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トホホの続き、の巻 [カメラ三昧]

トホホの続きです。


前回記事で載せたツマグロヒョウモンオスや、墓参りの場面の、別の写真も載せておきます・


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携行したのは、Pentax K 30 にタムロン 18 -250mm 。 その日に出会うような大抵の被写体は、 18-250mm の ズーム域で 事足りる つもりだったのですが、 どういうわけか、このレンズ、いざ使おうとするとレンズが 18mmの最広角域で固定され、 ズームが少しも動かなくなってしまいました。 ロックボタンが付いているのですが、これを解除してもなおりません。 広角域の写りは それなりに 満足のいく 出来栄えですが、 高倍率レンズとしては いくらコンパクトな 機種 とはいっても、 広角撮影だけのために このレンズを持ち 歩くのは 鶏を割くに牛刀を用いるの類で、 いささか滑稽でもあります。


TAMRON社のサイトを検索すると、このレンズについて、こんな記事が掲載されていました。


AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II
LD Aspherical [IF] MACRO


ズーム比「13.9倍」。使いやすい広角28mm~超望遠388mm相当の画角(35mm判換算)を達成しています
AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] MACRO

タムロンがオリジナルで開拓してきた高倍率ズームのコンセプトは、「広角も望遠も一本だけでOK」という非常にシンプルな、ユーザー様のご要望にお応えするものです。タムロンはこの原点を常に見据え、ズームの高倍率化に取り組んできました。『デジタル一眼レフカメラ専用設計とすることにより、ワイド側の短焦点化を達成しながら、どこまで望遠側を拡張できるか?』その自らへの問いかけが、ズーム倍率13.9倍を持つ超高倍率ズームレンズModel A18として実現しました。

超高倍率化、小径化を達成した、「パワー配分の最適化」をめざす光学設

望遠側の焦点距離を250mmにまで拡張するため、軸上色収差を低減するLD(異常低分散)レンズを第1群に、その他にADレンズを1枚採用。歪曲収差や球面収差を低減し、コンパクト化に寄与する複合非球面レンズ2枚を適所に採用。全4群中の第3群の光学構成を徹底的に追究し、光学構成全体のパワー配分の最適化を求めました。その結果、非点収差を中心とした諸収差を良好に補正すると共に、第1群の小径化によるコンパクト化、超高倍率化を実現した、最良の光学構成を得ています。

*13.9倍の超高倍率ズームを実現するため、XRガラスは採用せず、光学構成全体の最適化による小型化を追求しています。

最短撮影距離 ズーム全域で0.45m、最大撮影倍率1:3.5を実現

デジタル一眼レフカメラ専用の高倍率ズームではトップクラスの最短撮影距離0.45mを、ズーム全域で実現しています。また、250mm側での最大撮影倍率も、1:3.5*となります。

*APS-Cサイズ相当の撮像素子は、35mm判フィルムに比べて小さいため、本レンズは、35mm判カメラで最大撮影倍率1:2.3のレンズで撮影した時に得られるのとほぼ同等の範囲(約8cm×約5.5cm)を、画面いっぱいに写し撮ることができます。

撮像素子に入射する光の角度を考慮した、デジタル一眼レフカメラに最適な光学設計

ズームによる収差変動の影響にも考慮し、画面中心から周辺まで撮像素子に入射する光の角度を一定の範囲内に収めるよう考慮した光学設計を採用しています。

高解像性能を実現

デジタル一眼レフカメラ専用のレンズとして、高解像性能、高コントラスト性能、平面性に優れた画質を実現し、さまざまな撮影シーンに対応できます。

徹底したゴースト・フレア対策。インターナル・サーフェイス・コーティングを採用

デジタル一眼レフカメラ特有の、ミラーボックス内の撮像素子の影響による内面反射に対処するため、レンズ面の反射を徹底的に抑えるマルチコートや、インターナル・サーフェイス・コーティング(レンズ貼り合わせ面へのコーティング)を積極的に採用しています。

機構的工夫により、超高倍率ながら軽量・コンパクト設計を実現

機構的な工夫により、コンパクトなボディの中に複雑な構造を納め、優れた携帯性、操作性を実現しました。AF28-300mm(Model A061)の構造を基礎に、各鏡筒部品の役割分担を見直し、積み重ねてきた複雑なメカ設計のノウハウをさらに進化させ、小型化、精密化、高倍率化を実現しています。さらに生産面においても、複雑な構造を持つこのレンズの製品化のため、部品の高精度化・軽量化・強度向上など、製造技術の革新を図っています。

携帯に便利なズームロック機構採用と花形フードを標準装備

携帯時の自重落下を防止する「ズームロック機構」を搭載しています。また、クリアで抜けの良い描写性能を実現するため、画角外から射し込んでくる有害な光線を画面の四角いフレームに適した効果的な形状でカットする花形フードを標準装備しています。

仕様

モデル名
A18

焦点距離
18-250mm

画角(対角画角)
75°33'-6°23'(APS-Cサイズ相当)

明るさ
F/3.5-6.3

レンズ構成
13群16枚

絞り羽根枚数
7枚

最短撮影距離
0.45m(ズーム全域)

最大撮影倍率
1:3.5(250mm時:最短撮影距離0.45m)

全長
84.3mm*

最大径
φ74.4mm

フィルター径
φ62mm

質量
430g*

最小絞り
F/22

標準付属品
花形フード

対応マウント
ニコン用 (AFモーターを内蔵しない従来タイプ)/ ニコン用(N II:AFモーター内蔵タイプ)/ キヤノン用 / ソニー用 / ペンタックス用

希望小売価格
¥71,429(税込¥75,000)

発売時期
2007年

生産終了
2008年(ニコン用従来タイプのみ終了)
2010年(AFモーター内蔵ニコン用[N II]及びキヤノン用、ソニー用、ペンタックス用終了)


このレンズ、私にとって必要不可欠であるかどうかは確信が持てませんが、しかし便利なレンズであることは間違いがないので 、 しばらく 迷った末に 、カメラ屋に修理依頼をすることに しました。
店頭に持ち込み、修理の 相談をすると 店員さんが早速 メーカーと連絡を取ってくれました。修理 が可能かどうかの確認をしてからメーカー送りにするのが よかろうとの配慮からでした。 その時のメーカー側の返事は、 古い製品なので、 部品が 保管してあるかどうか確認してたうえで、改めて修理可能かどうかの連絡をする とのことでした。 修理が可能なら メーカー送りにするということで、店頭預かりをお願いして帰りました。


と、その日のうちに カメラ店から電話があり、メーカーには 部品が無く修理不能との由。 お預かりしてるレンズはそのままお返しします とのことでした。


カメラ店を訪ねる前は、敢えて修理代金をかけてまで 修理を依頼するかどうか という点では悩みましたが、 修理不能という結論は想像もできませんでした。 古い製品とはいっても、私のなかでは比較的新しいらしいレンズのつもりでした。


上のメーカーサイトの情報によると、と2010年に生産終了 となっているようです。なるほど10年以上も前の製品なら、部品がないというのも成り立つのでしょうかね。
ところで、私が購入したのはいつだったか、気になったので調べてみました。amazon, 楽天 ,YAHOOショップ,キタムラカメラなどの購買履歴をしらみつぶしに確かめたのですが、見つかりません。(YAHOOショップは、7年以上遡れないのでそれ以前の購入だと履歴に記載されていません)


