いろいろ後楽園、の巻 [カメラde散歩]
前回までに、RICOH GX200による白黒後楽園をご紹介しました。
つらつら思い出すに、子供時代から学生の頃まで、残されている写真は、皆、白黒写真です。学生時代の写真もほとんど白黒で、何枚かのカラー写真が混ざるようになるのはその終わりの頃(1970年代)から就職後のことです。
「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに」が流行語となっ頃には、もうカラー写真が当たり前になっていましたっけね。ウィキペディアにはこんな記事があります。
写真プリント・写ルンです
長く続くロングランCMであり、特に樹木希林の出演で親しまれていた。樹木は悠木千帆時代の1970年代から30年以上にわたり富士フイルムのCMに出演してきた。
特に樹木扮する綾小路さゆりと岸本加世子扮する街の写真店の店番(のち店長)とのやり取りを描くシリーズが有名である。その中でも1980年の「美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」は当時の流行語となるほどの反響だった。この言葉は樹木の発案による物で、当初は「美しくない方も美しく」だったのが、樹木が言葉に違和感を覚え、「「それなりに写ります」にして欲しい、日本語としてきれい。「美しくない」という表現も美しくない」と要望したことから、このような表現となった。
思い出しついでに、カラーフィルムと言えば、「フジ」よりも「サクラ」の方がなじみ深かったっけと思いつつググってみると、同じくwikiにこう書いてありました。
小西六写真工業は日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長し、戦後の国内シェアは、さくらカラー(のち「サクラカラー」に変更)が富士写真フイルム(現:富士フイルムホールディングス)のフジカラーを圧倒する状態が続いた。しかし1970年代に入ると、圧倒的な広告費を投入して知名度を向上させたフジカラーがシェアを逆転した。サクラカラーはその後、コニカカラー、コニカミノルタカラーフィルムを経て事業撤退するまでの間、ついに首位の座を奪いかえすことはできなかった。
(中略)
2006年、写真フィルム・レンズ付きフィルム・感材(印画紙・薬品)を含めたDPE分野の事業を大日本印刷(DNP)に譲渡して撤退し、コニカブランドのフィルムは事実上消滅した。その後2009年にDNPも生産を打ち切ったため、完全にフィルム製造およびフィルム販売事業から撤退した。
栄枯盛衰を感じます。
いま、カメラ店を覗いてみると、カラーにせよ白黒にせよ、フィルムそのものがほとんど店頭に見当たりません。(カメラ付きフィルムだけは、若者層にちょっと人気だそうですが)
古い時代のカラー写真は、年月を経て黄色く色あせ、もはや画像そのものがぼやけてしまっています。それに引き換え、モノクロ写真の方が、時を経ても鮮明な姿を保っていることは、感慨深い気がします。
いま、デジタル時代になって、いつでも鮮明な画像に触れることができるのは(データが壊れない限り、また、データを読み取る技術が消滅しない限りという条件付きではありますが)、ありがたいことです。
今日は、GX200による後楽園のカラー写真を掲載させていただきます。
色つきの、いろいろな後楽園をお楽しみください。
駐車場横の塀沿いの歩道が、白黒設定ではこう写りました。
これはこれで雰囲気がありますが、・・・
カラーにして初めて、紅葉の赤に気づきます。
園内の紅葉を少々ご紹介します。
昨日白黒でご紹介した水辺のモモちゃん付近の風景も、カラーにすると空の青さと光の明るさが際立ちます。
石灯籠労のある風景。
防虫の菰(コモ)が巻かれた赤松と、茶室のある風景。
今日はここまで。
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