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バラ園の「カレーの市民」、の巻 [私の切り抜き帳]

RSKバラ園散策記事の続きです。


バラ園のなかに彫刻が展示してありました。


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ロダンの「オルフェ」と紹介してあります。


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もうひとつは、おなじくロダンの「カレーの市民」とあります。


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ロダンの彫刻と言えば、倉敷市の大原美術館本館入口の、よく目立つ場所に存在感を持って二体の像が立っているのが思い出されます。


私自身、何度か撮影しているはずですが、画像がすぐには見当たりません。


ウィキペディアの画像をお借りします。


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向かって右側に立つのが『カレーの市民ージャン=デール』、左側は『説教する聖ヨハネ』だそうです。


ブログを始めたばかりの頃、こんな記事を書きました。


私の病気自慢 再び2007年問題(2013-12-18)


今年の3月 退職まぎわに、機会を与えられて生徒に話した話の抜粋です。


おととい後楽園を散歩していましたら,去年の卒業生にバッタリ出会い、声を掛けてくれました。うれしい「縁」を感じました。
後楽園は,桜のつぼみがふくらみはじめた状態でしたが、色とりどりの梅や椿が咲きそろい、タンポポやナズナやオオイヌノフグリといった野の花が、春を謳歌していました。
ふと、37年前の同じような春の日、友人と後楽園を訪れたことを思い出しました。

(中略)

私は、その春、新採用でT高校へ赴任することになったので、学生時代を過ごしたK県から,T市の下宿先まで引っ越し荷物を運ぶ必要がありました。
私は当時、運転免許も車も持っていなかったので、借り物のおんぼろワゴン車を友人に運転してもらって,T市へ向かう途中、後楽園で一休みしたのでした。
まだ瀬戸大橋も高速道路もない頃で、大歩危小歩危などという有名な難所を越え、宇高フェリーを使っての長い旅でした。友人は、岡山には用事もゆかりもなかったのですが、友情を発揮して,ドライブがてら私の引っ越しの手伝いを引き受けてくれたのでした。大原美術館にも寄ったりしながら、,T市まで私を送り届けてくれて、彼は、K県に引き返しました。教師生活のはじまりから、こうして人のお世話になり続けて37年経ちました。


その時立ち寄った大原美術館の正門前で、一緒に記念写真を写した記憶があります。その時のあいまいな記憶から、たしか、大原美術館にはロダンの「考える人」が置かれていたはずだと、長く思い込んでいましたが、この錯覚に気づいたのは最近のことです。「考える人」を直接見た記憶はあるのですが、それは、学生の頃の、上野の国立西洋美術館での体験だったようです。


大原美術館本館前に立つのが「カレーの市民」だということは、私の中で記憶の修正が行われてはいたのですが、「カレーの市民」とはどのような作品か、そしてまた、RSKバラ園になぜ「カレーの市民」かという興味が湧いてきたのでした。


色々調べておりますうちに、こんな記事に行き着きました。


”反戦平和の象徴”ロダンの『カレーの市民』岡山に2体目(http://hanaara.jp/omosiro/rodan.htm)


元RSK社員で、郷土史への造詣深く、杉原姓研究、ダンス、ラーメン研究と多趣味・多才ぶりを発揮しておられる杉原尚示さんのホームページです。SNSを通して、記事引用のぶしつけなお願いを申し出たところ、温かいメッセージとともに快諾を得ましたので、記事の一部を紹介させていただきます。


600年余り前、英仏の100年戦争の惨劇でした

西洋史をひも解いてみますと、「1339年~1453年の間(日本では南北朝時代から室町時代のころ)、イギリスとフランスの間で、領土や王位継承などを巡って断続的に行われた戦争(100年戦争)」なんていうのが出てきます。
あ、私はこういう方面には詳しくないのですが?あのジャンヌダルクも活躍した戦争らしいです。
その中でフランスの港町「カレー」が、イギリス軍に包囲され、1年以上にわたる長い包囲兵糧攻めで、あわや悲惨な全滅?と言われるまでに至ったのだそうです。
1347年やむなく降伏交渉にいたるわけですが、イギリス側に市の主要メンバー6人が出てくるように要求されます。
カレー市の裕福なメンバーを含む6人が志願し、死を覚悟して門のカギをもって出ていくわけですが、その時の様子を後世(1888(明治21)年完成)ロダンが像にしたものです。
この像は、当時期待された「英雄的な表現」ではなく、敗北し、死を覚悟して、惨めな裸に近い格好であったため、物議をかもしたともいわれます。

おっと、後日談ではこの6人、イギリス王妃が妊娠中だったため「惨たらしいことをこの子に見せたくない」とイギリス王を説得し、死刑は免れたとかいう美談が残っています。

エディション12まで鋳造されました

「カレーの市民」像は6人の人々を表現して、6体があります。
ブロンズ像は、作者がまず粘土などで原型を制作、それを石膏などで型取り。次に鋳造所の職人が金属を型に流してブロンズ像を制作する。という工程だそうです。
これではいくらでも複製が出来るため、作者によりあらかじめ何個作るか決められていて、それを「エディション」と呼ぶんだそうです。
ロダンの場合、その数を決める権利をフランス政府が持っていて、「カレーの市民」はエディション12まで作られています。
それが世界各地で展示されているのです。6人が並んでいるものと、そのうちの1人だけが展示されているものがあるそうです。
岡山県の場合、幸いにも大原美術館とここRSKバラ園に、それぞれ一人の像があり、観光客や県民に披露されているのです。
大原美術館のは「ジャン・デール」(大きな鍵を持っている)の像で、RSKバラ園のものは「ジャン・ド・フィエンヌ」像で、着衣を着ている人です。
右写真は、RSKバラ園の「カレーの市民」の足元、ロダンのサインです。

大変な交渉でした

RSKは当時(1983年)地域に放送文化を発信する拠点として「RSKメディアコム」という建物を建てようとしている所で、その象徴としての美術品を探している所でした。
そこで、当時の河内山重高社長の発案で、「ロダンの像はどうか」ということになり、担当者に任命されたTさんを中心に、大変な努力が払われたようなんです。

以下Tさんです。     
当時は私もそう言う方面には知識もなく、ただ絵画がいいか他には?絵画は傷みやすいので、ブロンズ像のほうがいいのでは、という所から出発しました。
そこで県下で大原美術館や岡山大学の先生などにも相談していました。
その時社長がロダン美術館と直接交渉して買ったらどうか??と言われて・・。
TBS(RSKを含むテレビ系列JNNの東京キー局)のパリ支局にも相談して交渉してもらったのです。
で、今(ロダン美術館として)出せるのはこれこれで、カレーの市民には12あり、半分は営業レベルで出されて、他は公共の場に飾ることで出されるということが分かり、あとは展示するメディアコムの趣旨や公共性を説明することに力を尽くしました。
その時、岡山県北に「大聖寺」というお寺さんがあり、そこの副住職夫人が日航勤務でエールフランスの人とも伝手があることがわかり、いろいろとご協力いただきました。
その結果、共有の場に展示するものとして、ロダン作の「カレーの市民」と「オルフェ」をいただけることになり、無事神戸港へ上陸したときには、本当に嬉しかったです。(中略)

その結果、カレーの市民がRSKバラ園に来ることになり、本当に良かったです。

ロダン美術館の証明書が

あと、私の興味は、当時のロダン美術館とRSKとの契約か何か残ってないか?ということでした。
完成したばかりのRSK新館にお邪魔しました。
そこには、当時の2体のロダン像のいわば「売買契約書」と、ロダン作の彫像であるというロダン美術館の証明書が残っていて、写真に収めさせていただきました。
下の写真、ロダン美術館の証明書で、左が「オルフェ」、右が「カレーの市民(ジャン・ド・フィエンヌ)」のものです。

ロダン作の「反戦平和の象徴」でもある彫像が岡山県に2体も

こうして、ロシアによる侵略戦争が始まった今、世界のロダンの彫像、それも反戦平和を願う思いがこめられた「カレーの市民」のおかれた意義ははかり知れないと思います。。
日本では唯一「エディション9」の「カレーの市民6人」を展示してある「国立西洋美術館」とともに、ここ岡山の一角からも、ロダン「カレーの市民」が「反戦平和」を願っているのです。

以上、岡山のRSKバラ園におかれた「ロダン・カレーの市民」について、その経過を含めて取材して、お伝えしました。(2022,3)


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RSKバラ園での、ロダンの彫刻との出会い、そしてネット上での杉原さんのHPとの出会い、それを機縁としての、杉原さんご本人とのSNS上での出会い・・・思いもかけない嬉しい出会いが重なりました。


今日はこれにて。


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これまたフライング RSKバラ園見学記ダイジェスト版、の巻 [私の切り抜き帳]

お得意フライング記事です。


ある冊子に投稿したばかりの文章(掲載されるかどうか未定ですが)を、公表前にご紹介させていただきます。ブログ過去記事のダイジェスト版といった感じですが・・・。


薔薇四方山話

先日、年金者組合地元支部の行事で、RSKバラ園を訪ねました。

もとより、「RSK」は、「山陽放送」の略称です。なにかモダンな響きのある「アール、エス、ケイ」とは、どのようなハイカラな言葉の略語かと思いきや、旧社名「ラジオ山陽株式会社」の頭文字だとは、「へええ」と思われる方も少なくないかもしれませんね。

「RSKバラ園」は、山陽放送がラジオ送信所の用地を利用し、地域の人々の憩いの場として昭和四九年に開園。バラは中央のラジオ放送アンテナ(高さ一〇五㍍)を中心に同心円型花壇に、およそ四五〇品種・一万五千株が植えられ、バラ園の外周には、梅園・サクラ並木・ボタン園・ハナショウブ園・ロックガーデンも併設され、チューリップ・フジ・ツツジ・ハナミズキ・アジサイ・大賀ハスなど四季おりおりの花木が植栽してあるそうです。

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約四五〇品種・一万五千株というバラが、甘いかぐわしい香りを漂わせながら園内一面に咲き誇っている様は、圧巻でした。

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ところで、バラの花といえば、思い出すエピソードがあります。

二〇一四年放送のNHK朝ドラ「花子とアン」で、主人公花子が女学校の文化祭に「ロミオトジュリエット」のシナリオ・演出を引き受ける一場面がありました(第26話)。

「ロミオ・モンタギュー、あなたの家と私の家は互いに憎しみ合う宿命 …その忌まわしいモンタギューの名前をあなたが捨ててくださるなら、私も今すぐキャピレットの名を捨てますわ」

「名前が何だというのであろう、ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」

「ええ、バラはたとえほかのどんな名前でも、香りは同じ・・・名前が何だというのでしょう?」

このセリフが、花子には納得できず、

「もしバラがアザミとかキャベツなんて名前だったら、あんな素敵に感じられるかしら?私のお父が吉平ではなく権兵衛って名前だったら、お母は好きになってるかしら?」

と、思案します、とはいえ、にわかに台本を書き直すいとまもなく、時間をせかされて、稽古を続けていたところ、 ロミオの「名前が何だというのであろう、ロミオの名前を捨てたところで私は私だ!」のセリフを受けて、ジュリエット役の葉山蓮子が、即興でセリフをこう改変したのでした。

「ロミオ様、それはどうでしょうか ・・・もし、バラがアザミやキャベツという名前だったら、同じように香らないのではありませんか? やはり名前は大事なものです」

ちなみに、花子の「腹心の友」葉山蓮子を演じていたのは、現在進行中の朝ドラ「ちむどんどん」で、決して運命に屈しない健気な沖縄の母親役を好演している仲間由紀恵さんでした。そして蓮子のモデルは、大正三美人の一人、センセーショナルな駆け落ち事件「白蓮事件」でも知られる歌人柳原白蓮でした。

名前は大事というのは、モンゴメリの原作「赤毛のアン」で、「アン」自身もこだわったことのようでした。こんな場面があります。「『そうかしら』アンは思いに耽った顔をした。『薔薇はたとえどんな名前で呼ばれても甘く香るって本で読んだけれど、絶対にそんなことはないと思うわ。薔薇が薊(あざみ)とか座禅草(スカンク・キャベツ)とかいう名前だったら、あんないい香りはしないはずよ』」(第五章「アンの生いたち )

孤児院から引き取られたアンが初めてグリーンゲイブルズにやってきた時、マリラに名前を聞かれて 「Annではなく、Anne」と「eのついた綴りのアン」にこだわる場面も印象的です。マリラは、「eを付けなくてもたいした違いはない」と突き放しますが、アンは「あら、大ちがいだわ。そのほうがずっとすてきに見えるのですもの。名前を聞くと、すぐ目の前に、まるで印刷されたみたいに、その名前がうかんでこないこと?」と反論するのでした。

ところで、忘れがたい薔薇の品種名に、「Souvenir d'Anne Frank」があります。「アンネのバラ」とも呼ばれ、RSKバラ園では「アンネの思い出」と表示してあります。

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ベルギーの園芸家が作出した品種で、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの父オットー・フランク氏に贈られたといいます。一九七二年に十本、一九七六年に再び十本が、オットー・フランク氏から日本に贈られたものが増殖され、全国で「アンネのバラ」として育てられているそうです。 このバラは蕾の時は赤、開花後に黄金色、サーモンピンク、そして赤へ変色する特徴があり、もし生き延びる事ができたなら、多くの可能性を秘めていたアンネを表現しているのだそうです。

「アンネの日記」から、彼女の言葉を、少しだけメモしておきます。

「じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)いまでも信じているからです。たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。」

「あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。」

「なんと素晴らしいことでしょう!世界をよくすることを始めるのに誰も一瞬ですら待つ必要なんてないんです。」

ロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略戦争が、無数のアンネ(いえ、それぞれが、大切な名前を持つひとり一人です。)を新たに生み出している悲痛な現実に思いを馳せながら、改めて噛みしめたい言葉です。


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寅つながり、の巻 [私の切り抜き帳]

昨日の記事で「寅年のトラツグミ」を話題にしましたが、寅と言えば寅次郎。拙ブログでも、寅さんを話題にしたことが何回もありました。軽く探ってみただけでも、こんなにたびたび。


ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。(2013-09-29)


夕焼け その2(2014-10-17)


夕焼け その3(2014-10-18)


散歩道のモズが思い出させたこと、の巻(2016-09-25)