ネットオークションの記録も、以前は履歴がたどれたような覚えがありましたが、現在のシステムでは、ごく短い期間のものしかたどることができません。一つのアイデアとして、取引相手からの「評価」を丹念にたどっていけば取引商品名も記録されているはずと、何年間かにわたってネット取引の記録をたどり記憶を飛び起こしては感慨に浸っては見たのですが、これも徒労でした。
ちなみに、私のブログでこのレンズが登場するのは、どうやら2014年頃からのようです。たとえばこんな記事の前後が初出のようです。


夕焼け その4(2014-10-20)


夕焼けシリーズも4回目になります。

昨日の夕方、町内のはずれまで散歩の足を伸ばしました。

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空と川を染めて夕日が西に傾くのを、橋の上から見るのが好きなのですが、歩くとちょっと遠い。車だと、駐車場所に困る。自転車で行くのが便利です。でも、「散歩が主、撮影はついで」というコンセプトを改めて確認し、敢えて歩くことにしました。

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(中略)

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上の写真は、pentaxk5+タムロン18mm-250mmで撮影しました。


疑問を残して終わるのも目覚めが悪いので、2013年から2014年頃を中心に、当時の着信メールを逐一ひもといてみることにしました。すると、ようやく、2014年9月18日(木)付のメールで、ネットオークションの取引の記録をみつけだすことができました。


kazg様

おめでとうございます!
商品「★超美品!★ TAMRON AF 18-250mm F3.5-6.3 Di2 A18 PENTAX♪★」を落札しました。

※このメールは今後必要になる場合がありますので、必ず印刷または保存して
おいてください。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃■落札したオークションの情報
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

商品:★超美品!★ TAMRON AF 18-250mm F3.5-6.3 Di2 A18 PENTAX♪★
オークションID:◎◎◎◎◎◎◎◎
終了日時:9月 18日 22時 51分
---------------------------
希望数量:1
落札数量:1
落札単価:16,500 円


私にとっては、それ以来8年弱の付き合いになります。ちょいとしたお出かけの時などの常用レンズとしてしばしば使用し、当ブログにも頻繁に撮影画像を載せました。我が家のレンズの中では比較的新参者で、深い愛着を覚えるまでには至っていないのも事実ですが、使えなくなってみるとしみじみ残念さがつのります。


たちまち、ちょっとしたお出かけ時の常用レンズをどうするかに悩みます。


広角域は軽量・コンパクトなものをカバンの隅に入れ、貿易中心にレンズを選ぶ、ということになりそうです。


まず試してみたのは、古いところで、SIGMA APO70-300です。こんな記事で紹介しました。



相も変わらぬガラクタ較べ、の巻

ずっと以前(2013年8月)、こんな記事を書きました。

飽きもせず昨日も今日も蜻蛉撮り

今日は久しぶりにsigmaAPOmacro70-300というレンズを、pentaxK5Ⅱに着けて出かけてみました。

(中略) 
レンズは、いくらでも欲しいものがあって限りがないのですが、最近は①よく写る、②コンパクト、③廉価という、巴合戦の中で、たいがい③を優先させて、旧時代の中古レンズを増やしてしまうことに。結局、あちらを立てればこちらが立たずで後悔の連続です。
(中略)

ところで、この、今日久しぶりに使用したSIGMAAPO70-300は、二万円程度の価格に似合わず、APO仕様で、写りにも高評価が与えられています。画角も70-300mmと望遠としては申し分なく、デジカメのAPF-Cサイズでは、35mm換算105mm-450mmという超望遠ズームに相当することになります。おまけ機能ですが、200mm―300mmの画角で、マクロ撮影ができるのが、特筆もの。
フィルムカメラ時代からお気に入りで常用してきたレンズなのですが、経年相応の劣化か、ズームやフォーカスの際の動きがなめらかでなく、特にマクロ撮影の場合などは微妙なピント合わせをMFで決めたいのに、ピントリングの動きがギクシャクしてしまうのはストレスですし、DAL55-300mmに比べると大きく重いためもあって、お蔵入り状態でした。
でも、久々に持ち出してみると、結構使えるかな、という感じ。蜻蛉や蝶や、出会う隣人達のサイズからして、70-300mmmacroは、やはりありがたいです。    

五年以上も前の記事ですので、状況に変化は少しあります。

【その1】SIGMAAPO70-300macroは、その後、迷った末に、愛着の深さを優先して福沢さん一枚の支出は覚悟して、ピントリングの調整など、修理に出しました。そのほかの微調整もしてもらったのですが、やはり重くてかさばる点は気になって、出番は多くはありません。


これを、フルサイズ機のk1Ⅱに着けて散歩したらどうだろう??


フルサイズ機での望遠300mmは、やはり非力で、遠いものは小さくしか写りません。かなりトリミングしています。


ヒャクニチソウに止まるイチモンジセセリ。


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稲田に降り立ったケリ(の家族?)。


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アオサギ。


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ダイサギ。K1IM6116


クマゼミ。K1IM6120


アブラゼミ。K1IM6164


ツクツクホウシ。


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ツマグロヒョウモン♀。K1IM6152


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70mm域では、風景もいい感じに写りますK1IM6182


飛翔する赤トンボ。


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イトトンボ。


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ハートイトトンボ。


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満足のいく写りとは言いかねますが、コストパフォーマンスは上々です。


今日はこれにて。


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墓参りその他、の巻 [日録]

先日、サナギの画像をご紹介したツマグロヒョウモンが羽化しました。


これから、郷里に同行しようとする小2の孫が発見しました。


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大体週一回はコンスタントに、郷里の老母を訪ねています。孫たちが夏休みになって、孫守もせねばならないので、いっそ一緒に郷里へ連れて行こうかとたてましたが、中三、小六の二人は留守番をするというので、小二女子だけを連れて行きました。


ついでなので、小1の従姉妹と2歳の男の子もを連れて育休中の娘もやってきました。9月からは職場復帰なので、残りわずかの休みです。


お墓参りもしてきました。


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庭にオニユリが咲いています。


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帰り道、自然保護センターに立ち寄ることにしました。鶴がいるよという誘い文句に乗って、「鶴の恩返し」の鶴を見たいという気になったらしいです。


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小鳥の影が動いたので、写してみると・・・メジロでした。


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山道をかなり歩きます。


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ここにもオニユリが咲いています。


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道脇の谷川に、イトトンボがいました。


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もっと色々な種類のイトトンボがいたのですが。PENTAXQ S1のバッテリーが切れました。トホホ。


この日の私の目当ては、このトンボ。


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そうです、日本一小さいトンボ、ハッチョウトンボ♂です。


気合を入れてPENTAXK5Ⅱ+AFBORG (71FL)をもって歩いたのですが、どういうわけかAFが迷います。被写体が小さすぎるのかも知れません。イライラするので,MFで写しましたが、ちょっとピンボケです。トホホ。


カメラ関係で、もう一つ、別のトホホがあるのですが、次回に譲り今日はこれまでと致します。


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花粉のせいばかりでもなかったみたい、の巻 [健康]

眼科に通っています。


いつも、1月~2月の頃から春にかけて、花粉のせいか黄砂のせいか、目が痛がゆくて悩まされます。例年、眼科で点眼薬を処方して頂き凌いでいるのですが、今年は市販の目薬で乗り切りました。目の違和感・不快感は続くのですが、耐えられなくもない・・・という感じで花粉の季節は過ぎました。が、どうも、いつまでも調子がよろしくありません。


