、バッグのなかを探りますが、あるはずのカメラが見あたらないのです。  
記録写真係の自覚から、pentaxk5Ⅱ+smc PENTAX-DA 50mmF1.8と、ricoh GXRs10の2台を持ってきて、会の撮影をしたのですが、バッグの中にはpentaxk5ⅡはあるがricohGXRが見当たらないのです。バッグの中身をすべて出してひっくり返してみてもだめ。部屋中探すも見つからず、昨夜自販機でカップ麺と寝酒を購入したときに置き忘れたかもと、フロントに聞いても、ありません。   
これは昨夜の二次会の時、会場に置き忘れたに違いないと目星をつけ、開業時間がきたら会場に確かめてみようと心を静め、とにかく今回はカメラを持たず、M君らとの落ち合い場所に向かうことにしました。M君の宿泊していたホテルには、お仲間が何人もいらっしゃったようですが、ホテルの朝食を予約している人もいて、行動を共にするのは、M君とヨシミさと私の3人の模様。いつものメンバーです。


いざ、出かけようとしたとき、ふと肌寒さを覚え、そういえば昨日は半袖ジャケットを着ていたっけ。カメラはそのポケットに入れたまま、二時会場に忘れたのに違いない、と、いよいよこの推理の妥当性を確認するに至りました。


その旨、M君らに打ち明けますと、ケーベツされるどころか,同情混じりに暖かく受け入れていただき、朝食が終わったらホテルをチェックアウトし てから、車で会場まで送ってやるよと言ってくれました。


早朝の日曜市を覗きながら,高知城につながる城下追手筋をゆっくり歩きまた引き返したりしながら、お目当ての喫茶店の開店時間8時を待って入店。ゆったりした時間とともにモーニングサービスを楽しみました。


よい散歩、よい朝食タイムでした。日曜市の様子も、喫茶店の様子も、そしてまた高知城近辺の様子も、カメラがないので写真がありません。トホホです。


降ってわいた愉しい計画


さて、ヨシミさんは朝食後、チェックアウトを済ませたら、先輩のN女子と一緒にJRで佐川町に向かう予定だそうです。NHKの朝ドラ「らんまん」で一躍脚光を浴びている植物学者牧野富太郎の郷里です。


実はこの記事で紹介した旧友安田せつこさんの地元なので、彼女が案内してくれる約束が出来ているのだそうです。


思いもかけない大ニュース!の巻


調べて見ると「しんぶん赤旗」にも、小さくこんな記事が載っています。

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候補者の安田せつ子さんとは浅からぬ縁があります。

第一は、大学の同じ学部、学科、専攻の後輩です。私は勉強好きでしたから、語学をはじめ一般教養の授業なども含めて数年がかりで習得しましたから、同じ授業やゼミでも、しばしばご一緒しました。

第二は、わが妻と同郷で、高校の同級生、大学入学当時は下宿まで同じでしたので、いきおい、しばしば共に行動する機会もありました。

第三は、ですから、卒業後も、妻とともに里帰りしたときなど、実家近くでお会いすることもある「昵懇」の間柄だったといえまず。

第四は、県は違っても、共に教職に就き、組合運動にも携わってきた共通点から、実際にお目にかかる機会は稀であっても、変わらず心通じる間柄だったと言えます。

第五は、当ブログでもしばしばご紹介している、数年前から何度か開かれている大学時代のサークルの同窓会でお目にかかる機会が増えました。(中略)実は、厳密に言えば、せつ子さんはサークルは一緒ではないのですが、親しい友人が多いので、この同窓会に参加してくれることが多いのです。

去年の会では、知る人ぞ知るオハコの落語を、和服姿で披露してくれました。

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進んで人前に出しゃばるタイプの人ではなく、穏やかで温かい人柄でしたから、落語を演じる姿に驚きかつ感心したものでしたが、今度は何と県議選に立候補とは、、。またまた、とっておきの友だち自慢のネタが増えました。


そういうことなら同行したいと、私もM君も参加することに。JRよりは車で行こうというM氏の提案により、話がまとまりました。


まずは、それぞれホテルのチェックアウトを済ませ、M君の車に乗り合わせ出発。途中、前日の会場に寄ってもらいました。職員の方に事情を伝え、前日使った部屋まで、ご親切に一緒に探しに行ってもらいました。


が・・・、目当てのものは、ないのです。


がっかりです。


ジャケットや,カメラそのものは諦めるにやぶさかでありませんが、前夜撮影した画像は、取り返しがつきません。トホホです。


念のため、恥を忍んで、ホテルに事情を話して,落とし物がないか調べていただきました。数刻後、折り返し電話が入り、「ありました」とのこと。恐る恐る「どこに?」と訪ねると、「お部屋の中にありました」とのこと。嬉しいやら、恥ずかしいやら・・。自己不信がますます増幅したことでした。




佐川町探訪記(序)


佐川町のことは、下の記事でちょっとだけ書きました。


春らんまん、の巻(2023-04-06)



NHKテレビでは、牧野富太郎博士をモデルとする朝ドラ「らんまん」が始まりました。


酒蔵・峰屋の跡取りとして生まれた槙野万太郎が主人公です。

(中略)

牧野博士の出生地佐川町は、地域の「子供会」がらみの縁で、何度か足を運んだことがある土地ですし、親しい友人の嫁ぎ先でもあり、格別の親近感を覚える土地でもあります。ずっと後になって(「昭和」の終わりの頃でしたか)、職場の職員旅行で高知への旅の一環として、「司牡丹酒造」の酒蔵を見学し「利き酒」を楽しんだこともありました。大吟醸とか純米酒とか、色々ある酒の種類を利き分けるクイズなどもあり、全問正解で「認定証」をいただいたことがありました。実は同行のMさんの答えをチラチラ見ながら、カンニングさせていただいた結果でした(汗)が、それなりに確信を持って書いた答えではありました。悲しいことに、昨年はそのMさんの訃報に接することになりました。
北隆館 「学生版 牧野日本植物図鑑」は,今も愛用しています。高知市五台山にある高知県立牧野植物園には、学生時代、専攻の教官・学生らとともに、研修(親睦)旅行に連れられていった記憶がボンヤリあります。


上の記事で、「親しい友人の嫁ぎ先』と書いた「親しい友人」とは、このたび町内を案内してくれた安田せつこさんのことでした。


町の中にはまだこんな立て看板が残っていました。


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あたかも町の風景の一部と化しています。


この安田さんが,佐川駅で待ってくれていました。


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駅前の陸橋にも大きな横断幕がかかっています。


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町中で,「らんまん」と牧野富太郎を売り出している様子がわかります。


下のシュールな(?)画像は、駅の真ん前にある郵便ポストと、M君のコラボ画像です。


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郵便ポストに乗っているのは、牧野博士が最も愛したというバイカオウレンをかたどったデコレーションです。


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さてこの後の佐川町見学記は、会を改めてご紹介できればと思います。


しばらく更新していないために、煩わしいCMに占領されている初代「ナードサークの四季」を,昨日少しだけ更新し、その一部を掲載しましたのでご覧ください。


牧野富太郎の故郷のヤマボウシ、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)


今日はこれにて。


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八犬伝

カメラ見つかって良かったですね。
さぞや、ほっとされたことでしょう。
by 八犬伝 (2023-05-16 00:34) 

kazg

八犬伝 様
ありがとうございます。ほんとうにそのとおりです。ほっとすると同時に、どっと疲れトラブル自己嫌悪に襲われました・・同じようなことばかり繰り返すものですから(
by kazg (2023-05-16 20:28) 

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