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アサギマダラ再び、の巻 [日録]

私が少しお手伝いをしている教育相談所の相談員仲間であるN山さんが、先日、ふとした雑談の中でアサギマダラを話題にされ、「大雄山にいらっしゃいましたか?」と問われました。


私は全く見当がつかず、「どこ?」と問い返しましたところ、瀬戸内市邑久町にある山で、山頂の展望台付近にフジバカマが植栽され、そこに多数のアサギマダラが飛来するののだとか。そして10月の今の時期が適季なのだと教えてくださいました。


大いに心引かれましたが、忙しさにかまけて日が経ちました。今日は少し余裕ができたので、思い切って出かけてみました。


地図は見てから出かけたのですが、道に迷いました。私の乗る中古車は、元の持ち主がカーナビを搭載してくださっていましたが、データが古いのか、肝心なときに役に立たないことが多いのです。スマホの道案内に頼って、何度も迷い道しては引き返しながら、ようやく立派なお寺の前に出ました。


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帰って調べてみると、大雄山大賀島寺(だいゆうざんおおがしまじ)は「奈良時代に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つと伝えられる古刹。戦国大名・宇喜多家や岡山藩主・池田家の尊崇が厚く、ゆかりの古文書や用具などが伝わっている。」とありました。


ちょうど農作業中らしいご近所の方を見かけ、「展望台」への道を尋ねると、「ここを左に曲がって少し言ったところですが、車でも行けますよ。」と教えてくださいました。


上り詰めると、素晴らしい見晴らしです。その名も「アサギ平」の看板がありました。


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少し離れた2カ所に新旧の「フジババカマ園」がありました。


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居合わせたカメラマンさんたちのお噂では、地元TVのRSK山陽放送が、二・三日前に取材に来たが、その時はたくさんの蝶が現れたが、今日は少し少なめ、とか。


「おー来た来た!夢があるでしょう。」海を越え1000キロ以上移動「旅するチョウ」が大雄山にやってきた【岡山】(RSK山陽放送) - goo ニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/rsk/region/rsk-776123.html


それでも、十分堪能させてもらいました。


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ところで、過去記事でも、アサギマダラの写真を載せたことがありました。


今年も晴れた10月10日、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)(2019-10-10)


深山公園では、ヒヨドリバナが群生する場所に、アサギマダラがいくつも舞っていました。

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アサギマダラの食草としては、フジバカマがよく知られていますが、よく似たヒヨドリ花も好きなようです。


アサギマダラに関する記事も、何度か書きました。愛知在住の旧友ハチロークンについて,前回記事にいろいろ書いた中で、夏の終わりの高知行、の巻(その5)(2016-09-02)を引きましたが、別の箇所を引用します。


さて、昨日までの記事で、思わせせぶりに先のばしてきた、今回の高知行の第2の目的とは?

高知が生んだ反戦詩人、槇村浩ゆかりの地を訪ねたいという「宿願」を達成することでした。
槇村浩については、これまでこんな記事を書いてきました。
◆サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻◆「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻
◆槙村浩と三月一日◆ビクトルハラをカーラジオで聞くの巻◆もうひとつの911
◆懐かしき便り嬉しき聖夜かなの記事では、こんなことを書きました。

もう一つの郵便物は、高知のN先輩からサークル会誌第11号が同封されたお便り。 (省略)この会誌11号は、ほとんどこのN先輩が中心に編集・発行してくださっています。(中略)

巻末の「事務局だより」に、高知県生まれの詩人槙村浩(まきむらこう)の生誕100周年を記念して今年11月に出版された雑誌『ダッタン海峡』10号の紹介があり、別刷りで、雑誌『ダッタン海峡』10号の目次を印刷してくださっていました。

雑誌『ダッタン海峡』は、「ダッタン海峡——ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××革命の同志たちに——」と題する槙村浩の詩のタイトルにちなんで名付けられた雑誌のようです。高知市枡形にある「平和資料館・草の家」のこの記事 が参考になります。


ついでにこの過去記事も引用しておきます。


サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻


昭和初期の詩に
てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った
という、際だって短い作品があります。(中略)ところで、「ダッタン海峡」と題する冊子が、私の手元にあります。
以前この記事で、触れたことがありました。
◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻高知出身の 反戦詩人槇村浩(まきむらこう)の生誕一〇〇周年を記念して刊行された冊子です。表題の「ダッタン海峡」は、槇村のこの詩にちなみます。

ダッタン海峡
――ダッタン海峡以南、北海道の牢獄にある人民××同志たちに――
槇村浩

(中略)