目の痛がゆさに加えて、涙、目やにが目立つので、眼科を訪ねたのは先日でした。


行きつけの眼科医は、いつも大繁盛で、予約がいっぱいですので、予約なしでの診察は、予約患者の隙間で応対してもらうしかなく、待ち時間が凄いことになります。


そこで、予約の必要のない別の眼科を受診することにしました。そんな動機で、折に触れて。これまでも何度か受診したことがあります。


視力をはじめ、色々な検査を受け、抗菌剤とステロイド剤の2種類の点眼薬を処方して頂きました。それを毎日4回さすうちに、症状はかなり改善されたと思います。薬剤が一本空になったので、昨日、経過確認と点眼薬の追加を診察を受けました。


夏休みで、かつ土曜日という条件を甘く見てました。午後の診察開始時間よりもかなり早く受付を通ったのですが、またされること2時間近く。ようやく順番が来ました。


どんな具合かと尋ねられますので、目やにや充血は改善されたが、にじみ目や痛み、不快感は残ると訴えました。


もう一度視力検査をしてもらうと、遠くは1.5、近くは0.1とのこと。何か目を使うことがありますかと尋ねられ、パソコン仕事が多いかな、と言いますと、近くの視力が弱っているので、パソコン作業中は必ずメガネを使用すべしとアドバイスを受けました。


なるほど、弱った視力での負担が、目を痛めて受けているらしいことが、よくわかりました。


友人知人の、白内障手術の話題をしばしば聞きますので、念のために「白内障は大丈夫でしょうか」と尋ねてみますと、遠くの視力が1.5もあり、水晶体に異常はなさそうとのこと。ホッと一安心でした。


ステロイド剤を継続するとともに、角膜保護に効果のある点眼薬をプラスしてもらい、少し気持ちが明るくなりました。


というわけで、今日のブログ執筆は、ちゃんとメガネをかけて行っています(100円ショップのメガネですが・・・)


さて今日の写真は、朝散歩の際の田園風景。


7/22撮影分。


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8/23撮影分。


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今日はこれにて。


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日録あれこれ、の巻 [日録]

旧「統一教会」の話題が世間の注目を浴びている中、団体の呼称を「統一協会」と表記する記述も目にすることがあり、最近気になっていました。身近なところでは「しんぶん赤旗」の記事に、大きい見出しで「統一協会」の文字が踊っています。


気になりましたので、こんな質問メールを送ってみました。


(その1)日本共産党中央委員会あて(info@jcp.or.jp


赤旗編集局におたずねすべきか迷いましたが、とりあえずこちらのアドレスでご質問します。
安倍殺害容疑者の動機に関連して、旧「統一協会」について関心が集まり、貴党 機関紙「赤旗」でも継続的に報道されております。
ところで、私自身かねてから「統一教会」との表記に慣れており、一般マスコミ等でもその表記が主流と思えます。というのも、彼らが「キリスト教」の信仰を標榜し、「聖書」の学習をきっかけにして人々に近付き、宗教の名で彼らの人生
を台無しにしてしまったわけで、宗教団体と見せかけるための「教会」という名称を標榜していることに、彼らなりの意味があると思います。
そうした中、貴党及び赤旗紙での表記は「統一協会」で統一されているようにお見受けします。
その理由と根拠をお教えいただきたく、ご質問します。
なお、既に新聞紙上などで明確に説明されていたかも知れませんが、うかつに見 落としているかも知れません。ご容赦下さい。
追伸、100周年を迎えられた貴党の一層のご活躍に期待し、九条改憲stop、暮らし と平和をまもりぬく国民的共同の発展を心より祈念しております。

その2 しんぶん赤旗編集局宛( hensyukoe@jcp.or.jp


前略
先日、 info@jcp.or.jp あてに下記のようなお尋ねのメールをお送りしました。
既に数日が経過しますが、お返事がありません。お忙しいこととは思いますが、私自身、この話題に触れて文章を書くなどの際に、どう呼称するのが適切か迷っており、貴党(貴紙)が、旧「統一協会」の呼称を用いておられる根拠・理由を お聞きすることで判断の材料としたいと考え、お尋ねした次第です。
もし、既に、おおやけにされている見解などがありましたら、(勉強不足で申し わけありませんが)いついつの紙面で、もしくはこれこれの論文で、解説しているなどなどとご指摘頂ければ、参照させていただきますので、お手数ながら、ご教示頂きたく、同文のメールを転送した次第です。よろしくお取りはからいください。

(以下略)


これに対してまず、赤旗編集局から次のような返信をいただきました。


申し訳ありません。党本部へのkazg様のメールは、編集局に転送されていないようです。
遅くなりましたが、お返事いたします。

旧統一協会は登記簿の名称を「世界基督教統一神霊協会」としていました。このため「協会」を使用しています。
もう一つは弊紙として統一協会は宗教団体ではなく、反社会的団体という意味を込めて「教会」とは呼ばないようにしています。
ご理解いただけると幸いです。

赤旗メール係


これに了解の旨の返信をしたところ、後刻、次のような補足メールも届きました。


ご返信ありがとうございます。
「統一協会」とするのは、「赤旗」独自の基準です。
他メディアや一般の人に押し付けるものではありません。
その点、念のためお伝えいたします。

赤旗メール係


別途、日本共産党メール室からも次のようなお返事がありました。


メールありがとうございます。
私たちはかねてから、統一協会については、宗教を偽装した反社会的な反共謀略集団と見なしています。そういう立場で、国会でも、「しんぶん赤旗」などでも批判してまいりました。
もともとの名称は「世界基督教統一神霊協会」なのですから、そのまま略せば「統一協会」です。それを、あえて「統一教会」と表記すること自体、彼らがあたかも宗教団体であるかのような誤解を生じさせ、被害の拡大につながりかねません。
ですから、「しんぶん赤旗」紙上だけではなく、党として「統一協会」の表記を用いています。

日本共産党中央委員会 質問回答係


登記簿の名称をもって呼称の根拠とするという理屈は、よく理解できました。この辺の事実関係が私の中で曖昧で「統一神霊教会」というような漢字が、そそっかしく誤記憶され、団体自らが「教会」を名乗っていると錯覚していたのでした。とすれば「教会」と呼称する義理は何もなく、私もこれからは、長い間の思い込みを脱して「協会」と表記することに致します。




小中学生の、孫たちは、海の日の翌日が終業式で、7月20日から夏休みだそうです。


その日の孫守は御免をこうむって、平和行進を歩いてきました。289110344_594949598901171_8357981752355067087_n


 


何人かの人から、毎年歩いているんですか?と尋ねられ、「毎年ではないけれど・・・」と生返事をしながら、前回いつ歩いたか思い出そうとしてみました。


ブログの過去記事をたどると、こんなことを書いていました。もう4年も前のことでした。


猛暑日の涙、の巻(2018-07-20)


昨日は、教育相談のボランティアの担当日です。いつものように離れた場所に駐車して、20~30分のウォーキングで会場に向かおうと歩き始めますが、朝9時台というのに、焼け付くほどの日射です。青息吐息で、ほぼ中間地点にあたる県庁前を通りかかりますと、なにやら人だかりがしており、さらに三々五々、人が集まってきている様子です。遠くから様子を伺うと、宣伝カーやら色とりどりののぼり旗やら横断幕らしき物が見えます。
これは?と目を凝らすと、平和行進の出発集会が始まろうとしているらしい様子です。そういえば、岡山県内の平和行進日程では、この日県庁を出発して市内中心部を歩き、岡山市役所南の大供公園で終わる日程となっていますね。

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そうとも知らず通りかかったついでに、しばらく出発集会に参加してみることにしました。