も一度一本の鉛筆、の巻(2017-08-07)


島の始まりが淡路島、の巻(2019-11-04)


見あげたもんだよ、の巻(2021-04-19)


生きてるだけで儲けもの?の巻(2016-10-01)


その寅次郎を題材にした一文を、随分昔書いたことがありました。最近、何度か続けた「片付けあるある」シリーズのための「発掘」調査の副産物として、それが掲載された印刷物が見つかりました。1986年10月21日付です。なんとこの年も、寅年でしたヨ。


『寅次郎春の夢』とチャップリンの『独裁者』が、 同日、同時間帯に放映された。こんな時、ビデオは重宝で2倍 楽しませてもらった。

▼ふとした機縁で『とらや』に寄宿することになった文なし のアメリカ人・マイケルは、 下町の人情に大感激。一方、 わが寅さんは、『黒船以来、ずっと日本は不幸。俺はアメリカは大嫌い』とアイデンティティを発揮するが---。国籍や.言葉の隔てを超えて通いあうのは庶民のこころ。ホントの国際親善が、こうして生まれる。

▼この対極にあるのが、中曽根流”国際性”だろう。ことさらに英・仏会話力を誇示し、卑屈な人気とりに汲々
としても、隠せどあらわれる民族差別.外交的”配慮” は重視するが、”配慮”は あくまで、”配慮”にすぎず、本音は別という次第。

▼その中曽根さん、浅利慶太に演技指導を頼むなど、人一倍 外見を気にかけるお方らしい。「女性は私のネクタイや服を見るだけ。話の中身など覚えていない」の暴言も、単なる女性蔑視にとどまるまい。大衆は、すべか
らく巧言令色であやつるべしとの信条の吐露。

▼チャップリン演ずる独裁者ヒンケルの、子どもじみた自己顕示と空疎なこけおどし、そして偏狭、排他、冷酷---滑稽なほど中曽根流に酷似していないか。

▼ファシズムを弾劾し、人間の愛と知性への信頼を呼びかける感動のラスト六分間.このユダヤ人床屋の演説に託された民衆の思いは、そのまま現代に甦る。


36年も前の 文章ですから 、その間に 大きく変化したことも たくさんあります。


一つは ビデオ という 機材が、もはや ほとんど 世の中に存在しなくなっていますね。 しかも、この当時、私の使っていたビデオ録画装置は、データ方式 でしたから 昔日の間が著しいです。

レーガン米大統領との間で、 「ロン・ヤス」と ファーストネームで呼び交わし、日米同盟の絆をアピールした 中曽根康弘さんも 、もはや 表舞台から 退いて久しく、 人々の記憶からも遠ざかって 、 歴史上の人物と化 したようです。


「虎は死んで皮を残し、中曽根は死んで汚名を残す」という故事成語があったかどうか知りませんが、2020年10月に、国費から約9600万円を支出して、内閣・自民党合同葬が催されたことは記憶に新しいところです。


去年のお正月の記事こいつは春から、の巻2021-01-01)にも書きましたが、「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」という川柳を詠んだことを思い出しました。


Kazg 完全無職の年金生活者生活。退職教職員の会、教育相談活動、年金者組合などのお手伝いを細々続けています。無計画で不定期の日々ですが、なぜか「多忙」と感じています(笑)。「親玉の葬式ぐらい自助でやれ」。 全日本年金者組合の「むしろ旗川柳」で優秀賞に選ばれました(エヘ)。


中曽根サンと言えば、こんな『憲法改正の歌』まで作って普及をはかった改憲論者。


『憲法改正の歌』

作詞:中曽根康弘
作曲:明本京静

①鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に 占領憲法強制し
祖国の解体計りたり 時は終戦6ヶ月
②占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば
天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は
国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり
③10年の時は永くして 自由は今や還りたり
我が憲法を打ち立てて 国の礎(いしずえ)築くべき
歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり
④国を愛す真心を 自らたてて守るべき
自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき
原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや
⑤この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり
マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓(ひら)く者 興国(こうこく)の意気挙(あ)げなばや


現憲法を『占領憲法」「マック憲法」とののしり、「自主憲法」の制定を主張しますが、実際は〝不沈空母”論に見るように、アメリカの軍事力に拠って世界に覇をなそうとする文字通りの「虎の威を借る狐」。それは、「集団的自衛権・安保法制」「敵基地攻撃能力」など、装いを変えて、今なお健在のようです。内実よりも 外見に執着し、 巧言令色 を殊更に重んじる 姿勢も 、安部さんはじめ、現政権に 脈々と 受け継がれている模様です。


その意味では、日本の政治状況は、36年を経て、変わったようでも大して変わらないといわなければなりませんか。


しかし、「子どもじみた自己顕示と空疎なこけおどし、そして偏狭、排他、冷酷」を、理知と知性の光によって、暴き、笑い飛ばし、乗り越えて行くのが、人類の歩みというもの。早晩、歴史の正当な審判が下されるに違いないでしょうが、できれば、この夏の参議院選挙あたりで決着を着けたいところです---。


一方、年月を経て、なお輝きを失わないのは、チャップリン『独裁者』の感動のラスト六分間。過去記事に、こう書きました。


見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)(2015-07-04)


空を見上げていると、ついつい「見上げてご覧」というフレーズが浮かんできます。

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる
見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

以前この記事で書きましたので繰り返しません。
もう一つ思い出すフレーズはこれです。

Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.
The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.
Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.
ハンナ、僕の声が聞こえるかい?いまどこにいようと、さあ上を向くのだ。空を見るのだ、ハンナ!
雲が切れる!太陽が現れる!闇が去って、ぼくたちは光の中に出るのだ。新しい世界-貪欲と憎悪と残忍さを忘れたより良い世界がいま、来ようとしているのだ。
空をごらん、ハンナ!もともと人間の魂は翼を与えられていたのだ。だがついに、いま初めて空を飛び始めたのだ。虹の中へ―希望の光の中へと、いま飛んでいるのだ。空をご覧、ハンナ!上を向いて!
(チャップリン「独裁者」最後の演説より)

チャップリンの映画「独裁者」の最後の場面。チャップリンが一人二役で演じたヒットラー(劇中の名前はヒンケル)そっくりの床屋が、間違えられて演壇に登り演説させられる羽目になったとき、彼は意を決してマイクに向かいます。
平和と民主主義と希望の尊さを格調高く訴えた、かの有名な「最後の数分間(五分間とも六分間とも言われているようです)」の名演説の一節。
ラジオから流れるこの演説を聴いていた恋人ハンナの、沈んだ暗い顔にぱっと生気がさし、高く高く空を見上げます。
「ハンナ」はチャップリンの母親の名でもありました。


そして、寅さんの魅力も不滅です。やはり、見あげることと不可分ですね。


見あげたもんだよ、の巻(2021-04-19)


時により「見あげたもんだよ、風呂屋の煙突」となったり「見あげたもんだよ屋根屋の○んどし」となったりするようです。これに続くセリフが「たいしたもんだよ、蛙(カエル)のションベン」。別バージョンに「蝗(イナゴ)のションベン」というのもあるらしい。「大したもんだよ」と「田へしたもんだよ」とをかけているそうな。

実は今日の記事には「見上げてご覧」というタイトルを思いついていたのですが、この発想は過去記事で使い古していたことに気づきました。

中略)

さらにもう一つの11月3日、の巻(2015-11-03)

ところで、「教え子を戦場に送る」とは、単に彼らを戦闘の恐怖や戦死・戦傷の脅威にさらすことのみを意味しているわけではないことを、私は最近のニュー スから改めて考えさせられています。5月20日付山陽新聞に、顔写真入りで7人のアメリカ人兵士が紹介されています。

ジェレミー・シビッツ技術兵(24)
ペンシルベニア州出身。軍用車両の修理 が専門、全裸のイラク人収容者がピラミッド状に折り重なった虐待写真を撮影したなどの疑い。
ジャバル・デービス3等軍曹 (26)
メリーランド州出身。高校時代は陸上競技のスター選手。信仰心の厚いキリスト教徒との証言もある。収容所の手や足を踏みつけるなど6件の虐待に加担した疑い。
リンディ・イングランド上等兵(21)
ウェストバージニア州出身。高校卒業後気象学者を志し、大学で勉強するための補助がえられる軍に入隊。全裸の収容者の首に巻いたひもをひいたり、くわえたばこで全裸の収容者を指さす写真が世界中のメディアで報道され、虐待事件の”象徴的存在”に。
サブリナ・ハーマン技術兵(26)
バージニア州出身。ピザの宅配などをやりながら、大学入学を目指して入隊。全裸の収容者がピラミッド状に折り重なった背後で、グレーナー技術兵と笑っている写真が報じられた。 (以下略)

もし、戦争さえなかったら、才能にあふれた、まばゆいほどに頼もしい若者として、家族からも周囲からも、愛と誇りを持って遇されたはずの彼らが、人間と して恥ずべき残虐行為に手を染め、今、決してぬぐい去ることのできない悔恨に身を灼いていることは、同世代の子供を持ったり、同世代の教え子を社会に送り 出してきた者としては、痛ましさを禁じ得ません。
収容所の連想から、私は、「戦争というものは、欠点ばかりを増幅させるものだ。」というの映画「シンドラーのリスト」の中のセリフを思い出さずにいられ ません。同時に、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」に登場する、ミステリアスな女主人公ハンナが、強制収容所の看守としての行動を戦 争犯罪として裁かれる法廷で、繰り返し裁判官に問いかける「あなただったらどうしましたか?」という言葉も、決して人ごととは思えません。
奇しくも同じ名を持つ政治学者ハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を通して「ホロコーストの残虐な実行者が、上司の命令に忠実なありきたりの官吏であったという『悪の陳腐さ』」の問題を鋭く追及しましたが、彼女が投げかけた「組織の中の個人の責任」という問題は、現代の私たちにとっても、決してさけては通れない問いかけだと思います。

ハンナつながりで、3人目のハンナの話題を添えたいと思います。無声映画で活躍し、トーキー隆盛の中にあっても頑なにサイレント映画製作にこだわり続け てきたチャップリンが、初めてつくったトーキー映画が「独裁者」でした。チャップリンは、ヒッラーをモデルとした独裁者ヒンケルと、うだつの上がらない ユダヤ人床屋の二役を演じていますが、そのユダヤ人床屋がヒンケルに間違われて、大群衆に向かって演説をしなくてはならない状況に追いやられます。最後の 5分間と呼ばれるこの演説は、「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し」と恋人ハンナに放送で呼びかけるところから始まります。このメッセージを世界の 人々に届けたかったために、チャップリンがあえてトーキーを選んだとも言われています。

「…ハンナ、聞こえるかい。元気をお出し ご覧 暗い雲が消え去った 太陽が輝いている 明るい光がさしはじめた 新しい世界が開けてきた 人類は貪欲と憎悪と暴力を克服したのだ 人間の魂は翼を与えられて やっと飛び始めた 虹の中に飛び始めた 希望に輝く未来に向かって 輝かしい未来が君にも私にもやって来る。 我々すべてに! ハンナ、元気をお出し… ハンナ、聞いたかい 顔をお上げ、ハンナ…」
「私たちは、みんなお互いに助け合いたいと望んでいる。人間というのは本来そういうものなのだ。他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きたい。人間というのは、本来そういうもので、憎みあったり、軽蔑しあったりしたくはないんだ。----」

このメッセージを、しっかりと、子どもたちの胸に届くように語ることこそ、大人たちの、なかんづく私たち教職員の役目ではないでしょうか?


先日の鳥撮り散歩で、『本命』と狙った鳥は?


後ろ姿だけ見せてくれました。


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遠くて暗いので、確信は持てませんでしたが、とりあえず写しておいて、家へ帰って拡大表示してみたら、やっぱりお目当てのルリビタキ♀でした。♂には遭えませんでした。


今日はこれにて。


 


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厳寒の『九の日』、の巻 [私の切り抜き帳]

立春を超えてなお、厳寒が続きます。


今日は『九の日』ですから、地元『九条の会』が毎月実施している『九の日行動の日です。---が、冷え込みが予想されますので、いつものスタンディングはお休みして、屋内で憲法学習会を開こうという計画にしてありました。


ですが、オミクロン株コロナが余りの勢いで、身近なところにまでひたひたと押し寄せている状況がありますので、お世話役のQさんに、恐る恐る実施の是非をお尋ねしてみたのは、昨日のことでした。Qさんは、平然と、予想される参加者もさほど大勢ではないし、密になることもないので、予定通り実施する予定、とのお答えでした。


消極モードの気分を無理に高めて、参加した次第ですが、有意義なひとときでした。


講師は、いつもの通り、Aさん(91歳)。


毎度のことながら、ご自身の体験に根ざした鋭い指摘に、蒙を啓かれること大でした。


手書きレジュメを参考に、概要をご紹介させていただきす。


憲法の新たな危機総選挙との関わりで

はじめに

戦前・戦中、完全に洗脳されて軍国主義の時代を生きてきた者の一人にとって、 平和で個人の尊厳が保障され、明るい未来への展望が開かれた憲法は、かけがえのない「宝」です。

この平和・民主の憲法は、今年の5月で施行75年を迎えます。その間、幾度も改憲の危機に直面しましたが、護憲勢力の戦いによって守られてきました。しかし、戦後49回目の総選挙での、政権を中心とする支配勢力とその補完勢力の野党共闘(護憲勢力の要)、特に共産党に対するなりふりかまわぬ ファッショ的な攻撃の様相などから、新たな 改憲の 動きを痛感します。

コロナ禍による国民的不安のもとで、困難の生じている野党共闘(護憲勢力の要)を強化し、市民連合との連携・連帯を広め強める事によって、未来への明るい展望を切り開くにはどうすれば良いのか。論議を深めなければならないのではないでしょうか。

1.野党共闘に対する異常な攻撃

政権党中心の支配勢力の野党共闘(護憲勢力の要)に対する謀略的な攻撃は、公示前から行われていました。当時の政権党幹事長・甘利利明氏は、 NHK のインタビュー番組で次のように発言しています。「自由・民主主義の思想のもとに運営されている 政権と、 共産主義が初めて入ってくる政権のどちらを選ぶかの政権選択だ」(10月17日)