つぎは、槇村が属し、その故に治安維持法による弾圧の対象となった日本共産党の機関紙「赤旗」の記事です。

文化/反戦詩人・槙村浩生誕100年/「間島パルチザンの歌」に新たな光/高知と朝鮮人民つなぐ

高知出身の反戦詩人、槙村浩。ことしは生誕100年です。日本の支配に抗して蜂起した朝鮮人民をうたった「間島(かんとう)パルチザンの歌」(1932年)。この詩の舞台・間島と高知とのつながりも生まれ、あらためて光が当たっています。 児玉由紀恵記者
〈思い出はおれを故郷へ運ぶ/白頭の嶺を越え、落葉松(からまつ)の林を越え―〉
印象的な詩句から始まる「間島パルチザンの歌」。間島は、現在の中国延辺(えんぺん)朝鮮族自治州にあたる地域。詩は、朝鮮を統治する日本軍に抵抗する抗日パルチザンの青年(おれ)を主人公にしています。
貧窮にあえぐ朝鮮民族の姿や、「大韓独立万歳!」を掲げた19年3月1日の朝鮮全土での蜂起と日本軍の大弾圧。さらに国際連帯を奏でる200行近い長詩が劇的に展開し、終連近くではこううたわれます。
〈おれたちはいくたびか敗けはした/銃剣と馬蹄はおれたちを蹴散らしもした/だが/密林に潜んだ十人は百人となって現れなんだか!/十里退却したおれたちは、今度は二十里の前進をせなんだか!〉
この詩が発表されたのは、プロレタリア作家同盟の機関誌『プロレタリア文学』1932年4月臨時増刊号でした。
多喜二虐殺の時代
前年9月には、「満州事変」が勃発。天皇制の専制政治、アジアへの侵略に反対するプロレタリア文化運動の刊行物などは、発売禁止となり、持っているだけで捕らわれたりしました。33年には、小林多喜二が虐殺されています。
この詩が、発表の数年後には、舞台である間島地方に伝えられていたことが明らかになりました。延辺に住んだ作家の戸田郁子さんが、『中国朝鮮族を生きる』で、そのことを伝えています。戸田さんの恩師、延辺大学の歴史学者が小学生のころ(35、36年ころ)の話。日本に留学経験のあった教師が、授業中に朝鮮語でこの詩を朗読した、というのです。
日本の植民地時代に間島でこの詩が読まれていたとは! 衝撃を受けた戸田さんは2009年11月、高知を訪ねました。
「延辺をたった時は50㌢積もる大雪でした。高知に着いて南国のシュロの木や日差しの温かさに驚き、ここで育った詩人が、あの間島の風景や厳しい冬の季節を描いたのかと、胸に迫るものがありました」と戸田さん。若い日、韓国で歴史を学びながら、槙村のこの詩に民主化をめざす韓国の人々のたたかいを重ねていました。「戦時中にこれほど朝鮮人に寄り添った日本の詩人はいません。どれほど尊いことかと思います」
2日に高知市で開かれた「槙村浩生誕100周年記念のつどい」。戸田さんは、ここで講演し、槙村の詩でつながった延辺と高知をさらに太くつなぐ「懸け橋になろう」と呼びかけました。
槙村浩の会会長で詩人の猪野睦さんは語ります。「あの時代に槙村の詩が伝わっていた話にはびっくりしました。7年近く前、文学の集いで延辺に行った時、槙村のこともこの詩のことも知られていた。槙村はここで生きていると思いました」
「記念のつどい」の成功に向けて尽力してきた高知市内の「平和資料館・草の家」の館長、岡村正弘さんは言います。「文化的な重みで〝北の多喜二、南の槙村浩〟と言いたい。9月には延辺への旅も計画しています。友好のきずなをさらに強めたいと思います」
「間島パルチザンの歌」が発表された月に検挙された槙村は、獄中での拷問、虐待に屈せず、非転向を貫きました。26歳で病没。「不降身、不辱志」(「バイロン・ハイネ」)と記した志は今も輝いています。
槙村浩(まきむら・こう)は、1912年6月1日、高知市生まれ。本名・吉田豊道。幼時から抜群の記憶力、読書力を示し、「神童」と報じられます。海南中学時代、軍事教練に反対し、30年、岡山の中学校に転校処分。『資本論』を読み、マルクスに傾倒。
31年、高知でプロレタリア作家同盟高知支部を結成し、共産青年同盟に加盟。32年、兵士の目覚めを促す「生ける銃架」、「間島パルチザンの歌」を発表。日本共産党の党員候補に推薦されます。高知の連隊の上海出兵に反対行動を展開し、4月に検挙。治安維持法違反で懲役3年に。拷問などで心身を壊し、35年6月に出所。獄中で構想した革命への情熱あふれる詩「ダッタン海峡」や「青春」「バイロン・ハイネ」、論文「アジアチッシェ・イデオロギー」などを一挙に書き、東京の貴司山治に出版を託します。
36年、高知人民戦線事件で再検挙。翌年、重病で釈放され、38年9月3日、病没

