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ガラパゴスへの転居?の巻 [日録]

先日、愛知県在住の旧友ハチロークンが、『不意の電話』をくれました(いつものことですが---)。

ハチロークンは、当ブログの常連登場人物です。

例えばこんな記事。またまた追伸、の巻(2021-09-27)

先月、「学生時代の友人(後輩)S女史が、高知県議補選に立候補することになった」との記事を書きました。

思いもかけない大ニュース!の巻(2021-08-18)

候補者の安田せつ子さんとは浅からぬ縁があります。

第一は、大学の同じ学部、学科、専攻の後輩です。私は勉強好きでしたから、語学をはじめ一般教養の授業なども含めて数年がかりで習得しましたから、同じ授業やゼミでも、しばしばご一緒しました。

第二は、わが妻と同郷で、高校の同級生、大学入学当時は下宿まで同じでしたので、いきおい、しばしば共に行動する機会もありました。

第三は、ですから、卒業後も、妻とともに里帰りしたときなど、実家近くでお会いすることもある「昵懇」の間柄だったといえまず。

第四は、県は違っても、共に教職に就き、組合運動にも携わってきた共通点から、実際にお目にかかる機会は稀であっても、変わらず心通じる間柄だったと言えます。

第五は、当ブログでもしばしばご紹介している、数年前から何度か開かれている大学時代のサークルの同窓会でお目にかかる機会が増えました。

その後のことを書かねばと思ううちに、すっかり時間が経ちました。

そうこうしているうちに、愛知に住む旧友ハチロークンが、今日、思いがけず、何枚かの新聞コピーを送ってくれました。ハチロークンは、まめな人で、旧い友人たちの消息や近況を、丹念にウォッチングしていて、しばしば新聞切り抜きなどを添えて教えてくれます。たとえばこんな記事の場合のように、、、。

難読お名前クイズだ!の巻(2019-03-11)

難読人名クイズです。 次のAさん、Bさんの姓は、それぞれなんとお読みすればよいでしょうか 。

A 榑松さん

B 川后さん

学生時代からの古い友人で、愛知在住のハチロークンは、当ブログの常連登場メンバーです。最近では忘れてました、の巻(2019-02-21)にも、ちらりと登場願いました。そのハチロークンが、いつだったか「日本広しといえども(あるいは、愛知県内で、と言ったかも知れません)榑松、川后の両方が読める人物、しかも両方と面識がある人物は自分だけではないかと思う」などとヘンな自慢をしていたことを思い出します。

よいことを一つすれば、花さき山に一つ花が咲く、の巻(2019-01-18)

たぶん、ほとんど取るに足りない事実の紹介になりますが、実は、この方(注 郵便不正事件で誤認逮捕された元厚労省事務次官の村木厚子氏のこと)、大学の後輩にあたります。経済学科にも親しい友人がいましたし、そのうちの何人かは、確か、この方と同期のはずです。そういう面々とともに、同じ授業や講座を受けていたことがあったかも知れないと思うのですが、記憶はあいまいです。

当ブログ、故郷自慢や友達自慢がしょっちゅう登場しますが、今回はそのどちらでもなく、袖すり合うも多生の縁のレベルのささやかな「縁」のお噂になります。
事件後に、当ブログにもしばしば登場いいただくわが故旧のひとりハチロークンと交わした会話によると、彼は私より一年下であるだけに、彼女とも学年が近く、教授からも一目置かれていた彼女の優秀さをよく憶えているそうです。堅実・誠実な人柄と報じられる不正とのギャップから、えん罪であることは疑う余地もなかったのですが、160日にも及ぶ拘置に耐えた、粘り強い孤独なたたかいで、見事に無罪を勝ち取られたことに、頭の下がる思いでおりましたが、今日の番組で生の声をお聞きし、強く胸を打たれました。

ふと見かけたアトリ、の巻(2017-11-29)

この会を企画してくれたハチロークンの司会で、大学卒業以来今日までの半生を、「一人5分」で語ろうという提案に、こもごも語られる歴史は、それぞれ「山あり谷あり」がキーワードとなる、波乱に富んだ歩みでした。この日の出席者はいずれも「後輩」に当たりますが、ふかいリスペクトの思いなしに聞くことはできませんでした。
ところで、上述のハチロークンは、私のブログの常連出演者です。
たとえば、最近も、ミーハー雑感、の巻に、こんなことを書きました

ハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)

槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略) 冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」(中略)が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。  同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。

この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。

際限がないので、以下割愛します。

さて、今回、彼が送ってくれた新聞コピーの一部を紹介します。「高知民報」という地方紙のコピーです。彼は、自称、この新聞の「唯一の愛知県在住購読者」なのです。

画像3

全国紙では詳細には報道されない記事に、候補者安田せつこさんの人柄がありありと思い浮かべられて、改めて懐かしさとともに深い感銘を覚えたことでした。

真ん中の記事「安田節子さん第一声」のなかのこんなフレーズが、強く心に響きました。

「あなたが大切 にされる県政実現のために私を県議会に送ってください」    
「私は くらしと政冶は地続きだと思っています。声を上げ れば政治は変わる。暮ら しはよくなる。あきらめず しっかり声を上げ、声が集まり願いが叶う。私はこの声を集めて県政に届けたい-----一人ひとりが本当に大切にされる県政を一緒に作って参りましょう」

「地盤、看板、カバン」のいずれにもまったく縁がない、いわば政治のシロウトである彼女の訴えの、真実味と説得力は、おそらく少なからぬ人々の心をとらえたのではなかったでしょうか?

この安田節子さんについては最近のこの記事でも触れたばかりです。

らんまん外伝、の巻(2023-09-18)

私のお手伝いしている教育相談所の会報最新号が届きました。実はそこに私の投稿が掲載されているのです。その内容は、拙ブログ掲載の5月の一連の高知・佐川町訪問記をまとめて親しい友人・地人に送ったものをコンパクトにまとめた文章です。何ら新しい付け加えはありませんが(汗)

(中略)

(2)今年の5月、久しぶりに高知を訪ねる機会がありました。学生時代のサークルの「同窓会」への参加のためです。そのついでに、佐川町に立ち寄ることができました。

先の文章で「親しい友人の嫁ぎ先」と書いた「親しい友人」とは、大学で同じ専攻の後輩で、小学校教員退職の後、乞われて二〇二一年九月の県議補選に出馬、得票率43.5%と大健闘された安田せつこさんのことです。町の中には、まだ、選挙時の立て看板が残っており、あたかも町の風景の一部と化しています。その彼女が、牧野博士ゆかりの地を中心に、佐川を案内してくれるというので、数人の道連れとともに、お言葉に甘えることにしたのです


さて、ハチロークンのこのたびの電話の用件は・・・何だっけ?いつものことながら話題が多岐に及んで、主たる用件が思い出せません(笑い)。一つは、学生時代のサークルの同窓会誌の話題でした。ハチロークンもこれに執筆し,私も駄文を寄稿しました。拙ブログの過去記事を継ぎ合わせたこんな記事でした。

まいふぇばれいと短歌・俳句  (第十回)

(1)鮟鱇も目に泪
新年早々、気のせいか頭痛を感じるときがありました。熱はありません。理由として思い当たるのは、年末のインフルエンザワクチン接種に続く新年早々のコロナワククチン5回目接種のせいでしょうか?あるいは、相前後しての歯科治療のせいで、全身に無駄な力が入り、肩こりその他、筋肉の痛みが残ったかも知れぬと考えてみたりもしました。
コロナ流行以来、「不要不急」の通院を避けてきた経緯があって、歯科医通いも久しぶりになります。メンテナンスの案内ハガキをいただいておりながら、長くほったらかしにしていました。前回の受診は、拙ブログの記事をもとに思い返せば、二〇一八年の暮れでしたか?さらにさかのぼる二〇一五年春先の受診について、ブログにこんな記事を書いています。