この発言は、他党派の綱領や政策・公約などを全く無視した虚構の「体制選択」を提起するもので、総選挙の理念をないがしろにする暴言です。また、公明党の代表・山口那津男氏は「日本共産党は、『天皇制は憲法違反で、廃止すべき』だと主張している」と街頭演説で攻撃しました。(10月14日)この発言は、有権者を前に政党の綱領を無視し、 根拠のないでたらめな宣伝(デマ宣伝)です。さらに、このような異常な攻撃にマスメディアが加担するという許されない事態です。

TBS「ひるおび」(9月10日) の常連出演者の弁護士が、次のような発言をしました。「共産党はまだ暴力革命を党の綱領として廃止していない。」これは妄言としか言いようのない発言で、弁護士としての知性すら疑わせるものではありませんか。国会で野党議員から「野党共闘を混乱させ、破壊する意図がある」と追及され、 市民からの批判も広がったので、番組と出演弁護士は謝罪せざるを得ませんでした。

公示後、マスメディアが与野党接戦を報じると、政権党は「情勢緊迫」という緊急指令(急告)を出しました。「一票一票の獲得に全力を!!」「全国各地で多くのわが党の候補者が当落を争う極めて緊迫した状況」と、総決起を訴える指令です。

なぜ緊急指令を出したのでしょうか。権力を失いかねないという危機感(体制的危機感)からだと考えます。この危機感は、平和・民主勢力(護憲勢力)の 総選挙戦略に怯えた結果です。

安保法制に対し、九条破壊を許さず、立憲主義の回復を共通の要求として画期的な戦いを進めました(資料①参照)。その一つの到達点が本格的な野党共闘です。戦後の平和・民主運動の歴史の中で初めてという本格的や東京都と市民連合の連帯の輝かしい成果である「共通政策」(資料7参照) を 掲げ、政権交代を要求する総選挙戦に臨みました。この戦略が、先に述べた 、政権党の体制的危機感を生む要因になったわけです。

さて、緊急指令なるものの内容です。まず「『情勢緊迫』・一票一票の獲得に全力を!!」とし次のように基本戦略を示しています。「与野党一騎打ちの構図によって、かえってこの選挙が自由民主主義政権共産主義が参加する政権かの体制選択選挙であることが有権者の目に鮮明となっています」これは、共産党に攻撃を集中することで、野党共闘を攻撃し分断しようとする謀略的な意図であることは明らかではないでしょうか。

以後、この基本戦略にもとづき、「野党共通政策」(資料7参照)を無視、「立憲共産党」だとか「野合」などと、反共・共闘分断のなりふりかまわぬ攻撃は、野党共闘への恐怖の現れです。

市民連合の中野浩一氏は、「与党や補完勢力からの事実とかけ離れたナチスまがい(資料4参照)の共産党攻撃が野党共闘を怖れたものであったことは明らかだ」と発言しています。

改憲勢力の尖兵と言われる維新の会は、代表・副代表・幹事長が先頭に立って市民と野党の共闘に対する「野合」攻撃を展開しました。札幌では宣伝カーが連日(野合)攻撃を連呼するなど、全国的に補完勢力ぶりを発揮しました。

2. 関連する資料をもとに

九条の会は、2021年11月12日命「総選挙後の改憲問題の新たな局面を迎えて」(資料8)を発表しました。これら、上述の論考に関連する資料をもとに話を進めたいと思います。


(以下省略、資料のみ掲載します。)


【資料1】元最高裁判事濱田邦夫氏の安倍法制反対の「闘争宣言」


安保法制反対の たたかいを 反知性主義のたたかいと性格づけて護憲勢力の中で重要な役割を果たしました。

 

「闘争宣言」

自由で平和な美しい日本を守ろう!抵抗勢力は知的なものに反発しこれを圧迫し、人の尊厳を冒す言動をし、また幻想を 追って自らのそして世界の現実を冷静に見つめることを拒否する人々だ。第二次世界対戦終戦後70年で、日本が築き上げてきた自由で豊かな社会、ユニークな国際的信用を大きく傷つけてはならない。この抵抗勢力がたどっている戦前の暗黒の日本への逆コースを阻止しよう!そのため言論の自由。学問の自由そして憲法と法の支配 をあくまでも守るために、みんなで立ち上がろう!(2015年10月2日)

弁護士濱田邦夫


 


【資料2】インターネット上での誹謗や中傷にたいする濱田邦夫弁護士のコメント


公聴会での私の発言に対してもインターネット上で、「極左」「無国籍者」という誹謗中傷が行われました。私が「極左」になると、私より「左」だった人はどこに行ってしまったのか。「無国籍者」という非難は、つきつめれば、国を愛するなら安倍政権を支持しなさい、そうでないと日本人ではないという考えです。戦前の「あいつは『赤』だ」「あいつは『非国民』だ」という言い方と同じです。


【資料3】 反知性主義の典型例


憲法全文特権縛らない

大阪維新参議院 立憲主義理解せず

大阪維新の会の江口克彦議員は14日の参院予算委員会で、現行憲法に対して「何を言っているのかわからない」などと批判し、一刻も早く明文改憲をと要求しました。

江口氏は、現行憲法について「日本語の使い方からしても欠陥憲法」だと断言。「第9条も何を言っているのか分からない。日本は自衛権を認めており、支離滅裂である」「醜悪な文章・信じられないほどの理想的、非現実的、夢想的な言葉は多くの国民がとまどう」などとなじりました。

さらに「憲法は国権をしばるもの」という言葉もよく言われるが、根拠のあるものではなく、言わばことわざの類。この前文は国民の誓いの言葉であり、国権をしばる内容ではない」と述べ 、立憲主義を全く理解しない姿をさらしました。( 2016. 3.16 )


【資料4】 ドイツルター派教会牧師ニーメラーの警告 「私は共産主義者でなかったから」


「ナチスが最初に共産主義を攻撃した時、 私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったからである。社会民主主義者が牢獄に入れられた時、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃した時、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃した時、私のために声をあげるものは、誰一人残っていなかった」


 


【資料 5】「憲法を守る政治に 引き戻せ 」 元文部科学省 事務次官 前川喜平氏】


--総選挙では自民党、公明党が「体制選択選挙だ」とか、「立憲共産党」などと野党共闘を攻撃しました。

野党共闘に対するネガティブキャンペーンはひどかった。日本人の底流に、まだ残滓としてあるような反共主義とか共産党アレルギーのようなものを呼び起こすやり方です。偏見に寄りかかる、「嫌中」や「嫌韓」と同じ匂いがします。 連合の芳野友子会長が「共産の閣外協力はあり得ない」と発言したのも利敵行為にあたります。

日本共産党の活動を見ていれば、議会政党であることは誰でも分かります。一党独裁をつくるなんて考えられない話です。旧ソ連や中国の共産党と一緒くたにするという悪質なイメージ戦略と言えます。

(中略)

日本共産党が本気で政権交代をさせようという気持ちになったのは大きな変化です。 共産党との連合政権を嫌がる人たちは野党にもいるのですが、それでは駄目です。共産党は、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、共闘体制を作っています。共産党に対する色眼鏡を外しましょうよ。そして立憲野党は協力し、政権交代を果たして欲しい。


【資料6】メディアの野党共闘攻撃



1「毎日」コラム「風知草」山田孝男特別編集委員

日本共産党綱領は「現実離れも、私から見れば度を超している。」「政権参加をねらうのなら、 現綱領の絶対視は改めるべき」だ。(12月6日)

2.「政策軽視の共闘が惨敗招いた」読売社説(11月3日)

3.「衆院選でお灸を据えられたのは、与党ではなく、共闘した野党だったのかもしれない」朝日「天声人語」 (11月13日)

◆「赤旗」日曜版の取材に、自民党本部関係者は「野党共闘の脅威」を表立って口にしないことについて、「そりゃそうでしょう。『野党共闘が効果があった』とか『恐ろしかった』とか公に言うと、野党『それなら野党共闘どんどんやろう』ということになりかねない。だからメディアが『野党共闘が効果なかった』『失敗した』 とキャンペーンを張っていることに、私達は感謝していますよ」と語っています。(『しんぶん赤旗日曜版』11月28日号)


【資料6】野党共通政策


衆議院総選挙における野党共通政策の提言

一一命を守るために政治の転換を一一


新型コロナウイルスの感染の急拡大の中で、自公政権の統治能力の喪失は明らかとなっている。政策の破綻は、安倍、菅政権の9年間で、情報を隠蔽し、理性的な対話を拒絶してきたことの帰結である。この秋に行われる衆議院総選挙で野党協力を広げ、自公政権を倒し、新しい政治を実現することは、 日本の世の中に道理と正義を回復するとともに、市民の命を守るために不可欠である。
市民連合は、野党各党に次の諸政策を共有して戦い、 下記の政策を実行する政権の実現をめざすことを求める。
1    憲法に基づく政治の回復
安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。  
平和憲法の精神に基づき、総合的な安全保障の手段を追求し、アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバ一参加に向け努力する。
地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。
2   科学的知見に基づく新型コ ロナウイルス対策の強化
従来の医療費削減政策を転換し、 医療・公衆衛生の整備を迅速に進める。
医療従事者をはじめとするエッセンシャルワ一力一の待遇改善を急ぐ。
コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を行う。
3   格差と貧困を是正する
最低賃金の引き上げや非正規雇用。フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす 。誰もが人間らしい生活を送れるよう、住宅、教育、医療、保育、介護にっいて公的支援を拡充し、 子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、 また低所得層や中間層への再分配を強化する。
4   地球環境を守るェネルギ一転換と地域分散型経済システムへの移行
再生可能工ネルギーの拡充により、 石炭火力から脱却し、 原発のない脱炭素社会を追求する。エネルギ一転換を軸としたイノベーションと地域における新たな産業を育成する。
自然災害から命とくらしを守る政治の実現。
農林水産業への支援を強め、食料安全保障を確保する。
5   ジェンダ一視点に基づいた自由で公平な社会の実現
ジェンダー、人種、年齢、障がいなどによる差別を許さないために選択的夫婦別姓制度やLGBT 平等法などを成立させるとともに、女性に対する性暴力根絶に向けた法整備を進める。
ジェンダ一平等をめざす視点から家族制度、雇用制度などに関する法律を見直すとともに、保育、教育、介護などの対人サービスへの公的支援を拡充する。
政治をはじめと した意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、 議員間男女同数化 (パリテ)を推進する。
6   権カの私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑にっいて、真相究明を行う。
日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。
内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立する。
2021年9月8日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
上記政策を共有し、その実現に全力を尽くします。


 


【資料7】九条の会声明


総選挙後の改憲問題の新たな局面を迎えて
2021.11.12 九条の会

10月31日に衆議院議員選挙が行われ、自民党は議席を減らしたものの単独過半数を維持し自公政権の存続が決まりました。維新の会の大幅議席増により自公と維新を合わせた改憲勢力は334議席となり、衆議院の3分の2を超える議席を獲得した結果、改憲問題は、新たな局面を迎えました。

岸田文雄首相は、自民党総裁選の最中から「任期中の改憲実行」、「敵基地攻撃能力」保有の検討を繰り返し表明しました。それを受けて総選挙に向けての自民党公約も、「敵基地攻撃能力」保有、防衛力の大幅強化と並んで、「早期の憲法改正」の実現を明記していましたが、総選挙の結果を踏まえて、岸田政権は、安倍政権以来の改憲策動の強化に踏み切る構えです。
岸田政権がまず手をつけようとしているのは、安倍・菅政権が推進した9条破壊の加速化です。対中国の軍事同盟強化を目指した「国家安全保障戦略」と「防衛計画の大綱」の改定を来年末までに強行し、中国を念頭においた「敵基地攻撃能力」の保有、日米共同演習の強化、そして辺野古基地建設強行などを推し進めようとしています。
同時に、岸田自民党は、憲法9条明文の改憲にも踏み込むべく、臨時国会における憲法審査会での改憲案討議入りを狙っています。維新の会松井一郎代表の「来年参院選と同日に改憲国民投票を」という発言や国民民主党との憲法審査会毎週開催合意は、こうした自民党の明文改憲への策動を応援するものです。
しかし、日米軍事同盟強化と改憲という途は、米中の軍事対決・挑発を激化させ、日本と東北アジアの平和の実現に寄与するどころか、それを遠ざけるものです。明文改憲、9条破壊の策動を阻止しなければなりません。

9条の会をはじめとした市民の草の根からの運動は、自民党などによる改憲の企図を阻み続けてきました。とりわけ、安倍政権の下、衆参両院で改憲勢力が3分の2を占めて以降も、市民と野党の共闘の頑張り、幾次にもわたる全国統一署名運動、それに鼓舞された立憲野党の奮闘により憲法審査会での改憲案審議を行わせず、19年参院選では改憲勢力3分の2を打ち破って安倍改憲を挫折に追い込みました。来年の参院選に向けた新たな改憲の動きに待ったをかけるのも、この市民と野党の共闘の力以外にはありません。
この力に確信を持って、市民の皆さんが、改憲と9条破壊の阻止のため、決意を新たに立ち上がられることを訴えます。


まったく全面的にAさんの論考を、そのまま、お借りしました。ただ、弁明をお許しいただけるなら、私も所属している退職同業者の会の『会報』への掲載を快く承諾いただき、そのために手書きの原稿の入力作業をしたのは私です(エヘン)。


当ブログへの転載は、まったく独断ですが、この記事の時と同様、お許しいただけるのでは?と手前勝手な解釈をしている次第(汗)


諸事多端、の巻(2021-08-12)




昨日の鳥記事に対して、ファルコ84様が、「庭にくるシジュウカラも好きです。」とコメントを下さいました。また、facebookではお友だちのHさんから、「庭にメジロが来ます。みかん置いてやりました。」とのコメントをいただきました。庭に小鳥が訪ねてく来てくれるのは、羨ましい限りです。


我が家の庭には、雀の他にはこのお客。


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貪欲に菜っ葉をかじり尽くし、ナンテンなどの木の実をむさぼり食い、睡蓮鉢の水をまき散らして水浴びし、オマケに辺り構わず大きな糞を残していきますので、至って迷惑です。決して可愛くないと断言しようとは思わないのですが、望むらくは、今少しばかりの礼節を身につけてくれたらと小声で呟く次第です。 今日はこれにて。