岡山県庁からも歓迎と激励の挨拶がありました。(写真のマイクの方)

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(中略)

行進が出発。「一歩でも二歩でもご一緒に、、。」と呼びかけがありましたので、少し遠回りにはなりますが、途中まで一緒に歩くことにしました。

朝から、強い日射しです。

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アーケードを通ると、日陰である上に、商店からクーラーの風も流れてくるせいでしょう、少し涼しい感じがします。それでも汗は噴き出ます。隣を歩いていたT女子が、時々団扇であおいでくれますが、生き返るような涼しさです。

平和行進の通過に合わせて、募金を用意して待ち受けてくださる商店主の方々、にこやかに手を振ったり、拍手して迎えてくださる方々もありました。

アーケードでは、ちょうど毎年行われている「平和七夕まつり」の飾り付けが、市民や高校生、小中学生の平和への願いを思い思いにアピールしているところでした。

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(中略)私の行き先はこの商店街の一隅にありますので、行進を途中抜けして本来の持ち場に向かいました。


この時すでに、久しぶりの行進だったようで、よほどの場合を除いて「常に歩いてきた」、というのは記憶間違いだったことに気づきました。そうはいっても、「日程・コース」をまじまじと見ると、色々なコースを歩いた記憶が蘇ってきます。


JR寒河駅前兵庫との引継ぎ~日生支所~JR伊里駅


兵庫県からの行進団と引き継いで、岡山県最初のコースのなります。「備前焼の里」のレトロな街並みを歩くたのしみは格別でした。


◎県庁9:40-10:00~中銀岡山駅前支店11:OO-JR岡山駅


上の過去記事に書きました。


◎下石井公園~西市公園~COOP大福店


7/20のコースです。初めて歩くコースでした。


◎早島町役場~中帯江~倉敷芸文館~倉敷市役所


稲の苗が青々と育つ田園地帯を歩いて、倉敷の中心街へと入るコース。複数回歩いた記憶があります。


◎倉敷市水島支所~連島公民館~霞橋西詰


以前の職場のホームグラウンドだけに、歩いた回数も多いです。


◎高梁・玉野の枝コース


それぞれ、青年時代の職場近くのコースでした。署名に募金に、大勢の住民の方が、積極的に協力してくださったものでした。


他にも、スペシャルな思い出は、東京夢の島・第5福竜丸前を出発するコースを歩いたこと。その年もまた、暑い夏でした。




7/20の行進。出発点は下石井公園です。

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写真の左端は、岡山市議の東つよしさん、その隣の横断幕を持っている人は県内通し更新者の伊原潔さんです。伊原さんのSNS投稿を一部阿紹介させていただきます。


7月20日(水)国民平和大行進5日目。岡山市内を抜けて早島に向かいますが、今日は西市公園を経て、コープ大福までの行進です。出発式となった下石井公園には50名が参加、岡山市保健福祉局から藤井次長をはじめ、阿部正人課長、吉田さんの3人が激励と市長のメッセージを届けるために駆け付けられました。
藤井さんはメッセージを代読され「平和行進お疲れ様です。77年前の6月29日未明、岡山市は米軍の大空襲に遭い10万5千発の焼夷弾によって市街地の6割を焼失、2000人近い人が亡くなった。8月6・9日には原爆も投下された。岡山市は1985年に平和都市宣言、1989年には6月29日を岡山市平和の日と定め、毎年、追悼をしている。ウクライナの惨状を見ると行動することの大切さを感じ、平和の声が広がることを願っている」と述べました。

(中略)

県内通し行進の伊原は「地球温暖化の危機が迫っている。2030年までに60%のCO2削減を実施できなければもう後戻りできない。人類は戦争をしている時ではなく、地球環境を守るために結束しなければならない」と訴えました。
コープ大福では職員の皆さんが歓迎して下さり、山口さんのリードで、横断幕を持った職員さんが一緒に平和行進を1歩の歩みを踏み出されました。

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行進中の様子をモノクロでお伝えします。


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海の日は過ぎましたが、昨日22日(金)は小2の孫と海へ行ってきました。


ずっと以前プライベートビーチ(2013-08-05)で書いた場所です。


暑い中、夏休み中の小4の孫と近くの海へ行きました。貸切のプライベートビーチ状態。
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異国のリゾート地のムードが漂いませんか?
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今度もまた同様です。


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今日23日は、中2から2歳まで、孫たち五人が集まり賑やかでした。一方、大阪在住の一家は、コロナ拡大の状況を受けて、今夏の帰省は断念せざるを得ないようです。


今日はこれにて。


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「これなあに?」三題、の巻 [これなあに?]

以前、「今日のこれなあに?」というカテゴリーを立てていましたが、久々の「これなあに?」の記事です。


その1


KS_19344KS_19345KS_19346KS_19350KS_19351KS_19352まだこんな姿のものもいます。


KS_19354


実は、以前もこんな記事で紹介しました。


虫めづる姫のめでたる棘毛虫(2014-10-05)


これなあに?

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我が家の玄関前の道路を、もそもそ這っておりました。

はい。ツマグロヒョウモンの幼虫でしょう。

成虫はこんな姿です。

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生きてるだけで儲けもの?の巻(2016-10-01)


昨日見つけたツマグロヒョウモンの幼虫が、我が家のコンクリート塀でサナギになっていました。


最近、雨の中を我が家のそばのアスファルト道路を、もそもそ這い回っている何匹かの幼虫を、小二の孫が見つけて報告してくれました。


以前鉢植えにしていた「ミヤマスミレ」の種がこぼれて、道端に生え広がっているのを食草にしているのですが、彼らの食欲を満たすには余りにわずかで、新たな繁茂地を食を求めて旅立った連中らしいのです。しかし、残念ながら彼らの足でたどり着ける範囲にはスミレは生えていません。


実は、彼らのことも考えて、春には花壇にパンジーやビオラをできるだけ沢山植えていましたので、その可憐な花が家族の目を楽しませてくれるとともに、かなりの期間、ツマグロヒョウモンたちを養ってくれたのは確かです。が、今年の空梅雨と、猛暑の中で、水やりが追いつかずすっかり枯れてしまったのです。園芸店をめぐってみましたが、さすがにこの時期パンジーの苗は見つかりません。


という状況で、孫と妻とが何匹かの幼虫を虫かごに保護し、スミレの葉を摘んできては四苦しているうちに、ついにさなぎになったのが、冒頭の写真です。羽化も近いでしょうか。


その2


散歩中にモノクロ写真を楽しんでいることは前回記事に書きました。


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カメラの設定をいじる内に、「フェードカラー」というのを見つけて試してみました。


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ところで、フェードカラーってなあに?わからないので調べてみました。


どうやらファッション関係で用いられることの多い用語のようです。「淡い」とか「色あせた」といった意味らしいです。敢えてそのような効果を発揮させようと思うとどんな被写体が似合うのでしょうかね?


その3


「これなあに?」というより「ナニソレ?」の部類ですが・・・安倍晋三氏の「国葬」ですって??ナニソレ???


国葬令 (こくそうれい、大正15年10月21日勅令第324号)は、 1926年 ( 大正 15年)に制定された 勅令 。 日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律 第1条の規定により、1947年12月31日限りで失効した。(ウィキペディア)


故人を悼む思いは、個々人にとって優れて内心の自由に関わる問題で、悼むか悼まぬかを国家によって命じられる筋のものではないからこそ、日本国憲法下で「失効」したのでは?


