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佐川町探訪記(3)の巻 [日録]

年金額改定減額処分取り消し・マクロ経済スライド違憲国家賠償などを求める年金訴訟の、広島高裁岡山支部での第7回口頭弁論が5月18日(木)開かれ、傍聴しました。参加者は原告・傍聴者併せて79人。法廷内には入れず,待合室で待機する人もありました(私も,開廷間際一つ席空きが出来たのでかろうじて傍聴できました)。
裁判官のひとりが交代するということもあって、この日の口頭弁論では、原告を代表して近藤劭県年金者組合委員長が、また原告代理人として古謝弁護士、則武弁護士が一定の時間をとって陳述しました。
近藤委員長は、2015年5月に裁判を起こしてから8年の間に11人の原告が亡くなられたことに冒頭言及したうえで、私たちの訴えに耳を貸そうとしなかった岡山地裁判決を批判。高等裁判所が「司法の役割をしっかり発揮して」「年金の引き下げが原告らの生活の経済的基盤を揺るがしている実態を正確に認識していただき、年金引き下げの必要性・合理性があったのか、マクロ経済スライドで年金減額を行い続ける必要性があるのかをしっかりと吟味し,憲法にのっとっての公正な判決」を要望しました。最後に「世界では当たり前の社会保障の最低基準であるILO102号条約にのっとて判断がされるべきですが,国はこの点も条約違反ではないと強弁しています。ILO102号条約違反があるのか否かを判断するためにも私たちが承認申請している筒井晴彦氏の証人採用を」と強く求めました。


原告側が証人採用を求めている 筒井晴彦さんについて、国側は、「学者など専門家ではないこと、事務経験がないこと」などを理由に挙げて採用を妨害しており、他の裁判所でも同様の利用で不採用になったところがあるそうです。


ネット検索すると、筒井さんの作品としてこんな著作がヒットします。



8時間働けばふつうに暮らせる社会を―働くルールの国際比較〈2〉

8時間働けばふつうに暮らせる社会を―働くルールの国際比較〈2〉

  • 作者: 晴彦, 筒井
  • 出版社/メーカー: 学習の友社
  • 発売日: 2017/12/01
  • メディア: 単行本


 


 
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

筒井/晴彦
1954年、神戸生まれ。働きながら大阪外国語大学二部(当時)英語科卒業。労働者教育協会理事


「働くルールの国際比較」 学習の友社(2010/03発売)


働くルールの国際比較

働くルールの国際比較

  • 作者: 筒井 晴彦
  • 出版社/メーカー: 学習の友社
  • 発売日: 2023/05/22
  • メディア: 単行本

2010年当時の略歴も引用します。


著者等紹介
筒井晴彦[ツツイハルヒコ]
1954年神戸生まれ。働きながら大阪外国語大学二部英語科卒業。ハンガリー留学、全労連事務局などを経て、現在、日本共産党中央委員会国民運動委員会勤務。労働者教育協会会員、労働運動総合研究所会員、金属労働研究所会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


「学者など専門家ではないこと、事務経験がないこと」と一蹴すべからざる経歴ではありませんか?しかもここにあるように、日本共産党が国会論戦や国際活動において活用する外国語文献や資料の翻訳活動に携わり、特にILOをはじめ労働運動・労働問題に関わる造詣においては、追随を許さないオーソリティであることは、素直にみれば一目瞭然でしょう。


後者の内容説明と目次をコピーしてみます。



内容説明
ILO条約・勧告という国際労働基準とEU(ヨーロッパ連合)の「社会的ルール」を紹介することによって、「ルールある経済社会」について具体的なイメージをもってもらうことを目的にしている。

目次
第1章 経済危機に国際社会はどうたちむかっているか
第2章 ILO(国際労働機関)はなにを重視しているか
第3章 ヨーロッパ雇用社会の特徴
第4章 派遣労働の国際ルールは労働者保護
第5章 人間らしい労働時間をめざして
第6章 世界が重視する最低賃金制の役割
第7章 公契約規制の今日的意義
第8章 世界の労働組合の新しい動向
第9章 たたかいがルールをつくる


