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続々芋づる式、の巻 [日録]

先日の記事汽車の話、の巻でモズの写真を載せました。今年の初撮りでしたが、機材がイマイチ非力でしたので、「いずれまた写す機会があるでしょう。」と書いておきました。

モズは、秋から冬にかけての季節感をしっかり味あわせてくれる鳥で、珍鳥とは言えまいまでも、その声も、小柄ながら精悍なその姿も、たいそうゆかしい鳥ですので、ついついカメラを向けたくなります。

この記事を書いたのは、つい最近のことのように思えましたが、一昨年のことでしたね。

コットン水車もまわってる,の巻(2020-09-18)

後楽園の水路を水車が回っていて、涼を感じさせてくれます。

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ところで、ここを通るといつも「コットン水車もまわってる」というフレーズが,口をついて出てきます。「もずが枯れ木で」の歌の一節です。古いところではこんな記事を書いたことがありました。

ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。(2013-09-29)

元職場では、廊下で出会った時など同僚のSさんと、百舌の鳴き声を確認しあうのが、この季節の習わしになっていました。Sさんは音楽にも秀でた方で、洋楽のレパートリーも豊富なのですが、「『もずが枯れ木で』が好きなんです」とおっしゃったことがありました。
私もモズを見ると、この歌を想い出します。
もずが枯れ木で
【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁
もずが枯木で鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる
みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ
兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

(中略)

「兄さ」は徴兵により、凍える満州に送り出されていきました。
サトウハチローの作詞が昭和10年(1935年)、徳富繁の作曲が昭和13年(1938年)だそうです。
軍国主義華やかなりしこの頃、人為による「兄の不在」、「愛する者の不在」を、こうも切々と訴えた詩が生まれたことは、驚きです。この時代、反戦や民主主義を目指す思想や運動には徹底的な弾圧がくわえられ、ありとあらゆる芸術、文化、言説が、「戦意高揚」へと駆り立てられていきました。
石川達三の「生きている兵隊」(『中央公論』1938年3月号)が発行禁止処分を受けるなど、表立って「反戦」を唱えなくとも、少しでも戦争の悲惨を伝え、戦意喪失させるような作品は、発売禁止にされました。そんなご時世に、「鉄砲が涙で 光っただ」なんて、日本男児にあるまじき「女々しい」歌が検閲を免れ、地方の民謡として歌い継がれたことは、希有な奇跡だったかも知れません。.

まったく牽強付会の、文章展開ですが(汗)、「もずが枯れ木で」の歌詞には、「綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる」とあります。「綿引き車」「コットン」と二つも綿に関わる言葉が出てきますので、きょうの話題は「綿」に決めました(汗)。

モズについては、以前から何度も書いています。

これも、随分昔の記事です。

高鳴きするモズの姿をとらえました、の巻(2017-10-01)

大きな声で、高鳴きしています。
毎年、秋~冬の記事にしょっちゅうモズが登場します。
一番最近の登場は、この記事↓のようです。
◇も一度一本の鉛筆、の巻そこでも引用しましたが、この記事↓に、モズにまつわる蘊蓄をいろいろ書いています。
◇散歩道のモズが思い出させたこと、の巻
そしてこの記事↓にも。
◇ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。
今日の記事では、くり返しません。
今日、思い出したのは、先日観劇した劇団青年座「ブンナよ木から下りてこい」(水上勉原作)の一場面です。
◇金星と月寄り添ふや野分晴

(中略)

椎の木のてっぺんの、わずかな土の中に身を潜めているブンナの頭上に、音をたてと放り落とされたものは、瀕死の状態の雀と百舌でした。
こんな会話が聞こえて来ます(原作本から引用します)。

「わたしをたべないだろうね……百舌さん……わたしは、鳶につつかれて、半殺しの目にあって、こんなところへつれてこられたんだ。 羽のつけねが折れて立つこともできない……。百舌さん……おまえさんは、こんなわたしを、たべたりはしないだろうね」
ブンナはびっくりしました。 雀が話している相手は仲間ではなくて、百舌らしいからです。いや、おどろいたことには、雀は、鳶にさらわれてきたようです。羽のつけねを折られ、このてっぺんにつれてこられて泣いていることがわかったのです。
「たべないさ。おれだって、おまえさんと同じ身だ。おまえさんは、羽のつけねなら、まだいいほうだ。みてごらん。 おれはうしろ首をあの、鳶のヤツのくちばしで突かれて、ここをわしづかみにされた上に、何度も地べたに落とされたから、じまんのくちばしも折れてしまった。たべはしないよ。たべたって、おれの寿命がのびるわけでもない。おれたちは、ふたりとも、やがて鳶のねぐらへつれてゆかれて、餌食になる運命なんだ。こわがらなくてもいい。雀くん……」
百舌がそういっています。ブンナは、からだがこわばりました。百舌も、鳶にやられているらしいのでした。さらに驚いたことには、この椎の木のてっぺんは、鳶がねぐらへえさをはこぶとちゅうの貯蔵場所だったのです。

翌日の記事にも、話題は続きます。

百舌とブンナと彼岸花、の巻(2017-10-02)

鳶の暴虐の前には、哀れな百舌はなすすべもなくその命を差し出すしかないのですが、カエルは常にその百舌の犠牲者です。
以前書いたこの記事では、はやにえとされた無惨なカエルの骸を話題にしました。
◇冬天(とうてん)を仰ぎて骸(むくろ)乾きたり

新潮文庫の「ブンナよ木から下りてこい」の末尾には、作者水上勉からの「母への一文」というメッセージが添えられています。
一部を引用します。

私は、この作品を書くことで、母親や子供とともに、この世の平和や戦争のことを考えてみたかった。 それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでゆくことの裏側で、とりこぼしてゆく大切なことについても、いっしょに考えてみようと思った。まことに、今日の学校教育は、人なみの子にするというよりは、少しでも、他の子に勝る子にしあげようとする母親の願いを、ひきうけているようなところがあって、子は、ひたすら学習であけくれている。 いったい誰が人なみでいることをわるいときめたか。また、人なみでないことをダメだときめたか。そこのところをも、私は子供とともに考えたいと思った。生きとし生けるもの、すべて太陽の下にあって、平等に生きている。蛙も鳶も同じである。 だが、この世は、平等に生きているといっても、弱肉強食である。賢い者は愚かな者を蹴落し、強い者は弱い者をいじめて生きている。動物の世界だけではない。人間の世界がそれである。
ブンナは、こんな世の中で、もっとも弱いものの象徴である蛙である。ブンナという名は、釈迦の弟子の一人の名にちなんでつけられているが、賢明な弟子の苦悩を、ブンナは蛙の身でなめるという物語である。
母たちに、 右のような作者の思いがったわっておれば、子供に話しきかせる方法もまたちがってくるだろう。 今日の学歴社会を生きぬこうとする凡庸の子らに、どのような夢を作者は托したか。凡庸に生きることが如何に大切であるかを、 母親は先ず自分の心の中で抱きとって、子に話してほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい事件のすべてが、子供に、なんらかの考えをあたえ、この世を生きてゆくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる。

今朝のカメラ散歩で写したモズはこちらです。

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ここ数日、何度かモズに出会うたびに、写そうとはしたのですが、機材が非力で、お見せできるような画像がありませんでした、今朝の散歩は、PENTAXK5Ⅱ+トキナー100-300mmAF+miniborg50の組み合わせで、期待以上の写りでした。

今日はこれにて。


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