多くの国民がこぞって生前の栄誉をたたえ、その死を惜しむような人物であったとしても、「国葬」は憲法の理念になじみません。ましてや、あのアベさんですよ。人の死を冒瀆する無礼は控えたいのですが、生前のすべての罪を水に流すわけには行きません。それを国葬だなんて。もってのほかではありませんか???


今、一気に世の話題となっているこの川柳。しっかり書き留めておきたいです。


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過去にも暴虐な暗殺は数々あれど、言っちゃ悪いが、自ら蒔いた種じゃないですか?母親から一億円もの寄付を騙し取って家族を崩壊させた恨み重なる旧統一教会と関係があると「思い込んで」「逆恨み」のすえに犯した凶行・・・との報道は、不正確ですよね。


「世界思想」は級統一教会の発行する雑誌です。その表紙を何度も飾るアベさんが、旧統一教会と関係があると判断するのは至極当然で、ちっとも「思い込んで」「逆恨み」じゃないでしょ?


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モリカケサクラの疑惑に加えて旧統一教会との癒着の疑惑を全部水に流して、「国葬」なんかしてしまったら、子々孫々にいたるまで、世界に恥ずかしい国であり続けなければならないですよね。


今日はここまで。


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カラー画像も捨てがたい。の巻 [日録]

昨日の記事では、モノクロ写真の味わいを話題にしたのでしたが、やはり、カラー写真の魅力も捨てがたいものがあります。たとえば、雨に濡れたアジサイなど。


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深山公園のアジサイ。今年は初撮りです。


夏の日のハスの葉と花。


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戦前と並ぶ稲苗の列。


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全国各地ですさまじい豪雨のニュースがきかれます。御安全に!!


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モノクロ写真、の巻 [カメラ三昧]

暑さにぐったりしている日々、エアコンを効かせた部屋で、何日も前に録画してある番組を堪能する悦びは、他に代えがたいものがあります。やらねばならぬあれやこれやのパソコン作業などを、すっかりほったらかして行うそれは、後ろめたさの故に、より甘美に感じられるものです。


特に、2時間を超える映画番組などは、割り切ってどっぷりそれに浸る覚悟が必要なので、再々というわけにはいきませんが、このたびの参院選挙の後の脱力の癒やしに、楽しませてもらったのは、フジテレビ系のTVで放映された映画 『今夜、ロマンス劇場で』でした。


ウィキペディアの解説によると、この映画は、このような内容。


2018年2月10日公開の日本映画。主演・綾瀬はるかと坂口健太郎によるラブストーリー。公開から4か月後に死去した加藤剛の最後の映画出演でもある。
あらすじ
映画監督を志す健司は通い詰めた映画館「ロマンス劇場」で憧れのモノクロ映画のヒロイン、美雪と出会う。健司はモノクロの姿のまま現れた美雪に色とりどりの現実の世界を案内するうちに2人は惹かれあっていく。しかし、美雪はある秘密を抱えていた


さらにフジテレビの番組紹介サイトを参照するとこうありました。


映画監督を夢見る青年・健司(坂口健太郎)がひそかに思いを寄せるのは、通い慣れた映画館・ロマンス劇場の映写室で見つけた古いモノクロ映画のお姫様・美雪(綾瀬はるか)。今は誰も見なくなったその映画を、毎日のようにくり返し見ていた健司の前に、ある日奇跡が起きる。美雪が健司の目の前に突然現れたのだ。その日から2人の不思議な同居生活が始まった。モノクロの世界しか知らない美雪にカラフルな現実世界を案内する健司。同じ時間を過ごす中で、2人は次第にひかれ合っていく。しかし、美雪にはある秘密があった。現実の世界に来るための代償で、人のぬくもりに触れたら美雪は消えてしまうのだ。そんな中、美雪は映画会社の社長令嬢・塔子(本田翼)が健司に思いを寄せていることを知る。好きだから触れたい、でも触れられない…。この切ない真実に2人はどう向き合い、どんな答えを出すのか─。


色のないモノクロ映画の世界の住人美雪と、美しい色に包まれたこの現実世界との出会い。深紅のバラ、野を彩る菜の花木々や草むらの輝く緑、藤の花、飛び交うホタル・・・息を呑む(アベさんが使い古して陳腐に堕した表現ですが)ばかりの美しさです。が、その美しい光景の中の美雪を、健司は心ゆくまでカメラに収めるのですが、、、アルバムに収められたその写真は、モノクロなのでした。(時代設定を思えば当然のことなのですが)。そのモノクロ写真の美しさに、改めて新鮮さを覚え、心惹かれたのでした。


そんなわけで、今日は教育相談ボランティアの事務所まで、街を歩くに際して、手当たり次第モノクロで撮影してみることにしました。


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レトロな空気がゆかしくて、やみつきになりそうです。今日はこれにて。


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児島富士その他、の巻 [日録]

「児島富士」の異名を持つ常山のことは、しょっちゅう書いています。

たとえば,古いところでは、逆さ児島富士(2013-08-06)

児島湖に常山(児島富士と呼ばれる)が映って、逆さ富士が現出します。
真夏の空がまぶしい季節です。(7/6撮影)
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こちらは、水田に映った逆さ児島富士です。
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富士の世界文化遺産登録が話題を呼ぶ中、「○○富士」が脚光を浴びています。
常山は、かつて児島半島が瀬戸内海に浮かぶ島であった時代、海に面して聳える小高い山でした。戦国時代、ここには山城が築かれ、城主は幾代かにわたって交代しましたが、女軍の戦で知られる「常山合戦」は、現地の案内板には次のように記されています。



常山合戦案内
ここ常山城は、常山女軍が戦った城として知られています。
天正3年(1575)6月7日、城主上野肥前守隆徳の守る常山城は、毛利・小早川隆景の大軍に包囲され落城の時を迎えていました。
本丸直下のこの二の丸付近に迫った敵将浦宗勝の軍勢に対し、領主隆徳の妻鶴姫以下34人の侍女達は最期の戦いを挑みました。
しかし、女軍達は次第に討ち取られ、鶴姫は本丸に引き上げ自刃したと伝えられています。
昭和12年(1937)、城主一族と女軍の冥福を祈って40基の墓石と墓碑が建立され、戦国の世の人々は今、桜木や広葉に囲まれて静かに眠っています。
平成15年11月11日 玉野市教育委員会 「常山合戦案内」板より

しばらく使わなかったカメラのSDカードに古い画像が写っていました。

6月5日の撮影でした。

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麦の刈り入れが終わったあと、刈り跡が焼き払われて、こんがり焦げ色が広がっています。

そのあとすぐに一帯に水が張られ、田植えがすっかり終わったことは最近の記事に書きました。

皮肉なことに、梅雨明けが発表された後、ぐずついた天気が続き、まとまった雨の日が続いています。

水田に写る逆さ児島富士をはじめ、富岳数景を今年もご紹介します。

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ついでに、こんな古い記事を引っ張り出してみました。

げにやげに天の網こそ疎(あら)からめ(2015-12-19)

方角を変えて常山を望みます。常山は、児島富士とも呼ばれます。
湖面に映って、逆さ児島富士です。

〈中略)

散歩しながら、漢文の一節を思い出そうとして思い出せず、家に帰って調べてみました。高等学校で学ぶおなじみの「孟子」の一節でした。「梁恵王」編という文章は、こんな書き出しではじまります。