鮟鱇も目には泪か寒戻り(2015-03-23)
2007年の脳動脈瘤の手術、2013年の肺癌の手術、どちらも、オペの前に執刀医が「頑張りましょう」と声を掛けてくださり、オペ中も、麻酔でうつらうつらしている中で、「大丈夫ですか~?頑張って~」とドクターの声が聞こえてきます。
でも、点滴針から伸びる管や、計器につながった配線が身体にまとわりつく姿のままベッドに固定され、半身、または全身の麻酔によって身動きならない状態で、頑張ろうにも、頑張れることはありません。「頑張ってください。」は、こちらのセリフで、心身共に消耗する長時間の手術を、頑張って遂行してくださるのは、あなたがた医療スタッフの皆さんでしょ。と反論したくなりましたが、それは遠慮して、「はい」とうなずいたものでした。
それに引き替え、この、歯科の治療は、患者も正味、頑張ることが求められますね。治療中にこんな句が浮びました。
鮟鱇のやうなおおぐちあけてゐる
つるされた鮟鱇のごと為すが儘
鮟鱇も目には泪か寒戻り
この大口を空いている様は、何に似ているだろうか、ワニかカバか、と想像をめぐらすうちに、吊し切りのために吊された鮟鱇の姿が目に浮かんだのでした。もちろん、イメージの背景にはこの句がありました。
鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる 加藤楸邨
帰宅後、ちょいと探してみますと、こんな句もあるそうです。
泪目のまゝ鮟鱇の割かれけり 佐々木 鳴子
鮟鱇のあぎと全開宙にあり 野口 明子
吊されて老鮟鱇の無念かな 有永 実
とめどなき大鮟鱇の涎かな 岡田 耿陽
鮟鱇に似て口ひらく無為の日々 木下 夕爾
それにしても、無理してあんぐり口を開けたせいで、顎が痛いし、肩、首筋、こめかみなど、あちこちが凝って痛い上に、治療した歯の歯茎は腫れ、飲食物がしみます。
削られて歯の痛み増す寒戻り

(2)ハチマルニーマル異聞
しばらく後の記事にこんなことをかいています。
春長けてハチマルニーマルを考える、の巻(2015-03-30)
「八〇二〇(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。
一九八九年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「八〇歳になっても二〇本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。
愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「八〇二〇(ハチマルニーマル)」の二〇(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、八〇(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団一枚」です。このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。
「八〇(ハチマル)」の方の保障はおぼつきませんが、「二〇(ニーマル)」目指して今日も歯医者通いです。このネタは、つい先日も友人に披露したところです。
予約なしの飛び込みでしたので、多少待たされましたが、待合室で米朝会談の模様が中継されていました。額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショーだったとしても、あの握手と軍事衝突回避・和平への歩みは、歴史の進むべき道、国際世論の求めるところでしょう。

ちなみに、ここに登場する「愛知県に住む私の親しい友人I君」とは、我々世代の同研仲間、ハチロー君です。彼は、現役時代はパソコンも使ったそうですが、今は、パソコンもケータイも(もちろんスマホも)使わず、従ってネットにも縁がなく、文章は手書き、コミュニケーションは電話とファックスで済ますという浮世離れの生活をしているらしく、そのため、わがブログも一切読んではくれません。――「浮世離れと」とはいうものの、新聞や雑誌・書籍を通じての情報収集には熱心で、特に新聞の投稿欄や死亡欄には常に目を通し、一種マニア的(偏執的)に、消息に通じているのは、知る人ぞ知るところですが。