追伸 文章中の引用箇所について、いくつかの重要な誤字・脱字・引用ミスがありました。気づいた範囲で訂正しましたが、読者の皆様、著作権者の皆様に、多大なご迷惑をおかけしたことをお詫びします。(2021.02.15)


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一日遅れの「今日のできごと」の巻 [私の切り抜き帳]

今日は2月7日。


一日遅れになりましたが、2月6日の「今日のできごと」を話題にします。


まずは、「片付けあるある」シリーズのつづき。


1988年2月16日付NO418の職場新聞にこんな投稿をしました。


「ニューヨークの王様」とハマコー

先日 NHK 教育 TV で 放映されたチャップリンの「ニューヨークの王様」を笑えぬ思いで観た。

「自由と民主主義の国」と憧れてアメリカに亡命をはかった王様。しかし、そこは貪欲なまでにスキャンダルを追い求め、軽薄で無内容なから騒ぎにうつつを抜かすショウ文化の真っ盛り。そして、傍若無人に吹き荒れる愚劣な「赤狩り」旋風。 それらの餌食とされて幻滅のうちにヨーロッパに旅立とうとする王様の姿には、その民主主義的な良心のゆえに”アカ”の名を被せられ、ハリウッドを逐われたチャップリン自身の苦い怒りが投影されていて胸を打つ。

さて、その1950年代のアメリカを震撼させた悪名高い「赤狩り」旋風の火付け役、マッカーシーについて R・H ロービアは、こう書いている。
「 彼は、確かに嘘つきのチャンピオンだった。彼は思うままに嘘をついた。 恐れることなく嘘をついた。白々しい嘘をつき、 真実に面と向かって嘘をついた。 生き生きと、大胆な想像力を用いて嘘をついた。しばしば、真実を述べるふりすらしないで嘘をついた。」「どこから見ても、『口汚く』、『低級で下劣な男』であり 彼自身、世間にそう見てもらいたいと思っていた。(中略)彼は意識して、そして、多分本能的にも低俗人間だった。」 「他の政治家なら、酒や女や博打好き隠したがるところだが、マッカーシーはこういう良からぬ趣味をひけらかす。あるいは、誇張すらする傾向があった。」(『マッカーシズム』岩波文庫)
このよう に、取るに足りない下劣な男が、しかし人々を集団ヒステリーめいた反共熱病へと駆り立て、多くの良心的市民に、耐え難い苦悩と屈辱を強いたのだという歴史事実を忘れるわけにはいかない。 今、ハマコーなる人物の、常軌を逸した道化芝居に当惑を覚えつつ、ふとこのマッカーシーを思い浮かべるのは、私だけだろうか。ロービアの次の 指摘を読む時、その思いは一層つのる。

「マッカーシズムの道化的特徴は、実はその本質に関わるものだ。(中略)それは、滑稽なものを持ち上げ、重大なことを嘲笑した。 常識を踏みにじり、常識をけしからぬものとした。(中略) 変人を賢人のように扱い、賢人を馬鹿者だと非難した。 現在から関心をそらして、過去に注目させた。そして過去を、見るも無残に 歪曲した。」

ハマコーが、賢人を「馬鹿者」どころか「殺人者」と誹謗したという点を除けば、二人の手口は瓜二つではないか。日本国民の良識は、ハマコーの予算委員長居座りを許さなかった。だがこのような人物が、我が物顔で 
闊歩している今日の政治状況は、深刻である。「ニューヨークの王様」のように、ヨーロッパへ旅立つわけにもいかぬとすれば、民主主義の底力を、さらに 強固に踏み固める他はなさそうだ。


「ハマコーが、賢人を『馬鹿者』どころか『殺人者』と誹謗した」と書いたのは、衆議院予算委員長だった自民党浜田幸一議員(あだ名は「ハマコー」)が、1988年2月6日の予算委員会の場で、宮本顕治共産党議長(当時)は「殺人者」と発言して、予算委員長を辞職に追い込まれた事件を踏まえています。


ウィキペディアにこんな記事があります。


2月6日
できごと

  • 1988年 - 衆議院予算委員会で日本共産党の正森成二議員の質疑中に、浜田幸一委員長が宮本顕治共産党議長を「人を殺した」と発言。与野党間で審議が紛糾し、浜田は12日に委員長を辞任(浜田幸一#「宮本顕治人殺し」発言)。

正森成二氏は、弁護士時代は、勤務評定反対闘争に対する弾圧に抗して裁判でたたかう労働者・労働組合の弁護活動を始め、人権や労働者の権利をまもる先頭に立つ仕事を続けてこられ、先日来話題にしている日高教(日本高等学校教職員組合)の顧問弁護士としても活躍して下さいました。


1972年、第33回衆議院議員総選挙で、旧大阪1区から選出。ロッキード事件の追及など、周到で迫力ある論戦で記憶される活躍を続けました。1994年、小選挙区・比例代表並立制が導入され、衆議院では96年の総選挙で適用される中で、地盤の大阪をあとにして、影響力が手薄な(汗)中国ブロックから立候補する英断を発揮され、中国地方での議席獲得。


その時期のことを、日本共産党副委員長の山下芳生参議院議員は、ご自身のブログの中でこう綴ってこられます。


正森成二さん逝く 想い出とご恩に感謝します(2006年10月19日)


96年の総選挙から衆院選挙制度が変わり、旧大阪1区を離れて中国ブロックに”お国替え”された正森さん。「行かないでくれ」。旧大阪1区の地区委員長が男泣きするのを、「党の前進のために行かせてほしい」と自ら振り切っての決断でした。すでに体調もよくなかったのに、中国ブロックで党の議席をなんとしても獲得するために、無理を押して挑戦してくださいました。私も参院議員として広島まで応援に行きました。中国ブロックの皆さんの燃えるような奮闘もあり、正森さんは得票をうんと伸ばして当選。日本共産党は26議席に躍進したのでした。


この時期、特に『地元』候補者小規模の懇談会などでもお目にかかる機会が増え、『目力』のこもった大きな温和な目と、大阪弁の気さくな語りに改めて強く魅力を感じたことでした。


が、任期途中で体調を崩し、議員を引退、2006年逝去されたのでした。


繰り上げ当選で中林よし子さんが議席を引き継ぎましたが、再選かなわず、その後継の大平よしのぶさんも、チャレンジを重ねて2014年、14年ぶりに議席を獲得したものの、2017年、2021の選挙で復活かなわず、今日に至っています。


正森さんの逝去に際して、弁護士仲間だった自由法曹団石川 元也弁護士が、故人の人柄に関してこのような弔辞を寄せられていることが『会報』に掲載されていますので、一部引用させていただきます。


弔 辞 関西における自由法曹団の先達・正森さんを偲ぶ

(前略)

正森さんが衆議院きっての論客として敵には厳しく、味方にはこれほど頼もしい人はない政治家として、全国的に多くのファンに期待にこたえてこられたことは、私からいまさら述べるまでもありません。

ただ、後藤田元副総理の回顧録を紹介しようと思います。「共産党にも立派な人物も大勢おるんだよ。正森成二君などというのはなかなかの理論家だ。彼は日本から外に出たら完全に日本人だよ。僕らより日本人だ。PLOのアラファト議長にあいに行ったとき十日ぐらい一緒でしたが、ああ、この人は日本人やなあ、と思った。勉強家で理論家ですよ。」と評価されています。


おなじく、別の号には、小林保夫弁護士が、正森さんの著書「質問する人 逃げる人」の書籍紹介としてこのような文章を寄せておられます。


小林 保夫   

正森成二(大阪支部)著「質問する人 逃げる人」ーたぐい希な国会論戦の記録と舞台裏ー


「ハマコーとの対決」(第二章)は、「ハマコー」こと浜田幸一氏が、予算委員会の席上、予算委員長の立場にありながら、正森さんの質問中、これをさえぎって割って入り、共産党の宮本顕治議長を「殺人者」呼ばわりをする暴言を吐いたことに端を発して、正森さんが「ハマコー」を徹底的に追及し、マスコミや世論の支持も得てついに予算委員長辞任に追い込み、共産党と宮本顕治議長の名誉を守った論戦の記録である(ちなみにこの国会論戦のテレビの中継は、六・九パーセントという未曾有の視聴率を記録したという)。 正森さんにとってもきわめて感慨の深い事件であったと聞く。
(中略 )
第一部「国会つれづれ裏ばなし」は、長年にわたる正森さんの国会生活やただちには国会の論戦にとりつきにくい読者のために、国会にまつわる裏話を披露したものである。正森さんは、病を得たあと引き続き静養中であるため、大部な著作をものすることまでは困難であったと思われるが、紹介されたいくつかの話題も興味深いものである。
中曽根康弘元首相や「ハマコー」が登場するのは、国会の議場では完膚無きまでに追いつめた論戦の相手方に対する正森さんの「武士のなさけ」であろうか。「委員会での質問のしこりを議場外に残さない」という正森さんの面目が躍如としている。

また、元警察庁長官として、共産党対策をも含むわが国の治安対策の総元締めであった後藤田正晴氏が登場し、しかも正森さんが同氏を「先生」として敬意を表する一文は、正森さんの党派的立場からみれば意外であろう。

しかし、正森さんの「裏ばなし」での紹介によれば、近時、後藤田氏が、政治変動の節目にしばしばマスコミに登場し、政治のありかたに対していわば警世の発言を行い、多くの共感を得ていることからすれば、同氏に対する正森さんの共感にもうなづけるところがある。正森さんの後藤田氏に対する党派を越えた個人的心情も垣間見られて興味深い。


 


   

政治家引退後、ハマコー氏はテレビのバラエティ番組やドラマ番組にたびたび登場、その無邪気とも言える破天荒ぶりを披瀝してお茶の間に気さくな「ちょい悪オヤジ」の印象を振りまきましたが、事実無根の人殺し呼ばわりは、時が経過したとは言え、許されるものではありません。


ご記憶の方も多いでしょうが、国会審議における宮本顕治氏への誹謗には、先輩がいました。「野党」を標榜する民社党の委員長だった春日一幸氏がその人。彼は、76年1月の衆院本会議で、戦前の治安維持法下で裁かれた「スパイ査問事件」を取り上げ、宮本顕治委員長(当時)


春日一幸氏とはどんな人か?


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「春日一幸」の解説をお借りします。


 

春日一幸

政治家。 1927年,逓信講習所高等科を卒業,電信局に勤務したが,のち春日楽器製造会社を経営。 45年日本社会党結成に参加。愛知県会議員2期を経て,52年衆議院議員に当選。 60年民主社会党結成に参加,副書記長,国会対策委員長,書記長を歴任。 71年第3代同党委員長となる。民社党内では,中小企業の育成と支持獲得に終始重点をおく。強烈な反共論者で,反共中道勢力の結集を唱え,保革連合論や自由民主党寄りの姿勢を強めていた。 77年秋,突然辞意を表明し,翌年1月の党大会で辞任した。


当時社会党委員長だった成田知巳氏は、国会での春日質問問題についてこのような見解を発表しておられます。



 

旧憲法感覚を復活させるな

一、国民が今国会の審議に期待していることは、物価をおさえ不況を克服して、明るい希望のもてる社会経済状況を一日も早く作るため、全野党が全力をあげることだ。
社会党はこの国民の期待にこたえるため、反インフレ、反不況、国民生活防衛の立場から、五十一年度政府予算案をはじめ、政府案を徹底的にほりさげ、審議して、三木内閣に国民要求の実現を迫り、政策対決を通じて国会解散をかちとり、政治の一新をなしとげるという方針で国会審議にのぞんでいる。
 
したがって四十年以上前の旧帝国憲法下の治安維持法体制のもとでおきた「共産党のスパイ査問事件」問題を、国会冒頭から民社党がもちだし、共産党との間で非難、中傷をくりひろげていることは、今国会の眼目である経済危機の打開という最大の政治課題から国会論議をそらすものであり、きわめて遺憾なことである。これを喜ぶのは政府・自民党であることは言うまでもない。
 
一、公党の指導者の政治道義にかかわるという主張にもとづくとはいえ、戦前の治安維持法体制における問題を、その歴史的背景と切り離してとりあげることは正しい態度ではない。問題のこうしたとりあげ方は、戦前の治安維持法や特高警察による人権無視の暗黒政治への反省を忘れ、旧帝国憲法感覚を復活させ、数多くの先輩の犠牲によって国民が得た現在の平和・民主の憲法下で、戦後三十年にわたってはぐくまれ定着してきた民主主義を逆戻りさせるおそれなしとしない。改憲を政綱にかかげる自民党のこの論争への間髪を入れない対応の仕方、最近の三木内閣の反動姿勢の強化からみて、この問題が政治反動に利用されることを強く警戒しなければならない。
(中略)
国会審議における節度ある態度を望むものである。
 

全革新共闘の実現追求


一、この問題と共闘の関係についていえば、もともと共闘は、要求、政策の一致にもとづくものであって、今国会の眼目である経済危機の打開などについて意見の一致を見出して全野党共闘、より正確にいえば全革新共闘の実現をはからなければならないと考える。
もし、意見の一致をみながらも、この問題を理由に共闘に反対する党があるとすれば、それは国民要求に背を向けるものである。社会党は革新的立場に立った共闘実現を、従来の方針どおりねばり強く追求する。

一九七六年二月二日
出典は『資料日本社会党四十年史』。  
 
 

なかなか説得力がございます。


ですが、その後紆余曲折を経て、1980年の社公合意以来、「意見の一致を見出して全野党共闘、より正確にいえば全革新共闘の実現をはか」ろうという姿勢は投げ捨てられ、際限のない右より傾斜が続いたことは、歴史の皮肉でしょうか。


ウィキペディアの解説


社公連合政権構想(しゃこうれんごうせいけんこうそう)とは、1980年1月10日に締結された日本社会党と公明党による連立政権を目標とした合意の事である。通称「社公合意」。

前年の2回に渉って社公両党3役や政策審議会長、国会対策委員長、選挙対策委員長などが政権協議委員会を行い連合政権の樹立に合意を取り付けた。

社公民路線・自公民路線方針と日本共産党排除、つまりオール与党体制を決定付けたものであり、社共共闘・革新統一の路線を崩壊させるきっかけとなった。


こうしたもとで、もはや、『社会党』自体が存在しなくなり、『自公』政権が長く政権の座を維持し続ける事態となっていることは感慨深いことです。いま、アベ・スガ強権政治への対抗として、憲法と平和と暮らしをまもる切実な思いのもとに生まれた市民と野党の共同に、悪意を持って打ち込まれたクサビは、相も変わらず『反共』一点張り。しかもその立役者が、かの大野末広サン(前々回記事参照)や春日一幸サンの特異な反共主義を忠実に受け継ぐ末裔とくれば、『歴史は繰り返す』と達観してばかりはいられませんね。