貴司山治に託された原稿は、官憲の捜索や空襲から守られ、64年、『間島パルチザンの歌 槙村浩詩集』刊行の基に。84年、『槙村浩全集』刊行。(2012年06月24日,「赤旗」

ところで、この記事の執筆者として「児玉由紀恵記者」と名前がでています。 実はこの方、大学時代の同じ学科・専攻の先輩です。

この「大雨の中を嬉しき宅急便」の記事で、N先輩から送っていただいた宅急便のなかには、このポスターも入れてくださっていました。

懐かしいポスターです。
大学に入学仕立ての頃、同じ専攻の先輩女学生=Kさんのアパートの、室の壁に、このポスターが貼ってあったのが印象的でした。彼女が卒業される時、「形見分け」のそのポスターを無理にせがんで戴いたような記憶があるのですが、実物は見あたりません。
K さんは、大学卒業後上京され、政党機関誌「赤旗」日曜版の編集部に「就職」され、今も活躍されています。文化欄の紙面に署名入りの記事が掲載されるたびに、懐かしく励まされたものでしたが、最近は、若手を育てる立場で、自らの署名記事は余り書けないのよと、おっしゃっていました。

実は、そのkさんが、児玉由紀恵記者です。
さらに実は、今週末、ここに書いたN先輩らのお骨折りで、当時の知己や遠い先輩、後輩たちが集う同窓会が高知で予定されています。
前回は2013年の夏に開かれ、↓この記事にあらましを紹介しました。私にとっては、肺癌手術を終えて、退院直後の頃でした。

夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて

懐かしい方々との再会に心弾み、指折り数えて週末を待っているところです。



ダッタン海峡を越えた蝶はアサギマダラだろうかと言われているそうですね。(中略)アサギマダラは「浅葱斑」。浅葱色 (薄い葱の葉のような、藍染の薄い青色)の斑模様にちなんだネーミング。「浅葱」を「浅黄」と書く場合がありますがこれは誤用、ということらしい。

今日はこれにて。


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イスラム教徒

こんにちは

私はイスラム教徒です。 イスラム教について学ぶよう人々を招待します。

私のブログを見てくださいイスラム教についての写真やビデオで説明しています

https://jpis1.blogspot.com/2017/03/httpsislamhouse.html

幸せな人生をお祈りします……ありがとう


ムスリムは創造主である唯一の真の神へ従う者だ

我々は唯一の御方、創造主、真実の神(アッラー)のみを崇拝しなければならない。

者を援助、食物を与え、支えるように勧めている。

イスラームは、人種や肌の色や国籍に関わらず全ての人間は平等であると教えている。

イスラームとは唯一の真の神であり創造主へと従うという意味だ。

ムハンマドは40歳になった時に、天使ガブリエルを通じて啓示を受けた。

預言者ムハンマドは述べた。「もし、ある男がイエスを信じ、私(ムハンマド)を信じるなら、彼は二倍の報酬を得るだろう。」

イスラームは私達の両親と高齢者を敬い、気に掛けるように命じている。

彼は人種、肌の色または国籍に関わらず全ての人間は平等であると言う。

し主の許しを乞うこと。己を愛するように人を愛すこと。

全体を異教と偶像崇拝から、唯一の神(アッラー)へのタウヒードと従順へと変えた

イスラームは弱者、貧者、困窮者や障がい者を援助、食物を与え、支えるように訴えている。

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「45秒で説明される無神論」

https://youtu.be/6bmey_iCKvc

無神論の定義:

無神論とは: 創造主の存在を否定するという考えに基づく哲学的教義。

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【 人生の意味 】

https://youtu.be/bBCC1qaOkWw

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ある宗教の真偽を見極めたいと思う者は、その感情や感覚、習慣に照らし合わせて判断するのではなく、むしろ理性と知性に依拠して判断すべきである。

諸預言者を遣わした時、神は彼らが神から遣わされた真の預言者であり、 彼らに託された教えが真の宗教であることを証明するために奇跡や証拠を示し、彼らを支えたのである。


このウェブサイトは、いくつかの人々が尋ねるいくつかの重要な質問に答える:

1- クルアーンは本当に神によって啓示された言葉なのか。

2- ムハンマドは本当に神によって遣わされた預言者なのか。

3- イスラームは本当に神からの教えなのか。

((( イスラームの真実性の証しでは )))

https://www.islam-guide.com/jp/

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イスラームでは

説明

これらは包括的な言葉であり、イスラム教の原理、柱、長所、目的を示しています。
これは、イスラムを理解するための鍵です。

http://bit.ly/2rqslnj
by イスラム教徒 (2023-10-18 19:54) 

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