【白文】
孟子見梁恵王、王曰、叟不遠千里而来、亦将有以利吾国乎、孟子対曰、王何必曰利、亦有仁義而已矣、王曰何以利吾国、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而国危矣、万乗之国弑其君者、必千乗之家、千乗之国弑其君者、必百乗之家、万取千焉、千取百焉、不為不多矣、苟為後義而先利、不奪不厭、未有仁而遺其親者也、未有義而後其君者也、王亦曰仁義而已矣、何必曰利、
【書き下し文】
孟子、梁の恵王に見(まみ)ゆ。王曰(いは)く、「叟(そう)、千里を遠しとせずに来たる。亦(また)将(まさ)に以(も)って吾が国を利することあらんとするか。」と。孟子 対(こた)へて曰(い)はく、「王 何ぞ必ずしも利と曰(い)はん。亦(また) 仁義有るのみ。王は 何を以(も)つて吾が国を利(り)せんと曰(い)ひ、大夫(たいふ)は何を以つて吾が家(いへ)を利せんと曰ひ、士(し)・庶人(しよじん)は 何を以つて吾が身を利せんと曰はば、上下(しやうか) 交(こもごも)利を征(と)りて国危(あや)ふからん。
万乗(ばんじやう)の国、其(そ)の君(きみ)を弑(しい)する者は、必ず千乗(せんじやう)の家なり。千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗(ひやくじやう)の家なり。万に千を取り、千に百を取るは、多からずと為(な)さず。苟(いや)しくも義を後(のち)にして利を先にするを為さば、奪はずんば癡(あ)かず。未(いま)だ仁にして其の親を遺(す)つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後(のち)にする者有らざるなり。王も亦(また) 仁義と曰はんのみ。何ぞ必ずしも利と曰(い)はん。」と。
【kazg語訳】
孟子が、梁の恵王にお目にかかったときのエピソードじゃ。開口一番、恵王はこうおっしゃった。
『先生、千里の道もなんのその、はるばる我が国へやってきてくださった。あなたもまた、ほかの賢人達と同様に、きっと、私の国に利益をもたらして下さるアイディアをお持ちでしょうかな。』
孟子はすかさず、こう答えたのじゃ。
『王よ、なにゆえに利益、利益とおっしゃるのですかな?王におかれては、仁義だけが大切ですぞ。王が、どうすれば国の利益になるかとおっしゃり、上級役人が、どうすれば家の利益になるかと言い、下級役人や庶民が、どうすれば我が身の利益になるかと、それぞれに言ったとしましょうか。すると、上下入り乱れて、利益を争い合うことになり、国家が危うくなってしまいましょうぞ。一万の戦車を保有する国で、その君主を討ち殺す者があるとするなら、きっと、千台の戦車を動かせる大家老の家でしょうな。千の戦車を保有する国、その君主を討ち殺す者があるとするなら、きっと、百の戦車を動かせる家老の家でしょう。一万の戦車に相応の国力を持つ王から千を与えられ、千の戦車に相応の国力を持つ王から百を与えられる家臣は、決して待遇が見劣りするものとは言えますまい。ですが、仮にも義(人の道)を後回しにして、利益を優先するならば、すべてを奪い取らねば満足できなくなるものですわい。仁(人の心)を身につけた人で、親をないがしろにするような者は、いまだかつて見たことがありませんわい。義を尊ぶ家来で、主君を後回しにするような者も見たことがありません。じゃによって、王も、ただ仁義のみをモットーになさるがよろしいのじゃ。どうして利益のことなど言う必要がありましょうぞ?』

ちょっと省略して先へ進むと、こんな話が出てきます。(参照したテキストのせいで、漢字が旧字体になります。あしからず。)

【白文】
梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣。河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内。河東凶亦然。察鄰國之政、無如寡人之用心者。鄰國之民不加少、寡人之民不加多何也。
孟子對曰、王好戰。請以戰喩。?然鼓之、兵刃?接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩笑百歩、則何如。曰、不可。直不百歩耳、是亦走也。曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也。
孟子對曰、王好戰。請以戰喩。?然鼓之、兵刃?接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩笑百歩、則何如。曰、不可。直不百歩耳、是亦走也。曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也。
不違農時、穀不可勝食也。數罟不入?池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾、王道之始也。
五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。?豚狗?之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、數口之家可以無飢矣。謹庠序之敎、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。七十者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。
【書き下し文】
梁の惠王曰く、「寡人(かじん)が國に於ける、心を盡(つ)くせるのみ。河内(かだい)凶なるときは、則ち其の民を河東に移し、其の粟(ぞく)を河内に移す。河東凶なるときも亦然(しか)す。鄰國の政を察するに、寡人がごとき心を用うる者無し。鄰國の民も少なきをことを加えず、寡人が民も多きことを加えざること何ぞ。」と。
孟子對へて曰く、「王戰を好む。請ふ戰を以て喩(たと)へん。?然(てんぜん)として之に鼓し、兵刃(へいじん)?に接(まじ)はるとき、甲を棄て兵を曳いて走(に)ぐ。或は百歩にして後に止まり、或は五十歩にして後に止まる。五十歩を以て百歩を笑はば、則(すなは)ち何如(いかん)。」と。曰く、「不可。直(ただ)百歩ならざるのみ、是も亦(また)走ぐるなり。」と。
曰く、「王如(も)し此(これ)を知らば、則ち民の鄰國より多からんことを望むこと無かれ。農時に違はずんば、穀勝(あ)げて食らふべからず。數罟(そくこ)?池(おち)に入らずんば、魚鼈勝げて食らふべからず。斧斤時を以て山林を入らば、材木勝げて用うべからず。穀と魚鼈と勝げて食らふべからず、材木勝げて用うべからざれば、是れ民をして生を養ひ死を喪して憾(うらみ)無からしむなり。生を養い死に喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣るべし。?豚狗?(こうてい)の畜(やしない)、其の時を失うこと無くば、七十の者以て肉を食らふべし。百畝の田、其の時を奪うこと勿くば、數口の家以て飢うること無かるべし。庠序の敎を謹んで、之に申(かさ)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せじ。七十の者帛を衣て肉を食らひ、黎民飢えず寒からず、然して王たらざる者、未だ之有らず。(後略)」
【kazg語訳】
梁の恵王が、こうおっしゃった。
『ワシは国政に当たって、精一杯、心を尽くしてきたつもりじゃ。河内(黄河の内側)地方が飢饉になったら、住民を河東(黄河の東)地方に移住させ、河東地方の食糧を河内地方にまわしたのじゃ。河東地方が飢饉になったら、また、同じように対処したわい。隣国の政治をうかがい見るに、私ほど国政に誠心誠意を尽くしている君主はおらぬ。しかし、隣国の人民は先を争って逃げ出しても良さそうじゃのに、人口はちっとも減らぬ。ワシの国の善政の評判を聞きつけて、移民がこぞって押し寄せてもよさそうじゃのに、わが国の人口も全く増える様子がない。これは、どういうわけであろうかの?』
孟子は答えた。
『王様のお好きな戦争で喩えて見ましょうかな。戦闘開始の合図の太鼓が、ドンドンと威勢よく鳴り響き、いざ、チャンチャンバラバラが始まったとしましょう。とたんに、怖じ気づいて甲冑を脱ぎ捨て、武器を引きずってすたこらトンズラを決め込んだ者がありました。ある者は百歩逃げて止まり、ある者は五十歩で踏みとどまったとします。五十歩逃げた者たちが、百歩逃げた者たちを嘲笑したとするなら、王様、それはいかがなものでしょうか?』
恵王がおっしゃった。
『ダメダメ。百歩逃げなかっただけのことで、逃げたは逃げたで、おんなじことじゃ。』孟子が言うには、
『もしその道理をお分かりであれば、人口が隣国よりも増えるなどと期待することはございますまい。王が、公共工事の労役に、農作業の妨げとならない季節を選ばれたならば、穀物は豊作となり食べきれないほどになりましょう。漁師が目の細かい網を池沼に投げて根こそぎ漁獲するようなことを禁止すれば、魚や鼈(すっぽん)などは大いに繁殖して、食べきれないほどになりましょう。木こりが斧をふるって樹木を伐採する時期を制限すれば、材木は有り余るほどに取れるようになりましょう。穀物や、魚・鼈などの食糧が食べきれないほどになり、材木が有り余るようになりますれば、人民は衣食住の心配が消え、死者を弔うにも何の心配もなくなります。生活と葬儀の心配が無いことこそが、王道(仁政)の第一歩です。人々の五畝の宅地に桑の木を植えさせれば、五十歳の老人は、着心地がよくあたたかい絹の服を着ることができます。鶏や豚や犬の飼育に当たって、繁殖のタイミングを逃さないようにすれば、七十歳の老人は、美味しく栄養のある肉を食べられます。百畝の田畑に税をかけ過ぎないようにすれば、家族が飢えるということもなくなるでしょう。学校教育に力をいれ、親孝行と年長者を敬う道徳を教えれば、白髪の老人が道路で重い荷物を背負うこともなくなるでしょう。七十歳の高齢者も、絹の衣服を着て肉を食べ、一般の人民が飢えることも凍えることもない。そういう仁政を敷いて王になれない者を、私は、まだ見たことがありません。(後略)』