大変な冷え込みの中、ロウバイは長く花を咲かせています。芳香が甘く漂います。


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やっと、マンサクが咲き始めたようです。


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今日はこれにて。


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かたづけあるある(6) 「組 合 ば な れ と 3 5 人 学 級 と 国 鉄 闘 争 と」、の巻 [私の切り抜き帳]

  昔書いた文章をひもとくシリーズのつづきです。30年前の職場新聞に、『連合』や、労働組合運動について書いた「投稿」を、1990年6月25日付No.462,6月27日付NO.463、6月30日付No.464に連載しました。


実は、拙ブログ「ナードサークの四季」(初代)の過去記事


ノ-パサランあれこれ、の巻(2016-02-12)で掲載したものですが、なりゆきで再録させていただきます。


投  稿 組  合  ば  な  れ  と 3 5  人  学  級  と  国  鉄  闘  争  と

                                                
  最近、若者の“組合ばなれ”なるものが進んでいるそうだ。労資一体の「連合」型組合が、率先して企業利益と現体制への忠誠競争をあおっている状況のもとで、若者の信頼を得られないというのは、当然のことで驚くには当たらない。だが、真に労働者・国民の利益をまもりぬくことを追求している潮流においても、当局の妨害や干渉という古典的・直接的な障害以外の要素による“組合ばなれ”を免れていないらしい。

◆早い話が、 昨年の35人学級署名。牽引車として大奮闘された方々の多くは、一定の年配の方々ではなかったか。バイタリティある青年組合員の活躍が、思いの外目立たなかったと見るには、 思い過ごしだろうか

◆かつて、一般に組合運動の牽引者は、青年部であり、若者であった。それは、賃金・権利をはじめとする要求を最も切実に、最も鋭く抱えているのが青年であり、また、さまざまな打算や思惑を超えて、何よりもまず「正義」の旗の下に馳せ参じるのが青年であったからだ。教職員組合運動においても、それは例外ではなく、歴史をひもとけば、20代の本部役員、30代の委員長や中央役員という例に事欠かない。

◆では、こんにち、何が青年を組合から遠ざけているのか。先日生徒に取り組ませたコラムノートで、連合メーデーが家族そろって楽しめる運動会へと転換をはかっているとの記事について、こう書いた生徒があって考えさせられた。「私はデモとかは嫌いだから、こんなメーデーなら賛成です」。これは、単に一生徒の感想にとどまらず、現代若者の気質を、かなり正直に代弁しているのではないだろうか。「ハチマキやゼッケンが嫌い」「『たたかう』という言葉が嫌い」「ロウドウシャって言葉がダサイ」「『団結』だとか『ガンバロー』なんて古臭い」「血相変えて怒ったり、頑なに主義主張を唱えることは、時代遅れ」などの声も、しばしば聞いたような気がするから。

◆でも、「今ある権利や生活水準も、ひとりでに与えられたものじゃなくて、粘りづよいたたかいのなかで、長年かけて勝ち取って来たものだ」という指摘は、古臭いだろうか。そのたたかいという言葉は、それ以外に置き換えがきくものだろうか。例えばお願い?話し合い?折衝?取り引き?もうすぐ500号を迎えようとしている本紙の、過去の記事を走り読みしてみただけでも、答えは明瞭だろう。

◆では、今ある権利や生活水準に、ちっとも不満や不自由を感じない青年労働者など存在し得るだろうか。また、今ある権利や生活水準ですら、何の主体的努力もなしに、いつまでも維持されるという保証はあるだろうか。もしそうならば、組合なんか、あっさりと歴史博物館送りすることに、私も賛成なのだが---。

◆35人学級の実現は、子どもたちにとっては教育条件の問題であると同時に、われわれ教職員にとっては、自身の存在にかかわるぬきさしならない課題だ。とりわけ若年層にこそ、その影響は大きいはず。

◆というのも、生徒急減期に向かって、今のままの学級規模を放置すれば、定年退職による自然減や新規採用のストップ・講師化を考慮に入れても、相当数の「余剰」人員が生まれるのは必至。そうなれば、数年前に国鉄職員に加えられた、嵐のような大量首切りの脅威と、それを背景とした息苦しい管理統制・選別差別が、我が身の上に襲いかかってくることは明らかだ。言うまでもなく、臨教審路線の眼目は、「できるだけカネを使わず、しかも教員と教育を統制したい」という点にあるのだから。

◆民間大企業では、とっくの昔に、「職場に憲法なし」の事態が進行。御用組合と一体で、労働者から「ノー」という権利を剥奪した上で、極限までの人減らし「合理化」と、低賃金・長時間過密労働が強要されてきた。こうして、カローシを頂点とする無数の人間破壊・家庭破壊の悲劇のうえに、世界に冠たる企業大国ニッポンは、破局に向かう「躍進」を続けている。

◆「血のにじむような民間の苦労を思い知れ」が、国鉄解体の合言葉だった。そして、“民間並”に、組合はたたきつぶされ、職場の権利ははぎとられ、労働条件は切り下げられ、たたきあげの熟練機関士・有能な技術者・誇りある「国鉄マン」の多くが職場を追われ、出向、配転、草むしり、便所掃除、キオスクの売り子、コーヒーショップのウェイター、そして人材活用センター→清算事業団→解雇と、ありとあらゆる屈辱と苦難の試練にさらされた。

◆次なる合言葉は「国鉄の次は教育だ」。組合つぶしと、教育内容・教職員の国家統制にむけて、細工はりゅうりゅう。その眼目は、「教員は多すぎる」「教員はタルんでる」「教員は税金泥棒」の世論を喚起して、教職員と父母との離間をはかること。四面楚歌、“学校憎し、教員憎し”の大合唱のなかで迎える急減期は、想像するだにうすら寒いではないか。誰の首が切られ、誰の首がつながるかと、戦線兢々としながら、自己の保身に汲々としなければならないような学校職場で、まともな教育活動など期待するほうが無理というもの。

◆35人学級の実現こそが、かかる事態をくい止め、われわれの仲間の間に、忌わしい「余剰人員」など生み出さずともすむ唯一の道ではないか。そして、これをめざして、共通の教育要求に基づいて父母と手を結びあうとりくみそのものが、教育の本来の担い手としての父母と教職員の分断をはかりつつ推進されている臨教審路線への最大の打撃でもあるのだ。

◆「よき教師はよき組合員たらねばならぬ」と、戦後の教職員組合運動の先達たちは、自らを戒めてきた。子ども・青年の健やかな成長と真の幸せを願うなら、それを阻む動きには団結して抗して行かざるを得ないからだ。教え子を侵略戦争の戦場に引きずり出す荒縄の一端を、自分たちも担っていたことへの痛切な反省が、根底にはあった。今日においてもまた、この言葉は真理であろう。劣悪な教育条件を放置し、仲間の首切りをも座視しつつ、「よき教師」であり得るはずはないのだから。

◆あわせて「よき教師は、よき労働者でなければならぬ」と付け加える必要がある。こんにち、人間としての尊厳をまもりぬくたたかいに、歯を食いしばって踏ん張り抜いている国労・全動労の仲間にたいして、労働者的共感をもって支援と連帯を強めることは、「よき教師」の必須条件ではないか。

◆第一に、真理をのみ尊ぶべき教育の営みへの従事者として、不正義を黙過することはできないという点において。第二に、故なくして首切り・権利侵害を受けた無数の労働者自身も、またその家族、子どもたちも、われわれの(かつての)教え子であるという点において。第三に、国鉄のたたかいが、全労働者の権利擁護闘争の最前線に位置し、明日のわれわれ自身のたたかいにほかならないという点において。
 
35人学級の実現は、子どもたちにとっては教育条件の問題であると同時に、われわれ教職員にとっては、自身の存在にかかわるぬきさしならない課題だ。とりわけ若年層にこそ、その影響は大きいはず。

◆というのも、生徒急減期に向かって、今のままの学級規模を放置すれば、定年退職による自然減や新規採用のストップ・講師化を考慮に入れても、相当数の「余剰」人員が生まれるのは必至。そうなれば、 数年前に国鉄職員に加えられた、嵐のような大量首切りの脅威と、それを背景とした息苦しい管理統制・ 選別差別が、我が身の上に襲いかかってくることは明らかだ。言うまでもなく、臨教審路線の眼目は、「できるだけカネを使わず、しかも教員と教育を統制したい」という点にあるのだから。

◆民間大企業では、とっくの昔に、「職場に憲法なし」の事態が進行。御用組合と一体で、労働者から「ノー」という権利を剥奪した上で、極限までの人減らし「合理化」 と、低賃金・長時間過密労働が強要されてきた。こうして、カローシを頂点とする無数の人間破壊・家庭破壊の悲劇のうえに、世界に冠たる企業大国ニッポンは、破局に向かう「躍進」を続けている。

◆「血のにじむような民間の苦労を思い知れ」が、国鉄解体の合言葉だった。そして、“民間並”に、組合はたたきつぶされ、職場の権利ははぎとられ、労働条件は切り下げられ、たたきあげの熟練機関士・有能な技術者・誇りある「国鉄マン」の多くが職場を追われ、出向、配転、草むしり、便所掃除、キオスクの売り子、コーヒーショップのウェイター、そして人材活用センター→清算事業団→解雇と、ありとあらゆる屈辱と苦難の試練にさらされた。

◆次なる合言葉は「国鉄の次は教育」だ。組合つぶしと、教育内容・ 教職員の国家統制にむけて、細工はりゅうりゅう。

◆その眼目は、「教員は多すぎる」「教員はタルんでる」「教員は税金泥棒」の世論を喚起して、教職員と父母との離間をはかること。四面楚歌、“学校憎し、教員憎し”の大合唱のなかで迎える急減期は、 想像するだにうすら寒いではないか。誰の首が切られ、誰の首がつながるかと、戦々恐々としながら自己の保身に汲々としなければならないような学校職場で、まともな教育活動など期待するほうが無理というもの。

◆35人学級の実現こそが、かかる事態をくい止め、われわれの仲間の間に、忌わしい「余剰人員」など生み出さずともすむ唯一の道ではないか。そして、これをめざして、共通の教育要求に基づいて父母と手を結びあうとりくみそのものが、教育の本来の担い手としての父母と教職員の分断をはかりつつ推進されている臨教審路線への、最大の打撃でもあるのだ。

◆「よき教師はよき組合員たらねばならぬ」と、戦後の教職員組合運動の先達たちは、自らを戒めてきた。子ども・青年の健やかな成長と真の幸せを願うなら、それを阻む動きには団結して抗して行かざるを得ないからだ。好むと好まざるとにかかわらず、教え子を戦場にひきずり出す荒縄の一端を、自分たちも担っていたことへの痛切な反省が、根底にはあった。

◆今日においてもまた、この言葉は真理であろう。劣悪な教育条件を放置し、仲間の首切りをも座視しつつ、「よき教師」であり得るはずはないのだから。

◆あわせて現代のわれわれは「よき教師は、よき労働者でなければならぬ」と付け加える必要がある。こんにち、人間としての尊厳をまもりぬくたたかいに、歯を食いしばって踏ん張り抜いている国労・全動労の仲間にたいして、労働者的共感をもって支援と連帯を強めることは、「よき教師」 の必須条件ではないか。

◆第一に、真理をのみ尊ぶべき教育の営みへの従事者としては、不正義を黙過することはできないという点において。第二に、国労・全動労を脱退せず、当局に屈服しなかったという唯一の理由のために、首切り・権利侵害を受けている無数の労働者自身も、またその家族、子どもたちも、われわれの教え子であるという点において。第三に、国鉄のたたかいが、全労働者の権利擁護闘争の最前線に位置づくものであり、明日のわれわれ自身のたたかいにほかならないという点において。第四に、労働者のクビと生活・権利と尊厳をまもりぬくこのたたかいは、同時に、交通行政を利潤追求から住民奉仕へと転換させ、輸送の安全と生徒の通学権をまもるたたかいでもあるという点において。

◆ここで私は、「情けは人のためならず」という陳腐なことわざを思い出す。これをキーワードに“組合ばなれ”“35人学級”“国鉄闘争”の三つをつないで、できの悪い三題話を終わることにしたい。


今日の付録


ツグミです。


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モズです。


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コロナが身辺にも近づいて来ました。


皆さん、どうか、お大事に。


今日はこれにて。


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かたづけあるある(5)「何様ですか⁇」の巻 [私の切り抜き帳]

「連合」を話題にする記事を一日休んで、ミサゴ三昧を楽しんでいる隙に、こんな記事について触れる絶好のチャンスに乗り遅れてしまいました(笑)。


1月31日付東京新聞のWEB版記事です。


https://www.tokyo-np.co.jp/article/157256

連合、立憲民主が参院選で共産と連携すれば「推薦せず」? 共産アレルギーの芳野会長は自民に接近

旧民主党時代から現在の立憲民主党まで、最大の後ろ盾として存在感を発揮してきた労組団体の連合。夏の参院選に向けた姿勢を表明する基本方針の素案に、共産党と連携する候補者を推薦しないと受け取れる文言が盛り込まれ、波紋を広げている。たたき台の位置づけで、内容を正式決定するのは2月中旬だが、支持政党は明示されておらず、一致協力して自民党と対峙してきた立民側には困惑の声が出ている。
(中略)

今月初めには、連合の新年交歓会に岸田文雄首相が政権トップとして9年ぶりに出席。その後、芳野氏が首相官邸に謝意を述べに出向くなど、自民との距離を縮めている。


これを受けて。ネット上では「芳野友子連合会長は何様ですか?」という、あきれ半分の問いかけが飛び交っています。


芳野友子連合会長は、『内閣に設置』された『新しい資本主義実現本部』で開催される岸田首相肝いりの、『新しい資本主義実現会議』のメンバー(有識者構成員)です!!


