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3月8・9・10日のメモ、の巻 [今日の暦]

3月8日は国際女性デー、3月9日は父の命日、今日3月10日は東京大空襲の日でした。


去年の3月には、こんな記事を書きました。


葬儀報告、の巻(2022-03-14)


昨日、父の葬儀を家族葬ですませました。

生まれて初めて『喪主』というものになり、こんな挨拶をしました(概要・ブログ用に一部編集)。

本日は お寒い中 、ご多忙中にも関わらず、 遠路、また大事な予定をキャンセルするなどして、こうしてお集まりいただき、ありがとうございます。

父は、昭和2年(1927年)5月○○日、当時日本の植民地だった朝鮮の北部、平安北道というところで、警察官だった○○の長男として生まれました。そして、その地で少年時代を過ごしました。最近父が「自分史」の一端として書き残していた文章をまとめ、小さな冊子を作りましたが 、その中にも、子どもの頃食べた松の実の味の事や、 朝鮮人の友達と長いツララでチャンバラごっこをして遊んだことなどが懐かしい思い出として綴られています。
5歳の時、祖母が急死したため、急いで日本に引き上げることになり、こちらでの生活が始まりました 。時経ずして、母○○が、妹を出産した直後に亡くなったため、「母のない子」としての少年時代を懸命に努力して家の生活を助けながら学業に励みました。進学への希望はありましたが、家計の事情で断念するしかなく、高等小学校を卒業してすぐに東京の鉄工所に 就職するところまでが、この冊子には綴られています。
ところで父の命日は3月9日ですが、翌3月10日は、東京大空襲の日です。この冊子の付録として、晩年の父が時々地元新聞 の読者欄に投稿していた文章も採録していますが、その一節を読んでみます。 (注1参照)

若者に絶対駄目と願いたい

年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のように米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失つた。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。 (美作市 91才)

ちょうど今、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻というニュースが世界中を悲しませていますが、この「戦争は絶対ダメ」というの言葉を、プーチンさんにも伝えたいと、強く思っているところです。
さて、東京空襲で焼け出されて郷里に帰った父は 、地元の鉱山で勤労奉仕に従事している時、終戦の知らせを聞きました。「悲しいようなホッとしたような苦い思い出である」と、終戦記念日に寄せた 投稿で書いています。その時18歳でした。(注2参照)


上にも書きましたが、ロシアによるウクライナ侵略が始まって、早くも一年が過ぎました。


平和な春が訪れますように、の巻(2022-03-04)


地元「九条の会」が3月9日に予定している「9の日行動」で、スタンディングの際に使おうと、こんなプラスターを作ってみました。これを使わなくて済む状況が一刻も早く訪れますように。

noputin

地元のお仲間と、こんなハガキをロシア大使館に送る相談をしています。

ロシア連邦大統領 
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン閣下
  貴国によるウクライナへの武力侵攻の報道に接し、私たちは、ヒロシマの被爆詩人峠三吉の詩を改めて想起せずにはいられません。
ちちをかえせ/ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ/わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの/にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ
  全人類に向けたこの痛切な伝言を胸に刻む者の一人として、取り急ぎ、謹んで緊急のお願いを申し上げます。
1)直ちに武力侵攻を中止され、平和を回復してください。
2)ウクライナの子どもたち、女性、高齢者を含む大勢の市民、及び祖国愛に燃えるロシアの勇敢な若い兵士たちに、これ以上の無益な流血を強いないでください。
3))核の使用はもとより、核兵器で世界を威嚇することをやめ、核なき世界、理性と愛が支配する平和な21世紀の実現にむけて、賢明なリーダーシップを発揮してください。
  どうか、それにより、閣下とロシア国民の栄誉が、後世に長く記憶されるよう祈念するものです。

ロシア大使館の関係者の方、もしこのブログを瞥見される機会がありましたら、どうぞ、一刻も早く、プーチン閣下にハガキ文面をお伝え願わしゅう存じます。


 


謹告、の巻(2022-03-13)  


地元九条の会が行う、今月の九の日行動について、若きお友だちのH女史が、ご自身のブログで、紹介してくださっています。

その一部を、いつものように無断で(ゴメンナサイ)ご紹介させていただきます。

この日の手には…

3/9(水)は、わが町「9条の会」のスタンディングの日でした。
いつものように行われるはずでした。
こんな気持ちでこの日を迎えることになるなんて…。
手には、それぞれに、手書きで、パソコンで、自ら新たに準備したプラカードが持たれていました。
「Stop Putin」「ウクライナに平和を?」「No War」…

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そして、「9条壊すな」。

(中略)

9条の会メンバーの方がハガキを作ってくださいました。

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ロシア大使館気付、プーチン大統領宛です。
四角の枠に一言メッセージを添えて送ります。

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「微力だが無力ではない」という言葉を信じて。


あれから一年経った昨日の3月9日も、「九の日行動」、いつも通り行いました。プーチンのウクライナ侵略を糾弾するにとどまらず、危機に便乗して敵基地攻撃能力の保有、軍事費2倍化へと急ぐ岸田内閣の悪乗りにストップをかける仕事、なかなか厄介なことです。


前出のH女史が、またこんなブログ記事をUPしてくださっています。いつもながら著作権・知的所有権問題にルーズな小生、無断引用させていただきます。


ミサイルよりも

国際女性デー(3/8)に心を寄せて爽やかに意思表示する、世界の女性たちの姿が今日も配信されています。
1910年に呼びかけられた「はじまり」から今日まで、女性デーの歴史は反戦平和のたたかいと一体だったことを知りました。(中略)

そして昨日(3/9)は、わが町9条の会のスタンディングの日でした。
回を重ねるたびに、車の中からこちらにしっかりと目を向けてくれる人、しっかりと手を振ってくれる人が少しずつ増えている気がします。
信号で止まるとき、私たちの姿を遮らないようにと大きく間隔をあけて止まってくれた大型トラックの運転手さんもいました。何事もないように前を向いて座っているその運転手さんの心遣いにじんわりと胸があたたかくなったスタンディングでもありました。
この日の私のプラカードはこれ。

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家を出る前に急ごしらえで作りました。手元にあった紙をコピーさせていただいて。
スーパーに買い物に行くたびに「このさき家計は大丈夫?家族のいのちは守れるの?ミサイルで守れるの??」と思う気持ちを書きました。
…しかし、地味だな。。次回はもう少しカラフルにしよー。
明けて今日、3/10、東京大空襲から78年となりました。


        さて、今日の写真は、先日のカメラ散歩で持ち出したPENTAX k1MARKⅡ+TAMRON SP500mmレフレックスレンズの組み合わせで撮影した画像です。


ノントリミングで  こんな望遠マクロ効果が発揮されます。


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少し離れた鳥を写すにも500mmの威力は侮れません。完全なマニュアルフォーカスですが、PENTAXk1MARKⅡの大きさ見やすさと、「フォーカスアシスト」の助けにより、まずまずのピント合わせが可能です。


鍬とジョウビタキ。


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枝の上のツグミ。


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電線に止まるムクドリ。


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   小川の向こう岸にカワセミがいましたが、さすがに遠いので、トリミングします。


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今日はこれにて。


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