周知の故事成語「五十歩百歩」の元ネタとなった文章です。
孟子の比喩は秀逸で、なかなかのアジテーターですな。
戦争のお好きな恵王は、敵前逃亡の罪をよくご存じですから、50歩逃げるのも100歩逃げるのも、逃げた点では大差がないことを百も承知でいらっしゃる。隣国よりましだと自惚れているその政治が、結局悪政である点においては大差がないことを指摘され、グーの音も出ないのです。
孟子の描く善政のための処方箋は、紀元前の時代の具体策ながら、現代のアベさんにも聞いて欲しい思いで一杯です。

ここに「孟子の描く善政のための処方箋は、紀元前の時代の具体策ながら、現代のアベさんにも聞いて欲しい思いで一杯です。」と書きました。

ところで、ここ数日の時事関連のニュースは、コメントする気力を失せさせるものばかりです。

一つは、そのアベさんが、暴漢の卑劣な銃撃により命を奪われるという事件。時間とともに明らかになってきた事情や動機は、元海上自衛隊員だったという犯人の男が、母に多額の寄付をさせ家庭破壊を引き起こした旧統一教会への恨みから、祖父の岸信介氏以来、深いつながりを持つとされるアベ氏を襲ったという点。暴力で言論を封じ、命までも奪うというその凶行は、決して許されるものではありませんが、犯人の男が抱いた被害感情に関しては、事実に照らして解明されなければならないと思えます。

そして、人の死を悼む当然の感情を、意図的に煽って政治的に利用しようとするさもしい魂胆が、選挙の投票動向において確かな効果を発揮したという点。民主主義の未成熟を示す証左と言わなければならないでしょう。

さらには、選挙結果そのものが、大いに意気阻喪させるものでした。
上述の孟子の説にこと寄せて、今日における善政への処方箋をひと言で言うならば、平和と暮らしの不安を取り除き、福祉・教育の充実をはかることに尽きるでしょう。さすれば、おのずと経済は活気づき、結婚・出産への不安も消え、少子高齢化も解消されるでしょうに、残念なことに歴代政権はその道理を一顧だにせず、どこかの専制国家と五十歩百歩の軍事強国への道をまっしぐら・・・。その危うい坂道でいったん立ち止まり、王道(仁政)に立ち戻る好機となるべき参院選挙・・・と期待していましたが、正直、落胆の結果でした。

「NHK政治マガジン」の記事を、一部引用します。

各党の獲得議席は、選挙区と比例代表をあわせて、▼自民党が63議席、▼立憲民主党が17議席、▼公明党が13議席、▼日本維新の会が12議席、▼国民民主党が5議席、▼共産党が4議席、▼れいわ新選組が3議席、▼社民党が1議席、▼NHK党が1議席、▼参政党が1議席、▼無所属が5議席となりました。
自民党は単独で63議席を獲得し、改選議席125の過半数を確保して大勝しました。
公明党は、改選前を1議席下回りましたが、与党は、引き続き、参議院でも安定した基盤を確保することになりました。
野党第一党の立憲民主党は、改選前の23議席を下回り17議席にとどまりました。
日本維新の会は、比例代表で8議席を獲得し、立憲民主党を上回り、選挙区の4議席とあわせて12議席となり、改選前の2倍に伸ばしました。
一方、憲法改正に前向きな自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党の獲得議席はこれまでに93となり、非改選の議席をあわせて、改正の発議に必要な参議院全体の3分の2の議席を占めることになりました。

選挙結果そのものは、大いに落胆せざるを得ないものですが、先日の記事お詫びと緊急訂正、の巻 の続きを少しだけ書いておくことにします。

岡山選挙区の結果は、自民党現職の小野田紀美氏が当選。一方、私が支援したすみより聡美さんは、4人中3位でしたが、大健闘でした。彼女自身、SNS上にこう書いておられます。

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参議院選挙、みなさんに大きなご支援をいただき、全県で59,481票(得票率8.29%)を寄せていただきました。

まだまだ力不足で当選には及びませんでしたが、一票一票切実な思いを寄せていただいたと受け止めています。(7/11)

【ご近所のみなさんと】

投開票日の翌朝、我が家のすぐ横の公園にて。ご近所さんがグランドゴルフに集まっておられまして。

我が子・孫のように、いつも応援してくださるみなさんにごあいさつ

頑張ったねまだまだこれからどんどん票は伸びてるもんね?など、みなさんが励ましてくださいました(7/12)

また、比例区の仁比聡平さんのコメントはこちら。

【いざ、ふたたび国会へ】 にひそうへい

開票日の長い夜。

NHKが私に当確を打ったのは、もう白々と明けた午前6時のことでした。

願いを託して頂いたみなさんのご支援、猛暑のなか党支部と後援会のみなさんの猛奮闘に心からの感謝しかありません。

日本中の願いが詰まった重い議席です。

かけがえのない大門さん、武田さんの議席を失ってしまった痛恨の涙を堪え、東京で激戦を制した山添拓さん、オール沖縄のイハ洋一さんと共に、力一杯3期目6年間の国会に臨みたいと思います。

みなさん、ご一緒に草の根から声をあげ、政治を動かしていこうではありませんか。

衆参両院で改憲4党が3分の2以上を占めた結果に、「改憲が現実的な政治課題になった」「スケジュール感をもって中身のすり合わせを」と評論する向きがありますが、私はそうは思いません。

ロシア・プーチン政権のウクライナ侵略に「やっぱり平和こそ」という願いが広がっています。

画期的な成功をおさめた核兵器禁止条約第一回締約国会議など「核兵器のない世界へ」の国際世論も広がっています。

憲法は国民のものです。

国民が求めていないのに、権力者が上から「改憲ありき」で「戦争する国」への最も危険な道を押し付けようとするところに改憲派がぶつかり続けてきた矛盾があります。

改憲大軍拡をやめ平和外交の日本へ。

消費税減税、最賃1500円、暮らせる年金でくらしに希望をーどうぞあなたの声を聞かせて下さい。

憲法こそ希望。今こそ弁護士。

全力を尽くします。(7/11)