(3)鮟鱇も開いたる口が塞がらず
話題を引用記事に戻します。「額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショー」であったにせよ、「軍事衝突回避・和平への歩み」の兆しがわずかに垣間見えたかと見えたあの米朝会談からわずか数年で、今日の前世紀的な軍事緊張に世界が席巻されることになろうとは、予測することもできなかった不明・うかつさを恥じるばかりです。
世界の人々の平和への希求を嘲弄して憚らないプーチン・ロシアの暴虐は時代錯誤と言わざるを得ませんが、その手を縛ることができるのは、国連憲章の誠実な遵守を求める国際世論を結集して暴虐を包囲し孤立させて道理に従わせる外交努力以外にはありません。憲法九条を持つ日本政府の役目はその方向にこそ発揮されるべきでしょう。
ところが岸田内閣は、ウクライナ危機に乗じて、また、中国・北朝鮮の拡張主義との緊張状態を強調しながら、歴代政府が表明してきた安保政策の大転換と軍備拡張への道を急いでいます。戦後の歴代政権が一貫して否定してきた敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や、軍事費倍増を明記した「安保3文書」を閣議決定し、湾岸戦争・アフガン戦争で都市を破壊し、多数の人々を殺傷した長距離巡航ミサイル・トマホークを、自衛隊に実戦配備するなどをアメリカに約束。要請があれば日本が攻撃されていないもとでも、敵基地攻撃を実行する準備をすすめています。
国会にもはからず、国民の審判を仰ぐこともなく、独断専行で安保政策の大転換へと突っ走る岸田政権の専横ぶりを見かねて、当然と言えば当然ですが、自民党内の重鎮のなかからも危惧の声が漏れてきているそうです。こんな記事をメモしておきます。
「河野洋平氏、防衛政策転換『安倍政治が問題』外交努力足りないと『報道特集』で指摘」( デイリースポーツ1月7日)
元自民党総裁・河野洋平氏が7日、TBS系「報道特集」に出演し、岸田内閣の防衛政策について批判した。防衛費倍増、反撃能力の保有などについて河野氏は「尊い命を犠牲にして、われわれ今ここに繁栄を得ているのです。『決して忘れません、決してあの過ちは繰り返しません』。何十年もですね、言い続けてその結果がこの政策転換というのはわたしはあり得ないと思っている」とコメントした。
転換の起点については「安倍政治っていうものに非常に大きな問題があったと思う」と安倍晋三元首相が出発点だったと指摘。安倍氏、菅義偉氏とバトンを受け継いだ岸田文雄首相の時には「勢いがついていた」と流れができてしまっていたとした。「少なくとも国会で議論をする。これをテーマに解散して総選挙で国民の意思を問うくらい重要な問題」とした。(中略)
さらに「反撃能力っていうのは武力による威嚇ですよね」と明言。「威嚇を予算化しようとしている。政治や外交の努力を抜きにして、ただ壁だけを建てていく。壁の隙間から向こうへ鉄砲を狙うのは本当の安全だとは思わない」と、・・・持論を展開した。
「聞く力」を標榜するキシダさん。お身内からの忠言に対してすら聞く耳持たぬとは情けない限りです。
「平和を望むなら戦争を準備せよ」というラテン語のことわざを引用し、「平和を望むならば平和を準備した方がいい。・・・準備は容易に本当の戦争の方へ近付いていく。非常に早く」と語った故加藤周一さん(評論家・「九条の会」呼びかけ人の一人)の言葉が、重みを増す今日この頃です。
このまま安直な政治論文で終わっては気が咎めますので、話題を俳句に戻します。
鮟鱇の句にはこんなものもありました。
鮟鱇の大口あいて笑ふ哉 寺田寅彦
作者の寺田寅彦は、言わずと知れた高知出身の物理学者で、漱石の弟子。『吾輩は猫である』に登場する理学士寒村君のモデルです。母校の追手前高校の前に建つ銅像には「「ねえ君、不思議だと思いませんか 寺田寅彦」と刻んであります。
全く不思議です。敵基地攻撃能力で国を守れるなんて、一国の総理たる人が本気で考えているのでしょうか?軍備には軍備、ミサイルにはミサイル、核には核、恫喝には恫喝では、緊張をエスカレートさせるだけ。
鮟鱇だってあきれて笑い出しましょうとも。
最後に駄句。
鮟鱇も開いたる口が塞がらず

この投稿の「今は、パソコンもケータイも(もちろんスマホも)使わず、従ってネットにも縁がなく、文章は手書き、コミュニケーションは電話とファックスで済ますという浮世離れの生活をしているらしく、そのため、わがブログも一切読んではくれません」の部分が改めて話題にのぼり、話に花が咲きました。

彼曰く「近く住民票を移さねばと思っている」私,問うて曰く「何処へ?」彼曰く「ガラパゴスへ」---

彼は、重ねて曰く、最近まで「ガラケー」の意味も知らなかった。ガラケーとスマホの違いもわからぬ。ブログとはなんぞや?ホームページとはどう違う?フェイスブックやらlineやら、紛らわしい限り。

私が「ブログとは,ウェブログ。ウェブ上の日記のようなもの」としどろもどろの説明を試みると「何故に私的な日記を公開するのか、わからぬ」と問う---。このような禅問答が続いたことでした。