「学者など専門家ではない、事務経験がない」と突っぱねる前に、真摯に耳を傾けで判断しようか、となるのが、客観的・理性的な態度というものでしょう。思わず、こんな場面が二重写しになり、友人らともおのずと意気投合したことでした。


<らんまん>万太郎、さすがの英語力! 田邊教授も「I want you here」 痛快な展開に「胸が熱くなった」


https://news.yahoo.co.jp/articles/3c2d50c376aa784e6188357a7c47c91f0b367466


万太郎は、東京大学植物学教室の教授・田邊に大学へ出入りさせてもらえないかと懇願。土佐で採集した植物の標本を見てほしいと訴える。

しかし、万太郎が小学校中退だと知った助教授の徳永(田中哲司)と講師の大窪(今野浩喜)は猛反対。徳永は万太郎に「教授と話したければ、まず順序というものがある」と肩を叩き、まずは中学を出るよう話すと、そばで話を聞いていた田邊は「OK…」と切り出し、標本について「よろしい。中身を見よう」と答える。そして自身が土佐の人に恩義があると告げ、さらに社会的地位のあるものは果たすべき義務があると英語で説明する。

尊大な態度で言い放たれた田邊の言葉に対して、万太郎は毅然とした態度で「ほんなら、結構ですき」と応じ「You want to be laughing when I'm no by the world.(あなた方は黙って、わしが世界に打って出るがを眺めちょったえい)」と言い返す。

英語に感心する田邊や驚く徳永たちに対して、万太郎は「確かにわしは小学校も出ちゃあせん」と認めつつ植物を愛する気持ちは誰にも負けないと言い「土佐の野山がわしの血肉じゃ!」と語る。




佐川町探訪記のつづきです。


牧野博士の生家「岸屋」跡を跡にして、青源寺そばを通って牧野公園へ向かいます。


青源寺について佐川町観光協会HPから引用します。


土佐山内家筆頭家老深尾家の菩提寺
慶長8(1603)年佐川領主、深尾家の菩提寺として創建された、臨済宗妙心寺派の寺院。庭園は乗台寺と共に土佐三大名園の一つで県指定文化財。
枯淡の味わい深い庭園で、禅林の風格を持った簡素さが特徴。春は桜、秋は紅葉の彩りが非常に美しい。


佐川町は、江戸時代、土佐藩筆頭家老の深尾氏の城下町として栄えました。深尾氏は土佐藩主山内家の筆頭家老で、1万石のお殿様。佐川町地場産センターには、地元の模型作家、栗田眞二さん作成の町並み模型が展示されていますが、深尾重義のお屋敷の壮大な規模に驚きます。


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青源寺庭園には心引かれましたが、この日はパス。短時間、お寺のたたずまいを駆け足で眺め見ただけでも、魅力が伝わってきます。新緑の今も、紅葉の秋も、腰を据えて半日でも一日でも浸っていたいと思えました。


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芭蕉の句碑などもありました。


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佐川城址堀跡を横目に見ながら歩きます。


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メインの見学場所、牧野公園です。


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牧野公園
牧野公園は、佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士により贈られたソメイヨシノの苗を植えたことを契機に桜の名所として整備されてきた。
昭和33年に公園内の町道が完成したときに「牧野公園」と称することとなった。
平成20年からは公園の桜が老木となったことから、地域住民で桜を蘇らそうと、古い桜の伐採をおこない、リニューアルを進めている    


    

  「土佐の野山がわしの血肉じゃ!」のセリフが真実味を持って響く、豊かな植物相が、手厚い管理の下、見事に命を輝かせています。


「雑草ゆう草はないき。必ず名がある。天から与えられ、持って生まれた唯一無二の名があるはずじゃ」


「わしは信じちゅうき。どの草花にも必ず、そこで生きる理由がある。この世に咲く意味がある。」


牧野公園に生えている植物には、克明にネームプレートが標示してあり、親切なことに、今開花中の花には、親切に、「咲」と標示されているのが嬉しいです。


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今日はこれにて。


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