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意気消沈してばかりはいられませんナア。


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「無惨!の巻」のご案内、の巻 [日録]

こちらのブログ(vol.2)を立ててから、旧ブログを更新する機会が減っています。

その間にコメント欄が無惨なことになっていました。イタズラ書き込み、、迷惑書き込みがやり放題です。はじめは、キリル文字が多用されていたことから、ロ○○系の仕業を疑ていましたが、よくよく見てみるとそうばかりでもなく、アジアのあれこれの言語や、翻訳ソフトによるものと思われる怪しい日本語も頻出し、商品の押し売り、怪しいサイトへの誘導などを狙うものがおおいようです。興味深い(?!)エロ文章も書き込まれており、消滅させるに忍びない(笑〉気もしますが、ブログ管理者の品性にも関わります故、こまめに削除することにします。管理の手が行き届かないことも多いですが、ご寛容にねがいます。

これに懲りて、旧ブログも、時々は管理点検しつつアップデートしなくては、と反省しているところです。

例年にない短い梅雨のあいだ、体に応える猛暑が続き、記録破りの早い梅雨明けが宣言されたかと思うと、そのあと、鬱陶しい雨の日が続きます。湿度が高くて蒸し暑いのも閉口ですが、今朝などは、ちょっとひんやりとした雨の日です。台風の影響もあるようです。

「児島富士」の異名を持つ常山も頂あたりが厚い雲につつまれています。

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今日はこれにて。

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閉口二つ、の巻 [日録]

「カラッカラのお天気が続きます」と昨日の記事で書いたばかりなのに、今日未明方午前にかけてかなりの降雨に見舞われました。何日も続いた「危険な暑さ」は多少は緩んだかも知れませんが、でも雨後の蒸し暑さには閉口でした。

昨日も書きましたが、今日までの日程で私たちの退職同業者の作品展が開かれていました。

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力作揃いです。

私も写真を出品しました。

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              見返りタカブシギ
カタカナで「タカブシギ」と書いても,この鳥の特徴は思い浮かびにくいですが,「鷹斑鷸」と漢字で書けば「尾羽に鷹斑がある」ことが名付けの由来と納得できます。似ているクサシギより足が長いことから高歩(たかぶ)と名付けられたとも言われます。
学名Tringa glareolaの,glareolaは「小石原」の意味で,羽の模様が小石が並んでいるように見えたことにちなむそうです。
写真のような姿勢を目にすると,ついつい「見返り美人」という言葉が思い浮かびます。切手収集に趣味をお持ちの方は,江戸時代の浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)作品をもとにした「見返り美人」に,特別の思いをお持ちでしょう。1948年にコレクター向けに発行された「切手趣味週間」シリーズの第2弾として誕生しました。この切手の人気は凄まじく,1960年代に切手収集ブームが起こった要因の1つと言われています。
小学生時代の私にとっては,もちろん,小遣いで買える金額ではなく, まさに,高嶺の花,垂涎の的でありました。

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              寅年のトラツグミ
トラツグミは,古来「鵺(ぬえ)鳥」とも呼ばれ,平家物語には源頼政の鵺退治の話が出てきます。
    ぬえ【×鵼/×鵺】 1 トラツグミの別名。2 源頼政が退治したという,伝説上の妖力をもった怪獣。頭は猿,胴は狸,尾は蛇,手足は虎,声はトラツグミに似るという。 3 つかみどころがなくて,正体のはっきりしない人物・物事。「政界の―」(「デジタル大辞泉」)
トラツグミは,夜中に,口笛のような「ヒョー,ヒョー」という声で鳴くそうです。「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というのは,横溝正史原作の映画「悪霊島」のキャッチ・フレーズでした。
山上憶良の『貧窮問答歌』(万葉集)では,その声を極貧者の悲嘆のうめき声に重ねて「ぬえ鳥の のどよひ居るに」と表現しています。
  伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足(あと)の方に 囲み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 竈には 火気(けぶり)吹き立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 云へるが如く 笞杖(しもと)執る 里長(さとをさ)が声は 寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ
  かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道

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          「九の日」のセイタカシギ
今年の4月10日付ブログに,こんな記事を書きました。
  昨日,4月9日は,地元「九条の会」が,4月の『九の日行動』を実施。先月に続いて,「ウクライナに平和を」をアピールしました。いつものように,快晴でした・・・。
  ウクライナの人たちには申し訳ないことですが,スタンディングのあいだ,楽しい話題もつきません。最近,Hさんが,娘さんとバードウォッチに行かれ,イカルをご覧になったとのお話しに,「ああ,あのクチバシが歪んだ鳥・・・」と知ったかぶってしまいました。『イスカ』との勘違いでした(汗)。私,イスカはまだ見たことがなく,イカルには面識があったのに・・。
実は,五年ほども前,私が初めてイカルを撮影できたのは,M師先生ご夫妻に鳥情報を教えていただいたおかげでした。そしてまた,この4月9日,ご夫妻のご教示により,初めてセイタカシギに遭えたのでした。
展示写真は,約一月後,同じ場所で撮影したものです。喜びの余り有頂天になり,「タカアシシギ」などと,うろ覚えの名前でブログに掲載してしまい,訂正の憂き目をみたことでした(汗)あな、恥ずかしや。


今日は、この作品展とは別会場で、退職同業者の総会が開かれました。コロナのため二年間開催できなかったのですが、今年は午前中だけに縮小して開催されたのでした。

体に応える蒸し暑さとともに、もう一つの閉口は、KDDIの通信障害。緊急の連絡が必要なときにつながらないのは、大変困ります。以前はあった公衆電話は,NTTの既定の利用者数を満たさないとの理由で撤去されていますし・・・。

今日はこれにて。


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早苗田眩し、の巻 [日録]

前回記事からはや一週間以上経ちました。広島地方気象台は6月28日、中国地方の梅雨明けを発表しました。統計のある1951年以降最も早く、6月中は初めて、とのこと。しかも、「梅雨入り」を聞いてから、梅雨らしい雨の日をほとんど経験しないままで、カラッカラのお天気が続きます。40℃超という酷暑を味わっておられる地方の皆様には申し訳ないですが、35℃を超える暑さには閉口します。朝五時台に散歩しても、汗がしずくになります。


今朝は、重いのを覚悟でPENTAX K1Ⅱを持って散歩に出ました。このカメラを提げての朝散歩は久しぶりです。


SDカードにはこんな画像が残っていました。


TAMRON レフレックスレンズSP500 MACROで写したものです。EXIFの記録を見ると、6/13の撮影でした。


タチアオイ。


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ヒバリを写したのですが、ヘンな設定になっていたと見えて、思わぬ色です。


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さて、今朝の散歩では、TAMRON 17-50mm f2.8を使いました。一面の麦畑だった田園風景は、なみなみと水が張られた水田に変身し、植えられたばかりの稲苗が青々と涼しげです。


麦飯山方面を望みます。


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こちらは常山。別名児島富士とも呼ばれます。水田に影を落として、逆さ児島富士が現出します。


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強い陽射しが水面に反射して、眩しいです。


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ところで現在、わたしの属する退職同業者団体の「作品展」が、明日までの日程で開催中です。


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28日には作品の搬入と飾り付けのお手伝い、昨日は受付係として半日会場にいました。その話題はまたのちほど・・・。


今日はこれにて。


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