ところで、ハチロークンのご夫人は、連句を嗜まれる一方で、プログラミングなどもなさるほどコンピューターが堪能で、郵便のほかには家電話とFAXしか使わない夫の代わりに、メールやLINEのやりとりも(見かねて?)代行してくださる由。時には拙ブログをも閲覧してくださっているそうな(恐縮です)。

恐縮ついでに、「何故に私的な日記を公開するのか?」との問いへの、私なりの弁明を以下、試みますので、よしなにご伝達いただけると幸いです。


私にとってのブログの意義について、こんなことを書きました。奇しくも一昨年の今頃の記事です。

日本の夜明け、の巻:ナードサークの四季:SSブログ (ss-blog.jp)(

2021-10-16)

ブログ更新が滞っています。

理由は多々ありますが、最大のものは、今一つモチベーションが上がらないことによるようです。

と言うのも、当ブログの最も熱心(?)な「読者」の一人である郷里の老父が、ここのところしばらくブログチェックをしていない状態が続いています。以前だと、ほぼ毎日チェックして、更新間隔が2~3日開くと、何かあったか、体調が悪いのかと、心配の連絡をよこしてくることもしばしばでしたから、、、。

ところがその父が、9月の終わり頃から、入院生活を続けています。(中略)

ところで、ブログ読者としての父の存在は、そもそも当ブログの執筆動機そのものにも関連しているのでした。そのあたりの事情はこんな記事にも書きました。

気がつけば へなちょこブログも三年目、の巻(2015-08-21)

私のへなちょこブログも3年目を迎えました。私にとっては、現在のところ、最も律儀におつきあいしている「趣味」はこれでしょう。

「趣味は?」と聞かれて答えに窮することは、子どもの頃からの習いでした。小中学生の頃は「読書」などと答えておりましたが、すぐに現実と離反するようになって、破綻に瀕してしまったことでした。
学生の頃「不平を言うこと」という名答を考案し(実はこれもある方からのパクリでした)、これは気に入っておりましたが、社会人になってからは自ずと出番がなくなりました。
以来、「無趣味」と答え続ける半生でした。    
〈中略)

さて、そんな私が、退職を前にして、内心焦りを感じた時期がありました。「~ねばならない」で生きてきて、その枠組みが外れると,自分を見失い,気力も生き甲斐も薄らいでしまう、なんてことになりかねない。「~ねばならない」から「~たい」への生き方の転換が必要だ。さしずめ「趣味をもたねばならない」と、思い至ったのです。やっぱり「~ねばならない」に縛られ続けていますが(笑)
そこで考えました。新たな趣味の必須条件は?
・やって楽しいこと。
・憂さを忘れられること。
・少しの努力で,長く続けられること。
・足跡が何か残ること。
・人と上達を比べられて落ち込まなくてもよいこと。
・出費が少なくてすむこと。
・体力、運動能力が求められなくてすむこと。
自覚的に、言語で意識したことはありませんでしたが,あえて箇条書きにすればこんな虫のいい条件がぐるぐる脳裏を回っていたのでしょう。
今思えば、「ブログ」という帰結は、結果的にですが、これらの虫のいい条件を、すべてみごとにクリアーしてますね。
私のブログ開始は、正確には、退職の瞬間から即時というわけではなく、いくらかタイムラグがありまして、癌手術を経てのリハビリ過程で、退屈しのぎのすさびごととして始めたというのが、経過です。
その時漠然と期待したのは、

①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、

②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、

③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。

今、三年目を迎えられていることをみれば、この予感は、まんざら外れてはいなかったようです。

私の意識の中では、上記記事の箇条書きの「②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、」の「友人、知人」の後ろに「家族」が書き加えられるべきであり、そこに父が含まれることは言わずもがなのことでした。

「ブログ執筆のモチベーションが上がらない」という点とともに、いろいろ所用に追われて気ぜわしいというのも大きいです。スケジュールの合間を縫って郷里までの片道60km+病院までの20kmの往復がありますから、なかなかブログに気が向きません。そして、そんななか、総選挙が始まりましたから、余計に慌ただしい毎日です。

今日の付録。

_K522094


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