という正解も示されています。


片付けあるあるシリーズの第5回は、やはり30年前の職場新聞で、組合にまだ加盟しておられない若い教職員方のために、「あなたも組合へ Q&A」というコーナーを連載し、私が執筆を担当していたことがありました。その第3回が1991年6月13日日付No.493に掲載されているのが目に止まりました。


 


あなたも組合へ Q&A part 3

Q.組合はイデオロギーを押し付けるってホント?

 

A. イデオロギーという言葉の意味がよくわかりません。

財界お抱えの学者さんや、一部の企業寄り組合の人たちが好んで用いるように、「偏った思想」 といった意味だとすれば全く嘘です。

確かに「日本は西側の一員だ」とか「会社あっての労働者だ」とか、「お国のために血を流せ」だとかの、偏った考え方を労働者に押し付けている組合は現実にあるようです。「同盟」の「富士政治大学校」などはその良い例でしょう。

また 選挙などで、組合員に特定政党への支持や応援を 強要している組合もあり 、これではイデオロギーを押し付けていることになるかもしれません。でも高教組の場合、そんな事実は全くありません。

①要求に基づく行動の統一、②資本からの独立、③政治活動と政党支持の自由、の三原則を一貫して重視してきている組合だからです。

高教組は”思想”や”支持政党”によって団結するのではなく、”要求”から出発し、”要求”によって 結する組織です。 それでもなお「イデオロギーを押し付ける」と言いたい人があるとすれば、それはタメにする宣伝という他ありません。ちょうど、戦前、キリスト者や自由主義者も含めて、天皇崇拝と戦争遂行に協力的でない人全てに「国賊」「アカ」のレッテルを貼ったと同じく、今日、自己の生活や権利の真っ当な要求を正面に掲げようとする者には、「イデオロギー」のレッテルを貼ることでたじろがせようとする魂胆があるのかもしれません。

それは、しかし、私達の切実な要求を阻もうとする勢力に、道理ある根拠が全くないことを意味しているのではないでしょうか。とすれば、「イデオロギー」などという恐ろしげな言葉に惑わされて要求実現を 遠慮するのは、愚かしいことです。



昔の記事ですので、今では 注釈が必要な部分がかなりあるかもしれません。思いつくままコメントしておきます。


1.「イデオロギー」という言葉について、net上には、日本大百科全書(ニッポニカの解説として、こう示してあります。


観念形態または意識形態と訳されることもあるが、今日では原語のまま使われて日本語化している。一般には、思想の体系・傾向、物の考え方や、教条主義的政治思想、保守的政治思想の意味で用いられる場合もあるが、唯物論の立場からは、観念論を批判する際に、科学的理論と対立する虚偽意識という意味でイデオロギーということばが使用される。代表的な例としては、マルクスとエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』がある。マルクスは、社会的存在が社会的意識を規定するのであって、その反対ではないといって、自然・物質・存在の精神・観念・意識に対する規定性を主張した。また、マルクスは、階級闘争がみられる社会にあっては、観念形態のなかにも階級対立がみられ、たとえば、資本主義社会では、ブルジョア・イデオロギーとプロレタリア・イデオロギーの対立がみられるとした。そして、後者は、虚偽意識ではなく、科学理論と一致するとされたのである。
(中略 )

マルクスは、イデオロギーは、究極的には、社会の経済的諸関係、すなわち土台によって規定され、これを観念上に反映したものであり、したがって、階級社会のイデオロギーは、土台の生産関係を反映して階級性を帯び、対立的なものになるとしたのである。マルクスによれば、ある時代の支配的イデオロギーは、その時代の支配階級のイデオロギーなのである。


「イデオロギー」という言葉は、俗に、特定の政治・社会思想というほどの意味で用いられます。「支配階級の思想は、いつの時代にも支配的思想である」(マルクス・エンゲルス『ドイツイデオロギー』より)という状況に抗して、事態のの打開や変革をめざそうとする動きに対して、悪意を込めて「イデオロギー」というレッテルを貼り、排斥しようとする攻撃が、資本・財界、会社側労組の側から加えらていれたことを踏まえて、このようなQ&Aを考えたのでした。


.「お国のために血を流せ」 という言葉ですが、最近ではアベ内閣時代の勇ましい防衛大臣稲田朋美さんが、「(国民が)国を護る為に『血を流す覚悟』をしなければならない!」と、正直に独自の「イデオロギー」を吐露して物議を醸したことが記憶に新しいですが、このQ&A で話題にしていたのは、もちろん稲田発言より遙か昔のこと。実は旧民社党の創始者西尾広末氏の、過去の発言です。


西尾広末氏は、戦前・戦中に、労働運動を経て、社会民衆党、社会大衆党などの代議士でしたが、その姿勢は戦争遂行に前のめりでした。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では、「お国のためには血を流せ」と訴えたのでした。


それに先立つ1938年(昭和13年)3月16日、衆議院本会議における国家総動員法案の審議に際し、同法案を支持する立場から、近衛文麿首相に対し「ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく、確信に満ちた指導者たれ」と激励したことでも知られています。


.「同盟」の「富士政治大学校」について、ウィキペディアの解説を、一部引用します。


創立者は民社党第2代委員長西村栄一。西村は「1970年代の政界の激動に備えるためには、なんとしても若い活動家層を育成しておかねばならない」との理念から創立に取り組み、1969年8月に西村が集めた基金を中心にして財団法人富士社会教育センターが設立された。同年10月に労働組合員向けの研修機関として富士政治大学校が開設され民社党初代委員長で当時常任顧問西尾末広が最高顧問就任。

神奈川県座間市の松橋淳郎市議会議員によれば、「一説によると、同学校は、昭和40年代共産主義やファシズムに対して、アメリカ中央情報局(CIA)の支援を受けて創立したとも言われている」という。
(中略)
富士山麓の静岡県御殿場市に本校、岡山県のゼンセン中央教育センター内に西部本校が置かれ、同盟・中立労連・純中立・一部総評系の労組から派遣された若手組合員に対し、「二泊三日を標準としたカリキュラムで、民主社会主義の理論と実践活動についての集中教育」を行った。教育期間中に民社党関係者が入党勧誘を行い、ここで入党した青年党員は「民社党青年隊」の中核メンバーとなった。同校の研修を取材した貴重な体験ルポである宇治芳雄『洗脳の時代』(汐文社、1981年)および同書を紹介した斎藤貴男『「東京電力」研究 排除の系譜』(講談社、2012年)によれば、「全郵政ッ」「躍進ッ」または「全逓ッ」「粉砕ッ」といった掛け声を繰り返す「カケアイコール」、もたれかかってくる女性講師を胸で支えたり、女性講師と抱き合って風船を割ったりする「エンカウンティング・トレーニング」(心理学者の村田宏雄が指導)、講師が敵対する労組の組合員や民青などに扮して受講者を質問攻めにする「信念強化訓練」や「行動強化訓練」などファナティックな訓練が行われていたという。

「東京電力」研究 排除の系譜 (角川文庫)

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  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2015/11/25
  • メディア: 文庫

 

(中略)

1994年12月9日の民社党解党大会も存続しており、旧同盟系の労組や無所属・民社協会会員や新進党・民主党・民進党・国民民主党・新・国民民主党の地方議員らに研修の機会を提供してい


 


芳野友子サンが、この『富士政治大学校』に実際に学んだかどうかは存じませんが、彼女の「共産党アレルギー」の系譜は、どうやらこの辺りにありそうですね。


4.特定政党への支持押しつけと労働組合(民社党と同盟)


手元に所蔵の1992年発行の『社会科学総合事典 第1版第一刷(新日本出版社)』から関連箇所を引用してみます。


 


 


社会科学総合辞典

社会科学総合辞典

  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2022/02/02
  • メディア: 大型本



民社党


1959年10月に安保闘争に反対して日本社会党を離党した西尾末広ら右派が, 60 年1月結成した右翼社会民主主義政党。結成当初は民主社会党(略称民社党)を名のっていたが,69年11月の臨時党大会で,現在の民社党に党名を改称。 民社党は綱領にも「左右の全体主義」との対決をかかげる, 徹底した反共主義, 日米軍事同盟肯定,大企業の利益代弁,反革新の立場をつらぬいてぃる。 同盟(全日本労働総同盟, 1987年11月解散し, 全日本民間労働組合連合会に合流)など大企業の右翼的な労働組合をおもな支持基盤としてきた。リクルート事件などで塚本三郎委員長が89年2月辞任, 永末英一委員長に交代(中略)。 湾岸戦争後いっそう露骨に自由民主党との連合政権をめざし,  日米軍事同盟強化, 自衛隊の海外派兵の政策を主張している。


全日本労働総同盟(同盟)

  (前略) 64 年11月結成。もっとも露骨な反共・親米・労資協調の方針をかかげ, 日本労働組合総評議会(総評)*傘下や中立系の労働組合にたいする第2組合の組織化など公然たる分裂活動をすすめた。国際自由労連に一括加盟。民社党一党支持。 労働戦線の右翼的再編成を主導し, 87年, (中略)みずからの路線が日本労働組合総連合会(連合)に継承されたことを確認して解散。 民社党一党支持の機能を当面継承する組織として友愛会議を発足させた。


ちなみに、ウィキペディアでは、『民社党』の党名問題に関してこのようなエピソードを紹介しています。


党名改称問題

1985年4月、党委員長となった塚本三郎は、「民社党」の党名から社会主義を連想する「社」の部分を外し、「民主党」などに改称しようとしたが、春日一幸、佐々木良作らに猛反対されて実現されなかった。永末が委員長になると「われわれは、ソーシャリストの集団です」と言明し、原点回帰を目指したが、米沢隆らは「民社の『社』は社会ではなく会社の『社』」と反論した。大内啓伍委員長時代も党名から「社」を外し「民主党」などに変えようとしたが、古参幹部や学者、同盟系労組の反対で頓挫。それに替わって、大内は「民主社会主義」「社会主義」の文言を極力使わない手法を用い、“社会主義離れ”を図った。

社会主義を避けたがる勢力と、あくまで民主社会主義の正統派たらんとする勢力に二分されたことが、この党の性格を曖昧でわかりにくいものにした。このため、ブレーンの学者の中にも、「民主社会党ではなく、民間会社党になってしまう」との嘆きが聞かれたこともある。


最後に、「芳野友子連合会長は何様ですか?」のQに対するAは、もはや自明と思われます。


すなわち、何を措いても政府・財界・アメリカの意向に限りなく従順・忠実な『労働貴族』の、時代錯誤な後継者といったところですかね。お気の毒としか申し上げようがありません。


気分なおしに、今日もジョウビタキの登場です。


PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60edで阿撮影。


まずは、ジョビ子さん。


後ろ姿をノートリミングで。


逆光には弱いです。


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正面顔をトリミング画像で。


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首をかしげるしぐさが可愛い。


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髪が風に乱れてます。


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澄ました横顔。


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ジョビ男君。


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飛びます!


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今日はこれにて。


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片付けあるある(4) 「教育署名」、の巻 [私の切り抜き帳]

先日来、古い職場新聞の縮刷版をひもときながら、しばし、当時の職場のとりくみをありありと思い出しておりました。
それは、賃金、権利や平和を求めるとりくみとともに、教育を より良くしていくための 色々な とりくみでした。 なかでも、特に記憶に残っているのは、35人学級や父母負担軽減など、ゆきとどいた教育を求める全国署名の活動です。


1990年1月16日付 No.452に、こんな記事があります。


    

教育署名 ついに1000筆を突破

1/13地域行動で成果


「あら先生。今日は何事です?」
「おや、◎◎さんのお宅でしたか、実はーーー」
「まあ、寒いのにご苦労様。それでは、ご近所ご案内しましょうか?」
偶然訪問したお宅が担任生徒の家であったり、かつての教え子の家であることもしばしばで、こんな会話が弾むのも、やはり地元ならではのこと。
わが分会では、1月 13日(土)、T地区に署名行動に入りました。
あいにく センター入試初日で、3年団が留守。その他、部活、採点など悪条件が重なりA・U・Yの3人だけ( ほかに、K先生は生徒の家庭訪問の後、独自に署名行動 )。人数的には、やや寂しい参加状況でしたが、自身の居住地付近への署名行動とはまた一味違った楽しい署名行動となりました 。
3人は、放課後2時過ぎに学校を出発して、 2時半行動開始。にわか雨がぱらつく悪天候のもとでしたが、約1時間で88筆の署名協力を得ました。

行動の中では、訪問したお宅で、例外なく署名に協力していただけたことはもちろんですが、在校生、卒業生の家庭と否とを問わず、我が校への期待や要望が異口同音に語られ、またときには教育談義にも花が咲き、地域住民の温かいまなざしと期待の深さを、改めて実感することができました。
と同時に、「岡山に出た時、街頭で」「ご近所にT高の先生がおられて」「 K 高校のE先生から頼まれて」などなど、すでに署名済みの方も少なくなく、この署名運動の広がりと、他校の先生方の奮闘ぶりに勇気づけられたのも、収穫のひとつ。「もっとやりたい」が率直な感想の 署名行動でした。
この行動で、わが分会もついに1000筆の大台に到達(1月13日現在)。目標まで、あと4900筆。是が非でもやり遂げましょう。得にバイタリティある青年部諸君の決起が鍵になりそう。

(この記事の下に、100筆目標を突破した組合員として、216筆のUさんを先頭に、147筆のYさんまで、四人の名前と署名数が紹介されています。)

 


続く1月23日付 NO.451では、「教育署名 1300 筆 を突破 父母からも署名・カンパ続々」の見出しで とりくみが紹介された紙面に、こんな囲み記事が添えられています。


教育署名こぼれ話


◎1月20日に実施した2回目の地域署名行動には、 U・ S・ H ・Y の各先生が参加。あいにくの小雨の中を1時間行動して約50筆を集約。

帰り支度をしているところを捕まり「悪い予感がした」と嘆きつつも行動に参加するはめになった H 先生は、初めての経験に果敢に挑戦。 20筆集約の大健闘。
「こんな行動はしなくてもいいという約束で組合に入ったのに」「僕は気が弱くて」とぼやくS 先生も、訪問先に担任生徒がいてびっくり。でも、じっくり話し込んで 家族 全員分の署名をもらうガメツサでした(目撃者談)
◎「夫の職場の机の上に置いておくとどんどん増えました」と、また追加を持ち帰られたのはT先生。


続いて、1月31日付 NO.452では 、「教育署名高教組史上最高更新 本分会署名3000筆、カンパ10万円を突破」の見出しのもと、 こうあります。


15万筆と口で言うのは簡単ですが、よくよく考えてみるとこれは大変な数字です。

何しろ岡山高教組の歴史の中で、これまで最高の署名数は、今から25年前の1965年定員要求署名11万筆。このときは生徒急減期を控えて教職員の 首切りも予想されるなか 、県内全校からバスを連ねて旭川原で 組合員全員集会が行われたのをはじめ 、高教組運動史を飾る大闘争が展開された時期。
ついで、78年の主任手当反対署名が、70031筆、79年の40人学級署名が71455通。ご記憶の通り、これらも汗水流して、本当に一生懸命集めた署名でした
ところが、今回の署名は、1月28日現在で、ついに15万筆を突破。組合員一人平均50 筆を超えるというのですらすごい。

それだけに、各校・各地で繰り広げられているドラマは、聞けば聞くほど感動的。これは「組合不信」・「組合離れ」が進んでいるという連合傘下の職場では考えられない珍現象と言うべきかも。

この事実は、我が高教組組合員の、自発性に基づくエネルギーの頼もしさを物語ると同時に、父母・住民の教育要求の切実さを痛感させるもの。ずっしり重い15万筆です。
わが分会でも、この1月期を中心に、運動は大きく前進。 31日現在、2986筆の署名と10万円を超えるカンパが寄せられています。 昨年末段階での300筆台からわずか1カ月足らずで一気に前進できたのは、①学校・地域でも信望の厚い年配の先生方が率先して牽引車としての役割を果たしてくださったこと、② 組合加盟まもない若手の先生方が思い切って足を踏み出し、果敢にチャレンジ精神を発揮してくださったこと、③ それぞれが日頃のつながりを活かし、家族や知人にも依拠して運動の輪を広げたこと、④地元地域への土曜日一斉行動など、お互いを激励し合いながら 楽しく取り組んだこと、⑤ 全校保護者宛郵送作戦により 大胆に訴えたこと、などによるもの。

特に保護者への郵送作戦では、締め切り間際の短時日の取り組みであったにもかかわらず、打てば響く勢いで、予想以上の署名・カンパを寄せていただくことができました。保護者からの署名用紙はほとんどが 自分の家族名の他に、必ずと言っていいほど、ご近所・知人の名前で埋めてあり、同時に多額のカンパが。

やはり、父母はこの運動の「お客さん」ではなく、「もう一方の主体」でした。この取り組みは「父母との連携」を口にしつつも、いざとなると遠慮や懸念やためらいを抱きがちな私たち自身の姿勢が問い直され、襟を正される思いのする、貴重な経験では なかったでしょうか。



この記事の 脇に添えられた囲み記事「教育署名こぼれ話 Part 2」にはこうあります。



◎退院間もない H 先生。「病院へ持ってきてくれたらなんぼでもできたのに」とぼやきつつ、一週間足らずで170筆。聞けばほとんど奥さんのお手柄。「あんまり本気で集めるなと言ったのに」とはキザなセリフ。
◎最終日、 M 先生から一気に82筆。さすが少年ソフトボールチーム監督など日頃の世話役活動が光ります。
◎相談室係の H 先生。保護者からの分厚い封筒に何か深刻な相談かと青ざめたところ、実は署名とカンパ。安心と感激で二重の喜びでした 。その他呼びかけ人の一人A先生の元には書留郵便も。



そして、その年の9月12日付NO.468には 「今年も教育大運動始動『よくする会』総会開かれる」 の大見出しのもと、「昨年の73万人を上回る署名で政府・県を動かそう。9月8日(土)午後、岡山市労金ビルで開かれた『高校障害児 教育をよくする会』総会には高教組組合員や父母ら約150人が参加。35人学級をはじめ切実な教育要求の実現をめざす秋の『教育大運動』に向けて1大総決起の場となりました。 (以下略)」トイ記事が掲載され、こんな 囲み記事が添えられています。


ここまで前進

昨年度の成果

 その1

従来「45人学級しか考えていない」としていた文部省署名に押されて初めて40人学級に言及。

その2

教育費の父母負担軽減が県議会で全員一致で採択。私学助成も継続審議に。

その3

私立高校生への助成金一人当たり1万円増。

その4

障害児学校高等部に 重複学級(障害が重い子のための学級)を設置し教員を配置。



その年のとりくみを伝える11月5日付の NO. 476 の 記事です。


 

教育署名

わ!すごい・・・連日歓声

100筆目標突破つぎつぎ


50筆・100筆と、まとまった署名用紙が次々に担当者の席へ。「すごい」と周りで歓声が上がります。10月後半から月末にかけての、職員室の朝の光景です。

全号からわずか10日足らずの間に、署名集約数はうなぎのぼり。百筆突破者が続々と誕生しています。 (別表参照)
また、各学年団の奮闘で保護者宛文書も発送完了。2枚(10筆)分ぎっしり埋まった署名用紙や、多額のカンパが次々と寄せられています。感動するのは保護者からの署名の多くは、10名分の署名欄が全部違う住所・氏名(おそらく世帯主の)で埋められていること。つまり保護者の方は、一軒一軒足を運んで10家族分の署名を集めてくださっているのです。本当に頭が下がります。
こうして、10月末現在で、署名集約数はついにに1000筆を突破。「隣のK高に負けるな」「今年こそ目標の5800筆突破を」のスローガンが、俄然現実味を帯びてきています。
今春卒業生への郵送作戦も準備中で、父母・卒業生に 依拠するとりくみ細工りゅうりゅう。問題は組合員一人ひとりが自分の足でどこまで署名を積み上げるかにかかっています。残された一か月の奮闘で、今年こそ35人学級実現に王手をかけたいものです。

 


苦心談 あれこれ

Y氏 青年団、消防、子どものソフト大会、、ことあるごとに訴えた。日頃の繋がりがものを言う。307筆超えたからもうやめてもいいかなあ。
N氏 220筆。奥さんの実家のお母さんが団地を回って集めてくれた。最後の20筆は、奥さんの功。家事・育児・家庭サービスこそ署名達成の秘訣?

TM氏 部の指導などで土・日が使えないので、時間を見つけては知人に依頼。子供会の世話活動の繋がりも活かして199筆。
TA 183筆 近所に配ってまわれば持ってきてくれる。 あと は”政治力”の見せ所。
以下略。


11月15日付 NO.478


教育署名ついに昨年実績をオーバー史上最高の4000 筆台に

(記事は省略)
教育署名あれこれ
◎今春卒業生への 輸送作戦。効率よりも宣伝効果を狙おうという割り切りで実施。でも、電光石火の素早さで、代表世話人T様 宛 郵便が…。 開封してみるとぎっしり10筆分書き込まれた署名用紙が同封してあり、封筒裏には卒業生名(代)とある。県外居住の本人に代わって、保護者が集めてくださったものらしい。感謝。こうなると欲が出て「もっと帰ってこないかな・・・」
◎100筆突破のK先生。名刺を配り U 8丁目をしらみつぶし。学校への苦情、苦言も聞かされるが、手作りのシュークリームをご馳走になったりで「病みつきになりそう」…?
◎トップ街道驀進中の丁先生。500筆も越えそうな、とどまることを知らない勢い。「少しその気になればすぐに署名してもらえるのにね」…耳が痛いが説得力あり



11 月27 日付 NO.480


    

速報

教育署名ついに分会目標突破

今日現在6047筆に

とうとうやりました。至難と思えた分会目標( 5800筆)をついに超過達成し、27日午前の段階で6049に到達。要求の切実さと、みなさんの大奮闘がもたらした素晴らしい成果です。本当にご苦労様でした。

個人別目標達成状況は 下表の通り。今回も「新人」が多いに進出し、順位にも嬉しい変動が見られます。また、逐一ご紹介できないのが残念ですが、百筆目標には至らずとも、大勢の方が通常の署名運動の水準をはるかに超えた奮闘ぶり。心から敬意を表します。

 (別表に1位 TM氏552筆 、2位YS氏357筆、3位TS氏296筆 と続き 13位 M氏101筆 まで紹介されています。)



年が明けて、91年1月17日付NO.482の記事です。


35人学級教育署名

全国で2267万筆を国会提出

本文会は6283筆(108.3%)

昨年末取り組まれた35人学級署名は、全国で22,677,863筆を集約。岡山県「よくする会」の 170,708筆を含めて、国会に提出されます。

今次のとりくみでは、県出身の公明党2議員が紹介議員を受諾。昨年に引き続き運動の盛り上がりの反映です。 最終集約で本分会は署名数6283筆 一人100筆目標に対して、108.3%、カンパ 123,597円 と、昨年度を大きく上回りました。

ちなみに”宿敵”の隣校は、5570筆(109.2%)カンパ98,932円と、率では本校を上回る健闘。同地域の2校が、いずれも目標を突破し、県内全体の運動に大きく貢献できたことは、立派。

あわせて、地域住民のご協力と、同時にその要求の切実さに、襟を正される思いがします。(以下略)


思い返せば、楽しく愉快で、胸弾む、得難い経験でした。


時代は変わり、『新自由主義』的な弱肉強食の競争が企業間・労働者間にも熾烈に押しつけられ、派遣・パート・臨時の労働者の割合が増大する中で、個々の労働者は手を結び合う関係を断ち切られ、弱肉強食の世界をたったひとりで生き延びることを強いられる中で、労働組合の組織率は年々低下してきています。それは、経営側に『庇護』されたはずの「連合」系であろうと、労働者の要求を正面に掲げてたたかう気概を失うことなく奮闘し続けている「全労連」系であろうと、容易には否定することのできない厳然たる現実です。


私たちの学校職場もまた、 『新自由主義』による不毛な競争が無理強いに押しつけられる中で、「協力」よりも「競争」が称えられる気風が醸成され、全体として、組合離れ・組織率の低下を免れないでいます。


そんな状況下で、脳天気に「昔は良かった」と語ることの不見識は、重々自覚しないではいられませんが、無下には否定し去るべきではない、そして、できうれば時代に合わせて新たに再現したい大切な光が、そこには宿っているのではないかと思い、敢えてご紹介した次第です。




今日の鳥は、自然環境体験公園のカワラヒワです。


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今日はこれにて、


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片付けあるある(3) 「メーデー百年」、の巻 [私の切り抜き帳]

沼にはまると、もう戻れません。


「片付けあるある」のシリーズはとどまるところを知りません。


前回記事で話題にした「日高教(日本高等学校教職員組合)」が、旬刊で発行していた機関紙『日高教情報』に、何度か記事を寄せたことがありました。昨年の末頃、必要があって、そのうちの一つを参照したいことがありました。確か、これも、日高教発行の縮刷版に収録されていたはずだと見当を付けて、岡山高教組にお願いして探し出していただき、該当の分冊を借りてかえりました。


おかげさまで、用を足すことはできたのですが、ご多分に漏れず、ここでも「あるある」が発症しました。


今では、確かに自分が執筆したものかどうか確信が持てないものも含めて、確かこんなことを書いたよな、と思えたモノのいくつかをコピーして、冊子本体はお返ししました。


そのコピーの中に、1986年5月1日付の記事がありました。メーデーについて書いた文章でした。前回書いたメーデーの話題といささかでも関連がありはしないかとこじつけて、ついでにご紹介させていただきます。


「八時間の労働、八時開の休息、残る八時間は労働者自由に」この明快なスローガンのもと、アメリカの労働者たちがゼネストに決起したのは、百年前の今日のこと。国際メーデーの起源だ。

かって時間をもたない人関は---全生涯が資本家のための労働にすいとられている人間は、監獄にもおとる存在」と指摘した。労働時間短縮のたたかいは、駄獣から脱して人間らしく生きるための、譲れぬ課題だ。

世界の労働者は、長い険しいたたかいを経て、いま、「週休二日、週四十時間から三十五時間へ」とむかっている。ところが、″世界の優等生″”経済大国日本”では、年間で、西ドイツより四九・六日、 フランスより四〇・四日も長い労働時間がおしつけられ、しかも年々増大している。

全民労協の調査でも、組合員の一日の「ゆとりの時間」はわずか二・五時間、せめてあと四時間欲しいと訴えている。「八時間を自由に」と叫んだ百年前と比べても、事態は深刻。それでもなお、日経連サマはかくのたまう。欧米よりは確かに長い。しかし勤勉は日本の美徳。韓国、台湾、フィリピン、まだまだ下がごさる。競争にうちかつには”生産性向上”が大事。 時短かそれとも資下げか、はたまた解雇・失業か。賢明な労組幹部諸氏には、十分ご理解いただいておる次第。

メーデー百年のきょう。怒り新たにたたかゎん。


この記事から35年余を経て、果たして事態は少しでも進展したでしょうか???変わったと言えば、「経済大国日本」という言葉がもはや死語となっている点を除いては、旧態依然。というより、『後進国』状態がますます進行しているとしか言いようがありません。


賃金推移の国際比較を見れば、何の説明も不要でしょう。(出典 井上伸@雑誌KOKKO @inoueshin09 から図表をお借りします)


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新自由主義にもとづく派遣・パート・不安定雇用の増大を下支えにしながらの労働者全体の待遇切り下げが進められる一方で、消費税のあいつぐ引き上げ、社会保障のあいつぐ切り下げ等、負担と犠牲がより苛酷に押しつけられてきた結果でしょう。


最近では、あまりの窮状を糊塗しかねて、首相の口からも「新自由主義からの脱却」「成長と分配の好循環」「賃上げに向け全力で取り組む」などという言葉が語られざるを得ない状況冴え生まれています。


この状況を打開するには、何よりもまず、労働者が団結し、広範な国民各階層の人々と連帯して、資本や政治権力に迫って譲歩を勝ち取るたたかいが必須でしょう。まさか、労働者を不憫に思った篤志家の社長様のお慈悲を期待することなど、できない相談です。問題は、この、労働者を束ねて、その先頭に立って資本・政治権力に立ち向かうべき労働団体のリーダーが、その役目を果たしていないこと。しかも、その罪を自覚することもなく、よりにもよって、手を組みともにたたかうべき仲間に、思想信条の違いをあげつらってツバを吐きかけ、排斥するような事態を、これ以上続けさせるのはいかがなものでしょうか?!




昨日の児島湖で見かけたこの鳥。


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マガモの群れだと思ったのですが、、、


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ナポレオンハットのヨシガモだったかも知れません。


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オオバンも沢山います。


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自然環境医体験公園の池にも、、、、。


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この鳥を見ると大判という漢字が頭に浮かびます。


NHK朝ドラで、二代目主人公「るい」が、母「安子」の味を受け継ぎながら、「回転焼き」屋を始めます。


ですが、私たちの地方では、「回転焼き」とはめったに呼びません。「今川焼き」の呼称も、知ってはいますがめったに使いません。少し共通語を意識した場合、「大判焼き」でしょうかね。


 









 


ネット上にも、地方による呼び分けを紹介した記事をいくつか見かけます。たとえばこちらのjタウンネットの記事


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ここには、滋賀・岡山は「その他」と紹介してあります。滋賀はわかりませんが、私たちがなじんだ名前は、「ふうまん」でしょうか?「夫婦まんじゅう」の略だとも言われます。子どもの頃は、熱いので『フウフウ』と息を吹きかけながら食べるから、「ふうまん」かとぼんやり思っていました。寒い冬に似合うおまんじゅうです。


 


 


今日はここまで。


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片付けあるある(2) 「二つのメーデー」、の巻 [私の切り抜き帳]

前回に続けて、職場新聞縮刷版の冊子をひもといて、当時の時代感を彷彿とさせる記事を、もう少しご紹介しておきます。


先に引用した号を少しさかのぼって、1989年4月21日付 NO.437には、こんな囲み記事があります(編集担当の一人だった私が執筆したような覚えがあります)。


今週の新聞から

◎竹下内閣支持率ついに3.9%に。(共同通信社調べ)。
消費税の税率を下回るのも時間の問題?

◎ 高石 全文部次官起訴。汚れた文部官僚大量更迭。「上司は更迭、文書も押収されて仕事ができない」とは下級役人の嘆き。いっそ、いらぬ仕事はよしにして、学校現場にお任せになっては?


◎米下院議長ライト氏 、1900万円の献金で倫理委員会全員一致「規則違反」認定。竹下さんのリクルート献金はその10倍なのに、異常なのはどっちの国?


◎中央メーデー会場を巡る怪。東京都、遅れて申し込んだ「連合」に代々木公園の使用許可。従来の先着順のルールを無視した口実は、抽選でもじゃんけんでもなく”実績!”。
だが、これまで「連合」が代々木公園を使った実績は一度もない。片や我が統一労組懇・「軍事費を削って、くらしと福祉・教育の充実を」国民大運動実行委員会は、何度もそこで集会を成功させた実績があるにも関わらず不許可とは--- ---。

その上、メーデーの運動会化を主張する「連合」は、既に別途サッカー場を借りてある。メーデーを分裂させた「連合」の半端じゃない横車に「待ってました」とエールを送る自民党都政の合作劇。だが。これで正体がよくわかった。



続く4月28日付 NO.439では 「変質許さず第60回メーデーの成功を」という 大見出し のもと こんな記事があります。


俺たちは世直しをするつもりだ。骨折り損のくたびれ儲けにゃもうあきた。食いつなぐのにやっとこさ、考える時間なんて1時間もない。俺たちは陽の光を浴びたいのさ。俺たちは花の香りを嗅ぎたいのさ。 神様だってきっとそうしたいとおっしゃっている 。(中略)仕事に8時間を、休息に8時間を、後の8時間は俺たちの自由に。

1886年の5月、 シカゴをはじめとするアメリカ各地の労働者はこの「8時間労働の歌」を口ずさみながらゼネストに決起。十数時間という過酷な長時間労働の解消を求めるこのたたかいには、厳しい弾圧が加えられましたが、たたかいは米全土へ全世界へと広がりました。これがメーデーの起源。
戦前の絶対主義天皇陛下の日本でも、銃剣と死刑法による弾圧に抗して「労働者の生活・権利を守れ」の声は五月の空にこだましました。戦後においても、生活向上と権利の擁護、その時々の国民的課題を掲げて、労働者・国民の要求実現に大きな役割を果たしてきたのが、メーデーの歴史です。

ところが、今この伝統を断ち切り、「メーデー近代化」と称してその変質をはかる動きが全国で強まっています。 岡山県でも従来のメーデー実行委員会加盟組織にもはからず、総評・同盟・「連合」の3者による実行委員会を結成。「バザール・スポーツ・歌謡ショー・カラオケ大会」などを中心とするお祭りメーデー化を策しています。

これに対し、高教組、医労連、国労などが呼びかけて「第60回岡山県中央メーデー実行委員会」を結成。メーデーの歴史と伝統を守る「県中央メーデー」を実施します。

高教組は全ての分会が 分会旗を持ってこれに参加するよう呼びかけています。


  
さらに5月2日付NO.440 では「違いくっきり第60回メーデー」の見出しで次の記事が載っています。


   「連合」 による変身と分裂の動きの中で取り組まれた第60回メーデーは 、労働者・国民の利益の守り手が誰であるかをくっきりと 浮き彫り にしました
東京での中央メーデーは、「連合」と当局による会場妨害に抗して、急遽設定された江東区「辰巳の森公園」に、統一労組懇組合員を中心に23万人が結集。たたかうメーデーの伝統を受け継ぐ労働者の 気概とエネルギーを天下に示しました。また「連合」路線反対を掲げる都労連も、日比谷公園で3万人の独自集会を展開し、「連合」によるメーデー変質策動に批判の意思を表明。
        
一方「連合」・総評・同盟の「近代化」メーデーは代々木公園・サッカー場の両会場を合わせても「19万人」との主催者発表に失笑が漏れるほど閑散として白けムード。ゼッケン・プラカードならぬ自社のコマーシャルポスターを掲げて参加する同盟系労組の姿も見られ 、労資一体の面目躍如。

岡山県でも高教組・国労などの呼びかけによる「第60回県中央メーデー」に2200人が参加。雨の中、旭川河原での集会に続いて、約2 km の市内デモへ。思い思いのゼッケン・プラカード・横断幕による示威行動に市民の共感が寄せられていました。



そしてこの職場新聞記事には、「朝日新聞」ローカル版5月2日付記事の切り抜きが 添えられています。 興味深いので 引用します。    


二つのメーデープラカード比べ

「連合岡山」と「岡山統一労組懇」がそれぞれ開いた集会は、二つの労働団体の路線の違いがくっきり現れた。 連合の組合員等が持っていたのは自分たちの組合旗がほとんどで、政治的要求を掲げたプラカード類は20本程しかなかった。統一労組懇系の組合員は、政治要求・組合要求を書き込んだゼッケンを着け、プラカードは 百本を超えた。 横断幕なども多彩で、内容も消費税、リクルート疑惑、農政と、今日の政治の関心事や要求が並んだ。     
連合系と統一労組懇係がプラカード などに掲げた批判や要求を比べると、政治的色彩を弱めようとした姿勢と、強めようとした姿勢が浮かび上がってくる 。

 消費税粉砕機械加工掃除など消費税批判
連合4
統一労組懇28

   
「汚染議員を許すな」などリクルート疑惑追及

連合1
統一労組懇13

   
「竹下内閣糾弾」など内閣や与党に対する批判

連合0

統一労組懇 8

   
「ご飯を食べよう」など農政に関する要求

連合2
統一労組懇2

    
「年金改悪反対」など福祉に関する批判や要求

連合0

統一労組懇13
     
「賃金あげよ」など 労働条件に関する要求

連合1

統一労組懇3

「祝メーデー60回」などメーデー開催を祝う

連合14
統一労組懇5

   
「国鉄労組の雇用を確保せよ」など JR に関する批判や要求

連合0

統一労組懇20

「核はいらない」など反戦平和の主張

連合0

統一労組懇2

    
野党批判や婦人問題などその他の 批判 や要求

連合0

統一労組懇16


ここで、もはや「歴史的用語」となった感のある「統一労組懇」とか「統一労組懇慧系」といういかめしい用語について、補足説明が必要かも知れませんね。


「統一労組懇」は「トウイツロウソコン」と読み「統一戦線促進労働組合懇談会」の略です。簡潔な説明や紹介がないだろうかと、NET上の用語辞書や毎度のウィキペディアなどで調べてみましたが、どうも不正確でわかりにくいので、自分なりの説明を加えようかとも思いましたが手に余りますので、「一次史料」をお示しするのが最上と思い、統一労組懇自身の表明を引用して紹介することにしました。


労働戦線の真の統一のために(五項目提言一九七九年六月十二日)

統一戦線促進労働組合懇談会

一、わが国の情勢は、政治的にも重大な局面にある。
独占資本と自民党政府の全面的な反動的攻撃は、国民各層との矛盾をますます激化させている。
とくに、労働者階級に対しては、経済危機を背景にして「減量経営」などの搾取強化の攻撃をつよめており、労働者の生活の破壊と雇用不安を増大させている。
こうした事態に直面して、独占資本、自民党政府に対決し、労働者、国民の生活と権利を守ってたたかう労働戦線の真の統一を実現することは急務となっている。
二、このように、労働者、国民の刹益を守るために、真の労働戦線の統一が急務となっているにもかかわらず、いま、わが国でおこなわれている労働戦線統一の議論は、まさにそれに逆行する方向をとっているといわなければならない。
すなわち、昨年から「戦線統一」あるいは「戦線結集」などを標榜して著しい動きをしめしている一部の人たちは、「労働組合主義」「国際自由労連加盟」「社会主義インター支持政党との協力」など特定の路線での一致を前提としたいわゆる「選別」結集をすすめようとしている。
これは、現在の異なったさまざまな路線や潮流が存在するわが国の労働組合運動の現状を無視したものであり、統一の名による分裂主義といわなければならない。
しかもこれらの人たちは、「自由にして民主的な社会を守り、その発展のために、組織をかけて対処する」といって、現在の独占資本と自民党政府が支配する現体制擁護の立場を明確にしている。これは明らかに、労働者・国民の利益に背を向けているものといわなけれはならない。
なお、労働戦線統一をめぐって「特定政党支持みなおし問題」が議論されているが、わが国の労働戦線のいくつかの潮流が、国際的にも明らかになっている「特定政党支持」の誤りを、現在なお固執していては労働戦線の統一を実現することができないことは自明である。
労働組合は、労働者が思想、信条のいかんにかかわらず、共通の要求で団結し闘争する階級的大衆組織である。その労働組合が、組合員に特定政党の支持や排除を押しつけることは、みずからの基本的性格をそこない、団結を弱め、労働者の基本的人権をじゅうりんするものであることを改めて明らかにしておかなけれぱならない。
一九七二年の総評臨時大会に、全日自労、全自運など十三単産が共同して、労働者、国民の利益を守るために、労働戦線の真の統一を実現するために、労働戦線の真の統一を実現する重要性を明らかにした「労働戦線統一についての七項目の提案」がおこなわれた。この提案は、基本的に現在の情勢のもとで正しいものと確信する。
同時にわれわれは、現在の新たな情勢のもとで、労働戦線の真の統一を実現するために、つぎの五項目を提起するものである。
1.搾取と抑圧に反対して、労鋤者、国民の生活と権利を守る大衆的共同行動の促進。
2.労働組合の「資本からの独立」、「政党からの独立」を確立し、階級的自主性の堅持。
3.反共主義にもとつく選別に反対し、開かれた統一。
4.特定の国際路線を前提にせず自主的な統一。
5.未組織労働者の組織化。
この五項目は、現在の複雑な情勢のもとで、独占資本と対決し、労働者、国民の利益を守る力としての真の労働戦線統一実現のために、不可欠なものであり、職場、地域で大衆的な討議がすすめられるよう心からよびかけるものである。
(世話人組合)
全日自労、運輸一般、民放労連、全農協労連、全損保、医労協、自交総連、国公労連、日高教、全動労


「世話人組合」として名を連ねている世話人組合の一つに「日高教」がありますが、それは、「日本高等学校教職員組合」の略称で、私が現役時代所属していた組合の中央組織でした。その後、数次の組織的統合を経て、現在は、全日本教職員組合(全教)に合流して今日に至っています。




ところで、連合設立から30年余、初めての女性会長ともてはやされている芳野友子サン、先の衆議院選挙の投票日前にも選挙後にも一貫して、「立憲と共産の共闘あり得ない」などとする特異な主張を繰り返し、これまで大切に育ててきた市民と野党の共闘に、外野から冷水を浴びせています。


自分をナニサマと勘違いしたのか、あきれたワガママムスメ(いやいや、娘と呼ぶのは不正確に過ぎましょうか?)ですワイ。


この方、聞けば、1966年〈昭和41年〉生まれで、1984年18歳でJUKI入社、1999年中央執行委員という経歴だそう。連合が結成された1989年当時は、20歳そこそこの初々しい青年労働者だったはず。どこでどう道を誤れば、こんなふうに育つのでしょうかね。


ウィキペディアからの引用です。


立憲民主党日本共産党の選挙協力(野党共闘)には反対の立場である。2021年総選挙について立憲民主党が96議席しか取れなかった件について共産党と連携したせいであるとし、立憲民主党に共産党との決別を要求している[4]。そして立民・国民民主・連合の3者で政策を共有して連携して力を合わせることが必要としている[5]

野党共闘を妨害しているとの批判に対しては、共産が掲げる「野党共闘」とは「綱領に基づく統一戦線の1つの形であり、共産主義社会実現のための手段」であるとし「共産主義社会の実現を目指している勢力から、『野党共闘』の足を引っ張るなと批判されるゆえんは全くない」と反論している[5]

  1. ^ 産経新聞 連合・芳野会長「立民はもう共産と決別してほしい」
  2. ^ a b 産経新聞 連合が衆院選総括「野党共闘は共産社会実現の手段」

あまりにモノを知らすぎるのか、それとも、あまりに忠実に、時空を超えて「連合」の存在意義を具現しているのか?嘆かわしい限りです。


気分直しに、今日のジョウビタキ♀を載せます。自然環境体験公園の午後の散歩です。コロナウィルスオミクロン株感染拡大のため、岡山後楽園は閉園になりましたが、ここはまだ開いていました。コロナの猛威は、すぐそばまで及び、近くに住む孫の一人は、学級閉鎖。隣市に住む孫の遊び友達が陽性、、、だそうです。不安がつのります。


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今日はこれにて。


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